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| お知らせ | 05:18 PM |
「香取神宮」「節分追儺式」「節分祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で2月3日(金)に開催されます「節分追儺式」「節分祭」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社(カンペイタイシャ)」(官弊大社)で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「茨城県」「鹿嶋市」「宮中」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」「息栖」に鎮座する「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」等があります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「本殿」ですが、目にもあざやかな「朱塗り」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうで、「香取神宮」「楼門」ですが、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「徳川光圀」公の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年といわれる「周囲」約10mの「巨杉」です。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」等が数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」の「皆さん」が訪れ、賑わうそうです。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」等を祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮古神宝類(カトリジングウコシンポウルイ)」ですが、古くから「式の神」として崇められてきた「香取神宮」の「御祭神」の「御料」として、「香取神宮」には、数多くの「神宝類」が伝えられています。
 上記のように「香取神宮」には、「海獣葡萄鏡」を含む、奈良時代から江戸時代にわたる「三十九面」の「銅鏡」とはじめ、「神代盾」と称される「盾形鉄製品」、天文十七年(1548年)「在銘」の「鉄釜」・「金銅扇形御正体」・「金銅扇」・「銅製供器類」・「大刀」(銘利恒)・元和四年(1618年)「在銘」の「行器」・寛正七年(1446年)「在銘」の「鏡筥」・「黒漆菊文様蒔絵手筥」・「潤漆手筥」・「黒漆手筥」・「螺鈿蒔絵藤文小筥」・「螺鈿蒔絵絵文櫛」・「櫛」・「狂言面」・「伝亀山上皇宸筆」の「木製神号額」・「香取古文書」・「旧源太祝家文書」等があります。
 これらの「古神宝類」ですが、「美術工芸品」として優れているばかりではなく、「学術的価値」という「点」からも大変「貴重」だそうです。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として、また「信仰の場」として大切に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを超える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」等の「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や、「古井戸」は往時の「景観」を偲(シノ)ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の位置する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」にあたり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって、徐々に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「侵食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と、「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の周辺には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。

 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」等の「常緑広葉樹」が多く見られ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」等の「シダ類」をはじめとして、「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」等の「草木類」が数多く自生しています。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」の「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」は、上記のように「明治」の「制」で、「官弊大社(カンペイタイシャ)」に列格している「神社」で、「例祭」(2016年4月13日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)が4月14日に、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」「総出」で催される「神幸祭」(2016年4月14日・2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」毎に催されている「式年大祭」の「神幸」は、盛大に催行され、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(クブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移して「船上祭」が執り行われています。
 他にも「香取神宮」では、4月第1週「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2016年3月28日・2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)、一般に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「香取神宮」「拝殿」「前庭」にて「耕田式」、「日曜日」に「田植式」が執り行われ、多くの「早乙女(サオトメ)」達の「手」で「祭儀」が執り行われています。
 また「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」(2015年11月29日のブログ参照)、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(2015年12月4日のブログ参照)、「団碁祭(ダンキサイ)」といった「特殊神事」が多く執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。

 「香取神宮」では、毎年2月3日に「古式」に則(ノット)り「節分祭」、「節分追儺式(セツブンツイナシキ)」が執り行われています。
 本年(2017年)も「香取神宮」では、「立春」「大吉」を迎えるにあたり、「厄」をお祓いするために、2月3日(金)に「香取神宮」「本殿」にて、「節分祭」・「節分追儺式」を斎行するそうです。
 「節分追儺式」ですが、明治時代の初期から伝わる「香取神宮」「独特」の「厄払い」の「行事」で、「節分追儺式」では、「御祓い(オハライ)」、「祝詞奏上(ノリトソウジョウ)」の後、「剣」を手に舞う「神人追儺の儀(シンジンツイナノギ)」が行われ、「香取神宮」「本殿」で「鬼」が嫌うとされる「弓の弦」を打ち鳴らす「鳴弦の儀(メイゲンノギ)」が執り行われ、そして「音」に驚いた「赤鬼」、「青鬼」が飛び出してくると「福娘」に扮した2人の「巫女(ミコ)」が

 「鬼は外」

 と「豆」をぶつけ、「香取神宮」「拝殿」の外へ追い出す「福娘追儺の儀」が行われます。

 「節分追儺式」の「儀式」が終わると、「香取神宮」「節分祭」が斎行されるそうです。
 「香取神宮」「節分祭」では、「香取神宮」「拝殿」の「廊下」に、「大相撲」「力士」や、「福男」、「福女」らが登場し、待ち構える「参拝客」の「皆さん」に、「福男」・「福女」約100名が「鬼は外!」と「かけ声」で、「豆まき行事」を執り行い、「福豆」・「福銭」等がまかれるそうです。

 明治以前に「神宮」の「称号」が与えられていた「由緒」ある「わが国」「屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「新春・恒例」の「人気行事」「節分追儺式」、「節分祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「香取神宮」「節分追儺式」「節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(金)

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「節分追儺式」「節分祭」「当日」は、「香取神宮」は大変込み合うので、「豆まき」の際は、押し合わないように呼びかけており、また「現場」の「警察官」の「指示」に従って下さいとのことです。
 「節分追儺式」「節分祭」が行われる「香取神宮」では、「境内」や、「旧参道」の「梅の花」がほころび始めるそうで、あちらこちらで、小さな「春」の「足跡」が見つけられるそうです。

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| 地域情報::香取 | 01:56 PM |
「鹿島神宮」「節分祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で2月3日(金)に開催されます「鹿島神宮」「節分祭」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「鹿島神宮」では、今年(2017年)も「節分の日」の2月3日(金)に「年男」・「年女」による「豆まき」が行われます。
 「鹿島神宮」「節分祭」ですが、「鹿島神宮」「本殿」前「特別舞台」で開催され、1回目は15時00分から、2回目は18時00分からの2回「豆まき」が催行されるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」は、「日頃」の「御加護」を「神様」に感謝申し上げ、「災厄」を「積極果敢」に祓い、「強運」や、「福」を招く「繁栄有徳」のめでたい「伝統」の「神事」となっています。
 「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」ですが、「神事」・「追儺(ツイナ)」ののちに行われ、「追儺」では

 「射たりや射たり」

 と叫び、「鏑矢(カブラヤ)」を打ち、「鬼」を払う「所作」をするそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、「鬼」を払った後の「鹿島神宮」「境内」には、「鬼」はいないとされ、「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」では、

 「福は内」

 とだけ「声」をかけるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、大きな「掛け声」と共に「神官」や、「年男」・「年女」から「福豆」や、「お菓子」がまかれると、「鹿島神宮」「境内」に集まった多くの「参拝客」は、「ご利益」をあやかろうと手を伸ばし、大きな「歓声」が上がるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」2回目の「豆まき」には「特別年男」として「有名人」の「参加」も予定されており、「豆」と一緒にまかれる「福分け」では、「豪華」な「福」(景品)がいただけるそうです。
 なお今年(2017年)の「鹿島神宮」「節分祭」の「特別豆まきゲスト」ですが、「かしま大使」である「タレント」の「研ナオコ」さん、「研ナオコ」さんの「息子」「倹太」さん、「研ナオコ」さんの「娘」「ひとみ」さん、「ケンズファミリー」「所属タレント」で「物まね芸人」の「丸山おさむ」さん、「かしま大使」である「相川七瀬」さんが「参加予定」となっているそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で「盛大」に開催される「恒例」の「節分行事」「節分祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮」「節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(金) 15時〜、18時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」「節分祭」「特別豆まき」には、過去には「サッカー」「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「OB」の「皆さん」の「参加」や、「角界」(大相撲力士)から参加される「方」もいらっしゃったそうです。
 なお、「鹿島アントラーズ」の「現役選手」ですが、「シーズン」前の「トレーニングキャンプ」の為に参加できないそうで、そのために「鹿島アントラーズ」「OB」が参加することが多くなったそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 01:56 PM |
「平成29年成田山新勝寺節分会」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で2月3日(金)に開催されます「平成29年成田山新勝寺節分会」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」に鎮座する「真言宗智山派」の「寺院」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、「弘法大師」「空海」が敬刻開眼した「不動明王」の「御尊像」を「御本尊」として開山された「不動尊信仰」の「総府」です。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を代表する「観光地」でもあり、正月3が日には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、古来より、「お不動さま」の「御霊験」・「御利益」は数限りなく、「数多」の「信仰」を集め、「成田山新勝寺」は、今日(コンニチ)では毎年1000万人を超える「参詣者」を迎える「関東地方」「有数」の「著名寺院」です。
 「全国」「有数」の「広大」な「敷地」を誇る「成田山新勝寺」「境内」には、「車」の「祈祷」をする「交通安全祈願殿」、「自然」豊かな「公園」、「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)や、「成田山仏教図書館」等多くの「施設」を有しています。
 「成田山新勝寺」ですが、「家内安全」、「交通安全」等を祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。
 ちなみに「真言宗智山派」の「総本山」ですが、「智積院」(京都府京都市東山区東山七条)であり、「大本山」ですが、「成田山新勝寺」と、「川崎大師平間寺」(神奈川県川崎市川崎区)、「高尾山薬王院」(東京都八王子市高尾町)となっています。
 なお、「全国各地」の「不動尊信仰」を支える「成田山」ですが、「全国」に71ヵ寺の「別院」・「分院」・「末寺」・「末教会」・「成田山教会」があるそうです。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この霊験あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、皆様の「祈り」が一体となり「清浄な願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、開山1080年を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの人びとの「信仰」を集めています。

 「成田山新勝寺」は、平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として荘厳な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来毎日欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、急な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の途中に「仁王門」、「石段」を上った先に正面に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の背後の一段高くなった地には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「成田山表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山新勝寺節分会」(2016年2月1日・2015年2月1日・2014年1月26日・2013年1月25日・2012年1月30日・2011年1月31日のブログ参照)ですが、毎年2月3日に催行されている「成田山新勝寺」「恒例」の「人気行事」です。
 「成田山新勝寺節分会」には、毎年「正月」の「初詣」に匹敵する「参拝客」で賑わい、「場所取り」をする「人」が出る程の「人気」がある「節分会」として知られています。
 「成田山新勝寺節分会」では、「福は内!」のみ唱え、「鬼は外!」とは唱えないそうです。
 これは、昔からの「習わし(ナラワシ)」で、「成田山新勝寺」「御本尊」「不動明王」の前では、「鬼」でさえもその大慈悲心により心を入れかえてしまうからと伝えられており、唱えないのだそうです。
 また、「成田山新勝寺節分会」は、「天禍為福」・「五穀豊穣」を願って、毎年「立春」の「前日」に執り行われています。

 「平成29年成田山新勝寺節分会」ですが、今年(2017年)は、「国家安穏・万民豊楽・五穀豊穣・天禍為福」に加え、「東日本大震災被災地復興」への「祈り」を込め、「恒例」の「特別追儺豆まき式」が厳(オゴソ)かにも「盛大」に執り行われます。

 「震災に勝つ!福は内!」

 と「平成29年成田山新勝寺節分会」は、「復興」への「祈り」を込めた「大発声」が「成田山新勝寺」「境内」に響き渡ります。
 「平成29年成田山新勝寺節分会」には、「戸羽太」「陸前高田市」「市長」をお迎えする予定で、「特別参加年男」の「皆さん」と、共に「東日本大震災」「早期復興」を祈願するそうです。
 また「成田山新勝寺節分会」では、「成田山開運豆まき」と、「特別追儺豆まき式」を行う予定になっており、「大相撲力士」の「皆さん」や、「NHK」「大河ドラマ」の「出演者」が「豆」を撒(マ)くことで知られているのは、「特別追儺豆まき式」で、今年も下記の「方々」が「第1回目」と、「第2回目」に参加する予定となっています。

 平成29年成田山新勝寺節分会 特別追儺豆まき式 スケジュール

 1回目 11時00分〜

 2回目 13時30分〜

 3回目 16時00分〜

 大相撲力士 (予定)

 横綱 白鵬

 横綱 稀勢の海

 前頭 御嶽海

 前頭 遠藤

 前頭 隠岐の海

 NHK大河ドラマ 「おんな城主 直虎」 出演者 (予定)

 井伊直平 役 前田吟さん

 新野左馬助 役 刈谷俊介さん

 瀬名 役 菜々緒さん

 なつ 役 山口紗弥加さん

 あやめ 役 光浦靖子さん

 上記の方々は、1、2回目のみの「参加」となります。

 また「平成29年成田山新勝寺節分会」当日は、「剣守(ケンマモリ)」(剣札)が1回につき365体、「大豆」が3回で860kg、「殻付落花生」が3回で400kg撒かれるそうです。
 「大豆」(860kg)と、「殻付落花生」(400kg)ですが、3回分の「合計」となっており、「剣守」(剣札)ですが、1回につき今年1年分の「日数分」である365体を撒くそうです。
 「平成29年成田山開運豆まき」ですが、「成田山新勝寺」「大本堂」の「内陣」でのみ行われる「特別」な「行事」で、「御護摩祈祷」ののち、「御本尊」「不動明王」の「御宝前」で、「豆まき」を執り行うそうです。
 「平成29年成田山新勝寺節分会」「詳細」は、下記の通りです。

 開催期日 2月3日(水)

 開催時間 9時30分〜、12時30分〜、15時00分〜

 開催会場 成田山新勝寺大本堂内 (御護摩祈祷にて)

 参加料  1名 10000円 (記念品付)
 (年齢、性別は問いません。当日申込及びお子様も可)

 集合   開始時刻の30分前 (大本堂1階 表玄関)

 募集数  各回 100名(定員に達し次第、締切)

 記念品  開運豆まき記念御礼、成田山節分会福枡(福豆入り)、剣守(ケンマモリ。節分会限定授与の御守)

 服装   自由 (当日、開運豆まき追儺羽織が貸し出されます。)

 申込方法 成田山新勝寺光輪閣総受付、または現金書留郵便での申し込み。

 問合わせ 成田山新勝寺「節分会開運豆まき」係 0476-22-2111 (大代表) 電話受付時間 8時〜16時

 また「平成29年成田山新勝寺節分会」「当日」は、「成田山表参道」周辺で「交通規制」が行われますので、ご注意下さい。

 交通規制

 10時00分〜18時00分

 JR成田駅〜成田山山門(鍋店角)

 10時00分〜16時00分

 JR成田駅〜薬師堂

 尚、「平成29年成田山新勝寺節分会」「当日」の「混雑状況」によっては、「規制時間」が延長されることもあるので、現場の「警備員」の「指示」に従って通行下さいとのことです。

 「真言宗智山派」の「大本山」「成田山新勝寺」で開催される「人気」の「開運豆まき」「特別追儺豆まき式」「平成29年成田山新勝寺節分会」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「平成29年成田山新勝寺節分会」詳細

 開催日時 2月3日(金)
 特別追儺豆まき式 11時〜、13時半〜、16時〜
 成田山開運豆まき 9時半〜、12時半〜、15時〜

 開催会場 成田山新勝寺大本堂内 成田市成田1(御護摩祈祷にて)

 問合わせ 成田山新勝寺 節分会開運豆まき係 0476-22-2111 (大代表) 電話受付時間 8時〜16時

 備考
 「大阪府」「寝屋川市」「成田西町」10番1号に鎮座する「大本山」「成田山大阪別院」「明王院」「大阪成田山不動尊」では、2月3日(金)に「追儺豆まき式」が行われ、「追儺豆まき式」には、10時30分から「NHK連続テレビ小説」「べっぴんさん」より、「主人公」(ヒロイン)「坂東すみれ」役「芳根京子(ヨシネキョウコ)」さん、「キアリス」の「仲間」「小野明美」役「谷村美月(タニムラミツキ)」さん、「小澤良子」役「百田夏菜子(モモタカナコ)」さん、「村田君枝」役「土村芳(ツチムラカホ)」さんが参加される予定となっており、その他、「桂福団治」さん、「桂文福」さん、「桂米團治」さん、「ぼんちおさむ」さん、「宮川大助」さん、「宮川花子」さん、「宮川さゆみ」さん、「ランナーズ」さん、「林真帆」さん、「京阪電鉄CMキャラクター」「6代目おけいはん」が登場し、13時00分からは、「キング・クリームソーダ
」(ゲラッパー、マイコ、ZZROCK)、「笑福亭鶴志」さん、「羽田たかお」さん、「二葉由起子」さんが参加され、15時00分から「桂春之輔」さん、「西川のりお」さんが参加される予定となっているそうです。

 ※著名人参加者は、予告無く変更になる場合がありますので、ご了承下さいとのことです。

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| 地域情報::成田 | 01:54 AM |
「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「妙光山観福寺」で、2月3日(金)に開催されます「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)です。

 「妙光山観福寺」(2011年5月30日のブログ参照)は、「香取市」「牧野」に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」ですが、「妙光山」です。
 「妙光山観福寺」の「御本尊」ですが、「平将門」の「守護仏」とされる「聖観世音菩薩(ショウカンゼオンボサツ)」を祀っています。

 上述のように、「妙光山観福寺」は、「真言宗豊山派」の「巨刹」で、「川崎大師」・「西新井大師」と並び、「日本厄除三大師」(関東厄除け三大師)のひとつに数えられる「北総」の「名刹」であり、「御本尊」に祀るのは「平将門」の「守護仏」である「聖観世音菩薩」で、寛平2年(890年)に「お堂」が建立されたことが「起こり」と伝えられています。
 「妙光山観福寺」は、古くは「千葉氏」の「祈願所」として「歴代武将」が厚く帰依(キエ)し、中世以降は「佐原」の「伊能家一族」の「帰依」を受けるようになったそうです。
 「妙光山観福寺」は、江戸時代には「末寺」五十三ヶ寺をもつ「中本山」として「寺領」三十石を有し、「幕府」から七年に一度の「年始独礼」の「拝謁」を許されたそうです。
 「妙光山観福寺」は、「由緒」正しさのゆえに、「僧侶」の「叙任」や、「法衣」の「色」の「許可」を与える「権限」を持つ「院室兼帯」の「寺院」とされた一方、「本山」での「修行」に入る前の「基礎的」な「教育」を施す「地方壇林所」として「学徒」の「教育」にあたり、更には「大師信仰」の中心となって「庶民」の「信仰」を集めたそうです。

 「妙光山観福寺」の「観福寺厄除弘法大師縁起」には、下記のように記されています。

 抑(ソモソモ)當山厄除弘法大師は大師自ら御彫刻遊ばされたる霊像にして日本厄除三大師の一と称し奉る。
 今其縁起を案ずるに人王五十二代嵯峨天皇の御宇(ギョウ)弘仁六年大師四十二歳の御厄年にあたらせられ親(ミズカ)ら御像三を彫刻して其一を禽獣草木の厄を除かんがために山城国大倉村大蔵寺に其一を一切魚鼈(ギョベツ)を救わんがために武州河原の平間寺に、其一つを庶民の災厄を除かんがために京都嵯峨の大覚寺に留め給う。
 茲に當山三十三世鏡覚(ケイガク)三等和尚嵯峨の院を訪へり。
 院の阿闍梨鏡覚和尚に告げて曰く我が法兄三等和尚東国庶人結縁の為に新四国霊場に開創せらされたと聞き我れ喜びに堪えず、乃ち心経殿安置の厄除弘法大師の御像を付属し且つ曰く之を以て新四国霊場の親大師として安置し奉るべしと、鏡覚和尚恵頓首して之を受け奉侍して郷に帰り山内の宝殿に安置し、奉れり。

 とあるそうです。
 「現住職」の「お話」では、「弘法大師」が自ら彫刻した三体の「御像」のうち「大蔵寺」の「霊像」は「西新井大師」に、「平間寺」の「霊像」はそのまま「平間寺」(川崎大師)に、そして「大覚寺」の「霊像」が「妙光山観福寺」に伝わっていることから、この「真言宗」の三つの「お寺」が「日本厄除三大師」あるいは「関東厄除け三大師」とされているとのことでした。
 なお、「関東厄除け三大師」に似た「関東の三大師」と呼ばれる「お寺」もありますが、こちらは「弘法大師」ではなく「厄除大師」とも呼ばれる「元三大師」(良源)を祀る「佐野厄除け大師」・「青柳大師」・「川越大師」の「天台宗」の「寺院」を指す場合が多く、「関東厄除け三大師」とは全く別のものなのだそうです。

 「妙光山観福寺」の「山門」をくぐると「正面」には、「住職」の「お駕籠」を運ぶ「担ぎ手」が上り下りしやすいように、一段の「高さ」が低く「奥行き」が広くとられた「一歩半の石段」が緩やかに続くそうです。
 「一歩半の石段」をのぼりきり、「木々」に覆われた薄暗い「参道」を抜けると「弘法大師」の「像」が迎えてくれ、「妙光山観福寺」「境内」には、「本堂」、「大師堂」、「観音堂」、「不動堂」、「位牌堂」、「鐘楼」、「毘沙門堂」が建っています。
 「妙光山観福寺」「本堂」ですが、文化8年(1811年)「鐘眞和尚」が再建したもので、「大師堂」ですが、文政12年(1829年)「秀珍和尚」が建立したもので、「大師堂」には「弘法大師」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「観音堂」ですが、元禄年間「春海和尚」が建立したもので、「妙光山観福寺」「御本尊」「聖観世音菩薩」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「不動堂」ですが、文化15年(1818年)「快恵和尚」が再建したもので、「身丈」5尺、「総丈」8尺の「不動明王像」が安置されています。
 「妙光山観福寺」「位牌堂」ですが、文化年間建立したもので、「鐘楼」ですが、文化8年(1811年)建立したもので、「毘沙門堂」ですが、平成7年(1955年)「量賢和尚」が建立したものです。
 「妙光山観福寺」「境内」には、「春」は「枝垂れ桜」、「初夏」は「新緑」、「秋」は「紅葉」と、「四季」の「景観」の「美しさ」でも知られています。
 そのため、「妙光山観福寺」は、「ドラマ」や、「映画」等の「撮影地」としても多く用いられており、2013年(平成25年)「NHK大河ドラマ」「八重の桜」では、「地元」「佐原」の「方々」が「会津藩士役」「エキストラ」として参加するなか、「妙光山観福寺」「本堂」を「会津」の「黒谷本陣」に見立てて「撮影」が行われたそうです。

 「妙光山観福寺」「墓地」には「香取の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)や、「国文学者」の「伊能頴則」、「楫取魚彦」等の「墓」がある他、古い「下総板碑」等、「歴史的」に「貴重」な「資料」が数多く残されているそうです。
 (伊能忠敬の墓には、伊能忠敬の髪と、爪を納めているそうです。)
 「妙光山観福寺」「寺宝」ですが、「国指定重要文化財」に指定されている4点の「銅造懸仏(カケボトケ)」があるそうです。
 (元来、香取神宮の本地仏として安置されていたもの。)

 「釈迦如来坐像」 弘安5年(1282年)銘

 「十一面観音坐像」 弘安5年(1282年)銘

 「地蔵菩薩坐像」 延慶2年(1309年)銘

 「薬師如来坐像」

 いずれも、もとは「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)に付属して置かれた「金剛宝寺」(神宮寺)で「本地仏」として安置されてあったものですが、明治初年の「神仏分離」によって「香取神宮」の「手」から離れたものを、「佐原」の「篤志家」の「人々」の「手」によって寄進されたものだそうです。

 「妙光山観福寺」には、上記のように「鐘楼」があり、「妙光山観福寺」「梵鐘」は戦時中に供出して以来、そのままになっていたそうですが、昭和59年(1984年)「弘法大師千百五十年御遠忌」の「記念事業」として「堂」の「大改修」と、「梵鐘」の「新鋳」がなされ、同年「秋」に完成、昭和60年(1985年)3月に「落成式」が行われたそうです。
 この年から撞き始められた「除夜の鐘」に「四隣」から「善男善女」が押し寄せるなか、「観音堂」では「世の中」の「安寧」を願って「護摩」が焚かれるそうです。
 「妙光山観福寺」「境内」には「かがり火」がたかれ、「福汁粉」の「接待」を受けながら、「酷寒」の中で「新年」を迎えようとする「人々」で賑わうそうです。

 「香取市」には、2つの「観福寺」があり、もうひとつの「観福寺」ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「山倉山観福寺」(2011年12月3日のブログ参照)で、「山倉の鮭まつり」(2011年12月4日のブログ参照)が行われることで知られています。

 「真言宗豊山派」に属し、「平将門」の「守護仏」である「聖観世音菩薩」を祀る「北総の名刹」「妙光山観福寺」では、例年2月3日に「節分会」(節分追儺式)を催行しています。
 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)ですが、14時30分から40分程「法要」を行い、その後「妙光山観福寺」「本堂」前「特設舞台」で、「僧侶」による「和太鼓」「六大響」の「演奏」があり、続いて15時30分から「僧侶」や、「年男」による「豆まき」が行われます。

 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)の「見どころ」のひとつですが、「節分会」の「法要」で、十数人の「僧侶」による600巻の「大般若経」の「転読」と、「厄除弘法大師」の「護摩祈祷」だそうです。
 「転読」ですが、「経典」を「バラバラ」と広げながら、一斉に「お経」を唱えるもので、滅多(メッタ)に見ることのできない「貴重」な「光景」であり、「妙光山観福寺」では、「迫力満点」の「転読」が繰り広げられるそうです。
 また「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)では、「僧侶」や、「年男」による「豆まき」が行われ、「豆まき」では「福豆」や、「福銭」が撒かれる他、「景品」も当たるそうです。

 「真言宗豊山派」の「巨刹」で、「日本厄除三大師」「関東厄除け三大師」のひとつに数えれる「北総」の「名刹」「妙光山観福寺」で開催される「節分追儺式」「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「妙光山観福寺」「節分会」(節分追儺式)詳細

 開催日時 2月3日(金) 14時半〜

 開催会場 妙光山観福寺 香取市牧野1752

 問合わせ 妙光山観福寺 0478-52-2804
      香取市商工観光課 0478-50-1212

 備考
 「香取」の「春」の「年中行事」に「札打ち(フダウチ)」というものがあるそうです。
 これは、宝暦4年(1754年)に「妙光山観福寺」の「三等和尚」らの「発願」により始まると伝えられるもので、「香取市」「一円」の「寺院」を「四国八十八ヶ所」の「札所」に模して巡るそうです。
 今では「札打ち」の「やり方」は変わってきたそうですが、「大師信仰」は脈々と生きつづけ、「春」4月初旬、「各地」に「善男善女」の「お参り」の「姿」が見られるそうです。
 また「四国八十八ヶ所巡り」といえば、「妙光山観福寺」の「境内」には「新四国霊場」があるそうで、「山門」を入ってすぐ、「一歩半の石段」の「手前」左側に立つ「新四国霊場創開記念碑銘」の脇から「林」の中へと入っていく「石段」は、大正3年(1914年)に作られた、「石碑石仏」を巡る「四国八十八ヶ所」の「ミニチュア版」への「入り口」となっています。

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