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「星鎮祭(ホシヅ(ズ)メサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で1月16日(月)に開催されます「星鎮祭(ホシヅ(ズ)メサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「神宮」です。
 「香取神宮」ですが、神代に「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」が「芦原中津国」を平定、その「子孫」が「香取」・「鹿島」の「両地」に拠を構えて、「香取神宮」・「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を其々創建したと伝えられています。
 「香取神宮」は、弘仁3年(812年)に再建され、元慶6年(882年)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も「千葉氏」や、「豊島氏」が「宣旨」を受けて再造されてきたといわれています。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」として、「延喜式神名帳」には「名神大社」として記載されている他、明治4年()には「官弊大社」に列格、昭和17年(1942年)には「勅祭社」に治定されました。

 「稿本千葉県誌」による「香取神宮」の「由緒」は、下記の通りです。

 官弊大社 香取神宮

 香取郡香取町大字香取字亀甲山にあり、境内九千七百六十八坪、祭神は経津主命を主神とし、武甕槌命・天児屋根命・姫大神を合祀す。
 社傳を按ずるに神代草創の世に当りて経津主命・武甕槌命の二神芦原中津国を平定し、香取鹿島の両地に子孫を留めて東国の鎮とし給ふ。
 神武天皇紀元十八年始めて宮柱を此の地に建て、爾来歴朝国土経営の功勤を重じ、特に尊崇を厚くし祭典の礼を厳にしたまへり。
 舒明天皇三年始めて圭田を奉じ神礼を行ひ、皇極天皇二年三月水災に因りて勅使を遣し馬・錦・鋤・鍬を進められ、文武天皇の朝に本朝鎮守棟梁の号を賜ひ、勅して社殿を造営せしめらる。
 弘仁三年六月令して本宮及び住吉・鹿島の三神の神社に於ては二十年毎に正殿を改造すべき例を定め、承和三年五月正二位、同六年十月従一位、嘉祥三年正一位に叙せらる。
 元慶六年十二月九日、勅して本州の除税五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て、延喜の時名神大社に列し、社殿造営及び祭祀用途の例を定めらる。
 爾来屡奉幣使あり、当時の神領方七里に亘れりと云ふ。
 養和元年十月源頼朝下福田郷を寄附し、建久八年社殿を造営し千葉常胤をして其の事を替せしむ。
 是より千葉・葛西・豊島の諸氏造営奉行たり。
 文永八年十一月常陸及び本州諸要津の海夫に戸ヶ崎・大堺・行徳等の関務を知行することを嘱す。
 宝徳丹念十一月足利義政書を下して本宮神領守護役臨時の課役等を除く、天正十八年豊臣秀吉、浅野長政、木村重茲をしと制札を建てしめ郡卒の侵掠を禁ず。
 同十九年徳川家康香取郷の地千石を寄附し神領となし、後世をして違ふこと勿らしむ。
 元禄十一年徳川綱吉造営の工を起し、社殿以下悉く之を新造す、今存するもの是なり、此の時鳩鴿二千羽を社頭に放つ。
 嘉永六年十一月綸旨あり、異類退散の祈祷を行はしめ、爾後屡祈祷の綸旨あり、白銀及び御米を寄附せらる。
 明治元年十二月九日勅使下向、関東及び奥羽鎮定の報寶式あり、同三年宣命使坊城俊政大奉幣式を執行し、同四年十一月十五日大嘗会あり、是の歳官弊大社に列せらる。
 明治三十七年二月十六日露国に対する宣戦の奉告祭を執行し、同三十八年十二月七日日露平和克復の奉告祭あり。
 同四十四年五月今上陸陛下東宮に在はせしとき、親しく参拝あらせられ、大正二年十一月八日皇太子裕仁親王並に皇子雍仁親王・宣仁親王の三殿下参拝あらせられたり。
 大正三年独逸に対する宣戦の奉告祭あり。
 同四年十一月御即位大礼報告祭を執行せらる。
 社殿を分ちて正殿・拝殿・神楽殿・神饌所・楼門等とす、大華表三あり、第二・第三は社前数歩の間に在り、第一華表は北方十八町を隔てて津宮村利根川の畔にあり、里人濱の華表と称す。
 境内喬木蓊鬱として其の間に数十宇の摂社・末社相連り、規模荘厳なること詣拝者として粛然畏敬の念を起さしむ。
 本宮は本邦著名の大社にして、古文書の多きこと天下に冠絶すと云ふ。
 神寶も亦多く就中海獣葡萄鑑(直径九尺五分)は明治三十七年国寶に指定せらる。
 本宮に属する摂社・末社は三十一座にして之に區別すれば左の如し。

 一、側高神社、本郡奮大倉村に在り
 一、返田神社、本郡奮返田に在り
 一、大戸神社、本郡大戸村に在り
 一、奥宮神社、本郡香取町に在り
 一、忍男神社、本郡津宮村に在り
 一、膽男神社、同上
 一、鹿島神社、神宮境内に在り
 一、匝瑳神社、同上
 一、又見神社、本郡香取町に在り

 以上九社を摂社とす。

 一、天降・諏訪・花園・六所・(雨に霊)・竈・馬場殿・桜大刀自市の八座を境内末社とし、其の余の十四座を境外末社とす。
 祭典中、例祭・祈年祭・新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進役として奉幣せしめらる。
 其の他歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭等の中祭、軍神祭・大饗祭・白馬祭・射礼式・春季祭・御田植祭・流鏑馬式・秋季祭・賀詞祭・内陣御神祭・団喜祭等の小祭あり。
 軍神祭は十二年毎に一回執行する盛典にして神輿津宮鳥居河岸より御船に乗じ、香取浦に神幸し佐原町を経て遷宮す。
 供奉の人々武装を為し頗る古代の風に存す、傳へて神功皇后の征韓の役に擬するものなりと云ふ。

 (「稿本千葉県誌」より)

 「香取神宮」の「創建」ですが、神武天皇の御代18年と伝えられ、「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神」です。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは「伊勢」・「香取」・「鹿島」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 「香取神宮」の「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「造り」となっています。
 また「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」に指定されている「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」や、「重要文化財」に指定されている「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」、「双竜鏡(ソウリュウキョウ)」等があり、「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「本殿」ですが、元禄13年(1700年)「徳川5代将軍綱吉」公が造営した「建造物」で、「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」ですが、目にもあざやかな「朱塗」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」(扁額)は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうで、「香取神宮」「楼門」も、「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「水戸光圀」公の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年といわれる「周囲」約10mの「巨杉」となっています。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」等が数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で「賑わい」をみせます。
 「宝物館」ですが、「国宝」・「重文」を始め、多くの「新宝類」が「所蔵」・「展示」されています。
 「香取神宮」「境内」ですが、「香取の森」と呼ばれ、12万3千平方mに及ぶ「広大」な「境内」には「老杉」が鬱蒼(ウッソウ)と茂り、「別名」「亀甲山(キッコウザン・カメガセヤマ)」といわれています。
 「香取神宮」「境内」「香取の森」ですが、「県指定天然記念物」に指定されています。

 「星鎮祭」ですが、「香取神宮」で開催される「新春」・「恒例」の「神事」で、「香取神宮」「弓道場」に設けられた「大星的」を射抜き、「邪気」を祓う「神事」が執り行うそうです。
 「星鎮祭」は、「星」の「運行」を乱し、「世」の「混乱」を起こすとされる「天香香背男(アメノカカセオ)」(香香背男)の「神」を、「香取の神」「経津主大神」が、「弓」で射落とし、「星塚」に鎮めたとする「神事」となっています。

 「星鎮祭」「当日」ですが、「香取神宮」「本殿」で、「祭典」が執り行われた後、「烏帽子(エボシ)」に「直垂姿(ヒタタレスガタ)」の「装束(ショウゾク)」を纏(マト)った「香取弓道会」の「代表」(4人)が、「香取神宮」「弓道場」で、厳(オゴソ)かな「雰囲気」の中、上述のように「香取神宮」「弓道場」の「大星的」をめがけて、「矢」を2本ずつ放ち、「星塚」(小さな砂山)の「四方」に「竹ぐし」を刺して、「星の神」「天香香背男」(香香背男)の「霊」を鎮めるそうです。
 「香取神宮」「神事」「星鎮祭」「終了後」には、約七十人の「弓道愛好家」の「皆さん」による「新年射会」も行われるそうです。

 「香取神宮」「神事」「星鎮祭」ですが、どなたでも「見学」が「自由」にできますが、「神事」ですので、静粛(セイシュク)に拝観(ハイカン)下さいとのことです。

 「日本屈指」の「神宮」「香取神宮」で開催される「新春」・「恒例」の「神事」「星鎮祭(ホシヅ(ズ)メサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「星鎮祭(ホシヅ(ズ)メサイ)」詳細

 開催日時 1月16日(月) 10時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「星鎮祭」で鎮められる「星の神」「天香香背男(アメノカガセオ)」(星神香香背男(ホシノカガセオ)・香香背男(カガセオ))ですが、「天津甕星(アマツミカボシ)」と呼ばれる「日本神話」に登場する「星の神」で、「全国」の「星神社」や、「星宮神社」の多くは「天津甕星」を「御祭神」として祀っています。
 「天津甕星」ですが、「日本神話」の「古事記」には登場せず、「日本書紀」の「葦原中国平定」にのみ登場する「神様」だそうです。
 「日本書紀」「葦原中国平定」「本文」では、「香取神宮」「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」は不順(マツロ)わぬ「鬼神」等をことごとく平定し、「草木」や、「石」までも平らげましたが、「星の神」の「香香背男(カガセオ)」だけは服従しなかったので、「倭文神(シトリガミ)」・「建葉槌命(タケハヅチノミコト)」を遣わし懐柔(カイジュウ)したとされています。
 また「第二」の「一書」では、「香香背男(カガセオ)」は、「天津神(アマツカミ)」となっており、「経津主大神」・「武甕槌大神」が、まず「高天原(タカアマハラ、タカアマノハラ、タカノアマハラ、タカマノハラ、タカマガハラ)」にいる「天香香背男」、「別名」を「天津甕星」という悪い「神」を誅してから「葦原中国平定」を行うといっています。
 江戸時代後期の「国学者」・「神道家」・「思想家」・「医者」である「平田篤胤(ヒラタアツタネ)」によりますと、「天津甕星」の「神名」の「ミカ」を「厳(イカ)」の「意」であるとし、「天津甕星」は「金星(キンセイ)」のことであるとしており、また「香香背男(カガセオ)」の「カガ」は「輝く」の「意」で、「星」が輝く「様子」を表したものであると考えられています。
 なお、「星」や、「月」を「神格化」した「神様」は「世界各地」に見られ、特に「星神」は「主祭神」とされていることもあるそうです。
 しかし、「日本神話」においては「星神」は服従させるべき「神」、すなわち「まつろわぬ神」として描かれており、これについては、「星神」を信仰していた「部族」があり、それが「大和王権」(大和朝廷)になかなか服従しなかったことを表しているとする「説」があるそうです。

 上記のように、「全国」の「星神社」や、「星宮神社」の多くは「天津甕星」を「御祭神」としていますが、「茨城県」「日立市」に鎮座する「大甕倭文神社」(大甕神社)では、「天津甕星」(甕星香香背男)を服従させた「建葉槌命(タケハヅチノミコト)」を「御祭神」として祀っています。
 「大甕倭文神社」(大甕神社)「社伝」では、「甕星香香背男」(天津甕星)は、「常陸国」の「大甕山」に「居」を構えて「東国」を支配していたとしており、「大甕倭文神社」(大甕神社)の「神域」を成している「宿魂石」は、「甕星香香背男」が化したもの(石)と伝えられています。

 「天津甕星」は、「葦原中国平定」に最後まで抵抗した「神」ということで、「建御名方神(タケミナカタノカミ)」(諏訪大社御祭神)と「同一神」とされることもあり、また、「神仏習合」の「発想」では、「北極星」を「神格化」した「妙見菩薩」の「化身」とされることもあるそうです。

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