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「献詠祭披講式」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で1月14日(木)に開催されます「献詠祭披講式」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「神社」です。
 「香取神宮」は、神代に「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」が「芦原中津国」を平定、その「子孫」が「香取」・「鹿島」の「両地」に「拠」を構えて、「香取神宮」・「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を其々「創建」したといわれています。
 「香取神宮」は、弘仁3年(812年)に再建、元慶6年(882年)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も「千葉氏」や、「豊島氏」が「宣旨」を受けて再造されてきたといわれています。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」として「延喜式神名帳」には「名神大社」として記載されている他、明治4年には「官幣大社」に列格、昭和17年(1942年)には「勅祭社」に治定されました。

 「稿本千葉県誌」による「香取神宮」の「由緒」は、下記の通りです。

 官幣大社 香取神宮

 香取郡香取町大字香取字亀甲山にあり、境内九千七百六十八坪、祭神は経津主命を主神とし、武甕槌命・天児屋根命・姫大神を合祀す。
 社傳を按ずるに神代草創の世に当りて経津主命・武甕槌命の二神芦原中津国を平定し、香取鹿島の両地に子孫を留めて東国の鎮とし給ふ。
 神武天皇起源十八年始めて宮柱を此の地に建て、璽来歴朝国土経営の功勤を重じ、特に尊崇を厚くし祭典の礼を厳にしたまへり。
 舒明天皇三年始めて圭田を奉じ神礼を行ひ、皇極天皇二年三月水災に因りて勅使を遣し馬・錦・鋤・鍬を進められ、文武天皇の朝に本朝鎮守棟梁の号を賜ひ、勅して社殿を造営せしめらる。
 弘仁三年六月令して本宮及び住吉・鹿島の三神の神社に於ては二十年毎に正殿を改造すべき例を定め、承和三年五月正二位、同六年十月従一位、嘉祥三年正一位に叙せらる。
 元慶六年十二月九日、勅して本州の除税五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て、延喜の時名神大社に列し、社殿造営及び祭祀用途の例を定めらる。
 璽来屡奉幣使あり、当時の神領方七里に亘れりと云ふ。
 養和元年十月源頼朝下福田郷を寄附し、建久八年社殿を造営し千葉常胤をして其の事を替せしむ。
 是より千葉・葛西・豊島の諸氏造営奉行たり。
 文永八年二月亀山天皇正一位勲一等の勅領を賜ひ、正平七年足利尊氏戸頭領を寄附し、文中元年十一月常陸及び本州諸要津の海夫並に戸ヶ崎・大堺・行徳等の関務を知行することを嘱す。
 宝徳丹念十一月足利義政書を下して本宮神領守護役臨時の課役等を除く、天正十八年豊臣秀吉、浅井長政、木村重茲をして制札を建てしめ郡卒の侵掠を禁ず。
 同十九年徳川家康香取郷の地千石を寄附して神領となし、後世をして違ふこと勿らしむ。
 元禄十一年徳川綱吉造営の工を起し、社殿以下悉く新造す、今存するもの是なり、此の時鳩鴿二千羽を社頭に放つ。
 嘉永六年十一月綸旨あり、白銀及び寄附せらる。
 明治元年十二月九日勅使下向、関東及び奥羽鎮定の報寳式あり、同三年宣命使坊城俊政大奉幣式を執行し、同四年十一月十五日大嘗会あり、是の歳官幣大社に列せらる。
 明治三十七年二月十六日露国に対する宣戦の奉告祭を執行し、同三十八年十二月七日日露平和克復の奉告祭あり。
 同四十四年五月今上陛下東宮に在はせしとき、親しく参拝あらせられ、大正二年十一月八日皇太子裕仁親王並に皇子雍仁親王・宣仁親王の三殿下参拝あらせられたり。
 大正三年独逸に対する宣戦の奉告祭あり。
 同四年十一月御即位大礼奉告祭を執行せらる。
 社殿を分ちて正殿・拝殿・神楽殿・神饌所・楼門等とす、大華表三あり、第二・第三は社前数歩の間な在り、第一華表は北方十八町を隔てて津宮村利根川の畔にあり、里人濱の華表と称す。
 境内喬木蓊鬱として其の間に数十宇の摂社・末社相連り、規模荘厳なること詣拝者として粛然畏敬の念を起さしむ。
 本宮は本邦著名の大社にして、古文書の多きこと天下に冠絶すと云ふ。
 神寳も亦多く就中海獣葡萄鑑(直径九尺五分)は明治三十七年二月国寳に指定せらる。
 本宮に属する摂社・末社は三十一座にして之を區別すれば左の如し。

 一、側高神社、本郡奮大倉村に在り
 一、辺田神社、本郡奮辺田に在り
 一、大戸神社、本郡奮大戸村に在り
 一、奥宮神社、本郡香取町に在り
 一、忍男神社、本郡津宮村に在り
 一、臚男神社、同上
 一、鹿島神社、神宮境内に在り
 一、匝瑳神社、同上
 一、又見神社、本郡香取町に在り

 以上九社を摂社とす。
 一、天降・諏訪・花園・六所・(雨に霊)・竃・馬場殿・桜大刀自市の八座を境内に末社とし、其の余の十四座を境外末社とす。
 祭典中、例祭・祈年祭・新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進役として奉幣せしめらる。
 其の他歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭の中祭、軍神祭・大饗祭・白馬祭・射礼式・春季祭・御田植祭・流鏑馬式・秋季祭・賀詞祭・内陳御神祭・団喜祭等の小祭あり。
 軍神祭は十二年毎に一回執行する盛典にして神輿津宮鳥居河岸より御船に乗じ、香取浦に神幸し佐原町を経て還宮す。
 供奉の人々武装を為し頗る古代の風を存す、傳へて神功皇后の征韓の役に擬するものなりと云ふ。
 (「稿本千葉県誌」より)

 「香取神宮」の「創建」ですが、神武天皇の御代18年と伝えられ、「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは「伊勢」、「香取」、「鹿島」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 「香取神宮」の「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「造り」となっています。
 また、「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」の「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」や、「重要文化財」の「古瀬戸横涌釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」、「双竜鏡(ソウリュウキョウ)」などがあり、「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「本殿」ですが、元禄13年(1700年)「徳川5代将軍綱吉」が造営した「建造物」で、「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」ですが、「目」にもあざやかな「朱塗」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうです。
 「香取神宮」「楼門」も、「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「徳川光圀」の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年と言われる「周囲」約10mの「巨杉」となっています。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」などが数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で「賑わい」をみせます。
 「宝物館」ですが、「国宝」・「重文」を始め、多くの新宝類が「所蔵」・「展示」されています。
 「香取神宮」「境内」ですが、「香取の森」と呼ばれ、12万3千平方mに及ぶ「広大」な「境内」には「老杉」がうっそうと茂り、「別名」「亀甲山(キッコウザン・カメガセヤマ)」といわれています。
 「香取神宮」「境内」「香取の森」ですが、「県指定天然記念物」に指定されています。

 「献詠(ケンエイ)」とは、「宮中」や、「神社」などに、「自作」の「詩歌(シイカ)」をたてまつること、また、その「詩歌」の「意味」です。
 「献詠祭」とは、「和歌」を詠んで「宮中」や、「神社」に奉(タテマツ)る「祭り」のことです。
 「住吉大社(スミヨシタイシャ)」では、「新年献詠祭」、「松苗神事」、「観月祭」と、「年三回」にわたって「献詠祭」が行われており、これらすべて「一般の方」からも「歌」を募集しているそうです。
 ちなみに「住吉大社」ですが、「大阪府」「大阪市」「住吉区」「住吉」に鎮座する「神社」で、「式内社」(名神大社)、「摂津国一宮」、「二十二社」(中七社)の「一社」です。
 「住吉大社」の「旧社格」ですが、「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「住吉大社」は、「全国」に約2300社ある「住吉神社」の「総本社」であるほか、「下関」の「住吉神社」、「博多」の「住吉神社」とともに「日本三大住吉」の「一社」であり、また毎年「初詣」の「参拝者」の「多さ」でも「全国的」に「有名」です。
 「住吉大社」は、「別称」として「住吉大神宮(スミヨシノオオガミノミヤ)」ともいい、「神社」で授与される「神札」には「住吉大神宮」と書かれており、また、「地元」では「すみよしさん」または「すみよっさん」と呼ばれるそうです。

 「披講」とは、「詩歌」に「曲節」をつけて、詠み上げることで、本来、「和歌」は「披講」することを、「前提」としているそうです。
 「披講」の「諸役」には、「読師(ドクシ)」・「講師(コウジ)」・「発声(ハッセイ)」各1名、「講頌(コウショウ)」4名があり、「読師」は「司会役」、「講師」が「全句」を、「節」をつけずに「歌」を詠み上げた後、「発声」の「先導」によって、「講頌」が「唱和」する、という「形式」で行われます。

 「披講」は、平安時代より「宮中」に伝わってきた「古式」ゆかしい「行事」ですが、鎌倉時代の「鎌倉」においても、「源頼朝」公が、「花見の宴」を催した際に、「管弦詩歌の儀」を行ったという「記述」が「吾妻鏡(アズマカガミ)」に見られ、また「源実朝」公に至っては「家集」「金塊和歌集」を遺すほど「和歌」に精通し、「文人将軍」として知られています。

 「献詠祭披講式」ですが、「年」の「初め」、最初に「香取神宮」「御神前」にて、「香取神宮献詠会」の「会員」から「献上」された「短歌」(歌)を「古式」に則り、「独特」の「節回し」で歌い上げ、「年」に「一度」奉納する「祭事」です。
 「献詠祭披講式」は、「神様」に「短歌」(歌)を献上する「お祭り」で、「宮内庁」の「歌会始」の「儀」に倣い、奉納する「祭事」となっており、「香取神宮献詠会」「会員」の「皆さん」は、毎月10日までに「歌」を詠進し、14日の「月次祭」に「神前」に奉納されているそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「短歌」(歌)を奉納する「新春」の「祭事」「献詠祭披講式」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「献詠祭披講式」詳細

 開催日時 1月14日(木) 10時半〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「献詠祭披講式」の「見学」ですが、「一般の方」は、「昇殿」出来ないそうですが、「香取神宮」「社殿」の「外」からの「見学」は出来るそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2809 |
| 地域情報::香取 | 10:58 AM |
「新春特別展戦後の書七十年〜現代書道二十人展出品作家を中心に」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田山書道美術館」で1月1日(祝・金)〜2月21日(日)の期間開催されます「新春特別展戦後の書七十年〜現代書道二十人展出品作家を中心に」です。

 「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)は、「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「大本堂」の「奥」に広がる「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)の「一角」に建つ「書」の「専門」「美術館」です。
 「成田山書道美術館」は、「水」と「木々」が快(ココロヨ)い「調和」を生んでいる「成田山公園」の「三の池」の「畔(ホトリ)」に佇んでおり、「成田山書道美術館」「館内」には、「書の世界」が広がっています。
 「成田山書道美術館」は、江戸末期から現代に至る「日本」の「書道作品」や「資料」を収蔵し、展示しており、特に「成田山書道美術館」では、あまりにも現代に近いが故(ユエ)に見過ごされがちな「近代日本」の「書作品」を広い「視野」から収蔵しています。

 「成田山書道美術館」「展示棟」1階ですが、「吹き抜け」になった「中央プラザ」をもつ「企画展示室」や「高さ」13mの「壁面」をもち、ゆったりとした「空間」で「作品」を鑑賞することができます。
 「成田山書道美術館」2階ですが、「常設展示室」となっており、「回廊式」の「ギャラリー」となっています。
 「成田山書道美術館」は、「書」の「総合美術館」として、優れた「作品」を鑑賞できることはもちろん、「作品」の「保存」・「研究」・「普及」など、「専門家」から「一般の人」が楽しめるそうです。

 「成田山書道美術館」は、「近現代」の「書蹟」の「収蔵」では、「質量」ともに「群」を抜いており、これらを生かした「展示」・「普及」・「研究活動」が行われています。
 「成田山書道美術館」ですが、「書」を「専門」とした「美術館」として「書文化」の「興隆」に貢献し、「書」を含む「美術」「全般」に「目」を向け、「美術館」の「施設」を生かした「複合的」な「展示」に取り組んでおり、「書」は「苦手」という「人」でも「抵抗」なく楽しめるように「展示」・「運営」されています。

 「成田山書道美術館」では、「テーマ」を変えながら「年間」6〜7回「展示」を行っています。
 「近現代」の「書」は、「鑑賞」という「点」において、「絵画」や「彫刻」などと比べるとまだまだ「発展途上」のようですが、「成田山書道美術館」では、「様々」な「切り口」での「展示」を「企画」し、「書の魅力」を「多方面」に感じられる「場」を提供しています。

 「新春特別展戦後の書七十年〜現代書道二十人展出品作家を中心に」ですが、「成田山書道美術館」で1月1日(祝・金)から2月21日(日)までの「期間」開催される「新春特別展」です。
 「新春特別展戦後の書七十年〜現代書道二十人展出品作家を中心に」の「開催要項」、下記の通りです。

 第二次世界大戦の終結とともに、日本の政治制度は大きな転換点を迎えました。
 民主主義の定着と経済的な発展は、同時に、多くの人びとが文化的な生活を現実のものとして享受できる環境を生み出しました。
 1930年代後半から縮小を余儀なくされていた書壇の再興も活発化して、日展五科や毎日書道展といった大規模公募展が誕生します。
 書に対する考え方とその表現は多様化し、日本書道史の大きな画期を迎えることとなりました。
 本展は、当館の収蔵品のなかから、戦後10年目に朝日新聞社の主催ではじまった現代書道二十人展に出品した作家の作品を中心に出品し、戦後70年の日本の書の歩みを振り返ろうというものです。
 公募展を中心軸に発達した戦後の日本の書壇において、、現代書道二十人展は独特の魅力を持つ展覧会です。
 時代を代表する作家の連立個展ともいえるこの展覧会は、戦後の書の動向を象徴する展覧会であるともいえます。

 2016年の第60展から日本橋高島屋で開催される現代書道二十人展や、東京都美術館で開催されるTOKYO書2016展など今日の書と併せて、戦後の書70年の歩みを成田山書道美術館でご覧頂きたいと思います。

 「成田山書道美術館」「HP」「催事案内」参照、原文まま表記

 「書」の「総合美術館」「成田山書道美術館」で開催される「新春特別展」「新春特別展戦後の書七十年〜現代書道二十人展出品作家を中心に」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「新春特別展戦後の書七十年〜現代書道二十人展出品作家を中心に」詳細

 開催期間 1月1日(祝・金)〜2月21日(日)

 開館時間 9時〜16時(最終入館は15時半まで)

 開催会場 成田山書道美術館 成田市成田640

 休館日  月曜日 (月曜が休日の場合開館し、翌日休館)

 入館料  大人500円 高校・大学生300円 中学生以下無料

 問合わせ 成田山書道美術館 0476-24-0774

 備考
 「新春特別展戦後の書七十年〜現代書道二十人展出品作家を中心に」が行われる「成田山書道美術館」ですが、「入館料」500円必要ですが、「成田山新勝寺」「御護摩御修行者」の「方」は無料となっているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2923 |
| 地域情報::成田 | 10:23 AM |
「2016年新春茶会」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」で1月11日(祝・月)に開催されます「表千家銚子同好会」「2016年新春茶会」です。

 「銚子ポートタワー」(2011年11月30日・2010年9月30日のブログ参照)は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)「川口町」にある「公共施設」で、「銚子ポートタワー」ですが、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」近くにあり、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
 「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
 「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)や、「日本一」の「銚子漁港」、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。

 「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年7月29日・2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
 なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
 「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。

 「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
 また「銚子ポートタワー」1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
 「銚子ポートタワー」2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
 「銚子ポートタワー」3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、「銚子ポートタワー」4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と、「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。

 「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
 なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。

 ちなみに「水産物卸売センター」「ウォッセ21」ですが、「銚子市」「川口町」に平成3年(1991年)6月23日にオープンした「銚子市」の「第3セクター」「銚子水産観光株式会社」(銚子水産観光(株))が「9億2千万円」をかけて建設した「海産物の販売」や「銚子の特産品」を「紹介」・「販売」をしている「観光商業施設」です。
 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、オープン当初、15軒の「海産物業者」が出店していたそうですが、現在、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、14店舗の「店」と、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」「2F」に「シーフードレストランうおっせ」が営業しています。
 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」ですが、「Aブロック商店街」と「Bブロック商店街」からなり、それぞれの「店ごと」に「逸品」が揃っています。

 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」「Aブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。

 活きな魚や網元 久保甚

 水産加工品 つじの

 無形文化財 銚子ちぢみ (2012年1月11日のブログ参照)

 食事どころ 魚座屋

 海産物全般 ヤマワカ

 練り物・磯揚げ 嘉平屋 (2010年9月4日のブログ参照)

 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」「Bブロック商店街」の「店舗」は、下記の通りです。

 旬味処 たかね

 キッチンライフ 銚子東洋

 味処 まほろば

 濡れせん・銚子地酒 海風 (2011年12月11日のブログ参照)

 高級干物 一政

 ふるさとの味 しだや

 さかな工房 かねまた水産

 干物工房 あてんぼう

 となっています。

 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」の「Aブロック商店街」、「Bブロック商店街」で買った「商品」は「宅急便」で送ることができるので、「クーラーバック」がなくても安心なのだそうです。
 また「水産物卸売センター」「ウオッセ21」「2F」には、上記のように「シーフードレストランうおっせ」があり、「ウオッセ21」の「中庭」には、「中庭休憩所」、「自動販売機コーナー」があります。

 この度(タビ)「銚子ポートタワー」では、「表千家銚子同好会」「2016年新春茶会」を開催するそうです。
 「表千家銚子同好会」「新春茶会」ですが、1月11日(祝・月)10時00分から「銚子ポートタワー」「1階ホール」で開催される「おもてなしイベント」で、「イベント内容」ですが、毎年「恒例」の「表千家銚子同好会」の「皆さん」による「新春茶会」となっています。
 「表千家銚子同好会」「2016年新春茶会」は、どなたでも「無料」で気軽に参加できる「おもてなしイベント」となっており、「表千家銚子同好会」「2016年新春茶会」では、「お茶」と、「お菓子」が楽しめるそうです。

 「銚子」の「ランドマークタワー」「銚子ポートタワー」「1階ホール」で開催される「恒例」の「おもてなしイベント」「表千家銚子同好会」「2016年新春茶会」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「表千家銚子同好会」「2016年新春茶会」詳細

 開催日時 1月11日(祝・月) 10時〜

 開催会場 銚子ポートタワー 銚子市川口町2-6385-267

 入館料  大人380円 小人200円 65歳以上330円

 問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500

 備考
 「銚子ポートタワー」では、近年「銚子」の「新春」の「風物詩」「漕出式(コイデシキ)」(2016年1月5日のブログ参照)を「銚子ポートタワー」「展望室」からご覧になる「方」が多く訪れているそうです。
 「銚子ポートタワー」「展望塔」からの「眺望」は、「高所」のため、「漕出式」の様子の「全景」を「上空」から見ることができるため、「大漁旗」(2012年3月8日のブログ参照)を靡(ナビ)かせた「船」が、「川口沖」(銚子漁港の先)を旋回して、「漁港」の「係留地」に戻る様子を望めるので、「漕出式」の新しい「見方」ができるようです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2911 |
| 地域情報::銚子 | 09:14 AM |
「青木半治杯」「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」で1月10日(日)に開催され、「8区間」22.9kmを駆け抜ける「青木半治杯」「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の「3町1村」が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで2番目の「市」として誕生しました。
 その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併、発展してきました。
 現在の「銚子市」の「人口」ですが、65671人となっており、「世帯数」は27708世帯となっています。
 (2015年(平成27年)12月1日現在)

 「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
 「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
 「銚子市」の「観光スポット」・「見どころ」ですが、「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2010年9月3日のブログ参照)、「銚子漁港」、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センターウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)等となっています。

 「青木半治」氏(2011年1月4日のブログ参照)は、「日本」の「スポーツ指導者」、「日本陸上競技連盟」「第5代」「会長」で、「日本体育協会」「第11代」「会長」また、「国際陸上競技連盟」と、「アジア陸上競技連盟」でも「役員」を歴任
、「副会長」を務め、後に「終身名誉副会長」を務められた「人物」です。

 「千葉県」「長生郡」「太東村」(現・いすみ市)出身で、「旧制銚子商業学校」(現在の千葉県立銚子商業高等学校)卒業

 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は、永年「陸上競技会」を率先されてきた「青木半治」氏の「名前」を冠し行われている「駅伝大会」で、今年(2016年・平成28年)で「67回目」を数える「歴史」ある「銚子市」の「新春」を彩る「駅伝大会」であり、「銚子市内」や、「観光名所」を駆け抜ける「一大スポーツイベント」となっています。
 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「大会」の「主旨」は、下記の通りです。

 体育・スポーツの普及及び中学生相互の親睦を図り、スポーツを通して心身の健全な育成と社会体育の振興を推進するために開催されています。

 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「歴史」ですが、「終戦後」の「混乱期」であった1949年(昭和24年)、「青木半治」氏を「筆頭」に、「銚子市内」に集まった「陸上競技愛好家」の「皆さん」により「協議会」が開かれ、「協議」では、

 「戦後の混乱した世相から、スポーツを通じて何事にも全力で当たる気構えをつくろう」

 との「意見」で一致したそうです。
 そして「翌」昭和25年(1950年)、「千葉県立銚子商業高校」「陸上部」が「運営」の「中心」を担い、「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「第1回大会」が開催されたそうです。
 「第1回大会」の「参加範囲」ですが、「銚子市」、「海上郡」、「匝瑳郡」、「香取郡」の16校が参加し、「八日市場中学校」が2時間26分19秒の「記録」で「優勝」されたそうです。
 以降「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は、「回」を重ねる毎(ゴト)に「参加校」も増加し、現在では「80校」を超える「関東近県」では、「最大規模」の「駅伝大会」となっています。
 「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」は、「第42回大会」より、「当時」「日本体育協会」「会長」であった「青木半治」氏より、「本大会」に「カップ」が寄贈され、「青木半治杯」の「名」を冠する「駅伝大会」となりました。
 ちなみに「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」ですが、平成7年(1995年)に「日本陸上競技連盟創立70周年記念式典」におきまして、「本大会」が高く「評価」されたそうです。
 なお、「中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「コース」ですが、例年「問題」となっていた「国道356号線」及び「銚子大橋」(2010年12月17日のブログ参照)付近の「渋滞」を解消するため、「第58回大会」から「数回」に及ぶ「コース」の「変更」が行われ、「現在」の「コース」となっています。

 「銚子市」では、「新春恒例」の「青木半治杯」「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」が、1月10日(日)に開催されます。
 「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」には、「県内外」から82校が参加し、「全8区間」22.9kmを「1本」の「タスキ」でつなぐ激しいでつなぐ激しい「レース展開」が期待されます。
 「青木半治杯」「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の「コース」ですが、「8区間」22.9kmの「起伏」に富んだ「コース」となっています。
 「青木半治杯」「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」では、「銚子市街地」から「外川」、「犬吠埼」をめぐって「早春」の「銚子半島」を一周する「総延長」22.9kmの「コース」を、「関東各地」から集まった「中学生」の「皆さん」が、8つの「区間」に分けられた「コース」を駆け抜けます。
 また「青木半治杯」「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」では、「スタート地点」の「シンボルロード」「銚子駅前通り」から「5区」の「地球の丸く見える丘展望館」までの「高低差」が60m以上に及び、その「過酷」な「コース」を、「選手たち」は「タスキ」を繋ぎ、約1時間強で「コース」を走り抜くそうです。
 「青木半治杯」「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」の詳しい「コース」は、下記の通りです。

 1区 (4.9km) シンボルロード・銚子駅前通り 河岸公園(2013年8月16日のブログ参照)前〜名洗

 2区 (2.8km) 名洗〜銚子市漁業協同組合外川支所

 3区 (3.1km) 銚子市漁業協同組合外川支所〜千葉科学大学本部キャンパス消防隊進入口

 4区 (2.0km) 千葉科学大学本部キャンパス消防隊進入口〜地球の丸く見える丘展望館

 5区 (2.3km) 地球の丸く見える丘展望館〜犬吠埼灯台(2011年1月1日のブログ参照)

 6区 (2.8km) 犬吠埼灯台〜黒生(クロハエ)

 7区 (2.0km) 黒生〜川口神社(2010年12月22日のブログ参照)

 8区 (3.0km) 川口神社〜市役所

 ゴール     銚子市役所前

 「新春」の「銚子半島」を駆け抜ける「伝統」ある「駅伝大会」「青木半治杯」「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」詳細

 開催日時 1月10日(日) 11時半〜 (受付・8時〜)

 開催会場 銚子市内各所 (コースは上記参照)

 問合わせ 銚子市体育館 0479-24-9559

 備考
 「第67回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」「開催」に際し、「コース」「道路」上への「駐車」は遠慮いただくとともに、「レース」前後には「交通規制」が行われますので、ご注意下さい。
 昨年(2015年・平成27年)開催の「第66回中学校対抗銚子半島一周駅伝大会」(2015年1月9日のブログ参照)の「結果」は、下記の通りです。
 (上位20位まで記載)

  1 我孫子市立白山中学校

  2 柏市立田中中学校

  3 松戸市立第四中学校

  4 鎌ヶ谷市立第四中学校

  5 野田市立南部中学校

  6 鎌ヶ谷市立第五中学校

  7 松戸市立常盤平中学校

  8 我孫子市立我孫子中学校

  9 茅ヶ崎市立松林中学校

 10 柏市立柏中学校

 11 柏市立柏第二中学校

 12 銚子市立第五中学校

 13 松戸市立栗ヶ沢中学校

 14 流山市立北部中学校

 15 我孫子市立久寺家中学校

 16 我孫子市立湖北中学校

 17 野田市立北部中学校

 18 神栖市立波崎第四中学校

 19 鎌ヶ谷市立第三中学校

 20 柏市立柏第四中学校

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| 地域情報::銚子 | 02:44 AM |
「金原の大篝(オオカガリ)」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「三社神社」で1月11日(祝・月)に開催されます「金原の大篝(オオカガリ)」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都・東京」から70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあり、「匝瑳市の中心部」を「JR総武本線」と「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれています。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「市役所本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「匝瑳市」の「市区域」のうち、「旧・八日市場市」は「植木(苗木)の産地」として有名であり、「匝瑳市」は「植木の栽培面積」が「日本一」となっており、「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」(2011年9月30日のブログ参照)として知られています。

 「匝瑳市の北部」は「谷津田」が入り組んだ「複雑」な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市の南部」は「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面する「平坦な地形」となっています。
 「匝瑳市」に隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)となっています。
 「匝瑳市」の「気候」は「海洋性」の「温暖な気候」で、「年間平均気温」は15度、「東京」周辺と比べると、夏涼しく冬暖かい、とても過ごしやすい「土地柄」で、「冬」でもほとんど「降雪」は見られません。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」「合併」の「発足時」の「人口」ですが、約4万2000人で、「市名」の「由来」ですが、「旧・八日市場市」と「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことから決定されたそうです。
 ちなみに現在の「匝瑳市」の「人口」ですが、38197人となっており、「男性」18838人、「女性」19357人、「世帯数」14461世帯となっています。
 (平成27年(2015年)12月31日現在)
 この度(タビ)「匝瑳市」では、「平成28年匝瑳市成人式」を1月10日(日)に「市民ふれあいセンター」平成7年(1995年)4月2日から平成8年(1996年)4月1日までに生まれた「匝瑳市在住者」及び、「出身者」となっており、「平成28年匝瑳市成人式」ですが、上述のように1月10日(日)10時30分から「開式」(受付は9時30分から)されるそうです。

 なお「匝瑳市」の「市名」ですが、「竹内正浩」氏の「日本の珍地名」(文春新書)で「難読・誤読地名番付」の「東の横綱」と紹介されています。

 「匝瑳市」の「気候」ですが、1年を通して良好なため、上記のように「温暖な気候」を活かした「農業」が、「匝瑳市」の主(オモ)だった「産業」となっており、「県内屈指」の「米どころ」「水稲」をはじめ、1年を通し出荷され「高品質」を維持している「トマト」、「栽培」の歴史が長い「イチゴ」などの「施設栽培」の「野菜」や「果物」、「ネギ」などの「露地野菜」も盛んに生産されています。
 また「匝瑳市」は、「千葉県唯一」の「赤ピーマン」(2011年6月27日のブログ参照)の「産地」として知られており、「露地物」の「茄子(ナス)」や、「周囲」約30cm・「長さ」1mの「日本一」の「大きさ」を誇る「特大ゴボウ」「大浦ごぼう」(2011年1月10日のブログ参照)、「肉質」の良い「黒毛和牛」と「発育」の良い「乳用牛」をかけ合わせ誕生し、柔らかい「肉質」が「ステーキ」や「すき焼き」にぴったりな「ブランド牛」「若潮牛(ワカシオギュウ)」などが作られています。

 「三社神社」ですが、「匝瑳市」「飯倉」に鎮座する「神社」で、「三社神社」の「御祭神」ですが、「伊弉諾尊(イザナミノミコト)」、「事解男命(コトサカノオノミコト)」、「速玉男命(ハヤタマオノミコト)」を祀っています。
 「三社神社」は、「JR総武本線」「飯倉駅」「下車」、「飯倉台」の「住宅地」を通り抜け約10分ほど歩くと、「山の端」に「神社」の「鳥居」が見られるそうです。
 「三社神社」ですが、「石段」を上り詰めると、深い「木々」に囲まれたところに「社殿」が建っており、「拝殿」、「本殿」があり、「三社神社」「本殿」には、細かい「彫り物」が施されているそうです。
 「三社神社」の「由緒」ですが、下記の通りとなっています。

 この地、匝瑳庄は熊野神宮領であった。
 詳らかではないが、南紀熊野より飯倉西之内の地に勧請し、飯倉郷の鎮守にして、当時十八ヶ村の鎮守として崇敬され、元禄五年壬申の年に再営されたものとされています。
 (「御祭神」、「由緒」ともに「匝瑳郡誌」参照)

 上述のように「金原」には、「鎮守」として「三社神社」が祀られており、江戸時代には「金原」、「安久山」、「片子」、「大堀」の4か村の「村びと」の「信仰」があったそうです。
 「三社神社」の「石灯籠」には、1805年(文化2年)に「同村」の「佐藤四良兵衛」と、4か村の「男女」の「寄付」で、立てられたことが刻まれており、明治時代になり、「三社神社」は、「金原村」だけの「鎮守」となったそうです。

 「金原の大篝(オオカガリ)」ですが、「金原の御奉謝(カナバラノオビシャ)」ともいわれる「三社神社」で、毎年「成人の日」の「未明」に行われている「大篝(オオカガリ)」と、「御的神事」です。
 「金原の大篝(オオカガリ)」は、「成人の日」の「前日」の「午後」から「当番」の「人々」の「手」で準備され、「松薪」や、「青竹」などが、「円錐形(エンスイケイ)」に、「大人」の「背丈」よりも高く「山」のように積み上げられます。
 「金原の大篝(オオカガリ)」では、「三社神社」「社殿」で、「儀式」を行った後、「大篝(オオカガリ)」(高さ約6m、周囲15m)に「火」が入り、「火」が入ると「参拝」の「人」も集まり、「篝火(カガリビ)」を囲み、「御神酒(オミキ)」が振る舞われるそうです。
 「金原の大篝(オオカガリ)」の「大篝(オオカガリ)」ですが、赤々と燃え上がり、時折「青竹」が勢いよくはじけ、まさに「悪疫」を払う、文字通り「炎の神事」となっています。
 また「三社神社」「拝殿」の「周り」には、「弓」と、「的」があり、「大篝(オオカガリ)」に「火」を入れた後、「七五三」の「男子」(子どもたち)が「射手」となり、「矢」を射ることから、「金原の御奉謝」とも呼ばれています。
 なお「金原の大篝(オオカガリ)」の「炎」にあたると、「風邪」を引かないといわれています。

 「飯倉郷十八ヶ村」の「鎮守」「三社神社」で開催される「成人」を祝い「悪疫」を払う「炎の神事」「金原の大篝(オオカガリ)」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「金原の大篝(オオカガリ)」詳細

 開催日時 1月11日(祝・月) 6時頃〜

 開催会場 三社神社 匝瑳市金原275

 問合わせ 匝瑳市産業振興課 0479-73-0089

 備考
 昭和50年代前半に、「旧・八日市場市域」を調査したところ、1月から2月にかけて、2、3の「集落」を除き、ほとんどが「大字」(集落)「単位」で、「オビシャ」や、「セイレン」が行われていたそうです。
 「旧・八日市場市」では、「行事」の「由来」や、「」内容 を記した「記録」も探したそうですが、わずかしか見つからず、その中に、江戸時代の「金原村」(飯高地区)での「御奉謝(オビシャ)」があったそうです。
 「金原村」には「日蓮宗」・「妙大寺」があり、「同寺」で3つの「御奉謝(オビシャ)」が行われていたそうです。
 1月13日は、「本尊」・「三宝様(サンポウサマ)」の「御奉謝(オビシャ)」で、この時に集金した「お金」は、「村内」の「橋」の「掛け替え費用」などに充てていたそうです。
 1月28日は、「鬼子母神(キシモジン)」の「オビシャ」があったそうで、1751年(寛延4年)頃から始められたと記され、明治の「記録」にも「お堂」が存在し、「鬼子母神」が「安産信仰」されたことから、おそらく「女オビシャ」であったと推測されています。
 2月8日は、「妙大寺」の「お曽師(ソシ)様」(日蓮)の「オビシャ」で、1852年(嘉永5年)に「村役人」に願い出て始まったとされています。

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| 地域情報::匝瑳 | 10:41 AM |
「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「常世田山常灯寺」で1月8日(金)に開催されます「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)です。

 「常世田山常灯寺」(2011年1月11日のブログ参照)ですが、「銚子市」「常世田町」にある「真言宗智山派」の「寺院」で、「山号」は「常世田山」です。
 「常世田山常灯寺」の「御本尊」ですが、「薬師如来」、「常世田山常灯寺」は、「地名」である「常世田町」と、「御本尊」「薬師如来」の「名称」から、「常世田薬師(トコヨダヤクシ)」と呼ばれています。

 「常世田薬師」こと「常世田山常灯寺」の創建年代等は不詳だそうですが、「伝承」によると、「行基」によって開創された「寺院」であると伝えられています。
 「常世田山常灯寺」は、「目」の「病気」に「御利益」があるとされ、「人々」に篤く信仰されており、「常世田薬師」と呼ばれ広く親しまれていました。
 また「常世田山常灯寺」は、江戸時代から明治時代にかけ、「東総の三薬師」のひとつとして「興隆」を極めていたそうです。
 ちなみに「東総の三薬師」とは、「銚子市」の「常世田山常灯寺」、「旭市」の「尾背川薬師寺」、「匝瑳市」の「泉養院」(現在、廃寺)だったそうです。
 「常世田山常灯寺」「本堂」ですが、「正面」9m、「側面」10.8mの「寄棟(ヨセムネ)造り」で、「茅葺屋根」の「仏堂」でした。
 「常世田山常灯寺」「本堂」「内部」ですが、「内陣」に「宮殿(クウデン)」を安置した「須弥壇(シュミダン)」を設けており、「宮殿」は、1.8m四方の「大規模」なもので、「禅宗出組(ゼンシュウデグミ)」と、「板蟇股(イタカエルマタ)」を付し、「正面」と、「背面」に「扉」を設けており、「本堂」と同時期のものと考えられているそうです。
 「宮殿」の「軸部」の「様式」は、「自然石」の「礎石」上に「丸柱」を建て、「柱」上に「台輪(ダイワ)」を置き、「組物」は「唐様二手先(カラヨウフタテサキ)」で、「中備(ナカゾナエ)」に「蓑束(ミノヅカ)」を用いています。
 「内外陣」の「境」は、「舞良戸(マイラド)」と、「格子戸(コウシド)」を用いて仕切り、「天井」は「各天井(ゴウテンジョウ)」、「建立」は、「棟札」によりますと、1673年(寛文13年)で、「県内」の江戸時代前期の「密教系仏堂」の「代表例」といわれているそうです。
 現在「常世田山常灯寺」ですが、「保存整備事業」のために「解体修理」(2011年2月15日のブログ参照)を行っており、2013年(平成25年)、2014年(平成26年)に「修復」(2014年7月27日のブログ参照)を行い、昨年(2015年・平成27年)年度末に修復されています。
 「常世田薬師」こと「常世田山常灯寺」の「本堂」は付随して「宮殿」、「棟札」とともに、昭和54年(1979年)3月2日に「千葉県」の「県指定有形文化財」(建造物)に指定されています。

 「行基」ですが、「日本」の奈良時代の「僧侶」で、天智天皇7年(668年)に生まれました。
 (667年4月に生まれたという説もあります。)
 「僧侶」と、「国家機関」と、「朝廷」が定め、「仏教」の「一般民衆」への「布教」を禁じた時代に、「禁」を破り「畿内」を「中心」に「民衆」や、「豪族層」を問わず、広く「仏法」の「教え」を説き、「人々」より篤く崇敬されました。
 また「行基」は、「道場」・「寺」を多く建てたのみならず、「溜池15窪」、「溝」と、「堀9筋」、「架橋6所」を、「困窮者」のための「布施屋」9ヶ所等の「設立」など、「社会事業」を「各地」で行ったそうです。

 「行基」ですが、「朝廷」からは、度々(タビタビ)弾圧されたそうですが、「奈良の大仏」(「東大寺」ほか)「建立」の「実質上」の「責任者」として招聘されたそうです。
 この「功績」により、「行基」は、「東大寺」の「四聖」のひとりに数えられています。

 「常世田山常灯寺」には、「寺宝」でもある「木造薬師如来坐像」があります。
 「木造薬師如来坐像」ですが、「像高」140.9cm、「坐幅」約100cmあり、「ヒノキ寄木造り」で、「坐像」「全面」に「漆箔(シッパク)」を施(ホドコ)してあり、「金色(コンジキ)」に輝いています。
 「常世田山常灯寺」「木造薬師如来坐像」は、「仏像」のふくよかな「顔」が「流麗(リュウレイ)」な「衣文(エモン)」など随所に平安後期の「特徴」(定朝様式)を残している、鎌倉時代初期の「代表的」な「仏像」(作例)なのだそうです。
 「常世田山常灯寺」「木造薬師如来坐像」の「台座」は、仁治年間に修理されました「八角形」の「裳懸座(モカゲザ)」で、「金色燦然(コンジキサンゼン)」としています。
 「常世田山常灯寺」「木造薬師如来坐像」の「光背(コウハイ)」の「高さ」232cm、「光背」の「頂部」に「胎蔵界大日如来」と、「脇侍(キョウジ)」「二尊」を導き、「左右」に6駆ずつ「合計」12体の「飛天」の「数」ですが、「薬師如来」の「十二請願(セイガン)」に合わせたのであろうと「推測」されており、「常世田山常灯寺」「木造薬師如来坐像」「像胎内」に「多数」の「墨書銘(ボクショメイ)」があり、これにより1243年(明治4年)、「仏師」「豪慶」によって修理したと伝えられています。
 「常世田山常灯寺」「木造薬師如来坐像」ですが、1955年(昭和30年)1月に「千葉県」の「県指定文化財」となり、1959年(昭和34年)6月27日に「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されています。

 「常世田薬師」の「名」で親しまれている「常世田山常灯寺」「本堂」は、「千葉県指定文化財」、また「御本尊」「木造薬師如来坐像」は、「国指定重要文化財」です。
 しかし、「常世田山常灯寺」は、多くの「他」の「寺院」のように「檀家」を持たず、「歴史」ある「伽藍」は、「地元の町内会」が結成した「常世田薬師奉賛会(トコヨダヤクシホウサンカイ)」によって守られてきました。
 1673年(寛文13年)に建立された「常世田山常灯寺」は、これまで一度も大きな「改修」が行われず、年々「老朽化」していく「本堂」の「姿」に、わずか30年ほどの「町内会」からなる「奉賛会」の「皆さん」も永年「心」を痛めていたそうです。
 ところが、平成20年(2008年)にある「個人の方」から、

 「常世田山常灯寺解体修理に使って下さい。」

 と「多額」の「寄付」をいただき、思いがけず、「解体修理」を開始できることとなったそうです。

 しかし「解体修理」のための「多額の寄付」をいただいたものの、「解体修理」と、「将来」にわたっての「建物」に賄うには十分とはいえず、限られた「費用」の中での「将来」にわたる「維持」・「管理」の「点」から、「幾星霜」を経た「歴史」ある、かつての「茅葺屋根」の「趣」を残しつつ、「維持管理」により適した「銅板」を使用することになったそうです。

 「銚子市」では、「常世田山常灯寺」の「本堂」を、平成22年(2010年)から平成27年(2015年)までの「6か年」で、「解体修理事業」を実施する「計画」を立て、「解体修理事業」を開始しています。
 「常世田山常灯寺」「本堂」の「修理完了予定」ですが、2014年(平成26年)の3月末でしたが、平成27年度末に「事業」が終了する「予定」となりました。
 現在「解体修理」が始まって、3年が経過し、平成24年(2012年)3月には、「建物」の「すべて」の「部材」が解体され、「礎石」のみを残す「状態」だったそうです。
 これまでの「解体修理」の「過程」でも、「創建時」から「現在」に至るまでの「建物」の「歴史」を物語る「数多く」の「資料」が発見されたそうです。
 そして平成25年度からは、「部材」をつくろいながら、「組み立て」が始まり、上記のように平成27年度末に「事業」が終了する「予定」となっています。

 「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)ですが、「初薬師」にあたる毎年1月8日、7時00分から12時00分まで「常世田山常灯寺」「収蔵庫」を開けて、「常世田山常灯寺」「御本尊」である「寺宝」「木造薬師如来坐像」を御開帳する「行事」で、「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されている「木造薬師如来坐像」を「年」に一度「一般公開」しています。
 「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)では、「当日」「常世田山常灯寺」にて「子どもたち」の健(スコ)やかな「成長」を祈願する「魔除け」の「御朱印」を「おでこ」に押してもらうことができるそうです。
 また「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)に合わせて行われる「行事」ですが、「お札」の「授与」や、「常世田町内会」による「甘酒」の「ご接待」が行われるそうです。

 「歴史」ある「常世田山常灯寺」で開催される「年」に一度公開される「行事」「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)詳細

 開催日時 1月8日(金) 7時〜12時

 開催会場 常世田山常灯寺 銚子市常世田町53-1

 問合わせ 銚子市生涯学習スポーツ課 0479-24-8739 (平日 8時30分〜17時00分)

 備考
 「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)では、「参拝者」のうち「希望者」に「御朱印」を押してもらえるそうです。
 また「国指定重要文化財」「常灯寺木造薬師如来坐像」「一般公開」(御本尊御開帳)の「御朱印」ですが、「体」に押してもらうと「無病息災」の「御利益」があるといわれているそうです。

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| 地域情報::銚子 | 01:38 AM |
「平成28年(2016年)銚子市成人式」(第68回銚子市成人式)(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子市青少年文化会館」「大ホール」で1月10日(日)に開催されます「平成28年(2016年)銚子市成人式」(第68回銚子市成人式)です。

 「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)は、1933年(昭和8年)2月11日、「銚子町」、「本銚子町」、「西銚子町」、「豊浦村」の「3町1村」が合併し、「全国」で116番目、「千葉県」では「県庁所在地」「千葉市」に次いで2番目の「市」として誕生しました。
 その後、「銚子市」は、1937年(昭和12年)に「高神村」、「海上村」、1954年(昭和29年)に「船木村」、「椎柴村」、1955年(昭和30年)に「豊里村」、1956年(昭和31年)に「豊岡村」と順次合併、発展してきました。
 現在の「銚子市」の「人口」ですが、65671人となっており、「世帯数」は27708世帯となっています。
 (2015年(平成27年)12月1日現在)

 「銚子市」は、三方を「水」に囲まれ、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)に至る「海岸線」は、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、「変化」に富んだ「雄大」な「景観美」を織り成しています。
 「銚子市」は、「利根川」沿いの「低地」と「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)からなり、「表層」は「関東ローム層」に覆われています。
 「銚子市一」「標高」が高い「愛宕山」(「標高」73.6m)は、「北総台地」(下総台地)「最高峰」の「高さ」を誇り、「愛宕山」の「頂上」付近には、「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)という「人気観光スポット」があり、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦」から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せ、文字通りの「絶景スポット」となっています。
 「銚子市」の「観光スポット」・「見どころ」ですが、上記のように「犬吠埼灯台」(2011年1月1日のブログ参照)、「地球の丸く見える丘展望館」、「銚子ポートタワー」(2010年9月3日のブログ参照)、「銚子漁港」、「銚子電鉄」(2012年2月11日のブログ参照)、「銚子マリーナ」(2012年10月4日・2010年10月18日のブログ参照)、「水産物卸売センターウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)、「犬吠埼温泉郷」、「外川の町並み」(2010年12月13日のブログ参照)等となっています。

 「銚子市」は、江戸時代に「利根川水運」が開発され、「醤油醸造業」と「漁業」で発展、「農業」は「露地野菜」を「中心」に発展した「観光都市」で、「銚子市」の「産業」ですが、「気候風土」を活かした「農業」、「資源」豊かな「漁場」に恵まれた「漁業」、「気候風土」を活かした「醤油醸造業」となっています。
 「銚子市」の「農業」ですが、「灯台印」で「おなじみ」の「キャベツ」(2011年2月19日のブログ参照)、「大根」をはじめ、「メロン」(2013年6月18日・2012年6月17日・2011年6月15日のブログ参照)、「苺(イチゴ)」(2011年1月18日のブログ参照)など美味しい「野菜・果物」が栽培されています。
 「銚子市」の「漁業」ですが、「鰯(イワシ)」(2012年5月17日のブログ参照)、「秋刀魚(サンマ)」(2012年9月1日のブログ参照)、「鰹(カツオ)」などの「ヘルシー」で「栄養価」の高い「魚」や、「鮪(マグロ)」(2012年11月8日のブログ参照)、「平目(ヒラメ)」、「金目鯛(キンメダイ)」(2011年2月14日・2010年11月17日のブログ参照)などの「高級魚」も水揚げされ、「資源」豊かな「漁場」を活かした「水産業」が盛んに営まれています。
 「銚子市」の「醤油醸造業」ですが、「ヤマサ醤油」(2010年12月6日のブログ参照)、「ヒゲタ醤油」(2010年12月20日のブログ参照)、「タカラ醤油」、「小倉醤油」(2010年12月8日のブログ参照)など、「大小」「様々」な「醤油蔵」があり、それぞれ「特色」のある「商品」を生産しています。

 「銚子市青少年文化会館」は、「市民会館」、「児童文化センター」、「都市青年の家」からなる「公共施設」で、それぞれの「機能」を活かしながら、「総合的」に運営されている「施設」です。
 また「銚子市青少年文化会館」ですが、「自主文化事業」を通して、「芸術文化」に親しめる「機会」を提供することにより、「地域文化」の「向上」を図っています。
 「銚子市青少年文化会館」は、「銚子市民」の「憩いの場」、「交流の場」として、多くの「方」に利用されています。

 「銚子市青少年文化会館」の「施設内容」ですが、「市民会館施設」として「大ホール」、「楽屋」等、「児童施設」として「中ホール」、「小ホール」、「展示室」、「工作室」、「プラネタリウム室」等、「青年施設」として「会議室」、「和室」、「学習室」、「視聴覚ライブラリー室」等となっています。

 「平成28年(2016年)銚子市成人式」(第68回銚子市成人式)ですが、「成人の日」の「前日」1月10日(日)10時00分(受付開始・9時30分〜)から「銚子市青少年文化会館」「大ホール」で開催される「催し」です。
 今年(2016年)の「成人式」の「該当者」ですが、平成7年(1995年)4月2日から平成8年(1996年)4月1日までに生まれた「人」で、「銚子市」に「住民登録」がある「人」(銚子市住民登録者)が676人、「銚子市外」で「住民登録」しているものの、「故郷」・「銚子」で「成人式」をあげたいと、申し込みをした「人」を含め、「平成28年(2016年)銚子市成人式」(第68回銚子市成人式)には、「合計」553人の「出席」が見込まれているそうです。
 「平成28年(2016年)銚子市成人式」(第68回銚子市成人式)の「スケジュール」ですが、10時00分から「小・中学時代」からの「卒業アルバム」を編集した「音と映像によるスイートメモリーズ」を上映、「銚子市教育委員会」「委員長」の「開式の言葉」で「成人式」開幕、「国歌」「君が代」斉唱、「銚子出身」の「オペラ歌手」・「越智まりこ」さん「独唱」による「銚子市歌」、「主催者挨拶」として「銚子市長」「越川」「市長」の「挨拶」、「来賓祝辞」として、「石毛」・「信田」「両県議」、「石上」「市議会議長」の「祝辞」、「新成人」を代表して「銚子六中」出身の「米谷慎」さんと、「銚子二中」出身の「田村友美」さんの「成人の抱負」、「ちょうし少年少女合唱団」の「皆さん」による「いま未来へ」の「合唱」、「銚子市社会教育委員長」の「閉会の辞」となっています。

 「平成28年(2016年)銚子市成人式」(第68回銚子市成人式)に出席される「成人」の「皆さん」には、「成人」になった「お祝い」に贈られる今年(2016年)の「記念品」ですが、「500ポイント付犬吠WAON」が授与されるそうです。

 「銚子市青少年文化会館」で開催される「恒例行事」「平成28年(2016年)銚子市成人式」。
 「新成人」になる「皆さん」の「多幸」を祈念しています。

 「平成28年(2016年)銚子市成人式」(第68回銚子市成人式)詳細

 開催日時 1月10日(日) 10時〜

 開催会場 銚子市青少年文化会館 銚子市前宿町1046

 問合わせ 銚子市生涯学習スポーツ課 0479-24-8739

 備考
 「銚子市」のとなりまち「茨城県」「神栖市」も、「成人の日」の「前日」1月10日(日)に「神栖市文化センター」「大ホール」にて「神栖市平成28年成人式」が開催されます。
 ちなみに「茨城県」「神栖市」(対象・平成7年(1995年)4月2日から平成8年(1995年)4月1日生まれで、「市内在住者」916人、「届け出」のあった「市外在住者」104人で、「合計人数」(総数)は1020人だそうです。
 「神栖市平成28年成人式」ですが、9時00分から「受付開始」、10時00分から「式典開始」となっています。
 「神栖市平成28年成人式」の「主」な「内容」ですが、下記の通りとなっています。

 誓いの言葉 ・高品優弥 ・野澤拓真

 抱負発表  ・立原園子 ・前田大輝

 アトラクション 「僕らの神栖〜青春の日々〜」(実行委員会製作したメモリアルビデオ)

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| 地域情報::銚子 | 10:34 AM |
「白馬祭(オウメサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で1月7日(木)に開催されます「白馬祭(オウメサイ)」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来IC(いたこインターチェンジ)(潮来市内)」)の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(「香取市」、「成田市」、「千葉市」、「銚子市」など)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を「中心」とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を「中心」とした「工業都市」として知られています。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、66835人(男34413人、女32422人)で、「世帯数」27412世帯となっています。
 (平成27年(2015年)12月1日現在)
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(「他」に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 上記のように「鹿島神宮」、「香取神宮」とも古来より「軍神」としての「性格」が強く、「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた「2軸」の「掛軸」が「対」になって掲げられることが多く、そのため「鹿島神宮」周辺は「武芸」が盛んとなり、「鹿嶋」は、戦国時代の「剣豪」、「兵法家」で、「父祖」「伝来」の「鹿島古流」(鹿島中古流)に加え、「天真正伝香取神道流」を修め、「鹿島新当流」を開いた「剣聖」「塚原卜伝(ツカハラボクデン)」(2011年11月29日のブログ参照)の「故郷」として知られています。
 「鹿島神宮」「例祭」では、「鹿島神宮」に由来のある「直心影流剣術」による「奉納演舞」が行われる他、「古武道団体」が「演武大会」(2015年10月3日・2014年10月25日・2013年10月5日のブログ参照)を開催することもあります。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、「重要」な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は「鬱蒼(ウッソウ)」とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では「随一」の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「直刀」で、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていたそうです。
 「鹿島神宮」「本殿」の「背後」には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した「位置」には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が「快方」に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」で「この地」まで進み、「潔斎」をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「白馬祭(オウメサイ)」は、「鹿島神宮」で行われている「神事」で、「鹿島神宮」に祀る「神様」の「お目覚め」の「祭事」です。
 「白馬祭」ですが、「新年」に「白馬」を見ると一年間の「邪気」を祓うといわれる「信仰」と、「皇祖」以下「祖霊」や、「緒神」をまつる「祭儀」となっています。
 「白馬祭」では、「蹄」の「音」高く「鹿島神宮」「神殿」の前を駆け抜け、「白馬祭」が始まると「蹄」の「音」が「鹿島神宮」「境内」に響き渡るそうです。
 「白馬祭」では、「鹿島神宮」「境内」に「神馬」が疾走し、「勇壮」な「鹿島立ち」の「神事」であり、「白馬祭」ですが、「日本三大白馬祭」のひとつであり、約750年の「歴史」を持つ「祭事」です。

 「白馬祭」「当日」ですが、「時間」になると「鹿島神宮」「楼門」のほうから、「鹿島神宮」「拝殿」のほう(馬のいる「稲荷社」のほう)に「神職」が「御神馬(ゴシンメ)」(白馬)を迎えに行き、「鹿島神宮」に「御神馬」(白馬)が入場します。
 「御神馬」(白馬)が入場すると、「鹿島神宮」「拝殿」前の「広場」にて、「宮司」が「祝詞(ノリト)」を読み上げ、「広場」では、「御神馬」(白馬)がグルグルと歩くそうです。
 また「白馬祭(オウメサイ)」「当日」、「鹿島神宮」から「甘酒」と、「七草粥」の「振る舞い」も行われるそうです。

 「関東」を代表する「名社」「鹿島神宮」で開催される「御神馬」(白馬)を見ることで、1年の「邪気」が祓われるという「神事」「白馬祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「白馬祭(オウメサイ)」詳細

 開催日時 1月7日(木) 18時〜20時

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「白馬祭」では、「御神馬」(白馬)が歩くところに「ハンカチ」(小石)等を置き、「御神馬」(白馬)に踏ませるそうです。
 「白馬祭」の「馬」(白馬)に踏まれた「ハンカチ」、「小石」を持つと「心願」が叶うと伝えられており、「ハンカチ」、「小石」は、「恋愛成就」の「お守り」となる「民間信仰」もあるそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 11:14 PM |
「漕出式(コイデシキ)」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子漁港」「第2卸売市場」前、「外川漁港」で1月6日(水)に開催されます「漕出式(コイデシキ)」です。

 「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)は、「銚子市」にある「特定第3種漁港」で、「年間水揚げ量」では、「全国有数」の「漁港」です。
 「銚子漁港」ですが、「全国屈指」の「水揚げ量」を誇る「漁港」で、「全国有数」の「漁場」を持つ、「水産」、「加工」、「流通」の「総合漁業基地」として知られています。
 なお「銚子漁港」ですが、平成26年(2014年)1年間の「水揚げ量」が、27万4000t(トン)余りとなり、平成25年(2013年)よりおよそ6万t、「率」にして28%増え、「他」の「港」を大きく上回り、「水揚げ量」が「日本一」となっており、「魚」の「水揚げ量」が「4年連続」で「全国1位」(2015年1月1日のブログ参照)となっています。

 「銚子漁港」の「管理者」は「千葉県」で、「漁港番号」は「1930010」、「漁業協同組合」は「銚子市漁業協同組合 Choshi Fisheries Cooperative Association」で、「銚子市漁業協同組合」ですが、平成8年(1996年)9月に「銚子地区」の「6単協」(銚子市、銚子市黒生、銚子市外川、銚子市西、銚子市川口、千葉県小型機船底)が、合併されて設立された「組合」です。
 「銚子市漁業協同組合 Choshi Fisheries Cooperative Association」「組合員数」ですが、287名の「内」、「正組合員」177名、「准組合員」110名で、「組合員」は、6つの「魚種別部会」(旋網部会、鰹鮪部会、底曳部会、小型底曳部会、一本釣部会、各種部会)に所属しています。

 「銚子市漁業協同組合 Choshi Fisheries Cooperative Association」の「事業」、「内容」は、下記の通りです。

 共済事業 組合員の共済に関する事業。

 購買事業 組合員の事業または生活に必要な物資の供給

 販売事業 組合員漁獲物その他の生産物の販売

 直販事業 組合員漁獲物その他の生産物の直売

 製氷事業 漁獲物鮮度保持の為の氷供給

 加工事業 組合員漁獲物その他の生産物の加工

 利用事業 組合員の事業または生活に必要な共同利用に関する施設

 指導事業 水産に関する経営および技術の向上に関する指導

 「銚子」は、古来「零細漁業」と、「農耕」とによって、「生計」を営む「一漁村」でありましたが、「紀州方面」の「人々」が来応するようになってから開発されたといわれています。
 「銚子漁港」「第1魚市場」は、昭和7年(1932年)に完成、璽来「千葉県下」、「地元漁船」はもとより、「北」は「北海道」から、「南」は「沖縄」にいたる「沖合漁船」の「一大根拠地」として、60有余年の「歴史」を経て、「飛躍的」「発展」をとげています。
 「銚子市漁業協同組合 Choshi Fisheries Cooperative Association」の「沿革」は、下記の通りです。

 昭和7年(1933年)   県有銚子漁港魚市場のうち、中央魚市場が完成。

 昭和9年(1934年)10月 千葉県水産株式会社(大正12年11月創立)が県より借り受け、業務を開始。

 昭和19年(1944年)   臨港側線を敷設。新生魚市場が完成。(荷捌所として使用)

 昭和20年(1945年)1月 千葉県水産株式会社は、生鮮魚類の統制強化により、市場業務をできなくなったため、千葉県水産業会に市場権を譲渡、実務は銚子市漁業会をして行わしめた。

 昭和20年(1945年)7月 内浜魚市場は戦災により焼失、中央市場は大破。

 昭和23年(1948年)10月 県水産業会は、銚子市漁業会に市場権を譲渡。

 昭和24年(1949年)12月 戦災により焼失した内浜魚市場が復旧。

 昭和25年(1950年)7月 県は、生鮮魚介類の統制撤廃に伴う処置として、流通秩序の確立と漁港の管理保全を目的として銚子漁港魚市場条例を交付し、この条例に基づいて知事は中央魚市場及び内浜魚市場を銚子市漁業協同組合に、新生魚市場を外川漁業協同組合に市場開設者として承認した。

 昭和32年(1957年)3月 新生魚市場を県に返還。市場を廃止し、倉庫に転用。

 昭和37年(1962年)8月 東魚市場が完成。(工事費45913千円)

 昭和40年(1965年)4月 中央魚市場の改築工事を始める。

 昭和40年(1965年)6月 中堤防工事進行により完成部分を水揚岸壁に利用。

 昭和40年(1965年)12月 中央魚市場管理棟が完成。(工事費249845千円)

 昭和42年(1967年)3月 中堤防完成。水揚、仕込出漁岸壁に利用。

 昭和44年(1969年)3月 内浜魚市場を廃止解体し、駐車場に転用。業務を東魚市場に移す。

 昭和47年(1972年)2月 銚子市漁業協同組合は、県より魚市場施設を有償にて譲り受ける。

 昭和50年(1975年)4月 第2卸売市場(工事費68767千円)が完成。

 昭和52年(1977年)3月 第3卸売市場No.1(工事費223264千円)が完成。

 昭和62年(1987年)3月 第3卸売市場No.2(工事費1257400千円)が完成。

 昭和63年(1988年)6月 漁船員福利厚生施設「ゆうなぎ」(工事費210000千円)完成。

 平成6年(1994年)12月 鮮魚直売所完成オープン。

 平成8年(1996年)9月 市内6漁業組合が合併。

 平成14年(2000年)3月 海水氷製氷工場完成。

 「銚子沖」は、「寒暖流」の「交錯」する「好漁場」を有するため、「いわし」(2012年5月17日のブログ参照)、「さば」(2012年12月8日のブログ参照)、「さんま」(2012年9月1日のブログ参照)、「かつお」、「まぐろ類」(2012年11月8日のブログ参照)、「あじ」、「ひらめ」、「金目鯛」(2011年2月14日・2010年11月17日のブログ参照)等となっており、「鮮魚」として「銚子漁港」から「全国各地」に送られています。
 「銚子漁港」で「水揚げ」される「主」な「魚種」は、下記の通りです。

 鰯(イワシ)   2002年(平成14年)度「陸揚高」「全国1位」

 鯖(サバ)   2002年度「陸揚高」「全国1位」

 鯵(アジ)類  2002年度「陸揚高」「全国4位」

 秋刀魚(サンマ) 2002年度「陸揚高」「全国4位」

 鮪(マグロ)   2002年度「陸揚高」「全国6位」

 鮫(サメ)    2002年度「陸揚高」「全国3位」

 メヌケ     2002年度「陸揚高」「全国5位」

 となっています。
 ちなみに「銚子市」の「金目鯛」ですが、「東京」「築地」の「市場」で1kg当たり3000円以上で取り引きされている「深海」の「高級魚」で、「銚子市」の「金目鯛」の「水揚げ量」ですが、「国内2位」を誇るそうです。

 「銚子漁港」では、上記のように「水揚げ」される「魚種」も「豊富」で、これら「魚介類」を取り扱う「銚子漁港」「魚市場」の「卸売市場」も、「銚子漁港整備」に呼応し、「第1」・「第2」・「第3卸売市場」と、「受入施設」の「整備拡充」が図られ、「全国有数」の「漁業根拠地」として、「益々」の「発展」が期待されています。

 「銚子漁港」の「概要」は、下記の通りです。

 銚子漁港・魚市場

 魚市場用地の面積 40243平方m

 第1卸売市場 21678平方m

 第2卸売市場 6165平方m

 第3卸売市場 12400平方m

 魚市場の建物及び位置

 第1卸売市場

 中央市場

 鉄骨、鉄筋コンクリート2階建

 銚子市飯沼町186番地の61 銚子市新生町1丁目36番地の2

 建面積 4296平方m

 第2卸売市場

 鉄筋コンクリート一部鉄骨1階建

 銚子市川口町1丁目6278番地

 建面積 801平方m

 第3卸売市場 No.1

 鉄筋コンクリート一部鉄骨2階建

 銚子市川口町2丁目6528番地

 建面積 3164平方m

 第3卸売市場 No.2

 鉄筋コンクリート一部鉄骨4階建

 銚子市川口町2丁目6528番地

 建面積 6213平方m

 トラックスケール

 第1スケール 秤量50t (第2卸売市場)

 第2スケール 秤量50t (第2卸売市場)

 第3スケール 秤量60t (第3卸売市場先)

 簡易荷捌所(2011年9月2日のブログ参照)

 鉄筋コンクリート一部鉄骨1階建

 銚子市新地町1468番地の20

 建面積 1809平方m

 貸事務所

 第1卸売市場・中央市場2階21室 (30平方m〜60平方m)

 「外川漁港(トカワギョコウ)」(2013年1月4日のブログ参照)は、「銚子市」「外川町」にある「第2種漁港」で、「銚子市」の「南部」に位置し、「外川漁港」「背後」には「台地」があり、「外川漁港」周辺の「集落」は「斜面」と、「低地」にあります。
 「外川漁港」は、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の「区域内」にあり、「東側」は「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、「南側」は「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に続いています。

 「外川漁港」の「沿革」ですが、1658年(万治元年)「紀州」「有田郡」「広村」出身の「崎山治郎右衛門」氏によって「本浦」「築港」。
 その後、「外川漁港」は、1661年(寛文元年)に「新浦」の「竣工」、その後「外川漁港」は、1952年(昭和27年)2月29日に、「第2種漁港」に指定されています。
 ちなみに「外川漁港」の「水揚げ」される「主(オモ)」な「魚種」ですが、「金目鯛(キンメダイ)」、「アカムツ」、「クロムツ」となっています。

 「漕出式」は、「年」の「始め」、「航海の安全」と、「大漁」を祈願して「漁船」が「川口沖合い」を航行することで、「漕出式」は、「乗り初め(ノリゾメ)」とも呼ばれています。
 「漕出式」ですが、「銚子」の「正月の風物詩」のひとつで、上述のように「航海の安全」と、「豊漁」を祈願して行っています。
 「銚子」は、上記のように「日本有数」の「水揚げ量」を誇る「漁業のまち」で、江戸時代「魚」を追い求めて北上した「紀州の漁師たち」により「外川漁港」が築かれて以降、「親潮」と「黒潮」がぶつかり合う、豊かな「漁場」や、「利根水運」などの「地の利」に恵まれ、「銚子の漁業」は発展してきました。

 新しい「年」の「初め」、「漁師たち」は、ことさら「縁起」を担ぎ、昔から「年初め」の「良い日」を選んで「漕出」を行っていたようです。
 「銚子漁港」で「漕出」を行う「船」は、全て「海」を見下ろす「高台」に鎮座する「川口神社」(2010年12月22日のブログ参照)で祈願するそうです。

 「漕出式」では、昔は「海」から「川口神社」にお参りする際に、「港」から出た「船」を「左」へと旋回させて「神社」前で「お神酒(オミキ)」を上げたそうです。
 「左」へ旋回する「理由」ですが、「船の神様」が「船」の「左側」に座っているからという「伝承」にならい行われています。
 現在、「漕出式」では、「川口神社」付近に「導流堤」ができて「航路」が狭くなったこともあり、「神社」前で旋回する「船」は少なくなりましたが、「各船」思い思いに「お神酒」を上げ、参拝しています。
 「漕出式」は、「銚子漁港」だけでなく、「外川漁港」でも見ることができます。

 「漕出式」とは、今年一年の「航海の安全」と、「豊漁」を願い、色鮮やかな「大漁旗」を「風」になびかせた「船」が、「列」をなして「新春」の「海」へ繰り出す、「漁師たち」の「仕事始め」に当たる「伝統的行事」です。
 「漕出式」では、出港する「漁船」に「大漁旗」を掲揚しており、遠目にも鮮やかな「大漁旗」は、「銚子」らしい「色彩」で「冬の海」に映え、「大漁旗」をなびかせた「船」が次々と出港する様子は活気にあふれ、「勇壮」で見事な「銚子」ならではの「新年の光景」といえるものです。
 「漕出式」では、「漁師たち」が、「神社」へ向かって「手」を合わせ、「水面」に「お神酒」を注いだり、「海水」で「甲板(カンパン)」を清めて祈願します。

 「5年連続水揚げ量」「日本一」「銚子漁港」「第2魚市場」前、「外川漁港」で開催される「海の男たち」の「仕事始め」、「銚子」の「正月の風物詩」「漕出式(コイデシキ)」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「漕出式(コイデシキ)」詳細

 開催日時 1月6日(水) 8時〜

 開催会場 銚子漁港第2魚市場前 銚子市川口町
      外川漁港 銚子市外川町

 問合わせ 銚子市漁業協同組合指導部 0479-22-3202
      銚子市漁業協同組合外川支所 0479-25-1166

 備考
 「漕出式(コイデシキ)」ですが、「(一社)銚子市観光協会」が選出している「銚子百選」(2011年1月1日・2011年1月2日・2011年1月3日・2011年1月4日のブログ参照)のひとつに選出されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2791 |
| 地域情報::銚子 | 09:47 PM |
「ひげなで(髭撫)祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「側高神社」で1月10日(日)に開催されます「ひげなで(髭撫)祭」です。

 「側高神社」ですが、「香取市」「大倉」に鎮座する「神社」で、「側高神社」「社格」ですが、「香取神宮摂社」、「郷社」で、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「下流域」には「ソバタカ」と、「社名」を読む「神社」が多く分布していますが、「当社」「側高神社」は、それらの「本社」とされています。
 ちなみに「利根川」「下流域」のが、「ソバタカ」のつく「神社」ですが、「側高」、「側鷹」、「脇鷹」、「蘇羽鷹」、「隣高」、「相馬高」、「祖波鷹」、「蕎高」など「漢字」で表記すると「様々」な「表記」となります。
 「側高神社」の「創建」ですが、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)と同じ、「神武天皇18年」の「創建」と伝えられ、「側高神社」「御祭神」は昔から「神秘」とされており、明らかではなく、現在は「一般名称」として、「側高大神」と称されています。
 「香取郡誌」では、「側高神社」の「御祭神」について、「主祭神」を「高皇産霊尊(タカムスビノミコト)」、「神皇産霊尊(カミムスビノミコト)」、「相殿神」を「天日鷲命(アメノヒワシノカミ)」・「経津主神(フツヌシノミコト)」・「天児屋根命(アメノコヤネノミコト)」・「武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」・「姫御神(ヒメミカミ)」とされており、これら「側高神社」「御祭神」の中に「忌部氏系」の「天日鷲命」が見られることと、「側高神社」の「成立」との「関係性」が指摘されており、また「経津主命」(香取神宮・御祭神)の「后神」が「御祭神」であるという「説」もあるそうです。
 「側高神社」は、「香取神宮」「第一」の「摂社」であり、慶長・元禄と「江戸幕府」による「造営」があり、1908年(明治41年)に「大倉」「字石神代」の「落文神社(オトシブミジンジャ)」と、「大倉」「字一夜山」の「一夜山神社(ヒトヨヤマジンジャ)」(疱瘡(ボウソウ)除(ヨ)けとして信仰される神社)が合祀されています。

 「側高神社」は、「利根川」を見下ろす「台地」に建立されており、はるか昔は「香取ヶ浦」と呼ばれる「広大」な「内海」が「眼下」に広がっていたであろうと想像され、「側高神社」「境内」には、「樹齢」500年を越えるといわれる「夫婦杉」があり、さらに「太さ」7.4mもの「杉」の「御神木」も見事に聳(ソビ)え立っているそうです。
 ちなみに「香取ヶ浦」とは、現在の「利根川」・「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)・「外浪逆浦(ソトナサカウラ)」(2011年1月30日のブログ参照)を含んだ「地域」の「通称」です。
 「側高神社」の「概史」ですが、「香取志」には、「側高神社」は、上記のように「香取神宮」の「第一摂社」とあり、古くより「香取神宮」との「関係」が深かったことがうかがわれます。
 寛元元年(1243年)の「文書」には、「香取神宮」とともに「造替」があったことが記載されており、鎌倉時代には「社殿」は「一間」で「茅葺」、「作料官米」30石が「造営」に充てられた「旨」が記載されているそうです。
 慶長12年(1607年)、元禄13年(1700年)の「江戸幕府」による「香取神宮」「修造」の際にも、同時に「側高神社」の「修造」が行われており、これらの「古文書」には「脇鷹」、「曽波鷹」という「表記」も見られるそうです。
 「側高神社」ですが、1916年(大正5年)「御代礼記念」とし「社殿」を改造、1931年(昭和6年)には「国鉄成田線」(現・JR成田線)「工事」のために「神井」を「現在地」の「鳥居」脇に移設、「県道」(現・国道356号線)から「階段」(現在は通行不可)が新設されています。

 「側高神社」の「社伝」ですが、上記のように「香取神宮」の「創建」と同じく「神武天皇18年」の「創建」といわれています。
 また「側高神社」「社伝」には、下記の「伝承」が残っています。

 昔、側高神が香取神の命により、陸奥(東北地方)の馬2000疋を捕らえて、霞ヶ浦の浮島まで帰ってきたところ、陸奥神が馬を惜しんで追いかけてきました。
 そこで側高神は、潮干珠を用い霞ヶ浦を干潟にして潮を引かせ、馬を下総の地に渡らせ、次いで馬を渡し終えると、今度は霞ヶ浦を潮満珠で潮を満たし満潮にして、陸奥神を渡れなくしました。

 との「伝承」があり、この「伝承」から「側高神社」が、古代に担った「役割」が推察されます。
 また「側高神社」の「末社」「落文神社」には、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「神」が、「香取神宮」の「神」に「文」を出し、「使いの鹿」が「猟師」に狙われた時に「文」を落としてしまい、その「心労」のために死んでしまった「使いの鹿」を祀ったものとの「伝承」があります。

 「側高神社」の「文化財」ですが、「側高神社」「本殿」が、「千葉県」の「県指定有形文化財」(昭和57年(1982年)4月6日指定)に指定されています。
 「側高神社」「本殿」ですが、寛文5年(1665年)の「建立」の「一間社流造」の「独自」の「構造」を持つ「本殿」となっており、「彩色文様」や、「彫刻」には、桃山時代の「建築様式」の「特色」が見られるそうです。
 「側高神社」は、上記のように「香取神宮」の「修造」との「関係」や、「建築様式」から、慶長年間に「畿内」「出身」の「名工」に学んだ「工匠」の「手」と見られており、「側高神社」「本殿」は、「地方色」の強い「建築物」となっており、「貴重なもの」という「観点」から、上記のように「千葉県」の「県指定有形文化財」に指定されているそうです。

 「ひげなで(髭撫)祭」ですが、約800年前・鎌倉時代の建保2年(1214年)から続いている「側高神社」に伝わる「伝統行事」で、「香取神宮」「御祭神」「経津主大神」の「御神徳」を称え、「国土の平安」・「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念・祈願する「質朴勇壮」な「酒祭」です。
 「ひげなで(髭撫)祭」は、「大倉」「村中」の「氏族別」に18組に分け、「18当番」の「各組」が毎年「相互」に2組ずつ「祭り当番」・「請当番」として奉仕する「しきたり」で、「祭り当番引き継ぎ」の「行事」として執り行われています。
 「ひげなで(髭撫)祭」では、上記のように「氏子」の「間」で「祭り当番」を引き継ぐ「儀式」として、「西側」に座した「当番」が「東側」に座す「新当番」に「酒」を勧める際、「立派」な「髭」を撫(ナ)でることから「ひげなで(髭撫)祭」と呼ばれるようになったそうです。

 「ひげなで(髭撫)祭」は、「1月第2日曜日」の「午後」に催行されている「地区」の「当番引き継ぎ行事」(他地区でいうオビシャ)で、はじめられた「当初」から、「弓」を射らず「祭り当番」の「引き継ぎ式」(引渡し式)と、「五穀豊穣」・「子孫繁栄」を祈念・祈願する「杯事」のみを行います。
 「ひげなで(髭撫)祭」「当日」、「側高神社」「神前」に「注連縄(シメナワ)」を張り、「鶴亀」遊ぶ「蓬莱山(ホウライサン)」を飾り、「両当番」は、「西」と、「東」に分かれて「酒」を飲み合います。
 「ひげなで(髭撫)祭」では、まず「神職」により、「祭り当番」の「引き継ぎ式」(「神祭」をする「当番」の「引き継ぎ式」)が行われ、「七引き合いの杯事」が行われます。
 「七引き合いの杯事」ですが、「年番」のみが「髭」をつけており、「紋付羽織袴(モンツキハオリハカマ)」という「古式」の「礼装」に「威儀」を正し、「荒筵(アラムシロ)」の上に「箸座」し、二人ずつ「交互」に出て、「七引き合いの杯事」を行い、「初献」より「七献目」(満献)まで、「一杯」・「三」・「五」・「七」・「七」・「五」・「一杯」と定められています。
 この「定められた杯」を飲み干したのち、「請年番」は断れない「しきたり」になっており、これが「ひげなで(髭撫)祭」といわれる「所以(ユエン)」となっています。
 上述のように「七引き合いの杯事」では、「紋付羽織袴」を着た「新・旧当番地区」の「人」が「互い」に向き合って座り、「髭(ヒゲ)」を撫(ナ)でたら、大きな「椀(ワン)」で、「お酒」を飲み合い、「髭」を撫でられた「新当番」は「大椀」で、「何杯」でも応じなければならない「作法」により、「酒」を飲み干し、「紋付羽織袴」で、「大仰」に「カイゼル髭」を撫でる「姿」が、「笑い」を誘うなんとも「ユーモラス」な「行事」となっています。
 「ひげなで(髭撫)祭」「七引き合いの杯事」では、見事に飲み干す度(タビ)に「勇者」を褒めはやす「閧(トキ)の声」が、「新年早々」の「側高山」に沸き上がり、今なお昔ながらの古式ゆかしく、「五穀豊穣」、「子孫繁栄」を祈念して引き継がれており、「貴重」な「伝統文化」として、「ひげなで(髭撫)祭」は、昭和52年(1977年)に「香取市」の「市指定無形民俗文化財」(昭和52年6月1日制定)に指定されており、「千葉県」の「房総の魅力500選」のひとつにも選定されています。

 「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神」と「縁故」の深い「神様」を祀るとされている「神社」「側高神社」で開催される「伝統行事」「ひげなで(髭撫)祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ひげなで(髭撫)祭」詳細

 開催日時 1月10日(日) 13時半頃〜

 開催会場 側高神社 香取市大倉5

 問合わせ 側高神社 0478-57-1545

 備考
 「ひげなで(髭撫)祭」「当日」は、「会場」である「側高神社」「境内」にて、「甘酒」など振る舞われるので、「寒さ」を忘れて「ひげなで(髭撫)祭」を楽しめるそうです。
 「ひげなで(髭撫)祭」の催行される「側高神社」には、「四箇の甕」と呼ばれる、4つの「甕」があります。
 「四箇の甕」ですが、「側高神社」の「鳥居」をくぐって、「拝殿」へと向かう「石段」の「脇」にあり、「春の甕」、「夏の甕」、「秋の甕」、「冬の甕」と呼ばれる4つの「甕」で、「四箇の甕」は、それぞれの「甕」の中の「雨水量」(水量)がその年(四季折々)の「降水量」を占う(示す)と伝えられています。

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| 地域情報::香取 | 05:40 PM |

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