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2017,05,14, Sunday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で5月14日(日)に開催されます「大的式(オオマトシキ)」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
また、平安時代に成立した「延喜式」によりますと、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の「三社」だけで、その「創建」は「神武天皇」「十八年」(紀元前643年)と神代の時代まで遡(サカノボ)る古い「歴史」のある「神社」です。
「香取市」は「香取神宮」とともに「歴史」を歩み、数千年以上もの昔から「人々」の「崇敬」を集め、時には「地域」の「守護的」な「役割」を担ってきたそうです。
また「香取神宮」は、古来より「軍神」としての「性格」が強く、「テレビ」などで良く目にするように「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた二軸の「掛軸」が対になって掲げられていることが多いそうです。
「香取神宮」の「創建」ですが、上述の「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」である、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」等があります。
中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
現在の主(オモ)な「香取神宮」「社殿」は、江戸時代の元禄13年(1700年)、「江戸幕府」「五代将軍」「徳川綱吉」公の「命」により造営されたもので、この時に「本殿」・「拝殿」・「楼門」が整えられましたが、うち「拝殿」は昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)の「大修築」に伴って改築がなされ、現在では「祈祷殿」として使用されています。
この「昭和の大修築」では、「幣殿」・「神饌所」も造営され、上記のように「主要社殿」の「形式」は、「大修築」前後とも「本殿」・「幣殿」・「拝殿」が連なった「権現造」となっており、「本殿」・「楼門」は「国」の「重要文化財」に、「旧・拝殿」(現・祈祷殿)は「千葉県指定文化財」に指定されており、「現・拝殿」は「国」の「登録有形文化財」に登録されています。
「香取神宮」「本殿」は、上述のように元禄13年(1700年)の「造営」、「三間社流造」、「檜皮葺」で、南面しており、この「形式」の「社殿」としては「最大級」の「規模」となっています。
「本殿」は、前面の「庇(ヒサシ)部分」を「室内」に取り込んでおり、背面にも短い「庇」を有しており、「重要文化財」「指定時」の「名称」では「流造」と記されていますが、背面に「庇」を有することから「両流造」の一種とする見方もあります。
「本殿」の「壁」や、「柱」は「黒漆塗」で、「黒」を基調とした「特色的」な「外観」であり、「屋根」は現在「黒皮葺」ですが、かつては「柿葺」であったとされています。
「本殿」の「様式」は近世前期を象徴するもので、「桃山様式」が各部に見られる一方、慶長期の「手法」も取り入れられており、「昭和の大修築」に際しては、「本殿」にも大規模な「修繕」が行われました。
この「本殿」に関しては、かつて「神宮」に存在した「アサメ殿」という「社殿」を継承すると見られているほか、通常の「両流造」では「本殿内」の「神座」が「身舎」(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられているのに対して、「背面庇」(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという「異例」の「形式」が指摘されています。
「拝殿」・「幣殿」・「神饌所」は、「昭和の大修築」による「造営」、「木造平屋建て」、「檜皮葺」で、「本殿」正面には「千鳥破風」が設けられ、それまでの「拝殿」(旧・拝殿)は「丹塗」でありましたが、この「造営」において「黒漆塗」、「組物」・「蟇股」には「極彩色」が施され、「本殿」に釣り合った体裁に改められたそうです。
「香取神宮」「楼門」は、元禄13年(1700年)の「造営」、「三間一戸」、「入母屋造」、「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
「楼門」は、「順和様」の「様式」であり、「壁」や、「柱」は「丹塗」、「楼門」内にある「随身像」は俗に「左大臣」・「右大臣」と称されますが、正面向かって「右像」は「武内宿禰(タケウチノスクネ)」、「左像」は「藤原鎌足(フジワラノカマタリ)」と伝えられています。
また、「楼門」の「楼上」の「額」は「東郷平八郎」の「筆」だそうで、この「楼門」は、「香取神宮」の「シンボル的」な「建物」に位置付けられているそうです。
「祈祷殿」(旧・拝殿)は、元禄13年(1700年)の「造営」、「拝殿」として「造営」、使用されていましたが、「昭和の大修築」に伴って「南東」に移築され、昭和59年(1984年)にさらに「西」へ1.5m程移動し、「間口五間」、「奥行三間」、「入母屋造」となっています。
「祈祷殿」の「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺」で、昭和40年(1965年)に改められたそうです。
「祈祷殿」の「壁」や、「柱」は「丹塗」で、「拝殿」としては比較的大規模なもので、「彫刻」等の随所に「造営時」の「様式」が示されています。
「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」等を祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」等の「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。
この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。
「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」等の「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」等の「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」等の「草木類」が数多く自生しています。
「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」等の「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも貴重なものなのだそうです。
「大的式(オオマトシキ)」は、「歩射」の「儀式」で、「大的式(オオマトシキ)」は「射礼」として「公家」・「武家」共に「重要」な「儀式」だったそうです。
約1500年前「清寧天皇」が「射」を行わせたという「記載」が「日本書紀」に載っており、「続日本書紀」には「仁明天皇」が承和元年(834年)に「射礼」を自ら行われた「旨」の「記述」があるそうです。
「由緒」ある「香取神宮」では、5月に入り「新緑」に包まれ清々(スガスガ)しい「空間」が「香取神宮の杜」「一面」に広がっているそうです。
「香取神宮」では、一年で一番爽(サワ)やかな「新緑」の「季節」を迎え、毎年5月第2日曜日に、厳(オゴソ)かな「雰囲気」の中、「大的式(オオマトシキ)」が執り行われています。
「大的式(オオマトシキ)」ですが、「百手式(モモテシキ)」(2011年5月4日のブログ参照)ともいわれ、「弓馬術礼法」「小笠原教場」の「一門」により「香取神宮」「境内」で催行されます。
「大的式(オオマトシキ)」は、約10名ほどの「射士」が「礼法」に則り、つぎつぎに「矢」を放つ、古式ゆかしい「射礼式」なのだそうで、鎌倉時代さながらの「装束(ショウゾク)」を着用し、「小笠原礼法」に則った「作法」で、「弓」を射る「行事」だそうです。
「香取神宮」では、平成8年(1996年)より「大的式(オオマトシキ)」の「奉納」を行っており、「大的式(オオマトシキ)」ですが、「香取神宮」「拝殿」前にて執行され、「弓馬術礼法小笠原流」「小笠原宗家」率いる「門人」の「所作」の「美しさ」はさながら「一服」の「絵巻物」のようであり、「香取神宮」「境内」の「空気」が清謐(セイヒツ)に包まれるそうです。
「礼法」で知られる「小笠原流派」の洗練(センレン)された「無駄」の無い、そして凛(リン)とした「作法」に則り、「大的」に「矢」を射るそうです。
「大的式(オオマトシキ)」は、「静寂(セイジャク)」の中にも、「武家」の「強い意志」を感じる「行事」で、「作法」については「小笠原流派」の方による「説明」もあるそうです。
「由緒」ある「下総国一宮」「香取神宮」で開催される古式ゆかしい「皐月(サツキ)」の「小笠原流弓術」の「行事」「大的式(オオマトシキ)」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「香取神宮」「大的式(オオマトシキ)」詳細
開催日時 5月14日(日) 13時〜
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」の「境内」は、「桜」(2016年3月30日のブログ参照)や、「紅葉」で有名ですが、「新緑」の「季節」もまた「別格」だそうです。
「若葉」の下での「香取神宮」「境内」「散策」は、「木々達」の「息吹」が降り注いでいるようで、「肌」を通して「生命力」を充電されるように感じるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3417 |
| 地域情報::香取 | 02:40 AM |
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2017,05,10, Wednesday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)で5月14日(日)に開催されます「第58回佐原のふな釣り大会」です。
「横利根川」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)と「霞ヶ浦(カスミガウラ)」(常陸利根川)までを結ぶ、約7kmの「河川」で、普段は「利根川」に向けて流れています。
「横利根川」は、「利根川」の「湧水時」に、「霞ヶ浦」へ逆流するのをふせぐため、大正年間(1912年〜1926年)に建設された「横利根閘門(ヨコトネコウモン)」(2011年9月5日のブログ参照)(パナマ運河形式)も「周囲」の「風景」にとけこんでいます。
「横利根閘門」は、「茨城県」「稲敷市」と、「香取市」の「県境」付近に位置する「横利根川」にある「閘門」で、「国土交通省」が管理しています。
「横利根閘門」ですが、「門扉」が腐食するなど「老朽化」が進んでいたため、1994年(平成6年)「自動化工事」とあわせ「土木遺産」としての「価値」を後世に伝えるための「復元修復工事」が行われました。
2000年(平成12年)5月、「日本」における「煉瓦造閘門」のひとつの「到着点」を示す「近代化遺産」として「重要文化財」に指定されました。
現在、「閘門」の周辺は「横利根閘門ふれあい公園」(香取市・稲敷市管理)として整備され、「サクラの名所」、「横利根川」に面した「釣りの名所」として「憩いの場」となっています。
「横利根閘門ふれあい公園」ですが、2006年(平成18年)に「日本の歴史公園100選」に選定されています。
「横利根閘門」ですが、「香取市内」の「佐原市街地」と、「利根川」「北部」の「十六島地区」を結ぶ、「船舶」や、「自動車交通」の「要衝部」にあり、「水郷」の「シンボル的施設」として親しまれており、「地元」の「人」は「かんもん」と呼ぶことが多いそうです。
「長島川」は、「香取市」「長島地区」を流れる「幅」20mほどの「河川」で、「西」は、「横利根川」、「東」は、「西部与田浦」と接しています。
「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)と、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に行われる「佐原のふな釣り大会」(2016年5月6日・2015年5月8日・2014年5月6日・2013年5月7日・2012年5月6日・2011年5月19日のブログ参照)は、「水郷佐原」に「春」を告げる「釣りイベント」(ふな釣り大会)で、「水郷佐原」の「釣り場」として、「春」に「最盛期」を迎える「ふな釣り人」に「人気」の「釣り大会」として知られています。
「佐原のふな釣り大会」は、長い「歴史」がある「ふな釣り大会」であり、「首都圏」からの「参加者」も多く、「豪華商品」も多数用意された「ふな釣り大会」として知られています。
「佐原のふな釣り大会」には毎年、「大会」を心待ちにしていた「太公望(タイコウボウ)」たちが、「大勢」参加し、「ふな釣り」の「メッカ」である「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に、「腕」を競います。
今年(2017年)で「58回目」を迎える「歴史」ある「釣りイベント」「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、5月14日(日)に、上記のように「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に、開催されます。
「第58回佐原のふな釣り大会」の「競技時間」ですが、「朝」5時00分から14時00分までとなっており、「各自」「釣り場」で「スタート」となっています。
「第58回佐原のふな釣り大会」の「競技方法」ですが、「釣竿」は1本とし、「陸釣り」・「舟釣り」を問わず「自由釣り」となっています。
但(タダ)し「第58回佐原のふな釣り大会」では、「吸い込み」・「ギャング釣り」・「リール釣り」・「撒き餌」は「厳禁」となっています。
(「釣り餌」は「自由」)
「第58回佐原のふな釣り大会」の「参加資格」ですが、「男女」、「年齢」を問わず「同好者全般」で、「参加費」ですが、「大人」700円、「小中学生」500円となっています。
「第58回佐原のふな釣り大会」「受付」ですが、5月1日(月)から「申込み開始」となっており、「第58回佐原のふな釣り大会」「締切」ですが、「当日」「申込み」も「可」となっています。
なお「第58回佐原のふな釣り大会」の「参加申込」ですが、「申込み」は、「参加費」を添えて「水郷佐原観光協会」(JR佐原駅観光案内所1F)「第58回佐原のふな釣り大会事務局」、又は「市内釣具店」・「横利根各釣宿」に「お申し込み」となっています。
「第58回佐原のふな釣り大会」「申込取扱店」は、下記の通りです。
つり舟 中島屋旅館 0299-78-2621 (当日受付店)
(平勝) 平野釣舟店 0478-56-0300 (当日受付店)
つり舟 小松屋旅館 0299-78-2205 (当日受付店)
つり具のつくば屋 0478-82-1388
旅館 水楽荘 0478-56-1211
水郷佐原観光協会 0478-52-6675 (当日受付店)
「第58回佐原のふな釣り大会」の「対象魚」ですが、「鮒」(へら・まぶな)、※外道賞(鯉のみ)となっています。
「第58回佐原のふな釣り大会」の「審査方法」ですが、「釣魚総重量制」とし、「順位決定」、「等級」を定め、「大型賞」(「体長」38cm以上へら鮒のみ)「入賞」の場合は、差し引きせず、「総重量」で行うそうです。
なお「同重量」であった場合は、「抽選」をもって「決定」し、「釣魚」に「疑義(ギギ)」の出た場合は、「審査委員」の「協議」により定めるそうです。
「第58回佐原のふな釣り大会」では、下記の場合「失格」となるそうです。
1 参加証明書と審査票に取扱い店印のない場合
2 釣り座の先取り、または竿を下ろした場合
3 午後2時(14時)までに計量場所に到着しない場合
4 その他大会のルールに反した場合
「第58回佐原のふな釣り大会」の「賞品」ですが、「豪華商品」が多数用意されています。
「第58回佐原のふな釣り大会」「賞品」ですが、1等から50等までの「賞品」、また「副賞」として「こども賞」、「婦人賞」、「大会賞」、「当日賞」、「協賛団体賞」等となっており、他に、「大型賞」(ふな)1名、「外道賞」(こい・重量)1名、「釣り魚」の少ない「人」の中から「飛賞」、「オデコ」の「人」も含めて「ラッキー賞」等「豪華賞品」を多数用意し、また「参加者全員」に「参加賞」として「佐原の米」「コシヒカリ」をプレゼントするそうです。
「第58回佐原のふな釣り大会」の「計量」ですが、「計量場所」は「横利根川」沿いの「釣舟宿」4ヶ所(堀井食堂・(平勝)平野釣舟店・中島屋旅館・小松屋旅館)となっており、「計量受付時間」ですが、13時00分から14時00分までとなっています。
なお「第58回佐原のふな釣り大会」の「審査」及び「表彰場所」ですが、「川の駅水の郷さわら」「川の駅ホール」となっています。
「第58回佐原のふな釣り大会」「審査場所」・「結果表彰」(発表)の「会場」ですが、「川の駅水の郷さわら」「川の駅ホール」で、15時00分から行うそうです。
「北総」の「へら鮒釣り」の「メッカ」「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)で開催される「歴史」ある「恒例」の「釣り大会」「第58回佐原のふな釣り大会」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第58回佐原のふな釣り大会」詳細
開催日時 5月14日(日) 朝5時〜14時 (各自釣り場でスタート)
(14時までに「計量受付場所」へ)
開催会場 横利根川 (横利根閘門より横利根大橋の間)
長島川 (八筋川排水機場よりなかず橋の間)
(審査場所・表彰式会場 水の郷さわら川の駅ホール)
参加費 大人 700円 小中学生 500円
問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675
備考
「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、「雨天」「決行」で行われる「イベント」です。
「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、上記のように「競技終了後」13時00分から14時00分までに、「計量受付場所」の「横利根川」沿いの「釣舟宿」4ヶ所(堀井食堂・(平勝)平野釣舟店・中島屋旅館・小松屋旅館)に到着することが「ルール」となっています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3414 |
| 地域情報::香取 | 09:01 PM |
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2017,05,07, Sunday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で3月28日(火)〜5月21日(日)の期間開催されます「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」です。
「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を今に残す「佐原の町並み」が、「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」等に見ることができます。
「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」等から構成されています。
「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(エドマサリ)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を今に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「国」の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
「佐原の重伝建」は昔からの「家業」を引き継いで今も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。
「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)の他、「千葉県」の「県指定有形文化財」も8軒(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに軒(ノキ)を連ねています。
「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日の
ブログ参照)、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。
「樋橋(トヨハシ)」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現・佐原駅方面)の「田」に送るために「小野川」に架けられた、大きな「樋(トヨ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られました。
なお「樋橋」は、1996年(平成8年)に、「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。
「小野川」は、「香取市」を流れる「一級河川」で「利根川水系」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「支流」です。
「利根川」の「支流」である「小野川」は、江戸期より「水運の集散地」として「佐原のまち」を発展させました。
2004年(平成16年)には、「佐原の市街地」の「洪水」を解消するため「香取市」「牧野地先」から「本宿耕地地先」「利根川」まで流す「小野川放水路」が完成しています。
「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「功績」を讃(タタ)え、その「功績」を余すところなく紹介している「記念館」です。
以前、「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」の「敷地内」にありましたが、「記念館」「建設」から相当な「年月」が経ち、また、かつての「伊能忠敬記念館」の「展示面積」が手狭であったなどのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「伊能忠敬旧宅」の「小野川」を挟んで「樋橋」を渡った「対岸」に新しく「伊能忠敬記念館」が設置されることとなり、「現在地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。
「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」に17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居して、のちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで「計」10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬」の「人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
「伊能忠敬記念館」では、「国宝」に指定された「測量器具」や、「伊能図」の数々が展示され、「地球」1周分の「距離」を測量して歩いたという「伊能忠敬」の「業績」を偲ぶことができ、その「結晶」ともいえる「正確さ」と、「芸術的な美しさ」を備えた「地図」や、「伊能忠敬関連資料」等が展示された「伊能忠敬記念館」は、「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。
「伊能忠敬記念館」の「展示」の「概要」ですが、「佐原時代」、「全国測量」、「伊能図の完成」、「地図の世界」と分けられ、「内容」は、下記の通りです。
佐原時代
伊能忠敬50歳までの前半生を紹介
伊能忠敬は、50歳で江戸に出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。
34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいておりました。
全国測量
隠居してからの勉学と全国測量の行程を紹介
江戸で、天文方高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始めます。
55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。
伊能忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。
伊能図の完成
伊能図の数々を紹介
伊能図には、1821年(文政4年)完成の「大日本沿海輿地全図」(大図214枚縮尺36000分の1、中図8枚縮尺216000分の1、小図3枚縮尺432000分の1)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類があります。
いずれの地図も実際に測量してつくられたので、とても正確であるとともに、芸術的な美しさを備えています。
(国宝の伊能図や測量器具は2ヶ月ごとに展示替えを行っています)
地図の世界
日本地図の歴史や、楽しい世界の地図を紹介
伊能忠敬がつくった伊能図により日本の正確な姿が紹介された19世紀以前において、ヨーロッパの人々は日本の姿をどのように理解していたのでしょうか。
ヨーロッパから見れば極東の地である日本については、さまざまな憶測やとぼしい地理的情報に基づいて描いていました。
また、同時に日本人は自分の国の姿をどのように理解していたのでしょうか。
地図はその時の時代観、宗教観、目的によってさまざまな形をとります。
見ても楽しく興味深いものです。
「伊能忠敬関連資料」ですが、平成22年(2010年)6月29日に「重要文化財」から「国宝」に指定された2345点の「資料群」です。
「国宝」に指定された「資料」は、「地図・絵図類」、「文書・記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」に分類され、「伊能忠敬」の「全国測量」に関る「資料」のほか、「孫」の「忠誨(タダノリ)」の「資料」も含まれています。
ちなみに「国宝」とは
「国が指定する重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝」
と評価され指定された「資料」のことです。
「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」は、「地図・絵図類」、「文書・記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」となっており、「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」・「目録」は、下記の通りです。
「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」・「目録」
「地図・絵図類」787点
採色された伊能図、その元となった下図(シタズ)、測量経路の風景を鳥瞰図的に描いた麁絵図(アラエズ)、各測量地から提出された参考絵図などがあります。
伊能図の作成過程をうかがい知り、また各地の測量技術を明らかにできる貴重な資料群です。
「文書・記録類」569点
日本全国測量中の日記、山などの方位を測った山島方位記、夜に天体観測した星の観測記録、先生である高橋至時の御用日記、測量御用の辞令や先触、伊能忠敬の孫である伊能忠誨(タダノリ)が作成した星図などの資料です。
「書状類」398点
伊能忠敬直筆の書状のほか、息子景敬、娘イネなどの親族、先生の高橋至時・高橋景保、尾形謙二郎や坂部定兵衛など弟子たち、友人の江川英殻・久保木清淵や諸藩の役人との書状があります。
「典籍類」528点
伊能忠敬が学んだ暦学書、測量書、和算書や測量に関わる中で集めた地理書などがあります。
「器具類」63点
地上測量の器具には、量程車や半円方位盤、象限儀(小)などが、天体観測の器具には、緯度測量に使う象限儀(中)、経度測定に使う水揺球儀があります。
また、地図を作成する時に使った烏口や地図記号の印もあります。
特に伊能忠敬の孫の伊能忠誨が使用した水揺球儀もあり、国内でも有数のコレクションとなっています。
「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」ですが、「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」で、3月28日(火)から5月21日(日)の「期間」行われるそうです。
「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」開催に際し、「伊能忠敬記念館」では、下記のように「鑑賞」を呼びかけています。
当館所蔵の国宝「伊能忠敬関連資料」には、地図や測量道具だけでなく、伊能忠敬に関わるさまざまな資料が含まれており、全体は5つの部門に分類されます。
地図・絵図類・文書・記録類、書状類、典籍類、器具類のそれぞれから、厳選した実物資料を展示し、国宝「伊能忠敬関連資料」の持つ奥深い世界を紹介していきます。
「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「生涯」・「功績」を紹介、展示する「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」詳細
開催期間 3月28日(火)〜5月21日(日)
開館時間 9時〜16時半 (最終入館〜16時)
開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1
入館料 大人500円 小・中学生250円
休館日 月曜日 (祝日の場合は開館) 年末年始
問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118
備考
「香取市」では、今年(2017年・平成29年)3月5日に「曙太郎」さんが「香取市応援大使」に就任されたそうです。
「曙太郎」さんですが、「第64代横綱」・「格闘家」として「大相撲」や、「格闘技界」で活躍する傍ら、「香取市」「合併前」から「香取地域」の「福祉施設」や、「保育園」、「小中学校」等に数多く来訪、「社会福祉」や、「教育」、「青少年の育成」等への「貢献」から今回の「香取市応援大使」就任となったそうです。
ちなみに「香取市応援大使」は、「香取市」の「魅力」を「全国」に紹介し、「知名度」・「イメージアップ」のために、「香取市」が実施する「イベント」等で活躍するもので、「香取市」に深く関わりがある人から選ばれるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3413 |
| 地域情報::香取 | 09:43 PM |
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2017,04,24, Monday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「道の駅くりもと紅小町の郷」で5月3日(祝・水)〜7日(日)の期間開催されます「ゴールデンウィーク花植木野菜苗まつり」です。
「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に「佐原市」・「山田町」・「香取郡」「小見川町」・「栗源町(クリモトマチ)」の1市3町が合併(新設合併)し、誕生した「市」です。
「香取市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「北部」は「茨城県」に接し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から15km圏に位置しています。
「香取市」「北部」には、「水郷」の「風情」が漂う「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が「東西」に流れ、その「流域」には「水田地帯」が広がり、「香取市」「南部」は「山林」と「畑」を中心とした「平坦地」で、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「一角」を占めています。
「香取市」の「産業」ですが、「温暖」な「気候」と肥沃(ヒヨク)な「農地」に恵まれた「地域」の「特性」を活かした「農業」が盛んに営まれており、「香取市」は「首都圏」の「食料生産地」の「役割」を担っています。
「香取市」の「農業」ですが、古くから「水郷」の「早場米産地」として知られる「米どころ」で、「千葉県内」「1位」を誇る「米」の「生産地」であり、また「食用甘しょ」の「生産」・「販売額」「全国一」を誇る「甘しょ生産地」として知られています。
ちなみに「早場米」とは、8月「お盆過ぎ」には「稲刈り」が始まり、「出荷」される「米」のことで、「香取市」は「良質」な「早場米」の「産地」として知られています。
「香取市」の「特産品」ですが、上記のように「米」、「サツマイモ」(「ベニコマチ」・「ベニアズマ」)(2012年9月10日・2010年10月30日のブログ参照)、「ニラ」、「ネギ」、「ゴボウ」、「梨」(水郷なし)(2010年9月10日のブログ参照)、「千葉県一」の「生産」を誇る「ブドウ」(2010年8月17日のブログ参照)、「カサブランカ」(ユリ)、「日本酒」(「東薫」(東薫酒造)(2011年2月2日のブログ参照)・「雪山」(馬場本店)・「大姫」(飯田本家))、「醤油」(イリダイ醤油・ちば醤油)(2011年5月25日のブログ参照)となっています。
「特産品」の多い「香取市」には、「道の駅くりもと紅小町の郷」(2013年4月30日・2012年4月28日・2012年3月28日のブログ参照)、「風土村」(2013年3月1日・2012年2月26日のブログ参照)、「道の駅・川の駅水の郷さわら」(2013年3月19日・2012年3月29日のブログ参照)といった「人気」の「道の駅」や、「直売所」があり、多くの「観光客」、「地元客」の「皆さん」が、「香取市産」の「特産品」を求めに訪れています。
現在「香取市」に属している「旧・栗源町」(栗源地区)ですが、「成田国際空港」から「車」で20分ほどのところに位置している「まち」(地区)で、「旧・栗源町」の「人口」ですが、5千人ほどの小さな「まち」だったそうです。
「旧・栗源町」(栗源地区)は、「紅小町(ベニコマチ)」(サツマイモ)が有名で、「香取市」「栗源地区」では毎年「秋」に開催される「栗源ふるさといも祭」(2015年11月10日・2014年11月11日・2013年11月14日・2012年11月15日・2011年11月16日のブログ参照)が行われています。
「栗源ふるさといも祭」では、「日本一の焼き芋広場」が築かれ、「焼き芋」の「無料配布」を中心とした「人気イベント」が行われています。
「道の駅くりもと紅小町の郷」は、「香取市」「栗源地区」にある「人気」の「道の駅」です。
「県道44号線」「成田小見川鹿島港線」沿いにある「道の駅くりもと紅小町の郷」では、「香取市」「栗源地区」の「地域特産品」である「サツマイモの女王」「紅小町(ベニコマチ)」を「中心」に「地元産品」を「豊富」に取り揃えており、「観光客」の「皆さん」や、「地元」の「皆さん」で賑わっている「道の駅」です。
「道の駅くりもと紅小町の郷」は、正に「サツマイモのまち」の「道の駅」として、「サツマイモ商品」の「ラインナップ」の「多さ」が、特徴のひとつとなっています。
「道の駅くりもと紅小町の郷」では、「直売所」での「紅小町」のほかの「各種サツマイモ」の「販売」や、「物産交流館」での「道の駅くりもと紅小町の郷」「自慢」の「サツマイモ」で造った「本格仕込み」の「芋焼酎」も販売しています。
また「道の駅くりもと紅小町の郷」では、「農産物」を「自分」で「収穫体験」ができる「ふれあい農園」など、「充実」した「農業体験」ができる「道の駅」となっています。
「道の駅くりもと紅小町の郷」の「館内」には、「行楽ガイド」をする「情報コーナー」をはじめ、「朝採り」の「新鮮野菜」や、「特産」の「果物」、「畜産加工品」を販売している「直売所」、「全国各地」の「道の駅」から取り揃えた「人気商品」を販売している「物産交流館」、「土地」の「食材」を使って、作った「料理」が味わえる「食事処いっぷく」、「クジャク園」や、「水車」、「ザリガニ池」、「コイ池」、「ニジマス養殖池」、「上海蟹養殖池」、「かぶと虫園」、「かも池」、「しいたけ園」、「スイセン園」、「野草園」等があり、「道の駅くりもと紅小町の郷」の「裏手」には、「緑」豊かな「自然」の「地形」を活かした「里山公園」が広がり、「道の駅くりもと紅小町の郷」「脇」には「ちびっこ遊具」などもあります。
「道の駅くりもと紅小町の郷」では、「道の駅」「おすすめ」である「インストラクター」(地元農家)「指導」の元、「年間」を通じて「種まき」、「苗の植え付け」から「収穫」まで、「作物」を育てる「楽しみ」が味わえる「日帰り型市民農園」「ふれあい農園」があり、「農業体験」を行っており、「ふれあい農園」では、「米づくり体験」や、「田植え体験」、「稲刈り体験」、「サツマイモオーナー」、「ジャガイモオーナー」、「落花生オーナー」、「トウモロコシオーナー」、「枝豆オーナー」など充実した「農業体験」できる「貸し農園」、「菜花つみ」や、「からし菜つみ」、「あぶら菜つみ」、「竹の子掘り」、「ジャガイモ掘り」、「ブルーベリー園」、「トウモロコシもぎ取り」、「枝豆狩り」、「ミニトマト園」、「落花生掘り取り」、「栗ひろい」、「サツマイモ掘り」、「しいたけ狩り」と盛り沢山な「収穫体験」ができる「収穫農園」もあり、「道の駅くりもと紅小町の郷」に来れば、「年間」を通じて様々な「体験」をすることができるように整
備されています。
その他、「道の駅くりもと紅小町の郷」には、2012年(平成24年)3月にリニューアルオープンした「花・植木コーナー」(2012年3月28日のブログ参照)や、2013年(平成25年)2月に「道の駅くりもと紅小町の郷」「敷地内」にオープンし、「干芋作り教室」、「こんにゃく作り教室」、「味噌作り教室」、「豆腐作り教室」(通年)、「いちごジャム作り教室」、「キムチ作り教室」、「たくあん漬け教室」など、「四季」を通じて色々な「農産物」の「加工体験」を楽しむことができ、「食育教室」を行っている「体験工房」や、「滞在型市民農園」「クラインガルテン栗源」の「貸し農園」(2012年4月14日のブログ参照)等があります。
この度(タビ)「道の駅くりもと紅小町の郷」では、「ゴールデンウィーク」の5月3日(祝・水)から5月7日(日)の期間「ゴールデンウィーク花植木野菜苗まつり」を開催するそうです。
「ゴールデンウィーク花植木野菜苗まつり」では、期間中様々な「イベント」が行われ、盛り沢山の「内容」となっているそうです。
「ゴールデンウィーク花植木野菜苗まつり」の「内容」「詳細」は、下記の通りです。
「ゴールデンウィーク花植木野菜苗まつり」
直売所
5月3日(祝・水)から5月5日(祝・金)までの3日間
「道の駅くりもと紅小町の郷」「ポイント2倍」(店内のみ)
5月3日(祝・水)、4日(祝・木)
野菜の特売
5月5日(祝・金)
先着100名様小学生以下のお子様にお菓子プレゼント
バイキング
5月4日(祝・木) 11時00分〜14時00分
子供の日バイキング
場所 体験工房
特別お子様メニュー
和太鼓 響
5月5日(祝・金) 11時00分〜
大特価市
5月3日(水)〜5月7日(日)
茨城産スイカ 茨城産メロン 千葉産いちご 販売
5月3日(祝・水)〜5月5日(祝・金)
野菜詰め放題
農業体験
5月3日(祝・水)〜5月5日(金)
各種オーナー募集
サツマイモ・落花生・とうもろこし
田植え体験教室
5月7日(日) 9時00分〜
要予約(お気軽にお問い合わせください。)
いっぷく
5月3日(祝・水)〜5月5日(金)
特製お子様ランチ 500円
(小学生以下限定)
縁日コーナー
5月4日(祝・木)・5日(祝・金)
金魚すくい、水ヨーヨー、お菓子の掴み取り
子供 餅つき大会
5月5日(祝・金) 12時00分〜
店頭販売
5月3日(祝・水)、5日(祝・金)
いちごジャム造り教室
5月3日(祝・水)〜5月7日(日)
角煮ラーメン
もやしラーメン
「栗源」の「人気」の「道の駅」「道の駅くりもと紅小町の郷」で開催される「ゴールデンウィークイベント」「ゴールデンウィーク花植木野菜苗まつり」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「ゴールデンウィーク花植木野菜苗まつり」詳細
開催期間 5月3日(祝・水)〜5月7日(日)
開催会場 道の駅くりもと紅小町の郷 香取市沢1372-1
問合わせ 道の駅くりもと紅小町の郷 0478-70-5151
備考
「ゴールデンウィーク花植木野菜苗まつり」が開催される「道の駅くりもと紅小町の郷」では、「ゴールデンウィーク期間中」も「連日」「にじます釣り」、「ザリガニ釣り」を開催しているそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3412 |
| 地域情報::香取 | 10:21 AM |
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2017,04,14, Friday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「佐原の町並み」で4月15日(土)〜5月14日(日)の期間開催されます「第12回佐原五月人形めぐり〜薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形〜」です。
「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を今に残す「佐原の町並み」が、「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」等に見ることができます。
「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」等から構成されています。
「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(エドマサリ)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を今に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「国」の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
「佐原の重伝建」は昔からの「家業」を引き継いで今も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。
「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)の他、「千葉県」の「県指定有形文化財」も8軒(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに軒(ノキ)を連ねています。
「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日の
ブログ参照)、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。
「樋橋(トヨハシ)」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現「佐原駅方面」)の「田」に送るために「小野川」に架けられた、大きな「樋(トヨ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られました。
なお「樋橋」ですが、1996年(平成8年)に、「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。
「小野川」は、「香取市」を流れる「一級河川」で「利根川水系」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「支流」です。
「利根川」の「支流」である「小野川」は、江戸期より「水運の集散地」として「佐原のまち」を発展させました。
2004年(平成16年)には、「佐原の市街地」の「洪水」を解消するため「香取市」「牧野地先」から「本宿耕地地先」「利根川」まで流す「小野川放水路」が完成しています。
「佐原まちぐるみ博物館」(2011年12月26日のブログ参照)ですが、平成10年(1998年)頃、「佐原」の「一軒」の「商家」から始まった「博物館」で、「道具類」や「お雛様」の「展示」がなされ、「伊能忠敬記念館」の「伊能家のお雛様」(2012年1月29日のブログ参照)の「展示」が行われるようになりました。
その後、「伊能忠敬記念館」の「呼びかけ」で、「数軒」の「店」で「お雛様」の「展示」を行うようになり、平成16年(2004年)には28軒の「佐原まちぐるみ博物館」が誕生し、平成20年(2008年)には「佐原まちぐるみ博物館」は42館になっているそうです。
「佐原まちぐるみ博物館」は、「各家」に残る、古い「道具箱」や「暮らしぶり」、「伝統」の「味」や「技」、「コレクション」等、「自慢の宝」を、それぞれの「家」で公開し、訪れた方に楽しんでいただき、「佐原のまち」を「まるごと」「博物館」にしてしまおうという「活動」です。
「佐原まちぐるみ博物館」では、「年間」を通した「常設展」のほかに、「お雛様の季節」に行われる「さわら雛めぐり」(2015年2月6日・2014年2月6日・2013年2月16日・2012年2月2日・2011年2月5日のブログ参照)、「五月の節句」に行われる「佐原五月人形めぐり」(2014年4月15日・2013年4月24日・2012年4月7日・2011年4月28日のブログ参照)、「お盆時期」に行われる「さわら・町並み・夕涼み」(2014年8月12日・2013年8月12日・2012年8月11日・2011年8月11日・2010年8月12日のブログ参照)、「お正月」に行われる「お正月飾り」の「企画展」「佐原・町並み・お正月」(2014年12月24日・2013年12月24日・2012年12月27日・201
1年12月26日・2010年12月26日のブログ参照)といった「企画展」も行っています。
「佐原まちぐるみ博物館」は、「佐原の商家」の「おかみさん」たちによって、結成している「佐原おかみさん会」(2011年2月5日のブログ参照)により、運営されています。
「佐原おかみさん会」ですが、「佐原」を「大切」に思っている「女性の集まり」で、「佐原」の「地元商店のおかみさん」が中心となって活動されている「団体」で、「メンバー」ですが、「佐原」以外の「他の地域」から「縁」があり、「佐原の商家」に嫁がれた「お嫁さん」や、「佐原生まれ」、「佐原育ち」の「女性」等で構成されており、「佐原のまち」の「良さ」を見直し、もっとたくさんの「人々」に「佐原のまち」を知ってもらおうと立ち上がりました。
「佐原おかみさん会」ですが、今年で13年目を迎える「団体」で、ますます「佐原」のために、「元気」にがんばっている「まちづくり団体」です。
「佐原おかみさん会」ですが、平成21年(2009年)3月には「佐原おかみさん会」が「企画・運営」されている「佐原まちぐるみ博物館」をはじめとする「活動」が評価され、「全国信用金庫協会」の「商店街ルネッサンス・コンテスト」で、「最優秀賞」を受賞されています。
ちなみに「商店街ルネッサンス・コンテスト」では、「全国」から190あまりの「応募」の中から、「わかば部門」で「全国1位」であったそうで、「商店街ルネッサンス・コンテスト」は、「地元信用金庫」の「応募」(推薦)によるものであったそうです。
なお「香取市」では、「商店街ルネッサンス・コンテスト」で「佐原おかみさん会」・「佐原まちぐるみ博物館」が、「最優秀賞」を受賞したことを記念し、平成21年(2009年)7月25日に「佐原文化会館」を「会場」とした「記念フォーラム」が、「佐原商工会議所」が「主催」で開催されたそうです。
また「佐原おかみさん会」は、平成23年(2011年)にも「活動」が「評価」され、「千葉県功労者」としても表彰されています。
「端午の節句」を控え、「香取市」「佐原」では、毎年「佐原五月人形めぐり」が行われています。
「佐原五月人形めぐり」は、4月から5月にかけて行われており、「江戸の商家」の「面影」を残す「佐原の町並み」をめぐり、それぞれの「商家自慢」の「お宝」を見てもらう「佐原まちぐるみ博物館」の「企画展」のひとつで、「佐原おかみさん会」の「皆さん」が運営されています。
「佐原五月人形めぐり」では、「佐原町並み交流館」(2012年1月27日のブログ参照)などの「周辺施設」でも「五月人形」が飾られ、「香取市」「佐原」の「まちなか」を中心に約40軒で個性豊かな「人形たち」と出会えます。
現在「佐原まちぐるみ博物館」には、50館(店舗等)が参加し、そのうち半数以上で「佐原五月人形めぐり」期間中、「老舗」に伝わる「年代物」など「家々」で大切にしている「五月飾り」を公開しています。
「佐原五月人形めぐり」期間中には、「店先」(表)に掲げられる「若草色」の「まねき布」を「目印」に、ゆっくりと「風情」のある「佐原のまち」を巡ることができます。
「第12回佐原五月人形めぐり〜薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形〜」では、上記のように、「佐原まちぐるみ博物館」の半数以上の「店舗」で「開催期間中」に、「老舗」に伝わる「年代物」の「五月人形」など「家々」で、大切にしている「五月飾り」を公開しています。
また「佐原町並み交流館」などの「周辺施設」でも、「五月人形」が飾られる「五月人形展」が行われ、「佐原」の「町なか」を中心に約35軒で、個性豊かな「人形たち」と出会えるそうです。
また「第12回佐原五月人形めぐり〜薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形〜」では、「期間中」「スタンプラリー」も開催され、「スタンプラリー」ですが、「スタンプラリー参加店」と書いてある「お店」3か所で「買い物」すると「プレゼント」がもらえるそうで、「プレゼント」は、「忠敬茶屋」か、「福新呉服店」にて配布され、「プレゼント」は無くなり次第終了となるそうです。
「第12回佐原五月人形めぐり〜薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形〜」の「五月人形」の「展示店舗・会場」は、下記の通りです。
山村商店
酔夢館
忠敬茶屋
素顔屋
町並み交流館三菱館
油茂
るふな
玉澤(忠敬茶屋にて展示)
香蕎庵
一蘭荘
正上
植田屋
上州屋酒店
町並み観光中央案内処
中村屋
並仲商店
八木の耳かき
福新
香取生花店
加納屋服地店
徳島屋
八木清
佐伯洋品店
ギャラリー卯兵衛
虎屋
紀の国屋
高六
馬場本店
東薫酒造
山城屋茶舗
駅前観光案内所
佐原駅
千葉中央博物館大利根分館でも展示(下記「備考」参照)
なお「第12回佐原五月人形めぐり〜薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形〜」では、「津波」の「難」を逃れた、2つの「強運五月人形」も公開され、それぞれ「佐原町並み交流館」に「五月人形の段飾り」、「佐原駅」に「子供武者」が展示されているそうです。
「小江戸」「情緒」あふれる昔ながらの「町並み」が今も残る「佐原の町並み」で開催される「恒例」の「催し」「第12回佐原五月人形めぐり〜薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形〜」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第12回佐原五月人形めぐり〜薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形〜」詳細
開催期間 4月15日(土)〜5月14日(日)
開催会場 佐原の町並み 香取市佐原
問合わせ 佐原おかみさん会
香取商工観光課 0478-50-1212
備考
「第12回佐原五月人形めぐり〜薫る新芽 そよぐ風 商家に伝わる五月人形〜」が行われている「香取市」「佐原」では、「同時開催」で、「大利根博物館大利根分館」(2011年6月24日のブログ参照)にて、「鍾馗(ショウキ)様」や、「弁慶」、「牛若丸」、「八幡太郎源義家」等、昭和50年代「五月人形」7点が展示され、「佐原町並み交流館」にて、「地域の五月人形展」を開催するそうです。
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| 地域情報::香取 | 10:46 AM |
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2017,04,01, Saturday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で4月2日(日)に開催されます「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザカグラ)」です。
「香取市」の「沿革」ですが、1875年(明治8年)「香取市域」が「千葉県」に属するようになり、1889年(明治22年)の「町村施行」により、「佐原地区」には「佐原町」等の9町村(後に8町村)、「小見川地区」には「小見川町」等5町村、「山田地区」には「府馬村」等3村、そして「栗源(クリモト)地区」には「栗源村」がそれぞれ成立しました。
その後、「香取市」の「前身」である「佐原市」、「小見川町」、「山田町」は1951年(昭和26年)から1955年(昭和30年)にかけての「市町村合併」により成立し、「栗源町」は、これ以前の1924年(大正13年)には「町制」をしいており、それぞれの「市」・「町」の「歩み」を重ねてきました。
そして「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日、「佐原市」、「小見川町」、「山田町」、「栗源町」の1市3町が合併し、「香取市」が誕生しています。
上述の通り、「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に、「佐原市」と、「香取郡」「小見川町」、「山田町」、「栗源町」が合併して成立した「市」です。
「香取市」は、「水郷」と呼ばれる「国道51号線」沿線の「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)付近の「都市」のひとつで、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「門前町」として有名です。
「香取神宮」ですが、「武神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」を祀っていることで知られている「神社」で、近隣では、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する(鎮座する)「茨城県」「鹿嶋市」との「関係」が深いそうです。
「香取神宮」は、「鹿島神宮」、「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれており、古くから「信仰」を集めています。
「山倉大神(ヤマクラダイジン)」(2010年12月3日のブログ参照)は、「香取市」「山倉」(下総国香取郡)の「小丘」に鎮座する「神社」で、「山倉大神」の「社格」ですが、「村社」です。
「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」、「建速須佐男大神(タテハヤスサノオノオオカミ)」、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っています。
「山倉大神」の「創建」ですが、弘仁2年(811年)の創建で、「山倉大神」の「由緒」ですが、「悪霊退散」のため「大六天」を勧請したのが「始まり」といわれ、「山倉大神」は「大六天王社」の「総社」として、古くから「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」の「現・本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたものだそうです。
「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」(木造銅板葺き一間流れ造)となっています。
「山倉大神」「境内」には、「本殿」の他に「神楽殿」、「御輿殿」等があるそうです。
「山倉大神」「本殿」ですが、「香取市」の「市指定文化財」に指定されています。
「山倉大神」は、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により、「大六天王」を「山倉山観福寺」(2012年12月4日のブログ参照)に遷座し、遷座されたおり「地名」から1871年(明治3年)に「山倉大神」と改め、上記のように「山倉大神」は、「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。
「山倉大神」には、「山倉山観福寺」とともに「鮭の伝説」が伝えられており、「香取市」「山田地区」では、「山倉大神」と、「山倉山観福寺」「両社」で、「山倉の鮭祭り」が催行されています。
「山倉大神」と、「山倉山観福寺」で、それぞれ催行される「山倉の鮭祭り」は、12月の「初卯(ハツウ)」に行われることから「初卯祭」といい、「初卯祭」では、「鮭」を奉納されることから、「別名」で「鮭祭り」とも呼ばれています。
その昔、「香取市」「山田地区」では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、「山倉大神」近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に、「鮭」が遡上(ソジョウ)してきたといわれています。
「山倉の白川流十二座神楽」ですが、「香取市」「山倉」の「山倉大神」に伝わる「神楽」で、「山倉大神」で奉納される「伝統芸能」・「奉納神楽」です。
「山倉大神」の「神楽」の「はじまり」は、定かではありませんが、明治の中期から「村」をあげて、「天下泰平」、「万民法楽」、「五穀豊穣」を願って、「白川流十二座神楽」を奉納し、現在に至っています。
「山倉の白川流十二座神楽」ですが、現在、昭和42年(1967年)に結成されました「山倉芸能保存会」の「皆さん」により、受け継がれています。
「山倉の白川流十二座神楽」は、長い間、4月3日に奉納されていましたが、「今」は、「4月第1日曜日」に奉納されています。
「山倉の白川流十二座神楽」の「演目」ですが、下記の通りとなっています。
1 猿田彦
2 稚児(幣束)舞
3 天鈿女之命
4 手力男之命
5 八幡
6 三宝荒神
7 稚児(扇)舞
8 恵比寿・火男
9 田神(稲荷)
10 保食之命
11 種播
12 〆切(須佐男之尊)
(もとは「乙女」と「榊葉」の「演目」を加えた「十二座」で構成)
「神楽」「白川流」については、「第65代花山天皇」の「王子」・「清仁親王」の「王子」「延信王」が、「神祇伯」(「大宝令」に制定された「神祇」の「祭祀」を司り、「諸国」の「官社」を総管した「神祇官」の「長官」)に任じられ、「明治維新」まで、その「後胤」が、世襲してきた「白川家」に伝わる「神道」の「流れ」と考えられています。
大正10年(1921年)3月30日発行の「香取郡誌」によりますと、大正2年(1913年)に「白川家」の「末裔」「白川子爵」が「参詣」し、枯れた「龍燈松」の「側」に「小株」を手植えしたと書かれています。
「由緒」ある「山倉」の「古社」「山倉大神」に伝わる「奉納神楽」「山倉の白川流十二座神楽」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「山倉の白川流十二座神楽」詳細
開催日時 4月2日(日) 13時〜17時頃
開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1
問合わせ 香取市生涯学習課 0478-50-1224
備考
「山倉の白川流十二座神楽」の現在、演じられている「舞」の「原型」を確立され、指導されたのは、「菅谷新之助」氏なのだそうです。
「山倉の白川流十二座神楽」ですが、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」にも指定されています。
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| 地域情報::香取 | 10:11 AM |
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2017,04,01, Saturday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「小見川城山公園」で4月1日(土)〜5月14日(日)の期間開催されます「水郷おみがわ桜つつじまつり」です。
「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に「佐原市」・「山田町」・「香取郡」「小見川町」・「栗源町(クリモトマチ)」の1市3町が合併(新設合併)し、誕生した「市」です。
「香取市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「北部」は「茨城県」に接し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)から15km圏に位置しています。
「香取市」「北部」には、「水郷」の「風情」が漂う「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が「東西」に流れ、その「流域」には「水田地帯」が広がり、「香取市」「南部」は「山林」と「畑」を中心とした「平坦地」で、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「一角」を占めています。
「香取市」には、「日本」の「原風景」を感じさせる「田園」・「里山」や、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)に位置する「利根川」周辺の「自然景観」をはじめ、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)のひとつである「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「舟運」で栄えた「佐原のまち」には「日本」で初めて「実測日本地図」「大日本沿海輿地全図」を作成した「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)、江戸時代から昭和初期に建てられた「商家」や「土蔵」が、現在も、その「姿」を今に残し、「関東地方」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている「佐原の町並み」など「見どころ」が多い「市」であり、「香取市」は「水」と「緑」に囲まれ、「自然」・「歴史」・「文化」に彩られた「まち」として知られてい
ます。
「香取市」「小見川地区」は、「香取市」「東部」に位置する「水辺」と「自然」に恵まれた「地域」です。
「香取市」「小見川地区」「中心部」は「低地」で、「西部」と「東部」に「丘陵」が見られ、「小見川地区」は、「水の郷百選」に選ばれており、「水と緑の文化」をはぐくむ「まち」として知られています。
「香取市」「小見川地区」にも「佐原地区」と同じように、「利根川」の「舟運」で栄えた「老舗」が「今」も残り、「先祖」から続く「家業」を引き継いで「商売」を続けている「店舗」もあり、「風情」のある「佇まい」は、今も「小見川地区」「市街」のところどころに残っています。
「水郷の小江戸」(北総の小江戸)「佐原」の「東」、「銚子」へ向かう「途中」に位置する「小見川」は、江戸時代から「利根川舟運」の「中継港」、「街道の要衝」、「宿場町」、さらに「小見川藩の陣屋町」として発展してきました。
「小見川」は、現在の「国道356号線」である「佐原銚子街道」と「地方道28号線」である「旭街道」が合流し、江戸時代初期には、すでに「小見川宿」として発展しており、「周辺舟運」を「背景」に「小見川」は「町場化」していったそうです。
さらに「小見川」は、「銚子」から「江戸」「間」を結ぶ「内川廻り」の「中継港」しての「機能」に加え、「周辺農村」及び「干潟地方」から「八日市場方面」に渡る「広域米」や「諸産物」を集め、「江戸方面」へ積み出す「利根川水運」の「集散地」として発展していきました。
当時の「小見川」では、2と7の「日」には「六斎市」が開かれ、他に「須賀神社」、「妙剣神社」の「祭礼市」も開かれるほど賑わっていたそうです。
江戸期の「小見川」は、「本町」・「新町」を初め、8町に分かれる「規模」であり、「醸造業」も盛んで発達しており、「小見川」の「醸造業」ですが、「醤油」5軒、「酒蔵」4軒、「濁酒」5軒の「記録」があり、現在も「小見川」には、1軒の「酒蔵」と、1軒の「醤油醸造業」が存続しています。
「小見川城山公園」(2011年2月26日のブログ参照)は、「香取市」「小見川」で、「桜」や「躑躅(ツツジ)」の「名所」として知られている「公園」です。
「小見川城山公園」ですが、「城山」の名前の通り、平安時代にかけ、「豪族」「栗飯原氏」の「城」が築かれたと伝えられる「小見川城址」があり、今でも「本丸跡」に「土塁」、「空堀」、「土橋」、「曲輪」といった「城」の「一部」が残っているほか、古代の「城山古墳群」と呼ばれる「古墳群」もあります。
ちなみに「小見川城址」ですが、1199年(建久10年)に「栗飯原朝秀」氏が、築城したと伝えられています。
「栗飯原氏」は、中世の「下総国」「香取郡」「小見川郷」(香取市小見川)「一帯」を領した「千葉氏」の「古族」です。
「栗飯原」は、「あいはら」、「あいばら」と読み、平安時代末期、「平常長」「四男」・「栗飯原常基」を「祖」とし、戦国末期までの約五百年、「小見川周辺」を領していたそうです。
「小見川城山公園」は、「茨城県」と「千葉県」を繋(ツナ)ぐ「利根川」を跨(マタ)いだ「小見川大橋」から「国道356号線」「小見川大橋入口交差点」から「千葉県道・茨城県道44号線」「成田小見川鹿島港線」「成田方面」へ0.7kmのところに位置しています。
「小見川城山公園」は、「下総台地」(北総台地)上に位置するため、「小見川市街地」や、「鹿嶋・神栖方面」を望むことができます。
「小見川城山公園」内には、「遊具」が整備された「アスレチック広場」や「チビッコ広場」、「わんぱく広場」の他、「茶会」や「華道」等の「集まり」もできる「数寄屋造り」の「清風荘」等あり、「清風荘」ですが、「有料」で借りることができる「施設」となっており、「子ども」から「大人」まで利用できる「公園」となっています。
「小見川城山公園」には、70種あまり、約6000本の様々な「樹木」が植えられ、「四季」を通じて、いろいろな「花木」が楽しめる「公園」となっています。
「小見川城山公園」ですが、「四季」の中でも「春」には、1000本の「染井吉野(ソメイヨシノ)」と、4000本の「躑躅(ツツジ)」が「小見川城山公園」の「山一帯」に咲き乱れ、「北総随一」の「花見の名所」であり、「桜の名所」として知られています。
ほかにも「小見川城山公園」では、「夏」の「紫陽花(アジサイ)」や、「百日紅(サルスベリ)」、「秋」の「アベリア」や、「金木犀(キンモクセイ)」等が咲き、「行楽」に訪れる「花見客」、「家族連れ」の「目」を楽しませています。
「小見川城山公園」で、「桜」、「躑躅」が咲き誇る3月下旬から5月初旬にかけて「水郷おみがわ桜つつじまつり」(2016年3月31日・2015年3月31日・2014年3月30日・2013年3月30日・2012年3月24日のブログ参照)が開催されています。
また「小見川城山公園」ですが、「千葉県さくらの名所20選」にも選定されています。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」は、1931年(昭和6年)に「小見川」に「鉄道」が開通されたことを「きっかけ」に始まったとされている「イベント」です。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」の「はじまり」ですが、1945年(昭和20年)代後半に「小見川」の「観光協会」の「皆さん」が「城山」(小見川城山公園)に「ボンボリ」を灯し、今のかたちの「桜まつり」の「原形」ができ、現在まで「桜つつじまつり」が開催され続けられています。
当時の「小見川城山公園」は、「個人所有」の「別荘」であったそうで、その後、「城山」は「町」(旧・小見川町)に寄付され、「城山公園」として整備され、以前より「盛大」な「桜まつり」として現在に引き継がれています。
「桜」は「香取市」の「木」として、また「小見川」の「春のシンボル」として、80年以上にわたり、多くの「人々」から愛され続けている「桜まつり」として「水郷おみがわ桜つつじまつり」は行われています。
この度(タビ)「小見川城山公園」では、4月1日(土)から5月14日(日)の期間「恒例」の「水郷おみがわ桜つつじまつり」が開催されます。
上記のように「北総随一」の「桜の名所」として知られる「小見川城山公園」は、「ソメイヨシノ」などの「桜」1000本と、「躑躅」4000本が「山一帯」に咲き乱れ、「昼夜」問わず「花見客」が訪れ、特に「夜」、「城山公園案内所」周辺と「赤橋」周辺は、「開花宣言」の「日」から、約2週間「ライトアップ」され「幻想的」な「夜桜」が楽しめるそうです。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」では、「開催期間中」に「イベント」が行われます。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」の「イベント内容」ですが、「野点(ノダテ)」、「路上パフォーマンス」、「お花見コンサート」、「水郷小見川観光物産販売所」となっています。
「野点」ですが、4月8日(土)・9日(日)に行われる「イベント」です。
「野点」は、「小見川城山公園」「清風荘」にて「両日」とも、10時00分から開催されるそうです。
「お花見コンサート」ですが、4月9日(日)に行われる「イベント」です。
「お花見コンサート」は、「小見川城山公園」「噴水広場」にて、12時00分から開催されます。
「お花見コンサート」の「スケジュール」は、下記の通りです。
12時00分〜 小見川吹奏楽団
13時00分〜 ハラウ・フラ・オ・ナヘナヘ・メレアナ
13時30分〜 ピア・ダンス
14時00分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”
14時25分〜 HIDEKI Number
14時30分〜 オミザイル(2011年8月17日のブログ参照)
「路上パフォーマンス」ですが、4月9日(日)に行われる「イベント」です。
「路上パフォーマンス」は、「小見川城山公園」「城山公園案内所」前で11時10分から開催されます。
「路上パフォーマンス」「出演者」は、下記の通りです。
11時10分〜 オミザイル
11時30分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”
「水郷小見川観光物産販売所」ですが、4月1日(土)から4月中旬までの「期間」オープンする「物産販売所」です。
「水郷小見川観光物産販売所」では、「小見川酒販組合」により「おみがわ物産品販売」、「地酒」、「酒蔵」の「甘酒」や、「焼きいも」等販売しているそうです。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」4月8日(土)・9日(日)の2日間、「無料シャトルバス」が運行するそうです。
「無料シャトルバス」「通行時間」ですが、10時00分から17時00分までとなっており、「小見川市民センター」から「城山公園案内所」まで運行することになっています。
なお「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の「小見川城山公園」内では、下記の「事項」を禁止するそうです。
1 ロープ等による場所取り。
2 通行の妨げとなる場所(清風荘前等)に敷物を敷いての飲食。
「北総随一」の「桜の名所」「小見川城山公園」で開催される「恒例」の「桜まつり」「水郷おみがわ桜つつじまつり」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「水郷おみがわ桜つつじまつり」詳細
開催期間 4月1日(土)〜5月14日(日)
開催会場 小見川城山公園 香取市小見川4380-1
問合わせ 水郷小見川観光協会 0478-50-1212
備考
「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の4月1日(日)・4月2日(日)・4月8日(土)・10日(日)に「交通規制」が行われます。
「交通規制場所」ですが、「城山公園下」が、10時00分から17時00分まで「車両通行止め」となるそうです。
なお、「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の4月9日(日)ですが、「城山公園内」が11時00分から13時00分まで「車両通行止め」となるそうです。
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| 地域情報::香取 | 07:56 AM |
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2017,03,31, Friday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」「佐原公園」(諏訪公園)、「十間川」で4月1日(土)〜15日(土)の期間開催されます「佐原のさくら祭り」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の一社であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される一社です。
「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」等があります。
中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られ、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」等を祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀られています。
「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ広大な「山林」の中にあり、「香取の森」は荘厳で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」等の「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも称されています。
「下総国一宮」「香取神宮」ですが、「四季折々」の「風情」を醸しており、「初春」の「梅」、「春」の「桜」、「夏」の「新緑」、「秋」の「紅葉」と「四季」を通じて「自然」と触れあえる「スポット」であり、「散策スポット」でもあるそうです。
「春」の「香取神宮」では、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」、「ヤマザクラ」を中心に、15種類、約700本の「桜」が植えられており、見頃を迎えると「香取神宮」「表参道」・「旧参道」には「桜のトンネル」ができ、「参拝客」や「花見客」で賑わいます。
その他の「香取神宮」の「観桜スポット」ですが、「黄門桜」、「桜の馬場」があげられます。
「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にある「桜」で、「水戸黄門」として「有名」な「徳川光圀」の「手植え」の「桜」と伝えられています。
「桜の馬場」ですが、「神殿」の「裏側」にあり、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」などが、数百本あり、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で賑わいます。
「佐原公園」(諏訪公園)(2012年2月17日のブログ参照)は、「JR佐原駅」の程近くにある「公園」で、「佐原公園」(諏訪公園)「高台」からは「佐原の市街地」や「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「水郷一帯」が一望でき、「香取市民」の「憩いの場」として親しまれている「公園」です。
「佐原公園」(諏訪公園)内「石段下」には、1919年(大正8年)に建立された「日本最初」の「実測地図」「大日本輿地全図」(通称・伊能図)を作成した「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「銅像」があり、「佐原公園」(諏訪公園)には「展望台」、「児童遊園」、隣接して「佐原野球場」、「佐原庭球場」(テニスコート)等があります。
「佐原公園」(諏訪公園)は、「春」には「ソメイヨシノ」を中心に、約200本の「桜」が咲き誇り、「香取市」「佐原」の「花見の名所」・「桜の名所」として知られています。
見晴らしの良い「高台」にあり、「桜の名所」として「有名」な「佐原公園」(諏訪公園)は、「香取市」きっての「夜景スポット」でもあります。
「佐原公園」(諏訪公園)からは、「JR佐原駅」(2015年9月20日のブログ参照)周辺の「町並み」と、開かれた「水郷一帯」周辺が見渡せ、まさに「歴史文化」に彩られ、「水郷情緒」豊かな「佐原」ならではの「風景」・「夜景」を見ることができます。
「佐原公園」(諏訪公園)の「展望台」からの「眺め」ですが、「北総一」の貴重な「夜景スポット」といえます。
「十間川」ですが、「香取市役所」・「香取市保健所」・「香取市保険福祉センター」の「北側」に流れる「河川」です。
「十間川」は、「川幅」が約10m、「十間川」「両岸」の「沿道」に多くの「桜」が植えられており、「十間川」「沿道」の「桜」ですが、「樹勢」もよく「開花の時期」には、実に見事な「花」を咲かせ、「川」を下にして「桜のトンネル」の「観」を呈しているそうです。
「十間川」ですが、以前、「水の流れ」がほとんどなく、「生活排水」が流れ込んだため、「川」の「汚れ」が目立っていたそうですが、平成8年(1996年)に「国」・「県」の「協力」を得て、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)から導水して、近くの「川岸」に「噴水」を作り、「水」を流すようにしたそうです。
「十間川」は、上記の「工事」により、見違えるようなきれいな「川」になったそうで、「十間川」には「魚」の「姿」も見えるようになり、さらに「部分的」に「十間川」「河川敷」も整備され、「十間川」「沿道」では、「桜の開花の時期」に「川面」に移る「桜花」や、「家並み」が美しく、「見応え」のある「桜」の「スポット」となっているそうです。
「佐原のさくら祭り」(2016年3月30日・2015年3月29日・2014年3月30日・2013年3月31日・2012年3月25日のブログ参照)は、「佐原」の「観桜スポット」「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)を「会場」に行われている「恒例」の「催し」で、今年(2017年)から「十間川」も加わり、3会場での「開催」となるそうです。
「佐原のさくら祭り」「期間中」には、「香取市」「佐原」の「桜の名所」である「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)、「十間川」に「桜」が咲き誇り、「3会場」は、多くの「花見客」、「観光客」で賑わいます。
「香取神宮」「会場」では、「表参道」に「雪洞」が飾られ、「夜間」は「ライトアップ」され、「香取神宮」「参道」の「玉砂利」を踏みしめながら「幻想的」な「夜桜見物」ができます。
「香取神宮」「会場」では、「香取神宮」「境内」「奥」に位置する「桜の馬場」や「香取護国神社」付近が、「お花見のベストスポット」となっており、「桜」をじっくりと愛(メ)でたり、「お花見」をしながら、「お弁当」を食べることのできる「絶好」の「スポット」となっています。
「佐原公園」(諏訪公園)「会場」では、「佐原のさくら祭り」「期間中」、「提灯(チョウチン)」や、大小600個の「雪洞」で「ライトアップ」されます。
上記のように「佐原のさくら祭り」3会場では、「ライトアップ」された「桜」が、「幻想的」な「雰囲気」を醸し出し、「佐原のさくら祭り」ならではのひと味違った「風情」を味わう「夜桜見物」ができるようになっています。
なお「佐原のさくら祭り」「3会場」では、「食べ物」・「アルコール」の「持ち込み」は「可能」ですが、「カラオケ」は「不可」となっています。
「十間川」の「桜」ですが、「川」の「両側」の「桜」が「川面」に映(ハ)え「見ごたえ」のある「観桜スポット」です。
「十間川」の「桜」ですが、今年(2017年)から「雪洞」が飾られ、「日没」から「ライトアップ」されるそうです。
「佐原の桜の名所」「下総国一宮」「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)、「十間川」で開催される「恒例」の「桜イベント」「佐原のさくら祭り」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「佐原のさくら祭り」詳細
開催期間 4月1日(土)〜15日(土)
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
佐原公園(諏訪公園) 香取市佐原イ1020
十間川 香取市佐原ロ2127付近(香取市役所脇)
問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675
香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」では、「佐原のさくら祭り」「期間中」の4月第1土曜日・日曜日の4月1日(土)2日(日)に「御田植祭」(2016年3月28日・2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)、4月14日(金)に「例祭」(2016年4月13日・2012年4月13日のブログ参照)、4月15日(土)に「神幸祭」(2016年4月14日・2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)が行われます。
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| 地域情報::香取 | 05:13 PM |
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2017,03,31, Friday
本日ご案内するのは、となりまち「東庄町」「左右大神」で4月1日(土)に開催されます「舟戸の神楽」です。
「左右大神」ですが、白鳳年間に創建されたとされる「香取郡」「東庄町」に鎮座する「古社」(神社)です。
「左右大神」ですが、「急坂」と、「石段」を登った、小高い「山頂」に鎮座している「神社」で、「左右大神」の「御祭神」ですが、「伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)」と「伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)」の「男女」「二柱」を祀っています。
「左右大神」は、「男女」「二柱」を祀っていることが、「左右大神」の「社名」の「由来」となっているそうです。
「左右大神」では、毎年「4月第1土曜日」の「例祭」で、旧「神代」・「万才」「地区」の「新入学児童」を祝う「入学祭」が行われており、「神楽」が奉納されています。
「左右大神」「例祭」で、奉納される「神楽」ですが、「舟戸の神楽」と呼ばれています。
「舟戸の神楽」ですが、上記のように「左右大神」の「神楽殿」で奉納されている「神楽」で、「天下泰平」・「五穀豊穣」を祈願し、「東庄町」「舟戸区」の「若者」により行われています。
「舟戸の神楽」の「演目」ですが、「猿田彦命」、「三宝荒神」、「天児屋根命」、「天太玉命」、「乙女命」、「手力雄命」、「宇受女命」、「蛭子・ひょっとこ」、「稲荷」、「狐」、「受持命」、「素盞鳴尊」の「十二座」が伝わり、「笹川の神楽」(2012年4月5日のブログ参照)の「演目」との「共通点」が多く見られて、興味深い「神楽」となっているそうです。
「舟戸の神楽」「当日」15時00分過ぎからは、55軒の「氏子」や、「近隣」から奉納された、たくさんの「餅」や、「お菓子」が投げられ、振る舞われるそうです。
ちなみに「舟戸の神楽」ですが、「舟戸神楽保存会」の「皆さん」が、「伝統」を守っているそうです。
「山の奥」の「木々」の中に鎮座する「神社」「左右大神」で開催される「天下泰平」・「五穀豊穣」を祈願し奉納される「十二座神楽」「舟戸の神楽」。
この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「舟戸の神楽」詳細
開催日時 4月1日(土) 13時〜17時
開催会場 左右大神 香取郡東庄町舟戸区
問合わせ 東庄町観光協会 0478-86-6075
東庄町まちづくり課産業振興係 0478-86-6075
備考
「舟戸の神楽」ですが、1980年(昭和56年)4月23日に、「香取郡」「東庄町」の「町指定無形民俗文化財」に指定されています。
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| 地域情報::香取 | 02:59 PM |
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2017,03,31, Friday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で4月1日(土)・2日(日)に開催されます「御田植祭(オタウエサイ)」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の一社であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される一社です。
また、平安時代に成立した「延喜式」によりますと、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の三社だけで、その「創建」は「神武天皇」「十八年」(紀元前643年)と神代の時代まで遡(サカノボ)る古い「歴史」のある「神社」です。
「香取市」は「香取神宮」とともに「歴史」を歩み、数千年以上もの昔から「人々」の「崇敬」を集め、時には「地域」の「守護的」な「役割」を担ってきました。
また「香取神宮」は、古来より「軍神」としての性格が強く、「テレビ」などで良く目にするように「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた二軸の「掛軸」が対になって掲げられています。
「香取神宮」の「創建」ですが、上述の「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」である、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」等があります。
中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
現在の主(オモ)な「香取神宮」「社殿」は、江戸時代の元禄13年(1700年)、「江戸幕府」「五代将軍」「徳川綱吉」公の「命」により造営されたもので、この時に「本殿」・「拝殿」・「楼門」が整えられましたが、うち「拝殿」は昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)の「大修築」に伴って改築がなされ、現在では「祈祷殿」として使用されています。
この「昭和の大修築」では、「幣殿」・「神饌所」も造営され、「主要社殿」の「形式」は、「大修築」前後とも「本殿」・「幣殿」・「拝殿」が連なった「権現造」となっており、「本殿」・「楼門」は「国」の「重要文化財」に、「旧・拝殿」(現・祈祷殿)は「千葉県指定文化財」に指定されており、「現・拝殿」は「国」の「登録有形文化財」に登録されています。
「香取神宮」「本殿」は、上述のように元禄13年(1700年)の「造営」、「三間社流造」、「檜皮葺」で、南面しており、この形式の「社殿」としては「最大級の規模」となっています。
「本殿」は、前面の「庇(ヒサシ)部分」を「室内」に取り込んでおり、背面にも短い「庇」を有しており、「重要文化財」指定時の「名称」では「流造」と記されていますが、背面に「庇」を有することから「両流造」の一種とする見方もあります。
「本殿」の「壁」や、「柱」は「黒漆塗」で、「黒」を基調とした特色的な「外観」であり、「屋根」は現在「黒皮葺」ですが、かつては「柿葺」であったとされています。
「本殿」の「様式」は近世前期を象徴するもので、「桃山様式」が各部に見られる一方、慶長期の手法も取り入れられており、「昭和の大修築」に際しては、「本殿」にも大規模な「修繕」が行われました。
この「本殿」に関しては、かつて「神宮」に存在した「アサメ殿」という「社殿」を継承すると見られているほか、通常の「両流造」では「本殿内」の「神座」が「身舎」(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられているのに対して、「背面庇」(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという異例の「形式」が指摘されています。
「拝殿」・「幣殿」・「神饌所」は、「昭和の大修築」による造営、「木造平屋建て」、「檜皮葺」で、「本殿」正面には「千鳥破風」が設けられ、それまでの「拝殿」(旧・拝殿)は「丹塗」でありましたが、この「造営」において「黒漆塗」、「組物」・「蟇股」には「極彩色」が施され、「本殿」に釣り合った体裁に改められたそうです。
「香取神宮」「楼門」は、元禄13年(1700年)の「造営」、「三間一戸」、「入母屋造」、「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
「楼門」は、「順和様」の「様式」であり、「壁」や、「柱」は「丹塗」、「楼門」内にある「随身像」は俗に「左大臣」・「右大臣」と称されますが、正面向かって「右像」は「武内宿禰(タケウチノスクネ)」、「左像」は「藤原鎌足(フジワラノカマタリ)」と伝えられています。
また、「楼門」の「楼上」の「額」は「東郷平八郎」の「筆」だそうで、この「楼門」は、「香取神宮」の「シンボル的」な「建物」に位置付けられています。
「祈祷殿」(旧・拝殿)は、元禄13年(1700年)の「造営」、「拝殿」として造営、使用されていましたが、「昭和の大修築」に伴って「南東」に移築され、昭和59年(1984年)にさらに「西」へ1.5mほど移動し、「間口五間」、「奥行三間」、「入母屋造」となっています。
「祈祷殿」の「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺」で、昭和40年(1965年)に改められています。
「祈祷殿」の「壁」や、「柱」は「丹塗」で、「拝殿」としては比較的大規模なもので、「彫刻」等の随所に「造営時」の「様式」が示されています。
「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」等を祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ広大な「山林」の中にあり、「香取の森」は荘厳で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」等の「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
「香取の森」、「香取神宮」の位置する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。
「御田植祭」は、「寺社」や「皇室」の「領田」で行われる「行事」であり、「稲作」の「成功」をあらかじめ祝う「予祝」の「神事」及び「芸能」です。
「新春」の「予祝行事」として行われるものと、「田植え」の「時期」に行われる場合とがありますが、どちらも「農作業」の「行程」を模擬的に演じ、「豊作」を祈念するものです。
「日本人」と「稲作」との、長く深い「係わり」を示すものとして、「日本全国」に、この種の「行事」が伝承され、それを行うための「組織」も「地域」によって異なりますが、「収穫」までの「全生産過程」を演じる例は少なく、「田植」で終わる、いわゆる「御田植祭」が多いといわれています。
苦しい「田植え」の「作業」を楽しくしようとする「方法」として、「田植歌」を歌いながら、「田植え」をするという「風習」があり、「田の神」を祀って「豊穣」を願う「農耕儀礼」と結びつき、「祭礼」となったのが「起源」とされますが、「歴史的」には「権門」による「勧農」があり、その「模倣」や展開の結果として、多くの「地域」で行われるようになったともいわれています。
このようなことから、「地域」を代表する古くからの「寺社」の「年中行事」として伝えられている場合が多く、いずれも「農作業」の「行程」を「模擬的」に演ずることが中心ではありますが、それぞれの「地域」ごとに様々な「芸能」の「要素」が伝えられ、特徴ある「行事」が伝承されています。
「香取神宮」「御田植祭」(以下「御田植祭」と表記)ですが、その年の「五穀豊穣」を祈る「香取神宮」の「祭事」で、「通称」「かとりまち」ともいわれる「祭事」で、「大阪」の「住吉大社」の「御田植神事(オタウエシンジ)」、「三重」(志摩)の「伊雑宮(イザワノミヤ)」の「磯部の御神田(イソベノオミタ)」とならび、「日本三大御田植祭」のひとつに数えられています。
ちなみに「伊雑宮」ですが、「伊勢神宮」の「別宮」で、「磯部の御神田」ですが、毎年6月に行われる「神事」で、「磯部の御神田」と「住吉大社」の「御田植神事」は、「国指定重要無形文化財」に指定されています。
「御田植祭」ですが、「史料」によると、明徳2年(1391年)には、既に行われていたと記載され、それ以前から行われていたといわれています。
「御田植祭」は、4月の「第1土曜日」、「第1日曜日」に行われ、1日目(初日)の「耕田式」と、2日目の「田植式」からなる「祭事」(神事)が行われています。
「御田植祭」1日目(初日)は、「香取神宮」「拝殿」前で「耕田式」が行われます。
「耕田式」ですが、「苗長」を「先頭」に、「牛方」が「五色絹」に彩られた「牛」の「耕機」をつけて牽き、その後ろから「緋」の「袴」をつけ、「鎌(カマ)」を手にした「少女」、「直垂(ヒタタレ)」を着け、「鋤(スキ)」を手にした「男」、同じく「鍬(クワ)」を持った「男」、そして「白衣緋袴」に「模様」の入った「襷(タスキ)」をかけ、背に「花笠」を背負った「田舞」の「少女」8人、「華傘」をさしかけられ肩車された「早乙女役」の「稚児」8人が、「庭上」に入るそうです。
「鎌入れ」の「所作」、「鋤入れ」・「鍬入れ」の「所作」に続き、「牛」により「代掻き」が行われ、「少女」8人が「苗長」から受け取った「早苗」を手に「田舞」をし、「年配者」の「早乙女手代」による「田植え」の「所作」をもって「耕田式」は終わるそうです。
「御田植祭」2日目では、1日目(初日)と同様、「香取神宮」「拝殿」前にて「露払」・「鎌取」・「老姥」や「華傘」の「稚児」が「庭上」へ進み、「少女」の「田舞」の後、「田植え歌」によって「早乙女手代」が「田植え」の「所作」を行うそうです。
「香取神宮」「拝殿」前の「神事」が終わると「参道」から「斎田」(御神田)へと向かい、「献餞」、「祝詞(ノリト)奏上」などの「神事」が執り行われた後、「早乙女手代」が「田植え歌」を唄いながら、「斎田」(御神田)の「田植え」をするそうです。
今年(2017年)の「五穀豊穣」を祈念する「御田植祭」ですが、例年通り、「初日」の4月1日(土)は、「香取神宮」「本殿」前にて「耕田式」を、2日目の4月2日(日)は「香取神宮」「本殿」前での「儀式」の後、「斎田」(御神田)に向かい、「田植式」を斎行するそうです。
「御田植祭」が終了しますと、「香取地方」では「本格的」な「田植え」が始まるそうです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で斎行される「日本三大御田植祭」のひとつに数えられる「祭事」「御田植祭」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「御田植祭」詳細
開催日時 4月1日(土) 13時〜
4月2日(日) 13時〜
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「御田植祭」ですが、「午年」の「式年祭」の年だけは、「日曜日」の1日のみ斎行となっており、2014年(平成26年)は1日のみ斎行されました。
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