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「冬休み木工クラフト体験」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で12月21日(日)〜2015年1月4日(日)の期間開催されます「冬休み木工クラフト体験」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(おごそ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「冬休み木工クラフト体験」ですが、「千葉県立東庄県民の森」で開催される「冬休みイベント」で、12月21日(日)から2015年1月4日(日)までの「期間」行われる「体験」で、「体験時間」ですが、10時00分から14時00分までとなっています。
 「冬休み木工クラフト体験」の「受付場所」ですが、「東庄県民の森管理事務所」にて「受付」となっています。
 「冬休み木工クラフト体験」の「実施体験内容」ですが、「マイ箸作り」、「木の実の置物」他の「作製」を行うそうです。
 「冬休み木工クラフト体験」の「参加費」ですが、お1人様200円(作品による)となっており、「冬休み木工クラフト体験」の「定員」ですが、1日に2組から3組程度、「小学生」以下ならどなたでも(小学生児童は親子同伴)となっています。

 「緑」豊かな「環境」の「千葉県立東庄県民の森」で開催される「」「冬休み木工クラフト体験」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「冬休み木工クラフト体験」詳細

 開催期間 12月21日(日)〜2015年1月4日(日)

 体験時間 10時〜14時

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「冬休み木工クラフト体験」の「申込方法」ですが、「事前申込」となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2338 |
| 地域情報::香取 | 10:53 AM |
「ミニ門松づくり体験」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で12月20日(土)に開催されます「ミニ門松づくり体験」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(おごそ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「門松」とは、「正月」に「家」の「門」の前などに立てられる「一対」になった「松」や「竹」の「正月飾り」のことで、「松飾り」ともいわれています。
 古くは「木のこずえ」に「神」が宿ると考えられていたことから、「門松」は「年神」を「家」に、迎え入れるための「依り代」という「意味合い」があり、「地域」の「言い伝え」により、「松」を使わないところもあります。
 新年に「松」を「家」に持ち帰る「習慣」は、平安時代に始まり、室町時代に現代のように「玄関」の「飾り」とする「様式」が決まったといわれています。

 現在の「門松」は、「中心」の「竹」が目立ちますが、その「本体」は、「名前」でわかる通り「松」です。
 もと、平安の「貴族達」が好んだ「小松引き」という「行事」で持ち帰った「子の日の松」を「長寿祈願」のため「愛好」する「習慣」から変遷したもので、現在も「関西」の「旧家」などでは、「根引きの松」という「玄関」の「両側」に白い「和紙」で包み、「金赤」の「水引」を掛けた「根」が付いたままの「小松」(松の折枝は略式)が飾られます。
 「竹」の「先端部」の「形状」は、「斜め」に切った「そぎ」と、「真横」に切った「寸胴(ずんどう)」の「2種類」があります。
 「そぎ」は、「徳川家康」が始めたもので、「徳川家康」の「生涯唯一」の「敗北」として知られています「三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、「対戦相手」の「武田信玄」に対して、次は切るぞという「念」を込めたのが「始まり」という「説」があります。
 江戸期の「門松」は、現在と異なり、「松」の「先」を切らずに「地面」からそのまま「家屋」の「二階屋根」まで届くような「高さ」のものが飾られていました。

 「地方」により「門松」の「様式」に「差」があり、「関東」では「3本組」の「竹」を「中心」に、「全面」に「葉牡丹」(紅白)「後方」に「長め」の「若松」を添え、「下部」を「竹」で巻き、「梅老木」や「南天」、「熊笹」や「ユズリハ」などを添えます。

 近年「集合住宅」の「発達」など「社会環境」の「変化」などから、「本格的」な「門松」が、設置されることは少なくなりましたが、この「タイプ」の「門松」を置く場合もあります。
 さらに「省略版」として、「枝振り」のいい「若松」に、「赤白」や「金銀」の「水引」を「蝶結び」にし、「門柱」などに付ける「方法」もあり、「手軽」なことから多く使われます。

 「スーパーマーケット」などの「商店」では「賀正」「謹賀新年」といった「語」と、「新年」の「あいさつ文」、「門松」や「鶴」、「亀」、「日の出」などの「絵」を印刷した「ポスター」を張って済まされることもあります。
 また、「松の木」の「保護」や「伝統文化」の「継承」を「目的」に「門松カード」と呼ぶものを「市役所」や「公民館」などで配布したり「ホームページ」から「ダウンロード」出来るようにしている「自治体」もあります。

 また近年では、「門松」を「生花店」や「ホームセンター」、「造園業」や「工務店」などで作られ、「設置」・「撤去」まで「一括」で行う「サービス」もあり、「生花」を利用するので翌年に「使い回し」はできませんが、「造花」を使用する「門松」もあります。
 また「年末年始」の「警備員」が居ない「状況下」での「危険」を避けるため、「繁華街」の「店舗用」などでは「先」が尖っていない「門松」を置くことが多くなっており、「大型商店」や「オフィス街」では、「初売り」や「正月」は「無人」に近くなる「都心」の「事情」などにより、「本格的」な「門松」が置かれるのが「大晦日(おおみそか)」や「元旦(がんたん)」になる場合があるそうです。

 「門松」の「設置期間」ですが、12月の13日(もしくはその後)に、「山」から「松の木」(枝)を取ってくる「松迎え」を行い、この「松」により、「山」から「歳神様」(歳徳神)を迎え入れる事となるそうです。
 「門松」の「設置」は、13日から28日が多く、「クリスマス」を避けて設置される場合もあります。

 12月29日に飾るのは「二重苦」、さらに「9」の「末日」でもあるので「苦待つ」に通じるとされ、「苦松」といって忌まれており、また12月31日に飾るのは「一夜飾り」、「一日飾り」といって「神」をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされています。

 また1月7日までを「松の内」といい、「お正月」の「松飾り」をつけておく「期間」となり、6日の「夕方」や翌7日に片付ける場合が多いですが、「地域」によっては1月15日の「小正月」まで飾るなど、「様々」だそうです。
 (左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞います。
 左義長は1月15日の小正月が多いですが、地域や神社によって異なります。)

 「昔」の「作品」で、

 「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

 とあり、「門松」を飾る「新年」を迎えることはめでたいことですが、「墓」に向かっていく「一里塚」のようなものでもあると歌われており、「徒然草(つれづれぐさ)」でも歌われています。

 「ミニ門松づくり体験」ですが、「千葉県立東庄県民の森」で開催される「ミニ門松」の「製作体験」で、12月20日(土)9時30分から12時00分まで行われる「体験」です。
 「ミニ門松づくり体験」の「受付時間」ですが、9時00分から「東庄県民の森」「ふるさと館」にて「受付」となっています。
 「ミニ門松づくり体験」の「内容」ですが、「高さ」約75cmから80cmの「ミニ門松」の「製作体験」となっています。
 「ミニ門松づくり体験」の「参加費」ですが、「1対」「2個」で2500円(1家族1対)となっており、「ミニ門松づくり体験」の「定員」ですが、25組、「小学生」以下ならどなたでも(小学生児童は親子同伴)となっています。
 なお「ミニ門松づくり体験」ですが、「人気イベント」につき、「事前電話予約」にて「受付」、「先着順」となっています。

 「緑」豊かな「環境」の「千葉県立東庄県民の森」で開催される「製作体験」「ミニ門松づくり体験」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ミニ門松づくり体験」詳細

 開催日時 12月20日(土) 9時半〜

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「ミニ門松づくり体験」に参加される「方」は、「作業」しやすい「服装」での参加を呼びかけており、「持ち物」として、「剪定ハサミ」(名前記入)、「軍手」の「用意」を呼びかけています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2337 |
| 地域情報::香取 | 10:53 AM |
「企画展」「伊能図いろ色色どる線あらわす色」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で12月2日(火)〜2015年1月18日(日)の期間開催されます「企画展」「伊能図いろ色色どる線あらわす色」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「佐原」の「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「佐原の市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか、「千葉県」の「県指定有形文化財」も「8軒」(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年()1892年
「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日のブログ参照)、、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「功績」を讃(たた)え、その「功績」を余すところなく「紹介」している「記念館」です。
 以前、「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」の「敷地内」にありましたが、「記念館」「建設」から「相当」な「年月」が経ち、また、かつての「伊能忠敬記念館」の「展示面積」が「手狭」であったなどのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「伊能忠敬旧宅」の「小野川」を挟んだ「樋橋」を渡った「対岸」に新しく「伊能忠敬記念館」が設置されることとなり、「現在地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。

 「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」に17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居して、のちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで「計」10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬」の「人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
 「伊能忠敬記念館」では、「国宝」に指定された「測量器具」や「伊能図」の「数々」が展示され、「地球」1周分の「距離」を「測量」して歩いたという「伊能忠敬」の「業績」を偲ぶことができ、その「結晶」ともいえる「正確さ」と「芸術的な美しさ」を備えた「地図」や「伊能忠敬関連資料」などが展示された「伊能忠敬記念館」は、「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。

 「伊能図いろ色色どる線あらわす色」は、「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」で、12月2日(火)から2015年(平成27年)1月18日(日)の「期間」行われるそうです。
 「伊能図いろ色色どる線あらわす色」の「開催」に際し、「伊能忠敬記念館」では、下記のように紹介されています。

 伊能図と言えば、その正確さが色あせることなく語り継がれています。
 同時に、美しさも備えています。
 その要因のひとつに「色」が挙げられます。
 描かれた色には、それぞれ意味があります。
 そして、張り巡らされた朱色の線ー。
 本企画展では、伊能図を「色」という視点で鑑賞していただきます。
 あわせて、藩や村の色鮮やかな参考絵図も展示します。

 「伊能図いろ色色どる線あらわす色」「展示資料一覧」ですが、下記の通りとなっています。

 ?記号化された色

  1 (沿海地図(上)陸奥・出羽) 1幅「国宝」地図・絵図類3

  2 自江戸歴尾州赴北国到奥州沿海図 第八(自小松原/至上野間) 1鋪「国宝」地図・絵図類22

  3 (自武蔵国荏原郡品川村至武蔵国橘樹郡川崎宿図) 1鋪「国宝」地図・絵図類109

  4 大日本沿海実測録首巻 1冊

 ? 進化した地形表現

  5 越後街道図 第四(自安中/至上田) 1鋪「国宝」地図・絵図類57

  6 伊豆国附大島沿海地図 1幅「複製」

  7 伊豆国附三宅島沿海地図 1鋪「国宝」地図・絵図類119

  8 伊豆国附新島并属地内島式根島沿海地図 1幅「複製」

  9 伊豆国附神津島沿海地図 1鋪「国宝」地図・絵図類122

 10 (自肥後国球磨郡七地村至日向国諸県郡南方村図) 1鋪「国宝」地図・絵図類123

 ? 彩色した絵具

 11 琵琶湖図 1鋪「国宝」地図・絵図類113

 12 忠敬先生日記十九 1冊「国宝」文書・記録類114

 13 忠敬先生日記五十 1冊「国宝」文書・記録類145

 ?伊能図の描き方

 14 (箱館付近図) 1鋪「国宝」地図・絵図類106

 ?参考絵図

 15 (自播磨国明石郡王子村至播磨国明石郡清水新田村参考絵図) 1鋪「国宝」地図・絵図類636

 16 (自播磨国赤穂郡陸村至播磨国赤穂郡真木村参考絵図) 1鋪「国宝」地図・絵図類641

 17 (自長門国郡梶浦至長門国厚狭郡宇津井村参考絵図) 1鋪「国宝」地図・絵図類668

 18 (自長門国豊浦郡小月村至長門国豊浦郡清末領参考絵図) 1鋪「国宝」地図・絵図類682

 19 (豊後国玖珠郡引治村参考絵図) 1枚「国宝」地図・絵図類764

 20 (豊後国玖珠郡右田村参考絵図) 1枚「国宝」地図・絵図類765

 21 (豊後国玖珠郡小田村参考絵図) 1枚「国宝」地図・絵図類766

 「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「生涯」・「功績」を余すところなく紹介している「記念館」「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」「伊能図いろ色色どる線あらわす色」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「企画展」「伊能図いろ色色どる線あらわす色」詳細

 開催期間 12月2日(火)〜2015年1月18日(日)

 開館時間 9時〜16時半(入館は〜16時)

 開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1

 休館日  月曜日(祝日の場合は開館)
 (12月29日(月)〜1月1日(祝・木))

 入館料  大人500円 小中学生250円

 問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118

 備考
 「企画展」「伊能図いろ色色どる線あらわす色」が開催される「伊能忠敬記念館」ですが、上記のように「年末」12月29日(月)から「年始」1月1日(祝・木)の「期間」「休館日」となりますので、ご注意下さい。





| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2389 |
| 地域情報::香取 | 10:21 AM |
「山倉の鮭祭り」「山倉山観福寺」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉山観福寺」で12月7日(日)に開催されます「山倉の鮭祭り」です。

 「観福寺」こと「山倉山観福寺」(2012年12月4日のブログ参照)ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「山倉山」、「御本尊」は「第六天王」で、「山号」の「由来」ですが、「地区」の「名称」である「山倉」の「地名」を取り、「山倉山」となっています。
 「山倉山観福寺」ですが、811年(弘仁2年)「円頓」によって創建され、数年後、「弘法大師」「空海」が、この「寺」に入り、「修行」したといわれています。

 「山倉山観福寺」の「称号」ですが、「京都嵯峨御所」から下り、「聖観世音菩薩」が勧請されている「伽藍」、「天地」に(地)、「伽藍」(院・建物)と謂う事で「観音地院」と「寺号」は、「聖観世音菩薩」の「福徳」を授けると謂う事で「観福寺」となったそうです。
 「山倉山観福寺」ですが、元は「山倉大神」(2013年11月30日・2012年12月2日のブログ参照)の「別当寺」であり、「別当」(神宮寺)は、「御本尊」が「神社」に勧請されており、明治2年(1869年)5月24日迄、今の「山倉大神」の「本殿」「奥の間」(宮殿)に勧請されていたそうです。
 その後、「山倉山観福寺」ですが、「別当」から出向き、「御祈祷」が修法されていましたが、「明治維新太政官公布」により、「神仏分離令」され、「天部」の「御本尊」であり、益して「弘法大師」が勧請した「御本尊」であり、「真言宗」で最も「大切」な「御経・般若理趣経の御本尊」である為、「別当」に持ち帰り、現「講堂」に遷座後、現「本堂」に奉安され、現在に至ります。

 「山倉山観福寺」は、「関東八十八ヶ所霊場」のひとつ「第45番札所」として知られています。
 「関東八十八ヶ所霊場」ですが、「関東地方一帯」に広がる「弘法大師」「巡礼地」で、「特別霊場」と合わせて、95の「寺院」を巡るもので、1955年(平成7年)に開創されました。
 「関東八十八ヶ所霊場」は、「一番」の「聖観世音菩薩」を「御本尊」とする「慈眼院」「通称」「高崎観音」(「群馬県」「高崎市」)から始まり、「八十八番」「大聖歓喜天」を「御本尊」とする「歓喜院」「通称」「妻沼晴天」(「埼玉県」「熊谷市」)までの「八十八ヶ所」を指します。

 「山倉山観福寺」は、「香取市」に2つあり、ひとつは「香取市」「牧野」(旧・「佐原市」)に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」「妙高山観福寺」(2013年1月24日・2011年5月30日のブログ参照)で、もうひとつは、「香取市」「山倉」(旧・「香取郡」「山田町」)に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」「山倉山観福寺」です。
 今回ご案内している「観福寺」ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「山倉山観福寺」ですので、「観福寺」の「山倉の鮭祭り」(2012年12月4日のブログ参照)にお越しの際は、気をつけて下さい。

 「山倉の鮭祭り」とは、「香取市」「山田地区」(山倉地区)の「山倉大神(やまくらたいじん)」と「山倉山観福寺」で催行される「例大祭」です。
 「山倉の鮭祭り」は、「山倉山観福寺」と「山倉大神」で、それぞれ行われる「初卯祭」で、「鮭」を奉納することから「別名」「鮭祭り」と呼ばれています。
 「言い伝え」によりますと、「山倉山観福寺」、「山倉大神」の近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に上がってきた「鮭」を初めて捕らえた「人」が、捕らえた「鮭」の「頭」に「大の字」があったのを見て、これは「山倉」の「大六天様」への「進献もの」として奉献したことに始まったといわれています。
 また、「栗山川」で捕らえた「鮭」は、「龍宮」から供せられた「龍宮鮭」ともいわれ、「山倉の鮭祭り」の「鮭」の「由来」には、「諸説」あるそうです。

 「山倉山観福寺」に伝わる「伝承」ですが、「お堂」にこもり、「断食修行」を続けた「弘法大師」のもとに「竜神」が「鮭」を供え、それを「弘法大師」が「村人」に分け与えると「病」が癒えたという「伝承」が残されています。
 江戸時代後期の「下総名称図絵」では、

 「御神事十一月中の卯の日なり。
 疫病を悩むもの此の神を祈りて霊験すみやかなり。
 十一月祭礼の頃、鮭おのづから上る。
 是を獲たる人、山倉に持ち行くに、その人を祭礼の上席に居らしめて饗応する古例なり」

 と紹介しているそうです。
 「香取市」「山倉地区」では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、きまって「鮭」が「栗山川」を遡上(そじょう)してきたため、この地の「人々」は、「鮭」を「おしゃけさま」と呼び崇め、現在もわずかではありますが、「栗山川」の「鮭」が、「初卯祭」で奉納されています。

 「山倉の鮭祭り」「初卯祭」では、上記の「伝承」にちなみ、「山倉山観福寺」にて、「鮭」を献上する「古式ゆかしい行列」が組まれ、「行事」が厳(おごそ)かに催行され、「旧暦」の「霜月」「初卯の日」に「鮭」を奉納するそうです。
 「山倉の鮭祭り」の催行される「香取市」「山倉地区」では、昔から「鮭」が「貴重」な「タンパク源」となっていたそうで、そのため「鮭」を「奉納・献上」した「神事」を、「晩秋」・「初冬」にかけ行っていたようです。

 「山倉地区」の「古刹」「山倉山観福寺」に伝わる「由緒」ある「神事」「山倉の鮭祭り」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の鮭祭り」「山倉山観福寺」詳細

 開催日時 12月7日(日) 11時〜

 開催会場 山倉山観福寺 香取市山倉1934-1

 問合わせ 山倉山観福寺 0478-79-2802

 備考
 「山倉の鮭祭り」ですが、12月の「初卯の日」に催行されていた「神事」でしたが、「人集め」が「困難」となったため、「山倉大神」では、2002年(平成14年)より「12月の第1日曜日」に変更されましたが、「山倉山観福寺」では、「暦」にならい、現行通り「旧暦」の「霜月」「初卯の日」に「初卯祭」(12月7日)を催行しています。

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| 地域情報::香取 | 02:19 PM |
「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」(東庄町)
 本日ご紹介するのは、となりまち「東庄町」「千葉県立東庄県民の森」で12月7日(日)に開催されます「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」です。

 「千葉県立東庄県民の森」(2011年4月22日のブログ参照)は、「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)にあり、「自然環境」の豊かなところにあります。
 「千葉県立東庄県民の森」内には、「硬式用テニスコート」が3面、「5人立て専用」の「弓道場」があり、「緑」豊かな「自然」の中で、「テニス」が楽しめたり、厳(おごそ)かに「弓道」を楽しむことができます。

 「千葉県立東庄県民の森」の「区域面積」は、100ha(ヘクタール)で、「千葉県」の「北部」を流れる「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)に近く、上記のように「緑」豊かな「下総台地」(北総台地)にあって、「眼下」に「干潟八万石」の「大水田地帯」や遠く「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)を望むことができます。
 「千葉県立東庄県民の森」には、「芝生広場」、「湿地植物園」、「水鳥観察舎」などもあり、その他にも「森林館」(管理事務所)、「ふるさと館」、「展望台」、「フィールドアスレチック」、「水鳥広場」、「お花見広場」、「森の教室」、「花しょうぶ園」、「樹木園」、「見晴し台」などがあります。

 「千葉県立東庄県民の森」「周辺」の「夏目堰」は、「カモ」や「白鳥」などの「水鳥」が多数飛来しており、「千葉県立東庄県民の森」「水鳥観察舎」からも「観察」ができるので、「四季折々」の「バードウォッチング」が楽しめる「スポット」として知られています。
 「夏目堰」は、もとは「椿海」(2011年4月17日のブログ参照)「潟湖」の「一部」でしたが、「椿海」「周辺」は江戸時代に干拓され、現在は「干潟八万石」といわれる「大水田地帯」になっています。

 「千葉県立東庄県民の森」は、「県土」の「自然」を守り、多くの「県民」が「森林」と親しみ、「森林」を知り、その「恵み」を受けながら、「自然」と共に生きる「心」の「創造」を目指して造られたものです。
 このため「千葉県立東庄県民の森」は、「森林」での「学習」、「レクリエーション」、「スポーツ」、「文化活動」、「林業体験」など、「森林」の「総合利用」を図る「施設」として整備されています。

 「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」ですが、「千葉県立東庄県民の森」で開催される「クリスマス企画」で、12月7日(日)10時00分から行われる
 「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」の「受付時間」ですが、8時45分から「東庄県民の森管理事務所」にて「受付」となっています。
 「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」の「内容」ですが、3〜4種類の「料理」(「クリスマス」を手作りしよう)を作り、「クリスマスツリーづくり」(可愛い「ミニツリー」を作って飾るそうです。)を行うそうです。
 「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」の「参加費」ですが、お1人様1500円となっており、「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」の「定員」ですが、30名程度、「小学生」以下ならどなたでも(小学生児童は親子同伴)となっています。

 「緑」豊かな「環境」の「千葉県立東庄県民の森」で開催される「クリスマス企画」「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」。
 この機会に「東庄町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」詳細

 開催日時 12月7日(日) 10時半〜

 開催会場 千葉県立東庄県民の森 香取郡東庄町小南639

 問合わせ 千葉県立東庄県民の森 0478-87-0393

 備考
 「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」は、「雨天決行」で開催されるそうです。
 「森のアトリエ2」「心くすぐる森のクリスマス」に参加される方は、「エプロン」・「三角巾」・「飲み物」などの「用意」をお願いしています。

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| 地域情報::香取 | 10:25 AM |
「団碁祭(だんきさい)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月7日(日)に開催されます「団碁祭(だんきさい)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(きっこうさん)・(かめがせやま)」とも呼ばれて(称されて)います。
 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。
 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く「自生」しています。
 「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」は、上記のように「明治」の「制」で「官弊大社」となっており、「例祭」(2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)が4月14日、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」総出で催される「神幸祭」(2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(うまどし)」ごとに催されている「式年大祭」の「神幸」は「盛大」に催行され、「甲冑姿(かっちゅうすがた)」の「氏子」数千人が供奉(くぶ)し、「神輿(みこし)」を「利根川」の「御座船」に移しての「船上祭」が執り行われました。
 ほかにも「香取神宮」では、4月第1週の「土・日曜日」の「御田植祭(おたうえさい)」(2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、「一般」に「かとりまち」とよばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」、「日曜日」に「田植式」が執り行われ、多くの「早乙女(さおとめ)」たちの「手」で行われています。
 また11月30日「夜」に執り行われる「大饗祭(だいきょうさい)」(2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日に催行される「賀詞祭(がしさい)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽」など、ほかにも「特殊神事」が多く執り行われています。

 「団碁祭(だんきさい)」ですが、「八石八斗(はちごくはっと)団子祭(だんごまつり)」、「地元」「香取市」では、「一般」に「だんごまつり」と呼ばれているそうです。
 「団碁祭」ですが、「新穀」で「団子」をつくり、奉納する「五穀成熟感謝」の「お祭り」で、「香取神宮」「年間」100を超える「祭事(神事)」(年間祭典)の中でも「御神酒(おみき)」の「奉献」がない珍しい「神事」として知られており、「大饗祭」(11月30日の「新穀感謝」の「神事」)の「接待」に当たった「比売神(ひめがみ)」「慰労」の「お祭り」ともいわれています。
 (「大饗」の「宴」の「お料理」に「腕」をふるって下さった「比売神」の「労」をねぎらうために行われているそうです。)
 「比売神」ですが、「神道」の「神様」で、「神社」の「主祭神」の「妻」や「娘」、あるいは「関係」の深い「女神」を指すそうです。
 「団碁祭」ですが、18時00分、「浄闇」の中、たくさんの「お団子」を、「香取神宮」「御神前」に奉納するそうです。
 「団碁祭」では、「かがり火」の中の「巫女舞」など執り行われ、「幻想的」な「祭典」となっているそうです。
 また「団碁祭」では、「終了後」、「団子」が「参拝者」に配られますが、この「団子」を食べると「風邪」をひかないと伝えられています。

 「香取神宮」「団碁祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「団碁祭」詳細

 開催日時 12月7日(日) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」で催行される「団碁祭」ですが、「大饗祭」から続く、「暮三祭」の「最後」を飾る「お祭り」となっています。





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| 地域情報::香取 | 10:21 AM |
「第6回香取小江戸マラソン大会」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」「佐原の町並み」を駆け抜け12月14日(日)に開催されます「第6回香取小江戸マラソン大会」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(きっこうさん)・(かめがせやま)」とも呼ばれて(称されて)います。
 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。
 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く「自生」しています。
 「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「佐原」の「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「佐原の市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか、「千葉県」の「県指定有形文化財」も「8軒」(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年()1892年
「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日のブログ参照)、、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「香取市」では、毎年12月に「日本屈指」の「神宮」「香取神宮」を「スタート」・「ゴール地点」にして「香取小江戸マラソン大会」(2013年12月7日・2012年12月14日・2011年12月9日のブログ参照)を開催しています。
 「香取小江戸マラソン大会」は、今年(2014年)で「6回目」を数える「マラソンイベント」で「江戸情緒」漂う「佐原の町並み」を「バック」に「ランナー」が駆け抜けます。
 ちなみに「香取小江戸マラソン大会」の「コース」の「特徴」ですが、「スタート」後、「アップダウン」がありますが、それ以外は「平坦なコース」となっています。

 「第6回香取小江戸マラソン大会」は、上記のように「香取神宮」を「メイン会場」に、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された「江戸情緒」漂う「歴史的町並み」や「小野川」沿いの「景観」を走り抜ける「10km」の「コース」と、「雄大」な「利根川」の「景観」を楽しめる「5km」の「コース」で、「香取市内外」問わず「小学生」から「一般」まで「男女別」「17部門」で行われるそうです。
 「第6回香取小江戸マラソン大会」では、「世界陸上」にも出場し、今年(2014年)1月に「現役」を引退された「赤羽有紀子」さん(ホクレンスポーツアンバサダー)、「ものまねアスリート芸人」の「M高史」さんを「ゲストランナー」として迎え、また「招待選手」として「北海道マラソン」「優勝」・「名古屋国際女子マラソン」「2位」の「実績」をもつ「堀江知佳」さんをお招きし、「参加者」の「皆さん」と「一緒」に「コース」を走るそうです。
 また「第6回香取小江戸マラソン大会」の「表彰」ですが、「各」1位〜8位、「とび賞」、「仮装賞」となっており、「参加賞」ですが、「Tシャツ」となっています。
 「第6回香取小江戸マラソン大会」「スタート・ゴール会場」となる「香取神宮」「駐車場」では、「ふかしいも」の「無料配布」も行うなど、「最高のおもてなし」で「ランナー」の「皆さん」を迎えるそうです。
 また「第6回香取小江戸マラソン大会」「スタート・ゴール会場」の「香取神宮」「駐車場」には、下記の「ブース」が出店されます。

 「水郷佐原観光協会」

 「地域の食を考える懇談会」

 「JA佐原」

 「株式会社 明治」

 「書道家」(春流・波留)

 「第6回香取小江戸マラソン大会」の「スタート時刻」、「種目」ですが、下記の通りとなっています。

 9時40分 2km親子(子供は小学1〜3年)

 9時55分 2km小学生男子(1〜3年)

 9時55分 小学校女子(1〜3年)

 10時10分 2km小学生男子(4〜6年)

 10時10分 2km小学生女子(4〜6年)

 10時25分 5km中学生男子

 10時25分 5km中学生女子

 10時25分 5km男子(高校生)

 10時25分 5km男子(39歳以下)

 10時25分 5km男子(40〜59歳)

 10時25分 5km男子(60歳以上)

 10時25分 5km女子(高校生)

 10時25分 5km女子(39歳以下)

 10時25分 5km女子(40歳以上)

 11時10分 10km男子(高校生)

 11時10分 10km男子(39歳以下)

 11時10分 10km男子(40歳〜59歳)

 11時10分 10km男子(60歳以上)

 11時10分 10km女子(高校生)

 11時10分 10km女子(39歳以下)

 11時10分 10km女子(40歳以上)

 「由緒」ある「香取神宮」を「スタート」し「重要伝統的建造物群保存地区」「佐原の町並み」を疾走する「ロードレース大会」「第6回香取小江戸マラソン大会」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第6回小江戸マラソン大会」詳細

 開催日時 12月14日(日) 9時10分〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697
      佐原の町並み 香取市佐原

 問合わせ 香取小江戸マラソン大会実行委員会 0478-50-1221

 備考
 「第6回香取小江戸マラソン大会」「開催」に伴い、「交通規制」が行われますのでご注意下さい。
 前回行われました「第5回香取小江戸マラソン大会」には、4269人(10km・2086人、5km・950人、2km・1233人)の「皆さん」が参加されたそうです。







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| 地域情報::香取 | 10:58 AM |
「山倉の鮭祭り」「山倉大神」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で12月6日(土)に開催されます「山倉の鮭祭り」です。

 「山倉大神」は、「香取市」「山倉地区」(下総国香取郡)の「小丘」に鎮座する「神社」で、「旧社格」は「村社」です。
 「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(たかみむすびのおおかみ)」、「建速須佐男大神(たけはやすさのおのおおかみ)」、「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」を祀っています。

 「山倉大神」の「由緒」ですが、弘仁2年(811年)の「創建」で、「山倉大神」は「悪疫退散」のため「大六天」を勧請したのが「始まり」といわれ、「大六天王社」の「総社」として、古くから「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」「本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたといわれています。
 「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」(木造銅板葺き一間流れ造)です。
 「山倉大神」「境内」には、ほかに「神楽殿」、「御輿殿」などがあるそうです。
 「山倉大神」ですが、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により「大六天王」を「山倉山観福寺」に遷座されたおり、「地名」から明治3年(1871年)に「山倉大神」と改め、「山倉大神」は、「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。

 「山倉大神」ですが、「山倉山観福寺」とともに「鮭の伝説」が、伝えられており、「香取市」「山田地区」では、「山倉大神」と「山倉山観福寺」「両社」で、「山倉の鮭祭り」を催行しています。
 「山倉大神」と「山倉山観福寺」で、それぞれ催行される「山倉の鮭祭り」は、12月の「初卯」に行われることから「初卯祭」といい、「初卯祭」では、「鮭」を奉納されることから、「別名」で「鮭祭り」とも呼ばれています。
 その昔、「香取市」「山田地区」では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、「山倉大神」近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に、「鮭」が遡上(そじょう)してきたといわれています。

 「香取市」「山田地区」に鎮座する「山倉大神」では、毎年12月、上記のように「栗山川」に回帰してきた「鮭」を供える「祭礼」「初卯祭」、「山倉の鮭祭り」が行われます。
 この「初卯祭」、「山倉の鮭祭り」は、もともと「霜月」の「初め」の「卯の日」に行われていましたが、「旧暦廃止」「以後」に12月7日と定められ、「山倉山観福寺」では、12月7日に「山倉の鮭祭り」が、「山倉大神」では、現行通り「初卯の日」に催行されています。
 「山倉の鮭祭り」ですが、「山倉大神」の「氏子」11組のうち2組が「交代」で「当番」を務め、「総行司」や「猿田彦」、「魚類勝手」といった「様々」な「役」で100人近くが参加するそうです。
 「山倉の鮭祭り」の「前日」(宵祭)は、「魚類勝手」の5人が「鮭の護符」を作ります。
 「鮭の護符」ですが、「塩漬け」にした「鮭」の「切り身」と、「黒焼き」にした「鮭」を「粉末」にしたもので、「鮭の護符」は、特に「風邪」に「効果」があるとされ、「山倉の鮭祭り」の「当日」は「護符」を求める「参詣客」で「山倉大神」「境内」は賑わうそうです。
 「山倉の鮭祭り」「当日」ですが、まず「烏帽子姿(えぼしすがた)」の「献幣使(けんぺいし)」や「鮭」をささげ持つ「猿田彦」、「唐櫃」を担いだ「行列」が組まれ、「額殿」や「拝殿」で「神事」を行うそうです。
 「山倉の鮭祭り」が、終了すると「昼頃」からは「直会(なおらい)」(宴)がはじまり、「民謡」や「踊り」といった「出し物」もあり、「午後」は「神輿」の「巡行」が行われ、「神輿の巡行」では「白」の「狩衣」を着た「白丁(はくちょう)たち」が

 「キッタサァーキッタサ」

 の「かけ声」とともに、「露店」が立ち並ぶ「山倉大神」前の「坂道」の「通り」を「山倉山観福寺」の前まで下り、向かいの「吉野屋旅館」を「御旅所」として「祭事」を行うそうです。
 現在は「車道」となっている「通り」も、昔は「山倉大神」への細い「参道」に過ぎず、その「脇」を流れてきた「栗山川」の「支流」まで「鮭」が登ってきていたといわれています。

 「山田地区」の「古社」「山倉大神」で催行される「古式」ゆかしい「神事」「山倉の鮭祭り」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の鮭祭り」「山倉大神」詳細

 開催日時 12月6日(土) 11時〜

 開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1

 問合わせ 山倉大神 0478-79-2706

 備考
 「山倉大神」で催行される「山倉の鮭祭り」ですが、平成17年(2005年)3月29日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
 戦前の「初卯祭」「山倉の鮭祭り」は、「関東一円」に組織された「山倉講」の「参詣」で「興隆」をきわめていたそうで、「山倉大神」に残る「奉納額」や「絵馬」などは「東京」や「横浜」の「団体」からのものが多く見られ、その「名残り」をとどめています。

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| 地域情報::香取 | 10:19 AM |
「大響祭(たいきょうさい)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で11月30日(日)に開催されます「大響祭(たいきょうさい)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。
 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(きっこうさん)・(かめがせやま)」とも呼ばれて(称されて)います。
 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。
 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く「自生」しています。
 「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」に指定されている「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」(1953年(昭和28年)3月31日「国宝」指定)や「重要文化財」に指定されている「小瀬戸黄釉狛犬(こせとおうゆうこまいぬ)」(1953年(昭和28年)3月31日「重要文化財」指定)、「双竜鏡(そうりゅうきょう)」(1953年(昭和28年)11月14日「重要文化財」指定)などがあり、「香取神宮」には「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。
 古くから「式の神」として崇められてきた「香取神宮」の「御祭神」の「御料」として「数多く」の「神宝類」が伝えられています。
 「香取神宮」には、上記のように「海獣葡萄鏡」(舶載)を含む、奈良から江戸時代にわたる三十九面の「銅鏡」とはじめ、「神代盾」と称される「盾形鉄製品」、天文17年(1548年)「在銘」の「鉄釜」・「金銅扇過多御正体」・「金銅扇」・「銅製供器類」・「大刀」(銘利恒)・元和4年(1618年)「在銘」の「行器」・寛政7年(1446年)「在銘」の「鏡筥」・「黒漆菊文様蒔絵手筥」・「潤漆手筥」・「黒漆手筥」・「螺鈿蒔絵藤文小筥」・「螺鈿蒔絵絵文櫛」・「櫛」・「狂言面」・「伝亀山上皇宸筆」の「木製神号額」・「香取古文書」・「旧源太祝家文書」などがあるそうです。
 これらの「古神宝類」は、「美術工芸品」として優れているばかりでなく、「学術的価値」という「点」からも大変「貴重」なのだそうです。

 「大響祭」は、「香取神宮」「御神前」にて「新穀」を献じて、「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」を感謝する「大祭」です。
 「大響祭」ですが、「香取神宮」の「御祭神」である「経津主大神」が「鹿島神宮」の「御祭神」「建甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」と共に「国土」の「平定」をした際、「功績」のあった「神々」の「労」をねぎらって「宴」を開いたという「故事」により、斎行されるそうです。
 「大響祭」では、「お茶」や「お花」の「奉納行事」や、「巫女(みこ)」による「悠久の舞」が奉納されます。
 「大響祭」ですが、「香取神宮」「独特」の「神事」で、「御神前」に供する「神饌(しんせん)」が大変珍しいといわれており、「大響祭」には、多くの「研究家」や「カメラマン」が「取材」・「見学」に訪れることで知られています。

 「香取神宮」「大響祭」は、「旧暦」の10月、「神無月」の「最終日」に、「出雲の国」での「会合」を終えた「東国三十三国」の「神々」が、「留守」を守っていた「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神」のもとへ「報告」へ立ち寄るそうです。
 (「大響祭」には、「諸説」あり、「神無月」に「出雲大社」で「神様」の「総会」があり帰ってきた「神様」の「長旅」を「ごちそう」で「おもてなし」をすることからはじまったとも言われています。)
 「香取神宮」では、「神々」を迎えるための「神饌」(食饌)とよばれる「特別」な「食べ物」が、「神官たち」の「手」によって「準備」されます。
 あらぶる「神々」のために用意される「ご馳走」(神饌)ですが、「鴨羽盛」(雌雄2羽の鴨が羽ばたくような姿で供される)、「鳥羽盛」、「盃」、「箸」、「海菜」、「餅」、「柚子」、「鮒」、「腹子」、「鱠(なます)」、「干魚」、「撰切」、「塩水」、「巻行器(まきほかい)」、「酒」など38台あり、「巻行器」は「巨大」な「おにぎり」のようなものなのだそうで、「高さ」は1mはあろうかというものだそうです。
 「大響祭」の「豪快」な「料理」の「数々」は、あつまる「神々」の「豪快さ」を物語っているように見えるそうです。

 「晩秋」、「初冬」に行われる「大響祭」は、上記のように「東国三十三国の神々」を招いての「饗応の祭り」となっており、上記のように「香取神宮」ならではの「特殊神饌」が用意されます。
 「大響祭」では、「水郷特産」の「真薦(まこも)」で組んだ「巻行器」と呼ぶ、「工夫」を凝らした「独特」の「容器」に「飯」を盛ります。
 また「水郷」に群れる「鴨」を捕らえ、「雌雄一対」の「鴨」をさばき、「内臓」を取り出し、再び「羽根」を広げたように三方に飾りあげた「羽盛」、「鴨の内臓」や「鮭」、「フカの切り身」を組み合わせ、三方の上に高く盛りつけた「鮭」の「鳥羽盛」などが「香取神宮」「神饌殿」で準備されます。

 「大響祭」では、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「水運」で栄えた「詩情」豊かな「佐原の町並み」が「夕暮れ」に沈む頃、「徳川綱吉」公が1700年(元禄13年)に再建した「香取神宮」「本殿」前「参道」に「篝火(かがりび)」が焚かれ、「香取神宮」「参道」は「荘厳(そうごん)」な「雰囲気」になるそうです。
 その後、「大響祭」では、「笛」、「太鼓」の「楽」が始まり、「神官たち」が「香取神宮」「参道」に用意された「所定」の「位置」につき、「神饌」が「神官たち」の「手」から「手」へと受け渡され、「香取神宮」「神饌殿」から「香取神宮」「拝殿」の「祭壇」に飾られます。
 そして、「祭衣」を着た「子どもたち」が「楽の音」に誘われるように「優雅」に「大和舞」を踊り、「厳粛」にして「素朴」な「神事」が終わると、「巻行器」の「飯」は「無病息災(むびょうそくさい)」を祈る「参拝者」に下げられるそうです。

 「北総」を代表する「名社」「香取神宮」で斎行される「幻想的」で「荘厳」な「神事」「大響祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大響祭」詳細

 開催日時 11月30日(日) 18時〜19時

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」で斎行される「神事」「大響祭」の「起源」ですが、はっきりとわからないそうですが、「古文書」によりますと至徳4年(1387年)2月、応永10年(1403年)正月に執行された「記録」があるようです。









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| 地域情報::香取 | 10:11 AM |
「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「佐原の町並み交流館」周辺で11月29日(土)・30日(日)に開催されます「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を「今」に残す「佐原の町並み」が、「佐原」の「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「佐原の市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」などに見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」などから構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を「今」に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで「今」も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)のほか、「千葉県」の「県指定有形文化財」も「8軒」(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに「軒」を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年()1892年
「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日のブログ参照)、、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「三菱館」は、「香取街道」沿いにある「目」を引く「西洋館」で、「JR東京駅」で同じような「赤煉瓦(あかれんが)」でつくられた「洋風建築」の「堂々」とした「建物」で、「小野川」にも近く「佐原の町並み」を「まち歩き」する際に「起点」にされる方も多い「施設」です。
 「三菱館」は、「旧・東京三菱銀行」「佐原支店」(前身は「旧・川崎貯蓄銀行」「佐原支店」)の「建物」であり、「香取市」「佐原」「イ」にある「歴史的建造物」です。
 「三菱館」の「建物」は、1943年(昭和18年)より「三菱銀行」「佐原支店」となり、1989年(平成元年)に「佐原市」(当時)へ寄付されて、現在は「観光客向け」の「休憩所」として活用されています。

 「三菱館」の「建物」ですが、「千葉県内」でも「有数」の「洋風建築」として知られ、「イギリス」より「輸入」した「煉瓦(レンガ)」を使った「2階建て」の「洋館」で、「内部」は「吹き抜け」になっており、「2階」「周囲」が「回廊(かいろう)」となっています。
 「三菱館」の「窓」や「出入り口」には「上部巻き上げ式」の「よろい戸」、「鉄製」の「サッシ」が残っており、「三菱館」の「屋根」は「木骨銅板葺き」で、正面「建物」「隅」に「ドーム」を設けています。
 なお「三菱館」の「建築当時」の「図面」には、「カウンター」「奥」の「壁」「中央」に「大理石張り」の「暖炉」、「南東隅」には「2階」への「螺旋階段」があったそうです。
 「三菱館」は、「佐原の町並み」の中では、その「特徴的外観」から「シンボル的」な「存在」の「建物」といえます。

 「佐原町並み交流館」は、上記のように「旧・東京三菱銀行」「佐原支店」として平成15年(2003年)まで使われていた「建物」を「佐原市」(当時)(現「香取市」)が買い取り「観光案内」・「休憩所」として再利用されている「施設」です。
 「佐原町並み交流館」の「休憩所」ですが、「無料」の「お茶サービス」を行っており、「トイレ利用」も出来ます。
 「佐原町並み交流館」には、「多目的ホール」として利用されている「展示スペース」があり、「佐原まちぐるみ博物館」(2011年12月26日のブログ参照)が企画している「佐原・町並み・お正月」(2013年12月24日・2012年12月27日・2011年12月26日・2010年12月26日のブログ参照)、「さわら雛めぐり」(2014年2月6日・2013年2月16日・2012年2月2日・2011年2月5日のブログ参照)、「佐原五月人形めぐり」(2014年4月15日・2013年4月24日・2012年4月7日・2011年4月28日のブログ参照)、「佐原・町並み・夕涼み」(2014年8月12日・2013年8月12日・2012年8月11日・2011年8月11日・2010年8月12日のブログ参照)
の「企画展」の「会場」のひとつとなっており、「年間」の「常設展」も行われています。
 また「佐原町並み交流館」には、「銀行時代」に使用されていた「金庫室」もあり、「金庫室」に入ってみることもできるそうです。

 「香取市」では、「年」に「2日間」だけ、「非公開」の「内部」にも入れる「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」が行われており、今年(2014年)は11月29日(土)・30日(日)に開催されます。
 「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」ですが、「NPO法人」「小野川と佐原の町並みを考える会」の「皆さん」による「ガイド付き」で9軒が公開され、そのうち、「通常」「非公開」の「場所」が5ヵ所あるそうです。
 「佐原の町並み」ですが、「外観」だけでも「見応え」がありますが、「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」では、「内部」の細かい「職人技」や「生活」の「仕組み」に触れることができ、「佐原」の「先人たち」の「知恵」と「技量」を見ることができるそうです。

 「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」の「公開建物」ですが、下記の通りとなっています。

 1 植田屋荒物店(2012年6月11日のブログ参照)

 2 中村屋商店

 3 伊能忠敬旧宅

 4 <歩測体験>

 5 亀村本店

 6 清宮家

 7 福新呉服店

 8 油惣

 9 正上

 10 さわらぼ(飯田家)

 「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」では、下記の「催し」も行われます。

 歩測体験 距離を当てよう!

 正解者に豪華景品!(参加者全員に記念品)

 さわらぼ(飯田家)

 佐原高校生と東大生によるワークショップ
 甘酒の接待もあります。

 ボンネットバス運行(要予約)

 佐原町並み号 11月29日・30日 2日間

 なお「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」では、「震災」により損壊した「伊能忠敬旧宅」が修復され、今回公開されるそうです。

 「歴史」の「息づかい」を感じることができる「佐原の町並み」の「中心」「佐原の町並み交流館」、「佐原の町並み」で開催される「貴重」な「特別公開」「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」詳細

 開催日時 11月29日(土)・30日(日) 10時〜16時

 開催会場 佐原の町並み交流館 香取市佐原イ1903-1

 問合わせ 佐原の町並み交流館 0478-57-1000

 備考
 「重要伝統的建造物群保存地区佐原の町並み建物特別公開」で「公開」される「正上」ですが、「主屋」や「袖倉」が「特別公開」され、「見どころ」ですが、「奥座敷」の「手」の込んだ「カラクリ戸」や「錆(さび)壁」だそうで、「雨戸」を折れ曲がった「敷居」の上でもすんなり滑らせられる「カラクリ戸」、「漆喰(しっくい)」に「鉄粉」を混ぜて塗り、「歳月」による「錆」の「変化」を楽しむ「錆壁」など味わい深い「日本の美意識」が感じられるそうです。















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| 地域情報::香取 | 10:20 AM |

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