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「神幸祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で4月15日(土)に開催されます「神幸祭」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「神宮」です。
 「香取神宮」ですが、神代に「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」が「芦原中津国」を平定、その「子孫」が「香取」・「鹿島」の「両地」に拠を構えて、「香取神宮」・「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を其々創建したと伝えられています。
 「香取神宮」は、弘仁3年(812年)に再建され、元慶6年(882年)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も「千葉氏」や、「豊島氏」が「宣旨」を受けて再造されてきたといわれています。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」として、「延喜式神名帳」には「名神大社」として記載されている他、明治4年()には「官弊大社」に列格、昭和17年(1942年)には「勅祭社」に治定されました。

 「稿本千葉県誌」による「香取神宮」の「由緒」は、下記の通りです。

 官弊大社 香取神宮

 香取郡香取町大字香取字亀甲山にあり、境内九千七百六十八坪、祭神は経津主命を主神とし、武甕槌命・天児屋根命・姫大神を合祀す。
 社傳を按ずるに神代草創の世に当りて経津主命・武甕槌命の二神芦原中津国を平定し、香取鹿島の両地に子孫を留めて東国の鎮とし給ふ。
 神武天皇紀元十八年始めて宮柱を此の地に建て、爾来歴朝国土経営の功勤を重じ、特に尊崇を厚くし祭典の礼を厳にしたまへり。
 舒明天皇三年始めて圭田を奉じ神礼を行ひ、皇極天皇二年三月水災に因りて勅使を遣し馬・錦・鋤・鍬を進められ、文武天皇の朝に本朝鎮守棟梁の号を賜ひ、勅して社殿を造営せしめらる。
 弘仁三年六月令して本宮及び住吉・鹿島の三神の神社に於ては二十年毎に正殿を改造すべき例を定め、承和三年五月正二位、同六年十月従一位、嘉祥三年正一位に叙せらる。
 元慶六年十二月九日、勅して本州の除税五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て、延喜の時名神大社に列し、社殿造営及び祭祀用途の例を定めらる。
 爾来屡奉幣使あり、当時の神領方七里に亘れりと云ふ。
 養和元年十月源頼朝下福田郷を寄附し、建久八年社殿を造営し千葉常胤をして其の事を替せしむ。
 是より千葉・葛西・豊島の諸氏造営奉行たり。
 文永八年十一月常陸及び本州諸要津の海夫に戸ヶ崎・大堺・行徳等の関務を知行することを嘱す。
 宝徳丹念十一月足利義政書を下して本宮神領守護役臨時の課役等を除く、天正十八年豊臣秀吉、浅野長政、木村重茲をしと制札を建てしめ郡卒の侵掠を禁ず。
 同十九年徳川家康香取郷の地千石を寄附し神領となし、後世をして違ふこと勿らしむ。
 元禄十一年徳川綱吉造営の工を起し、社殿以下悉く之を新造す、今存するもの是なり、此の時鳩鴿二千羽を社頭に放つ。
 嘉永六年十一月綸旨あり、異類退散の祈祷を行はしめ、爾後屡祈祷の綸旨あり、白銀及び御米を寄附せらる。
 明治元年十二月九日勅使下向、関東及び奥羽鎮定の報寶式あり、同三年宣命使坊城俊政大奉幣式を執行し、同四年十一月十五日大嘗会あり、是の歳官弊大社に列せらる。
 明治三十七年二月十六日露国に対する宣戦の奉告祭を執行し、同三十八年十二月七日日露平和克復の奉告祭あり。
 同四十四年五月今上陸陛下東宮に在はせしとき、親しく参拝あらせられ、大正二年十一月八日皇太子裕仁親王並に皇子雍仁親王・宣仁親王の三殿下参拝あらせられたり。
 大正三年独逸に対する宣戦の奉告祭あり。
 同四年十一月御即位大礼報告祭を執行せらる。
 社殿を分ちて正殿・拝殿・神楽殿・神饌所・楼門等とす、大華表三あり、第二・第三は社前数歩の間に在り、第一華表は北方十八町を隔てて津宮村利根川の畔にあり、里人濱の華表と称す。
 境内喬木蓊鬱として其の間に数十宇の摂社・末社相連り、規模荘厳なること詣拝者として粛然畏敬の念を起さしむ。
 本宮は本邦著名の大社にして、古文書の多きこと天下に冠絶すと云ふ。
 神寶も亦多く就中海獣葡萄鑑(直径九尺五分)は明治三十七年国寶に指定せらる。
 本宮に属する摂社・末社は三十一座にして之に區別すれば左の如し。

 一、側高神社、本郡奮大倉村に在り
 一、返田神社、本郡奮返田に在り
 一、大戸神社、本郡大戸村に在り
 一、奥宮神社、本郡香取町に在り
 一、忍男神社、本郡津宮村に在り
 一、膽男神社、同上
 一、鹿島神社、神宮境内に在り
 一、匝瑳神社、同上
 一、又見神社、本郡香取町に在り

 以上九社を摂社とす。

 一、天降・諏訪・花園・六所・(雨に霊)・竈・馬場殿・桜大刀自市の八座を境内末社とし、其の余の十四座を境外末社とす。
 祭典中、例祭・祈年祭・新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進役として奉幣せしめらる。
 其の他歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭等の中祭、軍神祭・大饗祭・白馬祭・射礼式・春季祭・御田植祭・流鏑馬式・秋季祭・賀詞祭・内陣御神祭・団喜祭等の小祭あり。
 軍神祭は十二年毎に一回執行する盛典にして神輿津宮鳥居河岸より御船に乗じ、香取浦に神幸し佐原町を経て遷宮す。
 供奉の人々武装を為し頗る古代の風に存す、傳へて神功皇后の征韓の役に擬するものなりと云ふ。

 (「稿本千葉県誌」より)

 「香取神宮」の「創建」ですが、神武天皇の御代18年と伝えられ、「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神」です。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは「伊勢」・「香取」・「鹿島」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 「香取神宮」の「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「造り」となっています。
 また「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」に指定されている「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」や、「重要文化財」に指定されている「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」、「双竜鏡(ソウリュウキョウ)」等があり、「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「本殿」ですが、元禄13年(1700年)「徳川5代将軍綱吉」公が造営した「建造物」で、「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」ですが、目にもあざやかな「朱塗」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」(扁額)は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうで、「香取神宮」「楼門」も、「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「水戸光圀」公の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年といわれる「周囲」約10mの「巨杉」となっています。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」等が数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で「賑わい」をみせます。
 「宝物館」ですが、「国宝」・「重文」を始め、多くの「新宝類」が「所蔵」・「展示」されています。
 「香取神宮」「境内」ですが、「香取の森」と呼ばれ、12万3千平方mに及ぶ「広大」な「境内」には「老杉」が鬱蒼(ウッソウ)と茂り、「別名」「亀甲山(キッコウザン・カメガセヤマ)」といわれています。
 「香取神宮」「境内」「香取の森」ですが、「県指定天然記念物」に指定されています。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって徐々に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。

 「下総国一宮」「香取神宮」ですが、「四季折々」の「風情」を醸しており、「初春」の「梅」、「春」の「桜」、「夏」の「新緑」、「秋」の「紅葉」と「四季」を通じて「自然」と触れあえる「スポット」であり、「散策スポット」でもあるそうです。
 「春」の「香取神宮」では、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」、「ヤマザクラ」、「ボタンザクラ」を中心に、15種類、約700本の「桜」が植えられており、見頃を迎えると「香取神宮」「表参道」・「旧参道」には「桜のトンネル」ができ、「参拝客」や「花見客」で賑わいます。
 その他の「香取神宮」の「観桜スポット」ですが、「黄門桜」、「桜の馬場」があげられます。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にある「桜」で、「水戸黄門」として「有名」な「徳川光圀」の「手植え」の「桜」と伝えられています。
 「桜の馬場」ですが、「神殿」の「裏側」にあり、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」などが、数百本あり、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で賑わいます。

 「神幸祭」ですが、約800年前から伝わる「祭事」で、「香取神宮」の「御祭神」である「経津主大神」が、「東国」を平定した際の「様子」を模して行われ、「氏子」が平安時代さながらの「装束」を「身」にまとい、「行列」を組んで「神宮」の「周り」を歩く、「香取」の「神さま」が、「年」に一度「里」に下りられる「祭事」です。
 「神幸祭」は、一年に一度、「香取神宮」の「大神様」が「里」に下りられる「大祭」で、「氏子地区」の「代表」、約200人が、「昔」ながらの「装束」に「身」を包み、お供し、「香取神宮」「大駐車場」で、「駐輦祭」を斎行し、「氏子地区」の「獅子舞」などが奉納されます。

 「神幸祭」では、上記のように「香取神宮」「氏子」約200名が、平安時代さながらの「白丁」・「黄衣姿」で、「行列」を組んで「神宮」の「周り」を練り歩きます。
 「行列」は、主に「甲冑武者」の「装い」(陣羽織)や、「盾(タテ)」・「矛(ホコ)」を持つ「人」、「御神輿」を担ぐ「人」など、「総勢」約200人で、途中、「香取神宮」「表参道入口」の「駐車場」で、「祭典」を行い、「香取神宮」「社殿」へ戻ります。
 また「神幸祭」の「祭典」前には、「千葉県」の「県指定無形文化財」に指定されている「香取神道流」の「奉納演舞」や、「おらんだ楽隊」の「演奏」なども行われ、美しい「時代絵巻」が「春」の暖かな「日差し」のもとで繰り広げられます。

 「香取神宮」で行われる「時代絵巻」さながらの「伝統的行事」「神幸祭」は、「例年」3万人の「人出」で賑わうそうです。
 なお「香取神宮」では、12年に一度、「午年」に行われる「式年神幸祭」では、3000人にも及び「氏子」が、「甲冑」そのほかの「歴史的装束」で、約4kmの「大行列」を組み、圧巻なのだそうです。

 「由緒」ある「北総」の「名社」「香取神宮」で催行される「伝統」の「歴史絵巻」が披露される「春」の「一大行事」「神幸祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「神幸祭」詳細

 開催日時 4月15日(土) 13時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」「神幸祭」「前日」4月14日(金)には、「香取神宮」「例祭」(2012年4月13日のブログ参照)が催行されます。
 「香取神宮」「例祭」ですが、「香取神宮」の「年間祭典」の中で、最も「重儀」を以て、斎行する「祭典」だそうです。
 「香取神宮」「例祭」は、「天皇陛下」からの「御幣物」を奉じ、「皇室」、「国家」の「安泰」と、「国民」の「安寧」を祈願する「祭典」で、「祭典中」、「香取神宮」「巫女」による「悠久の舞」を奏すそうです。
 「香取神宮」「例祭」ですが、「注連縄」の「外」からの「奉拝」となるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3384 |
| 気まぐれ日記 | 07:25 PM |
「松山神社の神楽」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「松山神社」で4月13日(木)に開催されます「松山神社の神楽」です。

 「松山神社」は、「匝瑳市」の中心である「旧・八日市場市」「市街地」の「北西」の「丘陵地帯」に鎮座している「古社」です。
 「松山神社」の「所在地」ですが、「JR総武本線」「八日市場駅」から「県道16号線」を約18km北上後、左折し「県道106号線」を1km程行った「場所」にあり、「松山神社」の「隣」には「匝瑳小学校」があります。
 なお「松山神社」や、「匝瑳小学校」の「敷地」は、その昔「匝瑳の名門」「千葉一族」の「椎名氏」の「居城」であったとされる「松山城」の「跡」なのだそうです。

 「松山神社」の「旧社格」は「村社」で、「松山神社」「御祭神」は「伊弉册命(イザナミノミコト)」、「譽田別命(ホンダワケノミコト)」、「天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)」を祀っています。
 「松山神社」の「創建」ですが、「松山神社」「社殿」によりますと、大同元年(806年)と非常に古く、中世には「源頼朝」公が「神領三十貫」を寄せているとされています。

 「松山神社」では、「匝瑳市」の「市指定天然記念物」の「松山神社大杉」があります。
 「松山神社大杉」ですが、「幹周り」7.95m、「樹高」29m、「樹齢」300年以上の「存在感抜群」の「古木」となっています。
 「松山神社」周辺には、その他数本の「杉の巨木」が林立し、「神々しさ(コウゴウシサ)」が漂っています。
 「松山神社」「本殿」は、「風格」のあるしっかりとした「造り」で、「松山神社」「拝殿」には「彫刻」が施されており、「威厳(イゲン)」がある「造り」をしています。

 「松山神社」で行われる「伝統行事」ですが、「松山神社の神楽」(2014年4月11日・2013年4月9日・2012年4月10日のブログ参照)と250年以上続いている「神事」「筒粥神事」(2014年1月14日・2013年1月11日・2012年1月14日のブログ参照)が知られています。

 「松山神社の神楽」は、「里神楽」に分類され、毎年4月13日に「松山神社神楽保存会」の「人々」によって、演じられています。
 「松山神社の神楽」の「起源」についての「明確」な「資料」はありませんが、「鬼神面」と呼ばれる「面」の「裏」に

 「奥羽中尊寺弟分淳也作之、慶長三年(1958年)霜月十五日」

 とあることから、慶長年間には、既に演じられていたと考えられています。

 「松山神社の神楽」は、昭和33年(1958年)に開催されていたものが、一時「中止」となっていましたが、「地元」の「人たち」の「願望」で、昭和51年(1976年)に復活されたそうです。
 「松山神社の神楽」は、その「年」の「豊作」を祈って奉納される「神楽」で、「天下泰平」・「五穀豊穣」をお祝いする「お祭り」だそうです。
 「松山神社の神楽」ですが、「烏帽子姿(エボシスガタ)」の「楽師」が奏でる「お囃子」に合わせて、「民話」の「神々」が、次々と登場し、その「動き」が、妙に「滑稽(コッケイ)」で「観客」を驚かせたり、「笑い」を誘ったりするそうです。

 「松山神社の神楽」「当日」は、「匝瑳市」「松山地区」の「共同館」に「松山神社神楽保存会」の「メンバー」の「皆さん」が「全員」集まり、「身」を清めた後に、「先導」(天狗)・「古老」・「神官」・「楽師」の「順」で、「神社」まで「沿道」を練り歩き、「松山神社」「本殿」を、1周した後に「神楽殿」に登ります。
 この後、「松山神社」「神楽殿」で、3時間余りにわたって、「天狗」(サルタヒコ)にはじまり、「〆切」(スサノオノミコト)まで「十二座」の「神楽舞」が演じられます。
 「松山神社の神楽」の「十二座」ですが、下記の通りとなっています。

 天狗(テング)

 鈿女命(ウズメノミコト)

 三宝荒神(サンポウコウジン)

 八幡様(ハチマンサマ)

 榊葉(サカキバ)

 田之神(タノカミ)

 種蒔(タネマキ)

 食保之神(ウケモチノカミ)

 恵比寿(エビス)

 春日大明神(カスガダイミョウジン)

 乙女(オトメ)

 〆切(シメキリ)

 で構成されています。

 このうち「鈿女命」・「三宝荒神」・「八幡様」・「榊葉」・「食保之神」・「春日大明神」・「〆切」の「7演目」については、「謡(ウタイ)」がともなっています。
 「松山神社の神楽」の「楽師」に用いる「楽器」には、「太鼓」・「付太鼓」・「篠笛」があり、この「神楽」は、すべて「男性」が演じることになっているそうです。
 上記のように「松山神社の神楽」は、「天狗」からはじまり、「鈿女命」・「三宝荒神」等が演じられた後、「素佐之男尊(スサノオノミコト)」が、「松山神社」「神楽殿」に巡らした「シメ縄」を、「刀」で切る「〆切」で「フィナーレ」を迎えるそうです。

 「松山地区」の「古社」「松山神社」で行われる「伝統行事」「松山神社の神楽」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「松山神社の神楽」詳細

 開催日時 4月13日(木) 13時〜16時

 開催会場 松山神社 匝瑳市松山1127

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 「松山神社の神楽」ですが、「匝瑳市」の「市指定無形民俗文化財」に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3382 |
| 地域情報::匝瑳 | 09:24 PM |
本日開湯20周年を迎えました!
4月8日はお釈迦様のお誕生日であるとともに

犬吠埼観光ホテルの敷地内に温泉が沸いた記念の日です。


おかげさまで20周年を迎える事ができました。

皆様の御愛顧に感謝し、厚く御礼を申し上げます。


当館の潮の湯温泉の歴史は物語として当ホームページの下欄でご紹介しています。

今後ともチャレンジ精神を失うことなく、皆様に心からくつろいでいただけるよう

スタッフ一同頑張ります。

どうぞよろしくお願い申し上げます。







| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3379 |
| お知らせ | 05:30 PM |
「桜ライブ」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」「南側芝生広場」で4月9日(日)に開催されます「桜ライブ」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(ヨコシバヒカリインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、手塩をかけた「恵み」の「農産物」等の数々を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で「数回」の「協議」を重ね、主に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで「結論」に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」に応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」等であったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」等が「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される方が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「桜ライブ」ですが、「ふれあいパーク八日市場」の「イベント」で、4月9日(日)10時00分から行われます。
 「桜ライブ」は、「観覧」「無料」の「イベント」で、5種類の「桜」が咲く「会場」で、「満開」の「桜」を「バック」に「バンドライブ」を行い、また「桜ライブ」では、おいしい「食べ物」がいっぱいの「模擬店」も並ぶそうです。
 なお「桜ライブ」には、「水岡のぶゆき」さん、「イダセイコ」さん、「GEN」さん等の「出演」を予定しているそうです。
 また「桜ライブ」が行われる「ふれあいパーク八日市場」「会場」「南側芝生広場」には、色々な「出店」も予定されています。

 「毎週末」や「祝祭日」にいろいろな「イベント」が行われる「都市と農村交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「春恒例」「観覧無料」の「ライブイベント」「桜ライブ」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「桜ライブ」詳細

 開催日時 4月9日(日) 10時〜15時

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「匝瑳市」では、4月の「週末」、4月7日(金)、4月8日(土)、9日(日)、の3日間「匝瑳市」の「春の花スポット」などを巡る「無料シャトル」「春のそうさ花めぐりバス」が運行されます。
 「春のそうさ花めぐりバス」「バス停留所」ですが、「そうさ観光物産センター匝りの里」(JR八日市場駅)、「チューリップ祭り会場」(野栄総合支所)、「飯高壇林跡南側駐車場」、「黄門桜入口」(小高)、「ふれあいパーク八日市場」となっています。
 なお「春のそうさ花めぐりバス」の「時刻表」は、下記の通りです。

 「春のそうさ花めぐりバス」「時刻表」(運行日・4月7日、8日、9日)

  バス停留所         1便    2便   3便   4便   5便

 そうさ観光物産センター匝りの里(JR八日市場駅)  発  9時15分  10時40分  12時45分  14時25分  15時55分

 チューリップ祭り会場  着  9時30分  10時55分  13時00分  14時40分  16時10分
 (野栄総合支所)
          発  9時30分  11時00分  13時05分  15時05分  16時15分

 そうさ観光物産センター匝りの里(JR八日市場駅)  着  9時45分  11時15分  13時20分  15時00分  16時30分

           発  9時50分  11時25分  13時30分  15時05分

 飯高壇林跡南側駐車場 着 10時05分  11時40分  13時45分  15時20分

            発 10時05分  11時40分  13時45分  15時20分

 黄門桜入り口(小高) 着  10時10分  11時45分  13時50分  15時25分

           発  10時10分  11時45分  13時50分  15時25分

 ふれあいパーク八日市場 着 10時20分  11時55分  14時00分  15時35分

            発 10時20分  12時10分  14時00分  15時35分

 そうさ観光物産センター匝りの里(JR八日市場駅)
着 10時35分   12時10分  14時15分  15時50分

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| 地域情報::匝瑳 | 03:18 PM |
「小林牧場の桜まつり」(印西市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「印西市」「小林牧場」で4月8日(土)・9日(日)に開催されます「小林牧場の桜まつり」です。

 「印西市」は、「東京」の「都心」から約40km、「県庁所在地」「千葉市」から約20km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)から約15kmに位置し、三方を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「手賀沼」に囲まれた「水」と「緑」豊かな「市」です。
 「印西市」は、周辺の「佐倉市」、「四街道市」、「白井市」、「八街市」、「成田市」、「富里市」、「印旛郡酒々井町」、「印旛郡栄町」と合わせて「印旛地域」と称されています。

 「印西市」に隣接する「自治体」は、「柏市」、「我孫子市」、「白井市」、「八千代市」、「佐倉市」、「成田市」、「印旛郡酒々井町」、「印旛郡栄町」、「茨城県」「北相馬郡利根町」となっています。
 ちなみに、隣接する「茨城県」「北相馬郡利根町」とは、「印西市」からは「直接的」な往来は出来なくなっており、「我孫子市」または、「印旛郡栄町」を経由する必要があるそうです。
 「千葉県」では、「他県」と接していながら、「直接的」な往来ができない「自治体」は、「印西市」のみとなっています。

 「印西市」ですが、2008年(平成20年)に「印西市」・「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」の「1市2村」の「枠組み」で、「市町村合併」の「特例」等に関する「法律」(新合併特例法)の「期限」である2010年(平成22年)3月末までの「合併」に関する「話し合い」を行うために、2008年10月24日に「合併問題懇談会」が、それぞれの「市村の長」および「議会議員の代表」により構成、設置され、翌2009年(平成21年)1月9日に「合併協議会」が設置されました。
 「合併協議会」では、「合併」の「期日」を2010年(平成22年)3月23日とし、「合併方式」は「印西市」に「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」を編入する「編入合併」、「新市」の「名称」は「印西市」とすることで合意、「合併申請」が行われ、2010年3月5日「総務省告示第73号」で「合併」が決定。
 これにより、予定通り、2010年3月23日に、「新・印西市」が誕生しました。
 「印西市」の「人口」ですが、「人口」97229人、「世帯」37631世帯、「男性」48263人、「女性」48966人となっています。
 (2017年(平成29年)2月末現在)

 「印西市」ですが、「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」、「木下地区」、「印旛地区」、「本埜地区」から構成されています。

 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、「印西市」「西部」の「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)上、「千葉ニュータウン」が広がり、「千葉ニュータウン中央駅」・「印西牧の原駅」周辺および「国道464号線」沿線は、「印西市」における「経済」・「商業」の「中心地」(新市街地)となっています。
 「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、最も「印西市」で「人口」が多く、「北総線」および「国道464号線」に沿って発展しており、「北総エリア」における「一大ショッピングゾーン」を形成しています。

 「印西市」「北西部」の「利根川」沿いの「低地」に所在する「木下(キオロシ)地区」(旧・木下町)ですが、「利根川水運」の「宿場町」であった「旧・市街地」があり、「印西市」の「市役所」や「警察署」等の「行政機関」が位置し、「印西市」「行政」の「中心地」となっています。
 「木下(キオロシ)地区」ですが、古くからの「町並み」が残る「旧・市街地」であり、「利根川」および「木下(キオロシ)街道」に沿って発展しています。

 「印旛地区」(旧・印旛村)は、「印西市」の「東南部」に位置し、「北総エリア」の「基幹病院」である「日本医科大学千葉北総病院」があり、「印旛日本医大駅」を中心として「宅地化」が進行している「エリア」です。
 一方「印旛地区」は、「谷津田」をはじめ、「自然」も多く残されており、「樹齢」300年を越える「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)や、「ナウマン象発掘の地」等の「観光名所」もあります。

 「本埜地区」(旧・本埜村)ですが、「印西市」の「北東部」に位置し、「北印旛沼」に面し「水田」が広がり、「冬」には「越冬」のために、800匹を越す「白鳥」が、飛来することで知られています。
 一方「本埜地区」は、「印西牧の原駅」「北側」に位置する「千葉ニュータウン」「滝野地区」で「宅地化」が進行、また「成田国際空港」に近いこともあって、近年「国道464号線」の「沿道」「みどり台」等に、「研究所」や「物流センター」等の「進出」が目立っているそうです。

 「印西市」は、江戸時代より「利根川」の「水運」が盛んで、「物資輸送」の「拠点」のひとつであった「木下(キオロシ)河岸」や、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)の「東国三社詣」(2010年10月23日のブログ参照)などに向かう「道中」の「宿場町」として栄えた「木下(キオロシ)街道」付近を、中心に栄えてきました。
 「印西市」は江戸時代から「商業のまち」として栄え、「江戸」と「佐倉」・「銚子」を結ぶ上で「重要なまち」として、また「香取神宮」、「鹿島神宮」、「息栖神社」を詣でる「旅人」の「宿場町」として繁栄し、そのため、「印西市」には「歴史的建造物」、「遺跡」も数多く残り、当時の「面影(オモカゲ)」を偲(シノ)ばせている「まち」です。
 現在も「印西市」は「地理的条件」にも恵まれ、上記のように「東京都心」、「千葉市」、「成田国際空港」という「日本」を代表する「高機能拠点」の中心に近く位置している「まち」として「利点」を活かし発展を続けています。

 発展を続ける「印西市」には、「吉高の大桜」という「有名」な「桜」と、「小林牧場」(2016年4月2日のブログ参照)の「桜並木」という2つの「桜の名所」があります。
 「吉高の大桜」は、「印西市」「吉高地区」にある「桜」で、「樹齢」300年を超える「孤高」の「一本桜」です。
 「吉高の大桜」ですが、昔から「吉高の大桜」と呼ばれ「地域」で親しまれており、「印西市」の「市指定天然記念物」に指定されている「桜」で、上述の「小林牧場の桜(並木)」と併せて、「印西市」の「2大花見スポット」と称されています。
 ちなみに「吉高の大桜」、「小林牧場の桜」の「過去」5年の「満開日」は、下記の通りです。

 吉高の大桜(ヤマザクラ)

 平成28年 4月9日〜4月11日
 平成27年 4月7日〜4月10日
 平成26年 4月8日〜4月11日
 平成25年 4月3日〜4月4日
 平成24年 4月14日〜4月17日

 小林牧場の桜(ソメイヨシノ)

 平成28年 4月1日〜4月8日
 平成27年 3月31日〜4月6日
 平成26年 4月1日〜4月8日
 平成25年 3月25日〜4月3日
 平成24年 4月9日〜4月13日

 「小林牧場」とは、「印西市」「小林」にある「地方競馬」(大井競馬)の「施設」(牧場・トレーニングセンター)で、「正式名称」は、「大井競馬小林牧場」、「施設管理者」は「東京都競馬」です。
 「小林牧場」ですが、1965年(昭和40年)に設けられた「競争馬」の「保養育成」(養成や、トレーニング)のための「牧場」で、「東京」の「大井競馬場」等に出場する「馬」がここで調教されています。
 「小林牧場」には、2010年(平成22年)に、「地方競馬界」「初」の「調教用坂路コース」が設けられており、「小林牧場」周辺には、「キャンプ場」や、「芝生広場」、「放牧場」が整備されており、「ピクニック」や、「アウトドア」に「最適」な「スポット」として知られています。
 「小林牧場」の「施設概要」は、下記の通りです。

 パークガイド

 桜並木 約350本 (700m)
 キャンプ場
 芝生広場
 放牧場
 練習馬場
 追馬場
 公衆トイレ

 施設

 厩舎 11棟(268棟)
 厩務員住宅 2棟
 管理事務所及び関係者宿舎 18棟
 練習馬場一周 1100m

 お花見

 レジャーシートを敷いてお花見ができる場所は、公園内の大通り横奥のスペースと奥のロータリー脇を奥に入った所が広くてお勧め。

 敷地面積

 約460801平方m

 駐車場

 臨時または公園内

 近隣施設

 コンビニ 牧場から徒歩約10分

 「小林牧場」ですが、「八王子牧場」の「廃止」に伴い、1965年(昭和40年)に「大井競馬」に所属する「競争馬」の「育成」・「調教」、「休養」を「目的」として「中央競馬」に先駆けて開場された「トレーニングセンター」(中央競馬最初のトレセンである「栗東トレセン」は1969年開場)です。
 最初は「厩舎」は設置されませんでしたが、「大井競馬場」「厩舎区域」が手狭になり1975年(昭和50年)に「小林分厩舎」が設置されたそうです。

 2008年(平成20年)2月には「地方競馬界」「初」の「調教用坂路コース」(全長1050m、坂路部分400m、勾配3%、全天候型馬場(ニューポリトラック))の「導入」が決定され、2009年(平成21年)2月23日着工、2010年(平成22年)1月に完成、同年6月から「運用」が開始されました。
 「新コース」は「大井・小林所属馬」だけではなく、「浦和」、「船橋」、「川崎」「所属馬」、さらには条件付きではありますが「他」の「地方競馬」「所属馬」にも開放されていることから、「南関東所属馬」はもとより「地方競馬全体」の「レベルアップ」を図る「拠点」として「重要性」が増すことが期待されています。
 「小林分厩舎」ですが、上記のように1975年(昭和50年)に設置され、2007年(平成19年)現在では15名の「調教師」が「厩舎」を構えており、「競馬」「開催時」には「馬運車」で「大井競馬場」に輸送しているそうです。

 「小林牧場」には、「入口」から「ロータリー」まで続く約700mにおよぶ「桜並木」があり、見頃を迎えると見事な「桜の回廊」、「桜の風景」が広がります。
 「小林牧場」の「桜」の「種類」ですが、「シダレザクラ」、「ソメイヨシノ」、「八重桜」、「山桜」となっており、「桜」の「本数」は、約350本となっています。
 「小林牧場の桜」ですが、「桜の季節」になりますと、多くの「人」や、「出店」で賑わい、「印西市観光協会」が選定した「いんざい八景」(2012年2月12日のブログ参照)のひとつとして指定されている他、「千葉県」「選定」の「房総の魅力500選」にも選ばれています。
 「小林牧場」の「アクセス」ですが、「小林駅」または、「印西牧の原駅」から「徒歩」30分、または「両駅」から「バス」に乗車し、「バス停」「小林牧場」で下車となっています。

 「小林牧場桜まつり」ですが、上記のように「印西市」の「桜の名所」「小林牧場」で開催される「印西市観光協会」「主催」による「イベント」です。
 「小林牧場桜まつり」は、4月8日(土)・9日(日)10時00分から15時00分まで行われ、「イベント内容」ですが、「もちつき大会」、「お雑煮」、「きなこ餅」、「焼コロ」、「印西産の漬物」、「おでん」、「唐揚げ」、「焼き芋」、「ジュース」、「ヨーグルトの試飲」、「和菓子」、「ヨーヨーすくい」その他となっています。

 「印西」の「桜の名所」で、「いんざい八景」のひとつに数えられる「小林牧場」で開催される「恒例」の「桜イベント」「小林牧場桜まつり」。
 この機会に「印西市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「小林牧場桜まつり」詳細

 開催日時 4月8日(土)・9日(日) 10時〜15時

 開催会場 小林牧場 印西市小林2886-1

 問合わせ 印西市観光協会 0476-42-7530(月・水・金9時〜16時)

 備考
 今年(2017年)の「小林牧場桜まつり」ですが、「桜の開花状況」を考慮し「開催日」を変更したそうです。
 「小林牧場桜まつり」は、「雨天」の場合中止となるそうです。

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| 地域情報::成田 | 09:49 PM |
「不動の大井戸茶会」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「なごみの米屋總本店」内「お不動様旧跡庭園」で4月9日(日)・15日(土)・16日(日)・22日(土)・23日(日)・29日(祝・土)に開催されます「不動の大井戸茶会」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」で、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、この地に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しています。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」の「縁起」によると、940年(天慶3年)に「公津ヶ原」に遷座され、「仲町」の「神明山」に移された後、1566年(永禄9年)に「現在の地」に「本堂」が再建されたとありますが、「仲町」に移される前に「お不動様旧跡庭園」の「場所」に「不動明王像」が移されたという「伝承」があります。
 「不動明王像」は、「遷座当初」「公津ヶ原」に「御堂」を建て安置されていましたが、「伽藍」も「影響」を受け、次第に荒れ果ててしまったそうです。
 そこで、このまま「不動明王像」を、こんなところに放置しておいては申し訳ないと、「なごみの米屋」「創業者」「諸岡長蔵」氏の「祖先」にあたる「諸岡三郎左衛門」氏が、「屋敷内」にお遷しすることとなり、「仮堂」を建て、「井戸」から汲んだ「水」を「御尊像」に供えていたと伝えられています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の「名残」を残す「料理屋」や、「土産物店」が、軒(ノキ)を並べ、「門前町の歴史」と共に「様々」な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに「趣」が異なり、「界隈」ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「なごみの米屋」(2011年1月25日のブログ参照)ですが、明治32年(1899年)の「創業」以来、「成田山新勝寺」の「門前町」「成田山表参道」にて、「季節」の「彩り」を映した「菓子づくり一筋」に歩んでこられた「和菓子の銘店」で、その「伝統の味」は、「地元」「成田」はもちろん、「日本全国」で、「好評」を得ている「老舗和菓子店」です。
 「なごみの米屋」は、「和菓子業界」において、「老舗」と呼ばれるまでになりましたが、「伝統」の上に「あぐら」をかくことをせず、「将来」に向け、さらに前進していこうとされ、「21世紀の和菓子文化の創造」を目指す上で、掲げた「企業理念」が、「なごみ」なのだそうです。

 「羊羹(ヨウカン)」や「どら焼き」等を製造している「なごみの米屋」の「歴史」は古く、百有余年の「歴史」を誇り、「創業」は、上記のように明治32年(1899年)4月です。
 「なごみの米屋」「創業者」「諸岡長蔵」氏は、「舟運」等にかわる「鉄道開通」によって、「成田山新勝寺」への「参拝客」が急増している「状況」を見て、

 「成田詣で(ナリタモウデ)にきているお客様に喜んでもらえるお土産はないものか」

 と考え、「母」・「なつ」さんと共に、「羊羹」を試作したのだそうです。
 「諸岡長蔵」氏は、「一升瓶」に詰めて、「家庭」の「祝事用」に保存してあった「小豆」5合と、「父親」の「病気見舞い」に戴いた「砂糖」を活用し、「成田山新勝寺」の「精進料理」「羊羹」を「ヒント」に、「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「芝栗」を練り込んだ「栗羊羹」を、「台所」で創製し、「販売」を試みたことが、「日本」で「最初」の「栗羊羹」の「始まり」なのだそうです。
 創製された「栗羊羹」ですが、「販売」すると、「世間」で瞬く間(マタタクマ)に「評判」となったそうです。
 なお「諸岡長蔵」氏は、「幼少」より「成田山」を尊崇し、また「お不動様」の「御心」を体して「成田」のために「社会奉仕」を続け、昭和39年(1964年)5月には、「成田市名誉市民」に推されています。

 「なごみの米屋」は、「成田」はもとより、「北総」を代表する「和菓子の銘店」です。
 「なごみの米屋」では、「成田山新勝寺」への「参拝土産」として「米屋の栗ようかん」を「筆頭」に、「優秀和菓子職人」の「称号」である「選・和菓子職人」等を販売しています。
 また「なごみの米屋」は、「スーパーマーケット」や「コンビニエンスストア」等でも、販売されている「どら焼き」や、「焼き菓子」は、「Seven-Eleven(セブンイレブン)」の「和庄庵」や、「FamilyMart(ファミリーマート)」の「和菓選シリーズ」等があります。
 なお「なごみの米屋」は、「国内外」の「お菓子コンクール」で、輝かしい「成績」・「評価」を受けており、「外部評価」も高い「商品」を、「世」に送り出し、現在に至っています。

 「なごみの米屋總本店」は、「成田市」「上町」にある「店舗」で、「成田山新勝寺」「門前町」「成田山表参道」において、「代表銘菓」として「名代」の「栗羊羹(クリヨウカン)」を創始して以来、多くの「お客様」の「お引き立て」をいただいており、「成田山表参道」の「名所」となっている「なごみの米屋」の「總本店」です。
 「なごみの米屋總本店」「敷地内」には、「成田羊羹資料館」、「成田不動尊御遷座之旧跡記念碑」、「お不動様旧跡庭園」、「不動の大井戸」、「平成水守不動尊」、「諸岡長蔵胸像」が点在し、「お買い物」だけでなく、「歴史」や「文化」を体験できる「見どころ」がたくさんあります。
 「なごみの米屋總本店」の「入口」から「店内」を通り抜けて、外に出ると、「なごみの米屋工場」に面して、「お不動様旧跡庭園」があります。
 「不動の大井戸」ですが、「なごみの米屋總本店」「敷地内」(裏手)にある「お不動様旧跡庭園」の「一角」にある「井戸」です。
 「お不動様旧跡庭園」ですが、約400年前に、「成田山新勝寺」の「御本尊」「不動明王」が遷座された「場所」で、「不動の大井戸」から、こんこんと湧き出でる「清水」は、「長き」にわたり「霊水」として「人々」に愛されています。
 「なごみの米屋」では、下記のような「伝承」が伝えられています。

 近くに土地の人々に愛飲された霊水の湧く大井戸があり、お不動様をこの地に御遷しした諸岡三郎左衛門は、その大井戸から毎朝水を汲んでご尊像にお供えしました。
 現在の地にご本堂が還ってからも、明治の中頃まで成田山から毎朝御本尊に供える水を汲みに来ておりました。
 当時の大井戸は埋まってしまいましたが、諸岡家では同じ水脈より湧出する清水を枯らすことなく、故事に基づき「不動の大井戸」と称して今日に伝えてきました。

 「不動の大井戸茶会」ですが、「成田山新勝寺」の「不動尊」が、「最初」に遷座された「お不動様旧跡庭園」で行われる「催し」で、毎年4月の「週末」に「不動の大井戸」から汲み上げられた「水」を用いて、「表千家成田市茶道会社中」による「野点(ノダテ)」の「立礼」の「お茶会」です。
 「不動の大井戸茶会」は、「作法」にとらわれず、どなたでも「無料」で参加できる「催し」だそうです。
 「不動の大井戸茶会」ですが、「(社)成田市観光協会」が「主催」で行われている「催し」です。
 なお「不動の大井戸茶会」にご参加いただいた「方」には、「不動の大井戸から組み上げた名水」の「プレゼント」があるそうです。

 「不動の大井戸茶会」の「スケジュール」は、下記の通りです。

  期 日     亭 主    時 間

  4月9日(日)   八尾宗保先生 10時〜15時(受付終了・14時30分)

 4月15日(土)   行方宗岑先生  同 上

 4月16日(日)   矢澤宗文先生  同 上

 4月22日(土)   阿地宗玲先生  同 上

 4月23日(日)   熊谷宗光先生  同 上

 4月29日(祝・土) 諸岡宗清先生  同 上

 「北総」を「代表」する「和菓子の銘店」「なごみの米屋總本店」内「お不動様旧跡庭園」で開催される「恒例」の「お茶会」「不動の大井戸茶会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「不動の大井戸茶会」詳細

 開催日時 4月9日(日)・15日(土)・16日(日)・22日(土)・23日(日)・29日(祝・土) 10時〜15時
 (受付終了・14時半)

 開催会場 なごみの米屋總本店内お不動様旧跡庭園 成田市上町500

 問合わせ 成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「不動の大井戸茶会」「会場」ですが、「なごみの米屋總本店」内「お不動様旧跡庭園」となっていますが、「雨天時」、「なごみの米屋總本店」2階「成田生涯学習市民ギャラリー」に「会場」を変更して開催されるそうです。
 「不動の大井戸」ですが、「なごみの米屋」をはじめ、多くの「人々」の「信仰」により、「大切」に守り続けられており、自由に汲むことができます。
 「不動の大井戸」には、今でも「言い伝え」を信じている「地元」の「人々」や、「遠方」からも、わざわざ「水」を汲みにくる方がいらっしゃるほどの「名水」なのだそうです。

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| 地域情報::成田 | 03:36 PM |
「企画展示」「成田空港飛来機展」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で4月1日(土)〜5月28日(日)の期間開催されます「企画展示」「成田空港飛来機展」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」1階「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」1階「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」等「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。

 「航空科学博物館」2階「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(「操縦席」に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」2階「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」ですが、2014年(平成26年)3月25日に「リニューアルオープン」しています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」ですが、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、様々な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白く「スタイリッシュ」な「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」3階は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を「離着陸」する「ジャンボ」を間近に眺め、「迫力」ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」4階は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」5階では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を参考に「離着陸」する「ジャンボ」を見ることができます。
 「航空科学博物館」「屋外」には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」様々な「催し」、「イベント」を行っています。
 また「航空科学博物館」では、「展示即売会」(「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」・「航空グッズ」の「販売」を行う「航空ジャンク市」等)等を催行しています。

 「成田国際空港」(NARITA International Airport)は、「成田市」の「南東部」、「三里塚地区」にある「国際空港」で、「首都圏」に発着する「国際線」や、「主要都市」への「国内線」「航空便」が発着する、「空港法4条」で法定されている「空港」で、「航空法」上の「混雑空港」で、「成田国際空港」は、毎日約10万人もの「人」が行き交う「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)として知られています。
 「成田国際空港」は、かつての「正式名称」が「新東京国際空港」でありましたが、2004年(平成16年)4月1日、「成田国際空港株式会社法」が施行され、「空港」を管理する「新東京国際空港公団」(New Tokyo International Airport Authority,NAA)が、「日本国政府」による100%出資で設立された「成田国際空港株式会社」(英・Narita International Airport Authority,NAA)に改組し「民営化」(特殊法人化)されたことに伴い、改称されており、「NAA」の「略称」ですが、「旧・公団時代」から引き継がれたものなのだそうです。
 「成田国際空港」の「名称」ですが、「日本国内」では、「改称」以前から広く「成田空港」もしくは単に「成田」という「呼び方」が定着しています。
 また、「成田国際空港」の「名称」ですが、「国際的」な「視点」から見ますと、「日本国」の「首都」である「東京」の「国際空港」として機能しているため、「千葉県内」に「空港」が所在しながらも「便宜上」、「東京成田」(英・Tokyo-Narita)あるいは単に「東京」とも言われることがありますが、「東京国際空港」(通称・羽田空港)と「区別」するため「前者」が用いられることが多いそうです。

 「成田国際空港」には、「第1ターミナル」「横」にある「A滑走路」(4000m)、「第2ターミナル」「側」に「B滑走路」(2500m)があります。
 「A滑走路」(第1滑走路)は、「関西国際空港」(英・Kansai International Airport)の「第2滑走路」と並び「日本」では「最長」の4000m「滑走路」を有しています。
 「B滑走路」(第2滑走路)は、2002年(平成14年)5月に開かれました「日韓ワールドカップ」に間に合わせる「形」で、同年の4月18日に、当初「計画」の「長さ」より短い2180mの「平行滑走路」として「暫定的」に供用開始され、2009年(平行21年)10月22日から2500mでの「供用」が開始されています。

 「成田国際空港」の「施設」ですが、2棟の「旅客ターミナルビル」と「複数」の「貨物用施設」が点在しており、2棟の「旅客ターミナルビル」の「間」は「無料」の「ターミナル間連絡バス」などの「交通機関」によって結ばれており、「両ターミナル間」は「連絡バス」で約10分から15分となっています。
 「複数ターミナル」を持つ「大規模空港」に多く見られるように、「ターミナル間」の「距離」が離れているため、「ターミナル」を間違えると「移動」に時間がかかり、特に、1990年代から増加している他社との「コードシェア便」(共同運航便)では「注意」が必要であり、実際に「機材」を「運航」する「航空会社」が使用する「ターミナル」に向かう必要があります。

 「成田国際空港」では、「開港」から14年半余り経過した1992年(平成4年)12月に「第2ターミナル」が開業し、「日本航空グループ」と「全日本空輸グループ」が「第2ターミナル」へ移転され、「第1ターミナル」は「海外航空会社」が主に利用しましたが、真新しい「第2ターミナル」への「各種サービス」の「偏重」、「混雑時間」の「集中」や「航空会社」が使用する「ターミナル」に向かう必要があります。
 「キャパシティ」に「余裕」のある「第2ターミナル」が開業すると、入れ替わりに「第1ターミナル」「北ウイング」が閉鎖され、「第1ターミナル」の「大規模」な「リニューアル工事」が着手されました。
 「サテライト」の「段階的」な「改装」・「増築」を経て、1998年(平成10年)末に「レストラン」や「飲食店」などの「テナント」が集結する「中央ビル」「新館」が竣工、1999年(平成11年)3月に「北ウイング」が再開業し、その入れ替わりで「南ウイング」が閉鎖され、「工事」が進められました。

 「南ウイング」の「再開業」に当たっては、「航空会社」を「航空アライアンス」ごとにまとめ、同じ「ターミナル」に集約することによって「混雑解消」を目指し、「乗り継ぎ」の「利便性」を高め、20社が「段階的」に「ターミナル毎」に「集約」・「移転」されました。
 現在、「主要」な「航空会社」は主な3つの「国際航空連合」にまとまっており、「ワンワールド加盟社」の多くは「第2ターミナル」、「スターアライアンス加盟社」の多くは「第1ターミナル」「南ウイング」、「スカイチーム加盟社」の多くが「第1ターミナル」「北ウイング」を使用しています。
 また「成田国際空港」では、「格安航空会社」「専用ターミナル」として、「第2ターミナル」に隣接した「第5貨物地区」に建設することが決まったそうです。
 なお「貨物用施設」は、「貨物ターミナル地区」、「整備地区貨物上屋」、「南部貨物地区」等に点在しておかれており、「貨物取扱量」の「増加」から、現在も「拡張工事」が続けられています。

 「成田国際空港」の「就航路線」ですが、「旅客便」(国際線)の「発着便数」は、「日本航空グループ」が「最大」で、「全日本空輸グループ」、「デルタ航空」、「ユナイテッド航空」が、それに次いでいます。
 「デルタ航空」や、「ユナイテッド航空」は「以遠権」を「基」に、「アメリカ線」のみならず、「アジア線」も就航しており、「東京国際空港」(羽田空港)にも乗り入れる「大韓航空」と「中国国際航空」が続く形となっています。
 「旅客便」(国内線)の「発着便数」ですが、「ジェットスター・ジャパン」を「最大」に、「全日本空輸」、「日本航空」と続いており、「貨物便」ですが、「成田国際空港」を「本拠地」として使用している「日本貨物航空」、続いて「フェデラルエクスプレス」、「全日本空輸」、「ユナイテッド・パーセル・サービス」が「上位」を占めています。
 「旅客ターミナル」は「アライアンス別」に分かれていて、「基本的」に「第1ターミナル」「北ウイング」に「スカイチーム加盟会社」、「第1ターミナル」「南ウイング」に「スターアライアンス加盟各社」、「第2ターミナル」に「ワンワールド加盟各社」を発着しています。
 ただし、2014年(平成26年)10月26日現在の時点で、「スカイチーム」「所属」だが「第2ターミナル」「発着」の「中国東方航空」、「チャイナエアライン」など、いくつかの「例外」もあります。
 なお「成田国際空港」では、「国内」の「空港」で唯一実施している「入り口」の「検問」を一昨年(2015年)3月30日(月)に廃止、「新システム」を導入したそうです。
 「新システム」では、「通行人」の「顔」を認証できる「カメラ」190台に加え、「車両ナンバー」を記録できる「カメラ」140台も設置されています。
 これにより「駅」からの「来場者」や「車」での「来場者」も止まらずに「スムーズ」に「入場ゲート」を通過でき、一方で、状況に応じて、今後も「警備員」がチェックするそうです。

 「成田空港飛来機展」ですが、「航空科学博物館」「館内」「2階展示室」で開催される「毎年」「恒例」の「企画展示展」で、「費用」は「入館料」のみとなっています。
 「成田空港飛来機展」の「内容」ですが、2016年度、1年間に「成田国際空港」に飛来した「航空機」の中から「特別」な「塗装」の「もの」(特別塗装機)や、「初飛来」の「もの」(初飛来機)等、興味深い「もの」を、「写真」や、「模型」で紹介する「企画展示」となっています。

 「成田国際空港」に隣接した「航空専門」の「博物館」「航空科学博物館」で開催される「恒例」の「企画展示」「成田空港飛来機展」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「企画展示」「成田空港飛来機展」詳細

 開催期間 4月1日(土)〜5月28日(日)

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時(入館締切16時半)

 休館日  月曜日 (祝日の場合翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」がある「芝山町」では、「芝山観光竹の子園」が開園されるそうです。
 「芝山観光竹の子園」「詳細」は、下記の通りです。

 「芝山観光竹の子園」詳細

 開園期間 4月10日(月)〜5月7日(日)

 入園時間 9時00分〜15時00分

 入場料 500円(小学生以下は無料)

 所在地 山武郡芝山町朝倉157-1

 竹の子お持ち帰り

 4月10日〜4月23日 350円/1kg
 4月24日〜5月7日 300円/1kg

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| 地域情報::成田 | 09:48 PM |
「成田のおどり花見」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山表参道」及び、その「周辺地域」で4月3日(月)に開催されます「成田のおどり花見」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」等を祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、この地に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に格の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来毎日欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は「広大」な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の「名残」を残す「料理屋」や、「土産物店」が、軒(ノキ)を並べ、「門前町の歴史」と共に「様々」な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに「趣」が異なり、「界隈」ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「成田」では、毎年4月3日に、「旧・成田町」を形成していた「本町」・「仲町」・「上町」・「幸町」・「花崎町」・「田町」・「東町」の7ヵ町で、「成田のおどり花見」が行われています。
 「成田のおどり花見」ですが、元禄年間頃から伝承されているといわれ、1964年(昭和39年)に、「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。

 「成田のおどり花見」では、「各町内」には「女人講(ニョニンコウ)」と呼ばれる「女性たち」の「集まり」があり、「成田のおどり花見」は、「女人講」によって行われます。
 「成田のおどり花見」ですが、7年に一度まわってくる「年番」にしたがって、「成田」の「鎮守」である「三ノ宮埴生神社」に集まり、ここをはじめに「各町内」に祀られている「16」の「神仏」に詣で、「お篭(=ご神体)」の「保管」をします。
 1年の「保管」が終わって、「やれ、うれしや」と「サクラの季節」の「4月3日」に踊ることから「おどり花見」と呼ばれているそうです。
 普通ならば、「花見おどり」というべきところですが、「おどり花見」と読んでいるところから、「花見」ではなく「おどり」が「主」であることがわかります。

 「弥勒踊り」の「弥勒」とは、「末法」の「世界衆生」を救うという「経典」に基づく「救世菩薩」で、「日本」では、11世紀頃から盛んになった「信仰」なのだそうです。
 「弥勒踊り」ですが、「太鼓」の「音」にあわせ

 「皆神々の仰せなれば、弥勒踊り面白や」

 と始まり、

 「あんば大杉大明神、悪魔祓ってヨイヤサ」

 で結ぶ「口伝(クデン)」による「歌」で、「踊り」はゆったりとした「仕種」の中に「神」を称える、厳(オゴソ)かな「気分」と「ハレ」(普段でないこと)の「日」の伸びやかな「開放感」が満ちているそうです。
 「弥勒踊り」は、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を中心に、「茨城」・「千葉」・「埼玉地方」から「伊豆方面」に広く分布している「郷土舞踏」で、「神仏」をなぐさめ、「悪疫退散」を祈り、「五穀豊穣」を願う「踊り」で、「女人講」の「婦人たち」は「おそろい」の「着物」を着て、7町内、16の「神社」や、「仏堂」をまわって「お参り」をし、「踊り」を奉納します。

 「成田のおどり花見」の「巡拝コース」ですが、「各町内」ごとに祀られた「神仏」を回りますが、「回り方」は「各町内」ごとに異なっています。
 ただし、「始まり」が「成田」の「鎮守様」である「三ノ宮埴生神社」であるところは共通しており、毎年、午前7時00分から8時00分頃から「おどり花見」が始まるそうです。
 本年(2017年・平成29年)の「成田のおどり花見」「巡拝予定時刻」及び「コース」は、下記の通りです。

 「平成29年成田のおどり花見」「巡拝コース」詳細

  1 7時00分 埴生神社(三の宮様)

  2 8時00分 幸町 道祖神様(元NTT裏)

 3     幸町 薬師様(薬師堂)

 4 9時00分 花崎町 市役所 元不動

 5 10時00分 上町 道祖神様(ひの屋化粧品店横)

 6 11時00分 仲町 愛宕様(成田観光館)

 7 12時00分 本町 愛宕様(信徒会館内)

  8 14時00分 成田山 出世稲荷様

  9      成田山 御不動様 (大本堂前)

 10     成田山 噴水公園

 11     成田山 清瀧権現様 (光明堂脇)

 12     成田山 大日如来様 (光明堂前)

 13     成田山 光輪閣

 14 16時00分 田町 道祖神様、愛宕様 (成田公民館 田町にある公民館)

 15 17時00分 東町 お仙稲荷様 (東町公民館脇を上がる)

 16 18時00分 花崎町 権現様 (JR成田駅横)

 「成田」の「歴史」色づく「成田山新勝寺」の「参道」「成田山表参道」及び「その周辺地域」で開催される、元禄年間から伝承される「女性たち」による「伝統」を伝える「春の踊り」「成田のおどり花見」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「成田のおどり花見」詳細

 開催日時 4月3日(月) 7時〜

 開催会場 成田山表参道及びその周辺地域 成田市成田

 問合わせ 社団法人成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「成田のおどり花見」ですが、「当日」の「状況」により、「各所」の「巡拝」が「予定時刻」よりも遅れることがありますので、ご注意下さい。

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| 地域情報::成田 | 02:44 PM |
「第21回そうさチューリップ祭り」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「のさか花の広場」(匝瑳市野栄総合支所前)で4月2日(日)〜4月16日(日)の期間開催されます「第21回そうさチューリップ祭り」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木」の「栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。

 「匝瑳市」の「北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市」の「南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦」な「地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。
 「匝瑳市」の「気候」は「海洋性」の「温暖」な「気候」で、「年間平均気温」は15度、「東京」周辺と比べると、「夏」涼しく「冬」暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」ですが、約4万2000人で、「匝瑳市」の「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから「決定」されたそうです。
 ちなみに現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、37600人となっており、「男性」18582人、「女性」19018人、「世帯数」14455世帯となっています。
 (平成29年2月28日現在)
 なお「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して「良好」なため、上記のように「温暖」な「気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の主(オモ)だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の「歴史」が長い「いちご」等の「施設栽培」の「野菜」や、「果物」、「ねぎ」等の「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県」「唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ゴボウ」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と、「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や、「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(ワカシオギュウ)」等が作られています。

 「のさか花の広場」(2012年3月20日のブログ参照)(野栄総合支所南側)は、「匝瑳市」「今泉」にある「チューリップ」が咲き誇っている「おすすめスポット」です。
 「のさか花の広場」(野栄総合支所南側)は、「チューリップ」約15種類、約7万本が「見頃」を迎える、4月上旬から4月中旬にかけて、「チューリップ祭り」が開催されており、「東総地区」の「チューリップ」の「名所」として知られています。
 ちなみに、「チューリップ」ですが、「匝瑳市」の「花」として、2006年(平成18年)10月31日に指定されています。

 「そうさチューリップ祭り」(2016年4月4日・2015年4月6日・2014年4月6日・2013年4月7日・2012年4月8日のブログ参照)ですが、1997年(平成9年)から、「旧・匝瑳郡」「野栄町」で行われていた「のさかチューリップ祭り」として始められた「イベント」で、「野栄いきいき農業塾」「主催」の「お祭り」として開催されていました。
 「そうさチューリップ祭り」の「前身」「のさかチューリップ祭り」では、当時から「チューリップ祭り」「期間中」の「日曜日」に「イベント」が行われ、「イベント」では、「野栄太鼓」を聞きながら、「餅投げ大会」、「ミニ動物園」、「ビンゴ大会」なども行われ、一日楽しく過ごせる「祭り」として、「旧・野栄町民」はもとより、「近隣」からも多くの「見物客」が訪れていたそうです。

 「匝瑳市」の「春」の「訪れ」を告げる「イベント」「第21回そうさチューリップ祭り」は、上記のように4月2日(日)から4月16日(日)の「期間」開催され、「会場」となる「のさか花の広場」(野栄総合支所南側)が、「常時」開放されるそうです。
 また「第21回そうさチューリップ祭り」「期間中」の4月9日(日)10時00分から「イベント」を開催するそうです。
 「第21回そうさチューリップ祭り」「イベント」の「内容」ですが、「開会式」、「楽天舞」による「よさこい鳴子踊り」、「ピアダンス」、「匝瑳市」の「ご当地戦隊」「ハリキリ戦隊」「ソーサマン」(2012年3月16日のブログ参照)の「ショー」(演劇)、「空手披露」(拳眞塾)、「昭和歌謡ナミキ楽団」、「オーナー抽選会」、「景品券付きもち投げ」、「ふれあいミニ動物園」、「ポニー」で「第21回そうさチューリップ祭り」「会場」「のさか花の広場」(野栄総合支所南側)の「園内散策」(1回200円)、「チーバくん」、「出店ブース」(チューリップ販売、物品・食品販売、展示)等が行われるそうです。
 「第21回そうさチューリップ祭り」「イベント」「スケジュール」は、下記の通りです。

 「第21回そうさチューリップ祭り」イベント内容

 開催日時 4月9日(日) 10時00分〜15時30分

 10時00分から 開会式

 10時35分から よさこい鳴子踊り(楽天舞)

 11時20分から ピアダンス

 12時05分から ソーサマンショー

 12時40分から 空手披露(拳眞塾)

 13時25分から 昭和歌謡ナミキ楽団

 14時15分から オーナー抽選会

 15時00分から 景品券付きもち投げ

 なお「第21回そうさチューリップ祭り」の「会場」「のさか花の広場」(野栄総合支所南側)の「チューリップ」の「開花情報」ですが、「匝瑳市」の「HP(ホームページ)」の「花だより」「コーナー」でアップしていますので、ご参照下さい。

 「市の花」「チューリップ」が咲き誇る「のさか花の広場」(匝瑳市野栄総合支所前)で開催される「匝瑳」の「春の風物詩」「第21回そうさチューリップ祭り」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第21回そうさチューリップ祭り」詳細

 開催期間 4月2日(日)〜16日(日)

 開催会場 のさか花の広場(匝瑳市野栄総合支所前) 匝瑳市今泉6525-1

 問合わせ そうさチューリップ祭り実行委員会事務局 0479-67-3114 (匝瑳市野栄総合支所前)

 備考
 「第21回そうさチューリップ祭り」「イベント」ですが、「雨天時」は「イベント」の「一部」を「隣接」の「のさかアリーナ」で行うそうです。
 「第21回そうさチューリップ祭り」が開催される「匝瑳市」では、4月の「週末」、4月7日(金)、8日(土)、9日(日)の3日間「匝瑳市」の「春の花スポット」などを巡る「無料シャトル」「春のそうさ花めぐりバス」が運行されます。
 「春のそうさ花めぐりバス」「バス停留所」ですが、「そうさ観光物産センター匝りの里」(JR八日市場駅)、「チューリップ祭り会場」(野栄総合支所)、「飯高壇林跡南側駐車場」、「黄門桜入口」(小高)、「ふれあいパーク八日市場」となっています。
 なお「春のそうさ花めぐりバス」の「時刻表」は、下記の通りです。

 「春のそうさ花めぐりバス」「時刻表」(運行日・4月7日、8日、9日)

  バス停留所         1便    2便   3便   4便   5便

 そうさ観光物産センター匝りの里(JR八日市場駅)  発  9時15分  10時40分  12時45分  14時25分  15時55分

 チューリップ祭り会場  着  9時30分  10時55分  13時00分  14時40分  16時10分
 (野栄総合支所)
          発  9時30分  11時00分  13時05分  15時05分  16時15分

 そうさ観光物産センター匝りの里(JR八日市場駅)  着  9時45分  11時15分  13時20分  15時00分  16時30分

           発  9時50分  11時25分  13時30分  15時05分

 飯高壇林跡南側駐車場 着 10時05分  11時40分  13時45分  15時20分

            発 10時05分  11時40分  13時45分  15時20分

 黄門桜入り口(小高) 着  10時10分  11時45分  13時50分  15時25分

           発  10時10分  11時45分  13時50分  15時25分

 ふれあいパーク八日市場 着 10時20分  11時55分  14時00分  15時35分

            発 10時20分  12時10分  14時00分  15時35分

 そうさ観光物産センター匝りの里(JR八日市場駅)
着 10時35分   12時10分  14時15分  15時50分

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3373 |
| 地域情報::匝瑳 | 10:12 AM |
「山倉の白川流十二座神楽」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で4月2日(日)に開催されます「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザカグラ)」です。

 「香取市」の「沿革」ですが、1875年(明治8年)「香取市域」が「千葉県」に属するようになり、1889年(明治22年)の「町村施行」により、「佐原地区」には「佐原町」等の9町村(後に8町村)、「小見川地区」には「小見川町」等5町村、「山田地区」には「府馬村」等3村、そして「栗源(クリモト)地区」には「栗源村」がそれぞれ成立しました。
 その後、「香取市」の「前身」である「佐原市」、「小見川町」、「山田町」は1951年(昭和26年)から1955年(昭和30年)にかけての「市町村合併」により成立し、「栗源町」は、これ以前の1924年(大正13年)には「町制」をしいており、それぞれの「市」・「町」の「歩み」を重ねてきました。
 そして「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日、「佐原市」、「小見川町」、「山田町」、「栗源町」の1市3町が合併し、「香取市」が誕生しています。

 上述の通り、「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に、「佐原市」と、「香取郡」「小見川町」、「山田町」、「栗源町」が合併して成立した「市」です。
 「香取市」は、「水郷」と呼ばれる「国道51号線」沿線の「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)付近の「都市」のひとつで、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「門前町」として有名です。
 「香取神宮」ですが、「武神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」を祀っていることで知られている「神社」で、近隣では、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する(鎮座する)「茨城県」「鹿嶋市」との「関係」が深いそうです。
 「香取神宮」は、「鹿島神宮」、「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれており、古くから「信仰」を集めています。

 「山倉大神(ヤマクラダイジン)」(2010年12月3日のブログ参照)は、「香取市」「山倉」(下総国香取郡)の「小丘」に鎮座する「神社」で、「山倉大神」の「社格」ですが、「村社」です。
 「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」、「建速須佐男大神(タテハヤスサノオノオオカミ)」、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っています。

 「山倉大神」の「創建」ですが、弘仁2年(811年)の創建で、「山倉大神」の「由緒」ですが、「悪霊退散」のため「大六天」を勧請したのが「始まり」といわれ、「山倉大神」は「大六天王社」の「総社」として、古くから「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」の「現・本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたものだそうです。
 「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」(木造銅板葺き一間流れ造)となっています。
 「山倉大神」「境内」には、「本殿」の他に「神楽殿」、「御輿殿」等があるそうです。
 「山倉大神」「本殿」ですが、「香取市」の「市指定文化財」に指定されています。

 「山倉大神」は、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により、「大六天王」を「山倉山観福寺」(2012年12月4日のブログ参照)に遷座し、遷座されたおり「地名」から1871年(明治3年)に「山倉大神」と改め、上記のように「山倉大神」は、「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。

 「山倉大神」には、「山倉山観福寺」とともに「鮭の伝説」が伝えられており、「香取市」「山田地区」では、「山倉大神」と、「山倉山観福寺」「両社」で、「山倉の鮭祭り」が催行されています。
 「山倉大神」と、「山倉山観福寺」で、それぞれ催行される「山倉の鮭祭り」は、12月の「初卯(ハツウ)」に行われることから「初卯祭」といい、「初卯祭」では、「鮭」を奉納されることから、「別名」で「鮭祭り」とも呼ばれています。
 その昔、「香取市」「山田地区」では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、「山倉大神」近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に、「鮭」が遡上(ソジョウ)してきたといわれています。

 「山倉の白川流十二座神楽」ですが、「香取市」「山倉」の「山倉大神」に伝わる「神楽」で、「山倉大神」で奉納される「伝統芸能」・「奉納神楽」です。
 「山倉大神」の「神楽」の「はじまり」は、定かではありませんが、明治の中期から「村」をあげて、「天下泰平」、「万民法楽」、「五穀豊穣」を願って、「白川流十二座神楽」を奉納し、現在に至っています。

 「山倉の白川流十二座神楽」ですが、現在、昭和42年(1967年)に結成されました「山倉芸能保存会」の「皆さん」により、受け継がれています。
 「山倉の白川流十二座神楽」は、長い間、4月3日に奉納されていましたが、「今」は、「4月第1日曜日」に奉納されています。

 「山倉の白川流十二座神楽」の「演目」ですが、下記の通りとなっています。

 1 猿田彦

 2 稚児(幣束)舞

 3 天鈿女之命

 4 手力男之命

 5 八幡

 6 三宝荒神

 7 稚児(扇)舞

 8 恵比寿・火男

 9 田神(稲荷)

10 保食之命

11 種播

12 〆切(須佐男之尊)

 (もとは「乙女」と「榊葉」の「演目」を加えた「十二座」で構成)

 「神楽」「白川流」については、「第65代花山天皇」の「王子」・「清仁親王」の「王子」「延信王」が、「神祇伯」(「大宝令」に制定された「神祇」の「祭祀」を司り、「諸国」の「官社」を総管した「神祇官」の「長官」)に任じられ、「明治維新」まで、その「後胤」が、世襲してきた「白川家」に伝わる「神道」の「流れ」と考えられています。
 大正10年(1921年)3月30日発行の「香取郡誌」によりますと、大正2年(1913年)に「白川家」の「末裔」「白川子爵」が「参詣」し、枯れた「龍燈松」の「側」に「小株」を手植えしたと書かれています。

 「由緒」ある「山倉」の「古社」「山倉大神」に伝わる「奉納神楽」「山倉の白川流十二座神楽」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の白川流十二座神楽」詳細

 開催日時 4月2日(日) 13時〜17時頃

 開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1

 問合わせ 香取市生涯学習課 0478-50-1224

 備考
 「山倉の白川流十二座神楽」の現在、演じられている「舞」の「原型」を確立され、指導されたのは、「菅谷新之助」氏なのだそうです。
 「山倉の白川流十二座神楽」ですが、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」にも指定されています。

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