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「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「妙光山観福寺」で、2月3日(金)に開催されます「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)です。

 「妙光山観福寺」(2011年5月30日のブログ参照)は、「香取市」「牧野」に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」ですが、「妙光山」です。
 「妙光山観福寺」の「御本尊」ですが、「平将門」の「守護仏」とされる「聖観世音菩薩(ショウカンゼオンボサツ)」を祀っています。

 上述のように、「妙光山観福寺」は、「真言宗豊山派」の「巨刹」で、「川崎大師」・「西新井大師」と並び、「日本厄除三大師」(関東厄除け三大師)のひとつに数えられる「北総」の「名刹」であり、「御本尊」に祀るのは「平将門」の「守護仏」である「聖観世音菩薩」で、寛平2年(890年)に「お堂」が建立されたことが「起こり」と伝えられています。
 「妙光山観福寺」は、古くは「千葉氏」の「祈願所」として「歴代武将」が厚く帰依(キエ)し、中世以降は「佐原」の「伊能家一族」の「帰依」を受けるようになったそうです。
 「妙光山観福寺」は、江戸時代には「末寺」五十三ヶ寺をもつ「中本山」として「寺領」三十石を有し、「幕府」から七年に一度の「年始独礼」の「拝謁」を許されたそうです。
 「妙光山観福寺」は、「由緒」正しさのゆえに、「僧侶」の「叙任」や、「法衣」の「色」の「許可」を与える「権限」を持つ「院室兼帯」の「寺院」とされた一方、「本山」での「修行」に入る前の「基礎的」な「教育」を施す「地方壇林所」として「学徒」の「教育」にあたり、更には「大師信仰」の中心となって「庶民」の「信仰」を集めたそうです。

 「妙光山観福寺」の「観福寺厄除弘法大師縁起」には、下記のように記されています。

 抑(ソモソモ)當山厄除弘法大師は大師自ら御彫刻遊ばされたる霊像にして日本厄除三大師の一と称し奉る。
 今其縁起を案ずるに人王五十二代嵯峨天皇の御宇(ギョウ)弘仁六年大師四十二歳の御厄年にあたらせられ親(ミズカ)ら御像三を彫刻して其一を禽獣草木の厄を除かんがために山城国大倉村大蔵寺に其一を一切魚鼈(ギョベツ)を救わんがために武州河原の平間寺に、其一つを庶民の災厄を除かんがために京都嵯峨の大覚寺に留め給う。
 茲に當山三十三世鏡覚(ケイガク)三等和尚嵯峨の院を訪へり。
 院の阿闍梨鏡覚和尚に告げて曰く我が法兄三等和尚東国庶人結縁の為に新四国霊場に開創せらされたと聞き我れ喜びに堪えず、乃ち心経殿安置の厄除弘法大師の御像を付属し且つ曰く之を以て新四国霊場の親大師として安置し奉るべしと、鏡覚和尚恵頓首して之を受け奉侍して郷に帰り山内の宝殿に安置し、奉れり。

 とあるそうです。
 「現住職」の「お話」では、「弘法大師」が自ら彫刻した三体の「御像」のうち「大蔵寺」の「霊像」は「西新井大師」に、「平間寺」の「霊像」はそのまま「平間寺」(川崎大師)に、そして「大覚寺」の「霊像」が「妙光山観福寺」に伝わっていることから、この「真言宗」の三つの「お寺」が「日本厄除三大師」あるいは「関東厄除け三大師」とされているとのことでした。
 なお、「関東厄除け三大師」に似た「関東の三大師」と呼ばれる「お寺」もありますが、こちらは「弘法大師」ではなく「厄除大師」とも呼ばれる「元三大師」(良源)を祀る「佐野厄除け大師」・「青柳大師」・「川越大師」の「天台宗」の「寺院」を指す場合が多く、「関東厄除け三大師」とは全く別のものなのだそうです。

 「妙光山観福寺」の「山門」をくぐると「正面」には、「住職」の「お駕籠」を運ぶ「担ぎ手」が上り下りしやすいように、一段の「高さ」が低く「奥行き」が広くとられた「一歩半の石段」が緩やかに続くそうです。
 「一歩半の石段」をのぼりきり、「木々」に覆われた薄暗い「参道」を抜けると「弘法大師」の「像」が迎えてくれ、「妙光山観福寺」「境内」には、「本堂」、「大師堂」、「観音堂」、「不動堂」、「位牌堂」、「鐘楼」、「毘沙門堂」が建っています。
 「妙光山観福寺」「本堂」ですが、文化8年(1811年)「鐘眞和尚」が再建したもので、「大師堂」ですが、文政12年(1829年)「秀珍和尚」が建立したもので、「大師堂」には「弘法大師」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「観音堂」ですが、元禄年間「春海和尚」が建立したもので、「妙光山観福寺」「御本尊」「聖観世音菩薩」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「不動堂」ですが、文化15年(1818年)「快恵和尚」が再建したもので、「身丈」5尺、「総丈」8尺の「不動明王像」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「位牌堂」ですが、文化年間建立したもので、「鐘楼」ですが、文化8年(1811年)建立したもので、「毘沙門堂」ですが、平成7年(1955年)「量賢和尚」が建立したものです。
 「妙光山観福寺」「境内」には、「春」は「枝垂れ桜」、「初夏」は「新緑」、「秋」は「紅葉」と、「四季」の「景観」の「美しさ」でも知られています。
 そのため、「妙光山観福寺」は、「ドラマ」や、「映画」等の「撮影地」としても多く用いられており、2013年(平成25年)「NHK大河ドラマ」「八重の桜」では、「地元」「佐原」の「方々」が「会津藩士役」「エキストラ」として参加するなか、「妙光山観福寺」「本堂」を「会津」の「黒谷本陣」に見立てて「撮影」が行われたそうです。

 「妙光山観福寺」「墓地」には「香取の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)や、「国文学者」の「伊能頴則」、「楫取魚彦」等の「墓」がある他、古い「下総板碑」等、「歴史的」に「貴重」な「資料」が数多く残されているそうです。
 (伊能忠敬の墓には、伊能忠敬の髪と、爪を納めているそうです。)
 「妙光山観福寺」「寺宝」ですが、「国指定重要文化財」に指定されている4点の「銅造懸仏(カケボトケ)」があるそうです。
 (元来、香取神宮の本地仏として安置されていたもの。)

 「釈迦如来坐像」 弘安5年(1282年)銘

 「十一面観音坐像」 弘安5年(1282年)銘

 「地蔵菩薩坐像」 延慶2年(1309年)銘

 「薬師如来坐像」

 いずれも、もとは「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)に付属して置かれた「金剛宝寺」(神宮寺)で「本地仏」として安置されてあったものですが、明治初年の「神仏分離」によって「香取神宮」の「手」から離れたものを、「佐原」の「篤志家」の「人々」の「手」によって寄進されたものだそうです。

 「妙光山観福寺」には、上記のように「鐘楼」があり、「妙光山観福寺」「梵鐘」は戦時中に供出して以来、そのままになっていたそうですが、昭和59年(1984年)「弘法大師千百五十年御遠忌」の「記念事業」として「堂」の「大改修」と、「梵鐘」の「新鋳」がなされ、同年「秋」に完成、昭和60年(1985年)3月に「落成式」が行われたそうです。
 この年から撞き始められた「除夜の鐘」に「四隣」から「善男善女」が押し寄せるなか、「観音堂」では「世の中」の「安寧」を願って「護摩」が焚かれるそうです。
 「妙光山観福寺」「境内」には「かがり火」がたかれ、「福汁粉」の「接待」を受けながら、「酷寒」の中で「新年」を迎えようとする「人々」で賑わうそうです。

 「香取市」には、2つの「観福寺」があり、もうひとつの「観福寺」ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「山倉山観福寺」(2011年12月3日のブログ参照)で、「山倉の鮭まつり」(2011年12月4日のブログ参照)が行われることで知られています。

 「真言宗豊山派」に属し、「平将門」の「守護仏」である「聖観世音菩薩」を祀る「北総の名刹」「妙光山観福寺」では、例年2月3日に「節分会」(節分追儺式)を催行しています。
 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)ですが、14時30分から40分程「法要」を行い、その後「妙光山観福寺」「本堂」前「特設舞台」で、「僧侶」による「和太鼓」「六大響」の「演奏」があり、続いて15時30分から「僧侶」や、「年男」による「豆まき」が行われます。

 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)の「見どころ」のひとつですが、「節分会」の「法要」で、十数人の「僧侶」による600巻の「大般若経」の「転読」と、「厄除弘法大師」の「護摩祈祷」だそうです。
 「転読」ですが、「経典」を「バラバラ」と広げながら、一斉に「お経」を唱えるもので、滅多(メッタ)に見ることのできない「貴重」な「光景」であり、「妙光山観福寺」では、「迫力満点」の「転読」が繰り広げられるそうです。
 また「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)では、「僧侶」や、「年男」による「豆まき」が行われ、「豆まき」では「福豆」や、「福銭」が撒かれる他、「景品」も当たるそうです。

 「真言宗豊山派」の「巨刹」で、「日本厄除三大師」「関東厄除け三大師」のひとつに数えれる「北総」の「名刹」「妙光山観福寺」で開催される「節分追儺式」「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)詳細

 開催日時 2月3日(金) 14時半〜

 開催会場 妙光山観福寺 香取市牧野1752

 問合わせ 妙光山観福寺 0478-52-2804
      香取市商工観光課 0478-50-1212

 備考
 「香取」の「春」の「年中行事」に「札打ち(フダウチ)」というものがあるそうです。
 これは、宝暦4年(1754年)に「妙光山観福寺」の「三等和尚」らの「発願」により始まると伝えられるもので、「香取市」「一円」の「寺院」を「四国八十八ヶ所」の「札所」に模して巡るそうです。
 今では「札打ち」の「やり方」は変わってきたそうですが、「大師信仰」は脈々と生きつづけ、「春」4月初旬、「各地」に「善男善女」の「お参り」の「姿」が見られるそうです。
 また「四国八十八ヶ所巡り」といえば、「妙光山観福寺」の「境内」には「新四国霊場」があるそうで、「山門」を入ってすぐ、「一歩半の石段」の「手前」左側に立つ「新四国霊場創開記念碑銘」の脇から「林」の中へと入っていく「石段」は、大正3年(1914年)に作られた、「石碑石仏」を巡る「四国八十八ヶ所」の「ミニチュア版」への「入り口」となっています。

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