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「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月4日(金)に開催されます「内陣神楽(ナイジンカグラ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮」「本殿」ですが、平安時代には「伊勢神宮」などと同様の20年ごとの「建て替え」の「制度」がありましたが、戦国時代に廃れ、現在の「香取神宮」「本殿」は、元禄13年(1700年)に「幕府」によって造営されたものなのだそうです。
 「香取神宮」「本殿」は、「正面」「柱間」が三間で「前庇」と、短い「後庇」を加えた「両流造(リョウナガレヅクリ)」の「全国」でも「最大級」のもので、「黒漆塗」、「檜皮葺(ヒワダブキ)」の「重厚」な「社殿」です。
 また、「蟇股(カエルマタ)」や、「虹粱(コウリョウ)」・「組み物」には「極彩色」の「装飾」が施され、前代の慶長期の「桃山様式」の「手法」を受け継いでいるそうです。
 「香取神宮」「楼門」ですが、「香取神宮」「本殿」と同じく元禄13年(1700年)の「造営」で、3間1戸で、「屋根」は「入母屋造銅板葺」でありますが、もとは「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
 「香取神宮」「楼門」は、周囲の「緑」の中で、「楼門」の鮮やかな「朱塗り」と、「奥」に見える「香取神宮」「社殿」の「黒」が「鮮烈」な「コントラスト」をみせています。
 「香取神宮」「楼門」は、「壁」や、「柱」が「丹塗り」で、鮮やかな「朱色」が映える「建造物」となっています。
 「丹塗り」ですが、「原料」が「金属」であることから「腐食」しにくく、「虫害」からも守れるという「理由」の「他」、「朱色」が「不変」を表すという「宗教的」な「意味」もあり、「宗教建築」に多く用いられているそうです。
 「香取神宮」「楼門」内には「左大臣・右大臣」(左像・右像)の「随身像」が「外」に向かって置かれ、「内側」には「木彫り」ながら「重厚感」のある「狛犬」が置かれています。
 ちなみに「香取神宮」「楼門」の「左像」ですが、「藤原鎌足」、「右像」ですが、「竹内宿禰」となっています。
 元禄13年(1700年)に造営され、昭和15年()に「大修築」が行われたこの「香取神宮」「楼門」は、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」「楼上」の「掲額」ですが、「東郷平八郎」の「筆」になるものだそうです。

 「香取神宮古神宝類」ですが、古くから「式の神」として崇められてきた「香取神宮」の「御祭神」の「御料」として、「香取神宮」には、数多くの「神宝類」が伝えられています。
 上記のように「香取神宮」には、「海獣葡萄鏡」を含む、奈良時代から江戸時代にわたる「三十九面」の「銅鏡」とはじめ、「神代盾」と称される「盾形鉄製品」、天文17年(1548年)「在銘」の「鉄釜」・「金銅扇形御正体」・「金銅扇」・「銅製供器類」・「大刀」(銘利恒)・元和4年(1618年)「在銘」の「行器」・寛正7年(1446年)「在銘」の「鏡筥」・「黒漆菊文様蒔絵手筥」・「潤漆手筥」・「黒漆手筥」・「螺鈿蒔絵藤文小筥」・「螺鈿蒔絵絵文櫛」・「櫛」・「狂言面」・「伝亀山上皇宸筆」の「木製神号額」・「香取古文書」・「旧源太祝家文書」などがあります。
 これらの「古神宝類」ですが、「美術工芸品」として優れているばありではなく、「学術的価値」という「点」からも大変「貴重」だそうです。

 「香取神宮」「参道」から「奥宮」に向かう「小道」の「途中」に「要石(カナメイシ)」があります。
 「要石」付近には、「タブノキ」、「スダジイ」、「スギ」、「ケヤキ」などが見られ、「奥宮」ですが、「御祭神」の「荒魂」を祀る「お社」で、「奥宮」周辺には「サカキ」、「スギ」が見られるそうです。
 「要石」ですが、「鹿島神宮」のものと同じく、「地震」を起こす「大ナマズ」の「頭」を抑えている「大部分」に「地中」に埋まった「霊石」で、「要石」は「地上」に見えている「部分」はほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「要石」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいるそうです。
 ちなみに「鹿島神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「頭」、「香取神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「尾」を抑えているといわれ、2つの「要石」は「地中」で繋がっているとの「伝承」もあります。
 「香取神宮」の「要石」ですが、「香取神宮」「総門」の「手前」にあり、「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた、「鹿島神宮の森」の中の小さな「祠(ホコラ)」にあります。
 「要石」に纏(マツ)わる「逸話」として、古くは

 「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

 と詠(ウタ)われており、江戸時代には、この「歌」を「紙」に書いて、3回唱えて、「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるといわれたそうです。
 また、「古墳」の「発掘」なども指揮した「徳川光圀」公は、1664年(寛文4年)、「要石」(どちらの「要石」かは「資料」により一定せず)の周りを掘らせたそうですが、「日」が沈んで中断すると、「朝」までの「間」に埋まってしまい、そのようなことが2日続いた後、次は「昼夜兼行」で7日7晩掘り続けたそうですが、「要石」の「底」には達しなかったそうです。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。

 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く「自生」しています。
 「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、「団碁祭(ダンキサイ)」が執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。
 「内陣神楽」ですが、「香取神宮」で執り行われている「祭典」で、12月4日(金)に催行されます。
 「内陣神楽」では、「香取神宮」「内陣」の「御扉」が開けられ、「香取神宮」「殿内」では、「少年達」による「舞」が奉納されるそうです。
 「内陣神楽」「当日」は、14時00分から、「香取神宮」「本殿」内の「清祓(キヨハライ)」の「儀」(「内陣」の「煤払(ススハラ)い」)に続き、17時00分から「氏子」の「少年達」による「大和舞」が奉奏されるそうです。
 なお、この「祭典」(内陣神楽)ですが、「外部」の「人」の「見学」や、「参列」は無い「祭事」となっているそうです。
 「内陣神楽」ですが、「昔」は「香取神宮」「本殿」の「内陣」が開くことから、恐れ多いとして、この「夜」、「地元」の「氏子」であっても「夜」の「参拝」をすることを「遠慮」していた(「外出」をせずに「室内」で慎んでいる「事」が「習わし」だったと言われる)と言われているようです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「暮三祭(クレサンサイ)」のひとつの「祭事」「内陣神楽(ナイジンカグラ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「内陣神楽(ナイジンカグラ)」詳細

 開催日時 12月4日(金) 17時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」「宝物館」ですが、11月17日(火)から2016年(平成28年)1月17日(日)の「間」、「千葉県立美術館」にて、「特別展 香取神宮 神に捧げた美」が開催され、これに伴い、「香取神宮」「所蔵」の「文化財」・「史料」の「ほとんど」が搬出されるために、11月4日(水)から当分の間「休館」するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2743 |
| 地域情報::香取 | 02:43 AM |
「山倉の鮭祭り」「山倉大神」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で12月6日(日)に開催されます「山倉の鮭祭り」です。

 明治8年(1875年)、「香取市域」は、「千葉県」に属するようになり、明治22年(1889年)の「施行」により、「佐原地区」には「佐原町」などの9町村(後に8町村)、「小見川地区」には「小見川町」など5町村、「山田地区」には「府馬村」など3村、そして「栗源(クリモト)地区」には「栗源村」がそれぞれ成立しました。
 その後、「香取市」の「前身」である「佐原市」、「小見川町」、「山田町」は昭和26年(1951年)から昭和30年(1955年)にかけての「合併」により成立し、「栗源町」は、これ以前の大正13年(1924年)には「町制」をしいており、それぞれの「市」・「町」の「歩み」を重ねてきました。
 そして平成18年(2006年)3月27日、「佐原市」、「小見川町」、「山田町」、「栗源町」の1市3町が合併し、「香取市」が誕生しています。

 上述の通り、「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に、「佐原市」と、「香取郡」「小見川町」、「山田町」、「栗源町」が合併して成立した「市」です。
 「香取市」は「水郷」と呼ばれる「国道51号線」沿線の「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)付近の「都市」のひとつで、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「門前町」として有名です。
 「香取神宮」は「武神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」を祀っていることで知られている「神社」で、近隣では、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「鹿嶋市」との「関係」が深いそうです。
 「香取神宮」は、「鹿島神宮」、「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれており、古くから「信仰」を集めています。

 「山倉大神(ヤマクラダイジン)」は、「香取市」「山倉地区」(下総国香取郡)の「小丘」に鎮座する「神社」で、「山倉大神」の「旧社格」ですが、「村社」です。
 「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」、「建速須佐男大神(タケハヤスサノオノオオカミ)」、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っています。

 「山倉大神」の「創建」ですが、弘仁2年(811年)で、「山倉大神」の「由緒」ですが、「悪霊退散」のため「大六天」を勧請したのが「始まり」といわれ、「山倉大神」は「大六天王社」の「総社」として、古くから「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」「本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたといわれています。
 「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」(木造銅板葺き一間流れ造)となっています。
 「山倉大神」「境内」には、「本殿」のほかに「神楽殿」、「御輿殿」などがあるそうです。
 「山倉大神」ですが、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により、「大六天王」を「山倉山観福寺」に遷座し、遷座されたおり「地名」から明治3年(1871年)に「山倉大神」と改め、「山倉大神」は、「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。

 「山倉大神」には、「山倉山観福寺」とともに「鮭の伝説」が伝えられており、「香取市」「山田地区」では、「山倉大神」と、「山倉山観福寺」「両社」で、「山倉の鮭祭り」を催行しています。
 「山倉大神」と、「山倉山観福寺」で、それぞれ催行される「山倉の鮭祭り」は、12月の「初卯(ハツウ)」に行われることから「初卯祭」といい、「初卯祭」では、「鮭」を奉納されることから、「別名」で「鮭祭り」とも呼ばれています。
 その昔、「香取市」「山田地区」では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、「山倉大神」近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に、「鮭」が遡上(ソジョウ)してきたといわれています。

 「香取市」「山田地区」に鎮座する「山倉大神」では、毎年12月、上記のように「栗山川」に回帰してきた「鮭」を供える「祭礼」、「山倉の鮭祭り」が行われます。
 この「初卯祭」、「山倉の鮭祭り」は、もともと「霜月(シモツキ)」の「初め」の「卯の日」に行われていましたが、「旧暦廃止」以後に12月7日と定められ、「山倉山観福寺」では、12月7日に「山倉の鮭祭り」が、「山倉大神」では、現行通り「初卯の日」に催行されています。
 「山倉の鮭祭り」ですが、「山倉大神」の「氏子」11組のうち2組が「交代」で、「当番」を務め、「総行司」や、「猿田彦」、「魚類勝手」といった「様々」な「役」で、100人近くが参加するそうです。
 「山倉の鮭祭り」の前日(宵宮)では、「魚類勝手」の5人が「鮭の護符」を作ります。
 「鮭の護符」ですが、「塩漬け」にした「鮭」の「切り身」と、「黒焼き」にした「鮭」を「粉末」にしたもので、「鮭の護符」は、特に「風邪」に「効果」があるとされ、「山倉の鮭祭り」の当日は「護符」を求める「参詣客」で、「山倉大神」「境内」は賑わうそうです。
 「山倉の鮭祭り」当日ですが、まず「烏帽子姿(エボシスガタ)」の「献幣使(ケンペイシ)」や、「鮭」をささげ持つ「猿田彦」、「唐櫃」を担いだ「行列」が組まれ、「額殿」や、「拝殿」で「神事」を行うそうです。
 「山倉の鮭祭り」が、終了すると「昼頃」からは「直会(ナオライ)」(宴)がはじまり、「民謡」や、「踊り」といった「出し物」もあり、「午後」は「神輿」の「巡行」が行われ、「神輿の巡行」では、「白」の「狩衣」を着た「白丁(ハクチョウ)たち」が

 「キッタサァーキッタサ」

 の「かけ声」とともに、「露店」が立ち並ぶ「山倉大神」前の「坂道」の「通り」を、「山倉山観福寺」の前まで下り、向かいの「吉野屋旅館」を「御旅所」として「祭事」を執り行うそうです。
 現在は「車道」となっている「通り」も、昔は「山倉大神」への細い「参道」に過ぎず、その「脇」を流れてきた「栗山川」の「支流」まで「鮭」が登ってきたといわれています。

 「香取市」「山田地区」に鎮座する「古社」「山倉大神」で催行される「古式」ゆかしい「神事」「山倉の鮭祭り」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の鮭祭り」「山倉大神」詳細

 開催日時 12月6日(日) 11時〜

 開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1

 問合わせ 山倉大神 0478-79-2706

 備考
 「山倉大神」で催行される「山倉の鮭祭り」ですが、平成17年(2005年)3月29日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
 戦前の「初卯祭」「山倉の鮭祭り」は、「関東一円」に組織された「山倉講」の「参詣」で、「興隆」を極めていたそうで、「山倉大神」に残る「奉納額」や、「絵馬」などは「東京」や、「横浜」の「団体」からのものが多く見られ、その「名残」をとどめています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2745 |
| 地域情報::香取 | 10:47 AM |
「KASHIMA光のアートギャラリー2015」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で12月4日(金)〜2016年1月3日(日)の期間開催されます「KASHIMA光のアートギャラリー2015」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として人気があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」南東部、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の名称を使用していた三社のうちの一社です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という一般名称でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代・神武天皇御即位」の年にあたり、「神武天皇」は、東征の途上における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による守護に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた我が国の「国譲り」から「国造り」まで、建国に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる東方に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔)」(布都御魂剣)と称される「長大な直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国の史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国の重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する地は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の歴史上、「重要な遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い歴史を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの見どころがあります。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に有名で、2014年9月1日(月)には、3日間に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」前日8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「JR鹿島神宮駅(カシマジングウエキ)」ですが、「茨城県」「鹿嶋市」「宮下」4丁目にある「東日本旅客鉄道」(JR東日本)「鹿島線」の「駅」です。
 「JR鹿島神宮駅」は、「鹿島線」の「途中駅」ですが、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」の「間」は、「鹿島臨海鉄道」「大洗鹿島線」からの「乗り入れ列車」が運行されるのみで、「鹿島線」の「旅客列車」は運行されていないそうです。
 これは「両社」の「接続駅」である「鹿島サッカースタジアム駅」が「臨時駅」であり、「サッカー試合開催日」など「特定の日」を除き「列車」が通過するためなのだそうです。
 そのため、「JR鹿島神宮駅」が「大洗鹿島線」(水戸)「方面」と、「JR線」「香取・佐原方面」の「運転系統上」の「区切り」の「駅」であり、正式な「大洗鹿島線」「接続駅」となっています。
 しかし、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」「間」は「JR東日本」の「所轄区間」であるため、「同区間」の「運賃計算」は「JR」のものとなるそうです。

 また、「鹿島線」から「成田線」・「総武本線」「経由」で「東京駅」へ直通する「特急列車」「あやめ」の「始発駅」となっていますが、「定期列車」の「あやめ」は「JR鹿島神宮駅」から「JR佐原駅」「間」(約20分)は「各駅」に停車する「普通列車」となり、「特急料金不要」で乗車できるそうです。
 2015年(平成27年)3月14日の「ダイヤ改正」で「上り」1本「総武快速線」「直通列車」と、「JR佐倉駅」で併合する「東京行き」が再び設定されています。

 「JR鹿島神宮駅」の「歴史」は、下記の通りです。

 1970年(昭和45年)8月20日 日本国有鉄道の駅として開業。

 1970年(昭和45年)11月12日 当駅〜北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム駅)間貨物線延伸開業。

 1978年(昭和53年)7月25日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ開始。

 1983年(昭和58年)12月1日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ廃止。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線開業。同線から当駅へ乗り入れ開始。

 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。

 2006年(平成18年)3月31日 みどりの窓口を閉鎖。

 2006年(平成18年)4月1日 「もしもし券売機Kaeruくん」供用開始。同時に駅員の当直勤務がなくなる。

 2009年(平成21年)3月14日 東京近郊区間に編入される。

 2012年(平成24年)3月5日 「もしもし券売機Kaeruくん」撤去。指定席券売機を供用開始。

 「JR鹿島神宮駅」の「駅構造」ですが、「島式ホーム」1面2線を有する「高架駅」であり、「ホーム」は嵩上げされていないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「直営駅」(早朝夜間駅員不在)であり、「管理駅」として「潮来駅」・「延方駅(ノブカタエキ)」・「鹿島サッカースタジアム駅」を管理しているそうです。
 「JR鹿島神宮駅」には、「自動券売機」・「指定席券売機」が設置されており、「JR鹿島神宮駅」「構内」に「KIOSK(キヨスク)」などはないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」の「のりば」ですが、「1番線」は「大洗鹿島線」「上り」「(臨)鹿島サッカースタジアム・新鉾田・大洗・水戸方面」、「2番線」は.「鹿島線」「上り」「潮来・佐原・成田・千葉・東京方面」となっており、「通過電車」は「1番線」を通過するそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「1番線」を「上下本線」とした「一線スルー構造」であり、「1・2番線」いずれも「両方面」からの「到着」及び「出発」が可能です。
 「JR鹿島神宮駅」「ホーム」は、11両編成までに対応しており、「貨物列車」「行き違い」のため、「線路有効長」はかなり長いそうです。

 「KASHIMA光のアートギャラリー」(2012年12月5日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」で毎年12月に行われている「恒例行事」で、「JR鹿島神宮駅」前で「イルミネーション」を実施し、約13万球の「光のアート」が楽しめる「イベント」です。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」では、「鹿島臨海鉄道」・「鹿島神宮駅」「駅前」の「ロータリー」や、「鹿島神宮」へと通じる「レンガ通り」を「中心」に「イルミネーション」でライトアップされ、実際の「街路樹」を利用した「高さ」15m、約8000球で、電飾する「ツリー」が「メイン」となっており、ほかに「サブツリー」、「ミニツリー」が点在しています。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」ですが、「鹿嶋市」の

 「市の玄関口を賑やかにしよう」

 と、「鹿嶋市」と「鹿嶋市民」、「企業」など、約15団体が協力し合い、「電飾」の「デザイン」から「取り付け」までを行っている「手作りアート」で、「関係各位」の「皆さん」で1日がかりで取り付けたあと、「KASHIMA光のアートギャラリー」「事務局」が、1週間ほどかけて、手直しし、完成させているそうです。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」では、「メインツリー」が毎年「色」を変えており、その「年々」で「色」が変わるそうです。

 今年(2015年)も「鹿嶋の冬の風物詩」「KASHIMA光のアートギャラリー2015」が「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」、「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)を「会場」に開催され、12月4日(金)から2016年1月3日(日)の期間、17時00分から23時00分まで「点灯」するそうです。
 (大晦日から元旦は夜通しライトアップ)
 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」は、例年通り「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」を「中心」にライトアップされ、「駅前ロータリー」の「サブツリー」を「中心」とした「イルミネーション」が施され、また「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)も「イルミネーション」で彩られます。

 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」では、「特別イベント」として「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」、「年越しライトアップ」が行われます。

 「点灯式」&「オープニングコンサート」ですが、12月4日(金)17時00分から「JR鹿島神宮駅」「駅前広場」で行われる「イベント」で、17時00分からの「点灯式」と、その後に「オープニングコンサート」が行われます。
 「点灯式」&「オープニングコンサート」では、「冬の夜空」に「ライトアップ」の「光」と、「子どもたち」の明るい「歌声」が「会場」に広がるそうです。
 「クリスマスコンサート」ですが、12月19日(土)17時00分から「JR鹿島神宮駅」「駅前広場」で行われる「イベント」です。
 「クリスマスコンサート」は、「地元」「鹿嶋」の「かしま少年少女合唱団」「虹kids(キッズ)」の「皆さん」による「合唱」などの「コンサート」が行われます。
 また「クリスマスコンサート」では、「小学生」以下の「お子様」には、「クリスマスプレゼント」もあるそうです。
 ちなみに「虹Kids」ですが、3歳から「高校生」までの約60人でつくる「地元」「鹿嶋」の「合唱団」で、8年前の「KASHIMA光のアートギャラリー」「イベント開始時」から毎年「クリスマスコンサート」に出演されているそうです。
 「年越しライトアップ」ですが、12月31日(木)17時00分から2016年(平成28年)1月1日(金)朝6時00分まで行われる「イベント」です。
 「年越しライトアップ」では、上記のように「大晦日」から「元旦」にかけて、開催される「イベント」で、「鹿島神宮」へ「初詣」に訪れる「人々」に喜ばれているそうです。

 「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で開催される「恒例」の「イルミネーションイベント」「KASHIMA光のアートギャラリー2015」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」詳細

 開催期間 12月4日(金)〜2016年1月3日(日)

 点灯時間 17時〜23時 (大晦日のみ夜通し点灯)

 開催会場 JR鹿島神宮駅 駅周辺 鹿島神宮へ向かう坂の両側

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」の「特別イベント」にて、あたたかい「飲み物」の「無料サービス」も行われるそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 10:33 AM |
「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で12月1日(火)〜27日(日)の期間開催されます「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」「1階」「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」「1階」「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要整理券)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。
 「航空科学博物館」「バイプレーン」では、たくさんの「要望」に応え、あの「カレンダー」が戻ってきたそうです。
 「カレンダー」ですが、「世界各地」から「様々」な「航空会社」が乗り入れする「成田国際空港」の「色とりどり」の「航空機」のみならず、「四季折々」の「風景」も、美しい「航空科学博物館」周辺の「情景」の「カレンダー」に仕上がっており、「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」にて販売しているそうです。

 「航空科学博物館」「2階」「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(操縦席に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」「2階」「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」は、2014年(平成26年)3月25日にリニューアルオープンしています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」は、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、「様々」な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白く「スタイリッシュ」な「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」「3階」は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を「離着陸」する「ジャンボ」を「間近」に眺め、「迫力」ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」「4階」は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」「5階」では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を参考に離着陸する「ジャンボ」を見ることができます。
 「航空科学博物館」「屋外」には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」、「様々」な「催し」、「イベント」を行っており、「展示即売会」(「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」・「航空グッズ」の「販売」を行う「航空ジャンク市」等)などを催行しています。

 「MRJ(三菱リージョナルジェット)」(英・Mitsubishi Regional Jet)は、「三菱航空機」を「筆頭」に「開発」・「製造」が進められている「小型旅客機」で、現在の「名称」が決定する2007年(平成19年)2月以前の「構想」・「計画段階」では、「環境適応型高性能小型航空機」などの「名称」で呼ばれていたそうです。

 「MRJ」ですが、「三菱重工業」を「筆頭」に「日本製」の「小型旅客機」として「計画」が開始されました。
 2008年(平成20年)の「全日空」からの「受注」を受け、「三菱航空機」として「事業」を「子会社化」し、2014年(平成26年)には「日本航空」と32機の「導入」について「基本合意」に至り、2015年(平成27年)1月に「正式契約」を締結したそうです。

 2014年(平成26年)10月18日に「ロールアウト」(完成披露式典)、「初飛行」は2015年(平成27年)11月11日に「愛知県営名古屋空港」で行われ、午前9時35分頃離陸し、離陸後は「太平洋上」にある「防衛省」の「訓練空域」で、「航空機」の「基本動作」である「降下」・「上昇」・「旋回」等を行い午前11時2分頃に「同空港」に無事「着陸」、1時間27分に及ぶ「初飛行」を終えたそうです。

 「MRJ」は、「経済産業省」が推進する「事業」のひとつであった「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)が提案した「環境適応型高性能小型航空機計画」を「ベース」として、「三菱航空機」が独自に進める「日本初」の「ジェット旅客機」です。
 戦後「日本」が独自の「旅客機」を開発するのは「YS-11」以来約40年ぶり、「三菱製」としては戦前の1940年(昭和15年)に開発された「MC-20」(帝国陸軍航空部隊の三菱製一00式輸送機の民間機型)以来約75年ぶりとなるそうで、「機体製造」は「県営名古屋空港」に隣接する「敷地」で行われています。

 「MRJ」は、2014年10月に「ロールアウト」するまでに、400機以上の「受注」を「世界各国」の「航空会社」より獲得しています。
 「海外」での「販促活動」を「不得手」とした「YS-11」の「教訓」を充分に取り入れた事で、「製造会社」である「三菱航空機」は、これからさらなる「成長」が期待される「世界」の「航空機製造業界」において、安定した「成功」を収めているといわれています。
 「日本国内大手」の「日本航空」や、「全日空」が「時期主力リージョナル路線用機材」として発注している他、「アメリカ合衆国」の「リージョナル路線大手」である「スカイウェスト航空」や、「イースタン航空」などからまとまった「規模」での「確定発注」を獲得しているそうです。

 「MRJ」の「外観」は「円筒形」の「機体」に「後退翼」、「主翼下」に「エンジン」を備えた「一般的」な「小型ジェット旅客機」と同じですが、「機首」や「主翼」は「空気抵抗」を考慮した「形状」を採用しているそうです。
 「地上設備」や「車両」との接触、また「地方空港」での「整備性」を考慮し、「胴体」は「アルミ合金製」が採用されました。
 他方、この「クラス」の「機体」では初めて「主翼」・「尾翼」を「炭素系複合材料」とし、「全体」の3割程度を「複合材料」として「軽量化」を図ることが予定されていましたが、後に「主翼」は「アルミ合金製」へ変更されました。
 これは「MRJ」の「主翼」の「曲率」はR800程度と「大型機」のR2000程度に比べて大きく、「強度確保」のためには「積層枚数」の「増加」・「補強材」「追加」の「必要性」が判明し、予定したほどの「軽量化」が望めなくなったためとされています。
 なお、当初予定の「複合材割合」3割でも、5割程度に達する「ボーイング787」や、「エアバスA350XWB」のような「大型機」に比較すると少ないですが、頻繁に離着陸を行う「リージョナルジェット」の「特性」を考慮したものであったそうです。
 (複合材は伸びる力に強いが衝突など押す力には弱いそうです。)

 「燃費」は「機体形状」の「最適化」や「複合材」による「軽量化」によって、従来の「機体」より2割削減し、また、「国際民間航空機関」(ICAO)による「最新」の「環境基準」(チャプター4・CAEP6)を大幅に上回る「性能」で、従来の「機体」より「低騒音」かつ「環境負荷」を低減した「機体」としており、「航続距離」は、「MRJ70/90LR型」共に、「欧州」や「米国」の「全域」をカバーできる「能力」を持つそうです。

 「MRJ」の「機内」は「新しい快適さ」という「コンセプト」のもと、「モダン」で「スタイリッシュ」な「客室空間」を計画しました。
 「前方扉」と「後方扉」を「左右同一」の「ステーション」に配置し、「翼上」の「非常脱出口」を廃したことから、「柔軟」かつ「多様」な「座席レイアウト」を可能としました。
 「キャビン」はほとんどの「米国人男性」が収まる「値」の1.88mを考慮して「高さ」約2mとし、大抵の「欧米人男性」なら屈(カガ)まずに「室内」を移動できるようにしたそうです。
 「通路幅」・「座席幅」は共に46cm、「座敷配列」は「通路」を挟んで「左右」2列ずつの「横」4列で「中央座席」は無く、「乗客」は容易に移動することができます。
 (胴体断面は真円よりやや横に広げることで、居住性を高める計画だったが、真円に近い形状に改められた。)

 「MRJ」の「座席」は「ゾディアック・シート・カリフォルニア」の「シート」を採用しました。
 当初は「マツダ系列企業」の「デルタ工業」と共同開発した「スリムシート」を採用する予定であり、この「シート」は「日本独自」の「三次元立体編物技術」を使用し、従来の「ウレタン製座席」よりも薄くすることで可能であり、「座席」の「前後」の「間隔」に「余裕」を持たせ、従来より「足元」の「空間」を広々とれます。
 また、「体」にかかる「圧力」を分散させ、「通気性」にも優れており、「乗客」はゆったりと「快適」に座れることを「利点」としていました。
 しかし、近年の「海外」の「シートメーカー」が「エコノミークラス向けシート」を「薄型化」していることなどの「要因」から不採用となったそうです。

 「MRJ」の「機体」には、「日本」の「最新技術」が結集しており、「日本」が得意とする「複合材」を始め、「機体」の「設計」には「国内開発」の「スーパーコンピュータ」を使用したそうです。
 また、「航空機開発」は「自動車」以上に「技術」の「裾野」が広く、「MRJ」から「様々」な「産業」への「技術移転」が期待されており、「機体」の「部品数」約95万点のうち3割を「日本企業」が手がけるそうです。

 「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」ですが、「航空科学博物館」で開催される「展示会」で、12月1日(火)から12月27日(日)までの「期間」行われます。
 「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」ですが、半世紀ぶりの「国産旅客機」である「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が初飛行したことを記念し、「小企画展示」「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」となっています。
 「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」の「会場」ですが、「航空科学博物館」「2階」「企画展示室」となっています。

 「航空専門」の「科学博物館」「航空科学博物館」で開催される「小企画展示」「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」詳細

 開催期間 12月1日(火)〜27日(日)

 開催会場 航空科学博物館2階企画展示室 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時 (入館締め切り 16時半)

 休館日  月曜日 (祝日の場合 翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」「ライブラリー」ですが、「資料整理」のため、12月1日(火)から12月31日(木)までの「間」お休みとなるそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:33 AM |

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