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「いきいき山田 鯉のぼりまつり」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」で開催される「いきいき山田 鯉のぼり」です。

 「いきいき山田 鯉のぼりまつり」は、「山田の風物詩」で「200匹の鯉のぼり」が「橘堰」の上空を泳いでいる様が圧巻な催しです。
 「鯉のぼり」が掲揚される予定期間は、本日(4月20日(水))〜5月6日(金)まで。
 また、ゴールデン・ウィークの5月3日(祝・火)には、子供たちをはじめ家族で楽しめる催しも開催予定になっているようです。

 会場となる「橘ふれあい公園」は、自然護岸の名勝「橘堰」を含む自然公園。
 水面をわたる緑に誘われ、のんびり芝生に寝転んだり、さざ波きらめく「橘堰」を眺めながら、「釣り」や「キャンプ」も楽しめるそうです。
 また「橘堰」を見下ろす「憩いの森」には「アスレチック」もあり、お子様連れのお客様で賑わうそうです。

 「橘ふれあい公園」付近にある「憩いの森」を囲むように「里山 牧野の森」があります。
 里山一帯は自然の宝庫で、チップが敷き詰められた「散策路」は、隣接する「桜の里」まで延びています。
 (全長約4キロほどあるそうです。)
 森林浴しながら散策したり「野草」や「野鳥」を観察したりと、さまざまに楽しめるようです。

 「桜の里」ですが、「橘ふれあい公園」周辺高台に位置し、市民が里親となり、1本1本の「桜の木」を管理しています。
 山全体に「ソメイヨシノ」を中心に約550本の「桜」が植えられ、高台から「橘堰」や周辺の「谷津田」を展望できるそうです。

 「里山」に囲まれた「橘堰」の上空を、「約200匹の鯉のぼり」が悠々と泳ぐ姿を「橘ふれあい公園」の「芝生の広場」や「水辺の遊歩道」「桜の里」のてっぺんからものんびりと眺めることが出来るそうです。

 また5月3日(祝・火)(10時〜15時)には「メインイベント」を「橘ふれあい公園」を会場に開催。
 「ふれあい市」「ピクニックコンサート」(YAMADA星太鼓)「ボート乗船体験」「佐原張子絵付け体験」などを行うそうです。

 「香取市」「山田」の「鯉のぼりの大遊泳」。
 例年終日賑わう「いきいき山田 鯉のぼりまつり」に「香取市」にお出かけしてみませんか?

 「いきいき山田 鯉のぼりまつり」詳細

 「橘ふれあい公園」

 所在地 香取市仁良1番地

 「鯉のぼり大遊泳」

 掲揚期間 4月20日(水)〜5月6日(金)

 「鯉のぼりまつり メインイベント」

 開催日時 5月3日(祝・火) 10時〜15時
 (雨天の場合は5月4日に順延)

 開催会場 橘ふれあい公園

 問合わせ 香取市商工観光課 観光班 0478-50-1212

 備考
 「いきいき山田 鯉のぼりまつり」の会場「橘ふれあい公園」周辺には、先(2月28日)のブログでアップしている「国天然記念物指定」の「名木」「府馬の大クス」があります。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=467 |
| 地域情報::香取 | 09:51 AM |
「香取神宮」「神幸祭」(香取市)
 本日二つ目にご案内するのはとなりまち「香取市」にある「香取神宮」「神幸祭」です。

 先だってご案内しました「香取神宮例祭」の翌日(4月15日)に、今回ご案内する「神幸祭」が執り行われます。
 「神幸祭」は、一年に一度、「香取神宮」の「神様」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」が郷に下りられる祭典。
 「香取神宮」の「氏子」がお供をして「御祭神」と共に「本殿」を出られるそうです。
 お供をする「氏子」が、昔から伝わる「甲冑」や「陣羽織」を身に纏い、「時代絵巻」さながら行列となります。
 昔から伝わる装束に身を包む中でも、地元に古くから伝わる「獅子舞」や、幕末の官軍を思わせる「おらんだ楽隊」は見物(みもの)だそうです。
 「神幸祭」の行列は、大駐車場まで進み、祭典後「神殿」に帰るそうです。

 「神幸祭」は毎年4月15日に行われていますが、12年に一度の「午年(うまどし)」には15・16日の両日に掛けて盛大に執り行われているそうです。
 元は「式年遷宮大祭」の名で20年に一度行われていたとされていますが、「戦国時代」以降、「式年遷宮」が行われなくなり、替わって12年に一度ずつ「神幸祭」を行うようになり、今日に至ったとされています。
 (「香取神宮」HPより抜粋)

 「昔絵巻」を見ているような「香取神宮」の祭事「神幸祭」。
 「香取」の「春の祭典」にお出かけしませんか?

 「神幸祭」詳細

 開催日時 4月15日(金)13時〜

 所在地  香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮社務所 0478-57-3211

 備考
 12年に一度の「午年」の「式年神幸祭」には、「共奉者」およそ3000名が約4kmの大行列を組み、「一大絵巻」を繰り広げるそうです。








| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=456 |
| 地域情報::香取 | 09:40 AM |
「香取神宮例祭」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」にある「香取神宮例祭」です。

 「香取神宮」は先(2010年11月5日・6日)のブログで紹介しました通り、日本屈指の国家鎮護の神として、国内外に知られる神社です。
 皇室からの御崇敬(ごすうけい)が最も厚く、「神宮」の御称号(明治時代以前は「伊勢」「香取」「鹿島」のみ)を以(もっ)て奉祀(ほうし)されており、中世以降は「下総国」の「一宮」、「明治時代」以後の「社格制」では「官幣大社」に列し、「昭和17年」「勅祭社」に治定され今日に至っています。
 (「香取神宮」HPより抜粋)

 今回ご案内する「香取神宮例祭」は明日(4月14日)に催行されます。
 「香取神宮」の「年間祭典」の中で、最も重要な祭が「例祭」なのだそうです。
 「天皇陛下」の思し召し(「幣帛(へいはく)」)を以て斎行される「祭典」で、「皇室の弥栄」と「国家の繁栄(安泰)」、氏子崇敬者を始め「国民の安寧」を祈念するそうです。
 ちなみに、6年に一度(「子年(ねずみどし)」、「午年(うまどし)」)には「勅使」の御参向があるそうです。
 「例祭」では、御神前に「香取神宮」の「巫女」による「悠久の舞」を奉奏するそうです。
 「香取神宮例祭」は「香取神宮」で一番の「重儀」(最も重要な「祭典」)だそうです。

 「香取神宮」の「重儀」「香取神宮例祭」。
 東総・北総のパワースポット「香取神宮」に拝観してみませんか?

 「香取神宮例祭」詳細

 開催日時 4月14日(木)10時〜

 所在地  香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮社務所 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」の「桜」は、昔から「美人桜」と呼ばれて「朱の鳥居」などに良く映えます。





| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=455 |
| 地域情報::香取 | 09:38 AM |
「香取」の「春の便り」「桜の名所」(香取市)
 本日はとなりまち「香取市」の「春の便り」である「桜」の「名所」を紹介します。

 「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に「佐原市」「香取郡小見川町」「山田町」「栗源町」が合併した「まち」です。
 4つの市町が合併した「香取市」は広大な面積を有し、市北部の「利根川」に面した低地部は、「水郷」と呼ばれ「観光地」として知られています。

 「春の便り」である「香取市」の「桜」の見頃は今週末(4月16日・17日)くらいだそうで、暖かい日が続くと週の中頃になるということです。
 「香取市」の「桜」の「名所」は、先(2月26日)のブログでアップしました「小見川城山公園」、北総・東総を代表するパワースポット「香取神宮」の「桜」、佐原市街地南西部「JR佐原駅」近くにある「佐原公園」(諏訪公園)の「桜」、「香取市」内を 「利根川」と平行に東西に流れる「十間川(じっけんかわ)」沿いの散歩道に咲く「桜」などがあげられます。

 「香取神宮」では、「ソメイヨシノ」「オオシマザクラ」「ヤマザクラ」を中心に15種類約700本の「桜」が植えられ、特に「表参道」「旧参道」の「桜」のトンネルは「参拝客」や「花見客」で賑わいます。
 「参道」の「玉砂利」を踏み締めながら眺める「桜」は格別であると評判なのだそうです。
 (写メ2枚は、「香取神宮」の「桜」の現在の様子です)
 既に8部咲きになっていますので、今週末満開になると思われます。

 「佐原公園」(諏訪公園)では、「ソメイヨシノ」を中心に200本の「桜」が植えられている「名所」です。
 「佐原公園」の高台からは「香取市佐原地区」の市街や「利根川」を眼下に一望できる好立地で、香取市民の憩いの場として親しまれているそうです。

 「十間川」は川幅が約10mの河川で、両岸の沿道には多くの「桜」が植えられおり、開花の時期には見事な花を咲かせ、沿道の散歩道には「桜」のトンネルが出来、川面に移る「桜花」や「家並み」の様子は見応えがあり、「香取市」の「桜」の「名所」のひとつとなっています。

 「香取市」に「春」の訪れを告げる「桜」の「開化」。
 「桜」舞う「北総」を代表する観光地「香取市」にお出かけしませんか?

 備考
 「香取神宮」の「桜」観賞スポットとして「境内」の「護国神社」や「桜馬場」等があげられます。
 「佐原公園」の石段下の広場には、日本で初めて「実測地図」を作成した佐原の偉人「伊能忠敬」の銅像があるそうです。





| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=454 |
| 地域情報::香取 | 09:41 AM |
「五人娘」「香取」醸造元「寺田本家株式会社」(神崎町)
 本日ご紹介するのは、近隣市 香取郡神崎町の清酒「五人娘」「香取」 蔵元「寺田本家株式会社」(以下「寺田本家」と表記)です。

 「寺田本家」の創業は、延宝年間(1673〜81年)に遡(さかのぼ)ります。
 江戸時代に近江国(現在の滋賀県)から移住して、今の地(神崎町)で酒造業を営むようになったそうです。
 「仕込水」の良さや利根川の水運、米どころといった「酒造り」に適した立地に着目したようです。
 以来300年以上になりますがその歴史は決して追い風ばかりではなかったそうです。
 「酒造制度の変更」や「流通の変革」「恐慌」「震災」「戦争」そして「火落菌」による「腐造」にみまわれることもあったようです。
 戦後は高度経済成長を経て「食生活」も変化し、「日本酒離れ」が進み市場が停滞している中で、独創的な経営哲学による本来の「酒造り」を実践されているようです。
 現在、無農薬、無添加、そして全量昔ながらの「生もと造り」で独自の「寺田本家」ならではのお酒を醸し出しているそうです。

 現在の当主「寺田啓佐(てらだけいすけ)」氏は、1948年香取郡神崎町に生まれ、25歳の時「寺田本家」へ婿入りし、23代目当主になりました。
 20年程前までは添加物の多い日本酒造りをしていたが、自身の病気体験の中で反自然物や不調和の積み重ねが心身のバランスを崩し、病気にもなっていることに気づいたそうです。
 以後、自然の摂理に学び、生命力のある命の宿った「酒造り」を目指し現在に至るようです。

 「寺田本家」の日本酒のラインナップは、「五人娘 純米酒」、「五人娘 自然のまんま」(売切後12月予定)、「五人娘 純米生酒」、「五人娘 純米吟醸生酒」、「五人娘 純米吟醸酒」、「五人娘 純米大吟醸酒」、「発芽玄米酒 むすひ MUSUBI」(今月4月から予約承り中)、「甘い酒 はなゆらら」、「菩提もと仕込み 醍醐のしずく」、「純米80香取生原酒 なんじゃもんじゃ」(3月26日売り切れとなりました)、「純米90 香取」とあります。

 「寺田啓佐」氏の元、若手の「蔵人」が集まり、無添加でお酒を造ること、無農薬の現在米を使う方法を用い、こだわりの日本酒を製造する熱い方々が日々取り組まれているそうです。

 また「寺田本家」では、「マイグルト」を製作・販売しています。
 「マイグルト」とは、お米とお水だけから生まれた無添加・植物系乳酸菌が醸(かも)す「お米のヨーグルト飲料」だそうです。
 ノンアルコール・100%植物性なので、子供やお酒・乳製品が苦手な人にもおすすめの逸品だそうです。

 また、お酒の副産物でありますが、「自然酒酒粕」(白米の板粕)も取り扱っていて、NHKの人気番組「ためしてガッテン」の「酒粕」特集にも登場したこともあるようです。

 酒造りに情熱をかけてつづけている香取の老舗蔵元「寺田本家」。
 当主の想いのつまった銘酒「五人娘」「香取」をお買い求めください。

 株式会社「寺田本家」詳細

 所在地  香取郡神崎町神崎本宿1964

 問合わせ 0478-72-2221

 営業時間 8時〜17時

 備考
 「寺田本家」の4月の休業日は土・日・祝日だそうです。
 「発酵」に関して様々な取り組みをされている「蔵元」で、詳しく「寺田本家」HPに紹介されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=451 |
| 地域情報::香取 | 10:37 AM |
「酒造まつり2011」中止のお知らせ(神崎町)
 先(3月9日)のブログでアップした明日開催予定でありました「発酵の里こうざき」「酒蔵まつり2011」は、「東北地方太平洋沖地震」の影響により、中止となったそうです。

 関係者の皆様のご無念、被災された方々にお悔やみ申し上げます。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=413 |
| 地域情報::香取 | 07:06 PM |
「仁勇・不動」醸造元「鍋店株式会社」(神崎町)
 本日ご紹介するのは、近隣市 香取郡神崎町の清酒「仁勇・不動」醸造元「鍋店(なべだな)株式会社」です。

 「鍋店株式会社」は、先(3月9日)のブログでアップした「発酵の里こうざき 酒造まつり2011」で「寺田本家」と合同で主催している神崎町を代表する蔵元のひとつです。
 「鍋店」の由来ですが、古く江戸時代に遡(さかのぼ)り、「金座」や「銀座」、または「釜座」などのいわゆる「座」のひとつである「鍋座」に由来するそうです。
 当時「鉄類」は有事の際には武器製造の重要な材料であった為、幕府はこの「鉄類」の製造権利を信用ある地方の「素封家」に与えていましたが、「鍋店株式会社」の祖先はその「鍋座」を幕府より預かり管理していたそうです。
 一方、元禄2年(1689年)に「佐倉藩」より現在の製造免許にあたる「酒造株」(1050株)を戴き、「成田山」門前にて醸造を開始したそうです。
 当時「老舗」のことを「お店(おたな)」と呼んでいたそうで、「鍋座」の「鍋」と「お店」の「店」が結びついて「鍋店(なべだな)」と呼ぶようになったと伝えられているそうです。
 (HPより抜粋)

 「鍋店株式会社」の沿革ですが、前述した通り「江戸時代」の元禄2年(1689年)徳川幕府5代将軍「徳川綱吉」の時代、当時の佐倉藩より1050石の酒造株を与えられ「成田山新勝寺」門前で酒造りを始めたそうです。
 創業当時の銘柄は「蓬莱山」だったそうです。
 天明年間(1775年)、政治が安定し、念願の1000石蔵となりました。
 その後明治32年、「香取郡神崎町」に「出蔵」を設立。
 銘柄は「香神」。
 明治42年(1909年)「兵庫県魚崎町」(現・神戸市灘区)に「出蔵」を設立。
 銘柄は「仁勇」。
 大正2年(1913年)「鍋店合名会社」設立。
 大正3年(1914年)「印旛郡六軒」(現・印西市)に「出蔵」を設立。
 銘柄は「利根正宗」。
 大正10年(1921年)「鍋店株式会社」設立。
 昭和17年(1942年)第2次世界大戦下、極端な物不足から発令された「企業整備令」により3つの蔵を閉鎖し、敷地が広く、水質の良い「神崎蔵」に集約。
 平成9年(1997年)社員による「酒造り」開始。
 平成16年(2004年)日本酒の専門店向け製品である「不動シリーズ」発売開始。
 現在に至るそうです。

 「鍋店株式会社」は第19代蔵元「大塚完」氏が経営され、酒造りは昔から「新潟杜氏」や「南部杜氏」に代表される「杜氏さん」達にお願いしてきましたが、「自分たちの力で個性のある酒」を造るため、沿革で記載したように平成9年より自社スタッフによる酒造りを開始したそうです。
 「蒸米」「麹(こうじ)」「もろみ」に至る酒造りという「生まれ」から、「折り下げ」「濾過(ろか)」「火入れ」「貯蔵」そして「瓶詰め」に至る「育ち」まで、すべての工程を自社スタッフで行い、各工程での酒の品質状況を常に把握することにより、多くのお客様から「おいしい」と感じてもらえる製品を出荷することを第一に考えているそうです。

 「鍋店株式会社」の商品ラインナップは大きく分け、「仁勇」、「不動」、「千葉県産米酒」、「リキュール」です。

 「仁勇」では「鍋屋源五右衛門」(大吟醸五年古酒)、「大樹」(大吟醸)、「花山水」(大吟醸)、「純米吟醸」、「天恵」(有機米 山廃特別純米)、「極辛口」(本醸造)の6種。

 「不動」では「不動」(吊るし無濾過 純米大吟醸生原酒)、「不動」(吊るし無濾過 純米吟醸生原酒)、「不動」(山廃純米酒)(一度火入れ無炭素濾過)、「不動」(特別純米酒)(一度火入れ無炭素濾過)、「不動」(本醸造 超辛口)(一度火入れ無炭素濾過)の5種。

 「千葉県産米酒」「リキュール」では、「神崎蔵」(特別純米)、「八千代桜」(特別純米)、「むらの酒」(特別純米)、「富里」(純米吟醸)、「こだわり梅酒」とあります。
 (すべてのお酒は、「国産米100%」で醸造されています。)

 香取郡神崎に歴史ある蔵元「鍋店株式会社」「神崎酒造蔵」あり。
 この機会に訪ねてみてはいかがでしょうか?

 「鍋店株式会社」「神崎酒造蔵」詳細

 所在地  香取郡神崎町神崎1916

 本社住所 成田市本町338

 問合わせ 鍋店株式会社 0476-22-2662 (本店)

 備考
 平成4年11月から「成田山」門前に「蔵元直営店」として「蔵元グルメ鍋屋源五右衛門」を開店。
 建物は大正11年に建てられた「総檜の土蔵造り」を改装したものだそうです。
 「仁勇」「不動」製品を全て取り揃え、試飲も出来るそうです。
 また「鍋店株式会社」では「酒粕」を生地に練り込んだ「酒饅頭」も製造販売しています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=410 |
| 地域情報::香取 | 04:37 PM |
「発酵の里こうざき」「酒蔵まつり2011」(神崎町)
 晴れて爽快な犬吠埼。
 陽射しも温かく日和が良い日が続いています。

 そんな中、本日ご紹介するのは、今週末の日曜日(3月13日)に近隣市 香取郡神崎町「鍋店(なべだな)株式会社」「株式会社 寺田本家」が合同で開催する「発酵の里こうざき」「2011酒造まつり」です。

 300年以上続く2軒の酒蔵「鍋店(なべだな)神崎酒造蔵」「寺田本家株式会社」の「蔵まつり」同時開催を中心に、周辺の街道を歩行者天国とし、地元産品等、露店が軒を並べるようです。

 清酒「仁勇」「不動」醸造元「鍋店(なべだな)神崎酒造蔵」(香取郡神崎町神崎本宿1916)を会場に「第13回 仁勇蔵祭り」開催。 「第13回 仁勇蔵祭り」では先着1万名様に「仁勇ぐい呑み」をプレゼント。
 (20歳以上に限り贈呈)
 当日は、受付票を記入してからの入場となります。
 「第13回 仁勇蔵祭り」では、「鍋店株式会社」の各種限定酒が4点用意されるようです。
 其の一 大吟醸吊るし搾り生原酒
 其の二 純米大吟醸かすみ生原酒
 其の三 純米吟醸吊るし搾り生原酒
 其の四 吟醸生原酒
 各720ml

 そして特別限定品「蔵元秘蔵特別限定酒」も用意されるそうです。。
 (詳細は当日発表)

 「寺田本家」では、お酒の試飲・販売、蔵見学ツアー、ぽかぽか足湯、町中には発酵製品をはじめさまざまな露天もたくさん並ぶそうです。
 詳しく紹介しますと「寺田本家」会場で開催される「第5回 お蔵フェスタ」では、「お蔵見学ツアー」「オーガニックマーケット」「おいしい!!集まれ天然酵母のパン屋さん」「酵素風呂(足湯)」「神崎・発酵の里」「子供のあそび場」「青空カフェ+ごはん」「寺田本家の社長さんトーク」「すてきな作家さん」「フェアトレードショップ」「フリーライブ(4会場)」「和太鼓ライブ」等、さまざまなイベントを催行。
 なお、「寺田本家」「第5回 お蔵フェスタ」には「マイカップ」「マイぐい呑み」「マイ食器」「マイ箸(はし)」「マイバック」持参にご協力お願いしますとのこと。

 神崎町がひとつになる素晴らしい催し「発酵の里こうざき 酒造まつり2011」に訪れてみませんか?

 発酵の里こうざき 酒蔵まつり2011 詳細

 開催日時 3月13日(日)9時〜16時(最終入場15時半) (雨天決行)

 開催場所 鍋店神崎酒造蔵・寺田本家周辺

 所在地  香取郡神崎町神崎本宿先

 料金   入場無料(飲食等は別料金)

 駐車場  神崎ふれあいプラザ 神崎町役場 臨時駐車場

 最寄駅  JR成田線「下総神崎駅」

 当日は「下総神崎駅」〜「駐車場」〜「会場」までは「シャトルバス」を運行されます。

 問合わせ 神崎町まちづくり課 0478-72-2114

 備考
 昨年は「鍋店株式会社」主催「第12回 仁勇蔵祭り」には、1万2千人程の来場があり、「発酵の里こうざき 酒造まつり」全体では2万人以上が来場したそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=409 |
| 地域情報::香取 | 10:55 AM |
「伊能忠敬記念館」「国宝への歩み」(香取市)
 天気の良い火曜日を迎えた犬吠埼。
 昨日の雨が止み、洗い流されたようにスッキリした陽気です。

 そんな中に、本日ご紹介するのは、となりまち香取市「伊能忠敬記念館」「国宝への歩み」です。

 先(3月5日)のブログでアップした佐原の偉人「伊能忠敬」。
 55歳から71歳まで10回にわたり測量を行い、その結果完成した地図は極めて制度が高く、明治以降国内の基本図の一翼を担いました。

 「伊能忠敬」が家督を継いだ「伊能家」は、代々「名主」を務める家柄で佐原でも有力な商人だったそうです。
 17歳で「伊能家」10代目当主として「婿養子」で迎えられます。
 家業は主に酒造業を営んでおり、当時の「屋敷絵図」には、酒蔵がいくつも並び盛んであったことがわかります。

 現在「伊能忠敬旧宅」「店舗」「正門」「書院」「土蔵」が「国指定史跡」(昭和5年4月25日指定)に指定されています。

 また「旧宅敷地内」には、江戸時代につくられた農業用水路の一部が残っているそうです。
 かってここを流れた水が「小野川」に流れ落ちジャージャーと音がしたことから、「樋橋」のことを通称「ジャージャー橋」と呼ばれています。
 現在、当時の様子を復元して、30分ごとに水が流れるようになっています。

 「旧宅内」には、「家訓書碑」があり、「第一 仮にも偽をせず、孝悌忠信にして正直なるべし」「第二 身の上の人ハ勿論、見下の人にても教訓意見あらば急度相用堅く守べし」「第三 篤敬謙譲にて言語進退を寛裕ニ諸事謙り敬ミ、少も人と争論など成べからず」とあります。

 今回ご紹介する「伊能忠敬記念館」には、「伊能忠敬関係資料」があり、平成22年6月29日に「重要文化財」から「国宝」に指定された2345点の資料群です。
 「国宝」に指定された資料は、「地図・絵図類」「文書・記録類」「書状類」「典籍類」「器具類」に分類され、忠敬の全国測量に関る資料のほか、孫の忠誨(ただのり)の資料も含まれているそうです。

 「伊能忠敬記念館」は、「佐原時代」(「伊能忠敬」50歳までの前半生を紹介)と「全国測量」(隠居してからの勉学と全国測量の行程を紹介)と「伊能図の完成」(伊能図の数々を紹介)と「地図の世界」(日本地図の歴史や、楽しい世界の地図を紹介)の四部で余すことなく回覧することが出来ます。

 「伊能忠敬記念館」が開館に至るまでですが、昭和36年に建築されたものの、展示面積が狭く、十分紹介しきれなかったそうです。
 平成元年佐原市(現・香取市)出身の「高木啓司」氏から、功績を伝えるために寄付をいただき、「新記念館建設構想」が始まったそうです。
 平成6年、建築と展示の基本設計を行い、平成7年、建物建設着工、平成8年完成し、平成9年に展示室工事を行い、開館されたそうです。

 「伊能忠敬関係資料」が「国宝」指定の告示がされたことを記念し、主要な資料を4回に分け展示公開されています。
 「特別展 伊能忠敬関係資料 〜国宝への歩み〜展」と題し、会期4回目として本年1月25日(火)〜4月3日(日)開催。

 この機会に「伊能忠敬記念館」「特別展 伊能忠敬関係資料 〜国宝への歩み〜展」を見に香取市佐原にお出かけしてみませんか?

 「伊能忠敬記念館」詳細

 所在地  香取市佐原イ1722-1

 開館時間 9時〜16時半

 見学時間 記念館 20〜30分 旧宅 5〜10分(最終入館16時目安)

 入館料  大人 500円 小・中学生 250円

 休館日  月曜日(月曜が祝日の場合、翌日に順延)

 問合わせ 0478-54-1118

 備考
 「伊能忠敬」ゆかりの香取市佐原には「伊能忠敬旧宅」をはじめ、「伊能忠敬記念館」、1919年(大正8年)建造の「伊能忠敬銅像」、その名をとった「忠敬橋(ちゅうけいばし)」などがあります。
 また「旧宅」近くの「香取市立佐原小学校」の校歌には「忠敬翁」が歌われていて、命日の5月17日には「忠敬祭(ちゅうけいさい)」として「墓参り」などの行事が行われているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=408 |
| 地域情報::香取 | 10:00 AM |
佐原の偉人「伊能忠敬」(香取市)
 日本晴れで天気の良い週末を迎えた犬吠埼。
 肌寒い陽気のせいか、立ち寄り湯でご利用のお客様が多くお見えになっています。
 なお、本日の海の様子を写メでアップしました。

 そんな中、本日ご紹介するのは、となりまち香取市佐原の偉人「伊能忠敬」です。

 「伊能忠敬」は、言わずと知れた「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成させ、日本の歴史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした「江戸時代」の商人・測量家です。

 「伊能忠敬」の生涯ですが、「延享2年」(1745年)1月11日、「神保貞恒」氏の次男として「上総国山辺郡小関村」(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主「小関五郎左衛門」家で生まれました。
 (幼名は「三治郎」。)
 6才の時、母が亡くなり、婿養子だった父は兄と姉を連れ実家の「武射郡小堤村」(現・横芝光町)の「神保」家に戻りますが、「三治郎」は、祖父母の元に残り、その後生家を叔父(母の弟)が継ぎ、「三治郎」が10歳の時に父の元に引き取られたそうです。

 「宝暦12年」(1762年)18歳の時に、「下総国香取郡佐原村」(現・香取市佐原)の「伊能」家に「婿養子」に入り、以来しばらくは商人として活動していたそうです。
 「伊能」家は、「酒」、「醤油」の製造、「貸金業」を営んでいた他、「利根水運」などにも関わっていたそうです。
 商人としてかなりの才覚の持ち主であったようで、「伊能」家の再興に一役買い、「佐原の役職」を勤めた記録が残されており、かなりの財を築いたそうです。

 「寛政6年」(1794年)12月、50歳の時に、家督を長男「景敬」に譲り隠居、翌年江戸に出て、「江戸幕府」の「天文方」「高橋至時」に師事し、「測量・天文観測」などを修めたそうです。
 その際「天体観測」を利用し地球の大きさを仮定しますが、「高橋至時」に、基準とする距離の問題点(距離が短すぎ不正確)を指摘され、江戸と蝦夷地ほどの距離を元にすれば推測も可能であろうと一笑に付されたそうです。
 この事が、後に「伊能忠敬」が「測量の旅」に出るきっかけのひとつになったそうです。

 「寛政12年」(1800年)「伊能忠敬」56歳の時に、「第一次測量」を開始。
(「文化13年」(1816年)第10次測量「江戸府内」まで実施)
 幕府は、「伊能忠敬」に全国の測量をさせると共に、「薩摩藩」の偵察の意味合いも重きをおいて全国に派遣させていたとされているそうです。
 最初の測量は「蝦夷地」(現在の北海道)及びその往復の「奥州街道・蝦夷地、太平洋岸・奥州街道(北関東・東北地方)」において180日間実測。
 当時、「伊能忠敬」がその弟子であった「間宮林蔵」に依頼して行わせた測量結果を基に作図が行われたようです。

 第2次測量は、「享和元年」(1801年)「三浦半島・伊豆半島・房総半島・東北太平洋沿岸・津軽半島・奥州街道」を230日間実測。

 第3次測量は、「享和2年」(1802年)「奥州街道・山形・秋田・津軽半島・東北日本海沿岸・直江津・長野・中山道」を132日間実測。

 第4次測量は、「享和3年」(1803年)「東海道・沼津・太平洋沿岸・名古屋・敦賀・北陸沿岸・佐渡・長岡・中山道」を219日間実測。

 第5次測量「文化2年」(1805年)から「幕府直轄事業」となる。
 「東海道・紀伊半島・大阪・琵琶湖・瀬戸内海沿岸・下関・山陰沿岸・隠岐・敦賀・琵琶湖・東海道」を実測。

 第6次測量は、「文化5年」(1808年)「東海道・大阪・鳴門・高知・松山・高松・淡路島・大阪・吉野・伊勢・東海道」を実測。

 第7次測量は、「文化6年」(1809年)「中山道・岐阜・大津・山陽道・小倉・九州東海岸・鹿児島・天草・熊本・大分・小倉・萩・中国内陸部・名古屋・甲州街道」を実測。

 第8次測量は、「文化8年」(1811年)「甲府・小倉・鹿児島・屋久島・種子島・九州内陸部・長崎・壱岐・対馬・五島・中国内陸部・京都・高山・飯山・川越」を913日間実測。

 第9次測量は、「文化12年」(1815年)「伊能忠敬」は参加しませんでしたが「東海道・三島・下田・八丈島・御蔵島・三宅島・神津島・新島・利島・大島・伊豆半島東岸・八王子・熊谷・江戸」を実測。

 第10次測量は、「文化13年」(1816年)「江戸府内」を実測。
 「文化15年」(1818年)4月13日「伊能忠敬」74歳で死去するが、喪を秘して地図製作を続行し、「文政4年」(1821年)「大日本沿海輿地全図」完成し、没後3年三ヶ月後 喪を公表したそうです。

 「伊能忠敬」の測量が極めて高度なものであったことが幕府に認められ、「第5次測量」からその後徐々に幕府からの支援は増強され、国家的事業に育っていったようです。
 「測量」の際「伊能忠敬」は、「地図投影」に必要な地球の大きさを見積もるため、江戸「深川」から「野辺地」に至る路線の測量により、「緯度1度」に相当する「子午線弧」長がおよそ「28里2分」(110.7km程度)に相当すること、またそれを元に、地球全体の外周がおよそ4万km程度であると推測したとされています。
 この値(あたい)は、現在計測されている数値と0.1%程度の誤差であり、「伊能忠敬」の測量の正確さの証左とも言えます。

 こうして作られたのが、「大日本沿海輿地全図」であり、大変精度の高い「日本地図」として評価されたそうです。
 完成したのは、「伊能忠敬」没後の「文政4年」(1821年)。
 (仕上げ作業を担当したのは「高橋至時」の子、「高橋景保」だそうです)
 「伊能忠敬」の死後、上野「源空寺」に埋葬されたそうです。
 (「源空寺」には、「高橋至時」・「高橋景保」・「伊能忠敬」の「大日本沿海輿地全図組三人頭」の墓が並んでいるそうです。)
 また「伊能忠敬」は、佐原「観福寺」にも「遺髪」をおさめた「参り墓」があります。

 ちなみに「伊能忠敬」死後の「文政11年」(1828年)、「シーボルト」がこの日本地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、これに関係した「日本の蘭学者」(「高橋至時」の息子「高橋景保」ら)などが処罰されたそうです。
 (シーボルト事件)
 なお「シーボルト」が国外に持ち出した「伊能図」の写本は、日本に開国を迫った「ペリー提督」も持参していたそうです。
 「ペリー提督」は「伊能図」を単なる「見取図」だと思っていたそうですが、「日本の海岸線」を測量してみた結果、きちんと測量した地図だと知り、驚愕したと言われています。

 また「伊能忠敬」は、生前「高橋至時」の弟子になってからは寝る間を惜しみ、「天体観測」や「測量」の勉強をしていたため「推歩先生」(「推歩」とは「暦学」のこと)と言うあだ名で呼ばれていたそうです。
 「天体観測」も詳しい「伊能忠敬」は、日本で初めて「金星」の「子午線」経過を観測した人物なのだそうです。
 晩年の「伊能忠敬」は、「江戸」の「深川」界隈に住居を構え、「全国測量の旅」に出かける際は、安全祈願のために「富岡八幡宮」に必ずお参りに来ていたそうです。
 そのことから、2001年に「富岡八幡宮」境内に「伊能忠敬」の銅像が建てられているそうです。

 香取市佐原には今も「伊能忠敬」が暮らした町並みが残っています。
 佐原の偉人「伊能忠敬」の息遣いを感じに「佐原」にお出かけしてみませんか?

 備考
 「伊能忠敬」の地元「香取市佐原」では、親しみと尊敬の念をこめて「いのうちゅうけい」さんや「ちゅうけい」さんと呼ばれているそうです。





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