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「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で10月25日(土)に開催されます「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)
(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(おごそ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「苔玉(こけだま)」とは、「植物」の「根」を「用土」で「球状」に包み、そのまわりに「コケ植物」を張り付け「糸」で固定したものであり、「インテリア」の「一部」などとして飾られ、「コケ玉」、「草玉」ともいいます。

 「苔玉」は、「盆栽」で用いられる「手法」である「根洗い」という「手法」を応用して製作されます。
 「根洗い」とは、「鉢」の中に「根」を「隙間」なく張らせ、「鉢なし」でも崩れないようにする「手法」でありますが、「土」(ケン土などが用いられます)の「外側」に「糸」で「コケ」を巻きつけることで、「簡易的」に「鉢いらず」の「苔玉」を作ることが出来ます。
 出来上がった「苔玉」は「器」や「皿」の「上」などに置かれ、飾り付けられ、「苔玉」は、「雑貨店」などでも取り扱われていることがあります。

 「苔玉」に用いられる「コケ」には、「アラハシラガゴケ」などの「シラガゴケ類」や、「スナゴケ」、「ハイゴケ」などがあります。
 「苔玉」を初めて「世」に送り出した「第一人者」は「海地 勲」氏(Isao Umiji)(高知県出身・70歳(2014年現在))といわれ、2002年(平成14年)以前より「苔玉」を作成していたそうで、「苔盆栽」では30年以上の「熟練者」といわれています。
 現在「海地 勲」は「精力的」に「県外」へ「足」を運び「苔玉教室」を開催されているそうです。

 「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」ですが、「千葉県立東庄県民の森」で開催される「体験教室」で、10月25日(土)の9時30分から11時30分くらいまで行われます。
 「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」の「受付時間」、「開催会場」ですが、9時00分から「東庄県民の森管理事務所」にて受付し、「東庄県民の森」を「会場」とし催されます。
 「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」の「内容」ですが、身近にある「野草」などを使っての「本格的」な「コケ玉」(2種類)の「作製」となっています。
 「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」の「参加費」ですが、お1人様800円(材料費含む)となっており、「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」の「定員」ですが、15名程度(電話予約受付順)となっています。

 「緑」豊かな「環境」の「千葉県立東庄県民の森」で開催される「体験教室」「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」詳細

 開催日時 10月25日(土) 9時半〜11時半

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「里山のくらし体験」「こけ玉づくり」に参加される「方」は、汚れてもよい「服装」、「ゴム手袋」または「園芸用」「手袋」の「用意」をと呼びかけています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2258 |
| 地域情報::香取 | 08:51 AM |
「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」(東庄町)
 本日ご案内するのは、となりまち「東庄町」「東大社」で10月19日(日)に開催されます「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」です。

 「東大社」(2011年4月24日のブログ参照)は、「香取郡」「東庄町」に鎮座する「神社」で、「旧社格」は「県社」、「御祭神」ですが、「主祭神」が「玉依姫尊(たまよりびめのみこと)」、「鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」を配祀しています。
 ちなみに「玉依姫尊」ですが、「綿津見大神(わたつみのおおかみ)」(海神)の「子」で「豊玉姫」の「妹」、「鵜葺草葺不合尊」も「豊玉姫」の「子」であり、「玉依姫尊」の「夫」です。

 「東大社」の「由緒」ですが、「景行天皇」が「東国巡幸」の折に、「春臣命」に命じて「一社」を造営、「玉依姫尊」を祀って「東海の鎮護」をしたことが「はじまり」であるといわれています。
 以来「東大社」は「歴代天皇」の「崇敬」が篤く、康和4年(1102年)に「堀川天皇」より「総社玉子大明神」又は「王子大明神」2つの「称号」を受け、享徳3年(1454年)には「後花園天皇」から「勅額」が贈られています。
 「東大社」では、「歴代天皇」のほか、寿永3年(1184年)「源頼朝」が「御厨一処」を寄進し、「徳川家康」も天正19年(1591年)に「神領」10石を寄進したそうです。
 また「東大社」は「下海上」の「総社」として「東荘」(別称「橘荘」、中世「下総国」「海上郡」の「荘園」)の「総氏神」として「遠近」の「信仰」が篤く、特に「東氏」は「社殿」を造営し、あるいは「神領」を奉納するなど「代々」崇奉したそうです。
 「東大社」は、応永2年(1395年)に「東左馬助胤家」が「社殿」を造営、現在の「社殿」ですが、「本殿」は文政9年(1826年)に、「拝殿」は文政10年(1827年)に再建されたもので、「東大社」は、明治6年(1873年)「郷社」に列し、大正8年(1919年)には「県社」に列しています。

 「東大社」の「行事」(神事)ですが、20年毎(ごと)に行われ、康和4年(1102年)より始まったといわれている「銚子」「高神の浦」へ「行幸」する「式年三社銚子大神幸祭」(2012年4月12日のブログ参照)があります。
 「式年三社銚子大神幸祭」には、「雷神社(らいじんじゃ)」(2011年9月19日のブログ参照)、「豊玉姫神社」(2012年1月9日のブログ参照)の「神輿」を前後に従え、かつての「東荘33郷」より集まった「氏子」は「時代風俗」の「仮装」にて「所作」を演じつつ「供奉」します。
 かくて「神輿」は「六里」の「沿道」の「奉迎」をうけつつ「高神」の「海中」に「神幸」し、その「儀」は「勇壮盛大」なのだそうです。
 「東大社」では、その他「秋の例祭」として10月20日に「流鏑馬神事」(2013年10月19日・2012年10月18日・2011年10月18日のブログ参照)を執り行っています。

 「流鏑馬」とは、疾走する「馬上」から「的」に「鏑矢(かぶらや)」を射る「日本」の「伝統的」な「騎射」の「技術」・「稽古」・「儀式」のことをいいます。
 「流鏑馬」では「馬」を馳せながら「矢」を射ることから、「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれ、「時代」が下るにつれて「やぶさめ」と呼ばれるようになったといわれています。
 「流鏑馬」を含む「弓馬礼法」は、896年(寛平8年)に「宇多天皇」が「源能有」に命じて制定され、また「右中記」の永長元年(1096年)の「項」などに記されているように、「馬上」における「実践的弓術」のひとつとして平安時代から存在しました。

 「関白」「藤原忠通」によって「春日大社」「若宮」の「社殿」が改築され、保延2年(1136年)3月4日「春日」に詣で、「若宮」の「社参」(中右記・祐賢記文永10・2・26条)し、9月17日始めて「春日若宮おん祭」を行い、「大和武士」によって今日まで「流鏑馬十騎」が奉納され続けてきました。
 (右中記・一代要記)

 「吾妻鏡」には、「源頼朝」が「西行」に「流鏑馬」の「教え」を受け復活させたと記されています。
 鎌倉時代には「秀郷流」と呼ばれる「技法」も存在し、「武士」の「嗜み(たしな)」として、また「幕府」の「行事」に組み込まれたことも含めて盛んに「稽古」・「実演」され、「北条時政」の執権時代までに、「鶴岡八幡宮」では47回の「流鏑馬」が納められたとされています。
 しかし、「個人」の「武勇」に頼っていた時代から、「兵法」や「兵器」が進化して「足軽」や「鉄砲」による「集団戦闘」の時代である室町時代・安土桃山時代と、時が経つに従い、一時廃れてしまったそうです。

 江戸時代に入り、享保9年(1724年)、時の「将軍」「徳川吉宗」の「命」を受けた「小笠原流」20代「小笠原貞政」は、「小笠原の伝書」を研究し新たな「流鏑馬制定」、「古式」と共に奥勤めの「武士達」に「流鏑馬」、「笠懸」の「稽古」をつけました。
 享保13年(1728年)、「徳川家重」の「世嗣ぎ」のために「疱瘡治療祈願」として「穴八幡宮」北の「高田馬場」(現在の「東京都」「新宿区」「西早稲田三丁目」)にて「流鏑馬」を執り行い、これを奉納したそうです。
 (この10年後、無事疱瘡治療祈願成就した折に報賓として再び行われ、その様子を絵巻にしたものが「流鏑馬絵巻」です。)
 この後、「将軍家」の「厄除け」、「誕生祈願」の際などに度々「流鏑馬」が行われるようになったそうです。
 明治維新を経て「幕府解体」、また「第二次世界大戦」と以後の煽りを受けるなど「三度」の「衰退」を見ますが、「戦後」に復興し、現在に至ります。
 現在、「流鏑馬」は「神社」の「神事」として、「日本各地」で盛んに行われ、「観光」の「目玉」となっています。

 「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」ですが、今から約900年前から始まったと伝えられ、昔は「鎧(よろい)」、「直垂(ひたたれ)」を着けた「射手」が「乗馬」のまま「紅白の矢」を放ち、「奏楽」のうちに「東大社」「社殿」を一周、さらに「第二番」以下の「御的」に向かって「矢」を放つ「勇壮」な「神事」で、毎年10月20日に行われています。
 「東大社」のある「東庄町」では「昔」、隣り合わせの「二つの里」が「草刈り」の「境界」のことで「争い」が絶えなかったそうです。
 そこで「幕府」の「役人」が「仲介」し、「二つの里」が「仲直り」ができたことから、毎年、「東大社」へ奉納する「的」は同じ「寸法」で作るようになったそうです。
 現在、「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」では、「馬」が「入手困難」な(「手」に入らなくなった)ため、「騎射装束」の「神官」(神職)が「東大社」「社殿」の「庭」から「矢」を射る「形」に変わったそうで、「東庄33郷の村々」(氏子の里)より奉納された「的」13本を狙い、「神官」(神職)が「弓」で射る「神事」が行われます。
 「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」で使用される「的」には「国家安泰」・「五穀豊穣」と書かれているそうです。

 「東大社」では、「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」で放たれた「矢」を拾うと「子供」が授かる、「幸運の恵み」があると伝えられており、放たれた「縁起」の良い「矢」を競い合って取り合うそうです。
 ちなみに「縁起」が良いとされる「矢」ですが、「白い矢」と「赤い矢」があり、「白い矢」を拾うと「男の子」、「赤い矢」を拾うと「女の子」が授かるともいわれています。
 なお「東大社」は「受子安産」の「信仰」があることから上記の「所作」が行われるそうです。
 また「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」の「神事」が終了後、「三枚合わせ」の「中板」の「交換」を行い、「仲直り」を「再確認」する「所作」も行われており、これらの「所作」を二百数十年たった今日まで続けているそうです。

 「東庄」の「古社」「東大社」で開催される「伝統神事」「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」詳細

 開催日時 10月19日(日) 14時〜14時40分

 開催会場 東大社 香取郡東庄町宮本434

 問合わせ 東大社 0478-86-4405

 備考
 「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」「当日」ですが、「弓道大会」や「剣道大会」も催されるそうです。
 毎年10月20日に行われている「東大社流鏑馬神事〜古式、ゆかしき、やぶさめ神事〜」ですが、上記のように「堀川天皇の御代」の康和年間(985年〜996年)に始まったとされ、「流鏑馬」の「矢」を拾うと「幸運」が訪れるとされています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2313 |
| 地域情報::香取 | 10:57 AM |
「第40回小見川出前寄席」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「小見川よろず亭」で10月18日(土)に開催されます「第40回小見川出前寄席」です。

 「香取市」「小見川地区」は、「香取市」「東部」に位置し、「利根川下流域」に位置する「水辺」と「自然」に恵まれた「地域」です。
 「香取市」「小見川地区」「中心部」は「低地」で、「西部」と「東部」に「丘陵」が見られ、「小見川地区」は、「水の郷百選」に選ばれており、「水と緑の文化」をはぐくむ「まち」として知られています。
 「香取市」「小見川地区」にも「佐原地区」と同じように、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「舟運」で栄えた「老舗」が「今」も残り、「先祖」から続く「家業」を引き継いで「商売」を続けている「店舗」もあり、「風情」のある「佇まい」は、「今」も「小見川地区」「市街」のところどころに残っています。

 「水郷の小江戸」(北総の小江戸)「佐原」の「東」、「銚子」へ向かう「途中」に位置する「小見川」は、江戸時代から「利根川舟運」の「中継港」、「街道の要衝」、「宿場町」、さらに「小見川藩の陣屋町」として発展してきました。
 「小見川」は、現在の「国道356号線」である「佐原銚子街道」と「地方道28号線」である「旭街道」が合流し、江戸時代初期にはすでに「小見川宿」として発展しており、「周辺舟運」を「背景」に「小見川」は「町場化」していったそうです。
 さらに「小見川」は、「銚子」から「江戸」「間」を結ぶ「内川廻り」の「中継港」としての「機能」に加え、「周辺農村」及び「干潟地方」から「八日市場方面」に渡る「」広域米
や「諸産物」を集め、「江戸方面」へ積み出す「利根川水運」の「集散地」として発展していきました。
 当時の「小見川」では、2と7の「日」には「六斎市」が開かれ、他に「須賀神社」、「妙剣神社」の「祭礼市」も開かれるほど賑わっていたそうです。
 江戸期の「小見川」は、「本町」・「新町」を初め、「8町」に分かれる「規模」であり、「醸造業」も盛んで発達しており、「小見川」の「醸造業」ですが、「醤油」5軒、「酒蔵」4軒、「濁酒」5軒の「記録」があり、現在も「小見川」には1軒の「酒蔵」と、1軒の「醤油醸造業」が存続しています。

 「JR小見川駅」は、「香取市」「小見川」にある「東日本旅客鉄道」(JR東日本)「成田線」の「駅」です。
 「JR小見川駅」の「構造」ですが、「相対的ホーム」2面2線を有する「地上駅」で、「ホーム」は嵩上げされておらず、2つの「ホーム」は「跨線橋」で結ばれています。
 「JR小見川駅」は、「JR佐原駅」「管理」の「直営駅」で、「みどりの窓口」(営業時間6時45分〜20時00分)・「簡易Suica改札機」が設置されています。

 「JR小見川駅」は、1931年(昭和6年)11月10日に「国有鉄道」の「駅」として「開業」し、「旅客」!「貨物取扱い」をはじめ、1974年(昭和49年)2月1日に「貨物扱い廃止」、1987年(昭和62年)4月1日「国鉄分割民営化」により、「JR東日本」に継承され、2009年(平成21年)3月14日に「ICカード」「Suica」サービス開始、「東京近郊区域」に組み込まれています。

 「香取市」「小見川地区」では、「JR小見川駅」「駅前通り」の「空き店舗」を「小見川よろず亭」として利用しており、「小見川よろず亭」を「会場」にして、「小見川出前寄席」を開催しています。
 「小見川出前寄席」ですが、「落語協会」の「落友舎」の「メンバー」の「皆さん」が、「地域活性」と「若手芸人」の「育成」のため、なかなか見られない「プロ」の「皆さん」による「生」の「寄席」を「香取市」(小見川)に「出前」(出張)しています。
 「小見川出前寄席」では、毎回、4人(「前座」・「二ツ目」・「色物」・「真打」)が登場して「会場」をわかせています。
 今回行われる「第40回小見川出前寄席」には、「前座」「柳家さん坊」、「二ツ目」「習志野ごんべえ」、「色物」「のだゆき」、「真打」「柳家小袁治(やなぎやこえんじ)」「師匠」が出演されます。

 「柳家小袁治」「師匠」は、1948年(昭和23年)10月12日生まれ、「東京都」「千代田区」「外神田」「出身」の「落語協会」「所属」の「落語家」で、「本名」は「関根誠」、「東京都立三田高等学校」「卒業」、「出囃子」は「おはん」です。

 「柳家小袁治」「師匠」の「略歴」ですが、下記の通りとなっています。

 1967年(昭和42年)2月 5代目柳家小さん師匠に入門。前座名はマコト。

 1972年(昭和47年)11月 さん治で、二ツ目に昇進。

 1981年(昭和56年)9月 小袁治で、真打昇進。

 「柳家小袁治」「師匠」の「活動」ですが、「出前寄席」という、「お客」のところへ自ら出張する「落語会」を受け付けており、「地元」・「堀切」でも「落語会」を開くなど、「活発」に活動しています。
 「宮城県」「仙台市」や「山形県」「真室川町」(妻の出身地)、「福島県」「南相馬市」など、「南東北」には「頻繁」に通っており、「年一回」は「東北ツアー」と銘打ち、「落語会」を開催、「顔付け」から「ポスター作成」まで自らこなしています。
 また「柳家小袁治」「師匠」は、「ブログ」や「twitter(ツイッター)」をはじめ、この「年代」の「噺家」としては「IT」に明るいこともあり、「落語協会」の「ホームページ委員」も務めています。

 「JR小見川駅」「駅前通り」にある「小見川よろず亭」で開催される「恒例」の「催し」「第40回小見川出前寄席」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第40回小見川出前寄席」詳細

 開催日時 10月18日(土) 14時〜16時

 開催会場 小見川よろず亭 香取市小見川1270

 問合わせ 香取市商工会 0478-82-3307

 備考
 「第40回小見川出前寄席」ですが、9月18日(木)から「香取商工会」にて「前売り券」を販売しており、「小見川出前寄席」「前売り券」ですが、1200円となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2263 |
| 地域情報::香取 | 10:21 AM |
「火渡り修行」「神崎火まつり」(神崎町)
 本日ご案内するのは、近隣市「神崎町」「利根川河川敷」で10月13日(祝・月)に開催されます「火渡り修行」「神崎火まつり」です。

 「神崎町」は、「香取郡」に属する「まち」で、「首都」「東京」の「東」約60km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から「北北東」に14km、「千葉県」の「北端中央部」に位置し、「北」は「坂東太郎」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に面し、「南」は「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)のなだらかな「丘陵地帯」が広がっており、「神崎町」の「まち」のほぼ「中央部」を「JR成田線」が通っています。
 「神崎町」に「隣接」している「自治体」ですが、「東」は「香取市」、「西」と「南」は「成田市」に接するとともに、「北」は「利根川」を挟んで「茨城県」「稲敷市」と接しています。
 「神崎町」の「面積」ですが、19.85平方km、「町」の「東西」は5.7km、「南北」6.2km、「地勢」ですが、概(おおむ)ね「平坦」で、「南東部」は「丘陵」の「起伏」が多く、「畑」や「山林」が「大半」を占め、「北部」は「利根川」沿いに「肥沃(ひよく)」な「沖積低地」が開けている「自然」と「緑」が豊かな「まち」です。

 「神崎町」の「行政区域」としての「位置づけ」ですが、明治4年(1871年)「新治県」に始まり、明治8年(1875年)以降は「千葉県」に属し、明治22年(1889年)4月「町村制施行」とともに「武田」、「新」、「毛成」、「吉原」、「植房」、「立野」、「大貫」、「郡」の「8ヶ村」が「米沢村」として、また、「神崎本宿」、「神崎神宿」、「松崎」、「小松」、「並木」、「今」、「高谷」の「7ヶ村」が「神崎村」として合併、翌明治23年(1890年)3月に「町村」が施行され、「神崎町」となりました。
 その後、昭和30年(1955年)4月、「神崎町」・「米沢村」が合併して「新生・神崎町」が誕生、さらに昭和41年(1966年)1月、「向野地区」が「茨城県」「東村」・「河内村」から「千葉県」に割譲され、「神崎町」に編入、現在に至っています。
 昭和47年(1972年)には、「神崎町」では「工業団地」の「操業」も始まり、また近年は「自然」との「調和」を図りながら「大規模」な「宅地造成」や「道路整備」も進み、「緑」ある「自然環境」と恵まれた「歴史風土」の上に、「調和」のとれた「自然とふれあいのまち」を形成しているそうです。
 「神崎町」の「人口」ですが、6403人、(男3216人、女3187人)「世帯数」2379戸(2014年10月1日現在)となっており、「神崎町」は、「千葉県」で一番「行政規模」の小さい「まち」となっているそうです。

 「神崎町」は、古くから「北総」の「穀倉地帯」として「農産物」に恵まれ、「地下水」も「豊富」であったため、江戸時代初期より「酒」や「醤油」などの「醸造業」が発展し、明治の時代には「7軒」の「酒蔵」と「3軒」の「醤油蔵」があり、「関東一円」に向け、「利根川水運」で「商品」が運ばれ、「神崎町」では、「醸造業」が盛んに営まれていました。
 現在でも「神崎町」では、「仁勇・不動」の「醸造元」「鍋店株式会社」(2011年3月10日のブログ参照)、「五人娘・香取」の「醸造元」「寺田本家株式会社」(2011年4月10日のブログ参照)といった江戸時代から続く「2軒」の「老舗酒蔵」が醸造し続け、「魅力」ある「銘酒」を醸(かも)しており、「醤油」とともに「昔」ながらの「風味」を「今」に伝えています。

 「神崎町」の「基幹産業」は、上記のように「農業」や「醸造業」ですが、近年は隣接する「成田国際空港」、「国道356号バイパス」や「圏央道」(首都圏中央連絡自動車道)「神崎IC(こうざきインターチェンジ)」等を「基軸」として、「長期的展望」に立った「都市基盤」の「整備」を進めてきました。
 また「神崎町」では、「こうざき天の川公園」(2012年11月18日のブログ参照)、「こうざきふれあい自然遊歩道」、「神崎大橋」と「側道橋」「神東ふれあい橋」等を活用し、「まち」の「広域拠点性」をさらに強め、「神崎町民」が「主役」の「まちづくり」を「目標」に、上記のように「自然」と「調和」のとれた「自然と人とふれあいのまちづくり」を進めてきたそうです。
 「神崎町」では、太古から続く「歴史」、澄んだ「空気」や、輝く「緑」、清らかで美味しい「水」、「自然」の「恵み」に満ちあふれた「大地」に、息づく「人々」が「発酵」を繰り返しながら、新たな「魅力」を生み出しており、「神崎町」は、近年「発酵の里こうざき」として「周辺自治体」に親しまれています。
 現在「神崎町」は、「緑」豊かな「農村環境」でありながら、上記のように「圏央道」「神崎IC」や「国道356号バイパス」などの「整備」により「首都圏」への「アクセス」が「容易」となっているため、「道の駅」「建設計画」などを推進して「地域振興」に取り組まれています。

 「神岬大橋」は、「神崎町」と「利根川」をはさんで、「対岸」にある「茨城県」「稲敷市」を結んでいる「橋」です。
 「神岬大橋」ですが、昭和42年(1967年)5月に開通し、以後「千葉」・「茨城」「間」の「通勤」、「通学」、「物流」に、大きな「役割」を果たしています。

 近年は、「成田国際空港」の「開港」に伴う「周辺地域」の「臨空工業団地」や「鹿島臨海工業団地」の「形成」、「発展」により、「交通量」の「増加」の「一途」であるため、平成13年(2001年)3月、「専用歩道橋」として「側道橋」「神東ふれあい橋」が開通しています。
 「側道橋」「神東ふれあい橋」ですが、「夜間」の「往来」に配慮して、「手摺(てす)り部分」に「照明」が配置されていたり、4箇所の「バルコニー」を設け、「バルコニー」からは「雄大」な「坂東太郎」「利根川」の「情景」を堪能することができるなど、「神崎町」の新しい「観光スポット」としても注目されています。

 「火渡り修行」(2011年10月8日のブログ参照)は、「お大師さま」の「呼び名」で親しまれている「大日山神崎寺」(以後「神崎寺」と表記)で、毎年行われている「真言密教」の「修行」のひとつです。
 「火渡り修行」の行われる「神崎寺」は、「真言宗醍醐派」の「寺社」で、「関東八十八ヶ所霊場」の「第四十四番札所」で、「神崎寺」は、「関東」では数少ない「真言宗醍醐派」の「祈祷寺」でもあります。
 「真言宗醍醐派」は、「真言宗」の中でも、「祈祷」と「修行」を旨として、「当山派修験道」の「流れ」を伝えるのが「醍醐派」なのだそうです。

 「神崎寺」の「歴史」ですが、江戸時代の「書物」によりますと「神崎三山」に数えられていたそうです。
 「鎮守神」の「山」「神崎の杜」、「愛宕権現」の「山」「愛宕山」そして、「大日如来」「大日山」(神崎寺)が、「神崎三山」とされ、「神崎」は、古来より「神仏」を「大切」にしてきたそうです。
 その中「大日山」は、江戸時代末期まで「天台宗」の「浄刹」として「御山東照院」と称し、「人々」の「信仰」を集めていたそうです。

 しかし、明治時代の「神仏分離令」及び「修行道廃止令」に「端」を発する「廃仏毀釈」を「機」に多くの「霊山」が衰退し、「閉山」に追い込まれたそうです。
 以後は、「山頂」の「草庵」にて「近隣市町」の「長老たち」により「大師信仰」が伝えられ、「お大師さま」として親しまれ、「御山念仏大師講」として「縁日」の「勤行」が行われ、「法燈」が、わずかに「護持」される時代が約100年続いたそうです。

 昭和26年(1951年)、「気縁」を得て「真言宗」の「僧」「秀宝大僧正」が、「当地」に「留錫」し、「真言宗醍醐派」の「教風」、殊に「修験道」(山伏)の「宝輪」を転じ、「伝法の中興」になったそうで、同年(昭和26年)「大利根河原」にて「火生三昧」「火渡り修行」を権修。
 「山頂」の小さな「草庵」において、「護摩」を焚き、次第に多くの「人々」の「信仰」の「中心」になっていったそうです。
 「秀宝大僧正」の遷化後、その「遺志」を継いだ「善哉大僧正」が、昭和53年(1978年)、「山内」の「造成設備」を開始し、昭和55年(1980年)「本堂」落慶、昭和63年(1988年)「恵印堂」(通称「六角堂」)を建立し、「伽藍」の再建したそうです。

 「火渡り修行」は、平成19年(2007年)より10月の「体育の日」(10月第2月曜日)に「利根川河川敷」で行われています。
 この「行事」は、「真言密教」の「秘奥」として1300年余の「伝法」に則ったもので、「山伏姿」の「僧」が燃え盛る「炎」のなかを「素足」で通り抜け、その後を「信徒」や「見物人」が「家内安全」、「無病息災」、「病気平癒」を祈願して渡り歩くというもので、「関東近県」から、たくさんの「人」が集まるそうです。

 「火渡り修行」ですが、昭和26年(1951年)「武州高尾山」で、「第一回目」の「火渡り修行」が行われたそうです。
 当時、「境内」のなかった「東照院」(現「神崎寺」)で、初めての「火渡り修行」(昭和26年8月)が、「大利根河原」で行われました。
 以降、「神崎寺」での「火渡り修行」は、平成20年(2008年)から「旧・開催場所」の「利根川河川敷」で実施しています。

 「火渡り修行」「当日」の「流れ」ですが、「御清めの儀式」を行った「修験者たち」は、10時30分に「JR下総神崎駅」において、「出立式」を行い、「町内練行」(盆天練り歩き)に出発するそうです。
 「法螺貝(ほらがい)」、「太鼓」、大きな「かけ声」をあげての「練行」の後、「寺田本家」において、「鎮守供養」の「護摩」を行い、「餅つきイベント」を行います。
 13時00分に「利根川河川敷」に設けられた「道場」に入り、「神仏」の「降臨」する「場所」を整えるための「伝統作法」を行い、「柴燈護摩」の「秘法」を勤修、そして「祈祷」によって、「浄火」となった「炎」を「素足」の「行者」が渡ります。
この「火渡り修行」は、「参詣」の「者」が「火渡り」を行うと「火渡りの証」が授与されるそうです。
 「火渡り修行」の「会場」「利根川河川敷」に続く「河岸通り」には「露店」が並び、「行事」を盛り上げるそうです。

 「火渡り修行」が行われる「会場」「利根川河川敷」では、「神崎火まつり」も開催されます。
 「神崎火まつり」の「内容」ですが、「プレジャーボート体験乗船」、「サッパ舟利根川遊覧」、「コスモス摘み」、「占い」などの「出展」、「屋台」(露店)が10時00分からとなっています。
 「神崎火まつり」や「火渡り修行」の際の「駐車場」ですが、「神崎町役場」、または「神崎ふれあいプラザ」の「駐車場」の「利用」を呼びかけています。

 「利根川河川敷」で開催される「真言密教」の「修行」「火渡り修行」「神崎火まつり」。
 この機会に「神崎町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「火渡り修行」「神岬火まつり」詳細

 開催日時 10月13日(祝・月) 13時〜15時半

 開催会場 利根川河川敷(神岬大橋下流右岸) 香取郡神崎町神岬本宿

 問合わせ 神崎町まちづくり課 0478-72-2114

 備考
 「火渡り修行」「神崎火まつり」ですが、「雨天」の場合には「中止」となります。
 「火渡り修行」「神崎火まつり」「当日」10月13日(祝・月)10時30分より、「JR下総神崎駅」から「会場」まで「梵天練り歩き」が行われるそうです。

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| 地域情報::香取 | 10:36 AM |
「佐原の大祭秋祭り」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「JR佐原駅」周辺、「佐原の町並み」、「新宿地区」で10月10日(金)〜12日(日)の期間開催されます「佐原の大祭秋祭り」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「佐原」の「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「佐原の市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「諏訪神社」は、「香取市」「佐原」「新宿」に鎮座する「神社」です。
 「諏訪神社」の「御祭神」は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」、「諏訪神社」の「社格」は「郷社」、「創建」は天正年間(1573年〜1592年)となっています。
 「諏訪神社」の「歴史」ですが、天慶2年(939年)の「天慶の乱(てんぎょうのらん)」で「伊予国」の「藤原純友」を討った「功績」により「下総大須賀荘」(現「成田市」「伊能」)「領主」に任ぜられた「大神惟季」が、「領内」の「守護」として「信濃国」「諏訪大社」を勧請したそうです。
 「諏訪神社」はその後、天正年間に「領内」の「農民」を率い、「佐原」「新宿」を開発するに際して「守神」として勧請したもので、現在の「諏訪神社」「社殿」は嘉永6年(1853年)に造営されたものです。

 「佐原の大祭」(2011年7月13日のブログ参照)は、江戸時代から約300年続く「祭礼」で、7月に行われる「八坂神社祇園祭」(2014年7月8日・2013年7月10日・2012年7月9日・2011年7月11日のブログ参照)と、10月に行われる「諏訪神社秋祭り」(2013年10月10日・2012年10月10日・2011年10月3日のブログ参照)を「総称」したもので、「佐原の大祭」は、2004年(平成16年)には、「国」の「重要無形民俗文化財」に指定されています。
 「佐原の大祭」では、「大人形」を乗せた「高さ」9mもある「山車」が、「日本三大囃子」「佐原囃子」(2012年2月23日のブログ参照)の「音色」に合わせ「山車」が曳き廻され、「小江戸」と称される「佐原の町並み」(国選定重要伝統的建造物群保存地区)がある「小野川」の「西側一帯」(新宿地区)を「家々」の「軒先」をかすめながら14台の「山車」が曳き廻される「勇壮」で「風情」たっぷりな江戸時代の「情景」を彷彿させ、「佐原」の「365日」は、この日のためにあると言っても、「過言」ではないと言えるほどの盛り上がりをみせます。

 「佐原の大祭」は、上記のように「年」に「2回」行われ、「夏」は「小野川」を挟んで「東側」の「本宿」・「八坂神社」、「秋」は「西側」の「新宿」・「諏訪神社」の「祭礼」として行われます。
 江戸時代「見物の群衆、人の山をなし」と言われるほどな「賑わい」を見せた「佐原の大祭」は、何といっても「華麗」な「山車」、「哀愁」を帯びた「佐原囃子」が「特徴」となっており、「古い町並み」の残る「小野川」沿いを行き交う「山車」の「姿」は、「佐原の特色」を活かした「見どころ」のひとつで、「佐原のまち」に「小江戸」の「賑わい」が戻る「祭」となっています。

 「日本三大囃子」「佐原囃子」ですが、「佐原」の「町中」では、「祭」が近づくと、どこからともなく「お囃子」が聞こえてきて、「佐原」「各町内」の「下座連」が「練習」を始めるそうです。
 そして「佐原の大祭」「期間中」は「山車」に乗り込み、曳き廻される「道々」に合わせて「曲」を演奏し、その「音色」が「江戸」の「風情」へと誘います。
 また「佐原の大祭」「自慢」の「山車」は、「総欅造り」の「本体」に「関東彫り」の「重厚」な「彫刻」が飾り付けられ、「上部」には、江戸・明治期の「名人人形師」によって製作された「高さ」4mにも及ぶ「大人形」が乗っています。 なお今年(2014年)の「佐原の大祭秋祭り」で曳き廻される「山車」ですが、下記の通りとなっています。

 「小野道風(おののとうふう)」 (新橋本(しんはしもと))

 「小楠公(しょうなんこう)(楠木正行(くすのきまさつら))」 (下分(しもわけ))

 「神武天皇(じんむてんのう)」 (仲川岸(なかがし))

 「建速素盞鳴尊(たけはやすさのおのみこと)」 (下川岸(しもがし))

 「鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)」 (上中宿(かみなかじゅく))

 「源頼義(みなもとのよりよし)」 (下宿(しもじゅく))

 「大楠公(だいなんこう)(楠木正成(くすのきまさしげ))」 (東関戸(ひがしせきど))

 「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」 (西関戸(にしせきど))

 「諏訪大神(すわたいじん)」 (上新町(かみしんまち))

 「日本武尊(やまとたけるのみこと)」 (北横宿(きたよこじゅく))

 「浦嶋太郎(うらしまたろう)」 (下新町(しもしんまち))

 「牛天神(うしてんじん)」 (新上川岸(しんうわがし))

 「仁徳天皇(にんとくてんのう)」 (南横宿(みなみよこじゅく))

 「源義経(みなもとのよしつね)」 (上宿(かみじゅく))

 今年(2014年)の「佐原の大祭秋祭り」では、10月10日(金)の「初日」10時から「山車の乱曳き」(山車14台)から始まり、「神輿」の「渡御」、「のの字廻し」、「佐原囃子」と「手踊り」の「披露」が行われ、10月11日(土)の「中日」に「幣台行事」として「全14町」の「山車」が一同に介し、「整列開始」、「通し砂切り」、「山車巡行」、「山車」14台「整列完了」、「全町」による「手踊り披露」、「各町」「順次」「曳き分れ」、「神楽」・「佐原囃子」の「演舞」が行われ、10月12日(日)の「最終日」には「神輿」の「渡御行列」に始まり、「山車乱曳き」、「のの字廻し」、「佐原囃子」と「手踊り」の「披露」、「神楽」・「佐原囃子」の「演舞」、18時00分頃「諏訪神社」に「お神輿」が戻るまで行われます。
 「佐原の大祭秋祭り」では、「秋祭り祭礼区域内」に「各種広場」を特設し、「佐原の大祭秋祭り」では、大きく分けて5つの「会場」(広場)で行われ、「会場」(広場)ですが、「おまつりステージ広場」、「東薫広場」、「わくわく大休憩広場」、「にぎわい広場小江戸茶屋」、「ふるさとお土産テント村」となっています。

 「おまつりステージ広場」は、「佐原信用金庫」「本店駐車場」に設置され、「各町若連」による「手踊り」や「佐原囃子」が披露され、「会場内」には「休憩施設」も設けられ、「軽飲食物」や「お祭りグッズ」の「販売」もあり、「お食事」や「休憩の場」として利用されます。
 「おまつりステージ広場」での「郷土芸能」の「披露」ですが、下記の通りとなっています。

 10月10日(金)〜12日(日) 随時 各町若連による手踊り

 10月11日(土)

 本矢作伊勢神楽保存会(佐原)

 12時00分〜、14時30分〜

 花崎囃子連(成田市)
 手踊り・翔踊会社中(佐原)

 13時00分〜、15時15分〜、17時00分〜、19時00分〜

 10月12日(日)

 大崎大和神楽保存会(佐原)

 12時00分〜、14時00分〜

 新和下座連(成田市)
 手踊り・翔踊会社中(佐原)

 13時00分〜、15時15分〜、17時00分〜、19時00分〜

 「東薫広場」ですが、10時30分から20時00分まで「香取街道」沿いに設置され、「広場内」では「野菜」&「手作りお漬け物」の「産地直売」や「飲食物」の「物販」など、また「お酒」の「試飲会」もあり、「休憩の場」として利用できます。

 「わくわく大休憩広場」ですが、10時00分から22時00分まで「忠敬橋」付近「駐車場」に設置される「広場」で、「広場内」では「飲食物」の「販売」や、「休憩の場」として利用できます。
 また「わくわく大休憩広場」内には「諏訪神社御旅所」(御仮宮)が鎮座するそうです。
 なお「わくわく大休憩広場」には、「町並み観光トイレ」があります。

 「にぎわい広場小江戸茶屋」ですが、「おまつりステージ広場」が設置される「佐原信用金庫」「本店」前に設置され、「小江戸三市」(「川越市」・「栃木市」・「香取市」)・「友好都市」(「喜多方市」)の「テント」が立ち並び、「飲食物」の「販売」や「お食事」・「休憩施設」として利用できます。

 「ふるさとお土産テント村」ですが、10時00分から22時00分まで設置され、「ふるさと産品育成事業」により開発されたおいしい「芋菓子」などの「出店」等が行われます。
 また「ふるさとお土産テント村」には、「休憩用」に「特別ベンチ」もあり、「トイレ」もあるそうです。

 なお「佐原の大祭秋祭り」「期間中」、「利根川河川敷」「特設大駐車場」から「祭り広場」まで「小野川」を「シャトル舟」を運航し、「期間中」は、10時00分から22時00分まで「大幅」な「交通規制」が実施されますので、ご注意下さい。

 「風情」ある「佐原の町並み」、「JR佐原駅」周辺「新宿地区」で開催される「江戸」の「匠」による「絢爛豪華」な「大人形」「山車」14台の「競演」、「曳き廻し」が行われる「北総」きっての「伝統行事」「佐原の大祭秋祭り」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「佐原の大祭秋祭り」詳細

 開催期間 10月10日(金)〜12日(日)

 開催時間 10時〜22時

 「佐原の大祭秋祭り」「イベントスケジュール」

 時間      イベント(会場)

 10日(日)

 10時00分〜   山車乱曳き(山車14台)
 15時00分〜   神輿の渡御(諏訪神社〜御旅所)
 随時      のの字廻し(指定場所)
 随時      佐原囃子と手踊りの披露(おまつりステージ広場他・随所)

 11日(土)

 11時00分頃〜  山車14台整列開始
 13時15分〜   通し砂切の後、山車巡行(14台揃い曳き)
 15時30分頃   山車14台整列完了
 17時00分〜   全町による「手踊り披露」
 17時20分頃〜  各町順次曳き分れ

 *神楽、佐原囃子の演舞

 12時00分〜、13時00分〜、14時30分〜、15時15分〜、17時00分〜、19時00分〜(おまつりステージ広場)

 12日(日)

 9時00分〜   神輿の渡御行列(御旅所〜諏訪神社)
 10時00分〜   山車乱曳き(山車14台)
 随時      のの字廻し(指定場所)
 随時      佐原囃子と手踊り披露(おまつりステージ広場他・随所)

 *神楽、佐原囃子の演舞

 12時00分〜、13時00分〜、14時30分〜、15時15分〜、17時00分〜、19時00分〜(おまつりステージ広場)

 開催会場 JR佐原駅周辺・佐原新宿地区 香取市佐原

 問合わせ 香取市商工観光課 0478-54-1111
      水郷佐原観光協会 0478-52-6675

 備考
 「佐原の大祭秋祭り」ですが、「雨天決行」で行われる「伝統行事」です。
 「佐原の大祭秋祭り」では、「佐原商工会議所」に「無料休憩所」が開設、10月11日(土)・12日(日)の「両日」10時00分から21時00分まで「4F休憩所」が「開放」され、「お祭りグッズ」も販売されるそうです。





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| 地域情報::香取 | 10:53 AM |
「伊能忠敬の明治〜幻の大日本沿海輿地全図〜」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で9月30日(火)〜11月24日(祝・月)の期間開催されます「伊能忠敬の明治〜幻の大日本沿海輿地全図〜」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「佐原」の「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「佐原」の「市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか「千葉県」の「県指定有形文化財」も「8軒」(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)に建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)に建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日のブログ参照)、明治25年(18
92年)に建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「樋橋」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
 「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現「佐原駅方面」)の「田」に送るために「小野川」に架けられた大きな「樋(とよ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られたそうです。
 なお「樋橋」は、1996年(平成8年)に「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。

 「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「功績」を讃(たた)えている「記念館」です。
 以前、「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」の「隣」にありましたが、「記念館」「建設」から「相当」な「年月」がたっており、またかつての「伊能忠敬記念館」の「展示面積」が「手狭」であったなどのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「伊能忠敬旧宅」の「小野川」を挟んだ「樋橋」を渡った「対岸」に新しく「伊能忠敬記念館」が設置されることとなり、「現在の地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。

 「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」に17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居して、のちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで「計」10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬」の「人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
 「伊能忠敬記念館」では、「国宝」に指定された「測量器具」や「伊能図」の「数々」が展示され、「地球」1周分の「距離」を測量して歩いたという「伊能忠敬」の「業績」を偲ぶことができ、その「結晶」ともいえる「正確さ」と「芸術的な美しさ」を備えた「地図」や「伊能忠敬関連資料」などが展示された「伊能忠敬記念館」は「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。

 「伊能忠敬の明治〜幻の大日本沿海輿地全図〜」の「開催」に際し、「伊能忠敬記念館」では、下記のように紹介されています。

 数ある伊能図の「正典」として、江戸幕府及び明治政府に献上された大日本沿海輿地全図は、度重なる火災によって焼失してしまいます。
 しかしながら、明治以降、同図を複製した少なからぬ数の写本が作製されています。
 それを必要とする社会的な要請が強くあったからです。
 伊能図とそれを作製した伊能忠敬の存在は、彼が生きた江戸時代ではなく、むしろ、その後の明治、大正、昭和のなかで脚光を浴びていきます。
 明治という時代には、伊能図と伊能忠敬が国民の誰もが知るべき偉業・偉人として人々のうちに深く刻まれてゆく、歴史の起点がありました。

 こうしたなかで近年、関東大震災により焼失したとされる大日本沿海輿地全図副本の一部ではないかと指摘されている図が存在します。
 伊能忠敬に対する社会的な注目と、そこに支えられた伊能図の研究は、上記の仮説を検証しうる地点にまで歩を進めています。

 本展では、歴史の向こうに幻となった、しかし、確かに存在した、大日本沿海輿地全図の姿を探りながら、明治という時代=日本の近代化のなかで、伊能図と伊能忠敬が果たした役割を紹介していきます。

 「伊能忠敬の明治〜幻の大日本沿海輿地全図〜」の「展示構成」ですが、下記の通りとなっています。

 炎上 〜失われた正典〜

 顕彰 〜伊能忠敬の「夜明け」〜

 実用 〜陸軍と海軍〜

 偉人 〜教育と地域のなかで〜

 また「伊能忠敬の明治〜幻の大日本沿海輿地全図〜」の開催に際し「香取市」では、開催期間中に「記念講演会」を実施するそうです。
 「伊能忠敬の明治〜幻の大日本沿海輿地全図〜」「記念講演会」の「詳細」ですが、下記の通りとなっています。

 記念講演会

 演 題 日本の近代測量・地図作製と伊能図

 講 師 元国土地理院長・社団法人日本測量協会副会長 星埜由尚氏

 日 時 10月18日(土)午後2時(14時)〜午後3時(15時)30分

 場 所 香取市佐原中央公民館3階 大会議室

 入場料 無料

 内 容

 明治維新以降、近代化を急いだ日本にあって、旧陸軍地測量部を中心にして遂行された測量と地図作製の歴史を振り返りながら、そのなかで伊能図がどのように役立てられたのかについてお話をいただきます。

 「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「生涯」をあますところなく案内している「記念館」「伊能忠敬記念館」で開催される「特別展」「伊能忠敬の明治〜幻の大日本沿海輿地全図〜」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「伊能忠敬の明治〜幻の大日本沿海輿地全図〜」詳細

 開催期間 9月30日(火)〜11月24日(祝・月)

 開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1

 休館日  月曜日 (但し、祝日の時は開館)

 開館時間 10時〜18時

 入館料  大人500円 小・中学生250円

 問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118

 備考
 「伊能忠敬記念館」の「小野川」を挟んで「対岸」にある「伊能忠敬旧宅」ですが、10月11日(土)「正午」より「再公開」されるそうです。















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| 地域情報::香取 | 10:09 AM |
「秋の大感謝祭」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「風土村」で10月4日(土)・5日(日)に開催されます「秋の大感謝祭」です。

 「風土村」(2012年2月26日のブログ参照)は、「香取市」「鳩山」にある「和郷園」「関連施設」で、「地産地消」を掲げる「地域コミュニティーショップ」です。
 「風土村」では、下記の「事業」を「地域」に根付いて「生産者」とともに行っています。

 風土村では6名の出資からなる有限会社で、全出資者とも香取市山田地区で事業を展開しています。
 風土村では、地域の活力のある生産者を応援します。
 風土村では、地域情報の発信、お客様とのコミュニケーションができる公開された場として展開します。
 近隣農家中心に150件の方々とご協力をいただいております。

 「風土村」の「名前」の「由来」ですが、「千葉県内」では「標高」の高い「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)に位置する「香取市」「山田地区」は、「海洋性気候」と「内陸性気候」の「影響」で「風」が強く、そのたびに「関東ローム層」の「土埃」が上がる「土地」です。
 この「土地」の「性質」をそのまま「風」と「土」で表現したのですが、「風土」という「中国語源」の「語」は、「季節」の「循環」に対応する「土地」の「生命力」を意味したとあります。
 その「土地」の「気候」・「気象」・「地形」・「地質」・「景観」などの「自然現象」と「人間」の「存在」や「歴史的」・「文化的」な「背景」の「総称」という「概念」で使われる「用語」です。
 又、明治時代に、「身土不二とは「人と土は一体である」「人の命と健康は食べ物で支えられ、食べ物は土が育てる。故に、人の命と健康はその土と共にある。」と言う捉え方」から、四里四方(16km四方)でとれる「旬」のものを正しく食べようという「運動」があったそうです。
 「人間」の「身体」は住んでいる「風土」や「環境」と「密接」に関係していて、その「土地」の「自然」に適応した「旬」の「作物」を育て、食べる事で「健康」に生きられるという「考え方」は、「現代」の「地産地消」や「スローフード」、「マクロビオティック」などにも通じます。
 「地形」の「特徴」とその「土地」の「歴史」・「文化」の「関わり合い」を表す「風土」の「語源」と、「食物」と「生命」を関連付けた「身土不二」の「考え方」(食物=Food)を「経営」の「コンセプト」として名付けられたそうで、「風土」を「商品」とする「直売所」となっています。

 「風土村」の「構成」(概要)ですが、「農産物直売所」、「レストラン風土村」、「サンライズファーム」、「風土村のお花屋さん」となっています。

 「風土村」な「会社概要」ですが、下記の通りとなっています。

 有限会社 風土村

 設立   2002年(平成14年)8月 会社設立
      2003年(平成15年)3月 風土村オープン

 資本金  2450万円

 代表取締役社長 菅谷 幸一 氏

 「風土村」の中でも「人気」を博している「施設」が、「地元」の「生産者」が「丹精」込めて育てた「農産物」が「ラインナップ」された「農産物直売所」です。
 「風土村」のある「香取市」「近隣」は「米どころ」として知られており、「多古米(たこまい)」(2010年9月12日・2012年9月16日のブログ参照)をはじめ、「香取市」「府馬産」の「コシヒカリ」、「穂のめぐみ」など、「厳選」された「お米」が「風土村」に並んでいます。
 その他「農産物直売所」には「地元」の「生産者」に協力してもらい、毎日「採れたて野菜」が出荷されています。
 また「風土村」「農産物直売所」には、「農産物」だけではなく、「お総菜」や「焼きたてパン」、「ハム」、「ソーセージ」、「精肉」、「魚介類」、「お菓子」まで並び、「豊富」な「品揃え」であることでも知られています。
 ちなみに「風土村」「農産物直売所」の「人気商品」ですが、「和郷園」の「OTENTOバナナ」、「OTENTOマンゴー」、「酒ケーキ」、「冷凍野菜」となっています。

 「レストラン風土村」ですが、「和郷園」をはじめとする「地元」の「生産者」が「一生懸命」作った「新鮮な食材」を使った「料理」を提供している「レストラン」です。
 「レストラン風土村」の「こだわり」ですが、下記の「3点」となっています。

 その1 レストラン風土村ではいろいろな食材を紹介したいから、お好きなものをお好きな分だけ召し上がっていただくバイキングレストランスタイルです。

 その2 レストラン風土村では地元の生産者達が毎朝運んでくれる新鮮で栽培にこだわった野菜を使用しています。
 だから安心して食べられるのです。

 その3 レストラン風土村ではお客様の健康に配慮したメニュー作りをしています。
 だから毎日おなかいっぱい食べてもとってもヘルシーです。

 「レストラン風土村」では、「シェフ」「自慢」の「料理」が1500円で「食べ放題」(バイキング)の「ビッフェスタイル」で供され、「ドリンクバー」(ソフトドリンク飲み放題)(ソフトドリンクとソフトクリーム込料金)もついており、「土・日・祭日」と「平日」を共に「同一料金」となっています。
 (平成26年4月1日より変更)
 「レストラン風土村」「営業時間」ですが、11時00分から16時00分まで(14時30分受付終了)「90分制」となっており、「料金」ですが、下記の通りとなっています。

 大人  1500円

 小学生 1000円

 幼児 700円
 (3歳以上学齢前)

 3歳未満 無料

 シルバー  200円割引
 (満65歳以上)

 ドリンクバーのみ 500円
 (利用可能時間13時30分以降又はバイキング利用のご同伴者のみ)

 (アルコール類は別途料金で用意)

 「レストラン風土村」では、上記のように「シルバー料金」(満65歳以上)の「設定」があり、1500円の「200円割引」で利用できるそうです。

 「サンライズファーム」では、「四季折々」の「食材」を使い、「バラエティー」溢れる「お総菜」を「真心」込めて「手作り」で提供しており、「人気」の「ハム・ソーセージ」や「にら饅頭」など、「食材」にこだわり、「安心・安全」な「商品」を提供しています。

 「風土村のお花屋さん」では、「地元生産者」の「花」を「メイン」に使った「切り花」や「鉢物」、「小物」などを販売しています。
 「風土村のお花屋さん」は、「シーズン」に合わせた「植物」・「雑貨」の「癒し系グッズ」や珍しいものなど「時々」入荷するそうです。

 「和郷園」ですが、「創業」以来、「農業生産者」の「自律」を「合い言葉」に「活動」を続けている「農業組合法人」で、「時代」の「ニーズ」を取り入れ、「生産者」の「技術向上」はもちろん、「GAP」の「取り組み」、「加工事業」、「販売事業」、「リサイクル事業」、「海外」における「展開」と、「農業」を「軸」に「活動」の「幅」を広げている「組合法人」です。
 「和郷園」は、「活動理念」として「生産者の自律」、「健康・環境・調和」を掲げ、「自然循環型農業」を行っています。
 「風土村のお花屋さん」でも、「和郷園」が運営する「花屋」「ナチュール」からの「商品」もあるそうです。

 「風土村」では、2014年(平成26年)の「実り」を祝う「イベント」「秋の大感謝祭」です。
 「秋の大感謝祭」ですが、10月4日(土)、5日(日)に開催され、「秋の大感謝祭」の「イベント内容」ですが、「ガラポン大抽選会」、「バイキング」「レストラン風土村」の「大感謝祭限定メニュー」、「ステージイベント」、「催し物」、「特設コーナー」となっています。

 「ガラポン大抽選会」ですが、回してドキドキ!当たって嬉しい!「感謝祭」「恒例」の「人気企画」で、「イベント当日」2000円「お買い上げ」毎に「チャンス」があるそうです。
 「ガラポン大抽選会」の「開催時間」ですが、10時00分から16時00分(10月5日は〜15時00分)までとなっており、「会員生産者」から「協賛」された「秋の味覚」から、普段中々「手」に入り難い「レストラン」の「業務用食材」や「レストラン風土村」「招待券」など「等級」に関係なくどれも欲しくなってしまう「商品」ばかりだそうです。
 「ガラポン大抽選会」「商品」ですが、下記の通りとなっています。

 サンライズファーム
 ・ハム詰合せ
 ・夢遙

 香取市産
 ・コシヒカリ30kg

 ・しあわせ絆牛

 ・コシヒカリ3kg

 レストラン風土村
 ・お食事券

 香取市商工会
 ・やまだふるさと商品券

 かりんの湯
 ・ご招待券

 社長賞
 (何がでるかお楽しみ!)

 ・コーヒーセット

 ・野菜

 ・お菓子

 「バイキング」「レストラン風土村」の「大感謝祭限定メニュー」ですが、「秋の大感謝祭」に合わせ「メニュー」を奮発、「サンライズファーム」「骨付きもも肉」の「カットサービス」や、「老若男女」に「人気」の「握り寿司」を追加、「庭」で昔懐かしい「鰐釜」を使い「薪」で「香取市産コシヒカリ」を炊き上げ、「おにぎり」にして提供され、「腕自慢」の「スタッフ有志」が「自宅」の「お漬け物」も用意するそうです。

 「ステージイベント」ですが、「ふるさと戦隊」「カトレンジャーZ」「ヒーローショー」、「和太鼓」「舞華」となっています。
 「ふるさと戦隊」「カトレンジャーZ」「ヒーローショー」、「和太鼓」「舞華」ですが、10月5日(日)に開催される「ステージイベント」で、「ちびっこ」に「大人気」な「ヒーローショー」と、「迫力満点」の「伝統芸能」が披露されるそうです。

 「催し物」ですが、「青空工房」「日曜ざいく」、「クイックカイロ施術」「体験」となっています。
 「青空工房」「日曜ざいく」では、「親子」で楽しめる「青空工房」の「竹トンボ作り」が体験でき、「クイックカイロ施術」ですが、「割安」に「施術体験」できるそうです。

 「特設コーナー」には、「ファッション」、「地元」の「手作り惣菜」・「しんこ餅」・「草餅」、「銚子産」の「魚介類」を「原料」にした「練り製品」や「秋」の「味覚」の「焼き栗」、「お茶うけ」に「最適」の「米粉菓子」など「盛り沢山」となっています。

 「山田地区」の「人気スポット」「風土村」で開催される「実り」を祝う「秋の催し」「秋の大感謝祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「秋の大感謝祭」詳細

 開催日時 10月4日(土)・5日(日) 10時〜

 開催会場 風土村 香取市鳩山344-4

 問合わせ 風土村 0479-87-0393

 備考
 「風土村」の「人気レストラン」「レストラン風土村」の「人気メニュー」「骨付きハム」の「製法」ですが、下記の通りとなっています。

 良質な国産豚肉のみ厳選、さらに余分な筋や脂の部分をそぎ落とし、美味しい部分だけを残します。

 それを20種類の香辛料などで作った秘伝の調味液でじっくり10日間漬け込みます。
 (調味液は、長年の研究のもとに開発)

 熟成が進んだ肉を、スモークハウスで、ゆっくりと12時間熱をかけて、旨味を閉じ込めながら、完成するそうです。

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「香取護国神社秋季大祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」「香取護国神社」で9月26日(金)に開催されます「香取護国神社秋季大祭」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
 「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」に指定されている「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」(1953年(昭和28年)3月31日「国宝」指定)や「重要文化財」に指定されている「小瀬戸黄釉狛犬(こせとおうゆうこまいぬ)」(1953年(昭和28年)3月31日「重要文化財」指定)、「双竜鏡(そうりゅうきょう)」(1953年(昭和28年)11月14日「重要文化財」指定)などがあり、「香取神宮」には「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「護国神社」は、「国家」のために「殉難」した「人」の「霊」(英霊)を祀るための「神社」で、「護国神社」は、「各道府県」に建立され、その「道府県」「出身」ないし「縁故」の「戦死者」・「自衛隊」・「殉職者」の「皆様」を「主祭神」としています。
 「護国神社」は、明治時代に「日本各地」に設立された「招魂社」が、1939年(昭和14年)の「内務省令」によって一斉に改称して成立した「神社」です。
 「招魂社」の「名称」ですが、「招魂」が「臨時」・「一時的」な「祭祀」を指し、「社」が「恒久施設」を指すことから、「名称」に「矛盾」があるとして、「護国神社」に改称されたそうです。

 「香取護国神社」は、上記のように「香取神宮」「参道」「左手」に鎮座した「神社」で、昭和21年(1946年)9月に創建されました。
 「香取護国神社」は、明治以降の「香取郡市内」「出身」の「御霊」を「御祭神」とされています。
 「香取護国神社」では、「春」・「秋」の二度、「例祭」(大祭)が行われています。

 「香取護国神社秋季大祭」ですが、上記のように旧・「香取郡市内」の「英霊」をお祀りする「香取護国神社」で催行される「秋」の「大祭」(例祭)です。
 「香取護国神社」には、「日清戦争」、「日露戦争」、「大東亜戦争」に出征され、「国」のために散華された「戦没者」を「御祭神」としてお祀りされており、「香取護国神社秋季大祭」「当日」は、「ご遺族」の「御参列」を頂き、「香取神宮」の「神職」が「祭典」をご奉仕するそうです。
 また「香取護国神社秋季大祭」では、「御霊」を「お慰め」する「浦安の舞」を「巫女」が奉奏するそうです。
 「浦安の舞」ですが、「昭和天皇」の「御製」を「元」にした「神楽舞」で、「世界」の「恒久平和」を祈る「舞」だそうです。
 なお「香取護国神社秋季大祭」は、どなたでも「御参列」することが出来るそうですので、「御参列」「希望」の「方」は、「香取神宮」「社務所」までお問い合わせ下さいとのことです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」「境内」に鎮座する「香取護国神社」で催行される「行事」「香取護国神社秋季大祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「香取護国神社秋季大祭」詳細

 開催日時 9月26日(金) 11時〜12時

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」では、10月13日(祝・月)の「夕方」より、「神徳館」に於いて「香取雅楽会創立10周年記念雅楽演奏会」が開催されるそうです。















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「秋の山野草展示会」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で9月21日(日)に開催されます「秋の山野草展示会」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)
(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(おごそ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「山野草(さんやそう)」または「山草(さんそう)」とは、「国内外」の「平地」から「高山」に至る「野外」に自生する「鑑賞価値」のある「草本」、「抵木(ていぼく)」(英・shrub)及び「小抵木」の「一部」を含む幅広い「意味」を持つ「言葉」ではありますが、「日本国内」における「近代的」な「山野草栽培」の「歴史」は100年程度と浅いこともあり、未(いま)だに「明確」な「定義」が確立されていないそうです。
 「山野草」ですが、「一般的」には「野生植物」のみを指すと思われることが多いですが、近年では「国内外」で「品種改良」されたものが「山野草」として流通している「例」も多く、「取扱業者」が「便宜的」につけた「不適当」な「名称」で取り引きされている場合もあり、また、「ラン科」の「エビネ属」や「キンポウゲ科」の「オオミスミソウ」などのように、「優秀」な「技術」を有する「専門業者」等により「積極的」な「育種」が試みられ、「鑑賞価値」の高いものが広く普及しつつあるものもあるそうです。
 さらに、「日本春蘭」(シュンラン)、「富貴蘭」(フウラン)、「長生蘭」(セッコク)、「日本桜草」(サクラソウ)などの「高度」に「園芸化」された「古典園芸植物」をも広く含む場合があるそうです。

 「山野草」という「名」の「下」で栽培されているのは、「日本」の「野生植物」だけではなく、「海外」の「植物」であっても、そのような「名」で呼ばれ、栽培されているものはあるそうです。
 「全体」として、「小柄」で、「花」は美しくても「派手」ではないものが、それに「既成」の「園芸植物」や「観葉植物」とはあまり似ていないものが好んでこの「名」で呼ばれるようであるそうです。
 「一般」に「園芸植物」と言えば、「代々」にわたって栽培され、「品種改良」によってより美しく、「派手」になったものを栽培することであり、これは、特に「西洋」の場合にその「傾向」が強いそうです。
 それに対して、「日本」では、そのような「傾向」が見て取れ、「山野草」はその「延長上」のものと考えられます。

 近年の「山野草ブーム」ですが、1970年代頃からの「エコロジーブーム」など、「自然」へ向けられる「目」が増えたことによってか、「高山植物」や「野生植物」を「観賞」の「対象」として栽培することが「話題」にのぼるようになりました。
 その後、「エビネブーム」・「野生ランブーム」などいくつかの「波」を越えつつ、ひとつの「ジャンル」として定着しました。
 「山野草ブーム」の「初期」の頃は、「呼称」として「山草」が使われることが多かったようで、これに、より「一般的名詞」として使われてきた「野草」が結びついた「形」で、2000年代現在ではほぼ「山野草」が「定着」しているように見えます。

 「秋の山野草展示会」ですが、「千葉県立東庄県民の森」で開催される「展示会」で、9月21日(日)9時00分から15時00分まで行われます。
 「秋の山野草展示会」の「受付時間」、「開催会場」ですが、上記のように9時00分から15時00分まで「東庄県民の森」「ふるさと館」を「会場」とし、催されます。
 「秋の山野草展示会」の「内容」ですが、「山野草」の「展示」と「販売会」となっています。

 「緑」豊かな「千葉県立東庄県民の森」で開催される「恒例」の「催し」「秋の山野草展示会」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「秋の山野草展示会」詳細

 開催日時 9月21日(日) 9時〜15時

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「秋の山野草展示会」ですが、「雨天」「決行」で行われる「催し」です。

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「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で9月13日(土)に開催されます「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)
(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(おごそ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「炭」(すみ、Charcoal)とは、「狭義」には、「有機物」が「蒸し焼き」になり「炭化」することで得られる、「炭素」を「主成分」とする「可燃物」で、「製品」であり、「木炭」、「竹炭」、「ヤシガラ炭」などは、「燃料」などに使われます。
 「炭」ですが、「広義」には「炭素」を「主成分」とする「燃料全般」を意味し、「石炭」、「泥炭」などや、「石炭製品」の「練炭」、「コークス」なども含みますが、ここでは「主」に「狭義」の「炭」について記載します。

 「炭」の「製法」ですが、「有機物」を、「不完全燃焼」させるとでき、「薪」への「酸素」の「供給」が「不十分」であったり、あるいは「料理」を加熱しすぎたりして、意図せず「炭」になることもあるそうです。

 「炭」の「歴史」ですが、「日本」では古くは平安時代から、戦後、「石油」や「ガス」などへ「燃料」が転換する「高度成長期」頃までの「長年」にわたり、「産業分野」や「一般家庭」でも「普通」に用いられる「燃料」だったそうです。
 「薪炭(しんたん)」という「単語」は「ポピュラー」であり、「薪」や「木炭」の「供給源」としての「薪炭林」、「厳冬地」「赴任」での「薪炭手当」という「言葉」も使われており、「町中」には「薪炭店」、「薪炭商」があり、「家庭」で「日々」使われる「木炭」、「練炭類」、「薪」などを販売していました。

 現在、「家庭」での「日々」の「燃料」としての「用途」よりも、「キャンプ」や「バーベキュー」などの「レジャー」や、「茶道」など「趣味性」の「分野」で使われており、「業務用」としては「炭火焼」を「セールスポイント」としている「飲食店」での「利用」が多いようです。

 「炭」ですが、「アジア各地」や「アフリカ」で「製材」の際に出る「廃棄物」として捨てられていた「おが屑」や「ヤシ殻」、「ピーナッツ殻」は「日本」の「技術指導」により「オガ炭」などの「成形木炭」を生産する「工場」も現れ「資源」の「有効利用」として活用されています。
 「炭」は、2000年代後半以降、「原油価格」の「高騰」もあり、「バイオマス燃料」のひとつとして見直されてきています。

 「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」ですが、「千葉県立東庄県民の森」の「仕事体験」で、9月13日(土)に開催されます。
 「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」の「受付場所」ですが、「東庄県民の森管理事務所」で9時30分から「受付」をし、10時00分から「体験教室」を行うそうです。
 「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」の「実施内容」ですが、上記のように10時00分から「炭」にする「材料」を「缶」に詰めて、「火」をおこし「炭」を作るといった「内容」となっています。
 「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」の「参加費」は「お一人」200円(材料費含)となっており、「募集定員」ですが、20名程度となっています。
 「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」ですが、「参加」される「方」は、「電話予約受付順」となっています。

 「緑」豊かな「千葉県立東庄県民の森」で開催される「体験教室」「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」詳細

 開催日時 9月13日(土) 10時〜(受付時間 9時半〜)

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」は、「雨天」の場合「中止」となるそうです。
 「里山の仕事体験」「花炭をつくってみよう」に参加される方は、汚れてもよい「服装」での「参加」を呼びかけており、「軍手」を「持参」下さいとのことです。

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| 地域情報::香取 | 10:36 PM |

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