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「銚子ジオパーク認定2周年記念行事」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」で9月6日(土)〜16日(火)、9月23日(祝・火)〜10月5日(日)の期間開催されます「銚子ジオパーク認定2周年記念行事」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、「東京」から100km、「東経」140度50分、「北緯」35度44分、「関東平野」の「最東端」に位置しています。
 「銚子市」は、「北」に「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)を隔て、「茨城県」「神栖市」に対し、「東」から「南」は「太平洋」に臨み、「利根川」沿い「北西方面」は「香取郡」「東庄町」と、「太平洋」側「南西方面」と「旭市」と接しています。
 「銚子市」の「面積」は、83.91平方km、「沖」を流れる「暖流」・「寒流」の「影響」を受け、「夏」は涼しく、「冬」は暖かい「気候」です。

 「銚子半島」に「人間」が暮らし始めたのは、約1万5千〜2万3千年前くらいの「旧石器時代」といわれています。
 「海」を臨む「この地」は、「自然」に恵まれ、数千年もの長い間、「狩猟」と「漁撈」を「中心」とした「生活」が営まれ、その当時の「様子」ですが、「粟島台遺跡」や「余山貝塚」からの「出土品」などから知ることができます。

 「銚子市」の「最東端」「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)は、「太平洋」に突出する「岬」で、「岬」には「世界灯台100選」にも選ばれた「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)が屹立(きつりつ)しています。
 「犬吠埼」付近一帯は「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)に含まれる「景勝地」で、「風光明媚(ふうこうめいび)」な「海岸線」は、かつて「数々」の「文人」、「墨客」が訪れ、「高浜虚子」、「国木田独歩」(2011年6月20日のブログ参照)、「佐藤春夫」などの「歌碑」、「詩碑」が立っています。

 「犬吠埼」の「地層」は、「中生代」の「白亜紀」という「時代」にできたといわれており、今からおよそ1億2000万年前の「地質時代」だそうです。
 浅い「海底」に「長い時間」をかけて堆積された「地層」が、のちに「陸地」になりましたが、当時の「様子」を「犬吠埼灯台」周辺の「岩石」や「化石」、「地質構造」から読み取ることができるそうです。
 「犬吠埼の白亜紀堆積物」ですが、2002年(平成14年)に「国」の「天然記念物」として指定され、また2007年(平成19年)には、「日本の地質百選」にも選定されています。

 「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」(2012年5月20日のブログ参照)は、「銚子市」「名洗町」から「旭市」「上永井」の「刑部岬(ぎょうぶみさき)」(2012年5月26日のブログ参照)までの「海岸線」に連なる「断崖絶壁(だんがいぜっぺき)」、「海食崖」のことです。
 「屏風ヶ浦」の「高さ」60mに及び「岸壁」は、かつては「海底」であった「層」(砂岩質の岩の部分)の上に「関東ローム層」の「赤土」(火山灰が積もって「鉄分」が赤く酸化したもの)が堆積したものなのだそうです。
 「屏風ヶ浦」の「崩落」した「岩」を見ますと、「貝殻」などの「化石」や、かつて、そこで生活していた「生物の痕跡」が残っています。
 「屏風ヶ浦」の「崩落」した「石」は、「潮流」に乗って「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)へと流れて行き、「海岸」に打ち上げられるそうで、「九十九里」では「飯岡石」と呼ばれています。
 「屏風ヶ浦」では、「砂岩質」の「土壌」が弱いのと、打ち寄せる「波の強さ」もあり、「有史」以来、数kmに渡って、「岸壁」は削られています。

 「銚子ジオパーク」ですが、大きくわけて、4つの「ジオサイト」にわかれており、4つの「ジオサイト」ですが、「屏風ヶ浦ジオサイト」、「愛宕山(あたごやま)・千騎ヶ岩(せんがいわ)・犬岩(いぬいわ)ジオサイト」、「黒生(くろはえ)・夫婦ヶ鼻(めどがはな)・宝満(ほうま)ジオサイト」、「犬吠埼ジオサイト」となっています。

 「銚子ジオパーク」は、2012年(平成24年)4月に「日本ジオパーク委員会」に「認定申請書」を提出、そして9月24日に行われた「日本ジオパーク委員会」にて、「神奈川県」の「箱根」、「秋田県」の「八峰白神」、「秋田県」の「ゆざわ」、「静岡県」の「伊豆半島」と共に「千葉県」の「銚子市」の「5ヵ所」を「地域」の「地形」や「地質」を楽しめる「自然公園」「日本ジオパーク」に認定されました。

 そして、11月2日(金)〜5日(月)、「世界ジオパーク」「認定」の「室戸ジオパーク」がある「高知県」「室戸市」で、「第3回日本ジオパーク全国大会」が開催され、「銚子ジオパーク」として、「日本ジオパーク委員会」から「認定書」を授与されたそうです。
 この「大会」では、「各地域」の「ジオパーク関係者」が集い、「勉強会」が行われ、その中で「ジオパーク」は、「場所ではなく、人とその活動」であることがあらためて「クローズアップ」されたそうです。
 今はまだ、「ジオパーク」と聞くと「地層」「岩石」などを想像し、それらを見学することと思われているところもあるようです。
 しかし「ジオパーク」とは、「見る、食べる、学ぶ」ことで、その「土地」をまるごと楽しむことと、「日本ジオパーク委員会」は提唱しているそうです。

 この度(たび)「銚子市」では、「銚子ジオパーク」「認定」「2周年」を「記念」して、「銚子ジオパーク認定2周年記念行事」を開催するそうです。
 「銚子ジオパーク認定2周年記念行事」の「内容」ですが、「企画展」「銚子ジオパークってなんだろう?」、「実験で台風を知ろう!」、「銚子ジオパーク講演会」となっています。

 「企画展」「銚子ジオパークってなんだろう?」ですが、9月6日(土)〜16日(火)、9月23日(祝・火)〜10月5日(日)の「期間」開催される「企画展」ですが、10時00分〜19時00分まで行われます。
 (9月16日(火)、10月5日(日)は16時00分まで)
 「企画展」「銚子ジオパークってなんだろう?」の「会場」ですが、「イオンモール銚子」「2階」「しおさいプラザ」となっています。
 「企画展」「銚子ジオパークってなんだろう?」の「内容」ですが、「パネル」や「写真」を通して「銚子ジオパーク」の「魅力」と「楽しみ方」を伝える「内容」となっており、今回「初公開」の「化石」の「展示」もあるそうです。

 「実験で台風を知ろう!」ですが、9月23日(祝・火)10時00分〜11時00分に開催される「体験」です。
 「実験で台風を知ろう!」の「会場」ですが、「勤労コミュニティセンター」「2階ホール」となっており、「内容」ですが、「台風」に関する「簡単」な「気象実験」を通して、「台風」の「不思議」を「体験」するそうです。
 「実験で台風を知ろう!」の「対象」ですが、「小学生」「4年生」以上となっており、「費用」ですが、「参加費」「無料」で、「定員」ですが、30人(先着順)となっています。

 「銚子ジオパーク講演会」ですが、9月23日(祝・火)15時00分〜16時30分に開催される「講演会」です。
 「銚子ジオパーク講演会」の「会場」ですが、「勤労コミュニティセンター」「2階ホール」となっており、「講演会」の「テーマ」ですが、「ジオパークをどう活かすか・世界と日本の国立公園の経験から」となっています。
 「銚子ジオパーク講演会」の「講師」ですが、「加藤峰夫」さん(横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授)で、「費用」ですが、「参加費」「無料」、「申込不要」となっています。

 「銚子ジオパーク」の「認定」「2周年」を「記念」し、開催される「記念行事」「銚子ジオパーク認定2周年記念行事」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「銚子ジオパーク認定2周年記念行事」詳細

 申込・問合わせ 銚子ジオパーク推進協議会事務局 0479-24-8911

 備考
 「銚子ジオパーク認定2周年記念行事」を「主催」している「銚子ジオパーク推進協議会」の「皆さん」は、「銚子ジオパーク」「HP」や「Facebook」にて、「活動」等を配信されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2449 |
| 地域情報::銚子 | 10:08 AM |
「航空ジャンク市」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で9月6日(土)・7日(日)に開催されます「航空ジャンク市」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に隣接する「山武郡」「芝山町」にある「日本最初」の「航空専門」の「科学博物館」です。
 「航空科学博物館」は、1989年(平成元年)8月1日に開館して以来、「航空ファン」、「航空マニア」、「観光客」、「地元客」の「皆さん」に愛され、賑わっている「観光スポット」です。
 また「航空科学博物館」は、近年「人気」を博している「社会科見学」ができる「スポット」と知られており、「子供たち」にも「人気」のある「施設」となっています。

 「航空科学博物館」の「沿革」ですが、下記の通りとなっています。

 1977年(昭和52年) 地元自治体の芝山町より成田空港の開港に関連した博物館建設の要望が運輸大臣に提出される。

 1984年(昭和59年) 博物館の建設・運営の事業主体となる財団法人航空科学振興財団が設立。

 1988年(昭和63年) 博物館工事に着工。

 1989年(平成元年) 8月1日 開館。

 1994年(平成6年) 入館者100万人を達成。

 1999年(平成11年) 成田空港第1ターミナルビル内にミュージアムショップ「バイプレーン」を開店。

 2004年(平成16年) 1月18日 入館者300万人を達成。

 2011年(平成23年) 6月23日 成田国際空港株式会社が航空科学博物館敷地(駐車場)内に成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港空と大地の歴史館」を建設し開館。

 2012年(平成24年) 4月1日 公益財団法人航空科学博物館に移行

 「航空科学博物館」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「原寸大模型」や「ピストンエンジンコーナー」などの「展示物」をはじめ、「飛行機のあゆみ」の「展示」、「飛行機の体験コーナー」等「充実」した「内容」となっています。
 さらに「航空科学博物館」「屋外展示場」には「新聞社」で活躍した「セスナ」、「ヘリコプター」など10機以上の「航空機」を展示し、「有料搭乗」も「可能」な「航空機」もあるそうです。
 「航空科学博物館」は、「成田国際空港」に隣接しているため(「空港」「北側」に立地)、「展望展示室」からは、「ガイド」の「説明」を「参考」に「成田国際空港」に離着陸する「航空機」を見ることができます。
 また「航空科学博物館」では、「年間」を通じ、「様々」な「イベント」(行事)、「企画展」を行っており、「人気」を博している「スポット」です。

 「航空科学博物館」では、上記のように「航空」や「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」さまざまな「催し」・「イベント」を行っています。
 また「航空科学博物館」では、「展示即売会」、「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」「航空グッズ」の「販売」(航空ジャンク市)等の「各種イベント」も開催されています。

 「航空ジャンク市」(2013年9月5日のブログ参照)は、毎回「好評」を博している「航空科学博物館」の「恒例イベント」で、「航空ジャンク市」では、普段あまりお目にかかれない「航空部品」や「エアライングッズ」などを販売しており、多くの「航空ファン」、「航空マニア」の「皆さん」が訪れる「人気」の「イベント」です。
 「航空ジャンク市」の「開催場所」ですが、「航空科学博物館」1F「多目的ホール」となっており、「料金」は「入館料」のみとなっています。
 「航空ジャンク市」の「内容」ですが、「年」2回、3月及び9月に開催される「恒例イベント」で、上記のように普段あまりお目にかかれない「航空部品」や「エアライングッズ」などを「格安」で販売するといった「内容」となっています。
 「航空ジャンク市」には、「旅客機」の「客室シート」をはじめ、「バイロット」の「シート」、「計器」などの「航空部品」、「エアライングッズ」などがラインナップされ、「航空マニア」垂涎(すいぜん)、「航空ファン」興奮の「航空グッズ」が販売されます。

 今年(2014年)(今回9月開催)の「航空ジャンク市」の「目玉商品」ですが、下記の通りとなっています。

 「航空科学博物館」「屋外展示場」に展示されている「YS-11モデルプレーン」

 「人気」の「ミールコンテナ」 20000円〜

 珍しい「ボーイング」の「革ジャンパー」 26000円〜

 「エアラインサインパネル」 5000円〜

 「格安精密模型」 800円〜

 等々となっています。

 ちなみに昨年(2013年)の「航空ジャンク市」では、「交通案内板」、「シートベルト」の「バックル」を使用した「ベルト」、小さい「ギャレー」、「行き先表示板」等も販売され、今年(2014年)(3月開催)の「航空ジャンク市」では、「限定」2席の「DC-8」「パイロットシート」、「アメリカ直輸入」「航空機エンジンシャフト」などを利用した「インテリアガラステーブル」(「高さ」約70cm)、「特価航空機模型」、「B727コックピットモデル」が販売されていました。
 「航空ジャンク市」ですが、「ジャンク市」という「性格上」、「商品」が「安定供給」されるものではないので、何がラインナップされるかは、当日にならなければわからない「要素」は多分にありますので、ご参照下さい。

 「航空専門」の「科学博物館」「航空科学博物館」で開催される「ならでは」の「人気恒例イベント」「航空ジャンク市」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「航空ジャンク市」詳細

 開催期間 9月6日(土)・7日(日)

 開催時間 9月6日(土) 10時〜17時
      9月7日(日) 10時〜16時

 開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3

 休館日  月曜日

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空ジャンク市」の「開催」に伴い、「航空科学博物館」では、「DC-8シミュレーター」・「多目的ホール」・「図書館」を9月2日(火)から9月8日(月)の「期間」休止するそうですので、ご注意下さい。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2232 |
| 地域情報::成田 | 10:33 AM |
「御待夜祭(おたいやさい)」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」で9月6日(土)・7日(日)に開催されます「御待夜祭」です。

 「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」(2010年12月23日のブログ参照)は、「成田市」「宗吾」にある「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「鳴鐘山」です。
 「鳴鐘山東勝寺」は、「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られていることから「宗吾霊堂」と広く呼ばれており、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」として親しまれています。

 「鳴鐘山東勝寺」の「創建年代」等については「不詳」なのだそうですが、「鳴鐘山東勝寺」「寺伝」によりますと、「桓武天皇」の「勅命」により、「征夷大将軍」「坂上田村麻呂」が「房総」を平定した際の「戦没者」のために「建立」・「創建」したといわれています。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、たびたび「火災」にあって「寺地」を転々とし、1662年(寛文2年)「澄祐」により再興され、「下方字鐘打」に移ったそうです。
 その後、「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」は、1910年(明治43年)「火災」により焼失し、1921年(大正10年)「現在地」に再建されたそうです。

 上記のように「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」に祀られている「義民」・「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「徳川4代将軍」「徳川家綱」の地代に「佐倉藩」の「領民」を救うため、「将軍」に直訴し、当時の「佐倉藩」の「苛政」をおさめられた「人物」です。
 当時の「佐倉藩」は、打ち続く「凶作」と「過酷」な「重税」に「農民」が苦しめられており、「幕府」に「農民」の「窮状」を訴えましたが、その「訴状」は受け入れられず「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、当時禁じられていた「将軍」への「直訴」を決行し、「農民たち」を苦しめていた「重税」が見直され、「村々」の「願い」は叶えられたそうです。
 「佐倉藩」の「苛政」はおさめられたものの、「義民」「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は、「直訴」したことにより「磔(はりつけ)刑」に処され、承応2年(1653年)8月3日に処刑されてしまいました。
 それから100年後、宝暦2年(1752年)、「佐倉藩」は、その「失政」を悔い、「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「名誉」を回復し、「宗吾道閑居士」の「法号」を謚号(しごう)し、以来「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)は「宗吾様」と呼ばれるようになり、今では江戸時代の「義民」・「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)が祀られている「寺社」「宗吾霊堂」として、「全国」の「信者」が「参拝」に訪れています。

 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「伽藍」ですが、「大本堂」、「仁王門」、「薬師堂」、「聖天堂」、「鐘楼堂」、「宗吾霊宝殿」、「宗吾御一代記館」、「大本坊」・「旧客殿」などとなっています。
 「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」の「大本堂」ですが、「真言宗」の「御本尊」「大日如来」ではなく「佐倉惣五郎」(佐倉宗吾・木内惣五郎)の「霊」が祀られており、「薬師堂」には「御本尊」「薬師瑠璃光如来」、「聖天堂」には「坂上田村麻呂」の「寺仏」と伝わる「大聖歓喜天像」が祀られています。
 また「宗吾御一代記館」では、「宗吾様」(佐倉惣五郎・佐倉宗吾・木内惣五郎)の「生涯」を、66体の「人形」を使った「立体パノラマ」で解説されています。
 また「鳴鐘山東勝寺」「宗吾霊堂」「玉垣」ですが、「演目」「佐倉義民伝」の「大入り」の「御礼」から「歌舞伎役者」の「寄進」が盛んであったことが刻まれた「名前」からわかるそうです。

 「御待夜祭」は、今から約350年前、打ち続く「凶作」と「過酷」な「重税」に苦しむ「農民」を救うため、当時禁じられていた「将軍」への「直訴」を決行し、処刑された「義民」「佐倉宗吾」(木内惣五郎・佐倉惣五郎)を偲び、「命日」にあたる「9月第一土曜日・日曜日」に開催される「宗吾霊堂」の「例大祭」です。
 「御待夜祭」は、1802年(享和2年)、「佐倉宗吾」(木内惣五郎・佐倉惣五郎)の「150年忌」の「供養」が行われたとき、「台方村」が「総代」となり、「笹踊り」を興行したのが「始まり」とされています。

 「御待夜祭」では、「例大祭」「両日」(土曜日・日曜日)「鳴鐘山東勝寺」「御本堂」で「信徒安穏」の「大護摩」の「修行」があり、7日(日)の「大護摩修行」の11時の「法要」は、「ご開帳」並びに「大般若経六百巻転読会」の「特別法要」が行われるそうです。
 また「御待夜祭」「両日」、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」の広い「境内」に、たくさんの「露店」がところ狭しと立ち並び、「家族連れ」や「子供達」の楽しげな「笑い声」があふれ、賑やかな「活気」に包まれ、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」「境内」は、昭和30年代に「タイムスリップ」したかのような懐かしい古き良き「日本」を感じさせる「雰囲気」に包まれ、「ヒグラシ」の「鳴き声」が「夕闇」に溶け込む頃、「露店」に「灯り」がともり、「祭り」はいよいよ盛り上がりをみせるそうです。

 「御待夜祭」では、目移りするほどズラリと並んだ「露店」を巡って、「イカ焼き」や「あんず飴」、「お好み焼き」など、「祭り」ならではの「食べ物」を楽しめたり、「金魚すくい」や「射的」、「型ぬき」や「輪投げ」などの「遊び」に興じることができ、「童心」に返れる「お祭り」となっており、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」「境内」には、300を超える「露店」が立ち並ぶそうです。
 また「御待夜祭」では、「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」周辺の「沿道」で、「子供連」及び「大人連」により、「屋台」が威勢よく曳き廻され、また「剣道」・「弓道」の「大会」や「各種民芸」・「カラオケ大会」など「様々」な「イベント」も行われており、「御待夜祭」は、「秋の風物詩」となっています。

 現在も多くの「人々」「信徒」に慕われている「義民」「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)を祀る「宗吾霊堂」「鳴鐘山東勝寺」で開催される「佐倉宗吾」(佐倉惣五郎・木内惣五郎)の「御霊」を慰めるための「例大祭」「御待夜祭」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「御待夜祭」詳細

 開催期間 9月6日(土)・7日(日)

 開催会場 宗吾霊堂 成田市宗吾1-558

 問合わせ 宗吾霊堂 0476-27-3131

 備考
 「宗吾霊堂」は、上記のように「鳴鐘山東勝寺」といい、「成田」といえば「成田山新勝寺」が「先(さき)」に思い浮かぶ「方」もおられると思いますが、「新勝寺」(「成田山新勝寺」)は、「東勝寺」(鳴鐘山東勝寺) よりも新しい「寺」という「意味」で、「この名」がつけられているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2252 |
| 地域情報::成田 | 10:00 AM |
「日中交流30年のあゆみ-成田山における書法の絆-」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田山書道美術館」で9月6日(土)〜10月19日(日)の期間開催されます「日中交流30年のあゆみ-成田山における書法の絆-」です。

 「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)は、「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「大本堂」の「奥」に広がる「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)の「一角」に建つ「書」の「専門」「美術館」です。
 「成田山書道美術館」では、「水」と「木々」が快(こころよ)い「調和」を生む「三の池」の「畔(ほとり)」に「書の世界」が広がっています。
 「成田山書道美術館」は、江戸末期から現代に至る「日本」の「書道作品」や「資料」を収蔵し、展示しており、特に「成田山書道美術館」では、あまりにも現代に近いが故(ゆえ)に見過ごされがちな「近代日本」の「書作品」を広い「視野」から収蔵しています。

 「成田山書道美術館」「展示棟」1階は「吹き抜け」になった「中央プラザ」をもつ「企画展示室」や「高さ」13mの「壁面」をもち、ゆったりとした「空間」で「作品」を鑑賞することができます。
 「成田山書道美術館」2階は「常設展示室」となっており、「回廊式」の「ギャラリー」となっています。
 「成田山書道美術館」は、「書」の「総合美術館」として、優れた「作品」を鑑賞できることはもちろん、「作品」の「保存」・「研究」・「普及」など、「専門家」から「一般の人」が楽しめるそうです。

 「成田山書道美術館」は、「近現代」の「書蹟」の「収蔵」では、「質量」ともに「群」を抜いており、これらを生かした「展示」・「普及」・「研究活動」が行われています。
 「成田山書道美術館」ですが、「書」を「専門」とした「美術館」として「書文化」の「興隆」に貢献し、「書」を含む「美術」「全般」に「目」を向け、「美術館」の「施設」を生かした「複合的」な「展示」に取り組んでおり、「書」は「苦手」という「人」でも「抵抗」なく楽しめるように「展示」・「運営」されています。

 「成田山書道美術館」では、「テーマ」を変えながら「年間」6〜7回「展示」を行っています。
 「近現代」の「書」は、「鑑賞」という「点」において、「絵画」や「彫刻」などと比べるとまだまだ「発展途上」のようですが、「成田山書道美術館」では「様々」な「切り口」での「展示」を「企画」し、「書の魅力」を「多方面」に感じられる「場」を提供しています。

 「日中交流30年のあゆみ-成田山における書法の絆-」ですが、「成田山書道美術館」で9月6日(土)から10月19日(日)までの「期間」開催される「催事」です。
 「日中交流30年のあゆみ-成田山における書法の絆-」の「開催要項」ですが、下記の通りとなっています。

 昭和59年(1984年)、当山は宗祖弘法大師1150年御遠忌を記念して成田山平和大塔を建立いたしました。
 加えて書聖と仰がれる宗祖のご遺徳を顕彰するため、日本全国の書法家より1150点、中国書法家より500余点の書作品をご奉納いただきました。
 これを機縁として、成田山と日中両国書道界とのご縁が深まり、成田山全国競書大会実行委員会が組織され、昭和60年(1985年)、第1回成田山全国競書大会が読売新聞社、駐日中国大使館のご後援のもとに開催されました。
 以来皆様の格別なるご支援により大会を重ね、第24回大会からは中国書法家協会のご支援もいただき、平成26年(2014年)、第30回大会を開催する運びとなりました。
 この度、成田山と中国書法家協会とのご縁を振り返り、青少年による「日中交流30年のあゆみ」と題して、中国青少年書道交流訪日団団長を務めた趙長青先生をはじめとする先生方からの寄贈作品並びに成田山全国競書大会関係の先生方の作品を展示いたしました。
 ここに全国の書壇関係各位のご協力に深謝し、日中交流のあゆみをご報告するため本展を開催いたします。

 「日中交流30年のあゆみ-成田山における書法の絆-」の「展示内容」ですが、下記の通りとなっています。

 中国書法家協会副主席趙長青先生作品、中国青少年書道交流訪日団第1回〜3回団長作品約30点

 成田山全国競書大会実行委員会歴代顧問及び実行委員会各先生作品約30点

 交流事業を伝える写真約20点及び記念品など

 「書」の「総合美術館」「成田山書道美術館」で開催される「催事」「日中交流30年のあゆみ-成田山における書法の絆-」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「日中交流30年のあゆみ-成田山における書法の絆-」詳細

 開催期間 9月6日(土)〜10月19日(日)

 開催会場 成田山書道美術館 成田市成田640

 開館時間 9時〜16時 (入館は〜15時半)

 休館日  月曜日(月曜が休日の場合開館し、翌日休館)

 入館料  展覧会会期中は無料

 問合わせ 成田山書道美術館 0476-24-0774

 備考
 「成田山書道美術館」の「横」には、「水」の落ちる「音」が「琴」の「音」のように聞こえる「水琴窟(すいきんくつ)」も見られるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2246 |
| 地域情報::成田 | 10:18 AM |
「式年大祭御船祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」〜「大船津」〜「北浦」〜「浪逆浦」〜「加藤洲」で9月1日(月)〜3日(水)の期間開催されます「式年大祭御船祭」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」です。
 「鹿嶋市」は、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来IC」(潮来市内))の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(「香取市」、「成田市」、「千葉市」、「銚子市」など)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を「中心」とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を「中心」とした「工業都市」として知られています。
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(「他」に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。

 「北浦」は、「茨城県」の「霞ヶ浦(かすみがうら)」を構成する「湖」のひとつで、「茨城県」「南東部」にある「湖」です。
 「北浦」は、「鹿嶋市」と「鉾田市」、「行方市」、「潮来市」、「神栖市」に囲まれた「南北」25kmの「細長い形」をなし、「面積」は36.1平方km、「周囲」68km、「水深」7mの「富栄養湖(ふえいようこ)」です。
 ちなみに「富栄養湖」とは、「調和型」の「湖」に分類され、「窒素」、「リン」などの「栄養塩濃度」が高く、「生物生産力」の大きい「湖」です。
 「北浦」は、「鹿島」、「行方」両「台地」は「鋸歯(きょし)状」に「岬」と「入り江」が交互し、「北」から「巴川(ともえがわ)」が注ぎ、「南」は「鰐川」、「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)、「常陸川(ひたちがわ)」を経て、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に流出しています。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘(かしまなだ)」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の年に当たり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「ふつのみまたのつるぎ」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」と仰がれています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「御船祭」が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)より「3日間」「御船祭」が行われます。
 (「前日」8月31日(日)午後には「御座船清祓式」が執り行われます。)

 「御船祭」の「おこり」ですが、「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」(2012年6月3日のブログ参照)に

 「毎年七月に舟を造りて津宮に奉納する」

 とあるように、「鹿島の神」と「船」との「関係」は創建時代にまで遡(さかのぼ)ります。
 「東路」の「果て」に位置する「鹿島」はその昔、「外海」の「太平洋」と「西」の「内海」の中で「船団の航行」によって栄えた「古代東国文化」の「要衝」でした。
 従って「御船祭」は、「東海」を扼する「鹿島」に鎮座して「関東」の「開拓鎮撫」に当たる「鹿島の大神」を奉ずる「人々」の「足跡」を伝える「祭」であり、凡そ1700年前の「応神天皇」の「御代」より伝わる「鹿島神宮」「最大の祭典」となっています。
 「御船祭」は、「応神天皇」の「母」「神功(じんぐう)皇后」が出征する際に、「鹿島神宮」の「御祭神」が「皇后」の「船」を守ったことに「由来」し、「祭り」は一時、途絶えていたそうですが、明治3年(1870年)に500年ぶりに復活、明治20年から12年ごとに行われるようになったそうです。
 ちなみに「御船祭」が十二年に一度の「午年」に斎行されるのは、「十二支」が一巡すること、また「午」は「方角」では「南」、「時刻」では「正午」と「陽性」が最も盛んであることからきており、「御船祭」にはあらゆる「邪気」と「不景気」を祓う「一陽来復(いちようらいふく)」の「願い」がこめられています。

 「式年大祭」「御船祭」ですが、その「壮麗さ」とその「規模」共に「鹿島神宮」「最大の祭典」であり、「内海」での「御船祭」としては「最古・最大の祭典」となっています。
 「式年大祭」「御船祭」では、まずは9月1日(月)午前10時、「勅使」をお迎えしての「例祭」が「厳粛」に斎行されます。
 そして午後8時(20時)より「神幸祭」が斎行、「鹿島神宮」「御分霊」を奉戴した「御神輿」が「行宮」へ渡御します。

 9月2日(火)午前8時、「行宮御発輿祭(あんぐうごはつよさい)」後、「陣羽織」や「紋付き袴姿」の「氏子」ら「総勢」約2600名の「供奉員」による「絢爛壮麗」な「鹿島立ち」の「陸上大行列」があり、「鹿島神宮」の「本殿」を50分の1に「縮小」した「御神輿」を約250人で担ぎ、「一路」「大船津」まで2km歩き、「北浦」「沿岸」の「大船津」には昨年(2013年)竣工した「水上鳥居」としては「国内最大級」の「一之鳥居」に設置された「桟橋」を通って「御神輿」が「鳥居」をくぐり「御座船」へと進みます。
 これに先立ち「大船津」では「様々」な「奉祝行事」が行われ、「祭り」を盛り上げます。
 「御船祭」の後、「御神輿」を奉戴した「竜頭」で飾り付けた「御座船」が「威風堂々」と進み、その後に大小94隻の「供奉」を従えて「鰐川」から「浪逆浦(なさかうら)」をへて「香取市」「加藤洲」の「斎杭」まで進み、その間の「船団渡御」は約2時間を要するそうです。
 「御座船」の「拝観」ですが、「大船津」より「南」へ伸びる「堤防」、「新田」、「谷原」、「鰐川」の「両岸」の「堤防」が「ベストスポット」だそうです。
 9月2日(火)正午頃、「潮来対岸」の「香取市」「加藤洲」「河岸」「御斎杭」において、「香取神宮」「神職」による「御迎祭」があり、「潮来河岸」では、「奉迎者」の前で「奉祝行事」が賑やかに行われます。
 「御迎祭」を終えると「船団」は一路「帰途」へつき、午後4時半(16時30分)に「鹿島神宮」「楼門」前にて「行宮御着輿祭(あんぐうごちゃくよさい)」が執り行われ、9月2日はそのすべてが「御船祭」の「見どころ」といえるようです。

 9月3日(水)午前10時、「行宮祭」を「行宮」前にて斎行、そして午後3時(15時)には「御神輿」を「町内巡行」の後、「本宮」(御本殿)に還御する「還幸祭」が行われ、十二年に一度の「式年大祭」は「終わり」を告げます。
 また、十二年に一度の「式年大祭」を盛り上げるべく「鹿嶋市」と「鹿嶋市」周辺では「様々」な「奉祝」の「神賑行事」が行われます。
 (「式年大祭御船祭」「日程」ですが、下記「詳細」参照)
 なお「御船祭」「斎行」に伴い開催される「行事」・「神事」ですが、下記の通りとなっています。

 9月1日(月)

 10時00分〜 各町内       乱曳き

 15時00分頃 神宮前大町通り   山車整列(5台)

 16時30分〜 神宮前大町通り   大提灯奉納(16グループ)

 17時00分頃 角内交差点     山車集合(5台)

 18時00分〜 角内交差点     総踊り及びのの字廻し等

 19時00分頃 各町内       乱曳き

 9月2日(火)

 18時00分〜 鹿島神宮第1駐車場 総踊り及びのの字廻し等

 19時00分頃 各町内       乱曳き

 9月3日(水)

 10時00分〜 各町内       乱曳き

 13時00分  角内通り集合    一斉踊り・通し砂切り

 13時30分〜 角内通り発角町内へ 役曳き

 15時00分  神宮前大町通り着  還幸祭

 15時30分頃 神宮前大町通り発  各町内巡行し桜町へ(17時00分)

 18時30分〜 桜町通り      年番引継

 19時00分発 桜町通り      年番送り後各町内乱曳き

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で開催される「一陽来復」の「願い」をこめた「十二年」に一度の「鹿島神宮」「最大・最古の祭典」「式年大祭」「御船祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「式年大祭」「御船祭」詳細

 開催期間 9月1日(月)〜3日(水)

 式年大祭御船祭・日程

 8月31日(日)

 午後    御座船清祓式

 9月1日(月)

 午前10時  勅使参向式年祭

 午後8時  神幸祭

 9月2日(火)

 午前8時  行宮御発輿祭

 午前9時  御発船祭

 正午    香取神宮御迎祭

 午後1時  潮来河岸御発祭

 午後2時  御着船祭

 午後3時半 行宮御着輿祭

 9月3日(水)

 午前10時 行宮祭

 午後3時 還幸祭

 開催会場 鹿島神宮〜大船津一の鳥居〜北浦湖上

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-83-7730

 備考
 「御船祭」の「船上」では、「午年」生まれの「巫女」による「浦安の舞」が奉じられます。
 「ご神幸山車祭」の今年(2014年)の「山車」の「年番」ですが、「角内区」となっています。



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| 地域情報::鹿島 | 09:56 AM |
「中台梯子獅子」(横芝光町)
 本日ご案内するのは、近隣市「横芝光町」「大宮神社」で8月31日(日)に開催されます「中台梯子獅子」です。

 「横芝光町」ですが、「千葉県」「北東部」に位置する「町」で、2006年(平成18年)3月27日に「山武郡」「横芝光町」と、「匝瑳郡」「光町」が合併し、新たに発足した「町」です。
 「横芝光町」の「発足時」の「人口」ですが、約2万6000人で、「横芝光町」の「町役場」ですが、「旧・光町役場」となっています。
 ちなみに2014年(平成26年)7月1日現在の「横芝光町」の「総人口」ですが、25160人、「男性」は12380人、「女性」は12780人、「世帯数」9541世帯となっています。

 「横芝光町」は、「千葉県」の「太平洋」側、「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)のほぼ「中央」に位置し、「横芝光町」の「北部」は「標高」の高い「場所」もありますが、「起伏」は大きくなく、「中央部」を「九十九里平野」「最大」の「河川」である「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)が流れています。
 「横芝光町」に隣接している「自治体」ですが、「山武市」、「匝瑳市」、「山武郡」「芝山町」、「香取郡」「多古町」となっています。

 「大宮神社」は、「横芝光町」の「鎮守の森」の「奥」に鎮座する「神社」です。
 「大宮神社」の「創建」ですが、「文献」はありませんが、大同年間(806〜810年)といわれており、「大宮神社」の「御祭神」ですが、「大己貴命(オオナムチノミコト)」で、一般的には「大国主命(オオクニヌシノミコト)」として知られている「神様」です。

 「大宮神社」では、毎年8月最終日曜日の「風祭り」に、「五穀豊穣」、「悪霊払い」、「息災延命」を祈願して、「獅子舞い」が行われています。
 この「お祭り」ですが、「二百十日」(立春から数えて210日目)は、「台風」などの「時期」なので「風」を鎮め、「五穀豊穣」と、「家内安全」を祈念するもので「地名」の「中台」をつけて「中台風祭り」といわれています。

 「風祭」は、「日本各地」において、毎年「二百十日」前後に行われる「風」を鎮めるための「祭り」で、「二百十日」は「台風来襲」の「特異日」のため、「収穫」前の「農産物」が「被害」に遭わないように「祈願」することを目的としています。
 「風祭」の「代表例」は、「おわら風の盆」等があげられ、「二百十日」の「台風」の「災害」が起こらないように祈願されています。
 「地方」によっては「屋根」や、「竹竿」の「先」等に、「風上」に向けて「鎌」を立てる「風切り鎌」の「風習」も見られ、「風祭」は、「風祭り」とも書きます。

 「大宮神社」の「風祭り」ですが、「梯子獅子舞」や、「中台梯子獅子」とも呼ばれています。
 毎年210日の「風祭り」に、「大宮神社」「境内」で、「豊作祈願」、「害虫予防」として「獅子舞」が奉納され、7間半(13.5m)もの「大梯子」を掲げ、「梯子」の上で、ひとりが「頭」、ひとりが「体」を演じて、「お囃子」に合わせて「コンビネーション」よく「逆立ち」したりと勇壮に舞う「伝統的」な「行事」で、「中台梯子獅子」は江戸時代から続くといわれています。

 江戸時代の中期に「浅間山」が噴火した1782年、69日間「太陽」(日)が出なかったといわれ、そのために「有名」な「天明の飢饉」が発生し、発生時「全国的」に「大凶作」となり、多くの「餓死者」が発生したそうです。
 江戸時代は、全体に「寒冷な気候」で、他にも寛永19年(1642年)、享保17年(1732年)、天保4年(1839年)〜享保17年等でも、「冷害」、「台風」、「虫害」、「干魃(カンバツ)」等の大きな「被害」があったそうです。
 「中台地区」では、文化11年(1814年)に「大凶作」に見舞われ、「稲」の「開花期」に「風雨」が続き、「日照時間」が不足、連日の「北風」で「主食」の「ヒエ」や、「栗」まで「風」に倒され、「食料」がなくなり、その上8月末に「季節外れ」の「大霜」にあい、「米」、「そば」は皆無となったそうです。
 幾度かの「冷害」や、「干魃」、「台風」などの「状況」をたび重ね、村人たちは「神頼み」で「日常生活」の「平穏」を祈願し、「獅子舞」などを「神社」に奉納したものと考えられています。

 「中台梯子獅子舞」ですが、「二人立ち伎楽系」の「獅子舞」で、「演目」は「玉じゃれ」と、「梯子獅子舞」です。
 「玉じゃれ」ですが、「ヒョットコ」が寝ていた「獅子」を「玉」で釣るという「演目」です。
 「梯子獅子」では、「獅子」は「舞台」の「四隅」の「榊」を食(ハ)むように舞った後、「舞台」から「地面」に飛び降り、「獅子」は「地上」で舞いながら、「梯子」に向かいます。
 「大宮神社」「境内」では、「大銀杏」に立てかけられた33段の「大梯子」を「獅子」は登りながら、「横」になったり、「逆立ち」したりと、「曲芸舞」を披露するそうです。
 「梯子」の「頂上」では、「獅子」が大きく「体」を反らし、「獅子」の「演技」が決まるたび、「梯子」下で見ている「見物客」の大きな「声援」と、「拍手」が沸き起こるそうです。
 「地上」に飛び降りた「獅子」は、「大宮神社」「拝殿」を回ると、「正面」の「柱」を噛む「仕草」をして「舞」を終えます。
 なお「中台梯子獅子舞」では、「大宮神社」「境内」の「周り」を「獅子」が舞う際に、「子供」の「頭」を「獅子」に食べてもらうと、丈夫に育つといわれています。

 「横芝光町」「中台地区」に鎮座する「大宮神社」で奉じられる「五穀豊穣」、「悪霊払い」、「息災延命」を祈願する「伝統行事」「獅子舞」「中台風祭り」「中台梯子獅子」。
 この機会に「横芝光町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「中台梯子獅子」詳細

 開催日時 8月31日(日) 14時頃〜

 開催会場 大宮神社 山武郡横芝光町中台1211

 問合わせ 横芝光町産業振興課商工観光班 0479-84-1215

 備考
 「中台梯子獅子」は、2009年(平成21年)4月に「横芝光町」の「町指定無形民俗文化財」に指定されています。

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| 地域情報::匝瑳 | 07:10 PM |
「伊藤左千夫生誕150年記念」「左千夫まつり」(山武市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「山武市」「伊藤左千夫生家」、「成東文化会館のぎくプラザ」で9月2日(火)〜30日(火)の期間開催されます「伊藤左千夫生誕150年記念」「左千夫まつり」です。

 「伊藤左千夫」氏は、元治元年(1864年)8月18日に「武射郡」「殿台村」(現「山武市」「殿台」)「十八番屋敷」に「伊藤良作」・「なつ」の「四男」として生まれました。
 8月18日は、「新暦」に直すと9月11日ということもあり、「山武市」では、「伊藤左千夫生誕150年」を記念して9月に「左千夫まつり」を行うそうです。

 「近代短歌」の「鉄人」と称され、「斎藤茂吉」・「土屋文明」等を「弟子」に持つ「文学者」であった「伊藤左千夫」。
 では、「師」「正岡子規」は「左千夫」をどのように思っていたのでしょうか?
 「ホトトギス」「第三巻」「第十号」(明治33年7月30日発行)に「子規」が「左千夫の家」(本所茅場町)を訪ねる「話」「車上の春光」が掲載されています。
 「根岸」の「子規庵」から「左千夫の家」までの「人力車」から見える「風景」を克明(こくめい)に記した「作品」です。

 「四月二九日の空は青々と晴れ渡って、自分のような病人は寝て居る足のさきに微寒を感ずるほどであった。
 格堂が来て左千夫の話をしたので、ふと思いついて左千夫を訪ねようと決心した。」

 「子規」が「左千夫宅」を突然訪ねましたが、「左千夫」は出掛けていて留守。
 「奥さん」が「方々」に「使い」を出し、「左千夫」が所有している「容斎の吉野」、「暁斎の鴉」など「色々」な「絵」を見せられたと記しています。
 ふと「庭」に「目」をやれば、

 「松が四、五本あって下に木賊(とくさ)が植えてある。
 塵一つ落ちて居ない。」

 「庭」がきれいに掃き清められていた「様子」が分かります。
 「子規」が訪ねてくることを知らなかった「左千夫」は、「子規」を迎えるためではなく、常にきれいにしていたと思われます。
 そこで「子規」から「無一塵」と称され、「左千夫」「自身」も「無一塵」の「印」を作製したり、「無一塵庵主人」と号していました。

 また、「子規」は「竹の里人」(明治33年)に「左千夫」に贈る「六首中」に

 「お茶博士いやしき人と牛飼をたうとき業と知る時花咲く」

 「本所の四ツ目に咲けるくれないの牡丹燃やして悪き歌を焚け」

 他「四首」あります。
 「左千夫」は「伊藤並根」に「茶道」の「手ほどき」を受け、「子規」から「お茶博士」と呼ばれるほど「茶の湯」に精通していたことが伺えます。
 「資料館」の「左千夫」「関連収蔵資料」の中でも「茶の湯」に関する「資料」が多く遺存しています。
 「左千夫」の「戒名」も「唯真居士」で「茶室唯真閣」から取ったと思います。
 「茶人 左千夫」を顕彰すべく「年」2回「左千夫茶会」を「平成13年度」から実施しています。
 「山武市」では、「師」「正岡子規」から「無一塵」きれい好き、「お茶博士」と呼ばれた「伊藤左千夫」を再考するために、「資料館」に来館・「記念事業」に参加下さいと呼びかけています。

 「伊藤左千夫生誕150年記念」「左千夫まつり」ですが、9月2日(火)から9月30日(火)の期間開催されます「記念イベント」です。
 「伊藤左千夫生誕150年記念」「左千夫まつり」の「内容」ですが、「生家開放」、「講演会」、「映画上映・コーラス鑑賞」、「左千夫生誕150年茶会」となっています。

 「生家開放」ですが、「通常」では「入室厳禁」の「伊藤左千夫生家」を開放するそうです。
 「生家開放」では、「伊藤左千夫生家」の「築220年の趣」を体感でき、また、「展示パネル」で「左千夫」の「生涯」を展示するそうです。
 (9月1日からエレベーター工事のため資料館休館)

 開催期間 9月2日(火)〜30日(火)

 開催時間 9時〜16時半

 *生家閉館 9月8日(月)・16日(火)・22日(月)・29日(月)

 「講演会」ですが、下記の通りとなっています。

 開催日時 9月20日(土) 13時半〜16時

 開催会場 成東文化会館のぎくプラザ視聴覚室

 演題   1 「野菊の墓」について

      2 「左千夫の短歌(うた)」について

 講師   1 永塚功先生 (伊藤左千夫研究家・元日本大学教授)

      2 大河原淳行先生 (短歌21世紀主宰)

 参加費  無料

 「映画上映・コーラス鑑賞」ですが、「松田聖子」「主演」の「野菊の墓」(1981年封切り)を上映します。
 「映画上映・コーラス鑑賞」ですが、下記の通りとなっています。

 開催日  9月21日(日)

 1回目

 「映画」 10時〜11時40分

 「コーラス」 11時40分〜正午

 2回目

 「コーラス」 13時半〜13時50分

 「映画」 14時〜15時半

 開催会場 成東文化会館のぎくプラザホール

 「左千夫生誕150年茶会」ですが、下記の通りとなっています。

 開催日時 9月27日(土) 10時〜15時

 開催会場 伊藤左千夫生家 茶室「唯真閣」

 募集人数 200人(先着)

 参加費  無料

 「伊藤左千夫生家」「成東文化会館のぎくプラザ」「伊藤左千夫生誕150年記念」「左千夫まつり」。
 この機会に「山武市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「伊藤左千夫生誕150年記念」「左千夫まつり」詳細

 開催期間 9月2日(火)〜9月30日(火)

 開催会場 伊藤左千夫生家 山武市殿台343-2

 開館時間 9時〜16時半

 生家閉館 9月8日(月)・16日(火)・22日(月)・29日(月)

 「伊藤左千夫」「講演会」詳細

 開催日時 9月20日(土) 13時半〜16時

 開催会場 成東文化会館のぎくプラザ視聴覚室 山武市殿台290-1

 演題   1 「野菊の墓」について
      2 「左千夫の短歌(うた)」について

 講師   1 永塚功先生 (伊藤左千夫研究家・元・日本大学教授)
      2 大河原惇行先生 (短歌21世紀主宰)

 参加費  無料

 「映画上映・コーラス鑑賞」詳細

 開催日時 9月21日(日) 10時〜(1回目・映画) 11時40分〜(1回目・コーラス)
      9月21日(日) 13時半〜(2回目・コーラス) 14時〜(2回目・映画)

 開催会場 成東文化会館のぎくプラザホール 山武市290-1

 「左千夫生誕150年茶会」詳細

 開催日時 9月27日(土) 10時〜15時

 開催会場 伊藤左千夫生家 茶室「唯真閣」 山武市殿台343-2

 募集人数 200人(先着)

 参加費  無料

 問合わせ 歴史民俗資料館 0475-82-2842

 備考
 「伊藤左千夫生誕150年記念」「左千夫まつり」の「開催行事」は、「変更」・「中止」の場合がありますので、予(あらかじ)めご承知おきくださいとのことです。
 なお「伊藤左千夫生誕150年記念」「左千夫まつり」では、「左千夫ゆかりの地散策」と題し、「第1弾」として10月15日(水)に「山武市役所」集合、「亀戸天神」・「普門院」(東京都江東区)散策と、「第2弾」として11月19日(水)に「山武市役所」集合、「子規庵」・「書道博物館」(東京都台東区)散策を行うそうです。
 「左千夫ゆかりの地散策」「詳細」ですが、下記の通りとなっています。

 「左千夫ゆかりの地散策」詳細

 第1弾

 開催日  10月15日(水)

 集合場所 山武市役所

 集合時間 9時

 帰着時間 17時

 散策先  亀戸天神・普門院 (東京都江東区)

 講師   中川番所資料館 久染健夫先生

 募集人数 30人

 参加費  2000円

 募集開始 9月15日(祝・月)

 第2弾

 開催日  11月19日(水)

 集合場所 山武市役所

 集合時間 9時

 帰着時間 17時

 散策先  子規庵・書道博物館 (東京都台東区)

 講師   子規庵保存会理事 斎藤直子先生

 募集人数 30人

 参加費  2000円

 募集開始 10月15日(水)

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| 地域情報::九十九里 | 10:37 AM |
「御座船清祓式」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「大船津桟橋」で8月31日(日)に開催されます「御座船清祓式」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年8月26日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年御船祭(しきねんみふねまつり)」が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)より「3日間」「式年御船祭」が行われます。
 また「式年御船祭」「前日」の8月31日(日)午後には「御座船清祓式」が執り行われます。

 「大船津」ですが、「鹿島神宮」「西」の「一之鳥居」の建つ「地」で、「大船津」は「水運」による「経済」や「文化」の「要衝」であると同時に「鹿島神宮」「参拝」の「玄関口」であり、江戸時代に「歌川廣重(歌川広重)」の「六十余州名所図會(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」にも描かれ、「大船津一之鳥居」は「水上鳥居」として、その「景観」が親しまれていたそうです。
 「六十余州名所図會」は、「歌川廣重(歌川広重)」による「日本全国」の「名所」を描いた「浮世絵木版画」の「連作」です。
 「六十余州名所會」は、1854年(安政元年)から1856年(安政3年)にかけて制作された「廣重(広重)」「晩年」の「作」で、「五畿七道(ごきしちどう)」(畿内七道ともよばれる)の「68ヶ国」及び「江戸」からそれぞれ1枚ずつの「名所絵」69枚に、「目録」1枚を加えた全70枚からなる「名所図会」で、「全図」とも「画面」は「縦長」で、「前景」を大きく描き「遠近」を協調したり、「大胆」な「トリミング」を施すなど、「斬新」な「構図」がとられています。

 上記のように「武芸」や「立身」の「神様」として知られる「武甕槌大神」を祀り、「常陸国一之宮」として神代からその「名」を馳せてきた「鹿島神宮」では、「数々」の「祭礼」が催されますが、中でも十二年に一度、午年にのみ行われるのが、「式年御船祭」です。
 「式年御船祭」では、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「御分霊」を祀った「御神輿」を載せた「船団」が、「一の鳥居」をくぐって「千葉県」「香取市」「加藤洲」まで「水路」にて向かい、「水上」にて同じく「香取神宮」の「神職」を乗せた「船団」に「歓待」を受けた後に「鹿島」へと戻ってくる「絢爛豪華(けんらんごうか)」な「水上祭」です。

 「鹿島神宮」の「武甕槌大神」と「香取神宮」の「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」は「日本書紀」でも語られる「神話」の中にも登場し、共に「勇猛」な「武神」といわれています。
 「式年御船祭」では、古(いにしえ)の時代から深く「かかわり」のある「二柱」の「神」が、「水上」で再会」します。
 「式年御船祭」の「起源」ですが、「関東開拓」の「頃」にまでさかのぼる「由緒」ある「祭礼」で、本年、平成26年(2014年)8月31日(日)から「四日間」に渡って行われます。
 その「記念事業」の「第一号」として、平成25年(2013年)6月には「北浦湖上」に「大船津一之鳥居」が竣工されています。
 ちなみに「大船津一之鳥居」ですが、「新日鐵住金株式会社」「製」の「耐候性鋼材」が用いられており、「大船津一之鳥居」は、「川底」からの「高さ」18.5m、「幅」22.5mで「旧・鳥居」の約2.5倍という「壮大」な「鳥居」となっています。

 今回の「式年御船祭」を迎えるにあたり、古来通りの「水中鳥居」として建立された「一之鳥居」。
 普段、この「鳥居」を「間近」で見ることは難しいのですが、「式年御船祭」を迎えるにあたって、「鹿嶋市」では「陸上」から「鳥居」まで「桟橋」を完成させたそうです。
 「式年御船祭」では、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「御分霊」を載せた「御神輿」が、「朱塗り」の「立派」な「鳥居」をくぐって「陸路」から「湖上」へ出立する「姿」を「間近」で見ることができるそうです。

 「御座船清祓式(きよはらえしき)」ですが、上記のように「式年御船祭」に先駆け行われる「行事」で、8月31日(日)の午後に行われます。
 「御座船清祓式」の「内容」ですが、「龍頭」の「御座船」の「装飾」を終えて斎行されます。
 なお「式年御船祭」の「次第」ですが、下記の通りとなっています。

 8月31日(日)

 午後    御座船清祓式

 9月1日(月)

 午前10時  勅使参向式年祭

 午後8時  神幸祭

 9月2日(火)

 午前8時  行宮御発輿祭

 午前9時  御発船祭

 正午    香取神宮御迎祭

 午後1時  潮来河岸御発祭

 午後2時  御着船祭

 午後3時半 行宮御着輿祭

 9月3日(水)

 午前10時 行宮祭

 午後3時 還幸祭

 「日本屈指」の「神宮」「鹿島神宮」で十二年に一度しか「目」にすることができない「神事」「式年御船祭」の「一環」で催行される「御座船清祓式」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 開催日時 8月31日(日) 午後

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」の「大船津一之鳥居」ですが、「水上鳥居」として「有名」な、「安芸」の「宮島」「厳島神社」の「大鳥居」(「高さ」16m)を上回る「日本一」の「水上鳥居」となっています。

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「企画展」「此木三紅大の万華鏡〜その1やきもの編〜」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「松山庭園美術館」で8月1日(金)〜9月28日(日)の期間開催されます「企画展」「此木三紅大の万華鏡〜その1やきもの編〜」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市」の「中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木」(苗木)の「産地」として「有名」であり、「匝瑳市」は「植木」の「栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。
 「匝瑳市」の「北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市」の「南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦」な「地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。

 「松山庭園美術館」(2011年2月25日のブログ参照)は、「芸術家」「此木三紅大(コノキミクオ)」氏の「アトリエ」と「住居」の「一部」を「開放」・「公開」した「私設美術館」です。
 「松山庭園美術館」ですが、「東総地域」の「文化」の「発信地」として1998年(平成10年)3月に設立されました。

 「松山庭園美術館」の「展示品」ですが、「数々」の「名画コレクション」と「茶道具」を「中心」に展示されており、「収蔵作品」には、「ヨーロッパ絵画」、「国内著名作品」などが「コレクション」され、「茶道具」、「琴コレクション」などとなっています。

 「松山庭園美術館」には、素晴らしい「庭園」があり、「庭園」内には「地域」の「文化交流」の「拠点」としての「企画展示室」、「長屋門」、「見晴らし亭」、「茶室」などが点在し、「四季折々」の「自然」を愛(め)でながら「野外彫刻」も楽しめるようになっています。
 「松山庭園美術館」「庭園」ですが、約2千坪の「敷地」があり、「苔(こけ)」と「紅葉(もみじ)」の「純和風」の「庭園」と、「芝生」に「松」を配した「洋風」の「庭園」となっています。
 「松山庭園美術館」「庭園」の「裏」には、「高さ」11m、「根回り」3.1mの「大桑」が聳(そび)え、「黒松」、「枝垂れ萩」、「紅葉の林」などの「草木」があり、「四季」を通じて楽しめるそうです。

 「此木三紅大」氏は、1937年(昭和12年)「東京」の生まれ、少年時代から「絵」を描くことが大好きで、中学2年の時には「学校」「主催」の「個展」を開催し、「学校」中の「廊下」を「大作」で埋め尽くしたという「エピソード」があるそうです。
 そして「此木三紅大」氏は、「武蔵野美術大学」を「卒業」後、「ローマ・アカデミア美術大学」で学んだそうです。
 「此木三紅大」氏の「制作ぶり」は、まさに「熱中型」であり、「膨大」な「仕事量」をこなしていったそうで、もともと「油絵」の「作家」が、「扉絵」・「版画」・「板絵」(イコン)・「ガラス絵」・「やきもの」・「彫刻」・「詩画」など「美術」の「世界」を、まさしく「好奇心」の赴くまま手がけてきたそうです。
 それは、「伝統工芸」等から見ると「多芸多才」と、「少々」の「揶揄(やゆ)」はせんなきことかもしれませんが、今年(2014年)、「此木三紅大」氏の「喜寿」(七十七歳)に因(ちな)み、その「多様」な「仕事」を「七種」の「パート」に分け、「美術家」としての「彼」の「創作」の「全貌」を「企画展」「此木三紅大の万華鏡〜その1やきもの編〜」で紹介していくそうです。

 今回、「此木三紅大の万華鏡〜その1やきもの編〜」の「その1」として取り上げる「やきもの編」は、「茶道具」の「コレクター」でもある「此木三紅大」氏が、「収集」・「研究」のため「勉強」した揚句(あげく)に、自らが創ってしまったという「作品群」なのだそうです。
 また「企画展」「此木三紅大の万華鏡〜その1やきもの編〜」では、「襖絵」や「天井画」などを手掛けた「懐石料理店」の「依頼」で制作した「器」や「茶道具」なども含め、1982年(昭和57年)から約10年間にわたり制作した「やきもの」だそうです。
 「やきもの」は、「絵画」とは異なる「表現」ではありますが、「織部」の「絵付け」や「茶道具」などの「ユニーク」な辺りに、「自由闊達」な「此木三紅大」氏らしさが感じられ、「此木三紅大の万華鏡〜その1やきもの編〜」では、「陶磁器」、「ガラス器」など約150点を一挙「初公開」するそうです。

 「庭園」が美しい「私設美術館」「松山庭園美術館」で開催される「企画展」「此木三紅大の万華鏡〜その1やきもの編〜」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「企画展」「此木三紅大の万華鏡〜その1やきもの編〜」詳細

 開催期間 8月1日(金)〜9月28日(日)

 開催会場 松山庭園美術館 匝瑳市松山630

 開館日  金・土・日・祝日

 開館時間 10時〜17時

 入館料  大人800円 小中学生400円

 問合わせ 松山庭園美術館 0479-79-0091

 備考
 「松山庭園美術館」では、かわいい「猫」たちが「庭園」、「芝生」を散策している様子が見受けられます。

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| 地域情報::匝瑳 | 11:02 AM |
「第79回国宝伊能忠敬関係資料の世界」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で7月29日(火)〜9月21日(日)の期間開催されます「第79回国宝伊能忠敬関係資料の世界」です。

 「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に「佐原市」・「山田町」・「香取郡」「小見川町」・「栗源町(くりもとまち)」の「1市3町」が合併(新設合併)し誕生した「市」です。
 「香取市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「北部」は「茨城県」に接し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から15km圏に位置しています。
 「香取市」「北部」には、「水郷」の「風情」が漂う「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が「東西」に流れ、その「流域」には「水田地帯」が広がり、「香取市」「南部」は「山林」と「畑」を「中心」とした「平坦地」で、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「一角」を占めています。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「佐原」の「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「佐原」の「市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか「千葉県」の「県指定有形文化財」も「8軒」(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)に建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)に建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日のブログ参照)、明治25年(18
92年)に建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「樋橋」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
 「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現「佐原駅方面」)の「田」に送るために「小野川」に架けられた大きな「樋(とよ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られたそうです。
 なお「樋橋」は、1996年(平成8年)に「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。

 「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「功績」を讃(たた)えている「記念館」です。
 以前、「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」の「隣」にありましたが、「記念館」「建設」から「相当」な「年月」がたっており、またかつての「伊能忠敬記念館」の「展示面積」が「手狭」であったなどのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「伊能忠敬旧宅」の「小野川」を挟んだ「樋橋」を渡った「対岸」に新しく「伊能忠敬記念館」が設置されることとなり、「現在の地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。

 「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」に17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居して、のちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで「計」10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬」の「人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
 「伊能忠敬記念館」では、「国宝」に指定された「測量器具」や「伊能図」の「数々」が展示され、「地球」1周分の「距離」を測量して歩いたという「伊能忠敬」の「業績」を偲ぶことができ、その「結晶」ともいえる「正確さ」と「芸術的な美しさ」を備えた「地図」や「伊能忠敬関連資料」などが展示された「伊能忠敬記念館」は「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。

 「第79回国宝伊能忠敬関係資料の世界」ですが、「伊能忠敬記念館」で7月29日(火)から9月21日(日)の「期間」開催される「企画展」です。
 「伊能忠敬記念館」「所蔵」の「国宝」「伊能忠敬関係資料」には、「地図」や「測量道具」だけではなく、「伊能忠敬」に関する「様々」な「資料」が含まれており、「全体」は5つの「部門」に分類されるそうです。
 「第79回国宝伊能忠敬関係資料の世界」では、「地図」・「地図類」、「文書」・「記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」のそれぞれから、「厳選」した「実物資料」を展示し、「国宝」「伊能忠敬関係資料」の持つ奥深い「世界」を紹介していくそうです。
 なお「第79回国宝伊能忠敬関係資料の世界」ですが、「夏休み期間」の今回は特に、江戸時代の「算数」=「和算」に「クローズアップ」するそうです。

 「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「生涯」、「功績」を余すところなく紹介している「記念館」「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」「第79回国宝伊能忠敬関係資料の世界」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第79回国宝伊能忠敬関係資料の世界」詳細

 開催期間 7月29日(火)〜9月21日(日)

 開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1

 休館日  月曜日(但し、祝日の時は開館)

 開館時間 10時〜18時

 入館料  大人500円 小・中学生250円

 問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118

 備考
 「伊能忠敬記念館」では、「夏休み子ども向けワークショップ」「忠敬の地図作りにプチ・チャレ!」と題し、「ワークショップ」を開催するそうです。
 この「ワークショップ」では、「学芸員」と一緒に、「自分」の「身体」や「身近」な「道具」を使いながら、「伊能忠敬」がどのようにして「測量」を行い、「地図」を作っていたのかを、「簡単」に「体験」することができ、見事、「地図」を完成することができた「参加者」には、「認定書」が発行されるそうです。
 「詳細」は下記の通りとなっています。

 日 程  8月2日(土)・3日(日)・9日(土)・10日(日)

 時 間  10時30分〜(約1時間30分程度)

 対 象  小学4年生〜中学生

 定 員  各回10人

 予約方法 電話にてお申し込み(定員になり次第、締切)

 会 場  伊能忠敬記念館第2展示室

 料 金  参加者は無料(付き添いの方は入館料が必要)







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