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「宗吾霊堂」「節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「宗吾霊堂」で2月3日(火)に開催されます「節分会」です。

 「宗吾霊堂」(2010年12月23日のブログ参照)こと「鳴鐘山東勝寺」は、「成田市」「宗吾」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」ですが、「鳴鐘山」となっています。
 「鳴鐘山東勝寺」ですが、「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られていることから「宗吾霊堂」、「宗吾様」と広く呼ばれており、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」として親しまれています。

 「鳴鐘山東勝寺」の「創建年代」等については「不詳」ですが、「鳴鐘山東勝寺」「寺伝」によりますと「桓武天皇」の「勅命」により、「征夷大将軍」「坂上田村麻呂」が「房総」を平定した際の「戦没者」のために「建立」・「創建」したといわれています。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、たびたび「火災」にあって「寺地」を転々とし、1662年(寛文2年)「澄祐」により再興され、「下方字鐘打」に移ったそうです。
 その後「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、1910年(明治43年)「火災」により焼失し、1921年(大正10年)「現在地」に再建されたそうです。

 上記のように「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」に祀られている「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「徳川4代将軍」「徳川家綱」の時代に「佐倉藩」の「領民」を救うため、「将軍」に直訴し、当時の「佐倉藩」の「苛政」を治められた「人物」です。
 当時の「佐倉藩」は、「苛政」は治められたものの、「義民」「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「直訴」したことの「咎」に問われ、「磔(はりつけ)刑」に処され、承応2年(1653年)8月3日に処刑されてしまいました。
 それから100年後、宝暦2年(1752年)、「佐倉藩」は、その「失政」を悔い、「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「名誉」を回復し、「宗吾道閑居士」の「法号」を諡号(しごう)し、以来「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は「宗吾様」と呼ばれるようになり、今では江戸時代の「義民」・「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)が祀られている「寺社」「宗吾霊堂」として、「全国」の「信者」が「参拝」に訪れています。

 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「伽藍」ですが、「大本堂」、「仁王門」、「薬師堂」、「聖天堂」、「鐘楼堂」、「宗吾霊宝殿」、「宗吾御一代記館」、「大本坊」、「旧客殿」などとなっています。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「大本堂」ですが、「真言宗」の「御本尊」「大日如来」ではなく「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られており、「薬師堂」には「御本尊」「薬師瑠璃光如来」、「聖天堂」には「坂上田村麻呂」の「持仏」と伝わる「大聖歓喜天像」が祀られています。
 また「宗吾御一代記館」では、「宗吾様」(佐倉惣五郎・佐倉宗吾・木内惣五郎)の「生涯」を、66体の「人形」を使った「立体パノラマ」で解説されています。
 また「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「玉垣」ですが、「演目」「佐倉義民伝」の「大入り」の「御札」から「歌舞伎役者」の「寄進」が盛んであったことが刻まれた「名前」からわかるそうです。

 「宗吾霊堂」「節分会」ですが、「吉例」に則り、「立春」の「前日」に開催しており、「年男」はもちろん、「女性」のみ(特別)の「豆まき」も執り行われているそうです。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」では、「大本堂」「行道縁」から「福豆」、「紅白餅」、「小銭」、「お菓子」などが、まかれるそうです。
 「宗吾霊堂」「節分会」の「開催時間」ですが、「年男」が11時からと、16時からの「2回」となっており、「特別年女」が14時からとなっています。
 ちなみに「豆まき」をされる「方」は、「裃(かみしも)」を着て、上記のように「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「大本堂」の「行道縁」から「豆まき」ができ、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」にて「裃」や「福枡」など用意されているそうです。
 (「豆まき」の「参加」は「有料」となります。)

 「宗吾霊堂」「節分会」の「修行料」、「取扱い」ですが、下記の通りとなっています。

 修行料

 年男   30000円

 特別年女 15000円

 取扱い

 年男   裃着用・御護摩札・御供物・福守り・福豆・福枡・祝膳

 特別年女 裃着用・御護摩札・御供物・福守・福豆・福枡

 *ご参加ご希望の方は、締切は1月28日ですが、なるべく早くお申し込み下さい。

 また「宗吾霊堂」「節分会」では、「向島鳶職組合」の「皆さん」による江戸時代より引き継がれている「伝統行事」「梯子乗り(はしごのり)」の「実演」(妙技)が「呼び物」になっており、11時と16時に披露されるそうです。
 「宗吾霊堂」「節分会」には、「厄落とし」のために「何十年」も続けて参加される「方」も数多く見受けられるそうです。

 「由緒」ある「成田の名刹」「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」で開催される「節分追儺式」「節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「宗吾霊堂」「節分会」詳細

 開催日時 2月3日(火) 11時〜、14時〜、16時〜

 開催会場 宗吾霊堂 成田市宗吾1558

 問合わせ 宗吾霊堂 0476-27-3132

 備考
 「成田」といえば「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)が「先」に思い浮かぶ方がいらっしゃると思いますが、「成田山新勝寺」は、「鳴鐘山東勝寺」よりも、新しい「寺」という「意味」で、この「名」(成田山新勝寺)がつけられているそうです。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「梵鐘(ぼんしょう)」(応長元年(1311年)在銘)ですが、「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2422 |
| 地域情報::成田 | 10:06 AM |
「鹿島神宮」「節分祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で2月3日(火)に開催されます「節分祭」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」とともに、「天孫降臨(てんそんこうりん)」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 上記のように「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(えぞ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「鹿島神宮」では、今年(2015年)も「節分の日」の2月3日(火)に「年男」・「年女」による「豆まき」が行われます。
 「鹿島神宮」「節分祭」ですが、「鹿島神宮」「本殿」前「特別舞台」で開催され、「1回目」は15時00分から、「2回目」は18時00分からの「2回」「豆まき」が催行されます。
 「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」ですが、「神事」・「追儺(ついな)」ののちに行われ、「追儺」では

 「射たりや射たり」

 と叫び、「鏑矢(かぶらや)」を打ち、「鬼」を払う「所作」をするそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、「鬼」を払った後の「鹿島神宮」「境内」には、「鬼」はいないとされ、「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」では、

 「福は内」

 とだけ「声」をかけるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、大きな「掛け声」と共に「神官」や「年男」・「年女」から「福豆」や「お菓子」がまかれると、「鹿島神宮」「境内」に集まった多くの「参拝客」は、「ご利益」をあやかろうと「手」を伸ばし、大きな「歓声」が上がるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」「2回目」の「豆まき」には「特別年男」として「有名人」の「参加」も予定されており、「豆」と「一緒」にまかれる「福分け」では「豪華」な「福」がいただけるそうです。
 なお今年(2015年)の「鹿島神宮」「節分祭」の「特別豆まきゲスト」ですが、「かしま大使」である「研ナオコ」さん、「相川七瀬」さん、そして「鹿島アントラーズ」「OB」の「本田泰人」さん、「熊谷浩二」さん、「長谷川祥之」さん、「剣聖」「塚原卜伝」(2011年11月29日のブログ参照)を「モデル」にした「塚原卜伝」「NHK大河ドラマ化推進キャラクター」「ぼくでん」くん、「鹿嶋市」「公認マスコットキャラクター」の「ナスカちゃん」が「登場予定」となっているそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で「盛大」に開催される「恒例」の「節分行事」「節分祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮」「節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(火) 15時〜、18時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」「節分祭」では、例年「サッカー」「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「選手」また「OB」の「皆さん」、「角界」や「芸能人」も「参加」され、賑わうそうです。
 ちなみに昨年(2014年)の「鹿島神宮」「節分祭」では、「歌手」の「相川七瀬」さん、「大相撲」の「錣山親方」(元「寺尾関」)、「豊真将関」、「サッカー」「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」「OB」の「奈良橋晃」さん、「奥野僚右」さん、「本田泰人」さんが参加されたそうです。
 なお「鹿島アントラーズ」の「現役選手」「不参加」ですが、「宮崎キャンプ」中のため、「OB」の「皆さん」のみの「参加」となったそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2419 |
| 地域情報::鹿島 | 10:06 AM |
「妙光山観福寺」「節分会」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「妙光山観福寺」で2月3日(日)に開催されます「節分会」です。

 「妙光山観福寺」(2011年5月30日のブログ参照)は、「香取市」「牧野」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「妙光山」です。
 「妙光山観福寺」の「御本尊」ですが、「平将門」の「守護仏」とされる「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」を祀っています。

 「妙光山観福寺」の「創建」ですが、「寺伝」によりますと、寛平2年(890年)、「尊海僧正」の「開基」といわれています。
 「妙光山観福寺」ですが、「千葉氏」の「祈願所」として「歴代武将」の厚い「信仰」を受け、中世以降「佐原」の「伊能家一族」の「帰依」を受けるようになり、江戸時代には「末寺五十三ヶ寺」をもつ「中本山」として、「寺領」三十石を有し、「幕府」から七年に一度の「年始独礼」の「拝謁」を許されたそうです。
 「妙光山観福寺」ですが、「由緒」正しさのゆえに、「僧侶」の「叙任」や「法衣」の「色」の「許可」を与える「権限」を持つ「院室兼帯」の「寺院」とされた一方で、「妙光山観福寺」での「修行」に入る前の「基礎的」な「教育」を施す「地方壇林所」として「学徒」の「教育」にあたり、更には「大師信仰」の「中心」となって「庶民」の「信仰」を集めたそうです。

 「妙光山観福寺」「境内」ですが、「山門」をくぐると「正面」には、「住職」の「御駕篭」を運ぶ「担ぎ手」が上り下りしやすいように、「一段」の「高さ」が低く「奥行き」が広くとられた「一歩半の石段」が緩やかに続き、「一歩半の石段」をのぼりきり、「木々」に覆われた、薄暗い「参道」を抜けると「弘法大師」の「像」が迎えてくれ、「妙光山観福寺」の「広大」な「境内」には、「本堂」、「大師堂」、「観音堂」、「不動堂」、「鐘楼」などあり、「妙光山観福寺」は、「堂々」とした「構え」となっており、「北総」の「名刹」として「風格」があるそうです。
 「妙光山観福寺」「境内」の「大師堂」ですが、「川崎」(川崎大師)、「西新井」(西新井大師)とともに「日本三大厄除大師」に数えられ、「大師堂」ですが、文政12年(1829年)「秀珍和尚」が建立、「弘法大師」を安置しています。
 「妙光山観福寺」「本堂」ですが、文化8年(1811年)、「鐘眞和尚」が建立したものだそうです。
 「観音堂」ですが、「妙光山観福寺」「御本尊」である「聖観世音菩薩」「像」が安置されており、元禄年間「春海和尚」が建立、「不動堂」には、「身丈」5尺、「総高」8尺の「不動明王」「像」を安置しており、文化15年(1818年)「快恵和尚」により再建されています。
 その他「妙光山観福寺」「境内」には、「鐘楼」、「毘沙門堂」、「位牌堂」、「毘沙門堂」が建ち、「鐘楼」は、文化8年(1811年)建立したもので、「毘沙門堂」があり、「位牌堂」は、文化年間に建立され、「毘沙門堂」ですが、平成7年(1995年)に「量賢和尚」が建立したそうです。

 「妙光山観福寺」の「寺宝」ですが、「釈迦如来」・「薬師如来」・「地蔵菩薩」・「十一面観世音菩薩」・「金銅製懸仏(かけぼとけ)」4体の「国指定重要文化財」が含まれ、「墓域」には「日本全国」を「測量」して歩き、「日本最初」の「実測日本地図」を作った「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「墓」もあるそうです。
 (「伊能忠敬」の「墓」には、「髪」と「爪」を納めているそうです。)
 「妙光山観福寺」には、古い「下総板碑」など、「歴史的」に「貴重」な「資料」が数多く残されているそうです。

 また「妙光山観福寺」ですが、「春」の「桜」、「夏」の「緑」(新緑)、「秋」の「紅葉」に代表される「四季」の「景観」の「美しさ」(趣)でも知られており、「四季折々」の「景観」を見に、多くの「参拝者」や「観光客」、「地元客」が訪れており、特に「妙光山観福寺」では、「枝垂れ桜」の「美しさ」で知られています。
 そのため、「妙光山観福寺」では、「ドラマ」や「映画」などの「撮影地」としても多く用いられており、2013年(平成25年)「NHK大河ドラマ」「八重の桜」では、「地元」の「方々」が「会津藩士役」「エキストラ」として参加するなか、「妙光山観福寺」「本堂」を「会津」の「黒谷本陣」に見立てて「撮影」が行われたそうです。

 「真言宗豊山派」に属し、「平将門」の「守護仏」である「聖観世音菩薩」を祀っている「北総の名刹」「妙光山観福寺」では、例年2月3日に「節分会」(節分追儺式)を催行しています。
 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)ですが、14時30分から40分ほど「法要」が行われ、その後「妙光山観福寺」「本堂」前の「特設舞台」で、「僧侶」による「和太鼓」「六大響」の「演奏」があり、続いて15時30分から「僧侶」や「年男」による「豆まき」が行われるそうです。

 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)の「見どころ」のひとつですが、「節分会」の「法要」で、十数人の「僧侶」による「600巻」の「大般若経」の「転読」と、「厄除弘法大師」の「護摩祈祷」だそうです。
 「転読」ですが、「経典」を「バラバラ」と広げながら、一斉に「お経」を唱えるというもので、滅多(めった)に見ることのできない「貴重」な「光景」なのだそうで、「迫力満点」の「転読」が繰り広げられるそうです。
 また「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)では、「僧侶」や「年男」による「豆まき」が行われ、「豆まき」では「福豆」や「福銭」が撒かれるほか、「景品」も当たるそうです。

 「日本三大厄除弘法大師」に数えられる「北総の名刹」「妙光山観福寺」で開催される「節分追儺式」「妙光山観福寺」「節分会」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「妙光山観福寺」「節分会」詳細

 開催日時 2月3日(火) 14時半〜

 開催会場 妙光山観福寺 香取市牧野1752

 問合わせ 妙光山観福寺 0478-52-2804
      香取市商工観光課 0478-50-1212

 備考
 「香取市」には、2つの「観福寺」があり、もうひとつの「観福寺」ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「山倉山観福寺」(2011年12月3日のブログ参照)で、「山倉の鮭まつり」(2011年12月4日のブログ参照)が行われることで知られています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2418 |
| 地域情報::香取 | 10:06 AM |
「満願寺」「節分会・追儺豆まき」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「満願寺」で2月3日(火)に開催されます「節分会・追儺豆まき」です。

 「満願寺」(2010年12月11日のブログ参照)は、「銚子市」「天王台」にある「真言宗」の「寺院」です。
 「満願寺」の「御本尊」ですが、「十一面観世音菩薩」で、「寺名」ですが、「補陀洛山満願寺」と呼ばれます。
 「満願寺」「御本尊」の「十一面観世音」ですが、「京都」の「仏師」「松久朋琳」・「宗琳」「作」で、「像高」一丈三尺(約4.3m)、「御州檜」に刻まれた美しい「尊像」で、昭和49年「弘法大師」ゆかりの「坂東二十七番」「飯沼山圓福寺」(2012年2月19日のブログ参照)「本尊」「写し」の「尊像」として「造顕」「奉安」されています。
 「満願寺」は、「徳道上人」が「創設」以来の「巡礼」の「歴史」と「伝統」を受け継いで開設されたそうです。

 「満願寺」の「歴史」ですが、1974年(昭和49年)4月の「満願寺建立発願」から始まり、1976年(昭和51年)12月に、「銚子市」「犬吠埼」(「小畑池」から「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)へ通じる「道路」沿いで、現在は「ホテル」の「駐車場」になっている場所)に「本尊仮奉安所」を建立したそうです。
 そして、1978年(昭和53年)4月に「天王台」の「現在地」を「建立地」に決定し、同年12月に「仮本堂」を建て、1981年(昭和56年)6月に「本堂」を建立しました。
 その後は、1982年(昭和57年)3月に「鎮守堂」、同年12月に「行堂」(薬師堂)、1983年(昭和58年)6月に「四国霊場本尊奉安満願堂」、同年10月に「百観音霊場本尊奉安満願堂」、1984年(昭和59年)12月に「中門」が完成して「第1期建立計画」が完了し、1985年(昭和60年)4月に「落慶法要(らっけいほうよう)」が行われました。
 続いて1987年(昭和62年)6月に「本堂」「奥殿」、1988年(昭和63年)12月に「鐘楼」・「交通安全祈祷殿」・「文殊堂」・「寺務所」、1990年(平成2年)11月に「大師堂」が完成して「第2期建立計画」が完了し、「開創十五周年慶讃大法会(きょうさんだいほうえ)」が行われました。
 更に1999年(平成11年)6月に「本堂」「向拝」・「開山大塔」の「完成」及び「諸仏」の「奉安」を行い、「第3期建立計画」が終了したそうです。
 同年6月からは「第3期建立計画」の「延長」として、2003年(平成15年)10月に「仁王門」が完成した他、「時期」は戻りますが、2002年(平成14年)6月に「駐車場」から「本堂」へ行く為の「介護用エレベーター」、同年12月に「烏枢沙摩(ウスサマ)明王堂」(トイレ施設)などが完成して「一連」の「計画」が終了し、2004年(平成16年)6月に「開創三十周年開山大祭大法会」が行われました。
 「第3期建立計画」で建立された「開山大塔」は、「満願寺」「本堂」「正面」から「直結」した「金色舞台造り」の「さざえ堂様式」の「建物」で、「塔内」「最上部」に「釈迦三尊(しゃかさんぞん)」、「地下」に「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」を「奉安」し、それをつなぐ「らせん状階段」には、「三十三変化観音像」と、「一千巻」の「写経文(しゃきょうもん)」を納めた「三百三十三勝縁寳筒(しょうえんほうとう)」が「奉安」されています。

 「満願寺」には、古くから「信仰」に支えられた「西国」・「坂東」・「秩父」「百観音霊場」や、「弘法大師」が開かれた「四国八十八ヶ所」を勧請し、その他「諸国霊場」を「満願成就」した「人々」の「浄財」で「吉報東端」、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)の切りたった「愛宕山」の「中腹」「岩肌」を「背」に、5000坪の「景勝地」の「境内」に「寺務所」(巡礼の会本部事務所)、「本堂」、「文殊堂」、「不動堂」、「行堂」(修養道場)(薬師堂)、「霊場本尊奉安満願堂」、「修行大師像」(木彫)「奉安」の「大師堂」、「鐘楼」、「鎮守堂」、「烏枢沙摩(ウスサマ)明王堂」、「開山大塔」、「諸国霊場」の「お砂踏場」があり、「中門」「左手」より「本堂」へ向かうと「観音巡礼」の「元祖」「徳道上人」と「閻魔大王」が「奉安」され、つづいて「四国八十八ヶ所本尊」(木彫「松久朋琳」・「宗琳」「作」・昭和49年造顕)が「奉安」されています。
 また「満願寺」「本堂」「向拝」には、「宝塔様式金色舞台造り」の「二層」の「さざえ堂」が建立され、「堂内」には「三百三十」の「勝縁宝筒」・「三十三観音像」が「安置」され、「本堂」の「天井」には「百観音本尊御影」・「三百三十」の「椿絵」があります。
 「満願寺」は、「開山」以来、「全国各地」の「霊場巡拝」の「巡礼」はもとより、多くの「全国」の「有縁」の「人々」が参拝しに訪れ、「願いがかなう観音様」として深く「信仰」されています。

 「満願寺」では、毎月18日の「縁日」は、「観音経」「読誦会」(11時から)が開かれ、「大護摩供」を厳修し、「修養道場」で、「季節」の「味」をいかした「一汁一菜」の「精進薬膳ガユ」の「接待」と、「一度」に60名入れる「大浴場」(「薬師堂」「地下」)で「薬湯」(無料)(9時から16時まで)に入ることができ、「近隣」はもとより「東京方面」からの「参拝者」で賑わうそうです。
 (「参加希望者」は「前日」までに「申し込み」が「必要」です。)

 「満願寺」ですが、「坂東二十七番」「圓福寺」の「奥ノ院」でもありますが、上記のように「坂東巡礼」をはじめ、「諸国霊場」を「巡拝満願」した「有縁」の「人」の「浄財喜捨」によって「開創建立」されたことから、これから「巡礼発願」する「人」から「満願成就」した「人」までの「サービスセンター」としての「役割」をはたすべく「巡礼」・「へんろ」に関する「全国」の「霊場」の「資料収集」をはじめ、「巡拝案内」から毎月「東京」を「中心」に「巡拝団」を募り、「百八十八霊場」はもとより「地方霊場」の「巡拝」「年十五回」以上、三十有余年間続けているそうです。

 「節分」は、「雑説」のひとつで、「各季節」の「始まり」の「日」(「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」)の「前日」のことで、「節分」とは「季節を分ける」ことをも意味しています。
 江戸時代以降は、特に「立春」(毎年2月4日ごろ)の「前日」を指す場合が多く、この場合、「節切月日」の「大晦日」にあたるそうです。

 「節分」の「概要」ですが、「季節」の「変わり目」には「邪気」(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための「悪霊ばらい行事」が執り行われています。
 「節分」の「行事」ですが、「宮中」での「年中行事」であり、「延喜式」では、「彩色」した「土」で作成した「牛」と「童子」の「人形」を「大内裏」の「各門」に飾っていました。
 「土牛童子」ともいわれ、「大寒」の「日」の「前夜」の「夜半」に立てられ、「立春」の「日」の「前夜」の「夜半」に撤去されました。
 「延喜式」によりますと、「土偶」(土人形の意)も「土牛」も、「各門」での「大きさ」は同じで、「土偶」は「高さ」2尺で、「方」1尺5寸・「厚さ」2寸の「板」を立てます。
 「土牛」は、「高さ」2尺・「長さ」3尺で、「長さ」3尺5寸・「広さ」1尺5寸・「厚さ」2寸の「板」を立てます。
 「陽明門」および「待賢門」には、「青色」のものを、「美福門」および「朱雀門」には、「赤色」のものを、「都芳門」、「皇嘉門」、「殷富門」および「達智門」には、「黄色」のものを、「藻壁門」および「談天門」には、「白色」のものを、「安嘉門」および「偉鑒門」には、「黒色」のものを、立てるそうです。
 「公事根源」十二月には、

 「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」

 とあります。
 これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれたそうです。

 「新日本紀」慶雲三年十二月の条によると706年にこの「追儺」が始まり(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」とあります)、室町時代に使用されていた「桃の枝」への「信仰」にかわって、炒った「豆」で「鬼」を追い払う「行事」となって行ったそうです。
 「臥雲日件録」(瑞渓周鳳)によりますと、1447年に「鬼外福内」を唱えたと記されています。
 近代、上記の「宮中行事」が「庶民」に採り入れられたころから、「節分」「当日」の「夕暮れ」、「柊」の「枝」に「鰯」の「頭」を刺したもの(柊鰯)を「戸口」に立てておいたり、「寺社」で「豆撒き」をしたりするようになったそうです。

 「節分会」ですが、「節分」の「際」に、「主」に「仏教寺院」で執り行われる「法会」のひとつです。
 「節分会」では、多くの場合、「法要」とともに「豆撒き」が行われるそうです。

 「節分会・追儺豆まき」ですが、「満願寺」で行われる「恒例行事」で、2月3日(火)に催されます。
 「節分会・追儺豆まき」ですが、13時00分から行われ、「満願寺」には多くの「参拝者」、「豆まき」に訪れた「観光客」で賑わうそうです。

 「巡礼の寺」「満願寺」で開催されます「節分」に執り行われる「法会」「節分会・追儺豆まき」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「満願寺」「節分会・追儺豆まき」詳細

 開催日時 2月3日(火) 13時〜

 開催会場 満願寺 銚子市天王台9822-1

 問合わせ 満願寺 0479-24-8416

 備考
 「満願寺」では、毎年6月18日に「開山大祭」が行われているそうです。
 また「満願寺」「境内」には、6000本の「椿」が植えられ、「椿寺」として12月末から3月まで「花」が楽しめるそうです。
 「満願寺」では今後、「中門」「左側」に「五百羅漢堂(ごひゃくらかんどう)」を「建立」する「予定」で、「計画」が進められているそうです。

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| 地域情報::銚子 | 10:49 AM |
「水神社永代大御神楽(すいじんじゃえいたいおおみかぐら)」(旭市)
 本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「水神社」で2月1日(日)に開催されます「水神社永代大御神楽(すいじんじゃえいたいおおみかぐら)」です。

 「水神社」ですが、1301年に創建された「旭市」「後草」に鎮座する「古社」で、「旧・海上町」「後草地区」では、古くから「村の鎮守」として深い「信仰」を集めてきた「神社」です。
 「水神社」の「鳥居」ですが、天和3年(1683年)建立の「銘」がある「鳥居」で、「石鳥居」としては「千葉県」でも古いとされる「鳥居」があります。
 しかし「水神社」「石鳥居」は、1971年(昭和46年)に「台風25号」のために倒れ、「貫」が折れてしまい、取り替えたそうです。
 また「水神社」の「鳥居の様式」ですが、「明神鳥居」となっており、「願主別当金蔵院住持長宝石工 六兵衛作之」の「銘」を読むことができます。

 「水神社永代大御神楽」ですが、「旭市」「後草地区」の「村の鎮守」として、深い「信仰」を集めてきた「水神社」で、毎年2月の「第1日曜日」に奉納されている「神楽」です。
 「水神社永代大御神楽」は、鎌倉時代から800年も続いており、「水神社永代大御神楽」の「内容」ですが、「豊年万作」を記念して「春先」に奉納した「岩戸神楽」の「系列」といわれる「内容」となっていますが、この「神楽」の「起源」は、実際には「不明」なのだそうです。
 (起源ですが、建久年間(1190〜1199年)に始まったという「説」もあります。)
 「水神社永代大御神楽」では、古式ゆかしい「衣装」に「身」を包んだ「優雅」な「舞」が披露され、いにしえの「情景」を「今」に色濃く伝えています。

 「水神社永代大御神楽」は「昔」、「旧暦」の2月8日の「村祈念」に行われていましたが、その後、「新暦」の2月1日に「日程」が変わり、現在「水神社永代大御神楽」は、上記のように2月の「第1日曜日」に実施されています。
 「水神社永代大御神楽」に参加されるのは、「神楽師」・「笛」・「大太鼓」・「小太鼓」を奏する「後草」の20歳前後の「青年たち」で、「奉納」に係わる「諸準備」を行う「神楽世話人」は、「壮年期」の「男性」が「2年交代」で奉仕しているそうです。
 「水神社永代大御神楽」では、「オドウ」(当屋)(当番制)と決まった「家」から「神社」に参進の上、「神楽殿」(神楽舞台)で演舞することになっています。
 「水神社永代大御神楽」の「特長」ですが、「オドウ」(当屋)と呼ばれる「当番制」が残っていることで、「後草地区」は、「字(あざ)後草区」(335戸)と「字(あざ)広原区」(約600戸)で構成され、1年交代で「オドウ」(当屋)を務めており、2010年(平成22年)の「オドウ」(当屋)ですが、「後草区」の「担当」であったそうです。

 「水神社永代大御神楽」の「内容」ですが、「記紀神話」に基づく「岩戸神楽」で、「手力男」が「具体的」に「岩戸」を開ける「所作」がないそうで、これは「千葉県」「北東部」の「下総神楽」の「特長」なのだそうです。
 「水神社永代大御神楽」の「内容」は、「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」の「」「乱暴」な「行状」に怒り、「天の岩戸」に隠れた「天照大神(あまてらすおおかみ)」の「神話」を演じるものとなっています。

 「水神社永代大御神楽」ですが、「次」の「十二座」から成り、下記の通りとなっています。

 1 猿田彦命(さるたひこのみこと) (天狗)

 2 天鈿女命(あまのうずめのみこと)

 3 三(参)宝荒神

 4 八幡大神

 5 天手力男命(あまのたぢからのみこと)

 6 榊葉

 7 稲荷保食命 (稲荷キリ)

 8 田神(田ノ神)・種播 (稲荷と狐)

 9 春日大神

 10 恵比寿大黒

 11 乙女の命 (乙女)

 12 素盞鳴尊(すさのおのみこと) (〆切)

 となっています。
 以前は、この後「湯神楽」(湯立て)が行われていたそうです。
 (現在、9「春日大神」は、40年以上演じていないそうです。)
 「水神社永代大御神楽」では、最後に「神楽」の「舞台」上から「客席」に「新粉餅」を投げる場面があり、これを食べると「無病息災」になるといわれています。

 「水神社永代大御神楽」は、「旧・海上町」「後草地区」にある「水神社」で奉納されている「伝統神楽」で、「後草地区」で行われていることから「うしろぐさ神楽」とも呼ばれています。
 「水神社永代大御神楽」の「舞」ですが、「地区」の「方」が「年代」によって「役割分担」をしており、「神楽師」・「笛」・「大太鼓」・「小太鼓」は、「地区」の20歳前後の「若者」が、その他、「準備」をする「神楽世話人」(40〜50歳くらいの男性)、「稚児(ちご)」(女子児童8人)も参加するそうです。

 「旧・海上町」「後草地区」の「鎮守」「水神社」で開催される「古式」ゆかしい「伝統神楽」「水神社永代大御神楽」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「水神社永代大御神楽」詳細

 開催日時 2月1日(日) 12時頃〜

 開催会場 水神社 旭市後草1923

 問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728

 備考
 「水神社永代大御神楽」に使われる「神楽面」ですが、16面だそうです。
 また「水神社永代大御神楽」ですが、「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」(昭和29年3月31日指定)に指定されています。

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| 地域情報::旭 | 10:22 AM |
「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で2月1日(日)に開催されます「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木」の「栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。

 「匝瑳市」の「北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市」の「南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦」な「地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。
 「匝瑳市」の「気候」は「海洋性」の「温暖」な「気候」で、「年間平均気温」は15度、「東京」周辺と比べると、「夏」涼しく「冬」暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」ですが、約4万2000人で、「匝瑳市」の「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから「決定」されたそうです。
 ちなみに現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、38756人となっており、「男性」19065人、「女性」19691人、「世帯数」14450世帯となっています。
 (平成26年12月31日現在)
 なお「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して「良好」なため、上記のように「温暖」な「気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の「主(おも)」だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の「歴史」が長い「いちご」などの「施設栽培」の「野菜」や「果物」、「ねぎ」などの「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県」「唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ゴボウ」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(わかしおぎゅう)」などが作られています。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の「数々」を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 そして「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、上記のように「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「キャプテン☆C」ですが、「千葉テレビ放送」が制作した「ご当地ヒーロー」です。
 「キャプテン☆C」の「コスチューム」ですが、「青」と「黄色」を「基調」とした「戦隊ヒーロー」を模したもので、「青」は「千葉の青い海」、「黄色」は「千葉を代表する植物のナノハナ」を表現しているそうです。
 「キャプテン☆C」の「C」ですが、「Chiba」の「C」だけではなく、「Challenge」、「Chance」、「Charge」、「Communication」の「意味」もあり、「サッカー」において、「リーダーシップ」があるという「意味」の「キャプテンシー」にもなぞられているそうです。
 「ヒーロー」といえば「かっこよさ」が「重要視」されますが、「キャプテン☆C」は「ゆるさ」も「特徴」のひとつであり、「独特」の「ゆるヒーロー」という「ヒーロー像」を作り上げています。

 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」ですが、「ふれあいパーク八日市場」で開催される「記念イベント」で、2月1日(日)10時00分から行われます。
 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」は、「ふれあいパーク八日市場」の「レジ通過者」が600万人を達成した「事」を「記念」して開催される「イベント」で、「ふれあいパーク八日市場」では、「ご来店」に「感謝」して、「イベント当日」「お買い物」をしていただいた「方」に「記念品」をプレゼントするそうです。
 また、「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」では、「千葉テレビ放送」にて「放映中」の「キャプテン☆C」が「ふれあいパーク八日市場」に訪れ、「キャプテン☆C」が「ふれあいパーク八日市場」を「舞台」に「大活躍」するそうです。
 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」の「キャプテン☆C」「登場時間」ですが、1回目は11時00分から、2回目は13時30分からの「1日」2回登場するそうです。
 また「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」では、「広場」にて「焼きそば」、「豚汁」、「焼きいも」の「販売」を実施し、「来場」の「お子様」には「ポップコーン」の「プレゼント」があるそうです。

 「匝瑳」の「人気スポット」で「都市と農村総合交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「記念イベント」「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」詳細

 開催日時 2月1日(日) 10時〜

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 営業時間 9時〜18時

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「レジ通過者600万人達成記念〜キャプテン☆Cがやってくる!〜」ですが、「雨天時」は「キャプテン☆C」の「握手会」のみ実施するそうです。





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| 地域情報::匝瑳 | 10:07 AM |
「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「千葉県道30号飯岡一宮線」で2月1日(日)に開催されます「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」です。

 「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏に位置している「市」で、「人口」は約7万人の「自治体」です。
 「旭市」の「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「旭市」の「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」と、なだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
 「旭市」ですが、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、2005年(平成17年)7月1日に「対等合併」し、新「旭市」として「スタート」しています。
 「旭市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。

 「旭市」は、「多彩」な「レジャー」が楽しめる「まち」として知られており、「旭市」では、「海水浴」、「サーフィン」、「パークゴルフ」、「キャンプ」、「釣り」などが楽しめます。
 「旭市」の「主」な「レジャースポット」は、下記の通りです。

 「海水浴・サーフィンスポット」

 矢指ヶ浦海水浴場(やさしがうらかいすいよくじょう)(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)

 飯岡海水浴場(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)

 「パークゴルフ」

 あさひパークゴルフ
 旭市中谷里8340番地53
 0479-62-8989

 「キャンプ」

 海上キャンプ場
 旭市岩井1000
 0479-55-5250

 「釣りスポット」

 長熊釣堀センター(2012年5月4日のブログ参照)
 旭市萬力3566-1
 0479-68-4602

 袋の溜池(袋東公園)
 旭市鎌数4013
 0479-62-7537(旭市観光協会)

 「海釣りスポット」

 飯岡漁港(2012年6月6日のブログ参照)の釣り船

 飯岡地先海岸部全域(投げ釣り)

 「旭市」の「平均気温」ですが、15℃と「温暖」な「気候」で、「旭市」では、「気候風土」を活かし、「産業」では、「施設園芸」、「畜産」、「稲作」、「露地野菜」など盛んに営まれている「農業」をはじめ、「水産業」、「商業」、「工業」など、「バランス」良く「成長」しています。
 現在、「旭市」は、「東総地域」の「中核都市」として、「今後」の「発展」が期待されており、「新・旭市」では「将来都市像」として

 「ひとが輝き みどりがつくる 健康都市「旭」」

 とし、その「イメージ」から「旭市」の「市章」が「デザイン」されており、「健康」で「元気はつらつ」と躍動する「旭市民」と、「未来」へと飛躍する「活力」ある「旭市」の「姿」を表しています。

 「千葉県道30号飯岡一宮線(ちばけんどう30ごういいおかいちのみやせん)」は、「千葉県」「旭市」「下永井」の「飯岡バイパス東」の「国道126号線」との「分岐」を「起点」とし、「長生郡」「一宮町」「東浪見」の「国道128号線」との「交点」を「終点」とする「全長」約60kmの「主要地方道」で、「九十九里浜」沿いの「道」であることから「九十九里ビーチライン」の「愛称」を持っています。
 「千葉県道30号飯岡一宮線」の「距離」ですが、58.9kmで、「千葉県道30号飯岡一宮線」の「通過」する「自治体」ですが、「旭市」、「匝瑳市」、「山武市」、「山武郡」「横芝光町」、「山武郡」「九十九里町」、「大網白里市」、「長生郡」「白子町」、「長生郡」「長生村」、「長生郡」「一宮町」となっています。

 「旭市飯岡しおさいマラソン大会」(2014年1月21日・2013年1月31日・2012年2月3日のブログ参照)は、「全国」より「マラソン愛好家」が参加する「新春・恒例」の「マラソン大会」です。
 「旭市飯岡しおさいマラソン大会」ですが、「いいおかユートピアセンター」を「スタート・ゴール地点」にし、「千葉県道30号飯岡一宮線」の「海岸沿い」と「旭市」「飯岡地区」を駆け抜ける「周遊コース」で行われています。
 (飯岡漁港〜井戸野浜)
 「旭市飯岡しおさいマラソン大会」の「コース」の「特徴」ですが、上記のように「旭市内」「海岸沿い」の「平坦」な「折り返しコース」となっており、「給水」は5ヵ所、「距離表示」は「1km毎」となっています。
 「旭市飯岡しおさいマラソン大会」は、「参加者」が「県内外」から数多く「参加」される「人気」の「マラソン大会」として知られており、「旭市」「飯岡」の「新春」の「風物詩」として「定着」している「マラソン大会」です。

 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」ですが、「震災」からの「復興」をめざし、多くの「旭市民」が支える「旭市最大」の「マラソンイベント」です。
 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」の「種目」ですが、「2km」、「3km」、「5km」、「10km」、「ハーフ」となっています。
 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」「参加資格」ですが、「2km」は「親子」、「旭市内親子」(子供は小学生3年生以下)、「3km」は、「男女別」(小学生)となっており、「5km」は、「中学生男子」、「男子(高校生)」、「男子(39歳以下)」、「男子(40歳以上)」、「女子(高校生)」、「女子(39歳以下)」、「女子(40歳以上)」となっており、「10km」は、「男子(高校生)」、「男子(39歳以下)」、「男子(40〜59歳)」、「男子(60歳以上)」、「女子(高校生)」、「女子(39歳以下)」、「女子(40歳以上)」となっており、「ハーフマラソン」は、「男子(高校生)」、「男子(39歳以下)」、「男子(40〜59歳)」、「男子(60
歳以上)」、「女子(高校生)」、「女子(39歳以下)」、「女子(40歳以上)」となっています。
 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」の「参加費」ですが、「2km」は、3500円/組(市内の親子は1000円/組)、「3km」は、1000円、「5km」は、3500円(中学生1000円)、「10km」は、3500円、「ハーフマラソン」は、3500円となっています。

 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」の「コース」ですが、上記のように「旭市内」の「海岸」に面した「平坦」な「自己記録」が狙える「コース」となっており、また、走りながら、「九十九里海岸」の「潮風」を「肌」で感じることができるそうです。
 また「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」は、「折り返しコース」のため、「左側走行」となっており、「給水所」はもちろん、「旭市産」の「いちご」(2011年12月14日・2010年12月10日のブログ参照)や「郷土芸能」の「披露」があったり、「ランナー」の「皆さん」をおもてなしするそうです。
 (「おしるこ」・「豚汁」等の「サービス」もあり)
 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」「開会式」ですが、2月1日(日)8時00分から開催されます。
 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」「種目別」「スタート」と「ゴール」は、下記の通りです。

 「ハーフの部」

 スタート地点 ライオンズ公園
 スタート時間 9時10分
 コール時間  開始8時50分 最終9時00分
 コール場所  ライオンズ公園南
 ゴール場所 萩園公園駐車場(メインゴール)

 「3kmの部」

 スタート地点 三川船曳場入口
 スタート時間 9時25分
 コール時間  開始9時00分〜 最終9時15分
 コール場所  武駒下駐車場
 ゴール場所 塗商前(サブゴール)

 「5kmの部」

 スタート地点 ライオンズ公園
 スタート時間 9時25分
 コール時間  開始9時10分〜 最終9時15分
 コール場所  ライオンズ公園南
 ゴール場所 萩園公園駐車場(メインゴール)

 「10kmの部」

 スタート地点 三川船曳場入口
 スタート時間 11時20分
 コール時間  開始10時55分〜 最終11時05分
 コール場所  武駒下駐車場
 ゴール場所 萩園公園駐車場(メインゴール)

 「2km親子の部」

 スタート地点 勘平衛前
 スタート時間 11時25分
 コール時間  開始10時55分〜 最終11時05分
 コール場所  武駒下駐車場
 ゴール場所 塗商前(サブゴール)

 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会〜勇気・元気・復興への道〜」の「制限時間」は、下記の通りです。

 「ハーフ」2時間30分
 「10km」1時間10分
 「5km」35分
 「3km」24分
 「2km」20分

 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」の「受付」ですが、「前日受付」と「当日受付」があります。
 「前日受付」(1月31日)ですが、13時00分から16時00分まで「いいおかユートピアセンター」「館内」で行います。
 (会場準備を行うため、車でお越しの際、いいおかユートピアセンター南側にある海岸駐車場を利用)
 「当日受付」ですが、7時30分からいいおかユートピアセンターで行い、「種目」により「受付終了時刻」が違い、「スタート」40分前までに「受付」となっています。
 (ナンバー通知ハガキを必ず持参)
 なお、「スタート時間」に間に合わなかった場合は、申し訳ありませんが、出場できませんので、「時間」に「余裕」を持ってお越し下さいとのことです。

 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」の「表彰」ですが、「1位」から「8位」まで「表彰」で、「表彰式」ですが、「各競技」「終了後」「随時」行います。
 また「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」では、「参加賞」として「大会オリジナルロゴ入りスポーツタオル」をお渡しし、「完走者全員」に「記録証」が、「当日」「配布」されます。

 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」の「注意事項」は、下記の通りです。

 1 事前に健康診断を受けて下さい。

 2 大会当日体調が思わしくないときは、勇気を持って競技を中止して下さい。

 3 スポーツ傷害保険は、主催者側で加入します。

 4 必ず保険証を持参して下さい。

 5 雨天も決行します。ただし、主催者側が危険を伴うと判断した場合は中止する場合があります。

 6 ゼッケンは主催者側で用意し、参加通知ハガキと当日引き換えます。

 7 競技規則は、日本陸上競技規則および主催者が別途定める本大会規定により運用します。

 8 手荷物預かり所(有料100円/袋)を設置します。
 なお、貴重品については各自の責任で管理して下さい。
 盗難、紛失物等は、責任を負いかねますのでご注意下さい。

 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」「当日」は、「交通規制」(完全通行止め)が実施、「コース」の「沿線」は「交通混雑」が予想されるので、「各・迂回路」の利用を呼びかけています。

 「九十九里浜」「最北端」の「千葉県道30号飯岡一宮線」で開催される「新春・恒例」の「ロードレース大会」「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」詳細

 開催日時 2月1日(日) 9時〜 (開会式8時〜)

 開催会場 千葉県道30号飯岡一宮線 いいおかユートピアセンター(スタート・ゴール地点、受付場所) 旭市横根1365-25

 問合わせ 旭市飯岡しおさいマラソン大会実行委員会事務局 0479-64-1132

 備考
 「第26回旭市飯岡しおさいマラソン大会Asahi City Iioka Shiosai Marathon〜勇気・元気・復興への道〜」ですが、「雨天決行」となっています。
 「前回大会」の「第25回旭市飯岡しおさいマラソン大会」「参加人数」ですが、4063人であったそうです。
 「前回参加人数」の「内訳」ですが、下記の通りとなっています。

 ハーフ  1590人
 10km  682人
 5km  473人
 3km  475人
 2km  422人

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2403 |
| 地域情報::旭 | 01:50 PM |
「さわら雛舟」「出演者募集」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」で2月13日(金)まで募集している「さわら雛舟」「出演者募集」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「佐原」の「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「佐原の市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか、「千葉県」の「県指定有形文化財」も「8軒」(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日の
ブログ参照)、、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「樋橋(とよはし)」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
 「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現「佐原駅方面」)の「田」に送るために「小野川」に架けられた、大きな「樋(とよ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られたそうです。
 なお「樋橋」ですが、1996年(平成8年)に、「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。

 「小野川」は、「香取市」を流れる「一級河川」で「利根川水系」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「支流」です。
 「利根川」の「支流」である「小野川」は、江戸期より「水運の集散地」として「佐原のまち」を発展させました。
 「小野川」は「農業用水」としても古くから利用され、「香取市」「牧野地先」に「堰」を造り、「樋橋」をかいして「市内」「関戸方面」や「本宿耕地方面」に「水」を引いていましたが、1951年(昭和26年)に「国鉄」(当時)「佐原駅」「北側」に「小野川」から「掘り込み式」の「佐原港」が完成しましたが、「船」の「需要」がなくなっていたため、1970年(昭和45年)に埋め立てられています。
 2004年(平成16年)には、「佐原」の「市街地」の「洪水」を解消するため「香取市」「牧野地先」から「本宿耕地地先」「利根川」まで流す「小野川放水路」が完成しています。

 「佐原まちぐるみ博物館」(2011年12月26日のブログ参照)ですが、平成10年(1998年)頃、「佐原」の「一軒」の「商家」から始まった「博物館」で、「道具類」や「お雛様」の「展示」がなされ、「伊能忠敬記念館」の「伊能家のお雛様」(2012年1月29日のブログ参照)の「展示」が行われるようになりました。
 その後、「伊能忠敬記念館」の「呼びかけ」で、「数軒」の「店」で「お雛様」の「展示」を行うようになり、平成16年(2004年)には「28軒」の「佐原まちぐるみ博物館」が誕生し、平成20年(2008年)には「佐原まちぐるみ博物館」は「42館」になっているそうです。

 「佐原まちぐるみ博物館」は、「各家」に残る、古い「道具箱」や「暮らしぶり」、「伝統」の「味」や「技」、「コレクション」等、「自慢の宝」を、それぞれの「家」で公開し、訪れた「方」に楽しんでいただき、「佐原のまち」を「まるごと」「博物館」にしてしまおうという「活動」なのだそうです。
 「佐原まちぐるみ博物館」では、「年間」を通した「常設展」のほかに、「お雛様」の「季節」に行われる「さわら雛めぐり」(2014年2月6日・2013年2月16日・2012年2月2日・2011年2月5日のブログ参照)、「五月」の「節句」に行われる「佐原五月人形めぐり」(2014年4月15日・2013年4月24日・2012年4月7日・2011年4月28日のブログ参照)、「お盆時期」に行われる「さわら・町並み・夕涼み」(2014年8月12日・2013年8月12日・2012年8月11日・2011年8月11日・2010年8月12日のブログ参照)、「お正月」に行われる「お正月飾り」の「企画展」「佐原・町並み・お正月」(2014年12月24日・2013年12月24日・2012年12月27日・2011年12月26
日・2010年12月26日のブログ参照)といった「企画展」も行っています。
 「佐原まちぐるみ博物館」は、「佐原」の「商家」の「おかみさん」たちによって、結成している「佐原おかみさん会」(2011年2月5日のブログ参照)により、運営されています。

 「佐原おかみさん会」ですが、「佐原」を「大切」に思っている「女性」の「集まり」で、「佐原」の「地元商店」の「おかみさん」が「中心」となって「活動」されている「団体」です。
 「佐原おかみさん会」の「メンバー」ですが、「佐原」以外の「他」の「地域」から「縁」があり、「佐原の商家」に嫁がれた「お嫁さん」や、「佐原生まれ」、「佐原育ち」の「女性」等で構成されており、「佐原のまち」の「良さ」を見直し、もっとたくさんの「人々」に「佐原のまち」を知ってもらおうと立ち上がりました。
 「佐原おかみさん会」ですが、今年(2015年・平成27年)で「11年目」を迎える「団体」で、ますます「佐原」のために、「元気」にがんばっている「まちづくり団体」です。

 「佐原おかみさん会」ですが、平成21年(2009年)3月には「佐原おかみさん会」が「企画・運営」されている「佐原まちぐるみ博物館」をはじめとする「活動」が評価され、「全国信用金庫協会」の「商店街ルネッサンス・コンテスト」で、「最優秀賞」を受賞されています。
 ちなみに「商店街ルネッサンス・コンテスト」では、「全国」から190あまりの「応募」の中から、「わかば部門」で「全国1位」であったそうで、「商店街ルネッサンス・コンテスト」は、「地元」の「信用金庫」の「応募」(推薦)によるものであったそうです。
 なお「香取市」では、「商店街ルネッサンス・コンテスト」で「佐原おかみさん会」・「佐原まちぐるみ博物館」が、「最優秀賞」を受賞したことを記念し、平成21年(2009年)7月25日に「佐原文化会館」を「会場」とした「記念フォーラム」が、「佐原商工会議所」が「主催」で開催されたそうです。
 また「佐原おかみさん会」は、平成23年(2011年)にも「活動」が「評価」され、「千葉県功労者」としても表彰されています。

 「佐原おかみさん会」は、2月7日(土)から3月29日(日)の「期間」、今年(2015年)で「10回目」となる「第10回さわら雛めぐり〜お雛様の舟遊び〜」を行うそうです。
 「第10回さわら雛めぐり〜お雛様の舟遊び〜」ですが、「佐原」の古い「商家」に伝わるどこか「憂い」を帯びた「お雛様」を「店先」・「店内」に飾り、「情緒」ある「佐原の町並み」をめぐりながら、それぞれ違った「お雛様」に会いに、「まちあるき」(まちめぐり)する「水郷の小江戸」「佐原のまち」ならではの「新春」「恒例」の「催し」となっています。

 「さわら雛舟」「出演者募集」ですが、「佐原おかみさん会」、「観光推進協議会」が「共催」で3月14日(土)・15日(日)に開催する「さわら雛舟(ひなぶね)」(2014年3月11日・2013年4月5日のブログ参照)に参加(乗船)する「お雛様(おはなさま)」、「お内裏様(おだりさま)」、「五人囃子(ごにんばやし)」、「官女(かんじょ)」、「稚児(ちご)」の「募集」です。
 一昨年(おととし・2013年)から始まって、今年(2015年)で「3回目」となる「さわら雛舟」ですが、「第10回さわら雛めぐり〜お雛様の舟遊び〜」の「メインイベント」として行われる「催し」で、「豪華絢爛(ごうかけんらん)」、平安時代の「雛装束(ひなしょうぞく)」の「雛人(ひなびと)」が、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「雅楽」の美しい「音色」とともに、「小野川」を「舟」で「水上パレード」(水上雛祭り)するという「風情」ある「催し」となっており、「水郷・佐原」でしか見ることが出来ない「雛まつりイベント」です。

 今年催行される「第3回さわら雛舟」ですが、上記のように3月14日(土)・15日(日)に行われ、「雛舟」は1日3回「運航」となっており、「雛舟」の「会場」ですが、「伊能忠敬旧宅」(2012年2月24日のブログ参照)前・「小野川」となっています。
 なお「第3回さわら雛舟」の「運行予定時刻」ですが、11時00分、13時30分、15時00分となっています。

 「香取市」で募集している「水郷・佐原」ならではの「水上雛祭り」「さわら雛舟」「出演者募集」。
 この機会に「さわら雛舟」に応募してみてはいかがでしょうか?

 「さわら雛舟」「出演者募集」詳細

 募集期間 2月13日(金)まで(必着)

 開催期日 3月14日(土)・15日(日)
 運行予定時刻 11時00分、13時30分、15時00分

 募集人数 お雛様(1名)、お内裏様(1名)、五人囃子(5名)、官女(8名)、「稚児」(19名)

 資格   18歳以上の男女(稚児は年少さんから小学3年生まで)

 開催内容 雛衣装を着て各役に扮して舟に乗り、小野川を巡ります。

 費用   自己負担(交通費、宿泊費など)

 申込  申込書を、〒287-0003 香取市佐原イ81-31 水郷佐原観光協会「雛舟参加者募集係」まで郵送、ファックスまたは持参

     申込書は水郷佐原観光協会で入手するか下記HP(ホームページ)からダウンロード

 水郷佐原観光協会HP http://www.suigo-sawara.ne.jp

 選考結果 2月19日(木)までに連絡

 問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675 (電話・ファックス)

 備考
 「第3回さわら雛舟」の「募集」「詳細」ですが、下記の通りです。

 お内裏様とお雛様 男女各1人

 五人囃子 男性5人 (40歳まで)

 官女 女性8人

 稚児 女性19人 (幼稚園・保育園児〜小学3年生)

 なお「第3回さわら雛舟」ですが、「応募者」「多数」の場合は「抽選」となるそうです。



| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2402 |
| 地域情報::香取 | 02:37 PM |
「伊能家のおひなさま佐原のおひなさま」「第80回国宝伊能忠敬関係資料の世界」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で1月27日(火)〜3月15日(日)の期間開催されます「伊能家のおひなさま佐原のおひなさま」、「第80回国宝伊能忠敬関係資料の世界」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「佐原」の「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「佐原の市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか、「千葉県」の「県指定有形文化財」も「8軒」(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年()1892年
「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日のブログ参照)、、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「功績」を讃(たた)え、その「功績」を余すところなく「紹介」している「記念館」です。
 以前、「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」の「敷地内」にありましたが、「記念館」「建設」から「相当」な「年月」が経ち、また、かつての「伊能忠敬記念館」の「展示面積」が「手狭」であったなどのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「伊能忠敬旧宅」の「小野川」を挟んだ「樋橋」を渡った「対岸」に新しく「伊能忠敬記念館」が設置されることとなり、「現在地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。

 「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」に17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居して、のちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで「計」10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬」の「人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
 「伊能忠敬記念館」では、「国宝」に指定された「測量器具」や「伊能図」の「数々」が展示され、「地球」1周分の「距離」を「測量」して歩いたという「伊能忠敬」の「業績」を偲ぶことができ、その「結晶」ともいえる「正確さ」と「芸術的な美しさ」を備えた「地図」や「伊能忠敬関連資料」などが展示された「伊能忠敬記念館」は、「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。

 「伊能家のおひなさま佐原のおひなさま」ですが、「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」で、1月27日(火)から3月15日(日)の「期間」行われるそうです。
 「伊能家のおひなさま佐原のおひなさま」の「開催」に際し、「伊能忠敬記念館」では、下記のように「企画展」を紹介されています。

 伊能家には、忠敬から数えて4代目当主の娘たちのお雛さま(明治時代作製)が伝わっています。
 今回、この雛人形とともに、市内の商家に伝わるお雛さまとして、京都出身の呉服商で江戸時代後期から明治・大正時代にかけて佐原随一の商家であった旧奈良屋の雛人形や商家道具も展示します。

 「第80回国宝伊能忠敬関係資料の世界」ですが、「伊能家のおひなさま佐原のおひなさま」と同じく「伊能忠敬記念館」で開催される「収蔵品展」で、1月27日(火)から3月15日(日)の「期間」行われるそうです。
 「第80回国宝伊能忠敬関係資料の世界」の「開催」に際し、「伊能忠敬記念館」では、下記のように「収蔵品展」を紹介されています。

 本収蔵品展では、地図・絵図類、文書・記録類、書状類、典籍類、器具類のそれぞれの部門から、代表となる資料の実物を展示し、国宝「伊能忠敬関係資料」の持つ奥深い世界を紹介していきます。

 「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「生涯」・「功績」を余すところなく紹介している「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」「伊能家のおひなさま佐原のおひなさま」、「収蔵品展」「第80回国宝伊能忠敬関係資料の世界」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「伊能家のおひなさま佐原のおひなさま」、「第80回国宝伊能忠敬関係資料の世界」詳細

 開催期間 1月27日(火)〜3月15日(日)

 開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1

 休館日  月曜日 (祝日の場合は開館)

 入館料  大人500円 小中学生250円

 問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118

 備考
 「伊能家のおひなさま佐原のおひなさま」「第80回国宝伊能忠敬関係資料の世界」の開催される「伊能忠敬記念館」のある「佐原の町並み」では、「佐原の春の風物詩」「第10回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」が開催されます。
 「第10回さわら雛めぐり〜お雛さまの舟遊び〜」ですが、2月7日(土)〜3月29日(日)の期間「佐原の町並み」、「佐原町並み交流館」、「地域の協力店」を「会場」開催され、期間中の3月14日(土)・15日(日)に「第3回さわら雛舟(ひなぶね)」(2014年3月11日・2013年4月5日のブログ参照)(1日3回運航)、「第3回小江戸さわら春祭り」(2014年3月9日・2013年4月5日のブログ参照)が開催されるそうです。





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| 地域情報::香取 | 10:13 AM |
「そば打ち体験教室」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で1月24日(土)に開催されます「そば打ち体験教室」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(おごそ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「そば」(蕎麦)は、「穀物」の「ソバの実」を「原料」とする「蕎麦粉」を用いて加工した、「日本」の「麺類」の「一種」、および、それを用いた「料理」です。
 今日(こんにち)、単に「蕎麦」と呼ぶ場合、「通常」は「蕎麦切り(そばきり)」を指し、「中華そば」などと「区別」して「日本蕎麦(にほんそば)」とも呼ばれます。

 「そば」の「歴史」は古く、「寿司」、「天ぷら」と並ぶ「代表的」な「日本料理」として知られており、この「蕎麦」の「調味」として作られる「つゆ」(蕎麦汁)は、「地域」によって「色」・「濃さ」・「味」などに明らかな「違い」があり、その「成分」も「各地」によって「好み」が分かれます。

 「蕎麦」を供する場合には「皿」(「竹簾」が敷かれている「専用」の「蕎麦皿」など)や「ざる」(ざるそば用)、「蕎麦蒸籠(そばせいろ)」などが用いられます。
 「蕎麦つゆ」を供する場合には「徳利(とっくり)」(蕎麦徳利)と「猪口(ちょこ)」(蕎麦猪口)が用いられていることが多く、また「汁」を張った「丼」に「蕎麦」をいれて供するものもあります。

 「蕎麦」は「専門店」のみならず、「外食チェーン」などの「メニュー」にも載っており、「小売店」などでも「麺」が「乾麺」または茹で「麺」の「状態」で販売され、「カップ麺」としても販売されています。

 「そば」の「材料」・「製法」ですが、「蕎麦粉」、「つなぎ」、「水」を用いて作られます。
 「そば」ですが、「つなぎ」を用いないこともあり、「風味」付きの「材料」を加えることもあります。
 「つなぎ」(結着剤)ですが、「一般的」には「小麦粉」が用いられ、「小麦粉」に対する「蕎麦粉」の「配合割合」によって「名称」が変わります。
 「他」に「つなぎ」として使用されるものは「鶏卵」(「卵切り蕎麦」と称する)、「長芋」・「山芋」、「布海苔」(「へぎそば」と称する)、「こんにゃく」や「オヤマボクチ」などがあり、それらを加えることで「独特」の「食感」や「コシ」が発生します。

 また、「風味付け」に加えられる「素材」によって、「胡麻切り蕎麦」(「黒ゴマ」を使用)、「海苔切り蕎麦」(「海苔」を使用)、「茶蕎麦」(「抹茶」を使用)などの「種類」があります。
 「店」によっては「モロヘイヤ」、「山椒」、「タケノコ」、「ふきのとう」、「アシタバ」、「大葉」、「柚子」、「若布」、「梅」などの「季節」の「植物」を練り込んで出すところもあります。

 「蕎麦」ですが、「人力」による「手打ち」、「製麺機」による「製造」にかかわらず、「通常」次の「工程」により作られます。

 ・「水回し」ないし「ミキシング」-蕎麦粉とつなぎを混ぜ、加水しながら撹拌し丸い蕎麦玉にする。手打ちの場合は「こね鉢」と呼ばれる木製の鉢を用いる。

 ・「木鉢(きはち)」ないし「プレス」-蕎麦玉を繰り返し押しつぶすことで練り、粘着性を高める。

 ・「延し」ないし「ロール」-生地が張りつかないよう打ち粉した上で、薄く圧延し、平たい長方形型にする。手打ちの場合は木製の麺台に載せ、「麺棒」と呼ばれる木の棒を用いて圧延する。

 ・「切り」ないし「カット」-圧延した生地を幅1-2mm程度の線状に切断して麺の形とする。手打ちの場合はまな板に載せ、何層かに折り畳んだ後、「小間板」(駒板)と呼ばれる定規を当てながら蕎麦切り包丁で切断する。

 以上により切り出された「蕎麦麺」を茹で上げれば「蕎麦」が完成します。
 通常、「蕎麦」はたっぷりの大きな「鍋」で湯がかれます。
 茹で上がった「麺」を取り出す場合には「金属製」あるいは「竹製」の「ザル状」になった「そば揚げ」が持ついられることも多いそうです。
 「蕎麦」を茹でた「湯」はごく薄い「粥」のようになり、これを「蕎麦湯(そばゆ)」というそうです。

 「そば」の「栄養」・「成分」ですが、「ビタミンB1」を「豊富」に含み、「脚気(かっけ)」(英・beriberi)などの「ビタミンB1欠乏症」の「予防」に「効果」があるそうです。
 江戸中期から「白米」による「江戸わずらい」(脚気)が流行し出し、その頃から「江戸」で「蕎麦」が流行しました。
 「蕎麦粉」(全層粉)の「段階」における「タンパク質含有量」は、「ダイズ」に比較すればそれほど多くはないものの、その「蛋白質」は1985年()の「FAO/WHO/UNU必須アミノ酸基準値」で「アミノ酸スコア」100点となっており、「穀物」として「バランス」のよい「アミノ酸組成」を有しています。
 ただし、「蕎麦粉」に「小麦粉」を混ぜて「麺」を作りますと、「リシン」が乏しい「小麦粉」の「アミノ酸組成」の「影響」を受けて「リシン」を「第一制限アミノ酸」として「蕎麦麺」の「アミノ酸スコア」は低下することになるそうです。
 「蕎麦」(蕎麦粉)に含まれる「特徴的」な「機能性成分」として「ルチン」があげられます。

 「そば打ち体験教室」ですが、「千葉県立東庄県民の森」で、1月24日(土)に開催される「体験教室」で、「体験時間」ですが、9時30分から12時00分までとなっています。
 「そば打ち体験教室」の「受付場所」ですが、「東庄県民の森管理事務所」にて「受付」となっており、「受付時間」9時00分からとなっています。
 「そば打ち体験教室」の「実施内容」ですが、「そば打ち」の「体験」と「試食」となっており、残った「そば」は「お持ち帰り」となるそうです。
 「そば打ち体験教室」の「参加費」ですが、お1人様(1回分)1500円(4人前程度)となっており、「そば打ち体験教室」の「定員」ですが、10人程度となっています。
 (「事前」に「電話予約」「申込」となっています(先着順))

 「緑」豊かな「環境」の「千葉県立東庄県民の森」で開催される「体験教室」「そば打ち体験教室」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「そば打ち体験教室」詳細

 開催期間 1月24日(土) 9時〜12時

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「そば打ち体験教室」に「参加」される際、「エプロン」、「三角巾」「タオル」と、「そば」を持ち帰る「袋」の「用意」を呼びかけています。

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| 地域情報::香取 | 01:37 PM |

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