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「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」周辺及び「鹿嶋市商工会館」前で1月29日(日)に開催されます「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」です。

 「鹿嶋市」は、「関東地方」「東部」、「茨城県」「東南部」に位置する「市」で、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「文化都市」であるとともに、「鹿島臨海工業地帯」を擁する「工業都市」でもあります。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、67775人(男35072人、女32703人)で、「世帯数」27764世帯となっています。
 (平成28年(2016年)12月1日現在)

 「鹿嶋市」の「沿革」は、下記の通りです。

 「市制施行以前」

 1871年(明治4年)12月25日 (明治4年11月14日)廃藩置県により新治県に編入。

 1875年(明治8年)5月7日 新治県が分割され、茨城県に編入。

 1953年(昭和28年)5月18日 国道123号線(現在の国道51号線)と、国道124号線が制定。

 1970年(昭和45年)8月20日 鹿島線(鹿島神宮駅〜香取駅間)が開業。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が開業。

 1993年(平成5年)3月26日 茨城県立カシマサッカースタジアムが竣工。

 「市制施行以後」

 1995年(平成7年)9月1日 鹿島町が大野村を編入、市制施行し、鹿嶋市誕生。

 2002年(平成14年)   2002FIFAワールドカップをカシマサッカースタジアムにて開催。

 2005年(平成17年)   市制施行10周年。

 2015年(平成27年)   市制施行20周年。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」「平井海水浴場」(2016年3月22日のブログ参照)、「下津海水浴場(オリツカイスイヨクジョウ)」(2016年3月22日のブログ参照)があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川(ワニガワ)」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には潮来IC(イタコインターチェンジ)(潮来市内))の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の他の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(香取市、成田市、千葉市、銚子市等)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」として知られています。
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に潮来市、神栖市、鉾田市、行方市)の中心であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」である「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」ですが、昨年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えており、昨年、「鹿嶋市」では、「市制施行20周年」を記念し、「各種」「記念行事」が催行されました。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島アントラーズ」(Kashima Antlers)は、「日本」の「茨城県」「鹿嶋市」、「神栖市」、「行方市」、「鉾田市」を「ホームタウン」とする、「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)に加盟する「プロサッカークラブ」です。
 「鹿島アントラーズ」の「クラブカラー」は、「ディープレッド」、「創立年」は1947年(昭和22年)、「ホームスタジアム」は、「茨城県立カシマサッカースタジアム」(収容人数・40728人)となっています。

 「鹿島アントラーズ」ですが、1947年に創立された「住友金属工業蹴球団」が「前身」で、「Jリーグ」「加盟時」の1991年(平成3年)10月に、「地元5自治体」(茨城県鹿島郡鹿島町・神栖町・波崎町・大野村、行方郡潮来町)と43企業の「出資」により「運営法人」「(株)鹿島アントラーズ・エフ・シー」が設立され、「現クラブ名」に改称したそうで、「Jリーグ」「創設時」からの「加盟チーム」(オリジナル10)のひとつです。
 「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」は「設立当時」の「5町」が合併して設立した「鹿嶋市」(旧・鹿島町、大野村)・「神栖市」(旧・神栖町、波崎町)・「潮来市」(旧・潮来町、牛堀町)に加え、2006年(平成18年)からは「行方市」、「鉾田市」が追加されました。
 なお、当時「ホームタウン」は「原則」として「1チーム」「1市区町村」でしたが、「鹿島」に限り「特例」で「周辺市町村」との「広域ホームタウン」が認められました。
 (現在は広域ホームタウンとしたクラブが複数あります。)

 「鹿島アントラーズ」の「ホームスタジアム」は、上記のように「茨城県立カシマサッカースタジアム」、「練習場」は「鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド」となっています。
 「鹿島アントラーズ」「チーム名」の「アントラー(antler)」は「英語」で「鹿の枝角」を意味し、「鹿島神宮」の「神鹿」にちなみ、「枝角」は「茨城県」の「茨」を「イメージ」しており、その鋭い「枝角」で「勇猛果敢」に立ち向かい「勝利」を目指すという「意味」も込められているそうです。
 「鹿島アントラーズ」「チーム発足時」から「クラブ」の「アイデンティティ」として「FOOTBALL DREAM」を常に掲げているそうです。
 「鹿島アントラーズ」の「クラブマスコット」ですが、「シカ」を「モチーフ」にした「しかお」と、1997年(平成9年)3月2日に「しかお」と結婚したという「設定」の「しかこ」で、1999年(平成11年)8月1日に「しかお」と「しかこ」の間に誕生したという「設定」の「アントン」だそうです。

 「鹿島アントラーズ」ですが、「国内」の「3大タイトル」(J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯)において、延べ19回の「優勝回数」を誇り、これは「Jリーグクラブ」「最多」です。
 (タイトル個々でも単独で優勝回数最多)
 「鹿島アントラーズ」は、「Jリーグ」「史上初」となる「3連覇」(2007年〜2009年)、「Jリーグ」「初」の「国内三冠」(2000年)を達成した「クラブ」でもあります。
 「鹿島アントラーズ」は、「国際大会」においても「FIFAクラブワールドカップ」(2016年)において「準優勝」の「成績」を収めています。
 これは「FIFAクラブワールドカップ」で「アジアサッカー連盟」(AFC)「所属」の「クラブ」が「決勝」「進出」した「唯一」の「クラブ」でもあります。

 この度(タビ)「鹿嶋市」では、「鹿島アントラーズ」の「2016シーズン」の「明治安田生命J1リーグ」「優勝」及び「第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会」「優勝」を記念し、「優勝記念イベント」「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」を開催するそうです。
 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」ですが、1月29日(日)11時00分から開催され、「優勝パレード」、「優勝報告会」、※「必勝祈願」(於・鹿島神宮)が行われるそうです。
 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」の「日程」(予定)は、下記の通りです。

 11時00分 優勝パレード(往路) 鹿嶋市商工会館前〜

 11時30分 必勝祈願 鹿島神宮

 12時00分 優勝パレード(復路) 鹿島神宮〜鹿嶋市商工会館前

 12時30分 優勝報告会 鹿嶋市商工会館前

 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」開催に際し、下記の「交通規制のお願い」があるそうです。

 ・優勝パレードや優勝報告会などを安全に開催するために、会場周辺にて警備を行い、交通規制を行います。ご理解とご協力をお願いします。

 ・ご来場の際は、警察官、警備員、係員の指示に従ってください。

 ・交通規制範囲においては、規制時間内に車両の通行はできません。ご協力をお願いします。

 ・会場周辺は混雑が予想されますので、近隣住民へのご迷惑を最小限にするためにも、公共交通をご利用ください。

 ・会場周辺道路への自動車、オートバイ、自転車等の駐車・駐輪はご遠慮ください。

 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」の「観覧」にあたり、下記の「事項」についてご協力をお願いしています。

 ・安全に優勝記念イベントを開催するために、警備員、係員の指示に従ってください。

 ・観衆が集中することが想定されます。安全に十分留意し、観覧をお願いします。

 ・事前に場所取りなどを行うことはできません。(シートなどの場所取りは撤去いたします。)

 ・パレードの最中に、道路の横断はできません。

 ・コース沿道の民有地へは立ち入らないでください。

 ・ゴミは、各自でお持ち帰りくださいますようお願いします

 ・コース沿道に横断幕や看板等の設置はできませんので、あらかじめご了承ください。

 ・コース沿道や周辺でのドローン等(小型無人機)の飛行は、禁止になります。

 ・小雨の際、傘をさすと後ろの方の観覧の妨げになり、大変危険ですのでご遠慮ください。

 「鹿島神宮」周辺及び「鹿嶋市商工会館」前で開催される「優勝パレード」、「必勝祈願」、「優勝報告会」「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」詳細

 開催日時 1月29日(日) 11時〜

 開催会場 鹿島神宮周辺及び鹿嶋市商工会館前 茨城県鹿嶋市宮中

 問合わせ 鹿島アントラーズコールセンター 0299-82-5555(10時〜16時)
      アントラーズ・ホームタウン協議会事務局(鹿嶋市まちづくり政策課) 0299-82-2911

 備考
 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」ですが、「小雨決行」となっています。
 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」の「雨天時」の「態度決定」ですが、「当日」9時30分に態度決定となっており、「雨天中止」の場合には、「鹿島アントラーズ」「HP」にて周知するそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3303 |
| 地域情報::鹿島 | 04:25 PM |
「新春特別展」「成田山の近代美術」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田山書道美術館」で1月1日(祝・日)〜2月19日(日)の期間開催されます「新春特別展」「成田山の近代美術」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」に鎮座する「真言宗智山派」の「寺院」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、「弘法大師」「空海」が敬刻開眼した「不動明王」の「御尊像」を「御本尊」として開山された「不動尊信仰」の「総府」です。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を代表する「観光地」でもあり、正月3が日には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、古来より、「お不動さま」の「御霊験」・「御利益」は数限りなく、「数多」の「信仰」を集め、「成田山新勝寺」は、今日(コンニチ)では毎年1000万人を超える「参詣者」を迎える「関東地方」「有数」の「著名寺院」です。
 「全国」「有数」の「広大」な「敷地」を誇る「成田山新勝寺」「境内」には、「車」の「祈祷」をする「交通安全祈願殿」、「自然」豊かな「公園」、「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)や、「成田山仏教図書館」等多くの「施設」を有しています。
 「成田山新勝寺」ですが、「家内安全」、「交通安全」等を祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。
 ちなみに「真言宗智山派」の「総本山」ですが、「智積院」(京都府京都市東山区東山七条)であり、「大本山」ですが、「成田山新勝寺」と、「川崎大師平間寺」(神奈川県川崎市川崎区)、「高尾山薬王院」(東京都八王子市高尾町)となっています。
 なお、「全国各地」の「不動尊信仰」を支える「成田山」ですが、「全国」に71ヵ寺の「別院」・「分院」・「末寺」・「末教会」・「成田山教会」があるそうです。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この霊験あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、皆様の「祈り」が一体となり「清浄な願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、開山1080年を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの人びとの「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、この地に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に格の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が落慶され、「新勝寺」の「表玄関」として荘厳な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来毎日欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、急な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の途中に「仁王門」、「石段」を上った先に正面に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の背後の一段高くなった地には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「成田山表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山書道美術館」は、「成田山新勝寺」の「大本堂」の「奥」に広がる「成田山公園」の「一角」に建つ「書」の「専門美術館」です。
 「成田山書道美術館」は、「水」と、「木々」が快(ココロヨ)い「調和」を生んでいる「成田山公園」の「三の池」の「畔(ホトリ)」に佇んでおり、「成田山書道美術館」「館内」には、「書の世界」が広がっています。
 「成田山書道美術館」は、江戸末期から現代に至る「日本」の「書道作品」や、「資料」を収蔵、展示しており、特に「成田山書道美術館」では、あまりにも現代に近いが故(ユエ)に見過ごされがちな「近代日本」の「書作品」を広い視野から収蔵しています。

 「成田山書道美術館」「展示棟」1階ですが、「吹き抜け」になった「中央プラザ」をもつ「企画展示室」や、「高さ」13mの「壁面」をもち、ゆったりとした「空間」で「作品」を鑑賞することができます。
 「成田山書道美術館」2階ですが、「常設展示室」となっており、「回廊式」の「ギャラリー」となっています。
 「成田山書道美術館」は、「書」の「総合美術館」として、優れた「作品」を鑑賞できることはもちろん、「作品」の「保存」・「研究」・「普及」など、「専門家」から「一般の人」まで楽しめるようになっているそうです。

 「成田山書道美術館」は、近現代の「書蹟」の「収蔵」では、「質量」ともに群を抜いており、これらを活かした「展示」・「普及」・「研究活動」が行われています。
 「成田山書道美術館」ですが、「書」を「専門」とした「美術館」として「書文化」の「興隆」に貢献し、「書」を含む「美術」「全般」に目を向け、「美術館」の「施設」を生かした「複合的」な「展示」に取り組んでおり、「書」は「苦手」という「人」でも抵抗なく楽しめるように「展示」・「運営」されています。

 「成田山書道美術館」では、「テーマ」を変えながら「年間」6〜7回「展示」を行っています。
 近現代の「書」は、「鑑賞」という点において、「絵画」や、「彫刻」などと比べるとまだまだ「発展途上」のようですが、「成田山書道美術館」では、様々な「切り口」での「展示」を企画し、「書の魅力」を「多方面」に感じられる場を提供しています。

 「新春特別展」「成田山の近代美術」ですが、「成田山書道美術館」で1月1日(祝・日)から2月19日(日)までの「期間」開催される「特別展示会」です。
 「新春特別展」「成田山の近代美術」の「開催要項」、「趣旨」は、下記の通りです。

 開催要項

 下記「詳細」にて記載

 趣旨

 平成30年に開基1080年を迎える大本山成田山新勝寺には、数多くの歴史史料や美術品が伝えられてきました。
 これらのなかには、様々な時代に描かれた不動明王図をはじめとする仏画や古写経、新勝寺を彩ってきた山水画や花鳥画、成田山文化財団で所蔵する各種の書画や史料など、多種多様な文化財を見ることができます。
 江戸時代以降、成田山には多くの参詣者が訪れるようになりました。
 その賑わいを背景に、数々の芸術家が成田山を舞台に活躍し、多様な文化財を遺すことになったのです。
 今回の展覧会では、新勝寺で使用されてきた襖絵や屏風などをはじめ、成田山および書道美術館で所蔵する、明治時代以降の絵画や書跡を中心に展観します。
 初詣とあわせて、成田山の文化財をご堪能いただきたいと思います。

 「成田山書道美術館」「HP」「催事案内」参照、原文まま表記

 「新春特別展」「成田山の近代美術」の主な「出品予定作品」は、下記の通りです。

 児玉希望 「不動」

 大山忠作 新勝寺襖絵「杉・松・竹」

 土田麦僊 「散華下図」

 橋本雅邦 「春秋山水図」

  青山杉雨 「金剛不壊」

 「書」の「専門美術館」「成田山書道美術館」で開催される「特別展」「新春特別展」「成田山の近代美術」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「新春特別展」「成田山の近代美術」詳細

 開催期間 1月1日(祝・日)〜2月19日(日)

 開催会場 成田山書道美術館 成田市成田640

 開館時間 9時〜16時(入館は〜15時半)

 休館日  月曜(祝日の場合は翌日)

 入館料  大人500円 大高生300円

 問合わせ 成田山書道美術館 0476-24-0774

 備考
 「成田山書道美術館」では、「新春特別展」「成田山の近代美術」を「動画」でもご紹介しています。
 詳しくは「成田山書道美術館」「HP」、「公園情報」よりアクセスして下さい。

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| 地域情報::成田 | 04:24 PM |

 
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