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「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和の大塔」で5月13日(土)に開催されます「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」等が建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の「名残」を残す「料理屋」や、「土産物店」が、軒(ノキ)を並べ、「門前町の歴史」と共に「様々」な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに「趣」が異なり、「界隈」ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」「境内」には、上記のように「成田山平和大塔」があり、「成田山平和大塔」は、「弘法大師」の「開眼1150年」を記念して「成田山新勝寺」の「境内」に建立されたそうです。
 「成田山平和大塔」は、「平和の大塔」とも称される「多宝塔形」の「仏塔」で、「成田山平和大塔」は、「塔」の「内部」にも入ることができ、「成田山新勝寺」「開山の歴史」や、「奉納品」が見学できる他、「成田山新勝寺」「御本尊」である「不動明王」も間近で見ることができるそうです。
 (写真撮影は不可となっています。)
 また「成田山平和大塔」の「一番上」の「層」からは「成田近郊」が一望でき、「ビュースポット」にもなっています。

 「成田山平和大塔」ですが、「成田山新勝寺」「境内」「最奥」に建ち、「構造」は「鉄筋コンクリート造」、「高さ」58.1mの「多宝塔形」の巨大な「仏塔」で、1984年(昭和59年)に建立されました。
 「成田山平和大塔」の「設計管理」は「財団法人建築研究協会」、「施工」は「大林組」が請け負ったそうです。
 「成田山平和大塔」の「外観」は「二重塔」(「二重基壇(キダン)」)ですが、「内部」は5階建て(内部五層)となっています。

 今回ご案内している「成田山平和大塔まつり奉納総踊り」(2016年5月5日・2015年5月7日・2014年5月9日・2013年5月5日・2012年5月10日・2011年4月30日のブログ参照)は、上記のように昭和59年(1984年)4月の「弘法大師1150年」の「御遠忌」にあたり、「世界平和」と「万民の幸福」を祈願して建立された「成田山平和大塔」の「落慶」を記念して始められたそうです。
 「成田山平和大塔まつり奉納総踊り」は、今年(2017年)で「33回目」を数える「催し」で、「成田山表参道」を埋め尽くす、「総勢」1000人による「奉納」の「舞」です。

 「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」では、「旧・成田町」7町の「女人講」をはじめ、約1000人に及ぶ「女性たち」が、「JR成田駅前」から「成田山新勝寺」「門前」までの「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」及び「成田山平和大塔」前で、「踊り」を奉納し、2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」による「被災地」の「早期復興」も祈願するそうです。
 「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」の「コース」ですが、上記のように「成田山表参道」(「JR成田駅前」〜「成田山新勝寺門前」)、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和大塔」となっており、「スケジュール」は、下記の通りです。

 12時20分 表参道入口(JR成田駅前)
      総踊りスタート

 15時00分 成田山大本堂前 総踊り

 15時30分 成田山平和大塔 総踊り

 なお「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」「開催日」には、「成田山新勝寺」周辺で、「交通規制」が実施されます。
 「交通規制」の「区間」、「時間」ですが、下記「詳細」を参照下さい。

 「成田の歴史」を見つめ今も「大勢の観光客」が訪れる「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和大塔」を「会場」に行われる「弘法大師1150年」の「御遠忌」にあたり、建立された「成田山平和大塔」「落慶」を記念し開催されている「催し」「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」詳細

 開催日時 5月13日(土) 12時〜

 開催会場 成田山表参道(JR成田駅前〜成田山門前)、成田山新勝寺(大本堂、成田山平和大塔) 成田市成田1周辺

 「交通規制」

    時 間        区 間

 11時00分〜14時00分 JR成田駅前〜薬師堂

 11時00分〜16時00分 薬師堂〜成田山門前(鍋店かど)

 問合わせ 成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「成田山新勝寺」では、「成田山平和大塔」「明王殿」にて、「世界平和」、「信徒安全」、「東日本大震災被災地復興」を祈る「平和大塔法会」を5月6日、7日に権修されたそうです。
 この「法会」ですが、毎年5月6日、7日に行われ、「成田山平和大塔」に「御本尊」「不動明王」の「御尊像」や、「掛仏」を奉安した方々が参列されるそうです。
 今年(2017年)も「世界平和」を祈る「平和の鐘」を「参列者代表」が打鐘され、「僧侶」の「皆さん」とともに「般若心経」と、「不動明王真言」を唱えて「心願成就」を祈ったそうです。
 「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」ですが、「雨天」の場合は、「翌日」の5月14日(日)に「順延」、「順延日(予定)」5月14日(日)が「雨天」の場合は中止となるそうです。

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| 地域情報::成田 | 09:34 PM |
「母の日プレゼント」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で5月14日(日)に開催されます「母の日プレゼント」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の数々を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で数回の「協議」を重ね、主(オモ)に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで結論に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」に応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」等が「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される方が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「母の日」は、「日頃」の「母」の「苦労」を労(イタワ)り、「母」への「感謝」を表す「日」です。
 「母の日」ですが、「日本」や、「アメリカ」では、5月の「第2日曜日」に祝いますが、その「起源」は「世界中」で様々であり「日付」も異なるそうで、例えば「スペイン」では5月「第1日曜日」、「北欧」「スウェーデン」では5月の「最後の日曜日」に当たるそうです。

 「アイルランド」と「イギリス」の「母の日」の「起源」ですが、「マザリングサンデイ」は「移動祝日」で、「キリスト教暦」の「レント(四旬節)期間」の「第4日曜日」(復活祭の3週間前)に祝われるそうで、17世紀に始まったとされ、「奉公中」の「子供」が「教会」で「母親」と面会するなどの「行事」が行われたそうです。

 「アメリカ」の「母の日」の「起源」ですが、「南北戦争」「終結直後」の1870年(明治2年)、「女性参政権活動家」「ジュリア・ウォード・ハウ」が、「夫」や、「子ども」を「戦場」に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発したそうです。
 「ハウ」の「母の日」は、「南北戦争」中に「ウェストバージニア州」で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず「負傷兵」の「衛生状態」を改善するために「地域」の「女性」を結束させた「アンナ・ジャービス」(Ann Jarvis)の「活動」に「ヒント」を得たものだが、結局普及することはなかったそうです。

 「ジャービス」の「死後」2年経った1907年(明治40年)5月12日、その「娘」の「アンナ」(Anna Jarvis)は、亡き「母親」を偲び、「母」が「日曜学校」の「教師」をしていた「教会」で「記念会」をもち、「白いカーネーション」を贈ったそうで、これが「日本」や、「アメリカ」での「母の日」の「起源」とされています。

 「アンナ」の「母への想い」に感動した「人々」は、「母をおぼえる日」の「大切さ」を確認し、1908年(明治41年)5月10日に「同教会」に470人の「生徒」と、「母親達」が集まり「最初」の「母の日」を祝ったそうです。
 「アンナ」は「参加者全員」に、「母親」が好きであった「白いカーネーション」を手渡したそうです。
 このことから、「白いカーネーション」が「母の日」の「シンボル」となったそうで、「アンナ・ジャービス」は「友人たち」に「母の日」を作って「国中」で祝うことを提案。
 1914年(大正3年)に「母の日」は「アメリカ」の「記念日」になり、5月の「第2日曜日」と定められました。

 「オーストラリア」の「母の日」は5月の「第2日曜日」に祝われますが、「オーストラリア」の「母の日」に「贈りもの」を贈る「習慣」は1924年(大正13年)、「シドニー」の「Leichhardt」に住む「ジャネット・ヘイデン」(Mrs Janet Heyden)によってはじめられたそうです。
 「彼女」は「ニューイントン」(Newington Victoria)の「州立女性老人ホーム」を訪ねた際に多くの孤独で「忘れられた母たち」に出会い、その「女性たち」によろごばせるために「地元」の「学校」や、「企業」の「協力」をとりつけ、「贈り物」を贈ることにしたそうです。
 それから毎年、「彼女」は「贈り物」の「習慣」の「規模」を少しずつ大きくして、「地元企業」や、「市長」にも「協力」を取り付け、以来、「母の日」の「贈り物」の「習慣」は商業化されていったそうです。

 「オーストラリア」では「伝統的」に「母の日」には「クリサンセマム」(菊の花)を咲かせ見頃になるため、また、「クリサンセマム」(chrysanthemum,キク属)が「一般的」に「語尾部」をとって「通称」「mum(マム)」と呼ばれ、ちょうど「mum」(おかあさん)とかさなるためだそうで、近年では、「母の日」は「男性」は(上着のジャケットの)「折り襟」に「キク」の「生花」を挿して「ピン」で留めたり、「菊花」を模した「襟章」(lapel pin)をつける場合もあるそうです。

 「日本」の「母の日」の「起源」ですが、1913年(大正2年)に「青山学院」で、「母の日礼拝」が行われたことだそうです。
 「アンナ・ジャービス」から「青山学院」に「メッセージ」が届き、当時「女性宣教師たち」の「熱心」な「働きかけ」で、「日本」で「母の日」が定着していく「きっかけ」となったとされています。

 「大日本連合婦人会」が1931年(昭和6年)に結成され、その際、「同組織」は「皇后」(皇淳皇后)の「誕生日」である3月6日(地久節)を「母の日」としましたが、普及しなかったそうです。
 1937年(昭和12年)5月8日に、「第1回」「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が「豊島園」で開催されたそうです。
 その後、1949年(昭和24年)ごろから「アメリカ」に倣(ナラ)って5月の「第2日曜日」に行われるようになったそうです。
 「母の日」には、「カーネーション」を贈るのが「一般的」だそうで、なお、あまり知られていませんが、5月5日の「こどもの日」は、「祝日法」2条によると

 「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」

 が「趣旨」とされています。

 「母の日プレゼント」ですが、「ふれあいパーク八日市場」で開催される「日頃」の「感謝」を込めて行われている「母の日」の「イベント」で、5月14日(日)9時00分から行われます。
 「母の日プレゼント」ですが、1000円以上「お買い上げレシート」を「持参」の「お母さま」に「素敵」な「プレゼント」をする「企画」です。
 なお、「母の日プレゼント」ですが、「先着」300人となっていますので、ご注意ください。

 「毎週末」や「祝祭日」にいろいろな「イベント」が行われる「都市と農村交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「母の日企画」「母の日プレゼント」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「母の日プレゼント」詳細

 開催日時 5月14日(日) 9時〜16時半

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」「植木園」では、「ツツジ」をはじめ、「季節」の「花々」が勢ぞろいしているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3415 |
| 地域情報::匝瑳 | 09:07 PM |
「第58回佐原のふな釣り大会」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)で5月14日(日)に開催されます「第58回佐原のふな釣り大会」です。

 「横利根川」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)と「霞ヶ浦(カスミガウラ)」(常陸利根川)までを結ぶ、約7kmの「河川」で、普段は「利根川」に向けて流れています。
 「横利根川」は、「利根川」の「湧水時」に、「霞ヶ浦」へ逆流するのをふせぐため、大正年間(1912年〜1926年)に建設された「横利根閘門(ヨコトネコウモン)」(2011年9月5日のブログ参照)(パナマ運河形式)も「周囲」の「風景」にとけこんでいます。
 「横利根閘門」は、「茨城県」「稲敷市」と、「香取市」の「県境」付近に位置する「横利根川」にある「閘門」で、「国土交通省」が管理しています。
 「横利根閘門」ですが、「門扉」が腐食するなど「老朽化」が進んでいたため、1994年(平成6年)「自動化工事」とあわせ「土木遺産」としての「価値」を後世に伝えるための「復元修復工事」が行われました。
 2000年(平成12年)5月、「日本」における「煉瓦造閘門」のひとつの「到着点」を示す「近代化遺産」として「重要文化財」に指定されました。
 現在、「閘門」の周辺は「横利根閘門ふれあい公園」(香取市・稲敷市管理)として整備され、「サクラの名所」、「横利根川」に面した「釣りの名所」として「憩いの場」となっています。
 「横利根閘門ふれあい公園」ですが、2006年(平成18年)に「日本の歴史公園100選」に選定されています。
 「横利根閘門」ですが、「香取市内」の「佐原市街地」と、「利根川」「北部」の「十六島地区」を結ぶ、「船舶」や、「自動車交通」の「要衝部」にあり、「水郷」の「シンボル的施設」として親しまれており、「地元」の「人」は「かんもん」と呼ぶことが多いそうです。

 「長島川」は、「香取市」「長島地区」を流れる「幅」20mほどの「河川」で、「西」は、「横利根川」、「東」は、「西部与田浦」と接しています。

 「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)と、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に行われる「佐原のふな釣り大会」(2016年5月6日・2015年5月8日・2014年5月6日・2013年5月7日・2012年5月6日・2011年5月19日のブログ参照)は、「水郷佐原」に「春」を告げる「釣りイベント」(ふな釣り大会)で、「水郷佐原」の「釣り場」として、「春」に「最盛期」を迎える「ふな釣り人」に「人気」の「釣り大会」として知られています。
 「佐原のふな釣り大会」は、長い「歴史」がある「ふな釣り大会」であり、「首都圏」からの「参加者」も多く、「豪華商品」も多数用意された「ふな釣り大会」として知られています。
 「佐原のふな釣り大会」には毎年、「大会」を心待ちにしていた「太公望(タイコウボウ)」たちが、「大勢」参加し、「ふな釣り」の「メッカ」である「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に、「腕」を競います。

 今年(2017年)で「58回目」を迎える「歴史」ある「釣りイベント」「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、5月14日(日)に、上記のように「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に、開催されます。
 「第58回佐原のふな釣り大会」の「競技時間」ですが、「朝」5時00分から14時00分までとなっており、「各自」「釣り場」で「スタート」となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」の「競技方法」ですが、「釣竿」は1本とし、「陸釣り」・「舟釣り」を問わず「自由釣り」となっています。
 但(タダ)し「第58回佐原のふな釣り大会」では、「吸い込み」・「ギャング釣り」・「リール釣り」・「撒き餌」は「厳禁」となっています。
 (「釣り餌」は「自由」)

 「第58回佐原のふな釣り大会」の「参加資格」ですが、「男女」、「年齢」を問わず「同好者全般」で、「参加費」ですが、「大人」700円、「小中学生」500円となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」「受付」ですが、5月1日(月)から「申込み開始」となっており、「第58回佐原のふな釣り大会」「締切」ですが、「当日」「申込み」も「可」となっています。
 なお「第58回佐原のふな釣り大会」の「参加申込」ですが、「申込み」は、「参加費」を添えて「水郷佐原観光協会」(JR佐原駅観光案内所1F)「第58回佐原のふな釣り大会事務局」、又は「市内釣具店」・「横利根各釣宿」に「お申し込み」となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」「申込取扱店」は、下記の通りです。

 つり舟 中島屋旅館 0299-78-2621 (当日受付店)

 (平勝) 平野釣舟店 0478-56-0300 (当日受付店)

 つり舟 小松屋旅館 0299-78-2205 (当日受付店)

 つり具のつくば屋  0478-82-1388

 旅館 水楽荘    0478-56-1211

 水郷佐原観光協会  0478-52-6675 (当日受付店)

 「第58回佐原のふな釣り大会」の「対象魚」ですが、「鮒」(へら・まぶな)、※外道賞(鯉のみ)となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」の「審査方法」ですが、「釣魚総重量制」とし、「順位決定」、「等級」を定め、「大型賞」(「体長」38cm以上へら鮒のみ)「入賞」の場合は、差し引きせず、「総重量」で行うそうです。
 なお「同重量」であった場合は、「抽選」をもって「決定」し、「釣魚」に「疑義(ギギ)」の出た場合は、「審査委員」の「協議」により定めるそうです。

 「第58回佐原のふな釣り大会」では、下記の場合「失格」となるそうです。

 1 参加証明書と審査票に取扱い店印のない場合

 2 釣り座の先取り、または竿を下ろした場合

 3 午後2時(14時)までに計量場所に到着しない場合

 4 その他大会のルールに反した場合

 「第58回佐原のふな釣り大会」の「賞品」ですが、「豪華商品」が多数用意されています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」「賞品」ですが、1等から50等までの「賞品」、また「副賞」として「こども賞」、「婦人賞」、「大会賞」、「当日賞」、「協賛団体賞」等となっており、他に、「大型賞」(ふな)1名、「外道賞」(こい・重量)1名、「釣り魚」の少ない「人」の中から「飛賞」、「オデコ」の「人」も含めて「ラッキー賞」等「豪華賞品」を多数用意し、また「参加者全員」に「参加賞」として「佐原の米」「コシヒカリ」をプレゼントするそうです。

 「第58回佐原のふな釣り大会」の「計量」ですが、「計量場所」は「横利根川」沿いの「釣舟宿」4ヶ所(堀井食堂・(平勝)平野釣舟店・中島屋旅館・小松屋旅館)となっており、「計量受付時間」ですが、13時00分から14時00分までとなっています。
 なお「第58回佐原のふな釣り大会」の「審査」及び「表彰場所」ですが、「川の駅水の郷さわら」「川の駅ホール」となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」「審査場所」・「結果表彰」(発表)の「会場」ですが、「川の駅水の郷さわら」「川の駅ホール」で、15時00分から行うそうです。

 「北総」の「へら鮒釣り」の「メッカ」「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)で開催される「歴史」ある「恒例」の「釣り大会」「第58回佐原のふな釣り大会」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第58回佐原のふな釣り大会」詳細

 開催日時 5月14日(日) 朝5時〜14時 (各自釣り場でスタート)
 (14時までに「計量受付場所」へ)

 開催会場 横利根川 (横利根閘門より横利根大橋の間)
      長島川 (八筋川排水機場よりなかず橋の間)
      (審査場所・表彰式会場 水の郷さわら川の駅ホール)

 参加費  大人 700円 小中学生 500円

 問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675

 備考
 「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、「雨天」「決行」で行われる「イベント」です。
 「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、上記のように「競技終了後」13時00分から14時00分までに、「計量受付場所」の「横利根川」沿いの「釣舟宿」4ヶ所(堀井食堂・(平勝)平野釣舟店・中島屋旅館・小松屋旅館)に到着することが「ルール」となっています。

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