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「航空アート展 EXHIBITION IN MUSEUM OF AERONAUTICAL SCIENCES〜JINRIKI ART PHOTOGRAPHS〜」(人力飛行機アート写真展)(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で1月1日(祝・金)〜3月27日(日)の期間開催されます「航空アート展 EXHIBITION IN MUSEUM OF AERONAUTICAL SCIENCES〜JINRIKI ART PHOTOGRAPHS〜」(人力飛行機アート写真展)です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」「1階」「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」「1階」「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。
 「航空科学博物館」「バイプレーン」では、たくさんの「要望」に応え、あの「カレンダー」が戻ってきたそうです。
 「カレンダー」ですが、「世界各地」から「様々」な「航空会社」が乗り入れする「成田国際空港」の「色とりどり」の「航空機」のみならず、「四季折々」の「風景」も、美しい「航空科学博物館」周辺の「情景」の「カレンダー」に仕上がっており、「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」にて販売しているそうです。

 「航空科学博物館」「2階」「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(「操縦席」に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」「2階」「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」ですが、昨年(2014年)3月25日に「リニューアルオープン」しています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」ですが、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、「様々」な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白く「スタイリッシュ」な「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」「3階」は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を「離着陸」する「ジャンボ」を「間近」に眺め、「迫力」ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」「4階」は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」「5階」では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を「参考」に「離着陸」する「ジャンボ」を見ることができるそうです。
 「航空科学博物館」「屋外」には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。
 「航空科学博物館」の「沿革」ですが、下記の通りとなっています。

 1977年(昭和52年) 地元自治体の芝山町より成田空港の開港に関連した博物館建設の要望が運輸大臣に提出される。

 1984年(昭和59年) 博物館の建設・運営の事業主体となる財団法人航空科学振興財団が設立。

 1988年(昭和63年) 博物館工事に着工。

 1989年(平成元年) 8月1日 開館。

 1994年(平成6年)  入館者100万人を達成。

 1999年(平成11年) 成田空港第1ターミナルビル内にミュージアムショップ「バイプレーン」を開店。

 2004年(平成16年) 1月18日 入館者300万人を達成。

 2011年(平成23年) 6月23日 成田国際空港株式会社が航空科学博物館敷地(駐車場)内に成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港空と大地の歴史館」を建設し、開館。

 2012年(平成24年) 4月1日 公益財団法人航空科学博物館に移行。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」「様々」な「催し」、「イベント」を行っています。
 また「航空科学博物館」では、「展示即売会」(「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」・「航空グッズ」の「販売」を行う「航空ジャンク市」等)などを催行しています。

 「航空アート展 EXHIBITION IN MUSEUM OF AERONAUTICAL SCIENCES〜JINRIKI ART PHOTOGRAPHS〜」(人力飛行機アート写真展)は、「航空科学博物館」「館内」「2階」「企画展示室」で開催される「企画展」です。
 「航空アート展 EXHIBITION IN MUSEUM OF AERONAUTICAL SCIENCES〜JINRIKI ART PHOTOGRAPHS〜」(人力飛行機アート写真展)ですが、2016年(平成28年)1月1日(祝・金)から3月27日(日)までの期間開催され、「航空アート展」の「費用」ですが、「入館料」のみとなっています。
 「航空アート展 EXHIBITION IN MUSEUM OF AERONAUTICAL SCIENCES〜JINRIKI ART PHOTOGRAPHS〜」(人力飛行機アート写真展)の「内容」ですが、「航空」を「テーマ」とした「アート作品」を紹介し、「機体」や、それを取り巻く「人々」の美しい「瞬間」を切り抜いた「写真」から「情熱」の「一端」を感じられるような「内容」になっています。

 「人気」の「社会科見学スポット」「航空科学博物館」で開催される「航空」を「テーマ」にした「アート作品」を観賞できる「恒例」の「企画展」「航空アート展 EXHIBITION IN MUSEUM OF AERONAUTICAL SCIENCES〜JINRIKI ART PHOTOGRAPHS〜」(人力飛行機アート写真展)。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「航空アート展 EXHIBITION IN MUSEUM OF AERONAUTICAL SCIENCES〜JINRIKI ART PHOTOGRAPHS〜」(人力飛行機アート写真展)詳細

 開催期間 1月1日(祝・金)〜3月27日(日)

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時 (入館締め切り 16時半)

 休館日  月曜日 (祝日の場合 翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」では、「所沢航空発祥記念館」に「ゼロ戦コックピット」を貸し出ししているそうです。
 「航空科学博物館」「ゼロ戦コックピット」を貸し出している「所沢航空発祥記念館」では、2015年(平成27年)11月21日から2016年(平成28年)4月17日まで「特別展」「時代を翔(カケ)る日本の傑作機たち」を開催しているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2844 |
| 地域情報::成田 | 06:25 PM |
「歳旦祭(サイタンサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で1月1日(祝・金)に開催されます「歳旦祭(サイタンサイ)」です。

 「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「常陸国一宮」の「日本屈指」の「神社」で、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と共に「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)に数えられる「古社」です。
 皇紀元年(紀元前660年)の「創建」と伝えられる「鹿島神宮」は、「御祭神」が「武甕槌大神(タケミカヅチオオカミ)」で、「武」の「神様」として古くから「皇室」や、「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉期以降は「武家政権」(将軍家)の「信仰」を得て、ますます「隆盛」を極めてきたそうです。

 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、上記のように「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「武甕槌大神」が祀られた「鹿島神宮」「境内」は、うっそうと「樹木」が茂り、「神様」の「場所」(神域)にふさわしい「雰囲気」を作り出しています。
 「鹿島神宮」の「主」な「見どころ」は、「宝物殿」(布津御霊劔)、「鹿島神宮社叢」(三笠山)、「楼門」、「本殿」、「鹿園」、「奥宮」、「要石」、「御手洗池(ミタラシノイケ)」となっています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっています。
 「鹿島神宮」には、多くの貴重な「植物」が群生しており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「全長」が約3mもある「直刀」で、奈良・平安期の「製作」といわれる「布津御霊劔」(布都御魂剣)は、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 ちなみに「日本三大楼門」は、「鹿島神宮」「楼門」、「熊本」の「阿蘇神社」「楼門」、「福岡」の「筥崎八幡宮」「楼門」となっています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「風格」ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の「背後」には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した「位置」には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿園」ですが、「鹿」が群れ遊ぶ「鹿園」で、「奈良公園」(春日大社)と違って「柵」の中で飼われています。
 「鹿島神宮」の「鹿」ですが、「国譲り」を命じた「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「使い」が「鹿の神」である「天迦久神(アメノカクノカミ)」であることに由来して、「神の使い」として「鹿」を飼われています。
 「国譲り」で、大きな「功績」をあげた「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」と、「香取神宮」「御祭神」「経津主大神」は、「平城京」に「春日大社」を建てる際に、迎えられており、そのため、「春日大社」に祀られる最も重要な「神様」は、「鹿島神宮」の「武甕槌大神」で、「春日大社」に招かれた「武甕槌大神」は、「鹿島」の「白い鹿」に乗って「奈良」まで飛んでいったとされています。
 現在、「奈良公園」にいる「鹿たち」ですが、「鹿島神宮」の「鹿」の「子孫」とされています。
 また「鹿島」という「地名」は、もともと「香島」と書いていたのが、養老7年(723年)頃から「鹿島」と書かれるようになったそうで、「鹿島神宮」で「鹿」が「神使」であることに由来しています。

 「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では、「場所」を移して「奥宮」とし、「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、「神秘的」な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「要石」ですが、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」と、「香取市」の「香取神宮」にある「地震」を鎮めているとされる「大部分」が「地中」に埋まった「霊石」です。
 「要石」は、「地上」に見えている「部分」は、ほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいます。
 「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた「鹿島神宮社叢」の「森」の中の小さな「祠(ホコラ)」にあり、「香取神宮」「要石」は、「香取神宮」「総門」の手前にあります。
 「要石」は「古伝」には、下記のように記されています。

 鹿島神宮の武甕槌大神、香取神宮の経津主大神の二柱の大神は天照大神の大命を受け、芦原の中つ国を平定し、常陸・下総付近に至った。
 しかし、この地方はなおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。
 これは地中に大きな鯰魚(ナマズ)が住みつき、荒れさわいでいるせいだと言われていた。
 大神たちは地中に深く石棒をさし込み、鯰魚の頭尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。
 (その石棒が要石と呼ばれる)
 鹿島神宮の要石は凹形、香取神宮の要石は凸形で地上に一部だけをあらわし、深さ幾十尺とされている。
 貞亨元年(1664年)三月、徳川光圀公が当宮に参拝の折、これを掘らせたが根元を見ることが出来なかったと伝わる。

 「鹿島神宮」の「要石」の「説明」には、「要石」は「大神」の「御座」、「磐座(イワクラ)」とも伝えられる「霊石」とも記され、「鹿島神宮」の「要石」は「大鯰」の「頭」、「香取神宮」の「要石」は「尾」を押さえているとか、「両社」の「石」は「地中」で繋がっているともいわれています。
 「要石」が知られるようになったのは、1855年(安政元年)10月の「安政大地震」後と言われており、「鹿島神宮」の「鯰絵(ナマズエ)」を使った「お札」が流行し、「江戸市民」の間で「要石」が知られるようになったそうです。
 また「地震」(安政大地震)が起こったのは「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」が神無月(カンナヅキ)(10月)で「出雲」へ出かけたからだという「説」も現れ、江戸時代には

 「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

 で締めくくる「呪い歌」を「紙」に書いて3回唱えて「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるという「風習」もあったそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」でこの地まで進み、潔斎をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に有名で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「歳旦祭」は、2016年(平成28年)1月1日(祝・金)に催行される「鹿島神宮」の「祭儀」です。
 「歳旦祭」ですが、「元旦」に、「宮中」および「全国」の「神社」で、「皇室」ならびに「国家繁栄」や、「五穀豊穣」を「皇祖」・「天神地祇」を祈願するそうです。

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」で開催される「年始」の「祭儀」「歳旦祭(サイタンサイ)」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「歳旦祭(サイタンサイ)」詳細

 開催日時 1月1日(祝・金) 6時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「常陸国一宮」である「鹿島神宮」は、「関東最古」の「神社」であり、「茨城県内」はもとより「県外」・「関東全域」・「日本全国」から「初詣」に訪れる「名所」です。
 「正月」の「鹿島神宮」では、「天下泰平」はもちろんのこと、「武道上達」、「必勝祈願」、「安産祈願」、「心願成就」、「商売繁盛」などを祈って賑わうそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2800 |
| 地域情報::鹿島 | 10:40 AM |

 
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