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2016,04,02, Saturday
本日ご紹介するのは、近隣市「印西市」「小林牧場」で4月2日(土)・3日(日)まで開催されます「小林牧場桜まつり」です。
「印西市」ですが、2008年(平成20年)に「印西市」・「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」の「1市2村」の「枠組み」で、「市町村合併」の「特例」等に関する「法律」(新合併特例法)の「期限」である2010年(平成22年)3月末までの「合併」に関する「話し合い」を行うために、2008年(平成20年)10月24日に「合併問題懇談会」が、それぞれの「市村の長」および「議会議員の代表」により構成、設置され、翌2009年(平成21年)1月9日に「合併協議会」が設置されました。
「合併協議会」では、「合併」の「期日」を2010年(平成22年)3月23日とし、「合併方式」は「印西市」に「印旛郡」「印旛村」・「印旛郡」「本埜村」を編入する「編入合併」、「新市」の「名称」は「印西市」とすることで「合意」、「合併申請」が行われ、2010年(平成22年)3月5日「総務省告示第73号」で「合併」が決定。
これにより、予定通り、2010年(平成22年)3月23日に、「新・印西市」が誕生しました。
現在の「印西市」の「人口」ですが、「人口」93926人、「世帯」36397世帯、「男性」47147人、「女性」47779人となっています。
(2016年(平成28年)2月現在)
「印西市」ですが、今年(2016年・平成28年)「市制施行20周年」を迎えています。
「印西市」は、「東京」の「都心」から約40km、「県庁所在地」「千葉市」から約20km、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から約15kmに位置し、三方を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)、「手賀沼」に囲まれた「水」と「緑」豊かな「市」です。
「印西市」は、「周辺」の「佐倉市」、「四街道市」、「白井市」、「八街市」、「成田市」、「富里市」、「印旛郡」「酒々井町」、「印旛郡」「栄町」と合わせて「印旛地域」と称されており、「印西市」に隣接する「自治体」ですが、「柏市」、「我孫子市」、「白井市」、「八千代市」、「佐倉市」、「成田市」、「印旛郡」「酒々井町」、「印旛郡」「栄町」、「茨城県」「北相馬郡」「利根町」となっています。
ちなみに、隣接する「茨城県」「北相馬郡」「利根町」とは、「印西市」からは直接的な「往来」は出来なくなっており、「我孫子市」または、「印旛郡」「栄町」を経由する必要があるそうです。
「千葉県」では、「他県」と接していながら、直接的な「往来」ができない「自治体」は、「印西市」のみとなっています。
「印西市」ですが、「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」、「木下地区」、「印旛地区」、「本埜地区」から構成されています。
「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、「印西市」「西部」の「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)上、「千葉ニュータウン」が広がり、「千葉ニュータウン中央駅」・「印西牧の原駅」「周辺」および「国道464号線」沿線は、「印西市」における「経済」・「商業」の「中心地」(新「市街地」)となっています。
「千葉ニュータウン中央・印西牧の原地区」ですが、最も「印西市」で「人口」が多く、「北総線」および「国道464号線」に沿って発展しており、「北総エリア」における「一大ショッピングゾーン」を形成しています。
「印西市」「北西部」の「利根川」沿いの「低地」に所在する「木下(キオロシ)地区」(旧・木下町)ですが、、「利根川水運」の「宿場町」であった「旧・市街地」があり、「印西市」の「市役所」や「警察署」などの「行政機関」が位置し、「印西市」「行政」の「中心地」となっています。
「木下(キオロシ)地区」ですが、古くからの「町並み」が残る「旧・市街地」であり、「利根川」および「木下(キオロシ)街道」に沿って発展しています。
「印旛地区」(旧・印旛村)は、「印西市」の「東南部」に位置し、「北総エリア」の「基幹病院」である「日本医科大学千葉北総病院」があり、「印旛日本医大駅」を「中心」として「宅地化」が進行している「エリア」です。
一方「印旛地区」は、「谷津田」をはじめ、「自然」も多く残されており、「樹齢」300年を越える「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)や、「ナウマン象発掘の地」などの「観光名所」もあります。
「本埜地区」(旧・本埜村)ですが、「印西市」の「北東部」に位置し、「北印旛沼」に面し「水田」が広がり、「冬」には「越冬」のために、800匹を越す「白鳥」が、飛来することで知られています。
一方「本埜地区」は、「印西牧の原駅」「北側」に位置する「千葉ニュータウン」「滝野地区」で「宅地化」が進行、また「成田国際空港」に近いこともあって、近年「国道464号線」の「沿道」「みどり台」などに、「研究所」や「物流センター」などの「進出」が目立っているそうです。
「印西市」は、江戸時代より「利根川」の「水運」が盛んで、「物資輸送」の「拠点」のひとつであった「木下(キオロシ)河岸」や、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「息栖神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「東国三社詣」(2010年10月23日のブログ参照)などに向かう「道中」の「宿場町」として栄えた「木下(キオロシ)街道」付近を、「中心」に栄えてきました。
上記のように、「印西市」は江戸時代から「商業のまち」として栄え、「江戸」と「佐倉」・「銚子」を結ぶ上で「重要なまち」として、また「香取神宮」、「鹿島神宮」、「息栖神社」を詣でる「旅人」の「宿場町」として繁栄し、そのため、「印西市」には「歴史的建造物」、「遺跡」も数多く残り、当時の「面影(オモカゲ)」を偲(シノ)ばせている「まち」です。
現在も「印西市」は「地理的条件」にも恵まれ、上記のように「東京都心」、「千葉市」、「成田国際空港」という「日本」を代表する「高機能拠点」の「中心」に近く位置している「まち」として「利点」を活かし「発展」を続けています。
発展を続ける「印西市」には、「吉高の大桜」(2011年4月5日のブログ参照)という「有名」な「桜」と、「小林牧場」の「桜並木」と2つの「桜の名所」があります。
「吉高の大桜」は、「印西市」「吉高地区」にある「桜」で、「樹齢」300年を超える「孤高」の「一本桜」です。
「吉高の大桜」は、昔から「吉高の大桜」と呼ばれ「地域」で親しまれており、「印西市」の「市指定天然記念物」に指定されている「桜」で、上述の「小林牧場の桜(並木)」と併せて、「印西市」の「2大花見スポット」と称されています。
ちなみに「吉高の大桜」、「小林牧場の桜」の「過去」5年の「満開日」は、下記の通りです。
吉高の大桜(ヤマザクラ)
平成27年 4月7日〜4月10日
平成26年 4月8日〜4月11日
平成25年 4月3日〜4月4日
平成24年 4月14日〜4月17日
平成23年 4月14日〜4月16日
小林牧場の桜(ソメイヨシノ)
平成27年 3月31日〜4月6日
平成26年 4月1日〜4月8日
平成25年 3月25日〜4月3日
平成24年 4月9日〜4月13日
平成23年 4月8日〜4月14日
「小林牧場」とは、「印西市」「小林」にある「地方競馬」(大井競馬)の「施設」(牧場・トレーニングセンター)で、「正式名称」は、「大井競馬小林牧場」、「施設管理者」は「東京都競馬」です。
「小林牧場」ですが、1965年(昭和40年)に設けられた「競争馬」の「保養育成」(養成やトレーニング)のための「牧場」で、「東京」の「大井競馬場」などに出場する「馬」が「ここ」で調教されています。
「小林牧場」には、2010年(平成22年)に、「地方競馬界」「初」の「調教用坂路コース」が設けられており、「小林牧場」周辺には、「キャンプ場」や、「芝生広場」、「放牧場」が整備されていおり、「ピクニック」や、「アウトドア」には「最適」な「スポット」として知られています。
「小林牧場」の「施設概要」は、下記の通りです。
パークガイド
桜並木 約350本 (700m)
キャンプ場
芝生広場
放牧場
練習馬場
追馬場
公衆トイレ
施設
厩舎 11棟(268棟)
厩務員住宅 2棟
管理事務所及び関係者宿舎 18棟
練習馬場一周 1100m
お花見
レジャーシートを敷いてお花見ができる場所は、公園内の大通り横奥のスペースと奥のロータリー脇を奥に入った所が広くてお勧め。
敷地面積
約460801平方m
駐車場
臨時または公園内
近隣施設
コンビニ 牧場から徒歩約10分
「小林牧場」ですが、「八王子牧場」の「廃止」に伴い、1965年(昭和40年)に「大井競馬」に所属する「競争馬」の「育成」・「調教」、「休養」を「目的」として「中央競馬」に先駆けて開場された「トレーニングセンター」(中央競馬最初のトレセンである「栗東トレセン」は1969年開場)です。
最初は「厩舎」は設置されませんでしたが、「大井競馬場」「厩舎区域」が手狭になり1975年(昭和50年)に「小林分厩舎」が設置されたそうです。
2008年(平成20年)2月には「地方競馬界」「初」の「調教用坂路コース」(全長1050m、坂路部分400m、勾配3%、全天候型馬場(ニューポリトラック))の「導入」が決定され、2009年(平成21年)2月23日着工、2010年(平成22年)1月に完成、同年6月から「運用」が開始されました。
「新コース」は「大井・小林所属馬」だけではなく、「浦和」、「船橋」、「川崎」「所属馬」、さらには条件付きではありますが「他」の「地方競馬」「所属馬」にも解放されていることから、「南関東所属馬」はもとより「地方競馬全体」の「レベルアップ」を図る「拠点」として「重要性」が増すことが期待されています。
「小林分厩舎」ですが、上記のように1975年(昭和50年)に設置され、2007年(平成19年)現在では15名の「調教師」が「厩舎」を構えており、「競馬」「開催時」には「馬運車」で「大井競馬場」で輸送しているそうです。
「小林牧場」には、「入口」から「ロータリー」まで続く約700mにおよぶ「桜並木」があり、見頃を迎えると見事な「桜の回廊」、「桜の風景」が広がります。
「小林牧場」の「桜」の「種類」ですが、「シダレザクラ」、「ソメイヨシノ」、「八重桜」、「山桜」となっており、「桜」の「本数」ですが、約350本となっています。
「小林牧場の桜」ですが、「桜の季節」になりますと、多くの「人」や「出店」で賑わい、「印西市観光協会」が選定した「いんざい八景」(2012年2月12日のブログ参照)のひとつとして指定されているほか、「千葉県」「選定」の「房総の魅力500選」にも選ばれています。
「小林牧場」の「アクセス」ですが、「小林駅」または、「印西牧の原駅」から「徒歩」30分、または「両駅」から「バス」に乗車し、「バス停」「小林牧場」で下車となっています。
「小林牧場桜まつり」ですが、上記のように「印西市」の「桜の名所」「小林牧場」で開催される「印西市観光協会」「主催」による「イベント」です。
「小林牧場桜まつり」ですが、4月2日(土)・3日(日)10時00分から15時00分まで行われ、「イベント内容」ですが、「もちつき大会」、「お雑煮」、「きなこ餅」、「焼コロ」、「印西産」の「漬物」「おでん」「唐揚げ」「ジュース」の「販売」、「ヨーグルト」の「試飲」、「ヨーヨーすくい」その他となっています。
「印西」の「桜の名所」で、「いんざい八景」のひとつに数えられる「小林牧場」で開催される「恒例」の「桜イベント」「小林牧場桜まつり」。
この機会に「印西市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「小林牧場桜まつり」詳細
開催期間 4月2日(土)・3日(日) 10時〜15時
開催会場 小林牧場 印西市小林2886-1
問合わせ 印西市観光情報館 0478-45-5300
備考
「小林牧場桜まつり」ですが、「雨天中止」の「イベント」で、「イベント内容」も「天候」等により、「変更」になる場合もあるそうですので、ご注意下さい。
上記2つの「桜の名所」のほかにも、「印西市」には、「県立印旛沼公園」や、「牧の原公園」、「県立北総花の丘公園」等、「桜観賞スポット」があります。
中でも「県立印旛沼公園」は、間近で楽しむ「桜」の「枝張り」が「特徴」の「桜観賞スポット」で、中世にあった「師戸城」の「城跡」に整備された「公園」で、「園内」のあちこちに「桜」が植樹されており、「園内」の「展望台」からは「桜」とともに「印旛沼」も一望できるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2895 |
| 地域情報::成田 | 09:50 AM |
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2016,04,01, Friday
本日ご案内するのは、となりまち「東庄町」「左右大神」で4月2日(土)に開催されます「舟戸の神楽」です。
「左右大神」ですが、白鳳年間に創建されたとされる「香取郡」「東庄町」に鎮座する「古社」(神社)です。
「左右大神」ですが、「急坂」と「石段」を登った、小高い「山頂」に鎮座している「神社」で、「左右大神」の「御祭神」ですが、「伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)」と「伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)」の「男女」「二柱」を祀っています。
「左右大神」は、「男女」「二柱」を祀っていることが、「左右大神」の「社名」の「由来」となっているそうです。
「左右大神」では、毎年「4月第1土曜日」の「例祭」で、旧「神代」・「万才」「地区」の「新入学児童」を祝う「入学祭」が行われており、「神楽」が奉納されています。
「左右大神」「例祭」で、奉納される「神楽」ですが、「舟戸の神楽」と呼ばれています。
「舟戸の神楽」ですが、上記のように「左右大神」の「神楽殿」で奉納されている「神楽」で、「天下泰平」・「五穀豊穣」を祈願し、「東庄町」「舟戸区」の「若者」により行われています。
「舟戸の神楽」の「演目」ですが、「猿田彦命」、「三宝荒神」、「天児屋根命」、「天太玉命」、「乙女命」、「手力雄命」、「宇受女命」、「蛭子・ひょっとこ」、「稲荷」、「狐」、「受持命」、「素盞鳴尊」の「十二座」が伝わり、「笹川の神楽」(2012年4月5日のブログ参照)の「演目」との「共通点」が多く見られて、興味深い「神楽」となっているそうです。
「舟戸の神楽」「当日」15時過ぎからは、55軒の「氏子」や「近隣」から奉納された、たくさんの「餅」や「お菓子」が投げられ、振る舞われるそうです。
ちなみに「舟戸の神楽」ですが、「舟戸神楽保存会」の「皆さん」が、「伝統」を守っているそうです。
「山の奥」の「木々」の中に鎮座する「神社」「左右大神」で開催される「天下泰平」・「五穀豊穣」を祈願し奉納される「十二座神楽」「舟戸の神楽」。
この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「舟戸の神楽」詳細
開催日時 4月2日(土) 13時〜17時
開催会場 左右大神 香取郡東庄町舟戸区
問合わせ 東庄町観光協会 0478-86-6075
備考
「舟戸の神楽」ですが、1980年(昭和56年)4月23日に、「香取郡」「東庄町」の「町指定無形民俗文化財」に指定されています。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2893 |
| 地域情報::香取 | 06:26 PM |
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2016,04,01, Friday
本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山表参道」および「その周辺地域」で4月1日(金)〜4月8日(金)の期間開催されます「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」です。
「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。
「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。
「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。
「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
「平将門の乱」平定後の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って遷座され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。
「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として荘厳な「たたずまい」を見せています。
この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。
「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。
「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、急な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
「石段」の途中に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、歴代の「成田山」の「大本堂」です。
これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には建立時の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。
「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の名残を残す「料理屋」や、「土産物店」が、軒を並べ、「門前町の歴史」と共に様々な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに趣が異なり、「界隈」ごとに特色ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。
「花まつり」ですが、「お釈迦さま」の「御誕生」を、お祝いする「行事」です。
「お釈迦さま」は、約2500年前の4月8日、「ヒマラヤ」の「ふもと」「ルンビニー」の「花園」でお生まれになったそうです。
その時、「お釈迦さま」は、「天」と「地」を指さし、
「天にも地にもわれひとり」
とおっしゃいました。
この「言葉」ですが、「自分」が一番偉いということではなく、ひとりひとりの「生命の大切さ」を教えたものなのだそうです。
その後、「一生」をかけて、多くの「人たち」に
「この世の中の人間や動物、草や木に至るまで、すべての生き物の生命はお互いに生かし合い尊びあうことによって救われていく」
と教えられたそうです。
毎年「成田山新勝寺」では、「お釈迦さま」の「お誕生」をお祝いして
「おしゃかさま おたんじょう おめでとう」
「笑顔で明るくあいさつ」
「共生きの心で平和な世界を」
を「スローガン」に、すべての「人々の幸せ」を願い、「花まつり行事」が開催されます。
この度(タビ)「成田山新勝寺」では、「仏教」を開いた「お釈迦さま」の「御降誕」を祝い、すべての「人々」の「幸せ」を願う「記念行事」「成田山花まつり」が開催されます。
「成田山花まつり」「期間中」、「成田山新勝寺」「花御堂」にて「誕生仏」に「甘茶」を注ぎ祝い、また「お釈迦さま」が生まれた「日」を祝い、4月3日には、「花まつり祝賀パレード」が「成田山表参道」を「会場」に行われ、「各種の催し」は、「参拝者」や、多くの「見物客」で賑わうそうです。
「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」の「内容」ですが、「祝賀行事」として「花まつり祝賀パレード」、「祝賀大会」、「花御堂潅仏(ハナミドウカンブツ)」、「降誕会法要(ゴウタンエホウヨウ)」(釈尊降誕会(シャソンコウタンエ))となっています。
「花まつり祝賀パレード」ですが、「お釈迦さま」の「御降誕」した「日」をお祝いする「パレード」(記念行事)で、4月3日(日)に行われ、「雨天」「中止」の「催し」となっています。
「花まつり祝賀パレード」では、「花車」を先頭に「成田高校」の「音楽部」、「ダンスドリル部」、「成田山新勝寺」の「僧侶」、「雅楽部」、「白象」に乗った「お釈迦さま」の「誕生仏」や、「ボーイスカウト」など、約300人が行進するそうです。
「花まつり祝賀パレード」の「日時」、「コース」は、下記の通りです。
開催日時 4月3日(日) 10時40分〜11時25分
コース JR成田駅前(表参道入口)〜成田山大本堂
「祝賀大会」ですが、4月3日(日)に行われる「記念行事」で、「成田山新勝寺」「大本堂」前「広場」を「会場」にして、開催される「催し」です。
「祝賀大会」では、「誕生仏」に「甘茶」をかける「潅仏会」と「パレード」に参加した「音楽部」、「ダンスドリル部」、「付属中学校」「バトン部」の「アトラクション」が行われ、華麗な「演技」が披露されます。
「祝賀大会」の「日時」、「会場」は、下記の通りです。
開催日時 4月3日(日) 11時30分〜12時00分
開催会場 成田山新勝寺大本堂前広場
「花御堂潅仏」は、4月1日(金)から4月8日(金)までの「期間」開催される「祝賀行事」で、「成田山新勝寺」「釈迦堂」前で開催される「催し」です。
「花御堂潅仏」ですが、参詣された「方」は、自由に「花御堂」の「誕生仏」に、「甘茶」をそそぎ、お祝いすることができます。
「甘茶」とは、「ガクアジサイ」の「変種」である「アマチャ」という「植物」の若い「葉」を、煎じて作った「黄褐色」で、「甘み」のある「飲み物」です。
なお「甘茶」ですが、「お釈迦さま」「御誕生」の際、「甘露」の「雨」が降ったことに由来しているそうです。
「花御堂潅仏」の「開催期間」、「開催時間」、「会場」は、下記の通りです。
開催期間 4月1日(金)〜4月8日(金)
開催時間 6時00分〜16時00分
開催会場 成田山釈迦堂前
「降誕会法要」(釈尊降誕会)は、4月8日(金)に行われる「法要」で、「成田山新勝寺」「釈迦堂」で開催される「催し」です。
「降誕会法要」(釈尊降誕会)ですが、「お釈迦さま」の「お誕生」をお祝いして「お釈迦さま」が、奉安されている「釈迦堂」で、「法要」で「法要」が行われます。
「降誕会法要」(釈尊降誕会)では、どちらでも「自由」に参詣していただけるそうです。
「降誕会法要」(釈尊降誕会)の「日時」、「会場」ですが、下記の通りとなっています。
「降誕会法要」(釈尊降誕会)
開催日時 4月8日(金) 10時00分〜10時30分
開催会場 成田山釈迦堂
「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」の「花まつり祝賀パレード」の「コース」(会場)「JR成田駅前」〜「薬師堂」〜「成田山門前」では、4月3日(日)10時30分から11時30分まで「交通規制」が行われますので、ご注意下さい。
「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」とともに「成田」の「歴史」が息づいている「参道」「成田山表参道」「その周辺地域」ど開催される「お釈迦さま」の「御生誕」をお祝いする「記念行事」「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「成田山花まつり」「祝賀パレード」・「祝賀大会」詳細
開催期間 4月1日(金)〜4月8日(金)
開催会場 成田山表参道およびその周辺地域 成田市成田
問合わせ 成田山新勝寺 教宣課 0476-22-2111
備考
「成田山花まつり」「花まつり祝賀パレード」ですが、「雨天」の場合は、「中止」となりますので、ご注意下さい。
「降誕会法要」(釈尊降誕会)は、2月の「涅槃会(ネハンエ)」と、12月の「成道会」とともに「仏教徒」の「聖日」として知られています。
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| 地域情報::成田 | 10:25 AM |
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2016,03,31, Thursday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で4月2日(日)に開催されます「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」です。
「山倉大神(ヤマクラタイジン)」(2010年12月3日のブログ参照)は、「香取市」「山倉」(「下総国」「香取郡」)で、「社格」は「村社」です。
「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」、「建速須佐男大神(タテハヤスサノオオオカミ)」、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っています。
「山倉大神」の「由緒」ですが、弘仁2年(811年)の「創建」で、「大六天王社」の「総社」として、古くから、「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」の「現」「本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたものだそうです。
「山倉大神」は、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により、「大六天王」を「観福寺」に遷座、明治3年(1871年)「山倉大神」と改め、上記のように「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。
「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に、4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」で、「山倉大神」「本殿」は、「香取市」の「市指定文化財」に指定されています。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、「香取市」「山倉」の「山倉大神」に伝わる「神楽」で、「山倉大神」で奉納される「伝統芸能」・「奉納神楽」です。
「山倉大神」の「神楽」の「はじまり」は、定かではありませんが、明治の中期から「村」をあげて、「天下泰平」、「万民法楽」、「五穀豊穣」を願って、「白川流十二座神楽(シラカワリュウジュウニザガクラ)」を奉納し、現在に至っています。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、現在、昭和42年(1967年)に結成されました「山倉芸能保存会」の「皆さん」により、受け継がれています。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」は、長い間、4月3日に奉納されていましたが、「今」は、「4月第1日曜日」に奉納されています。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」の「演目」ですが、下記の通りとなっています。
1 猿田彦
2 稚児(幣束)舞
3 天鈿女之命
4 手力男之命
5 八幡
6 三宝荒神
7 稚児(扇)舞
8 恵比寿・火男
9 田神(稲荷)
10 保食之命
11 種播
12 〆切(須佐男之尊)
(もとは「乙女」と「榊葉」の「演目」を加えた「十二座」で構成)
「神楽」「白川流」については、「第65代花山天皇」の「王子」・「清仁親王」の「王子」「延信王」が、「神祇伯」(「大宝令」に制定された「神祇」の「祭祀」を司り、「諸国」の「官社」を総管した「神祇官」の「長官」)に任じられ、「明治維新」まで、その「後胤」が、世襲してきた「白川家」に伝わる「神道」の「流れ」と考えられています。
大正10年(1921年)3月30日発行の「香取郡誌」によりますと、大正2年(1913年)に「白川家」の「末裔」「白川子爵」が「参詣」し、枯れた「龍燈松」の「側」に「小株」を「手植え」したと書かれています。
「由緒」ある「山倉」の「古社」「山倉大神(ヤマクラタイジン)」に伝わる「奉納神楽」「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」詳細
開催日時 4月2日(日) 13時〜17時頃
開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1
問合わせ 香取市生涯学習課 0478-50-1224
備考
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」の現在、演じられている「舞」の「原型」を確立され、「指導」されたのは、「菅谷新之助」氏なのだそうです。
「山倉の白川流十二座神楽(ヤマクラノシラカワリュウジュウニザガクラ)」ですが、「香取市」の「市指定無形民俗文化財」にも指定されています。
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| 地域情報::香取 | 05:25 PM |
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2016,03,31, Thursday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「小見川城山公園」で4月1日(金)〜5月8日(日)の期間開催されます「水郷おみがわ桜つつじまつり」です。
「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に「佐原市」・「山田町」・「香取郡」「小見川町」・「栗源町(クリモトマチ)」の「1市3町」が合併(新設合併)し、誕生した「市」です。
「香取市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「北部」は「茨城県」に接し、「首都」「東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)から15km圏に位置しています。
「香取市」「北部」には、「水郷」の「風情」が漂う「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が「東西」に流れ、その「流域」には「水田地帯」が広がり、「香取市」「南部」は「山林」と「畑」を「中心」とした「平坦地」で、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「一角」を占めています。
「香取市」には、「日本」の「原風景」を感じさせる「田園」・「里山」や、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)に位置する「利根川」周辺の「自然景観」をはじめ、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)のひとつである「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「舟運」で栄えた「佐原のまち」には「日本」で初めて「実測日本地図」「大日本沿海輿地全図」を作成した「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)、江戸時代から昭和初期に建てられた「商家」や「土蔵」が、現在も、その「姿」を今に残し、「関東地方」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている「佐原の町並み」など「見どころ」が多い「市」であり、「香取市」は「水」と「緑」に囲まれ、「自然」・「歴史」・「文化」に彩られた「まち」として知られてい
ます。
「香取市」「小見川地区」は、「香取市」「東部」に位置する「水辺」と「自然」に恵まれた「地域」です。
「香取市」「小見川地区」「中心部」は「低地」で、「西部」と「東部」に「丘陵」が見られ、「小見川地区」は、「水の郷百選」に選ばれており、「水と緑の文化」をはぐくむ「まち」として知られています。
「香取市」「小見川地区」にも「佐原地区」と同じように、「利根川」の「舟運」で栄えた「老舗」が「今」も残り、「先祖」から続く「家業」を引き継いで「商売」を続けている「店舗」もあり、「風情」のある「佇まい」は、今も「小見川地区」「市街」のところどころに残っています。
「水郷の小江戸」(北総の小江戸)「佐原」の「東」、「銚子」へ向かう途中に位置する「小見川」は、江戸時代から「利根川舟運」の「中継港」、「街道の要衝」、「宿場町」、さらに「小見川藩の陣屋町」として発展してきました。
「小見川」は、現在の「国道356号線」である「佐原銚子街道」と「地方道28号線」である「旭街道」が合流し、江戸時代初期には、すでに「小見川宿」として発展しており、「周辺舟運」を背景に「小見川」は町場化していったそうです。
さらに「小見川」は、「銚子」から「江戸」「間」を結ぶ「内川廻り」の「中継港」しての「機能」に加え、「周辺農村」及び「干潟地方」から「八日市場方面」に渡る「広域米」や「諸産物」を集め、「江戸方面」へ積み出す「利根川水運」の「集散地」として発展していきました。
当時の「小見川」では、2と7の日には「六斎市」が開かれ、他に「須賀神社」、「妙剣神社」の「祭礼市」も開かれるほど賑わっていたそうです。
江戸期の「小見川」は、「本町」・「新町」を初め、「8町」に分かれる「規模」であり、「醸造業」も盛んで発達しており、「小見川」の「醸造業」ですが、「醤油」5軒、「酒蔵」4軒、「濁酒」5軒の「記録」があり、現在も「小見川」には、1軒の「酒蔵」と、1軒の「醤油醸造業」が存続しています。
「小見川城山公園」(2011年2月26日のブログ参照)は、「香取市」「小見川」で、「桜」や「躑躅(ツツジ)」の「名所」として知られている「公園」です。
「小見川城山公園」ですが、「城山」の名前の通り、平安時代にかけ、「豪族」「栗飯原氏」の「城」が築かれたと伝えられる「小見川城址」があり、今でも「本丸跡」に「土塁」、「空堀」、「土橋」、「曲輪」といった「城」の一部が残っているほか、古代の「城山古墳群」と呼ばれる「古墳群」もあります。
ちなみに「小見川城址」は、1199年(建久10年)に「栗飯原朝秀」氏が、築城したと伝えられています。
「栗飯原氏」は、中世の「下総国」「香取郡」「小見川郷」(現・香取市小見川)「一帯」を領した「千葉氏」の「古族」です。
「栗飯原」は、「アイハラ」、「アイバラ」と読み、平安時代末期、「平常長」「四男」・「栗飯原常基」を「祖」とし、戦国末期までの約五百年、「小見川周辺」を領していたそうです。
「小見川城山公園」は、「茨城県」と「千葉県」を繋(ツナ)ぐ「利根川」を跨(また)いだ「小見川大橋」から「国道356号線」「小見川大橋入口交差点」から「千葉県道・茨城県道44号線」「成田小見川鹿島港線」「成田方面」へ0.7kmのところに位置しています。
「小見川城山公園」は、「下総台地」(北総台地)上に位置するため、「小見川市街地」や「鹿嶋・神栖方面」を望むことができます。
「小見川城山公園」内には、「遊具」が整備された「アスレチック広場」や「チビッコ広場」、「わんぱく広場」のほか、「茶会」や「華道」などの「集まり」もできる「数寄屋造り」の「清風荘」などあり、「清風荘」ですが、「有料」で借りることができる「施設」となっており、「子ども」から「大人」まで利用できる「公園」となっています。
「小見川城山公園」には、70種あまり、約6000本の「様々」な「樹木」が植えられ、「四季」を通じて、いろいろな「花木」が楽しめる「公園」となっています。
「小見川城山公園」ですが、「四季」の中でも「春」には、1000本の「染井吉野(ソメイヨシノ)」と4000本の「躑躅(ツツジ)」が「小見川城山公園」の「山一帯」に咲き乱れ、「北総随一」の「花見の名所」であり、「桜の名所」として知られています。
ほかにも「小見川城山公園」では、「夏」の「紫陽花(アジサイ)」や「百日紅(サルスベリ)」、「秋」の「アベリア」や「金木犀(キンモクセイ)」などが咲き、「行楽」に訪れる「花見客」、「家族連れ」の目を楽しませています。
「小見川城山公園」で、「桜」、「躑躅」が咲き誇る3月下旬から5月初旬にかけて「水郷おみがわ桜つつじまつり」(2015年3月31日・2014年3月30日・2013年3月30日・2012年3月24日のブログ参照)が開催されています。
また「小見川城山公園」ですが、「千葉県さくらの名所20選」にも選定されています。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」は、1931年(昭和6年)に「小見川」に「鉄道」が開通されたことを「きっかけ」に始まったとされている「イベント」です。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」の「はじまり」ですが、1945年(昭和20年)代後半に「小見川」の「観光協会」の「皆さん」が「城山」(小見川城山公園)に「ボンボリ」を灯し、今のかたちの「桜まつり」の「原形」ができ、現在まで「桜つつじまつり」が開催され続けられています。
当時の「小見川城山公園」は、「個人所有」の「別荘」であったそうで、その後、「城山」は「町」(旧・小見川町)に寄付され、「城山公園」として整備され、以前より盛大な「桜まつり」として現在に引き継がれています。
「桜」は「香取市」の「木」として、また「小見川」の「春のシンボル」として、80年以上にわたり、多くの「人々」から愛され続けている「桜まつり」として「水郷おみがわ桜つつじまつり」は行われています。
この度(タビ)「小見川城山公園」では、4月1日(金)から5月8日(日)の期間「恒例」の「水郷おみがわ桜つつじまつり」が開催されます。
上記のように「北総随一」の「桜の名所」として知られる「小見川城山公園」は、「ソメイヨシノ」などの「桜」1000本と、「躑躅」4000本が「山一帯」に咲き乱れ、「昼夜」問わず「花見客」が訪れ、特に「夜」、「城山公園案内所」周辺と「赤橋」周辺は、「開花宣言」の日から、約2週間「ライトアップ」され幻想的な「夜桜」が楽しめるそうです。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」では、「開催期間中」に「イベント」が行われます。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」の「イベント内容」ですが、「野点(ノダテ)」、「お花見コンサート」、「路上パフォーマンス」、「水郷小見川観光物産販売所」となっています。
「野点」ですが、4月2日(土)・3日(日)に行われる「イベント」です。
「野点」は、「小見川城山公園」「清風荘」にて「両日」とも、10時00分から開催されるそうです。
「お花見コンサート」ですが、4月3日(日)に行われる「イベント」です。
「お花見コンサート」は、「小見川城山公園」「噴水広場」にて、12時00分から開催されます。
「お花見コンサート」の「出演者」、「スケジュール」は、下記の通りです。
12時00分〜 小見川吹奏楽団
13時00分〜 ハラウ・フラ・オ・ナヘナヘ・メレアナ
13時30分〜 ピア・ダンス(ピア・ダンス研究会)
14時00分〜 オミザイル(2011年8月17日のブログ参照)
14時25分〜 HIDEKI Number
14時30分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”
「路上パフォーマンス」ですが、4月3日(日)に行われる「イベント」です。
「路上パフォーマンス」は、「小見川城山公園」「城山公園案内所」前で11時00分開催されます。
「路上パフォーマンス」「出演者」、「スケジュール」は、下記の通りです。
11時05分〜 オミザイル
11時30分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”
「水郷小見川観光物産販売所」ですが、4月1日(金)から4月中旬までの「期間」オープンする「物産販売所」です。
「水郷小見川観光物産販売所」では、「小見川酒販組合」により「おみがわ物産品販売」、「地酒」、「酒蔵」の「甘酒」や、「焼きいも」など販売しているそうです。
「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」4月2日(土)・3日(日)の2日間、「無料シャトルバス」が運行するそうです。
「無料シャトルバス」「通行時間」ですが、10時00分から17時00分までとなっており、「小見川支所」から「城山公園案内所」まで運行することになっています。
なお「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の「小見川城山公園」内では、下記の「事項」を「禁止」するそうです。
1 ロープ等による場所取り。
2 通行の妨げとなる場所(清風荘前など)に敷物を敷いての飲食。
「北総随一」の「桜の名所」「小見川城山公園」で開催される「恒例」の「桜まつり」「水郷おみがわ桜つつじまつり」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「水郷おみがわ桜つつじまつり」詳細
開催期間 4月1日(金)〜5月8日(日)
開催会場 小見川城山公園 香取市小見川4380-1
問合わせ 水郷小見川観光協会 0478-50-1212
備考
「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の3月27日(日)・4月2日(土)・3日(日)に「交通規制」が行われます。
「交通規制場所」ですが、「城山公園下」が、10時00分から17時00分まで「車両通行止め」となるそうです。
なお、「水郷おみがわ桜つつじまつり」「期間中」の4月3日(日)ですが、「城山公園内」が11時00分から13時00分まで「車両通行止規制」となるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2890 |
| 地域情報::香取 | 10:23 AM |
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2016,03,30, Wednesday
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」「佐原公園」(諏訪公園)、「両総用水」で4月1日(火)〜15日(金)の期間開催されます「佐原のさくら祭り」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られ、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」左手に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀られています。
「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ広大な「山林」の中にあり、「香取の森」は荘厳で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として大切に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
「香取の森」、「香取神宮」の位置する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも称されています。
この地域は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって徐々に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成され、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は千年といわれています。
「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く自生しています。
「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があります。
また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも有数な「スポット」であり、学術的にも貴重なものなのだそうです。
「下総国一宮」「香取神宮」ですが、「四季折々」の「風情」を醸しており、「初春」の「梅」、「春」の「桜」、「夏」の「新緑」、「秋」の「紅葉」と「四季」を通じて「自然」と触れあえる「スポット」であり、「散策スポット」でもあるそうです。
「春」の「香取神宮」では、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」、「ヤマザクラ」を「中心」に、15種類、約700本の「桜」が植えられており、「見頃」を迎えると「香取神宮」「表参道」・「旧参道」には「桜のトンネル」ができ、「参拝客」や「花見客」で賑わいます。
その他の「香取神宮」の「観桜スポット」ですが、「黄門桜」、「桜の馬場」があげられます。
「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にある「桜」で、「水戸黄門」として有名な「徳川光圀」の手植えの「桜」と伝えられています。
「桜の馬場」ですが、「神殿」の「裏側」にあり、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」などが、数百本あり、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で賑わいます。
「佐原公園」(諏訪公園)(2012年2月17日のブログ参照)は、「JR佐原駅」(2015年9月20日のブログ参照)の程近くにある「公園」で、「佐原公園」(諏訪公園)「高台」からは「佐原の市街地」や「利根川」、「水郷一帯」が一望でき、「香取市民」の「憩いの場」として親しまれている「公園」です。
「佐原公園」(諏訪公園)内「石段下」には、1919年(大正8年)に建立された「日本最初」の「実測地図」「大日本輿地全図」(通称・「伊能図」)を作成した「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「銅像」があり、「佐原公園」(諏訪公園)には「展望台」、「児童遊園」、隣接して「佐原野球場」、「佐原庭球場」(テニスコート)などがあります。
「佐原公園」(諏訪公園)は、「春」には「ソメイヨシノ」を「中心」に、約200本の「桜」が咲き誇り、「香取市」「佐原」の「花見の名所」・「桜の名所」として知られています。
見晴らしの良い「高台」にあり、「桜の名所」として有名な「佐原公園」(諏訪公園)は、「香取市」きっての「夜景スポット」でもあります。
「佐原公園」(諏訪公園)からは、「JR佐原駅」周辺の「町並み」と、開かれた「水郷一帯」周辺が見渡せ、まさに「歴史文化」に彩られ、「水郷情緒」豊かな「佐原」ならではの「風景」・「夜景」を見ることができます。
「佐原公園」(諏訪公園)の「展望台」からの「眺め」ですが、「北総一」の貴重な「夜景スポット」といえます。
「両総用水」は、昭和8年(1933年)9年(1934年)と続いた「田大干ばつ」を契機として、昭和18年(1943年)に「工事」に着手し、「戦争」による中断を経て、昭和40年(1965年)に完成した「総延長」78kmにも及ぶ「日本」でも有数の長大な「農業用水施設」です。
「両総用水」の「水源」は「利根川」の「佐原」にあり、900mの「第1導水路」を経て、「第1揚水機場」により、23m上の「北総台地」(下総台地)に汲み上げられます。
その「水量」は「毎秒」17平方mで、「市内」から見える大きな「送水管」が印象的です。
「両総用水」は、「千葉県」「北東部」の「利根川」「沿岸地域」の「排水」と、「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)「南部」の「地域」への「農業用水」の「供給」を目的とした「用水路」で、「両総農業用水」とも呼ばれ、「疎水百選」に選定されています。
「両総用水」は、「香取市」「佐原」の「第1揚水機場」で「利根川」から「取水」し、「香取市」「伊地山」で「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に流し込み、「栗山川」「下流」の「山武郡」「横芝光町」「寺方」の「第2揚水機場」で再度取水し、「東金市」や「茂原市」などの「九十九里平野」「南部」まで「農業用水」を供給しています。
「両総用水」の「全取水量」ですが、14.47m3/s、「用水」を供給している「受益面積」は約20000ha(ヘクタール)になるそうです。
「両総用水」「幹線」は、「第1揚水機場」から「栗山川」「源流」までの「北部幹線」と、「第2揚水機場」までの「栗山川部分」、「第2揚水機場」からの「南部幹線」により成り立っており、「北部幹線」と「栗山川部分」を「房総導水路」と共用しています。
「両総用水」「第1導水路」から「第1揚水機場」にかけては「水資源公団両総用水管理事務所」が管理しています。
「両総用水」には非常にたくさんの「随道」があり、「銘文」が数多く残っていて、完成から30年以上を経た「歴史の重み」を感じさせる証でもあります。
「両総用水」「桜並木」ですが、昭和26年(1951年)「旧・佐原市」誕生の折、「4ヶ町村」が合併した「記念」に、植樹されたといわれています。
「佐原のさくら祭り」(2015年3月29日・2014年3月30日・2013年3月31日・2012年3月25日のブログ参照)は、「佐原」の「観桜スポット」「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)を「会場」に行われている「恒例」の「催し」で、昨年(2015年)から「両総用水」も加わり、3会場での開催となるそうです。
「佐原のさくら祭り」「期間中」には、「香取市」「佐原」の「桜の名所」である「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)、「両総用水」に「桜」が咲き誇り、3会場は、多くの「花見客」、「観光客」で賑わいます。
「香取神宮」「会場」では、「表参道」に「雪洞」が飾られ、「夜間」は「ライトアップ」され、「香取神宮」「参道」の「玉砂利」を踏みしめながら幻想的な「夜桜見物」ができます。
「香取神宮」「会場」では、「香取神宮」「境内」「奥」に位置する「桜の馬場」や「香取護国神社」付近が、「お花見のベストスポット」となっており、「桜」をじっくりと愛(メ)でたり、「お花見」をしながら、「お弁当」を食べることのできる絶好の「スポット」となっています。
「佐原公園」(諏訪公園)「会場」では、「佐原のさくら祭り」「期間中」、「提灯(チョウチン)」や、大小600個の「雪洞」で「ライトアップ」されます。
上記のように「佐原のさくら祭り」3会場では、「ライトアップ」された「桜」が、幻想的な「雰囲気」を醸し出し、「佐原のさくら祭り」ならではのひと味違った「風情」を味わう「夜桜見物」ができるようになっています。
なお「佐原のさくら祭り」3会場では、「食べ物」・「アルコール」の「持ち込み」は「可能」ですが、「カラオケ」は「不可」となっています。
「両総用水」の「桜」ですが、「川」の「両側」の「桜」が「川面」に映(ハ)え見ごたえのある「観桜スポット」です。
「両総用水」の「桜」ですが、昨年(2015年)から「雪洞」が飾られ、「日没」から「ライトアップ」されるそうです。
「佐原の桜の名所」「下総国一宮」「香取神宮」、「佐原公園」(諏訪公園)、「両総用水」で開催される「恒例」の「桜イベント」「佐原のさくら祭り」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「佐原のさくら祭り」詳細
開催期間 4月1日(金)〜15日(金)
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
佐原公園(諏訪公園) 香取市佐原イ1020
両総用水
問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675
香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」では、「佐原のさくら祭り」「期間中」の4月第1土曜日・日曜日の4月2日(土)3日(日)に「御田植祭(オタウエサイ)」(2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)、4月14日(木)に「例祭」(2012年4月13日のブログ参照)、「例祭」の翌日4月15日(金)に「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)が執り行われます。
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| 地域情報::香取 | 10:23 AM |
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2016,03,29, Tuesday
本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「袋公園」で4月1日(金)〜12日(火)の期間開催されます「旭市袋公園桜まつり」です。
「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏に位置している「市」で、「人口」は約7万人の「自治体」です。
(2016年(平成28年)3月1日現在、「旭市」の「人口」67528人、「男」33189人、「女」34339人、「世帯数」25510世帯)
「旭市」の「南部」は、美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「旭市」の「北部」には、「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」と、なだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
「旭市」ですが、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、2005年(平成17年)7月1日に対等合併し、新「旭市」として「スタート」しています。
「旭市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。
「旭市」の「大きさ」ですが、「東西」に約17.7km、「南北」に約13.5km、「面積」は129.91平方km、「標高」は、「海抜」68.4m(飯岡「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)付近)以下、「旭市内」の「全域」に及ぶ「平野部」は「海抜」3〜10mと「平坦」です。
「旭市」「南部」「太平洋」に面する「海岸」「九十九里浜」は、「遠浅」の「砂浜」で、「夏」の「海水浴場」だけではなく、1年を通し、「海釣り」や「サーフイン」(サーフスポット)として賑わっています。
なお「旭市」の「九十九里浜」ですが、「日本の白砂青松100選」、「日本の渚百選」に選定されています。
「旭市」は「通年」として「温暖」な「気候」(平均気温は15℃)で、「冬」暖かく、「夏」涼しい「環境」を活かし、「農業」が盛んに営まれており、「干潟八万石」の肥沃(ヒヨク)な「水田」で採れる「水稲」はもとより、「施設園芸」による「キュウリ」・「トマト」などの「野菜づくり」、「カーネーション」、「ガーベラ」などの「花卉栽培」などが行われています。
また、「旭市」「飯岡漁港」での「水産業漁獲量」も「県内2位」となっており、「旭市」「飯岡」の「伝統加工品」の「丸干しいわし」は「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても注目を集めています。
「旭市」は、「特産」の「貴味メロン」、「梨」、「いちご」(2011年12月14日・2010年12月10日のブログ参照)の「観光農園」、「畜産業」もあり、「農産物」から「畜産物」・「水産物」までなんでもそろう「食料のまち」で、「旭市」は「千葉県内屈指」の「食料供給基地」となっています。
「旭市」は、「多彩」な「レジャー」が楽しめる「まち」として知られており、「旭市」では、「海水浴」、「サーフィン」、「パークゴルフ」、「キャンプ」、「釣り」などが楽しめます。
「旭市」の「主」な「レジャースポット」は、下記の通りです。
「海水浴」「サーフィン」「スポット」
矢指ヶ浦海水浴場(ヤサシガウラカイスイヨクジョウ)(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)
飯岡海水浴場(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)
「パークゴルフ」
あさひパークゴルフ
旭市中谷里8340番地53
0479-62-8989
「キャンプ」
海上キャンプ場
旭市岩井1000
0479-55-5250
「釣り」「スポット」
長熊釣堀センター(2012年5月4日のブログ参照)
旭市萬力3566-1
0479-68-4602
袋の溜池(袋東公園)
旭市鎌数4013
0479-62-7537(旭市観光協会)
「海釣り」「スポット」
飯岡漁港(2012年6月6日のブログ参照)の釣り船
飯岡地先海岸部全域(投げ釣り)
「袋公園」は、「旭市」にある「桜の名所」として知られる「公園」で、「旭市民」の「憩いの場」として親しまれている「公園」です。
「袋公園」内にある「溜池」ですが、「椿の海」(椿海)(2011年4月17日のブログ参照)を干拓して、現在「干潟八万石」と呼ばれる「耕地」をつくる際、「椿の海」(椿海)に流れ込む「水」を制御し、またその「水」によって「下郷村々」の「用水」も、まかなうのを「目的」につくられた「13」(14ともいわれる)の「溜井堰」のうちのひとつなのだそうです。
現在、「袋公園」内の「溜池」ならびに周辺は、「袋公園」という「都市公園」として整備され、「袋公園」「溜池」の「周囲」1400mの「遊歩道」沿いには、約500本の「桜」「ソメイヨシノ」をはじめ、「躑躅(ツツジ)」、「皐(サツキ)」などが植えられています。
「袋公園」の「溜池」ですが、「へら鮒」の「釣り場」としても「有名」で、毎年「春」(2014年4月17日・2013年4月17日・2011年4月15日のブログ参照)と「秋」(2015年10月18日・2014年10月24日・2013年10月24日・2012年10月26日・2011年10月22日・2010年10月22日のブログ参照)に「袋の溜池へら鮒釣り大会」が行われています。
「袋公園」「北側」には「アスレチック」も整備されており、「袋公園」は上記のように「旭市民」の「憩いの場」として知られ、訪れる「人」が多い「人気公園」です。
「旭市袋公園桜まつり」(2015年3月31日・2014年3月26日・2013年4月6日・2012年3月29日のブログ参照)は、「旭市」の「桜の名所」となっている「袋公園」「恒例」の「イベント」で、「袋公園」「遊歩道」沿いの約500本の「ソメイヨシノ」が「ピンク色」に色づき、美しい「花」を咲くころ、行われます。
「旭市袋公園桜まつり」では、「開催期間中」の4月1日(金)〜4月12日(火)の17時00分から22時00分まで「会場」の「袋公園」「溜池」「西ため池外周」を、「桜」の「ライトアップ」(「ちょうちん」、「ぼんぼり」が点灯)が行われ、「幻想的」な「雰囲気」(世界)になり、「夜桜」も楽しめます。
また「旭市袋公園桜まつり」では、「袋公園」「溜池」の「湖上」で、80匹の「鯉(コイ)のぼり」が「桜」を見下ろしながら、元気に泳ぐそうです。
なお、「袋公園」の「鯉のぼり」の「掲揚期間」ですが、4月1日(金)から5月8日(日)までの「期間」掲揚されるそうです。
なお「鯉のぼりの掲揚」ですが、「天候」等で、掲揚されないこともありますのでご注意下さい。
「旭市袋公園桜まつり」では、「開催期間中」の4月9日(土)に、「袋公園桜まつり演芸&こどもゲーム大会」が行われます。
「袋公園桜まつり演芸&こどもゲーム大会」「イベント内容」ですが、「お囃子」、「演芸(第1部)(第2部)」、「野だて」、「まるごと旭わくわく市場」、「ミス七夕撮影会」、「こどもゲーム大会」、「椎名佐千子歌謡ショー」、「こども」から「大人」まで楽しめる「催し」が、盛り沢山となっています。
「こどもゲーム大会」ですが、「無料」でできる「輪投げ」や「的当て」の「ゲーム大会」などが行われ、「まるごと旭わくわく市場」ですが、「模擬店」や「物販販売」などが行われるそうです。
「袋公園桜まつり演芸&こどもゲーム大会」「スケジュール」は、下記の通りです。
「袋公園桜まつり演芸&こどもゲーム大会」
開催日時 4月9日(土) 9時00分〜
開催会場 袋公園イベント会場 (さくら橋南側)
9時00分 お囃子
9時30分 野だて、まるごと旭わくわく市場
10時00分 演芸(第1部)、ミス七夕撮影会
10時30分 こどもゲーム大会
12時15分 椎名佐千子歌謡ショー
13時00分 演芸(第2部)
「演芸&こどもゲーム大会」「ミス七夕撮影会」ですが、「旭市袋公園桜まつり」「恒例」の「イベント」となっており、昨年(2015年)に行われた「ミス七夕コンテスト2015」(2015年7月13日のブログ参照)にて、「ミス七夕QUEEN」、「ミス七夕」に選ばれました「林千尋」さん(ミス七夕QUEEN)、「三上聖羅」さん(ミス七夕)、「永井薫」さん(ミス七夕)を「被写体」に、500本の「桜」が咲き誇る中、行われる「撮影会」となっています。
なお「ミス七夕撮影会」ですが、上記のように10時00分から「さくら橋」「南たもと」付近で開催されるそうです。
「旭市」では、「旭市袋公園桜まつり」「開催」に伴い、「袋公園春のフォトコンテスト」、「第4回袋公園春の詩歌大会」が行われます。
「袋公園春のフォトコンテスト」、「袋公園春の詩歌大会」「詳細」は、下記の通りです。
「袋公園春のフォトコンテスト」詳細
題材 袋公園の風景・情景・スナップなど
作品 カラープリント(四切、ワイド四切、A3) *複数枚応募可
賞 市長賞、議長賞、教育長賞、文化協会長賞、袋公園桜まつり実行委員会長賞 各1名、入選5名、佳作5名 *一人一賞
応募方法 旭市観光物産協会、旭市商工観光課にある応募票に必要事項を記入し、持参または郵送してください。
締め切り 5月12日(木)
問合わせ 旭市物産観光協会 0479-62-7537
〒289-2504 旭市ニの5127 青年の家2階
「第4回袋公園春の詩歌大会」(短歌・俳句・川柳)詳細
作品テーマ 袋公園桜まつり、桜
賞 市長賞、議長賞、文化協会長賞、袋公園桜まつり実行委員会長賞、佳作(15点程度)
応募方法 会場での投稿、または旭市観光物産協会へ持参、または郵送か、FAXで申し込み
応募先 旭市観光物産協会(〒289-2504 旭市ニの5127 青年の家2階) 電話・FAX 0479-62-7537
締め切り 4月19日(火)
「旭市民」の「憩いの場」「袋公園」で開催される「桜イベント」「旭市袋公園桜まつり」。
この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「旭市袋公園桜まつり」詳細
開催期間 4月1日(金)〜12日(火)
開催会場 袋公園 旭市鎌数4013
問合わせ 旭市観光物産協会 0479-62-7537
旭市商工観光課 0479-62-5338
備考
「旭市袋公園桜まつり」「演芸&こどもゲーム大会」ですが、「荒天時」は「翌日」4月10日(日)に順延するそうです。
「旭市袋公園桜まつり」では、「天候」や「桜の開花状況」により、「ちょうちんの点灯」や、「鯉のぼりの掲揚」が、変更することがあるそうです。
| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2888 |
| 地域情報::旭 | 10:16 AM |
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2016,03,28, Monday
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で4月2日(土)・3日(日)に開催されます「御田植祭(オタウエサイ)」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)ですが、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「名社」「神社」で、「下総国一宮」です。
「香取神宮」の「御祭神」ですが、「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」(またの名を、伊波比主命(イワイヌシノミコト))を祀っています。
「経津主大神」は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(テンソウコウリン)」に先だち、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(鹿島神宮御祭神)とともに「出雲国(イズモコク)」(現在の島根県)に降(クダ)り、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と、「国譲り」を交渉されたと「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」即位ののち、現在の地に奉斎されたと伝承されています。
本来、「武神」としての「大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたとみられています。
「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(チョウ)」に「神封」70戸とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(スミヨシ)社」・「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(シンゼイ)」の「稲」5855把余をもって、当時すでに「正一位勲一等」とされていた「本社」の「雑舎料」にあてられ、以後20年ごとの例とされました。
「延喜(エンギ)の制」で「名神(ミョウジン)大社」となり、「祈年(キネン)」・「月次(ツキナミ)」・「新嘗(ニイナメ)」の「奉幣」を受けているそうです。
また、毎年2月と、6月に「藤原氏」1人を派遣、「祭儀」を行わせ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。
古くより「中臣(ナカトミ)氏」、「藤原氏」が崇敬奉仕しましたが、中世となり、「源頼朝(ミナモトノヨリトモ)」が崇敬して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も崇敬寄進し、近世に入って「徳川家康」が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉(トクガワツナヨシ)」が「現・本殿」、「楼門」、「神楽殿(カグラデン)」などを造営したそうです。
「関東」、「東北地方」に「本社」勧請(カンジョウ)の「社」が多いのは、「庶民」の「信仰」の表れとみられます。
「香取神宮」は、明治の制で「官幣大社」となり、「例祭」4月14日、翌15日に「旧8か町村」の「氏子」が出ての「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」ごとの「式年大祭」の「神幸」は盛大で、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(グブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
ほかにも4月「第1週」の「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、一般に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、「日曜日」に「田植式」が、多くの「早乙女(サオトメ)」たちの「手」で行われます。
「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(タイキョウサイ)」(2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(ガシサイ)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽」など、ほかにも「特殊神事」が多いそうです。
「香取神宮」には、「社蔵」の「国宝」「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」、「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」「一対」(国指定重要文化財)、久安(キュウアン)5年(1149年)「在銘」の「双竜文鏡」(双竜鏡)は、「国指定重要文化財」に指定されています。
「香取神宮」「鳥居」から「参道」「脇」は、「サクラ」、「イチョウ」、「ヒマラヤヒダ」、「イロハモミジ」、「スギ」などがみられ、「社殿」周辺は、「スギ」、「イヌマキ」、「モミ」、「ケヤキ」、「スダジイ」、「カラカシ」、「シロダモ」などがあり、「スギ」の「老齢林」として「県下」でも有数です。
「香取神宮」「社叢(シャソウ)」は、「香取神宮の森」として昭和49年(1974年)に「千葉県」「指定」の「天然記念物」に指定されています。
「香取神宮」「手水舎」脇には、「木母杉」の「跡」があります。
「木母杉」ですが、「徳川光圀」公が貞享元年(1684年)に「香取神宮」「参宮」の折に、「母なるスギ」として命名された「大木」で、現在は枯損して実生の「スダジイ」が「跡」に生育しているそうです。
(貞享元年、水戸光圀公参宮の折、四丈五尺の老木であるのを見て此の宮地の多数の母であろうと木母杉と名付けたとの伝承あり)
「香取神宮」「社殿」前には、明治44年(1911年)後の「大正天皇」御手植えの「クロマツ」があるそうで、「社殿」周りですが、「スギ」が大半で、その脇に「御神木」の「スギ」があるそうです。
「御神木」の「スギ」の「樹齢」ですが、1000余年とされ、「目通り」ですが、7.4mとなっています。
また、「香取神宮」「社殿」脇には、「三本杉」があります。
「三本杉」ですが、「源頼義」「参拝」の折に、
「天下太平、社頭繁栄、子孫長久の三つの願いが成就せば此の杉三岐に別れよ」
と祈願したところ、一つの「株」の「スギ」が三つに分かれたという「伝承」があるようです。
(三本杉、御冷泉天皇御宇源頼義公が参拝し「天下太平社頭御栄子孫長久の三つの願成就せば杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ一株の杉が三枝に別れた。以来これを三本杉と云うとの伝承あり)
「香取神宮の森」ですが、「標高」30m〜40m、「参道」から見ると「亀」に似ており、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」と呼ばれています。
「千葉県」「西北」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「上流」の「野田市」には、「キッコーマン」の「本社」がありますが、「キッコーマン」は、「漢字」で「亀甲萬」と書くそうで、「キッコーマン」の「社名」は、「香取神宮」の「山号」に由来するそうです。
「香取神宮の森」の「詳細」は、下記の通りです。
千葉県指定天然記念物
香取神宮の森
昭和49年(1974年)3月19日指定
この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り3mを超えるスギをはじめ、イヌマキ、モミなどの巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。
また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シラカシ・シロタモなどの常緑広葉樹が多くみられる。
草木層にはアスカイノデ・フマトシダ・イワガネソウ・ベニシダなどのシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウランなどの草木類が数多く自生している。
スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。
昭和60年(1985年)2月1日
千葉県教育委員会
「御田植祭(オタウエサイ)」は、「寺社」や「皇室」の「領田」で行われる「行事」であり、「稲作の成功」をあらかじめ祝う「予祝」の「神事」及び「芸能」です。
「新春」の「予祝行事」として行われるものと、「田植え」の「時期」に行われる場合とがありますが、どちらも「農作業の行程」を模擬的に演じ、「豊作」を祈念するものです。
「日本人」と「稲作」との、長く深い係わりを示すものとして、「日本全国」に、この種の「行事」が伝承され、それを行うための「組織」も「地域」によって異なりますが、「収穫」までの「全生産過程」を演じる例は少なく、「田植」で終わる、いわゆる「御田植祭」が多いといわれています。
苦しい「田植え」の「作業」を楽しくしようとする「方法」として、「田植歌」を歌いながら、「田植え」をするという「風習」があり、「田の神」を祀って「豊穣」を願う「農耕儀礼」と結びつき、「祭礼」となったのが起源とされますが、歴史的には「権門」による「勧農」があり、その模倣や展開の結果として、多くの「地域」で行われるようになったともいわれています。
このようなことから、「地域」を代表する古くからの「寺社」の「年中行事」として伝えられている場合が多く、いずれも「農作業」の「行程」を模擬的に演ずることが「中心」ではありますが、それぞれの「地域」ごとに「様々」な「芸能」の「要素」が伝えられ、特徴ある「行事」が伝承されています。
「香取神宮」「御田植祭(オタウエサイ)」(以下「御田植祭(オタウエサイ)」と表記)ですが、その年の「五穀豊穣」を祈る「香取神宮」の「祭事」で、「通称」「かとりまち」ともいわれる「祭事」で、「大阪」の「住吉大社」の「御田植神事(オタウエシンジ)」、「三重」(志摩)の「伊雑宮(イザワノミヤ)」の「磯部の御神田(イソベノオミタ)」とならび、「日本三大御田植祭」のひとつに数えられています。
ちなみに「伊雑宮」ですが、「伊勢神宮」の「別宮」で、「磯部の御神田」ですが、毎年6月に行われる「神事」で、「磯部の御神田」と「住吉大社」の「御田植神事」は、「国指定重要無形文化財」に指定されています。
「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、「史料」によると、明徳2年(1391年)には、既に行われていたと記載されており、それ以前から行われていたといわれています。
「御田植祭(オタウエサイ)」は、4月の「第1土曜日」、「第1日曜日」に行われ、「1日目」(初日)の「耕田式」と、「2日目」の「田植式」からなる「祭事」(神事)が行われています。
「御田植祭(オタウエサイ)」1日目(初日)は、「香取神宮」「拝殿」前で「耕田式」が行われるそうです。
「耕田式」ですが、「苗長」を「先頭」に、「牛方」が「五色絹」に彩られた「牛」の「耕機」をつけて牽き、その後ろから「緋」の「袴」をつけ、「鎌(カマ)」を手にした「少女」、「直垂(ヒタタレ)」を着け、「鋤(スキ)」を手にした「男」、同じく「鍬(クワ)」を持った「男」、そして「白衣緋袴」に模様の入った「襷(タスキ)」をかけ、背に「花笠」を背負った「田舞」の「少女」8人、「華傘」をさしかけられ肩車された「早乙女役」の「稚児」8人が、「庭上」に入るそうです。
「鎌入れ」の「所作」、「鋤入れ」・「鍬入れ」の「所作」に続き、「牛」により「代掻き」が行われ、「少女」8人が「苗長」から受け取った「早苗」を手に「田舞」をし、「年配者」の「早乙女手代」による「田植え」の「所作」をもって「耕田式」は終わるそうです。
「御田植祭(オタウエサイ)」2日目では、1日目(初日)と同様、「香取神宮」「拝殿」前にて「露払」・「鎌取」・「老姥」や「華傘」の「稚児」が「庭上」へ進み、「少女」の「田舞」の後、「田植え歌」によって「早乙女手代」が「田植え」の「所作」を行うそうです。
「香取神宮」「拝殿」前の「神事」が終わると「参道」から「斎田」(御神田)へと向かい、「献餞」、「祝詞(ノリト)奏上」などの「神事」が執り行われた後、「早乙女手代」が「田植え歌」を唄いながら、「斎田」(御神田)の「田植え」をするそうです。
ちなみに「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、「午年」の「式年祭」の年だけは、「日曜日」の1日のみ斎行となっており、2014年は1日のみ斎行されました。
今年(2016年)の「五穀豊穣」を祈念する「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、例年通り、「初日」4月2日(土)は、「香取神宮」「本殿」前にて「耕田式」を、「二日目」は「香取神宮」「本殿」前での「儀式」の後、「斎田」(御神田)に向かい、「田植式」を斎行するそうです。
「御田植祭(オタウエサイ)」が終了しますと、「香取地方」では本格的な「田植え」が始まるそうです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で斎行される「日本三大御田植祭」のひとつに数えられる「祭事」「御田植祭(オタウエサイ)」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「御田植祭(オタウエサイ)」詳細
開催日時 4月2日(土)13時〜
4月3日(日)13時〜
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「御田植祭(オタウエサイ)」が斎行される「香取神宮」では、斎行時が「桜」の「開花時期」であることから、斎行時に「香取神宮」「境内」に「桜」が咲き誇り、「祭事」に一層の「彩り」を添えているそうです。
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| 地域情報::香取 | 06:10 PM |
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2016,03,28, Monday
本日ご案内するのは、となりまち「東庄町」「諏訪神社」で4月1日(金)〜3日(日)の期間開催されます「笹川の神楽」です。
「諏訪神社」(諏訪大神社)は、「香取郡」「東庄町」「笹川」に鎮座する「神社」で、「諏訪さま」、「諏訪大神」と呼ばれ、親しまれています。
「諏訪神社」(諏訪大神)の「御祭神」ですが、「建御名方命(タケミナカタノミコト)」・「事代主命(コトシロヌシノミコト)」・「大国主命(オオクニヌシノミコト)」をお祀りしています。
「諏訪神社」(諏訪大神)は、「農耕」・「漁業」・「武道」・「商業」の「神」として広く信仰されています。
「諏訪神社」(諏訪大神)の「創祀」ですが、大同2年(807年)に「坂上田村麻呂」「将軍」が、「東征」の折に「武運長久」・「海上安全」を祈願し、勧請したと伝えられています。
「諏訪神社」(諏訪大神)の「境内」には、「スダジイ」が生い茂っていて、「諏訪神社」(諏訪大神)「境内」の「スダジイ」ですが、「千葉県の巨樹・古木200選」に選定されています。
「諏訪神社」(諏訪大神)には、「相撲の神様」「野見宿禰命(ノミスクネノミコト)」の「石碑」があることで知られています。
「野見宿禰命」は、「土師氏」の「祖」として「日本書紀」などに登場する「人物」です。
「野見宿禰命」ですが、「天穂日命(アメノホヒノミコト)」の14世の「子孫」であると伝えられる「出雲国」の「勇士」で、「垂仁天皇」の「命」により「当麻蹴速(タイマノケハヤ)」と「角力」(相撲)をとるために、「出雲国」より召喚され、「蹴速」とお互いに蹴り合った末に、その「腰」を踏み折って勝ち、「蹴速」が持っていた「大和国」「当麻の地」(現・「奈良県」「葛城市」「當麻」)を与えられるとともに、以後「垂仁天皇」に仕えたといわれています。
「諏訪神社」(諏訪大神)では、4月と7月に2回「例大祭」が行われており、4月の「諏訪神社例大祭」には、「笹川の神楽」が奉納され、7月の「諏訪神社例大祭」では、「奉納相撲」と、「山車」の「曳き廻し」が「盛大」に行われています。
今回ご案内している「笹川の神楽」ですが、「諏訪神社」(諏訪大神)の「春季例祭」に奉納されている「奉納神楽」で、「諏訪神社」(諏訪大神)「境内」にある「神楽殿」で、「笹川の神楽」が行われます。
「笹川の神楽」の「由緒」ですが、建久2年(1191年)「千葉成胤」が「源頼朝」の「武運長久」を祈り、「千座神楽」を奏したのが、「はじまり」といわれています。
現在、「笹川の神楽」は、7つの「区」が「回り番」で担当し、「練習」を重ねた「若者」によって、毎年「4月第1土曜日」に開催されています。
「笹川の神楽」は、8年以上続く「源氏」ゆかりの「神楽」で、「古今和歌集(コキンワカシュウ)」の「語句」を解説する「古今伝授(コキンデンジュ)」で「有名」な「東常縁(トウツネヨリ)」は、「千葉氏」の「直系」にあたり、その「東常縁」によって、「総社」「信州諏訪大神」の「神楽」と融合させた「形」で、文明7年(1475年)に「今」の「十六座神楽」が誕生したそうです。
「笹川の神楽」は、上記のように「十六座神楽」で、「土師流」から出たもので、「お能」と呼ばれる「謡」が「特徴」となっています。
「笹川の神楽」の「演目」ですが、下記の通りとなっています。
天狗の面 (猿田彦大神)
小屋根の面
太玉の命の面
乙女の面 (おかめ)
手力の面
八幡太郎の面
榊原の面
宇受女命(ウズメノミコト)の面
恵比寿の面
等と、なっており、「神楽演目」の「間」に「巫女舞」が加わります。
「笹川の神楽」ですが、毎年「4月第1土曜日」を「本神楽」、前日を「宵神楽」といい、「本神楽」の「翌日」に「神能」といって、7つの「区」によって、「回り番」で開催されています。
「笹川の神楽」では、その年、「当番」となった「地区」の「青年達」が「先輩」の「教え」を受けて、「舞台」に立つそうです。
ちなみに、今年(2016年)の「笹川の神楽」の「当番区」は、「宿浜区」となっているそうです。
今年(2016年・平成28年)の「笹川の神楽」ですが、3日間開催され、4月1日(金)12時00分から21時45分まで行われる「笹川の神楽」は、「宵神楽」、4月2日(土)12時00分から22時00分まで行われる「笹川の神楽」は、「本神楽」、4月3日(日)の「笹川の神楽」は「神納」となっています。
なお、4月3日(日)「笹川の神楽」「神納」ですが、「能面」を取って舞う「神楽」だそうで、「当番区」の「宿浜区」が行うそうです。
「笹川の神楽」「当日」「朝」は、まず「神職」の「家」から「神社」まで「時間」をかけて「お練り(行列)」を行い、この「時間」が長い程、その「年」は「豊作」であるといわれているそうです。
「お練り(行列)」では、「鉄砲打ち」や「拍子木」が賑やかに「音」を添え、「行列」が、「諏訪神社」(諏訪大神)につくと、「境内」「神楽殿」で「天狗の舞」から始まるそうです。
これも「時間」が長い程、「豊作」といわれています。
上記のように「笹川の神楽」の「演目」ですが、「天狗の舞」(猿田彦命)、「三宝荒神」、「天児屋根命」、「天太玉命」、「乙女命」、「手力男命」、「八幡太郎」、「榊原の神」、「宇受女命」、「恵比寿神」、「お供」、「稲荷大神」、「狐」、「種子まき」、「受持神」、「素盞鳴命」の16座で、「神楽」「演目」の「間」に「女子」の舞う「神子の舞」が加わるそうです。
「神子」ですが、4人で、「土」を踏まず「肩車」で往来し、また、「舞」の「演目」によっては「謡」が加わり、それぞれの「神」の「由来」や「神威」が語られるそうです。
「由緒」ある「笹川」の「古社」「諏訪神社」(諏訪大神)で開催される800年以上続く「源氏」ゆかりの「十六座神楽」「笹川の神楽」。
この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「笹川の神楽」詳細
開催期間 4月1日(金)〜3日(日)
開催時間 12時〜22時
開催会場 諏訪神社 香取郡東庄町笹川い580
問合わせ 東庄町観光協会 0478-86-6075
備考
「笹川の神楽」ですが、「東庄町」「近郷」でも「有名」な「伝統芸能」で、「笹川の神楽」は、昭和40年(1965年)4月27日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
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| 地域情報::香取 | 10:15 AM |
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2016,03,27, Sunday
本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で4月1日(金)〜5月29日(日)の期間開催されます「企画展示」「成田空港飛来機展」です。
「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。
「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
「航空科学博物館」「1階」「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」「1階」「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。
「航空科学博物館」「2階」「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(「操縦席」に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。
「航空科学博物館」「2階」「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」ですが、2014年(平成26年)3月25日に「リニューアルオープン」しています。
「航空科学博物館」「NAAコーナー」ですが、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、「様々」な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白くスタイリッシュな「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。
「航空科学博物館」「3階」は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を「離着陸」する「ジャンボ」を間近に眺め、迫力ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
「航空科学博物館」「4階」は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
「航空科学博物館」「5階」では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を「参考」に離着陸する「ジャンボ」を見ることができます。
「航空科学博物館」「屋外」には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。
「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」「様々」な「催し」、「イベント」を行っています。
また「航空科学博物館」では、「展示即売会」(「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」・「航空グッズ」の「販売」を行う「航空ジャンク市」等)などを催行しています。
「成田国際空港」(NARITA International Airport)は、「成田市」の「南東部」、「三里塚地区」にある「国際空港」で、「首都圏」に発着する「国際線」や、「主要都市」への「国内線」「航空便」が発着する、「空港法4条」で法定されている「空港」で、「航空法」上の「混雑空港」で、「成田国際空港」は、毎日約10万人もの「人」が行き交う「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)として知られています。
「成田国際空港」は、かつての「正式名称」が「新東京国際空港」でありましたが、2004年(平成16年)4月1日、「成田国際空港株式会社法」が施行され、「空港」を管理する「新東京国際空港公団」(New Tokyo International Airport Authority,NAA)が、「日本国政府」による100%出資で設立された「成田国際空港株式会社」(英・Narita International Airport Authority,NAA)に改組し民営化(特殊法人化)されたことに伴い、改称されており、「NAA」の「略称」ですが、「旧・公団時代」から引き継がれたものなのだそうです。
「成田国際空港」の「名称」ですが、「日本国内」では、上記の改称以前から広く「成田空港」もしくは単に「成田」という「呼び方」が定着しています。
また、「成田国際空港」の「名称」ですが、「国際的」な「視点」から見ますと、「日本国」の「首都」である「東京」の「国際空港」として機能しているため、「千葉県内」に「空港」が所在しながらも便宜上、「東京成田」(英・Tokyo-Narita)あるいは単に「東京」とも言われることがありますが、「東京国際空港」(通称・羽田空港)と区別するため「前者」が用いられることが多いそうです。
「成田国際空港」には、「第1ターミナル」横にある「A滑走路」(4000m)、「第2ターミナル」側に「B滑走路」(2500m)があります。
「A滑走路」(第1滑走路)は、「関西国際空港」(英・Kansai International Airport)の「第2滑走路」と並び「日本」では「最長」の4000m「滑走路」を有しています。
「B滑走路」(第2滑走路)は、2002年(平成14年)5月に開かれました「日韓ワールドカップ」に間に合わせる「形」で、同年の4月18日に、当初「計画」の「長さ」より短い2180mの「平行滑走路」として暫定的に供用開始され、2009年(平行21年)10月22日から2500mでの供用が開始されています。
「成田国際空港」の「施設」ですが、2棟の「旅客ターミナルビル」と「複数」の「貨物用施設」が点在しており、2棟の「旅客ターミナルビル」の間は「無料」の「ターミナル間連絡バス」などの「交通機関」によって結ばれており、「両ターミナル間」は「連絡バス」で約10分から15分となっています。
「複数ターミナル」を持つ「大規模空港」に多く見られるように、「ターミナル間」の「距離」が離れているため、「ターミナル」を間違えると移動に時間がかかり、特に、1990年代から増加している「他社」との「コードシェア便」(共同運航便)では注意が必要であり、実際に「機材」を運航する「航空会社」が使用する「ターミナル」に向かう必要があります。
「成田国際空港」では、「開港」から14年半余り経過した1992年(平成4年)12月に「第2ターミナル」が開業し、「日本航空グループ」と「全日本空輸グループ」が「第2ターミナル」へ移転され、「第1ターミナル」は「海外航空会社」が主に利用しましたが、真新しい「第2ターミナル」への「各種サービス」の「偏重」、「混雑時間」の「集中」や「航空会社」が使用する「ターミナル」に向かう必要があります。
「キャパシティ」に余裕のある「第2ターミナル」が開業すると、入れ替わりに「第1ターミナル」「北ウイング」が閉鎖され、「第1ターミナル」の大規模な「リニューアル工事」が着手されました。
「サテライト」の段階的な「改装」・「増築」を経て、1998年(平成10年)末に「レストラン」や「飲食店」などの「テナント」が集結する「中央ビル」「新館」が竣工、1999年(平成11年)3月に「北ウイング」が再開業し、その入れ替わりで「南ウイング」が閉鎖され、「工事」が進められました。
「南ウイング」の「再開業」に当たっては、「航空会社」を「航空アライアンス」ごとにまとめ、同じ「ターミナル」に集約することによって「混雑解消」を目指し、「乗り継ぎ」の「利便性」を高め、20社が段階的に「ターミナル毎」に「集約」・「移転」されました。
現在、主要な「航空会社」は主な3つの「国際航空連合」にまとまっており、「ワンワールド加盟社」の多くは「第2ターミナル」、「スターアライアンス加盟社」の多くは「第1ターミナル」「南ウイング」、「スカイチーム加盟社」の多くが「第1ターミナル」「北ウイング」を使用しています。
また「成田国際空港」では、「格安航空会社」「専用ターミナル」として、「第2ターミナル」に隣接した「第5貨物地区」に建設することが決まったそうです。
なお「貨物用施設」は、「貨物ターミナル地区」、「整備地区貨物上屋」、「南部貨物地区」などに点在しておかれており、「貨物取扱量」の増加から、現在も「拡張工事」が続けられています。
「成田国際空港」の「就航路線」ですが、「旅客便」(国際線)の「発着便数」は、「日本航空グループ」が「最大」で、「全日本空輸グループ」、「デルタ航空」、「ユナイテッド航空」が、それに次いでいます。
「デルタ航空」や、「ユナイテッド航空」は「以遠権」を「基」に、「アメリカ線」のみならず、「アジア線」も就航しており、「東京国際空港」(羽田空港)にも乗り入れる「大韓航空」と「中国国際航空」が続く形となっています。
「旅客便」(国内線)の「発着便数」ですが、「ジェットスター・ジャパン」を「最大」に、「全日本空輸」、「日本航空」と続いており、「貨物便」ですが、「成田国際空港」を「本拠地」として使用している「日本貨物航空」、続いて「フェデラルエクスプレス」、「全日本空輸」、「ユナイテッド・パーセル・サービス」が「上位」を占めています。
「旅客ターミナル」は「アライアンス別」に分かれていて、「基本的」に「第1ターミナル」「北ウイング」に「スカイチーム加盟会社」、「第1ターミナル」「南ウイング」に「スターアライアンス加盟各社」、「第2ターミナル」に「ワンワールド加盟各社」を発着しています。
ただし、2014年(平成26年)10月26日現在の時点で、「スカイチーム」「所属」だが「第2ターミナル」「発着」の「中国東方航空」、「チャイナエアライン」など、いくつかの「例外」もあります。
なお「成田国際空港」では、「国内」の「空港」で唯一実施している「入り口」の「検問」を2015年(平成27年)3月30日(月)に廃止、「新システム」を導入しました。
「新システム」では、「通行人」の「顔」を認証できる「カメラ」190台に加え、「車両ナンバー」を記録できる「カメラ」140台も設置されています。
これにより「駅」からの「来場者」や「車」での「来場者」も止まらずに「スムーズ」に「入場ゲート」を通過でき、一方で、状況に応じて、今後も「警備員」がチェックするそうです。
この度(タビ)、「航空科学博物館」では、4月1日(金)から5月29日(日)の期間「企画展示」「成田空港飛来機展」を開催するそうです。
「成田空港飛来機展」ですが、「航空科学博物館」「館内」「2階展示室」で開催される「毎年」「恒例」の「企画展示展」で、「費用」は「入館料」のみとなっています。
「成田空港飛来機展」の「内容」ですが、2015年度「1年間」に「成田国際空港」に飛来した「航空機」の中から「特別」な「塗装のもの」や、「初飛来のもの」など、興味深い「もの」を、「写真」や「模型」で紹介する「企画展示」となっています。
「成田国際空港」に隣接した「航空専門」の「博物館」「航空科学博物館」で開催される「恒例」の「企画展示」「成田空港飛来機展」。
この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「企画展示」「成田空港飛来機展」詳細
開催期間 4月1日(金)〜5月29日(日)
開催会場 航空科学博物館 山武郡芝山町岩山111-3
開館時間 10時〜17時(入館締切16時半)
休館日 月曜日 (祝日の場合翌日)
入館料 大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円
問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557
備考
「航空科学博物館」では、「成田空港飛来機展」の「期間中」「ゴールデンウィーク行事」として、下記の「イベント」、「企画」が行われます。
「ゴールデンウィーク行事」
「和太鼓演奏会」
開催日時 5月3日(祝・火) 12時〜、15時〜(1日2回)
「マジックショー」
開催日時 5月4日(祝・水) 12時〜、15時〜(1日2回)
「大道芸」
開催日 5月5日(祝・木)
「飛行機工作教室」
開催日時 5月3日(祝・火)・4日(祝・水)・5日(祝・木) 13時〜14時半
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