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「山倉の鮭祭り」「山倉山観福寺」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉山観福寺」で12月7日(月)に開催されます「山倉の鮭祭り」です。

 明治8年(1875年)、「香取市域」は、「千葉県」に属するようになり、明治22年(1889年)の「施行」により、「佐原地区」には「佐原町」などの9町村(後に8町村)、「小見川地区」には「小見川町」など5町村、「山田地区」には「府馬村」など3村、そして「栗源(クリモト)地区」には「栗源村」がそれぞれ成立しました。
 その後、「香取市」の「前身」である「佐原市」、「小見川町」、「山田町」は昭和26年(1951年)から昭和30年(1955年)にかけての「合併」により成立し、「栗源町」は、これ以前の大正13年(1924年)には「町制」をしいており、それぞれの「市」・「町」の「歩み」を重ねてきました。
 そして平成18年(2006年)3月27日、「佐原市」、「小見川町」、「山田町」、「栗源町」の1市3町が合併し、「香取市」が誕生しています。

 上述の通り、「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に、「佐原市」と、「香取郡」「小見川町」、「山田町」、「栗源町」が合併して成立した「市」です。
 「香取市」は「水郷」と呼ばれる「国道51号線」沿線の「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)付近の「都市」のひとつで、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「門前町」として有名です。
 「香取神宮」は「武神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」を祀っていることで知られている「神社」で、近隣では、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「鹿嶋市」との「関係」が深いそうです。
 「香取神宮」は、「鹿島神宮」、「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれており、古くから「信仰」を集めています。

 「観福寺」こと「山倉山観福寺」(2012年12月4日のブログ参照)ですが、「香取市」「山倉」に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」で、「山号」は「山倉山」、「御本尊」は「大六天王」で、「山号」の「由来」ですが、「地区」の「名称」である「山倉」の「地名」を取り、「山倉山」となっており、「院号」は、「京都」「嵯峨」「御所」から下る「聖観世音菩薩」が勧請されている「伽藍」、「天地」に(地)、「伽藍」(院・建物)と謂う事で「観音地院」、「寺号」は、「聖観世音菩薩」の「福徳」を授けると謂う事で「観福寺」なのだそうです。
 「山倉山観福寺」ですが、811年(弘仁2年)「円頓」によって創建され、数年後、「弘法大師」「空海」が、この「寺」に入り、「修行」したといわれています。
 「山倉山観福寺」ですが、元は「山倉大神」(2013年11月30日・2012年12月2日のブログ参照)の「別当寺」であり、「別当」(神宮寺)は、「御本尊」が「神社」に勧請されており、明治2年(1869年)5月24日迄、今の「山倉大神」の「本殿」「奥の間」(宮殿)に勧請されていたそうです。
 その後、「山倉山観福寺」ですが、「別当」から出向き、「御祈祷」が修法されていましたが、「明治維新太政官公布」により、「神仏分離令」され、「天部」の「御本尊」であり、益して「弘法大師」が勧請した「御本尊」であり、「真言宗」で最も「大切」な「御経・般若理趣経」の「御本尊」である為、「別当」に持ち帰り、現・「講堂」に遷座後、現・「本堂」に奉安され、現代に至ります。
 「山倉山観福寺」の「略縁起文」「山倉山大六天王畧縁起文」は、下記の通りです。

 抑々本尊大六天王と申し奉るは大日如来の内眷屬にして此の慾界に安住し假りに降伏の形相を示し給ふ大自在神通の力を以て或は大忿怒威の御身と現はれ悪鬼魔軍面縛し厄難消除疾病退散を司り壽命を與へ福徳智惠愛嬌を授け給ふの御誓願なれば御利益は響きの物に應するが如く願として満足せざることなし
 茲に當山の由來を案ずるに人皇52代嵯峨天皇の御宇弘仁5年天下大疾し衆人其の病苦に斃るる者巷に陰惨の状人の目を覆ふばかりなり時恰も大聖吾が弘法大師東國回錫の砌り即ち同年辛夘霜月初卯の日霊験新かなる御本尊を此の地に勧請し済世利民の本願を以て國家安全萬民法楽を祈り珠には末世諸人の疾病に苦しむを憐れみ天尊の威徳を仰いて護摩供の秘法を厳修し給ふ事一夏90日(座)の間逐に感應空しからず奇瑞ありし中にも龍神よりは夜毎に龍燈を捧げ供魚として鮭の魚を献し奉る而して此の天尊を信心し護摩供御霊符の御利益に依り厄難病苦を脱れ福徳智惠愛嬌を満足したる者挙げて御魚として献るに敢えて変ることなく實に有難き事ならずやされば此の天尊を信ずる人々は疾病厄難を退れ福智益長し家門繁栄子孫長久の基き最も護符護摩供の霊験に因りて當利益を蒙りし者は擧げて数へ難し之れ諸人の知る處なり
 又當山は往時皇室の御祈願所と御尊特に嵯峨御所入りは観音地院の称号を賜り緋紫衣披着の允許あり殿上の参入を許され菊花御紋章付御勅願の御下錫あり其の他實冠御幕等國實的實物を多数を多数保存し以て往時の威容を忍ぶに足るものあり古来山倉山と唱ふれば抜苦與楽の一大霊場として天下に其の名を歌はれしも亦故なきにあらざるなり
 時會明治維新排佛稀釈の法難に遭へ神佛分離の制度に依り現在の山倉大神より御本尊を當山に移請し奉り附属する宝物記録等一切を管理し又跡に高皇産命を祀り山倉部落の鎮守として山倉大神を称す故に古へより山倉様と称し諸人の信仰を

 「山倉山観福寺」は、「関東八十八ヶ所霊場」のひとつ「第45番札所」として知られています。
 「関東八十八ヶ所霊場」ですが、「関東地方一帯」に広がる「弘法大師」「巡礼地」で、「特別霊場」と合わせて、95の「寺院」を巡るもので、1955年(平成7年)に開創されました。
 「関東八十八ヶ所霊場」は、「一番」の「聖観世音菩薩」を「御本尊」とする「慈眼院」「通称」「高崎観音」(「群馬県」「高崎市」)から始まり、「八十八番」「大聖歓喜天」を「御本尊」とする「歓喜院」「通称」「妻沼晴天」(「埼玉県」「熊谷市」)までの「八十八ヶ所」を指すそうです。

 「観福寺」は、「香取市」に2つあり、ひとつは「香取市」「牧野」(旧・「佐原市」)に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」「妙高山観福寺」(2013年1月24日・2011年5月30日のブログ参照)で、もうひとつは、「香取市」「山倉」(旧・「香取郡」「山田町」)に鎮座する「真言宗豊山派」の「寺院」「山倉山観福寺」です。
 今回ご案内している「観福寺」ですが、「香取市」「山田地区」に鎮座する「山倉山観福寺」ですので、「観福寺」の「山倉の鮭祭り」(2012年12月4日のブログ参照)にお越しの際は、気を付けて下さい。

 「山倉の鮭祭り」とは、「香取市」「山田地区」(山倉地区)の「山倉大神(ヤマクラダイジン)」と、「山倉山観福寺」で催行される「例大祭」です。
 「山倉の鮭祭り」ですが、「山倉大神」と、「山倉山観福寺」で、それぞれ行われる「初卯祭」で、「例大祭」では、「鮭」を奉納することから「別名」「鮭祭り」と呼ばれています。
 「いい伝え」によりますと、「山倉大神」、「山倉山観福寺」の近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に上がってきた「鮭」を初めて捕らえた「人」が、捕らえた「鮭」の「頭」に「大の字」があったのを見て、これは「山倉」の「大六天様」への「進献もの」として奉献したことに始まったといわれています。
 また、「栗山川」で捕らえた「鮭」は、「龍宮」から供せられた「龍宮鮭」ともいわれ、「山倉の鮭祭り」の「鮭」の「由来」には、「諸説」あるそうです。

 「山倉山観福寺」に伝わる「伝承」ですが、「お堂」にこもり、「断食修行」を続けた「弘法大師」のもとに「竜神」が「鮭」を供え、それを「弘法大師」が「村人」に分け与えると「病」が癒えたという「伝承」が残されています。
 江戸時代後期の「下総名称図絵」では、

 「御神事十一月の卯の日なり。
 疫病を悩むもの此の神を祈りて霊験すみやかなり。
 十一月祭礼の頃、鮭おのづから上る。
 是を獲たる人、山倉に持ち行くに、その人を祭礼の上席に居らしめて饗応する古例なり」

 と紹介しているそうです。
 「香取市」「山田地区」(山倉地区)では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、きまって「鮭」が「栗山川」を遡上(ソジョウ)してきたため、この地の「人々」は、「鮭」を「おしゃけさま」と呼び崇め、現在もわずかではありますが、「栗山川」の「鮭」が、「初卯祭」で奉納されています。

 「山倉の鮭祭り」「初卯祭」では、上述の「伝承」にちなみ、「山倉山観福寺」にて、「鮭」を献上した「古式ゆかしい行列」が組まれ、「行事」が厳(オゴソ)かに催行され、「旧暦」「霜月」「初卯の日」に「鮭」を奉納するそうです。
 「山倉の鮭祭り」の催行される「香取市」「山田地区」(山倉地区)では、昔から「鮭」が「貴重」な「タンパク源」となっていたそうで、そのため「鮭」を「奉納・献上」した「神事」を、「晩秋」・「初冬」にかけ行っていたそうです。

 「香取市」「山田地区」の「古刹」「山倉山観福寺」に伝わる「由緒」ある「神事」「山倉の鮭祭り」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の鮭祭り」「山倉山観福寺」詳細

 開催日時 12月7日(月) 11時〜

 開催会場 山倉山観福寺 香取市山倉1934-1

 問合わせ 山倉山観福寺 0478-79-2802

 備考
 「山倉の鮭祭り」ですが、12月の「初卯の日」に催行されていた「神事」でしたが、「人集め」が「困難」となったため、「山倉大神」では、2002年(平成14年)より12月の「第1日曜日」に変更されましたが、「山倉山観福寺」では、「暦」にならい、現行通り「旧暦」の「霜月」「初卯の日」に「初卯祭」(12月7日)を催行しています。

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| 地域情報::香取 | 10:37 AM |
「団碁祭(ダンキサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月7日(月)に開催されます「団碁祭(ダンキサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社(カンペイタイシャ)」(官弊大社)で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「本殿」ですが、元禄13年(1700年)「徳川5代将軍綱吉」が造営した「建造物」で、「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」ですが、「目」にもあざやかな「朱塗」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうです。
 「香取神宮」「楼門」も、「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「徳川光圀」の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年と言われる「周囲」約10mの「巨杉」となっています。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」などが数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で「賑わい」をみせます。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮古神宝類」ですが、古くから「式の神」として崇められてきた「香取神宮」の「御祭神」の「御料」として、「香取神宮」には、数多くの「神宝類」が伝えられています。
 上記のように「香取神宮」には、「海獣葡萄鏡」を含む、奈良時代から江戸時代にわたる「三十九面」の「銅鏡」とはじめ、「神代盾」と称される「盾形鉄製品」、天文17年(1548年)「在銘」の「鉄釜」・「金銅扇形御正体」・「金銅扇」・「銅製供器類」・「大刀」(銘利恒)・元和4年(1618年)「在銘」の「行器」・寛正7年(1446年)「在銘」の「鏡筥」・「黒漆菊文様蒔絵手筥」・「潤漆手筥」・「黒漆手筥」・「螺鈿蒔絵藤文小筥」・「螺鈿蒔絵絵文櫛」・「櫛」・「狂言面」・「伝亀山上皇宸筆」の「木製神号額」・「香取古文書」・「旧源太祝家文書」などがあります。
 これらの「古神宝類」ですが、「美術工芸品」として優れているばありではなく、「学術的価値」という「点」からも大変「貴重」だそうです。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲(シノ)ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。

 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く「自生」しています。
 「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」は、上記のように「明治」の「制」で、「官弊大社(カンペイタイシャ)」な列格している「神社」で、「例祭」(2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)が4月14日、翌15日に「旧・8か町村」の「氏子」「総出」で催される「神幸祭」(2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」ごとに催されている「式年大祭」の「神幸」は、「盛大」に催行され、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(クブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」が執り行われています。
 ほかにも「香取神宮」では、4月第1週「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、一般に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「香取神宮」「拝殿」「前庭」で「耕田式」、「日曜日」に「田植式」が執り行われ、多くの「早乙女(サオトメ)」たちの「手」で「祭儀」が執り行われています。
 また「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、「団碁祭(ダンキサイ)」といった「特殊神事」が多く執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。

 「団碁祭(ダンキサイ)」ですが、「八石八斗(ハチゴクハット)団子祭(ダンゴマツリ)」、「香取神宮」が鎮座する「地元」「香取市」では、一般に「だんごまつり」と呼ばれているそうです。
 「団碁祭(ダンゴマツリ)」は、「新穀」で「団子」をつくり、奉納する「五穀成熟感謝」の「お祭り」で、「香取神宮」「年間」100を超える「祭儀」(神事)(年間祭典)の中でも「御神酒(オミキ)」の「奉献」がない、珍しい「神事」として知られており、「大饗祭(タイキョウサイ)」(11月30日の「新穀感謝」の「神事」)の「接待」に当たった「比売神(ヒメガミ)」「慰労」の「祭儀」ともいわれています。
 (「大饗」の「宴」の「お料理」に「腕」をふるって下さった「比売神」の「労」をねぎらうために行われているそうです。)
 ちなみに「比売神」ですが、「神道」の「神様」で、「神社」の「主祭神」の「妻」や、「娘」、あるいは「関係」の深い「女神」を指すそうです。
 「団碁祭(ダンキサイ)」ですが、18時00分、「浄闇」の中、たくさんの「お団子」を、「香取神宮」「御神前」に奉納します。
 「団碁祭」では、「かがり火」の焚かれる中、「巫女舞」など執り行われ、「幻想的」な「祭典」となっているそうです。
 また「団碁祭(ダンキサイ)」では、「終了後」、「お団子」が「参拝者」に配られますが、この「お団子」を食べると、「風邪」をひかないと伝えられています。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「暮三祭(クレサンサイ)」の「トリ」(最後)を飾る「祭事」「団碁祭(ダンキサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「団碁祭(ダンキサイ)」詳細

 開催日時 12月7日(月) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」で催行される「団碁祭(ダンキサイ)」ですが、「大饗祭(タイキョウサイ)」から続く、「暮三祭(クレサンサイ)」の「最後」(トリ)を飾る「祭儀」となっています。

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| 地域情報::香取 | 10:07 AM |
「内陣神楽(ナイジンカグラ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月4日(金)に開催されます「内陣神楽(ナイジンカグラ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。

 「香取神宮」の「創建」ですが、「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場し、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 上記のように「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「鹿島神宮」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」などがあります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」などを祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮」「本殿」ですが、平安時代には「伊勢神宮」などと同様の20年ごとの「建て替え」の「制度」がありましたが、戦国時代に廃れ、現在の「香取神宮」「本殿」は、元禄13年(1700年)に「幕府」によって造営されたものなのだそうです。
 「香取神宮」「本殿」は、「正面」「柱間」が三間で「前庇」と、短い「後庇」を加えた「両流造(リョウナガレヅクリ)」の「全国」でも「最大級」のもので、「黒漆塗」、「檜皮葺(ヒワダブキ)」の「重厚」な「社殿」です。
 また、「蟇股(カエルマタ)」や、「虹粱(コウリョウ)」・「組み物」には「極彩色」の「装飾」が施され、前代の慶長期の「桃山様式」の「手法」を受け継いでいるそうです。
 「香取神宮」「楼門」ですが、「香取神宮」「本殿」と同じく元禄13年(1700年)の「造営」で、3間1戸で、「屋根」は「入母屋造銅板葺」でありますが、もとは「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
 「香取神宮」「楼門」は、周囲の「緑」の中で、「楼門」の鮮やかな「朱塗り」と、「奥」に見える「香取神宮」「社殿」の「黒」が「鮮烈」な「コントラスト」をみせています。
 「香取神宮」「楼門」は、「壁」や、「柱」が「丹塗り」で、鮮やかな「朱色」が映える「建造物」となっています。
 「丹塗り」ですが、「原料」が「金属」であることから「腐食」しにくく、「虫害」からも守れるという「理由」の「他」、「朱色」が「不変」を表すという「宗教的」な「意味」もあり、「宗教建築」に多く用いられているそうです。
 「香取神宮」「楼門」内には「左大臣・右大臣」(左像・右像)の「随身像」が「外」に向かって置かれ、「内側」には「木彫り」ながら「重厚感」のある「狛犬」が置かれています。
 ちなみに「香取神宮」「楼門」の「左像」ですが、「藤原鎌足」、「右像」ですが、「竹内宿禰」となっています。
 元禄13年(1700年)に造営され、昭和15年()に「大修築」が行われたこの「香取神宮」「楼門」は、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」「楼上」の「掲額」ですが、「東郷平八郎」の「筆」になるものだそうです。

 「香取神宮古神宝類」ですが、古くから「式の神」として崇められてきた「香取神宮」の「御祭神」の「御料」として、「香取神宮」には、数多くの「神宝類」が伝えられています。
 上記のように「香取神宮」には、「海獣葡萄鏡」を含む、奈良時代から江戸時代にわたる「三十九面」の「銅鏡」とはじめ、「神代盾」と称される「盾形鉄製品」、天文17年(1548年)「在銘」の「鉄釜」・「金銅扇形御正体」・「金銅扇」・「銅製供器類」・「大刀」(銘利恒)・元和4年(1618年)「在銘」の「行器」・寛正7年(1446年)「在銘」の「鏡筥」・「黒漆菊文様蒔絵手筥」・「潤漆手筥」・「黒漆手筥」・「螺鈿蒔絵藤文小筥」・「螺鈿蒔絵絵文櫛」・「櫛」・「狂言面」・「伝亀山上皇宸筆」の「木製神号額」・「香取古文書」・「旧源太祝家文書」などがあります。
 これらの「古神宝類」ですが、「美術工芸品」として優れているばありではなく、「学術的価値」という「点」からも大変「貴重」だそうです。

 「香取神宮」「参道」から「奥宮」に向かう「小道」の「途中」に「要石(カナメイシ)」があります。
 「要石」付近には、「タブノキ」、「スダジイ」、「スギ」、「ケヤキ」などが見られ、「奥宮」ですが、「御祭神」の「荒魂」を祀る「お社」で、「奥宮」周辺には「サカキ」、「スギ」が見られるそうです。
 「要石」ですが、「鹿島神宮」のものと同じく、「地震」を起こす「大ナマズ」の「頭」を抑えている「大部分」に「地中」に埋まった「霊石」で、「要石」は「地上」に見えている「部分」はほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「要石」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいるそうです。
 ちなみに「鹿島神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「頭」、「香取神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「尾」を抑えているといわれ、2つの「要石」は「地中」で繋がっているとの「伝承」もあります。
 「香取神宮」の「要石」ですが、「香取神宮」「総門」の「手前」にあり、「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた、「鹿島神宮の森」の中の小さな「祠(ホコラ)」にあります。
 「要石」に纏(マツ)わる「逸話」として、古くは

 「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

 と詠(ウタ)われており、江戸時代には、この「歌」を「紙」に書いて、3回唱えて、「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるといわれたそうです。
 また、「古墳」の「発掘」なども指揮した「徳川光圀」公は、1664年(寛文4年)、「要石」(どちらの「要石」かは「資料」により一定せず)の周りを掘らせたそうですが、「日」が沈んで中断すると、「朝」までの「間」に埋まってしまい、そのようなことが2日続いた後、次は「昼夜兼行」で7日7晩掘り続けたそうですが、「要石」の「底」には達しなかったそうです。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」などの「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。

 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」などの「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」などの「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」などの「草木類」が数多く「自生」しています。
 「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」などの「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも「貴重」なものなのだそうです。

 「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、「団碁祭(ダンキサイ)」が執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。
 「内陣神楽」ですが、「香取神宮」で執り行われている「祭典」で、12月4日(金)に催行されます。
 「内陣神楽」では、「香取神宮」「内陣」の「御扉」が開けられ、「香取神宮」「殿内」では、「少年達」による「舞」が奉納されるそうです。
 「内陣神楽」「当日」は、14時00分から、「香取神宮」「本殿」内の「清祓(キヨハライ)」の「儀」(「内陣」の「煤払(ススハラ)い」)に続き、17時00分から「氏子」の「少年達」による「大和舞」が奉奏されるそうです。
 なお、この「祭典」(内陣神楽)ですが、「外部」の「人」の「見学」や、「参列」は無い「祭事」となっているそうです。
 「内陣神楽」ですが、「昔」は「香取神宮」「本殿」の「内陣」が開くことから、恐れ多いとして、この「夜」、「地元」の「氏子」であっても「夜」の「参拝」をすることを「遠慮」していた(「外出」をせずに「室内」で慎んでいる「事」が「習わし」だったと言われる)と言われているようです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「暮三祭(クレサンサイ)」のひとつの「祭事」「内陣神楽(ナイジンカグラ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「内陣神楽(ナイジンカグラ)」詳細

 開催日時 12月4日(金) 17時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」「宝物館」ですが、11月17日(火)から2016年(平成28年)1月17日(日)の「間」、「千葉県立美術館」にて、「特別展 香取神宮 神に捧げた美」が開催され、これに伴い、「香取神宮」「所蔵」の「文化財」・「史料」の「ほとんど」が搬出されるために、11月4日(水)から当分の間「休館」するそうです。

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| 地域情報::香取 | 02:43 AM |
「山倉の鮭祭り」「山倉大神」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「山倉大神」で12月6日(日)に開催されます「山倉の鮭祭り」です。

 明治8年(1875年)、「香取市域」は、「千葉県」に属するようになり、明治22年(1889年)の「施行」により、「佐原地区」には「佐原町」などの9町村(後に8町村)、「小見川地区」には「小見川町」など5町村、「山田地区」には「府馬村」など3村、そして「栗源(クリモト)地区」には「栗源村」がそれぞれ成立しました。
 その後、「香取市」の「前身」である「佐原市」、「小見川町」、「山田町」は昭和26年(1951年)から昭和30年(1955年)にかけての「合併」により成立し、「栗源町」は、これ以前の大正13年(1924年)には「町制」をしいており、それぞれの「市」・「町」の「歩み」を重ねてきました。
 そして平成18年(2006年)3月27日、「佐原市」、「小見川町」、「山田町」、「栗源町」の1市3町が合併し、「香取市」が誕生しています。

 上述の通り、「香取市」は、2006年(平成18年)3月27日に、「佐原市」と、「香取郡」「小見川町」、「山田町」、「栗源町」が合併して成立した「市」です。
 「香取市」は「水郷」と呼ばれる「国道51号線」沿線の「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)付近の「都市」のひとつで、「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)の「門前町」として有名です。
 「香取神宮」は「武神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」を祀っていることで知られている「神社」で、近隣では、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「鹿嶋市」との「関係」が深いそうです。
 「香取神宮」は、「鹿島神宮」、「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれており、古くから「信仰」を集めています。

 「山倉大神(ヤマクラダイジン)」は、「香取市」「山倉地区」(下総国香取郡)の「小丘」に鎮座する「神社」で、「山倉大神」の「旧社格」ですが、「村社」です。
 「山倉大神」の「御祭神」ですが、「高皇産霊大神(タカミムスビノオオカミ)」、「建速須佐男大神(タケハヤスサノオノオオカミ)」、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」を祀っています。

 「山倉大神」の「創建」ですが、弘仁2年(811年)で、「山倉大神」の「由緒」ですが、「悪霊退散」のため「大六天」を勧請したのが「始まり」といわれ、「山倉大神」は「大六天王社」の「総社」として、古くから「人々」の「信仰」を集めており、「山倉大神」「本殿」は、安永7年(1778年)に建立されたといわれています。
 「山倉大神」の「本殿」ですが、「間口」、「奥行き」共に4.5mの「木造」・「銅板葺き」・「権現造り」(木造銅板葺き一間流れ造)となっています。
 「山倉大神」「境内」には、「本殿」のほかに「神楽殿」、「御輿殿」などがあるそうです。
 「山倉大神」ですが、江戸期までは「真言宗」「山倉山観福寺」「別当」でありましたが、明治の「神仏分離令」により、「大六天王」を「山倉山観福寺」に遷座し、遷座されたおり「地名」から明治3年(1871年)に「山倉大神」と改め、「山倉大神」は、「高皇産霊大神」、「建速須佐男大神」、「大国主大神」を「御祭神」としたそうです。

 「山倉大神」には、「山倉山観福寺」とともに「鮭の伝説」が伝えられており、「香取市」「山田地区」では、「山倉大神」と、「山倉山観福寺」「両社」で、「山倉の鮭祭り」を催行しています。
 「山倉大神」と、「山倉山観福寺」で、それぞれ催行される「山倉の鮭祭り」は、12月の「初卯(ハツウ)」に行われることから「初卯祭」といい、「初卯祭」では、「鮭」を奉納されることから、「別名」で「鮭祭り」とも呼ばれています。
 その昔、「香取市」「山田地区」では、「山倉の鮭祭り」が近づくと、「山倉大神」近くを流れる「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)に、「鮭」が遡上(ソジョウ)してきたといわれています。

 「香取市」「山田地区」に鎮座する「山倉大神」では、毎年12月、上記のように「栗山川」に回帰してきた「鮭」を供える「祭礼」、「山倉の鮭祭り」が行われます。
 この「初卯祭」、「山倉の鮭祭り」は、もともと「霜月(シモツキ)」の「初め」の「卯の日」に行われていましたが、「旧暦廃止」以後に12月7日と定められ、「山倉山観福寺」では、12月7日に「山倉の鮭祭り」が、「山倉大神」では、現行通り「初卯の日」に催行されています。
 「山倉の鮭祭り」ですが、「山倉大神」の「氏子」11組のうち2組が「交代」で、「当番」を務め、「総行司」や、「猿田彦」、「魚類勝手」といった「様々」な「役」で、100人近くが参加するそうです。
 「山倉の鮭祭り」の前日(宵宮)では、「魚類勝手」の5人が「鮭の護符」を作ります。
 「鮭の護符」ですが、「塩漬け」にした「鮭」の「切り身」と、「黒焼き」にした「鮭」を「粉末」にしたもので、「鮭の護符」は、特に「風邪」に「効果」があるとされ、「山倉の鮭祭り」の当日は「護符」を求める「参詣客」で、「山倉大神」「境内」は賑わうそうです。
 「山倉の鮭祭り」当日ですが、まず「烏帽子姿(エボシスガタ)」の「献幣使(ケンペイシ)」や、「鮭」をささげ持つ「猿田彦」、「唐櫃」を担いだ「行列」が組まれ、「額殿」や、「拝殿」で「神事」を行うそうです。
 「山倉の鮭祭り」が、終了すると「昼頃」からは「直会(ナオライ)」(宴)がはじまり、「民謡」や、「踊り」といった「出し物」もあり、「午後」は「神輿」の「巡行」が行われ、「神輿の巡行」では、「白」の「狩衣」を着た「白丁(ハクチョウ)たち」が

 「キッタサァーキッタサ」

 の「かけ声」とともに、「露店」が立ち並ぶ「山倉大神」前の「坂道」の「通り」を、「山倉山観福寺」の前まで下り、向かいの「吉野屋旅館」を「御旅所」として「祭事」を執り行うそうです。
 現在は「車道」となっている「通り」も、昔は「山倉大神」への細い「参道」に過ぎず、その「脇」を流れてきた「栗山川」の「支流」まで「鮭」が登ってきたといわれています。

 「香取市」「山田地区」に鎮座する「古社」「山倉大神」で催行される「古式」ゆかしい「神事」「山倉の鮭祭り」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「山倉の鮭祭り」「山倉大神」詳細

 開催日時 12月6日(日) 11時〜

 開催会場 山倉大神 香取市山倉2347-1

 問合わせ 山倉大神 0478-79-2706

 備考
 「山倉大神」で催行される「山倉の鮭祭り」ですが、平成17年(2005年)3月29日に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
 戦前の「初卯祭」「山倉の鮭祭り」は、「関東一円」に組織された「山倉講」の「参詣」で、「興隆」を極めていたそうで、「山倉大神」に残る「奉納額」や、「絵馬」などは「東京」や、「横浜」の「団体」からのものが多く見られ、その「名残」をとどめています。

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| 地域情報::香取 | 10:47 AM |
「KASHIMA光のアートギャラリー2015」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で12月4日(金)〜2016年1月3日(日)の期間開催されます「KASHIMA光のアートギャラリー2015」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として人気があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」南東部、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の名称を使用していた三社のうちの一社です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という一般名称でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代・神武天皇御即位」の年にあたり、「神武天皇」は、東征の途上における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による守護に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた我が国の「国譲り」から「国造り」まで、建国に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる東方に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔)」(布都御魂剣)と称される「長大な直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国の史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国の重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する地は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の歴史上、「重要な遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い歴史を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの見どころがあります。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に有名で、2014年9月1日(月)には、3日間に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」前日8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「JR鹿島神宮駅(カシマジングウエキ)」ですが、「茨城県」「鹿嶋市」「宮下」4丁目にある「東日本旅客鉄道」(JR東日本)「鹿島線」の「駅」です。
 「JR鹿島神宮駅」は、「鹿島線」の「途中駅」ですが、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」の「間」は、「鹿島臨海鉄道」「大洗鹿島線」からの「乗り入れ列車」が運行されるのみで、「鹿島線」の「旅客列車」は運行されていないそうです。
 これは「両社」の「接続駅」である「鹿島サッカースタジアム駅」が「臨時駅」であり、「サッカー試合開催日」など「特定の日」を除き「列車」が通過するためなのだそうです。
 そのため、「JR鹿島神宮駅」が「大洗鹿島線」(水戸)「方面」と、「JR線」「香取・佐原方面」の「運転系統上」の「区切り」の「駅」であり、正式な「大洗鹿島線」「接続駅」となっています。
 しかし、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」「間」は「JR東日本」の「所轄区間」であるため、「同区間」の「運賃計算」は「JR」のものとなるそうです。

 また、「鹿島線」から「成田線」・「総武本線」「経由」で「東京駅」へ直通する「特急列車」「あやめ」の「始発駅」となっていますが、「定期列車」の「あやめ」は「JR鹿島神宮駅」から「JR佐原駅」「間」(約20分)は「各駅」に停車する「普通列車」となり、「特急料金不要」で乗車できるそうです。
 2015年(平成27年)3月14日の「ダイヤ改正」で「上り」1本「総武快速線」「直通列車」と、「JR佐倉駅」で併合する「東京行き」が再び設定されています。

 「JR鹿島神宮駅」の「歴史」は、下記の通りです。

 1970年(昭和45年)8月20日 日本国有鉄道の駅として開業。

 1970年(昭和45年)11月12日 当駅〜北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム駅)間貨物線延伸開業。

 1978年(昭和53年)7月25日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ開始。

 1983年(昭和58年)12月1日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ廃止。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線開業。同線から当駅へ乗り入れ開始。

 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。

 2006年(平成18年)3月31日 みどりの窓口を閉鎖。

 2006年(平成18年)4月1日 「もしもし券売機Kaeruくん」供用開始。同時に駅員の当直勤務がなくなる。

 2009年(平成21年)3月14日 東京近郊区間に編入される。

 2012年(平成24年)3月5日 「もしもし券売機Kaeruくん」撤去。指定席券売機を供用開始。

 「JR鹿島神宮駅」の「駅構造」ですが、「島式ホーム」1面2線を有する「高架駅」であり、「ホーム」は嵩上げされていないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「直営駅」(早朝夜間駅員不在)であり、「管理駅」として「潮来駅」・「延方駅(ノブカタエキ)」・「鹿島サッカースタジアム駅」を管理しているそうです。
 「JR鹿島神宮駅」には、「自動券売機」・「指定席券売機」が設置されており、「JR鹿島神宮駅」「構内」に「KIOSK(キヨスク)」などはないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」の「のりば」ですが、「1番線」は「大洗鹿島線」「上り」「(臨)鹿島サッカースタジアム・新鉾田・大洗・水戸方面」、「2番線」は.「鹿島線」「上り」「潮来・佐原・成田・千葉・東京方面」となっており、「通過電車」は「1番線」を通過するそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「1番線」を「上下本線」とした「一線スルー構造」であり、「1・2番線」いずれも「両方面」からの「到着」及び「出発」が可能です。
 「JR鹿島神宮駅」「ホーム」は、11両編成までに対応しており、「貨物列車」「行き違い」のため、「線路有効長」はかなり長いそうです。

 「KASHIMA光のアートギャラリー」(2012年12月5日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」で毎年12月に行われている「恒例行事」で、「JR鹿島神宮駅」前で「イルミネーション」を実施し、約13万球の「光のアート」が楽しめる「イベント」です。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」では、「鹿島臨海鉄道」・「鹿島神宮駅」「駅前」の「ロータリー」や、「鹿島神宮」へと通じる「レンガ通り」を「中心」に「イルミネーション」でライトアップされ、実際の「街路樹」を利用した「高さ」15m、約8000球で、電飾する「ツリー」が「メイン」となっており、ほかに「サブツリー」、「ミニツリー」が点在しています。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」ですが、「鹿嶋市」の

 「市の玄関口を賑やかにしよう」

 と、「鹿嶋市」と「鹿嶋市民」、「企業」など、約15団体が協力し合い、「電飾」の「デザイン」から「取り付け」までを行っている「手作りアート」で、「関係各位」の「皆さん」で1日がかりで取り付けたあと、「KASHIMA光のアートギャラリー」「事務局」が、1週間ほどかけて、手直しし、完成させているそうです。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」では、「メインツリー」が毎年「色」を変えており、その「年々」で「色」が変わるそうです。

 今年(2015年)も「鹿嶋の冬の風物詩」「KASHIMA光のアートギャラリー2015」が「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」、「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)を「会場」に開催され、12月4日(金)から2016年1月3日(日)の期間、17時00分から23時00分まで「点灯」するそうです。
 (大晦日から元旦は夜通しライトアップ)
 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」は、例年通り「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」を「中心」にライトアップされ、「駅前ロータリー」の「サブツリー」を「中心」とした「イルミネーション」が施され、また「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)も「イルミネーション」で彩られます。

 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」では、「特別イベント」として「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」、「年越しライトアップ」が行われます。

 「点灯式」&「オープニングコンサート」ですが、12月4日(金)17時00分から「JR鹿島神宮駅」「駅前広場」で行われる「イベント」で、17時00分からの「点灯式」と、その後に「オープニングコンサート」が行われます。
 「点灯式」&「オープニングコンサート」では、「冬の夜空」に「ライトアップ」の「光」と、「子どもたち」の明るい「歌声」が「会場」に広がるそうです。
 「クリスマスコンサート」ですが、12月19日(土)17時00分から「JR鹿島神宮駅」「駅前広場」で行われる「イベント」です。
 「クリスマスコンサート」は、「地元」「鹿嶋」の「かしま少年少女合唱団」「虹kids(キッズ)」の「皆さん」による「合唱」などの「コンサート」が行われます。
 また「クリスマスコンサート」では、「小学生」以下の「お子様」には、「クリスマスプレゼント」もあるそうです。
 ちなみに「虹Kids」ですが、3歳から「高校生」までの約60人でつくる「地元」「鹿嶋」の「合唱団」で、8年前の「KASHIMA光のアートギャラリー」「イベント開始時」から毎年「クリスマスコンサート」に出演されているそうです。
 「年越しライトアップ」ですが、12月31日(木)17時00分から2016年(平成28年)1月1日(金)朝6時00分まで行われる「イベント」です。
 「年越しライトアップ」では、上記のように「大晦日」から「元旦」にかけて、開催される「イベント」で、「鹿島神宮」へ「初詣」に訪れる「人々」に喜ばれているそうです。

 「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で開催される「恒例」の「イルミネーションイベント」「KASHIMA光のアートギャラリー2015」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」詳細

 開催期間 12月4日(金)〜2016年1月3日(日)

 点灯時間 17時〜23時 (大晦日のみ夜通し点灯)

 開催会場 JR鹿島神宮駅 駅周辺 鹿島神宮へ向かう坂の両側

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」の「特別イベント」にて、あたたかい「飲み物」の「無料サービス」も行われるそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 10:33 AM |
「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で12月1日(火)〜27日(日)の期間開催されます「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」「1階」「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」「1階」「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要整理券)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。
 「航空科学博物館」「バイプレーン」では、たくさんの「要望」に応え、あの「カレンダー」が戻ってきたそうです。
 「カレンダー」ですが、「世界各地」から「様々」な「航空会社」が乗り入れする「成田国際空港」の「色とりどり」の「航空機」のみならず、「四季折々」の「風景」も、美しい「航空科学博物館」周辺の「情景」の「カレンダー」に仕上がっており、「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」にて販売しているそうです。

 「航空科学博物館」「2階」「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(操縦席に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」「2階」「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」は、2014年(平成26年)3月25日にリニューアルオープンしています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」は、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、「様々」な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白く「スタイリッシュ」な「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」「3階」は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を「離着陸」する「ジャンボ」を「間近」に眺め、「迫力」ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」「4階」は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」「5階」では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を参考に離着陸する「ジャンボ」を見ることができます。
 「航空科学博物館」「屋外」には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」、「様々」な「催し」、「イベント」を行っており、「展示即売会」(「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」・「航空グッズ」の「販売」を行う「航空ジャンク市」等)などを催行しています。

 「MRJ(三菱リージョナルジェット)」(英・Mitsubishi Regional Jet)は、「三菱航空機」を「筆頭」に「開発」・「製造」が進められている「小型旅客機」で、現在の「名称」が決定する2007年(平成19年)2月以前の「構想」・「計画段階」では、「環境適応型高性能小型航空機」などの「名称」で呼ばれていたそうです。

 「MRJ」ですが、「三菱重工業」を「筆頭」に「日本製」の「小型旅客機」として「計画」が開始されました。
 2008年(平成20年)の「全日空」からの「受注」を受け、「三菱航空機」として「事業」を「子会社化」し、2014年(平成26年)には「日本航空」と32機の「導入」について「基本合意」に至り、2015年(平成27年)1月に「正式契約」を締結したそうです。

 2014年(平成26年)10月18日に「ロールアウト」(完成披露式典)、「初飛行」は2015年(平成27年)11月11日に「愛知県営名古屋空港」で行われ、午前9時35分頃離陸し、離陸後は「太平洋上」にある「防衛省」の「訓練空域」で、「航空機」の「基本動作」である「降下」・「上昇」・「旋回」等を行い午前11時2分頃に「同空港」に無事「着陸」、1時間27分に及ぶ「初飛行」を終えたそうです。

 「MRJ」は、「経済産業省」が推進する「事業」のひとつであった「新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)が提案した「環境適応型高性能小型航空機計画」を「ベース」として、「三菱航空機」が独自に進める「日本初」の「ジェット旅客機」です。
 戦後「日本」が独自の「旅客機」を開発するのは「YS-11」以来約40年ぶり、「三菱製」としては戦前の1940年(昭和15年)に開発された「MC-20」(帝国陸軍航空部隊の三菱製一00式輸送機の民間機型)以来約75年ぶりとなるそうで、「機体製造」は「県営名古屋空港」に隣接する「敷地」で行われています。

 「MRJ」は、2014年10月に「ロールアウト」するまでに、400機以上の「受注」を「世界各国」の「航空会社」より獲得しています。
 「海外」での「販促活動」を「不得手」とした「YS-11」の「教訓」を充分に取り入れた事で、「製造会社」である「三菱航空機」は、これからさらなる「成長」が期待される「世界」の「航空機製造業界」において、安定した「成功」を収めているといわれています。
 「日本国内大手」の「日本航空」や、「全日空」が「時期主力リージョナル路線用機材」として発注している他、「アメリカ合衆国」の「リージョナル路線大手」である「スカイウェスト航空」や、「イースタン航空」などからまとまった「規模」での「確定発注」を獲得しているそうです。

 「MRJ」の「外観」は「円筒形」の「機体」に「後退翼」、「主翼下」に「エンジン」を備えた「一般的」な「小型ジェット旅客機」と同じですが、「機首」や「主翼」は「空気抵抗」を考慮した「形状」を採用しているそうです。
 「地上設備」や「車両」との接触、また「地方空港」での「整備性」を考慮し、「胴体」は「アルミ合金製」が採用されました。
 他方、この「クラス」の「機体」では初めて「主翼」・「尾翼」を「炭素系複合材料」とし、「全体」の3割程度を「複合材料」として「軽量化」を図ることが予定されていましたが、後に「主翼」は「アルミ合金製」へ変更されました。
 これは「MRJ」の「主翼」の「曲率」はR800程度と「大型機」のR2000程度に比べて大きく、「強度確保」のためには「積層枚数」の「増加」・「補強材」「追加」の「必要性」が判明し、予定したほどの「軽量化」が望めなくなったためとされています。
 なお、当初予定の「複合材割合」3割でも、5割程度に達する「ボーイング787」や、「エアバスA350XWB」のような「大型機」に比較すると少ないですが、頻繁に離着陸を行う「リージョナルジェット」の「特性」を考慮したものであったそうです。
 (複合材は伸びる力に強いが衝突など押す力には弱いそうです。)

 「燃費」は「機体形状」の「最適化」や「複合材」による「軽量化」によって、従来の「機体」より2割削減し、また、「国際民間航空機関」(ICAO)による「最新」の「環境基準」(チャプター4・CAEP6)を大幅に上回る「性能」で、従来の「機体」より「低騒音」かつ「環境負荷」を低減した「機体」としており、「航続距離」は、「MRJ70/90LR型」共に、「欧州」や「米国」の「全域」をカバーできる「能力」を持つそうです。

 「MRJ」の「機内」は「新しい快適さ」という「コンセプト」のもと、「モダン」で「スタイリッシュ」な「客室空間」を計画しました。
 「前方扉」と「後方扉」を「左右同一」の「ステーション」に配置し、「翼上」の「非常脱出口」を廃したことから、「柔軟」かつ「多様」な「座席レイアウト」を可能としました。
 「キャビン」はほとんどの「米国人男性」が収まる「値」の1.88mを考慮して「高さ」約2mとし、大抵の「欧米人男性」なら屈(カガ)まずに「室内」を移動できるようにしたそうです。
 「通路幅」・「座席幅」は共に46cm、「座敷配列」は「通路」を挟んで「左右」2列ずつの「横」4列で「中央座席」は無く、「乗客」は容易に移動することができます。
 (胴体断面は真円よりやや横に広げることで、居住性を高める計画だったが、真円に近い形状に改められた。)

 「MRJ」の「座席」は「ゾディアック・シート・カリフォルニア」の「シート」を採用しました。
 当初は「マツダ系列企業」の「デルタ工業」と共同開発した「スリムシート」を採用する予定であり、この「シート」は「日本独自」の「三次元立体編物技術」を使用し、従来の「ウレタン製座席」よりも薄くすることで可能であり、「座席」の「前後」の「間隔」に「余裕」を持たせ、従来より「足元」の「空間」を広々とれます。
 また、「体」にかかる「圧力」を分散させ、「通気性」にも優れており、「乗客」はゆったりと「快適」に座れることを「利点」としていました。
 しかし、近年の「海外」の「シートメーカー」が「エコノミークラス向けシート」を「薄型化」していることなどの「要因」から不採用となったそうです。

 「MRJ」の「機体」には、「日本」の「最新技術」が結集しており、「日本」が得意とする「複合材」を始め、「機体」の「設計」には「国内開発」の「スーパーコンピュータ」を使用したそうです。
 また、「航空機開発」は「自動車」以上に「技術」の「裾野」が広く、「MRJ」から「様々」な「産業」への「技術移転」が期待されており、「機体」の「部品数」約95万点のうち3割を「日本企業」が手がけるそうです。

 「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」ですが、「航空科学博物館」で開催される「展示会」で、12月1日(火)から12月27日(日)までの「期間」行われます。
 「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」ですが、半世紀ぶりの「国産旅客機」である「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が初飛行したことを記念し、「小企画展示」「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」となっています。
 「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」の「会場」ですが、「航空科学博物館」「2階」「企画展示室」となっています。

 「航空専門」の「科学博物館」「航空科学博物館」で開催される「小企画展示」「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「MRJ(三菱リージョナルジェット)展」詳細

 開催期間 12月1日(火)〜27日(日)

 開催会場 航空科学博物館2階企画展示室 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時 (入館締め切り 16時半)

 休館日  月曜日 (祝日の場合 翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」「ライブラリー」ですが、「資料整理」のため、12月1日(火)から12月31日(木)までの「間」お休みとなるそうです。

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| 地域情報::成田 | 10:33 AM |
「道の駅多古あじさい館」「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」「リニューアルオープン」(多古町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「多古町」「道の駅多古あじさい館」で12月1日(火)にリニューアルオープンする「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」です。

 「多古町」は、「香取郡」にある「まち」で「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)と「九十九里平野」(2012年7月6日のブログ参照)に挟まれ、「多古町」の「町」の中心部を「九十九里平野」「最大」の「河川」「栗山川」(2012年2月18日のブログ参照)が流れており、「西」は「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に接しています。
 「多古町」に隣接する「自治体」ですが、「匝瑳市」、「香取市」、「成田市」、「山武郡芝山町」、「山武郡横芝光町」と接しています。
 「多古町」は、「北総台地」(下総台地)の「東側」に位置し、「東西」に約14.5km、「南北」11.5km、「面積」は「千葉県内」の「町村」の中で2番目の「広さ」、「面積」は72.68平方km、そのうち「水田」1836ha(ヘクタール)を有し、「多古町」では、「石川県」に次いで全国2番目(明治34年〜43年)に「田んぼ」の「耕地整理」が行われています。
 「多古町」の「地勢」ですが、「北部」及び「東部」は「台地」が広がり、「畑地帯」を囲むように「山林」が「傾斜斜面」となっており、上記のように「多古町」の「中央部」を「南北」に流れる「栗山川」の「流域」は「低地」で「水田地帯」が広がっており、「多古米」(2012年9月16日のブログ参照)の「産地」となっています。
 「多古米」ですが、「多古」が誇る絶品で、「多古産の米」は「良質」で、古くは江戸時代から「その味の良さ」が評判となっており、昭和38年(1963年)には、「天皇陛下の献上米」に選ばれ、昭和46年(1971年)には「札幌」で行われた「全国自主米品評会」において「食味日本一」に輝き、また近年では、平成2年(1990年)に「日本の米作り百選」に選定されています。

 また「多古町」では、昭和38年頃から「大和芋」(2012年9月24日のブログ参照)の「生産」を始め、「種芋の工夫」や、「土の改良」を続け、現在では「作付面積」200ha(ヘクタール)、「生産量」も「年間」約3500t(トン)生産しています。
 「多古町」の「大和芋」は、「千葉県内」「第1位」はもちろんの事、「全国」でも「有数」の「生産量」を誇っています。

 「多古町」の「町の花」ですが、「紫陽花(アジサイ)」で、「町の木」は「山茶花(サザンカ)」です。
 「町の花」「紫陽花」は、「町民」の「公募」により、「町村合併40周年」を記念して制定され、「紫陽花」は、「多古町の名所」のひとつ「あじさい遊歩道」(2012年6月4日のブログ参照)、「ふるさと多古町あじさい祭り」(2012年6月20日のブログ参照)など広く親しまれています。
 (平成6年11月23日制定)

 「町の木」「山茶花」ですが、「多古町」の「大地」を形成する「関東ローム層」、その「土壌」にもっともあった「樹木」が「山茶花」です。
 「山茶花」は、「民家」の「生け垣」などにも広く利用され、「町民」にとても親しまれていることから、「アンケート調査の結果」、「町」を象徴する「木」として選ばれました。
 (昭和50年制定)

 「多古町」の「見どころ」ですが、「四季折々」の「花」が咲く「あじさい遊歩道」や、「町」の「中心部」を流れる「栗山川」、豊かで溢れる緑に囲まれた由緒ある「寺院」、「伝統」を継承し、今も続けられている活気ある「まつり」などがあげられ、「多古町」は、「人々の生活」に「潤い」と、多くの「恵み」を与える、「自然」がいっぱいの「まち」になっています。
 「多古町」の「見どころ」のひとつである「四季折々の花」が咲く「あじさい遊歩道」ですが、「春」には「菜の花」、「初夏」には一万株の「あじさい」の「花」、「秋」には「コスモス」が咲き誇る、素晴らしい「花の観賞スポット」となっています。

 「道の駅多古あじさい館」(2011年12月24日・2010年9月6日のブログ参照)は、「国道296号線」と、「栗山川」が交差する「多古大橋」の「たもと」に位置する「人気」の「道の駅」で、「水平」に伸びる「田園風景」の中にあります。
 「道の駅多古あじさい館」「館内」では、「多古米」をはじめとする「多古町」や周辺で採れる「新鮮・朝採り野菜」や、「地元酪農家」の「牛乳」、「アイスクリーム」を販売しています。

 「道の駅多古あじさい館」の「歩み」ですが、平成8年(1996年)10月に「(仮称)道の駅多古」「基本計画」を策定、平成9年(1997年)2月から4月にかけ、周辺の「環境」と「調和」のとれた「施設づくり」を行うため、「景観検討委員会」を設置、検討。
 平成10年(1998年)3月より「計画用地」「買収完了」、8月に「文化財発掘調査」、平成11年(1999年)1月から3月「計画用地埋め立て工事」、同年7月「(仮称)道の駅多古」「運営委員会」発足、11月に「運営母体」を「第3セクター」での「方向」に決定。
 平成12年(2000年)5月「専門部会」の「設立」(特産加工品部会・農産物部会・コミュニティ部会・第3セクター設立準備委員会)、7月に「会社名」を「株式会社多古」に決定、また「道の駅」の「名称」を「道の駅多古」に決定(愛称は公募により決定)、9月に「株式会社多古」の「設立総会」を実施、12月に「出品者募集説明会」を行ったそうです。(約70名参加)
 平成13年(2001年)「会員募集」「受付」し、112名受付、また「道の駅多古」「愛称選考」し、131作品の「応募」の中から「あじさい館」に決定、同年9月に「あじさい館」をオープン。
 平成15年(2003年)に「売上累計」10億円達成、平成18年(2006年)12月から「冬季イルミネーション」を開始、平成23年(2011年)3月「道の駅多古あじさい館」「開館」から「累計レジ件数」400万人突破、同年9月に「道の駅多古あじさい館」「10周年記念式典」を催行、現在に至っています。

 「道の駅多古あじさい館」の「施設概要」は、「ふれあい市場」、「軽食コーナー」、「展望ラウンジ」、「休憩コーナー」、「休憩情報コーナー」です。
 「ふれあい市場」では、「名産」の「多古米」、「大和芋」をはじめとした「地元農産物」および「加工品」を「販売」しており、「人気コーナー」は、なんと言っても「多古米」で、「白米」はもちろん、「玄米」も販売、「館内」には「精米機」を設置、「お好み」の「つき具合」で持ち帰りできるそうです。
 また「ふれあい市場」には、所狭しと「特産品」である「大和芋」・「サツマイモ」・「トウモロコシ」など「季節」の「農産物」や、「大人気」な「地元産」の「新鮮野菜」、「果物」が「豊富」に「ラインナップ」され、その他「手作り味噌」・「漬物」などの「加工品」、「牛乳」、また「多古米」を使った「おにぎり」や、おいしい「弁当」各種、「太巻き」、「おこわ」、「総菜」、「米粉パン」、「地元人気パン」や、「調理パン」、「サンドイッチ」、「郷土」の「銘菓」、「千葉特産品」、「多古米」(多古米使用)の「地酒」、「地元の人」の「作品」や、「工芸品」、「地元」の「花束」など販売しています。
 「軽食コーナー」ですが、「コーヒー」や、「ソフトクリーム」、「地元酪農家」の「良質」な「牛乳」を使った「アイスクリーム」や、「道の駅多古あじさい館」「限定」の「牛乳」などを販売しています。
 「アイスクリーム」ですが、「バニラ」・「抹茶」・「チョコ」・「チョコチップ」など「定番の味」や、「コク」がタップリの「ミルクアイス」、その他、「季節のアイス」や、「胡麻」、「紫芋アイス」などがあるそうです。
 「展望ラウンジ」(ラウンジ・展望テラス)ですが、「栗山川」沿いに広がる「多古町」の「田園風景」を見ながら、「おふくろの味」が楽しめる「ラウンジ」です。
 「展望ラウンジ」では、「多古町」の「新鮮な食材」を使い「おふくろの味」を提供しており、「メニュー」は、「丼もの」、「うどん」、「カレーライス」など「定番メニュー」など色々で、「人気メニュー」は「多古米」をにぎった「おにぎり定食」や、「多古特産」「大和芋」の「すりおろし」をかけた「とろろ丼」で、「手作り」の「おふくろの味」、「多古町」の「郷土の味」を、「栗山川」の美しい「風景」を眺めながら召し上がれます。
 また「展望ラウンジ」では、「館内」で買った「おにぎり」や、「各種お弁当」も、食事できるそうです。
 「休憩コーナー」ですが、「栗山川」を見渡せる「イス・テーブル」がある「スペース」で、「休憩情報コーナー」ですが、「地域情報紙」(フリーペーパー)や、「近隣」の「旅館・ホテル」の「パンフレット」や、「近隣」の「おすすめ人気スポット」の「チラシ」等、「地域情報」が得られる「情報コーナー」となっています。
 なお「道の駅多古あじさい館」「駐車場」は、24時間利用可となっており、「トイレ」、「自動販売機コーナー」も24時間利用可能となっています。

 「オープン」してから今年(2015年)で14年になる「道の駅多古あじさい館」では、12月1日(火)に一部「リニューアルオープン」することとなったそうです。
 「リニューアルオープン」に向けた「工事」に伴い、「道の駅多古あじさい館」「カフェ」と、「レストラン」が下記の「期間」お休みとなっていました。

  9月14日〜11月30日 1階カフェあじさい

  10月1日〜11月30日 2階レストラン

 今回の「リニューアル」によって、「道の駅多古あじさい館」「2階」にある「レストラン」が「1階」に移動し、「1階」の「カフェ」と合体して「レストラン&カフェ」に生まれ変わるそうです。
 また、それに伴い「1階」にあった「休憩スペース」は「見晴らし」のいい「2階」へ移動し、「2階」に移動した「休憩スペース」には、「情報コーナー」も移動するそうで、その他、「施設」の「外」には「たくさん」の「人」が「休憩」できるように、「ウッドデッキ」もできるそうです。

 「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」ですが、「献上米」として「有名」な「多古米」や、「多古町」の「特産品」「ヤマトイモ」、「ブランド豚」「元気豚」など、「多古町」の「特産品」をはじめ、「季節」の「野菜」を使った「メニュー」や、「新鮮」な「素材」を使用した「充実」した「メニュー」が「各種」そろい、「様々」な「ニーズ」に対応、また、「ドリンク」や、「デザート類」も用意され、ちょっとした「休憩」にも利用できる「施設」となっているそうです。
 「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」では、「入口」にある「食券機」で「メニュー」を選ぶと「店員さん」が「席」に「案内」してくれるそうです。
 また「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」の「道の駅多古あじさい館」「駐車場」側と、「栗山川」に面する「スペース」に、おしゃれな「テラス」が完成したそうです。

 「開業」から14年目を迎え、今回初めて「本格的」な「改修」が行われ、新たな「姿」となってオープンする「施設」に伴い、「道の駅多古あじさい館」「店長」と、「新施設」「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」「チーフ」から下記の「コメント」が出されています。

 道の駅多古あじさい館 田中店長

 1階は「キッチンTAKO」として、ちょっとモダンで少しカジュアルな雰囲気のレストラン&カフェに変わりました。
 多古米や大和芋など多古町産品を使ったメニューなどが新登場です。
 また発券機で食券を買っていただくシステムに変わりました。
 皆さんの交流の場、休憩・情報コーナーは2階になりました。
 また「店長ヒトコトコメント」として

 晴れた日はテラス席がオススメです。
 座席数も増えました。

 とコメントされています。

 カフェ&レストランキッチンTAKO 佐久間チーフ

 コンセプトは多古地産地消。
 米を中心として季節のものを使ったメニューを提供していき、飽きさせない「キッチンTAKO」を作っていきたいと思います。
 徐々にメニューを変更していきますのでお楽しみに!
 ちまたで人気の体に優しい野菜のスムージーもありますよ。

 「風光明媚」な「栗山川」沿いに立つ「人気」の「道の駅」「道の駅多古あじさい館」で「リニューアルオープン」する「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」。
 この機会に「多古町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「道の駅多古あじさい館」「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」「リニューアルオープン」詳細

 開館日時 12月1日(火) 10時〜

 営業時間 (キッチンTAKO)10時〜17時(ランチは15時頃まで、夏季は変更あり)

 「道の駅多古あじさい館」詳細

 所在地  香取郡多古町多古1069-1

 営業時間 9時〜18時(4月1日〜8月31日は9時〜19時)

 問合わせ 道の駅多古あじさい館 0479-79-3456

 備考
 「道の駅多古あじさい館」では、12月1日(火)から3日(木)の「期間」「出品者協議会」による「おもてなしイベント」が開催されるそうです。
 また「レストラン&カフェ」「キッチンTAKO」では、「オープン」より1週間、「お食事」した「方」に限り、「コーヒー」か、「紅茶」を「サービス」するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2742 |
| 地域情報::成田 | 01:54 PM |
「賀詞祭(ガシサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で12月1日(火)に開催されます「賀詞祭(ガシサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)ですが、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「名社」「神社」で、「下総国一宮」です。
 「香取神宮」の「御祭神」ですが、「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」(またの名を、伊波比主命(イワイヌシノミコト))を祀っています。
 「経津主大神」は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(テンソウコウリン)」に先だち、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(鹿島神宮御祭神)とともに「出雲国(イズモコク)」(現在の島根県)に降(クダ)り、「大国主神(オオクニヌシノカミ)」と、「国譲り」を交渉されたと「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」「即位」ののち、現在の地に奉斎されたと伝承されています。
 本来、「武神」としての「大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたとみられています。
 「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(チョウ)」に「神封」70戸とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(スミヨシ)社」・「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(シンゼイ)」の「稲」5855把余をもって、当時すでに「正一位勲一等」とされていた「本社」の「雑舎料」にあてられ、以後20年ごとの「例」とされました。
 「延喜(エンギ)の制」で「名神(ミョウジン)大社」となり、「祈年(キネン)」・「月次(ツキナミ)」・「新嘗(ニイナメ)」の「奉幣」を受けているそうです。
 また、毎年2月と、6月に「藤原氏」1人を「派遣」、「祭儀」を行わせ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。

 古くより「中臣(ナカトミ)氏」、「藤原氏」が「崇敬」奉仕しましたが、中世となり、「源頼朝(ミナモトノヨリトモ)」が「崇敬」して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も「崇敬」寄進し、近世に入って「徳川家康」が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉(トクガワツナヨシ)」が「現・本殿」、「楼門」、「神楽殿(カグラデン)」などを造営したそうです。
 「関東」、「東北地方」に「本社」「勧請(カンジョウ)」の「社」が多いのは、「庶民」の「信仰」の「表れ」とみられます。
 「香取神宮」は、明治の制で「官幣大社」となり、「例祭」4月14日、翌15日に「旧8か町村」の「氏子」が出ての「神幸祭」(2015年4月11日・2013年4月9日・2012年4月13日・2011年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(ウマドシ)」ごとの「式年大祭」の「神幸」は「盛大」で、「甲冑姿(カッチュウスガタ)」の「氏子」数千人が供奉(グブ)し、「神輿(ミコシ)」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
 ほかにも4月「第1週」の「土・日曜日」の「御田植祭(オタウエサイ)」(2015年4月3日・2014年4月6日・2013年4月4日・2012年4月6日のブログ参照)には、「一般」に「かとりまち」と呼ばれる「儀」があり、「土曜日」に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、「日曜日」に「田植式」が、多くの「早乙女(サオトメ)」たちの「手」で行われます。
 「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(タイキョウサイ)」(2014年11月26日・2013年11月26日・2012年11月24日・2011年11月28日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(ガシサイ)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽」など、ほかにも「特殊神事」が多いそうです。
 「香取神宮」には、「社蔵」の「国宝」「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」、「古瀬戸黄釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」「一対」(国指定重要文化財)、久安(キュウアン)5年(1149年)「在銘」の「双竜文鏡」(双竜鏡)は、「国指定重要文化財」に指定されています。

 「香取神宮」「鳥居」から「香取神宮」「参道」「脇」は、「サクラ」、「イチョウ」、「ヒマラヤヒダ」、「イロハモミジ」、「スギ」などがみられ、「香取神宮」「社殿」周辺は、「スギ」、「イヌマキ」、「モミ」、「ケヤキ」、「スダジイ」、「カラカシ」、「シロダモ」などがあり、「スギ」の「老齢林」として「県下」でも「有数」です。
 「香取神宮」「社叢(シャソウ)」は、「香取神宮の森」として昭和49年(1974年)に「千葉県」「指定」の「天然記念物」に指定されています。
 「香取神宮」「手水舎」「脇」には、「木母杉」の「跡」があります。
 「木母杉」ですが、「徳川光圀」公が貞享元年(1684年)に「香取神宮」「参宮」の「折」に、「母なるスギ」として命名された「大木」で、現在は「枯損」して「実生」の「スダジイ」が「跡」に生育しているそうです。
 (貞享元年、水戸光圀公参宮の折、四丈五尺の老木であるのを見て此の宮地の多数の母であろうと木母杉と名付けたとの伝承あり)
 「香取神宮」「社殿」前には、明治44年(1911年)後の「大正天皇」「御手植え」の「クロマツ」があるそうで、「香取神宮」「社殿」周りですが、「スギ」が「大半」で、その「脇」に「御神木」の「スギ」があるそうです。
 「御神木」の「スギ」の「樹齢」ですが、1000余年とされ、「目通り」ですが、7.4mとなっています。
 また、「香取神宮」「社殿」「脇」には、「三本杉」があります。
 「三本杉」ですが、「源頼義」「参拝」の「折」に、

 「天下太平、社頭繁栄、子孫長久の三つの願いが成就せば此の杉三岐に別れよ」

 と祈願したところ、一つの「株」の「スギ」が三つに分かれたという「伝承」があるようです。
 (三本杉、御冷泉天皇御宇源頼義公が参拝し「天下太平社頭御栄子孫長久の三つの願成就せば杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ一株の杉が三枝に別れた。以来これを三本杉と云うとの伝承あり)

 「香取神宮」「参道」から「奥宮」に向かう「小道」の「途中」に「要石(カナメイシ)」があり、その「脇」の「社叢」に「タケ」が侵入しているそうです。
 「要石」付近には、「タブノキ」、「スダジイ」、「スギ」、「ケヤキ」などが見られ、「奥宮」ですが、「御祭神」の「荒魂」を祀る「お社」で、「奥宮」周辺には「サカキ」、「スギ」が見られるそうです。
 「要石」ですが、「鹿島神宮」のものと同じく、「地震」を起こす「大ナマズ」の「頭」を抑えている「大部分」に「地中」に埋まった「霊石」で、「要石」は「地上」に見えている「部分」はほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「要石」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいるそうです。
 ちなみに「鹿島神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「頭」、「香取神宮」の「要石」が「大ナマズ」の「尾」を抑えているといわれ、2つの「要石」は「地中」で繋がっているとの「伝承」もあります。
 「香取神宮」の「要石」ですが、「香取神宮」「総門」の「手前」にあり、「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた、「鹿島神宮の森」の中の小さな「祠(ホコラ)」にあります。
 「要石」に纏(マツ)わる「逸話」として、古くは

 「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

 と詠(ウタ)われており、江戸時代には、この「歌」を「紙」に書いて、3回唱えて、「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるといわれたそうです。
 また、「古墳」の「発掘」なども指揮した「徳川光圀」公は、1664年(寛文4年)、「要石」(どちらの「要石」かは「資料」により一定せず)の周りを掘らせたそうですが、「日」が沈んで中断すると、「朝」までの「間」に埋まってしまい、そのようなことが2日続いた後、次は「昼夜兼行」で7日7晩掘り続けたそうですが、「要石」の「底」には達しなかったそうです。

 「香取神宮の森」ですが、「標高」30m〜40m、「香取神宮」「参道」から見ると「亀」に似ており、「亀甲山(キッコウサン・カメガセヤマ)」と呼ばれています。
 「千葉県」「西北」、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「上流」の「野田市」には、「キッコーマン」の「本社」がありますが、「キッコーマン」は、「漢字」で「亀甲萬」と書くそうで、「キッコーマン」の「社名」は、「香取神宮」の「山号」に由来するそうです。
 「香取神宮の森」の「詳細」は、下記の通りです。

 千葉県指定天然記念物

 香取神宮の森

 昭和49年(1974年)3月19日指定

 この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り3mを超えるスギをはじめ、イヌマキ、モミなどの巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。
 また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
 この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シラカシ・シロタモなどの常緑広葉樹が多くみられる。
 草木層にはアスカイノデ・フマトシダ・イワガネソウ・ベニシダなどのシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウランなどの草木類が数多く自生している。
 スギの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。

 昭和60年(1985年)2月1日

 千葉県教育委員会

 「賀詞祭(ガシサイ)」ですが、「大饗祭(タイキョウサイ)」が滞(トドコオ)りなく催行されたことを「言」祝ぐ「祭事」で、「香取神宮」「神前」に「蓬莱台(ホウライダイ)」が設けられるそうです。
 「蓬莱台」ですが、「蓬莱山(ホウライザン)」(中国、古代における想像上の神山で、三神山(蓬莱、方丈、瀛(エイ)州)のひとつ)をかたどって作った「山形」の「台」です。
 「蓬莱台」では、その上に、「松竹梅(ショウチクバイ)」・「鶴亀」・「翁(オキナ)」と「嫗(オウナ)」などを取り合わせて飾り、「祝儀」に用いるものです。
 「蓬莱台」には、「鮒(フナ)」や、「柚子(ユズ)」が供えられているそうです。
 「祭事」(賀詞祭)には、古くは「雁(カリ)」と、「鯉(コイ)」が供えられていたことから、「雁鯉祭り」ともいわれているそうです。
 現在、「賀詞祭」では、「鴨」をお供えするそうですが、「腹」を上に向けて「うたた寝」をした「姿」で供えられるそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「師走(シワス)」の「祭事」「賀詞祭(ガシサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「賀詞祭(ガシサイ)」詳細

 開催日時 12月1日(火) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3214

 備考
 「香取神宮」では、「師走(シワス)」(12月)の「初旬」に3つの「祭典」「賀詞祭(ガシサイ)」、「内陣神楽(ナイジンカグラ)」、「団碁祭(ダンキサイ)」が執り行われており、3つの「祭典」をまとめて「暮三祭(クレサンサイ)」と呼んでいるそうです。

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| 地域情報::香取 | 11:58 AM |
「大饗祭(タイキョウサイ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で11月30日(月)に開催されます「大饗祭(タイキョウサイ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「神社」です。
 「香取神宮」は、神代に「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」・「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」が「芦原中津国」を平定、その「子孫」が「香取」・「鹿島」の「両地」に「拠」を構えて、「香取神宮」・「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を其々「創建」したといわれています。
 「香取神宮」は、弘仁3年(812年)に再建、元慶6年(882年)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も「千葉氏」や、「豊島氏」が「宣旨」を受けて再造されてきたといわれています。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」として「延喜式神名帳」には「名神大社」として記載されている他、明治4年には「官幣大社」に列格、昭和17年(1942年)には「勅祭社」に治定されました。

 「稿本千葉県誌」による「香取神宮」の「由緒」は、下記の通りです。

 官幣大社 香取神宮

 香取郡香取町大字香取字亀甲山にあり、境内九千七百六十八坪、祭神は経津主命を主神とし、武甕槌命・天児屋根命・姫大神を合祀す。
 社傳を按ずるに神代草創の世に当りて経津主命・武甕槌命の二神芦原中津国を平定し、香取鹿島の両地に子孫を留めて東国の鎮とし給ふ。
 神武天皇起源十八年始めて宮柱を此の地に建て、璽来歴朝国土経営の功勤を重じ、特に尊崇を厚くし祭典の礼を厳にしたまへり。
 舒明天皇三年始めて圭田を奉じ神礼を行ひ、皇極天皇二年三月水災に因りて勅使を遣し馬・錦・鋤・鍬を進められ、文武天皇の朝に本朝鎮守棟梁の号を賜ひ、勅して社殿を造営せしめらる。
 弘仁三年六月令して本宮及び住吉・鹿島の三神の神社に於ては二十年毎に正殿を改造すべき例を定め、承和三年五月正二位、同六年十月従一位、嘉祥三年正一位に叙せらる。
 元慶六年十二月九日、勅して本州の除税五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て、延喜の時名神大社に列し、社殿造営及び祭祀用途の例を定めらる。
 璽来屡奉幣使あり、当時の神領方七里に亘れりと云ふ。
 養和元年十月源頼朝下福田郷を寄附し、建久八年社殿を造営し千葉常胤をして其の事を替せしむ。
 是より千葉・葛西・豊島の諸氏造営奉行たり。
 文永八年二月亀山天皇正一位勲一等の勅領を賜ひ、正平七年足利尊氏戸頭領を寄附し、文中元年十一月常陸及び本州諸要津の海夫並に戸ヶ崎・大堺・行徳等の関務を知行することを嘱す。
 宝徳丹念十一月足利義政書を下して本宮神領守護役臨時の課役等を除く、天正十八年豊臣秀吉、浅井長政、木村重茲をして制札を建てしめ郡卒の侵掠を禁ず。
 同十九年徳川家康香取郷の地千石を寄附して神領となし、後世をして違ふこと勿らしむ。
 元禄十一年徳川綱吉造営の工を起し、社殿以下悉く新造す、今存するもの是なり、此の時鳩鴿二千羽を社頭に放つ。
 嘉永六年十一月綸旨あり、白銀及び寄附せらる。
 明治元年十二月九日勅使下向、関東及び奥羽鎮定の報寳式あり、同三年宣命使坊城俊政大奉幣式を執行し、同四年十一月十五日大嘗会あり、是の歳官幣大社に列せらる。
 明治三十七年二月十六日露国に対する宣戦の奉告祭を執行し、同三十八年十二月七日日露平和克復の奉告祭あり。
 同四十四年五月今上陛下東宮に在はせしとき、親しく参拝あらせられ、大正二年十一月八日皇太子裕仁親王並に皇子雍仁親王・宣仁親王の三殿下参拝あらせられたり。
 大正三年独逸に対する宣戦の奉告祭あり。
 同四年十一月御即位大礼奉告祭を執行せらる。
 社殿を分ちて正殿・拝殿・神楽殿・神饌所・楼門等とす、大華表三あり、第二・第三は社前数歩の間な在り、第一華表は北方十八町を隔てて津宮村利根川の畔にあり、里人濱の華表と称す。
 境内喬木蓊鬱として其の間に数十宇の摂社・末社相連り、規模荘厳なること詣拝者として粛然畏敬の念を起さしむ。
 本宮は本邦著名の大社にして、古文書の多きこと天下に冠絶すと云ふ。
 神寳も亦多く就中海獣葡萄鑑(直径九尺五分)は明治三十七年二月国寳に指定せらる。
 本宮に属する摂社・末社は三十一座にして之を區別すれば左の如し。

 一、側高神社、本郡奮大倉村に在り
 一、辺田神社、本郡奮辺田に在り
 一、大戸神社、本郡奮大戸村に在り
 一、奥宮神社、本郡香取町に在り
 一、忍男神社、本郡津宮村に在り
 一、臚男神社、同上
 一、鹿島神社、神宮境内に在り
 一、匝瑳神社、同上
 一、又見神社、本郡香取町に在り

 以上九社を摂社とす。
 一、天降・諏訪・花園・六所・(雨に霊)・竃・馬場殿・桜大刀自市の八座を境内に末社とし、其の余の十四座を境外末社とす。
 祭典中、例祭・祈年祭・新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進役として奉幣せしめらる。
 其の他歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭の中祭、軍神祭・大饗祭・白馬祭・射礼式・春季祭・御田植祭・流鏑馬式・秋季祭・賀詞祭・内陳御神祭・団喜祭等の小祭あり。
 軍神祭は十二年毎に一回執行する盛典にして神輿津宮鳥居河岸より御船に乗じ、香取浦に神幸し佐原町を経て還宮す。
 供奉の人々武装を為し頗る古代の風を存す、傳へて神功皇后の征韓の役に擬するものなりと云ふ。
 (「稿本千葉県誌」より)

 「香取神宮」の「創建」ですが、神武天皇の御代18年と伝えられ、「御祭神」は「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。
 「香取神宮」は、「下総国一宮」で、明治以前に「神宮」の「称号」を与えられていたのは「伊勢」、「香取」、「鹿島」のみという「わが国」「屈指」の「名社」です。
 「香取神宮」の「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「造り」となっています。
 また、「香取神宮」「宝物」の中には、「国宝」の「海獣葡萄鏡(カイジュウブドウキョウ)」や、「重要文化財」の「古瀬戸横涌釉狛犬(コセトオウユウコマイヌ)」、「双竜鏡(ソウリュウキョウ)」などがあり、「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「香取神宮」「本殿」ですが、元禄13年(1700年)「徳川5代将軍綱吉」が造営した「建造物」で、「重要文化財」に指定されています。
 「香取神宮」「楼門」ですが、「目」にもあざやかな「朱塗」の「楼門」で、元禄13年(1700年)、「本殿」と共に建造された「建造物」で、「掲額」は「東郷平八郎」氏の「筆」だそうです。
 「香取神宮」「楼門」も、「重要文化財」に指定されています。
 「黄門桜」ですが、「香取神宮」「楼門」前にあり、「水戸藩主」「徳川光圀」の「手植え」と伝えられています。
 「御神木」ですが、「香取神宮」「社殿」の「南面」にあり、「樹齢」約1000年と言われる「周囲」約10mの「巨杉」となっています。
 「桜の馬場」ですが、「ソメイヨシノ」、「オオシマザクラ」などが数百本植えられており、「桜の名所」として、「開花時」には「花見客」で「賑わい」をみせます。
 「宝物館」ですが、「国宝」・「重文」を始め、多くの新宝類が「所蔵」・「展示」されています。
 「香取神宮」「境内」ですが、「香取の森」と呼ばれ、12万3千平方mに及ぶ「広大」な「境内」には「老杉」がうっそうと茂り、「別名」「亀甲山(キッコウザン・カメガセヤマ)」といわれています。
 「香取神宮」「境内」「香取の森」ですが、「県指定天然記念物」に指定されています。

 「大饗祭」は、「香取神宮」「御神前」にて「新穀」を献じて、「五穀豊穣(ゴコクホウジョウ)」を感謝する「大祭」です。
 「大饗祭」は、「香取神宮」の「御祭神」である「経津主大神」が「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神」と共に「国土の平定」をした際、「功績」のあった「神々」の「労」を労(ネギラ)って「宴」を開いたという「故事」により斎行されるそうです。
 「大饗祭」では、「お茶」や、「お花」の「奉納行事」や、「巫女(ミコ)」による「悠久の舞」が奉納されます。
 「大饗祭」は「香取神宮」「独特」のもので、「香取神宮」「御神前」に供する「神饌(シンセン)」が大変珍しいといわれており、多くの「研究家」や、「カメラマン」が「取材」・「見学」に訪れることで知られています。

 「香取神宮」「大饗祭」は、「旧暦」の10月、「神無月」の「最終日」に、「出雲の国」での「会合」を終えた「東国三十三国」の「神々」が、「留守」を守っていた「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神」のもとへ「報告」に立ち寄るそうです。
 (「大饗祭」には、「諸説」あり、「神無月」に「出雲大社」で「神様」の「総会」があり帰ってきた「神様」の「長旅」を「ごちそう」で「おもてなし」をすることからはじまったともいわれています。)
 「香取神宮」では「神々」を迎えるための「神饌」(食饌)とよばれる「特別」な「食べ物」が、「神官たち」の「手」によって「準備」されます。
 あらぶる「神々」のために用意される「ご馳走」(神饌)ですが、「鴨羽盛」(雌雄2羽の鴨が羽ばたくような姿で供されます)、「鳥羽盛」、「盃」、「箸」、「海菜」、「餅」、「柚子」、「鮒」、「腹子」、「鱠(ナマス)」、「干魚」、「撰切」、「塩水」、「巻行器(マキホカイ)」、「酒」など38台あり、「巻行器」は「巨大」な「おにぎり」のようなものなのだそうで、「高さ」は1mはあろうかというものなのだそうです。
 「大饗祭」の「豪快」な「料理」の「数々」はあつまる「神々」の「豪快さ」を物語っているように見えます。

 「晩秋」、「初冬」に行われる「大饗祭」は、上記のように「東国三十三国の神々」を招いての「饗応の祭り」で、「香取神宮」ならではの「特殊神饌」が用意されます。
 「大饗祭」では、「水郷特産」の「真薦(マコモ)」で組んだ「巻行器」と呼ぶ「工夫」を凝らした「独特」の「容器」に「飯」を盛ります。
 また「水郷」に群れる「鴨」を捕らえ、「雌雄一対」の「鴨」をさばき、「内蔵」を取り出し、再び「羽根」を広げたように三方に飾りあげた「羽盛」、「鴨の内蔵」や、「鮭」、「フカの切り身」を組み合わせ、三方の上に盛りつけた「鮭」の「鳥羽盛」などが、「香取神宮」「神饌殿」で準備されます。

 「大饗祭」では、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「水運」で栄えた「詩情」豊かな「佐原の町並み」が「夕暮れ」に沈む頃、「徳川綱吉」公が1700年(元禄13年)に再建した「香取神宮」「本殿」前「参道」に「篝火(カガリビ)」が焚かれ、「香取神宮」「参道」は「荘厳(ソウゴン)」な「雰囲気」になるそうです。
 その後、「大饗祭」では、「笛」、「太鼓」の「楽」が始まり、「神官たち」が「香取神宮」「参道」に用意された「所定の位置」につき、「神饌」が「神官たち」の「手」から「手」へと受け渡され、「香取神宮」「神饌殿」から「香取神宮」「拝殿」の「祭壇」に飾られます。
 そして「祭衣」を着た「子どもたち」が「楽の音」に誘われるように「優雅」に「大和舞」を踊り、「厳粛」にして「素朴」な「神事」が終わると、「巻行器」の「飯」は「無病息災(ムビョウソクサイ)」を祈る「参拝者」に下げられるそうです。

 「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で執り行われる「幻想的」で「香取神宮」ならではの「神事」「大饗祭(タイキョウサイ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大饗祭(タイキョウサイ)」詳細

 開催日時 11月30日(月) 18時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697-1

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」で執り行われる「神事」「大饗祭」の「起源」ですが、はっきりとわからないそうですが、「古文書」によると、至徳4年(1387年)2月、応永10年(1403年)正月に執行した「記録」があるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2741 |
| 地域情報::香取 | 10:06 AM |
「第12回黒潮よさこい祭り」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子市役所」、「マイロード」、「シンボルロード」、「銚子銀座通り」(ココロード銚子)、「飯沼観音」、「河岸公園」で11月29日(日)に開催されます「第12回黒潮よさこい祭り」です。

 「黒潮よさこい祭り」(2014年11月29日・2013年10月12日・2012年10月1日・2011年10月5日のブログ参照)は、2004年(平成16年)10月10日に、「(社)銚子青年会議所」(現・(一社)銚子青年会議所)が「主体」となり「黒潮よさこい祭り実行委員会」を結成、お祭り当日は「参加団体」22チーム、「踊り手総数」約1000人集まり、盛大に開催されました。
 「黒潮よさこい祭り実行委員会」は、当時から「郷土」に「観客」と、「踊り手」を繋げる「お祭り」を目指し、「市民参加型のお祭り」という「想い」(縦軸)を貫いて、現在に至っています。
 「黒潮よさこい祭り」が開催されるまでは、「銚子市」では「よさこい」を踊る「文化」はほとんどありませんでしたが、「よさこい祭り」が毎年開催されるようになった現在、「銚子市内」の「幼稚園」、「保育園」、「小学校」、「中学校」等の「学校」で、「よさこい」を踊るようになっていったそうです。

 「第12回黒潮よさこい祭り」ですが、「漸新(ザンシン)」(造語)を「テーマ」に11月29日(日)に、「銚子市役所」(演舞ステージ)、「シンボルロード」(パレード演舞会場)、「銚子銀座通り」(ココロード銚子)(パレード演舞会場A、B)、「河岸公園」(演舞ステージ)、「銚子セレクト会場」、「飯沼観音」(演舞ステージ)を「会場」に開催されます。
 「第12回黒潮よさこい祭り」は、前回に引き続き、11月開催となっており、「県内外」から「よさこいチーム」約50チーム、約1500人の「踊り子」の「皆さん」が参加し、「各会場」にて「勇壮華麗」な「よさこい演舞」を披露するそうです。
 「第12回黒潮よさこい祭り」「参加チーム」は、下記の通りです。

 Aブロック (一般枠)

 新芸組 遊駆人 (栃木県)

 雅華組 (茨城県)

 (力×3・漢字)〜チカラノカギリ〜 (千葉県)

 TOKYO PHANTOM ORCHESTRA (東京都)

 FORZA 木更津 (千葉県)

 なるたか (東京都)

 CHIよREN 北天魁 (千葉県)

 ダンスパフォーマンス集団 迫 -HAKU- (東京都)

 常陸國大子連 (茨城県)

 勢や (栃木県)

 REDA舞神楽 (千葉県)

 Bブロック (一般枠)

 いばらき熊連 (茨城県)

 鴉 (千葉県)

 飛翠迅 (千葉県)

 おみが和よさこい会“和気藹藹” (千葉県)

 黒潮美遊潮っ子組 (千葉県)

 遊元 (茨城県)

 黒潮美遊 (千葉県)

 YOSAKOI舞ちはら (千葉県)

 水戸藩YOSAKOI連 (茨城県)

 チーム☆利え蔵 (千葉県)

 維新〜心ひとつ〜 (千葉県)

 U30ブロックA

 櫻゛ (千葉県)

 南総みよし烈華隊 (千葉県)

 REDA舞神楽ジュニア (千葉県)

 四街道 舞謳歌 (千葉県)

 飛翔舞神 (茨城県)

 さかど華吹雪 (茨城県)

 風魅彩 (千葉県)

 颯流 (茨城県)

 楽天舞 (千葉県)

 翠天翔 (千葉県)

 U30ブロックB

 いわて奥州「結」 (岩手県)

 紫音-SION (千葉県)

 Ryuki'04 (千葉県)

 輝翔連 (千葉県)

 茨城YOSAKOI小柳組 (茨城県)

 ソーランしらおか (東京都)

 さぬき舞人 (香川県)

 悠久絆連 (千葉県)

 九十九里浜「萩組いぶき」 (千葉県)

 白里・浜っ子 (千葉県)

 審査対象外チーム

 NPO法人 かしまスポーツクラブ一丸天舞 (茨城県)

 よさこい飛翔 (茨城県)

 浜っ娘連 (千葉県)

 よさこい旋隊 龍連者゛ (千葉県)

 蔵っこ (栃木県)

 輝貌TEAM-YOSAKOI (千葉県)

 ACT (千葉県)

 千葉長友連 (千葉県)

 「第12回黒潮よさこい祭り」「銚子市役所会場」「演舞ステージ」「スケジュール」は、下記の通りです。

 銚子市役所(演舞ステージ)(特設ステージ)

 10時00分〜 開会式

 10時30分〜 浜っ娘連、ACT、TOKYO PHANTOM ORCHESTRA、FORZA 木更津、なるたか

 11時00分〜 CHIよREN北天魁、ダンスパフォーマンス集団 迫-HAKU-、常陸國大子連、遊元

 11時30分〜 YOSAKOI舞ちはら、水戸藩YOSAKOI連、チーム☆利え蔵、維新〜心ひとつ〜、輝貌TEAM-YOSAKOI

 12時00分〜 ひびき連合会

 12時30分〜 新芸組 遊駆人、雅華組、(力×3)〜チカラノカギリ〜、NPO法人かしまスポーツクラブ一丸天舞、いばらき熊連

 13時00分〜 鴉、飛翠迅、おみが和よさこい会“和気藹藹”、さかど華吹雪

 13時30分〜 風魅彩、勢や、REDA舞神楽、千葉 長友連、よさこい旋隊 龍連者゛

 14時00分〜 よさこい飛翔、櫻゛、ソーランしらおか、南総みよし烈華隊

 14時30分〜 REDA舞神楽ジュニア、四街道・舞謳歌、飛翔舞神、颯流

 15時00分〜 楽天舞、翠天翔、蔵っこ、黒潮美遊、いわて奥州「結」

 15時30分〜 紫音-SION、Ryuki's04、輝翔連、茨城YOSAKOI小柳組

 16時00分〜 黒潮美遊・潮っ子組、さぬき舞人、悠久絆連、九十九里浜「萩組いぶき」、白里・浜っ子

 16時30分〜 ファイナル発表

 16時36分〜 ファイナル審査10チーム

 17時42分〜 新曲乱舞講習会

 18時06分〜 表彰式 閉会式 総乱舞

 シンボルロード(パレード演舞会場)(ストリート)

 11時00分〜 新芸組 遊駆人、雅華組、(力×3)〜チカラノカギリ〜、TOKYO PHANTOM ORCHESTRA、FORZA 木更津

 11時30分〜 なるたか、CHIよREN北天魁、ダンスパフォーマンス集団 迫-HAKU-、常陸國大子連、勢や

 12時00分〜 REDA舞神楽、浜っ娘連、いばらき熊連、鴉

 12時30分〜 飛翠迅、おみが和よさこい会“和気藹藹”、黒潮美遊・潮っ子組、遊元、黒潮美遊

 13時00分〜 YOSAKOI舞ちはら、水戸藩YOSAKOI連、チーム☆利え蔵、維新〜心ひとつ〜、よさこい飛翔

 13時36分〜 櫻゛、南総みよし烈華隊、REDA舞神楽ジュニア、四街道・舞謳歌

 14時00分〜 飛翔舞神、さかど華吹雪、風魅彩、颯流、楽天舞

 14時30分〜 翠天翔、蔵っこ、いわて奥州「結」、紫音-SION

 15時00分〜 Ryuki'04、輝翔連、茨城YOSAKOI小柳組、ソーランしらおか、さぬき舞人

 15時30分〜 悠久絆連、九十九里浜「萩組いぶき」、白里・浜っ子、千葉 長友連、よさこい旋隊 龍連者゛

 16時00分〜 龍連者゛オツカレサマ フラフパレード

 河岸公園(利根川会場)(演舞ステージ)(Gレベルステージ)

 11時00分〜 ACT、黒潮美遊・潮っ子組、悠久絆連、ソーランしらおか、九十九里浜「萩組いぶき」

 11時30分〜 白里・浜っ子、新芸組 遊駆人、雅華組、さぬき舞人

 12時00分〜 遊元、黒潮美遊、YOSAKOI舞ちはら、水戸藩YOSAKOI連、チーム☆利え蔵

 12時30分〜 維新〜心ひとつ〜、勢や、REDA舞神楽、CHIよREN北天魁

 13時00分〜 ダンスパフォーマンス集団 迫-HAKU-、常陸國大子連、輝貌TEAM-YOSAKOI、いわて奥州「結」

 13時30分〜 紫音-SION、Ryuki'04、いばらき熊連、鴉、飛翠迅

 14時00分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”、輝翔連、TOKYO PHANTOM ORCHESTRA、FORZA 木更津

 14時30分〜 なるたか、さかど華吹雪、風魅彩、千葉 長友連、よさこい旋隊 龍連者゛

 15時06分〜 南総みよし烈華隊、REDA舞神楽ジュニア、四街道・舞謳歌、飛翔舞神

 15時30分〜 よさこい飛翔、NPO法人かしまスポーツクラブ一丸天舞、翠天翔、(力×3)〜チカラノカギリ〜、乱舞

 銚子セレクト会場(Gレベルステージ)

 11時30分〜 浜っ娘連、ACT、茨城YOSAKOI小柳組、輝翔連、悠久絆連

 12時00分〜 飛翔舞神、NPO法人かしまスポーツクラブ一丸天舞

 12時18分〜 おさかなきゃべつ

 12時48分〜 REDA舞神楽ジュニア、櫻゛

 13時00分〜 千葉 長友連、よさこい旋隊 龍連者゛、颯流、楽天舞、翠天翔

 13時30分〜 オフタイム

 13時48分〜 JASSCALL DJ LIVE

 銚子銀座通りA会場(ココロード銚子)(パレード演舞会場)(ストリート)

 11時00分〜 飛翔舞神、南総みよし烈華隊、四街道・舞謳歌、櫻゛、REDA舞神楽ジュニア

 11時30分〜 さかど華吹雪、風魅彩、颯流、楽天舞

 12時00分〜 いわて奥州「結」、紫音-SION、Ryuki'04、ソーランしらおか

 12時30分〜 TOKYO PHANTOM ORCHESTRA、FORZA 木更津、なるたか、輝翔連、九十九里浜「萩組いぶき」

 13時00分〜 白里・浜っ子、浜っ娘連、ACT、茨城YOSAKOI小柳組

 13時30分〜 新芸組 遊駆人、雅華組、(力×3)〜チカラノカギリ〜、さぬき舞人、悠久絆連

 14時06分〜 黒潮美遊、CHIよREN北天魁、ダンスパフォーマンス集団 迫-HAKU-、遊元

 14時30分〜 黒潮美遊・潮っ子組、常陸國大子連、勢や、REDA舞神楽

 15時00分〜 いばらき熊連、鴉、飛翠迅、おみが和よさこい会“和気藹藹”、YOSAKOI舞ちはら

 15時30分〜 水戸藩YOSAKOI連、チーム☆利え蔵、維新〜心ひとつ〜

 銚子銀座通りB会場(ココロード銚子)(パレード演舞会場)(ストリート)

 11時00分〜 千葉 長友連、よさこい旋隊 龍連者゛、飛翔舞神、南総みよし烈華隊、四街道・舞謳歌

 11時30分〜 櫻゛、よさこい飛翔、さかど華吹雪、風魅彩

 12時00分〜 蔵っこ、翠天翔、いわて奥州「結」、 紫音-SION、Ryuki'04

 12時30分〜 ソーランしらおか、TOKYO PHANTOM ORCHESTRA、FORZA 木更津、なるたか

 13時00分〜 輝翔連、九十九里浜「萩組いぶき」、白里・浜っ子、浜っ娘連

 13時30分〜 ACT、茨城YOSAKOI小柳組、新芸組 遊駆人、雅華組、(力×3)〜チカラノカギリ〜

 14時00分〜 さぬき舞人、悠久絆連、黒潮美遊、CHIよREN北天魁

 14時30分〜 ダンスパフォーマンス集団 迫-HAKU-、遊元、黒潮美遊・潮っ子組、常陸國大子連、勢や

 15時00分〜 REDA舞神楽、いばらき熊連、鴉、飛翠迅

 15時30分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”、YOSAKOI舞ちはら、水戸藩YOSAKOI連、チーム☆利え蔵、維新〜心ひとつ〜

 飯沼観音(演舞ステージ)

 11時00分〜 颯流、楽天舞、NPO法人かしまスポーツクラブ一丸天舞、翠天翔、いわて奥州「結」

 11時30分〜 紫音-SION、Ryuki'04、千葉 長友連、よさこい旋隊 龍連者゛

 12時00分〜 櫻゛、よさこい飛翔、さかど華吹雪、風魅彩、南総みよし烈華隊

 12時30分〜 四街道・舞謳歌、蔵っこ、茨城YOSAKOI小柳組、さぬき舞人

 13時00分〜 悠久絆連、ソーランしらおか、TOKYO PHANTOM ORCHESTRA、FORZA 木更津、なるたか

 13時36分〜 九十九里浜「萩組いぶき」、白里・浜っ子、黒潮美遊・潮っ子組、浜っ娘連

 14時00分〜 ACT、YOSAKOI舞ちはら、水戸藩YOSAKOI連、チーム☆利え蔵

 14時30分〜 新芸組 遊駆人、雅華組、(力×3)〜チカラノカギリ〜、維新〜心ひとつ〜、CHIよREN北天魁

 15時06分〜 遊元、ダンスパフォーマンス集団 迫-HAKU-、常陸國大子連、勢や

 15時30分〜 REDA舞神楽、いばらき熊連、鴉、飛翠迅

 16時00分〜 おみが和よさこい会“和気藹藹”

 また「第12回黒潮よさこい祭り」では、同時開催として、「銚子市役所会場」(特設ステージ会場)内にて、「ブランドポーク祭り」&「名産品マルシェ」を行うそうです。
 「ブランドポーク祭り」では、17店舗の「ブランドポーク」を使った「店舗」、その他の6店舗の「計」23店舗が出店され、「名産品マルシェ」では、「地域」の「野菜」、「物産」の「販売」が行われるそうです。
 さらに「第12回黒潮よさこい祭り」では、「利根川会場」と、「銀座会場」に「屋台村」が出店されるそうです。

 「銚子」の「中心市街地」「銚子市役所」、「シンボルロード」、「銚子銀座通り」(ココロード銚子)、「飯沼観音」、「河岸公園」で開催される「恒例」の「人気イベント」「第12回黒潮よさこい祭り」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第12回黒潮よさこい祭り」詳細

 開催日時 11月29日(日) 10時(開会式)〜

 開催会場 銚子市役所(演舞ステージ)、シンボルロード(パレード演舞会場)、銚子銀座通り(ココロード銚子)(パレード演舞会場A、B)、河岸公園(演舞ステージ)、銚子セレクト会場、飯沼観音(演舞ステージ)

 問合わせ 黒潮よさこい祭り実行委員会 0479-25-5889

 備考
 「第12回黒潮よさこい祭り」ですが、「雨天決行」、「荒天中止」となっています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2729 |
| 地域情報::銚子 | 02:52 PM |

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