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「芝山仁王尊」「節分会」(芝山町)
 本日ご案内するのは、近隣市「芝山町」「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」で2月3日(金)に開催されます「芝山仁王尊」「節分会」です。

 「芝山仁王尊」こと「天應山観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)ですが、「山武郡」「芝山町」に鎮座する「天台宗」の「寺院」で、「山号」は「天應山(天応山)」、「御本尊」は「十一面観世音菩薩」を祀っています。
 「天應山観音教寺」は、上述のように「比叡山延暦寺」を「御本山」とする「天台宗」の「寺院」で、「正式名称」を「天應山観音教寺福聚院」、「開山」から実に1200余年にもなる「県内有数」の「古刹」です。
 「天應山観音教寺福聚院」ですが、「上総国薬師如来霊場」「第28番」(結願)、「神上総国三十三観音霊場」「第33番」(結願)、「東国花の寺百ヶ寺」「千葉6番札所」としても知られています。

 「天應山観音教寺」の「由緒」ですが、奈良時代末期、人皇第四十九代「弘仁天皇」の宝亀11年(780年)の「正月」、「平城京」が「雷火」に襲われ、「皇室擁護」の「寺院」が多く焼失したため、「諸国」に命じて新たに「仏寺」を建てせしめたそうです。
 「天應山観音教寺」は、天応(天應)元年(781年)「勅命」により、「征東大使」「中納言 藤原継縄」公が、この「布令」の下に「当地」に「寺院」を建立し、「御本尊」として奉持して来た「十一面観世音菩薩」を奉安し、創建されたそうです。
 「天應山観音教寺」は、天長2年(825年)、後に「第3代天台座主」となった「慈覚大師」「円仁」により中興され、次第に「甍(イラカ)」の「数」を増やし、近隣に八十余字の「子院」を置くに至ったと伝えられています。
 その後「天應山観音教寺」は、中世「治承年間」に「千葉」の「豪族」である「千葉介平常胤」の「崇敬」を受け、許多の「仏田」が寄進され、永く「祈願所」として栄えましたが、「豊臣秀吉」の「小田原攻め」の「影響」を受け、「天應山観音教寺」も「全山灰土」と化したと伝えられています。
 やがて江戸時代に入り「天應山観音教寺」は、「徳川幕府」の「庇護」の下、「十万石」の「格式」を持つ「伴頭拝領寺」として、「関東天台」の「中核」となす「寺院」になったそうです。

 「天應山観音教寺」は、「火事泥棒除け」・「厄除け」の「仁王尊天」として、古来より「大江戸」の「庶民」の「信仰」を集めており、「いろは四十八組」の「町火消」が「纏(マトイ)」を「先頭」に競って参詣したと伝えられています。
 また「天應山観音教寺」については、下記のように伝えられています。

 「江戸の商家で芝山のお札を貼らない店(タナ)はない。」

 「天應山観音教寺」「芝山仁王尊」は「黒仁王」といわれ、「火事・泥棒除け」、「子育て」に霊験あらたかで、江戸時代には「成田」の「不動尊」「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)と共に、「江戸庶民」の「信仰」を集めたそうです。
 上述のように江戸時代から「火事・泥棒除けのにおうさん」として「庶民」に絶大な「人気」があったことが伺えます。
 現在でも「天應山観音教寺」には、有名な「新門辰五郎」の「旧・を組」の「記念碑」が、「天應山観音教寺」「境内」に建っており、その「信仰」が今日(コンニチ)まで連綿として伝えられていることが分かります。
 上記のことから「天應山観音教寺」は、「火事除け」・「泥棒除け」の「仁王尊」として知られることから、「天應山観音教寺」は「芝山仁王尊」とも呼ばれています。
 「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」「境内」には、鎌倉時代初期に作られた「厄除け」で「有名」な「御本尊」「十一面観世音菩薩」や、「千葉県」の「県指定有形文化財」(建造物)に指定されている「天應山観音教寺」「三重塔」(1955年(昭和30年)12月15日指定)などがあります。

 また「天應山観音教寺」「境内」には、「桜」、「つつじ」、「もみじ」、「椿(ツバキ)」、「菖蒲」など「多種類」の「植物」があり、「古木」に囲まれた広い「境内」は、「七堂釈迦藍」が「甍(イラカ)」を競い「名山」の「面影」を今に伝えています。
 「天應山観音教寺」では、「年中行事」として、「お取子大縁日」、「こどもの日のイベント」、「十七夜講(ジュウシチヤコウ)」が予定されています。

 「転読」ですが、「法会」において、「経」の「題名」と、「初」・「中」・「終」の「数行」だけを略読することです。
 (法会において、経の題名と初・中・終の数行を読み、経巻を繰って全体を読んだことにする読み方。)
 「転読」は、「大部」の「経典」、特に「大般若経」600巻について行われています。

 「大般若転読(ダイハンニャテンドク)」ですが、「仏事」の「法要名」で、「大般若経」600巻を「短時間」に読み上げる「法要」です。
 そのために、例えば30人の「職衆(シキシユウ)」に20巻ずつ分担させる等した上、「転読」という「速読法」を用います。
 「転読」ですが、「巻物」「仕立て」の「経」を転がしながら「目」を通すことから出た「言葉」ですが、「法要」には「折り本」を用い、「表裏」の「表紙」を「両方」の「手」で支え、「経巻」を「右」または「左」に傾けながら「本文」の「紙」をぱらぱらと「一方」へ落とすようにするそうです。
 そのとき、「経題」だけは毎巻「大声」で読み上げます。
 「大般若転読」ですが、この「転読」を中心とし、これに「導師」の「経釈」を加え、さらに「表白(ヒヨクビヤク)」、「神分(ジンブン)」等を前置して「法要」を構成するそうです。

 「星祭(ホシマツリ)」ですが、「旧暦」の「元旦」や、「立春」、「冬至」等に行われる「仏教」の「儀式」で、「天下国家」に起こる「各種」の「災害」や、「個人」の「災い」を除くものであり、「星供養(ホシクヨウ)」、「星供(ホシク)」、あるいは「北斗法」ともいわれています。

 「星祭」は、「仏教」の中で「後期」「大乗の教え」に属する「密教」において、「一字金輪仏頂」と呼ばれる「大日金輪」や、「釈迦金輪」を「主尊」とする「星曼茶羅」や、「七星如意輪観音」を「主尊」とする「七星如意輪曼荼羅」や、「妙見菩薩」を「主尊」とする「妙見曼荼羅」を「本尊」として、その年の主な「星曜」や、「各個人」の「当年星(トウネンジョウ)」と、「本命星(ホンミョウジョウ)」等を祀る「修法」と、「祭事」を「目的」とした「密教」の「祭儀」です。
 本来は「中国」の「道教」の「冬至」の「祭儀」であり、「インド」の「仏教」とは無関係でありましたが、「密教側」が「道教」から採り入れ、「仏教的」に脚色したものなのだそうです。

 「星曼陀羅」に代表される「密教占星術」では、「密教」の「修法」の「天文占星」を「二本の柱」として、「九曜星」の九つの「星」や、「北斗七星」の「七つの星」の内のひとつをその人の「生まれ星」として「大本星」と定め、「運命」を司る「星」と考えられています。

 また「星祭」では、一年毎に巡ってくる「運命」を左右する「星」を「当年属星」と呼んでいます。
 「星祭」ですが、これらの「星」を供養し、「個人」の「一年間」の「幸福」を祈り、「災い」を除くそうです。
 なお、「全国」の様々な「寺院」で「星祭」・「星供」の「行事」が行われています。

 「追儺(ツイナ)」とは、「大晦日」(旧暦12月30日)の「宮中」の「年中行事」であり、平安時代の初期頃から行われている「鬼払い」の「儀式」で、「鬼やらい」(鬼遣らい、鬼儺などとも表記)、「儺(ナ)やらい」とも呼ばれています。
 「追儺」の「儀式」は、「論語」の「郷党篇」にも「記述」があり、「中国」の「行事」が「ルーツ」であるそうで、「日本」においては「天皇」や、「親王」が行う「宮廷」の「年中行事」となったそうです。
 その後、「変遷」があり、現在の「節分」の元となったそうです。

 「追儺」の「儀式」の「概要」ですが、「方相氏(ホウソウシ)」と呼ばれる「鬼」を払う「役目」を負った「役人」(大舎人(オオトネリ))と、「方相氏」の「脇」に仕える「シンシ」と呼ばれる「役人」(特に役職は決まっていない)が20人で、「大内裏」の中を「掛け声」をかけつつ回りました。

 「方相氏」は「玄衣朱裳」の「袍(ホウ)」を着て、「金色」の「目」4つもった「面」をつけて、「右手」に「矛」、「左手」に大きな「楯」をもった。
 「方相氏」が「大内裏」を回るとき、「公卿」は「清涼殿」の「階(キザハシ)」から「弓矢」をもって「方相氏」に対して「援護」としての「弓」をひき、「殿上人(デンジョウビト)」らは「振り鼓」(でんでん太鼓)をふって「厄」を払いました。
 ところが9世紀中頃に入ると、「鬼」を追う「側」であった「方相氏」が逆に「鬼」として追われるようになったそうです。
 「古代史家」の「三宅和朗」はこの「変化」について、平安初期における「触穢信仰」の「高まり」が、「葬送儀礼」にも深く関わっていた「方相氏」に対する「忌避感」を強め、「穢れ」として追われる「側」に変化されたのではないかとしているそうです。

 「追儺」の「儀式」の「時」に行われる「除目」で、「春」の「県召(アガタメシ)」の「除目」や、「秋」の「司召(ツカサメシ)」の「除目」の際にもれた「人」を任官したそうで、「追儺」の「除目」ともいわれています。
 「追儺」は、「節分」の「ルーツ」ともされており、この「節分」においては、「鬼」を「豆」によって追い払い、「節分祭追儺神事」を行う「社寺」もあります。

 「芝山仁王尊」こと「天應山観音教寺」では、2月3日(金)に「芝山仁王尊」「節分会」を開催するそうです。
 「芝山仁王尊」「節分会」では、「大般若転読」・「除災招福護摩」・「星祭」を厳修するそうです。
 「大般若経」の「風」に当たるだけで「除災招福」の「功徳」を得られると古来より言われているそうです。
 「芝山仁王尊」「節分会」ですが、「法要」終了後、「天應山観音教寺」「三重塔」前「特別舞台」にて「鬼やらい」の「寸劇」と、「豆撒き」が行われるそうです。

 「火事泥棒除け」・「厄除け」の「芝山仁王尊」「天應山観音教寺」で開催される「大般若転読」・「除災招福護摩」・「星祭」を厳修する「節分会追儺式」「芝山仁王尊」「節分会」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「芝山仁王尊」「節分会」詳細

 開催日時 2月3日(金) 13時〜(豆まきは14時〜)

 開催会場 天應山観音教寺 山武郡芝山町298

 問合わせ 天應山観音教寺 0475-77-2225

 備考
 「芝山仁王尊」「節分会」には、毎年多くの「参加者」があり、「法要」の後、「周辺地域」の「名士たち」が「年男」・「年女」として「特設会場」に上がり、「豆まき」や、「景品」の「福まき」を行うそうです。

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