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「成田山新勝寺」の歴史(成田市)
 昨日同様曇り気味で、風の強い犬吠埼。
 風が強い分、当館前浜では、波高く荘厳な風景が広がっています。

 さて本日は昨日の(11月14日)ブログで紹介した「成田山新勝寺」の「歴史」を紹介します。

 「成田山新勝寺」の歴史は古く平安時代に遡(さかのぼ)ります。
 平安中期に起きた「平将門の乱」の際に「朱雀天皇」が乱を平定するために、939年(天慶2年)、寛朝大僧正を東国へ遣わした事を起源としています。寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国に下り、翌940年(天慶3年)海路にて上総国尾垂浜に上陸。「平将門の乱」平定祈願のため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としています。

 乱平定後の永禄年間(1566年(永禄9年)頃と考えられるが未詳とされる)に成田村十七軒党代表の名主が、不動明王を背負って現在の場所に遷座し伽藍を建立、現在の成田市並木町にある「不動塚」周辺と伝えられ、成田山発祥の地と言われています。
 「また新たに勝つ」と言う語句に因(ちな)み新勝寺と名付けられ、東国鎮護の寺院となりました。
 その後、新勝寺は戦国期の混乱の荒廃し、江戸時代までは寂れ寺となってしまいました。

 江戸時代になり、江戸(征夷大将軍の城下)でたひたび成田不動の「出開帳」(「秘宝特別公開」のようなこと)が行われ、1703年(元禄16年)、深川永代寺(富岡八幡宮の別当寺)で行われたのが初めで、江戸時代を通じて12回の出開帳が行われたようです。
 歌舞伎役者の「市川團十郎」が成田不動に帰依し「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあいまって、「成田不動」は庶民の信仰を集め、「成田参詣」が盛んとなったようです。

 1938年に開基一千年祭が開かれ、1946年に大本山に昇格。
 2007年11月28日、着工から3年8ヶ月をかけたけやき造りの総門(高さ15m、桁行14m、梁行8m)が完成。
2008年に開祖1070年を迎えました。

 現在では東京の「明治神宮」に次いで全国2位、千葉県内一位の初詣の客数を集める。
(2006年 275万人 2007年 約290万人と千葉県警発表)

 千葉県を代表する歴史ある「成田山新勝寺」にお出かけになってはいかがでしょうか?

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=256 |
| 地域情報::成田 | 11:32 AM |

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