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「御田植祭(オタウエサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で4月2日(土)・3日(日)に開催されます「御田植祭(オタウエサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)ですが、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「名社」「神社」で、「下総国一宮」です。
 「香取神宮」の「御祭神」ですが、「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」(またの名を、伊波比主命(イワイヌシノミコト))を祀っています。
 「経津主大神」は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(テンソウコウリン)」に先だち、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(鹿島神宮御祭神)とともに「出雲国(イズモコク)」(現在の島根県)に降(クダ)り、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と、「国譲り」を交渉されたと「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」即位ののち、現在の地に奉斎されたと伝承されています。
 本来、「武神」としての「大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたとみられています。
 「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(チョウ)」に「神封」70戸とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(スミヨシ)社」・「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(シンゼイ)」の「稲」5855把余をもって、当時すでに「正一位勲一等」とされていた「本社」の「雑舎料」にあてられ、以後20年ごとの例とされました。
 「延喜(エンギ)の制」で「名神(ミョウジン)大社」となり、「祈年(キネン)」・「月次(ツキナミ)」・「新嘗(ニイナメ)」の「奉幣」を受けているそうです。
 また、毎年2月と、6月に「藤原氏」1人を派遣、「祭儀」を行わせ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。

 古くより「中臣(ナカトミ)氏」、「藤原氏」が崇敬奉仕しましたが、中世となり、「源頼朝(ミナモトノヨリトモ)」が崇敬して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も崇敬寄進し、近世に入って「徳川家康」が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉(トクガワツナヨシ)」が「現・本殿」、「楼門」、「神楽殿(カグラデン)」などを造営したそうです。
 「関東」、「東北地方」に「本社」勧請(カンジョウ)の「社」が多いのは、「庶民」の「信仰」の表れとみられます。
 「香取神宮」は、明治の制で「官幣大社」となり、「例祭」4月14日、翌15日に「旧8か町村」の「氏子」が出ての「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」ごとの「式年大祭」の「神幸」は盛大で、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(グブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
 ほかにも4月「第1週」の「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、一般に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、「日曜日」に「田植式」が、多くの「早乙女(サオトメ)」たちの「手」で行われます。
 「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(タイキョウサイ)」(2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(ガシサイ)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽」など、ほかにも「特殊神事」が多いそうです。
 「香取神宮」には、「社蔵」の「国宝」「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」、「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」「一対」(国指定重要文化財)、久安(キュウアン)5年(1149年)「在銘」の「双竜文鏡」(双竜鏡)は、「国指定重要文化財」に指定されています。

 「香取神宮」「鳥居」から「参道」「脇」は、「サクラ」、「イチョウ」、「ヒマラヤヒダ」、「イロハモミジ」、「スギ」などがみられ、「社殿」周辺は、「スギ」、「イヌマキ」、「モミ」、「ケヤキ」、「スダジイ」、「カラカシ」、「シロダモ」などがあり、「スギ」の「老齢林」として「県下」でも有数です。
 「香取神宮」「社叢(シャソウ)」は、「香取神宮の森」として昭和49年(1974年)に「千葉県」「指定」の「天然記念物」に指定されています。
 「香取神宮」「手水舎」脇には、「木母杉」の「跡」があります。
 「木母杉」ですが、「徳川光圀」公が貞享元年(1684年)に「香取神宮」「参宮」の折に、「母なるスギ」として命名された「大木」で、現在は枯損して実生の「スダジイ」が「跡」に生育しているそうです。
 (貞享元年、水戸光圀公参宮の折、四丈五尺の老木であるのを見て此の宮地の多数の母であろうと木母杉と名付けたとの伝承あり)
 「香取神宮」「社殿」前には、明治44年(1911年)後の「大正天皇」御手植えの「クロマツ」があるそうで、「社殿」周りですが、「スギ」が大半で、その脇に「御神木」の「スギ」があるそうです。
 「御神木」の「スギ」の「樹齢」ですが、1000余年とされ、「目通り」ですが、7.4mとなっています。
 また、「香取神宮」「社殿」脇には、「三本杉」があります。
 「三本杉」ですが、「源頼義」「参拝」の折に、

 「天下太平、社頭繁栄、子孫長久の三つの願いが成就せば此の杉三岐に別れよ」

 と祈願したところ、一つの「株」の「スギ」が三つに分かれたという「伝承」があるようです。
 (三本杉、御冷泉天皇御宇源頼義公が参拝し「天下太平社頭御栄子孫長久の三つの願成就せば杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ一株の杉が三枝に別れた。以来これを三本杉と云うとの伝承あり)

 「香取神宮の森」ですが、「標高」30m〜40m、「参道」から見ると「亀」に似ており、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」と呼ばれています。
 「千葉県」「西北」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「上流」の「野田市」には、「キッコーマン」の「本社」がありますが、「キッコーマン」は、「漢字」で「亀甲萬」と書くそうで、「キッコーマン」の「社名」は、「香取神宮」の「山号」に由来するそうです。
 「香取神宮の森」の「詳細」は、下記の通りです。

 千葉県指定天然記念物

 香取神宮の森

 昭和49年(1974年)3月19日指定

 この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り3mを超えるスギをはじめ、イヌマキ、モミなどの巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。
 また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
 この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シラカシ・シロタモなどの常緑広葉樹が多くみられる。
 草木層にはアスカイノデ・フマトシダ・イワガネソウ・ベニシダなどのシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウランなどの草木類が数多く自生している。
 スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。

 昭和60年(1985年)2月1日

 千葉県教育委員会

 「御田植祭(オタウエサイ)」は、「寺社」や「皇室」の「領田」で行われる「行事」であり、「稲作の成功」をあらかじめ祝う「予祝」の「神事」及び「芸能」です。
 「新春」の「予祝行事」として行われるものと、「田植え」の「時期」に行われる場合とがありますが、どちらも「農作業の行程」を模擬的に演じ、「豊作」を祈念するものです。
 「日本人」と「稲作」との、長く深い係わりを示すものとして、「日本全国」に、この種の「行事」が伝承され、それを行うための「組織」も「地域」によって異なりますが、「収穫」までの「全生産過程」を演じる例は少なく、「田植」で終わる、いわゆる「御田植祭」が多いといわれています。

 苦しい「田植え」の「作業」を楽しくしようとする「方法」として、「田植歌」を歌いながら、「田植え」をするという「風習」があり、「田の神」を祀って「豊穣」を願う「農耕儀礼」と結びつき、「祭礼」となったのが起源とされますが、歴史的には「権門」による「勧農」があり、その模倣や展開の結果として、多くの「地域」で行われるようになったともいわれています。
 このようなことから、「地域」を代表する古くからの「寺社」の「年中行事」として伝えられている場合が多く、いずれも「農作業」の「行程」を模擬的に演ずることが「中心」ではありますが、それぞれの「地域」ごとに「様々」な「芸能」の「要素」が伝えられ、特徴ある「行事」が伝承されています。

 「香取神宮」「御田植祭(オタウエサイ)」(以下「御田植祭(オタウエサイ)」と表記)ですが、その年の「五穀豊穣」を祈る「香取神宮」の「祭事」で、「通称」「かとりまち」ともいわれる「祭事」で、「大阪」の「住吉大社」の「御田植神事(オタウエシンジ)」、「三重」(志摩)の「伊雑宮(イザワノミヤ)」の「磯部の御神田(イソベノオミタ)」とならび、「日本三大御田植祭」のひとつに数えられています。
 ちなみに「伊雑宮」ですが、「伊勢神宮」の「別宮」で、「磯部の御神田」ですが、毎年6月に行われる「神事」で、「磯部の御神田」と「住吉大社」の「御田植神事」は、「国指定重要無形文化財」に指定されています。
 「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、「史料」によると、明徳2年(1391年)には、既に行われていたと記載されており、それ以前から行われていたといわれています。
 「御田植祭(オタウエサイ)」は、4月の「第1土曜日」、「第1日曜日」に行われ、「1日目」(初日)の「耕田式」と、「2日目」の「田植式」からなる「祭事」(神事)が行われています。
 「御田植祭(オタウエサイ)」1日目(初日)は、「香取神宮」「拝殿」前で「耕田式」が行われるそうです。
 「耕田式」ですが、「苗長」を「先頭」に、「牛方」が「五色絹」に彩られた「牛」の「耕機」をつけて牽き、その後ろから「緋」の「袴」をつけ、「鎌(カマ)」を手にした「少女」、「直垂(ヒタタレ)」を着け、「鋤(スキ)」を手にした「男」、同じく「鍬(クワ)」を持った「男」、そして「白衣緋袴」に模様の入った「襷(タスキ)」をかけ、背に「花笠」を背負った「田舞」の「少女」8人、「華傘」をさしかけられ肩車された「早乙女役」の「稚児」8人が、「庭上」に入るそうです。
 「鎌入れ」の「所作」、「鋤入れ」・「鍬入れ」の「所作」に続き、「牛」により「代掻き」が行われ、「少女」8人が「苗長」から受け取った「早苗」を手に「田舞」をし、「年配者」の「早乙女手代」による「田植え」の「所作」をもって「耕田式」は終わるそうです。
 「御田植祭(オタウエサイ)」2日目では、1日目(初日)と同様、「香取神宮」「拝殿」前にて「露払」・「鎌取」・「老姥」や「華傘」の「稚児」が「庭上」へ進み、「少女」の「田舞」の後、「田植え歌」によって「早乙女手代」が「田植え」の「所作」を行うそうです。
 「香取神宮」「拝殿」前の「神事」が終わると「参道」から「斎田」(御神田)へと向かい、「献餞」、「祝詞(ノリト)奏上」などの「神事」が執り行われた後、「早乙女手代」が「田植え歌」を唄いながら、「斎田」(御神田)の「田植え」をするそうです。
 ちなみに「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、「午年」の「式年祭」の年だけは、「日曜日」の1日のみ斎行となっており、2014年は1日のみ斎行されました。

 今年(2016年)の「五穀豊穣」を祈念する「御田植祭(オタウエサイ)」ですが、例年通り、「初日」4月2日(土)は、「香取神宮」「本殿」前にて「耕田式」を、「二日目」は「香取神宮」「本殿」前での「儀式」の後、「斎田」(御神田)に向かい、「田植式」を斎行するそうです。
 「御田植祭(オタウエサイ)」が終了しますと、「香取地方」では本格的な「田植え」が始まるそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で斎行される「日本三大御田植祭」のひとつに数えられる「祭事」「御田植祭(オタウエサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「御田植祭(オタウエサイ)」詳細

 開催日時 4月2日(土)13時〜
      4月3日(日)13時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「御田植祭(オタウエサイ)」が斎行される「香取神宮」では、斎行時が「桜」の「開花時期」であることから、斎行時に「香取神宮」「境内」に「桜」が咲き誇り、「祭事」に一層の「彩り」を添えているそうです。

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