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「髭撫祭(ひげなでさい)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「側高神社」で1月11日(日)に開催されます「髭撫祭(ひげなでさい)」です。

 「側高神社」ですが、「香取市」「大倉」に鎮座する「神社」で、「社格」は「香取神宮摂社」、「郷社」で、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「下流域」には「そばたか」と「社名」を読む「神社」が多く分布していますが、「当社」「側高神社」は、それらの「本社」とされています。
 ちなみに「利根川」「下流域」の「そばたか」のつく「神社」ですが、「側高」、「側鷹」、「脇鷹」、「蘇羽鷹」、「素羽鷹」、「隣高」、「相馬高」、「祖波鷹」、「蕎高」など「漢字」で表記すると「様々」な「表記」となっています。
 「側高神社」の「創建」ですが、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)と同じ、「神武天皇18年」の「創建」と伝えられ、「側高神社」「御祭神」は「昔」から「神秘」とされており、明らかではないそうですが、現在は「一般名称」として、「側高大神」と称されています。
 「香取郡誌」では、「側高神社」の「御祭神」について、「主祭神」を「高皇産霊尊(たかむすびのみこと)」、「神皇産霊尊(かみむすびのみこと)」、「相殿神」を「天日鷲命(あめのひわしのかみ)」・「経津主命(ふつぬしのみこと)」・「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」・「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」・「姫御神(ひめみかみ)」とされており、これら「側高神社」「御祭神」の中に「忌部氏系」の「天日鷲命」が見られることと、「側高神社」の「成立」との「関係性」が指摘されており、また「経津主命」(「香取神宮」「御祭神」)の「后神」が「御祭神」であるという「説」もあるそうです。
 「側高神社」は、「香取神宮」「第一」の「摂社」であり、慶長・元禄と「江戸幕府」の「造営」があり、1908年(明治41年)に「大倉」「字石神代」の「落文神社(おとしぶみじんじゃ)」と「大倉」「字一夜山」の「一夜山神社(ひとよやまじんじゃ)」(「痘痩(ほうそう)除(よ)け」として「信仰」)が合祀されています。

 「側高神社」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)を見下ろす「台地」に建立されており、はるか昔は「香取ヶ浦」と呼ばれる「広大」な「内海」が「眼下」に広がっていたであろうと「想像」され、「側高神社」「境内」には、「樹齢」500年を超えるといわれる「夫婦杉」があり、さらに「太さ」7.4mもの「杉」の「ご神木」も「見事」に聳(そび)え立っているそうです。
 ちなみに「香取ヶ浦」とは、現在の「利根川」・「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)・「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)を含んだ「地域」の「通称」です。
 「側高神社」の「概史」ですが、「香取志」には、「側高神社」は、上記のように「香取神宮」の「第一摂社」とあり、古くより「香取神宮」との「関係」が深かったことがうかがわれます。
 寛元元年(1243年)の「文書」には「香取神宮」とともに「造替」があったことが見え、鎌倉時代には「社殿」は「一間」で「茅葺」、「作料官米」30石が「造営」に充てられた「旨」が見られるそうです。
 慶長12年(1607年)、元禄13年(1700年)の「江戸幕府」による「香取神宮」「修造」の際にも、同時に「側高神社」の「修造」が行われ、これらの「古文書」には「脇鷹」、「曽波鷹」という「表記」も見られるそうです。
 「側高神社」ですが、1916年(大正5年)「御大礼記念」として「社殿」を改造、1931年(昭和6年)には「国鉄成田線」(現「JR成田線」)「工事」のために「神井」を「現在地」の「鳥居」「脇」に移設、「県道」(現「国道356号線」)から「階段」(現在は「通行不可」)を新設されています。

 「側高神社」の「社伝」ですが、上記のように「香取神宮」の「創建」と同じく「神武天皇18年」の「創建」といわれています。
 また「側高神社」「社伝」には、下記のような「伝承」が残っています。

 昔、「側高神」が「香取神」の「命」により、「陸奥」(東北地方)の「馬」2000疋を捕えて、「霞ヶ浦」の「浮島」まで帰ってきたところ、「陸奥神」が「馬」を惜しんで追いかけてきました。
 そこで「側高神」は、「潮干珠」を用い「霞ヶ浦」を「干潟」にして「潮」を引かせ、「馬」を「下総」の「地」に渡らせ、次いで「馬」を渡し終えると、今度は「霞ヶ浦」を「潮満珠」で「潮」を満たし「満潮」にして、「陸奥神」を渡れなくしました。

 との「伝承」があり、この「伝承」から「側高神社」が、古代に担った「役割」が推察されます。
 また「側高神社」の「末社」「落文神社」には、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「神」が、「香取神宮」の「神」に「文」を出し、「使いの鹿」が「猟師」に狙われた時に「文」を落としてしまい、その「心労」のために死んでしまった「使いの鹿」を祀ったものとの「伝承」があります。

 「側高神社」の「文化財」ですが、「側高神社」「本殿」が、「千葉県」の「県指定有形文化財」(昭和57年(1982年)4月6日指定)に指定されています。
 「側高神社」「本殿」ですが、寛文5年(1665年)の「建立」の「一間社流造」の「独自」の「構造」を持つ「本殿」となっており、「彩色文様」や「彫刻」には、桃山時代の「建築様式」の「特色」が見られるそうです。
 「側高神社」は、上記のように「香取神宮」の「修造」との「関係」や「建築様式」から、慶長年間に「畿内」「出身」の「名工」に学んだ「工匠」の「手」と見られており、「側高神社」「本殿」は、「地方色」の強い「建築物」となっており、「貴重なもの」という「観点」から、上記のように「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されているようです。

 「髭撫祭」ですが、約800年前・鎌倉時代の建保2年(1214年)から続いている「側高神社」に伝わる「伝統行事」で、「香取神宮」「御祭神」「経津主大神」の「御神徳」を称え、「国土の平安」・「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念・祈願する「質朴勇壮」な「酒祭」です。
 「髭撫祭」は、「大倉村中」の「氏族別」に18組に分け、「18当番」の「各組」が毎年「相互」に「2組」ずつ「祭り当番」・「請当番」として「奉仕」する「しきたり」で、「祭り当番引き継ぎ」の「行事」として執り行われます。
 「髭撫祭」では、上述のように「氏子」の「間」で「祭り当番」を引き継ぐ「儀式」として、「西側」に座した「当番」が「東側」に座す「新当番」に「酒」を勧める際、「立派」な「髭」を撫(な)でることから「ひげなで祭」(髭撫祭)と呼ばれるようになったそうです。

 「髭撫祭」は、「1月第2日曜日」の「午後」に催行されている「地区」の「当番引き継ぎ行事」(「他地区」でいう「オビシャ」)で、はじめられた「当初」から、「弓」を射らず、「祭り当番」の「引き継ぎ式」(引渡し式)と、「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念・祈願する「杯事」のみを行います。
 「髭撫祭」「当日」、「側高神社」「神前」に「注連縄(しめなわ)」を張り、「鶴亀」遊ぶ「蓬莱山(ほうらいさん)」を飾り、「両当番」は「西」と「東」に分かれて「酒」を飲み合います。
 「髭撫祭」では、まず「神職」により、「祭り当番」の「引き継ぎ式」(「神祭」をする「当番」の「引き継ぎ式」)が行われ、「七引き合いの杯事」が行われます。
 「七引き合いの杯事」ですが、「年番」のみが「髭」をつけており、「紋付羽織袴(もんつきはおりはかま)」という「古式」の「礼装」に「威儀」を正し、「荒筵(あらむしろ)」の上に「箸座」し、「二人」ずつ「交互」に出て「七引き合いの杯事」を行い、「初献」より「七献目」(満献)まで、「一杯」・「三」・「五」・「七」・「七」・「五」・「一杯」と定められています。
 この「定められた杯」を飲み干したのち、「請年番」は断れない「しきたり」になっており、これが「ひげなでまつり」(髭撫祭)といわれる「所以(ゆえん)」となっています。
 上述のように「七引き合いの杯事」では、「紋付羽織袴」を着た「新旧当番地区」の「人」が「互い」に向き合って座り、「髭(ひげ)」を撫(な)でたら、大きな「椀(わん)」で「お酒」を飲み合い、「髭」を撫でられた「新当番」は「大椀」で「何杯」でも応じなければならない「作法」により「酒」を飲み干し、「紋付羽織袴」で「大仰」に「カイゼル髭」を撫でる「姿」が「笑い」を誘うなんとも「ユーモラス」な「行事」となっています。
 「髭撫祭」「七引き合いの杯事」では、「見事」に飲み干す度(たび)に「勇者」を褒めはやす「閧(とき)の声」が「新年早々」の「側高山」に沸き上がり、今なお「昔」ながらの「手振り」床しく、「五穀豊穣」、「子孫繁栄」を祈念して引き継がれており、「貴重」な「伝統文化」として、「髭撫祭」は、昭和52年(1977年)に「香取市」の「市指定無形民俗文化財」(昭和52年6月1日制定)に指定されており、「千葉県」の「房総の魅力500選」にも選定されています。

 「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神」と「縁故」の深い「神」を祀るとされる「神社」「側高神社」で開催される「伝統行事」「髭撫祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「髭撫祭」詳細

 開催日時 1月11日(日) 13時半頃〜

 開催会場 側高神社 香取市大倉5

 問合わせ 側高神社 0478-57-1545

 備考
 「髭撫祭」「当日」は、「会場」である「側高神社」「境内」にて「甘酒」など振る舞われるので、「寒さ」を忘れて「髭撫祭」を楽しめるそうです。
 「髭撫祭」の催行される「側高神社」には、「四箇の甕」と呼ばれる4つの「甕」があります。
 「四箇の甕」ですが、「側高神社」の「鳥居」をくぐって「拝殿」へと向かう「石段」の「脇」にあり、「春の甕」、「夏の甕」、「秋の甕」、「冬の甕」と呼ばれる「4つの甕」で、「四箇の甕」は、それぞれの「甕」の中の「雨水量」(水量)が「その年」(四季折々)の「降水量」を占う(示す)と伝えられています。

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