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「松山神社の筒粥神事」(匝瑳市)
 本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「松山神社」で1月15日(日)に開催されます「松山神社の筒粥神事」です。

 「松山神社」は、「匝瑳市」の中心である「旧・八日市場市」「市街地」の「北西」の「丘陵地帯」に鎮座している「古社」です。
 「松山神社」の「所在地」ですが、「JR総武本線」「八日市場駅」から「県道16号線」を約18km北上後、左折し「県道106号線」を1km程行った「場所」にあり、「松山神社」の「隣」には「匝瑳小学校」があります。
 なお「松山神社」や、「匝瑳小学校」の「敷地」は、その昔「匝瑳の名門」「千葉一族」の「椎名氏」の「居城」であったとされる「松山城」の「跡」なのだそうです。

 「松山神社」の「旧社格」は「村社」で、「松山神社」「御祭神」は「伊弉册命(イザナミノミコト)」、「譽田別命(ホンダワケノミコト)」、「天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)」を祀っています。
 「松山神社」の「創建」ですが、「松山神社」「社殿」によりますと、大同元年(806年)と非常に古く、中世には「源頼朝」公が「神領三十貫」を寄せているとされています。

 「松山神社」では、「匝瑳市」の「市指定天然記念物」の「松山神社大杉」があります。
 「松山神社大杉」ですが、「幹周り」7.95m、「樹高」29m、「樹齢」300年以上の「存在感抜群」の「古木」となっています。
 「松山神社」周辺には、その他数本の「杉の巨木」が林立し、「神々しさ(コウゴウシサ)」が漂っています。
 「松山神社」「本殿」は、「風格」のあるしっかりとした「造り」で、「松山神社」「拝殿」には「彫刻」が施されており、「威厳(イゲン)」がある「造り」をしています。

 「正月」を迎え「匝瑳市」各地の「神社」では、「新年」ならではの「特殊神事」が行われ「匝瑳市」「匝瑳地区」に鎮座する「松山神社」の「粥占神事(カユウラナイシンジ)」「松山神社の筒粥神事」もそのひとつなのだそうです。
 「松山神社の筒粥神事」は、古くより伝わる「神事」で、1984年(昭和59年)に「千葉県神社庁特殊神事編纂委員会」が刊行した「房総の祭事」には、「松山神社」の「粥占(夕膳祭(ユウゼンサイ))」が記載されているそうです。
 それによると、「松山神社の筒粥神事」「前日」の「夕方」から「当番」の「家」で、「米」と、「小豆」を混ぜ、「釜」で炊き、その中に「宮司(グウジ)」が準備した「一握り」程の「長さ」の「竹筒」52本を入れます。
 「松山神社の筒粥神事」「当日」15日の「早朝」、「松山神社」の「御神前」に「釜」ごと持参し、「当番」が「竹筒」の中の「粥」と、「小豆」の「入り具合」によって「吉凶」を判断、「神事目録」に記載するそうです。
 「松山神社の筒粥神事」で占うものは、「五穀」をはじめとする「農産物」、「民生」のこと、3月から9月までの「日照り」、「雨水」、「風量」の「多少」等とされています。
 ちなみに、こうした「神占」は、「菅粥(スゲカユ)」、「筒粥神事(ツツカユシンジ)」等とも呼ばれ、「県内」17か所の「神社」で行われていたことが、「房総の祭事」に記載されているそうです。

 「松山神社の筒粥神事」は、260年以上続いている「松山神社」の「神事」で、上記のように「青竹(アオタケ)」の「筒(ツツ)」を入れ、「一晩」煮た「粥(カユ)」の中から、その「竹筒」を取り出して一本づつ割り、中に詰まった「粥の分量」によってその年の「吉凶」を占う「粥占神事」です。
 「松山神社の筒粥神事」ですが、昔「粥の白米」、「小豆」各1升の「割合」でしたが、現在では「小豆」を3合に減らして煮ているそうです。

 「松山神社の筒粥神事」「筒粥占い」の「青竹」ですが、「松山神社」の「正月飾り」を使用。
 古来「占いの青竹」は、7本を1束として7束49本だったものが、現在では53本に改められています。
 「占いの青竹」1本1本に「1年12ヶ月」の「日」、「水」、「風」と、「米」や、「大豆」、「麦」、「芋」等の「作物名」を墨書、また「民」、「百姓」から「地方庁」、「諸官省」、「大臣」とまで記したものもあり、「天下国家」の「吉凶」も占ってきたそうです。
 「松山神社の筒粥神事」は、「年」を重ねるごとに「筒粥神事」の「内容」も少しずつ「変化」をみせています。

 「松山神社」の「氏子」ですが、約百二十戸で、「筒粥神事」はこれを「8地区」程に分けた「当番集落」が受け持っています。
 「筒粥神事」「当日」には、「各地区」の「総代」ら三十人程集まり、「鍋」から上げた「青竹」が「短刀」で二つに割られると、中に詰まった「粥の量」を「真剣」な「表情」で吟味し、「量」を裁定し占うそうです。

 「杉」の「巨木」が林立し「神々しさ」漂う「匝瑳」の「古社」「松山神社」で260年以上続く「粥占神事」「松山神社の筒粥神事」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「松山神社の筒粥神事」詳細

 開催日  1月15日(日)

 開催会場 松山神社 匝瑳市松山1127

 問合わせ 匝瑳市生涯学習課生涯学習室 0479-67-1266

 備考
 「松山神社の筒粥神事」が行われる「松山神社」「神社年中祭事社用帳」が伝わり、「元日」から「大晦日(オオミソカ)」までの「行事」と、「役割」を担う「村人」の「名前」や、七つの「寺院名」が詳しく書かれており、この「記録」で確かなように「松山神社の筒粥神事」は、260年以上続いていることが確認されています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3284 |
| 地域情報::匝瑳 | 02:20 PM |
「URANAI de Choshi Port Tour」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「銚子ポートタワー」「展望室」で1月15日(日)に開催されます「URANAI de Choshi Port Tour」です。

 「銚子ポートタワー」(2011年11月30日・2010年9月30日のブログ参照)は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」近くにあり、「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)を見下ろす「高台」にある「ビュースポット」、「観光スポット」です。
 「銚子ポートタワー」ですが、「高さ」57.7m、「ハーフミラー」で覆われた「建造物」で、「総反射ガラス張り」の「おしゃれ」な「タワー」となっています。
 「銚子ポートタワー」「展望室」からは、「太平洋」の「大海原」をはじめ、遠く「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)や、「日本一」の「銚子漁港」、「利根川」「河口」も一望でき、「眺望」は素晴らしく「利根川」に沈む「夕景」も楽しめる「観賞スポット」となっています。

 「銚子ポートタワー」は、「千葉県」により、「水産物卸売センター」「ウオッセ21」(2011年4月26日・2010年8月25日のブログ参照)と並ぶ「観光部門施設」として建設され、1991年(平成3年)に竣工しました。
 なお「銚子ポートタワー」は、「千葉県」の「ふるさと千葉5ヶ年計画」の「一環」として建てられたものなのだそうです。
 「銚子ポートタワー」の「設計者」ですが、「(株)横川建築設計事務所」で、「構造様式」は「鉄骨造りハーフミラーガラス」「ツインタワー」となっており、「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」・「運営」しています。

 「銚子ポートタワー」の「概要」ですが、1Fに「インフォメーション」、「昇降ロビー」・「イベントコーナー」・「売店」があります。
 また「銚子ポートタワー」1Fには、「銚子」の「観光」を「ガイド」してくれる「検索システム」も用意されています。
 「銚子ポートタワー」2Fには、「展望ロビー」が設けられており、「展示会」・「イベント」・「催事」・「会議室」などに使われています。
 「銚子ポートタワー」3Fは、「展望ロビー」(高さ・43.05m)、「銚子ポートタワー」4Fが「展望ホール」(高さ・46.95m)となっており、三方を「海」と「川」で囲まれた「銚子の風景」を見渡すことができます。

 「銚子ポートタワー」「隣地」には、「新鮮」な「魚介類」や「国内外」から取り寄せられた「豊富」な「海の幸」を販売している「水産物卸売センター」「ウオッセ21」や「シーフードレストランうおっせ」があります。
 「水産物卸売センター」「ウオッセ21」では、「週末」や「年末」など、「新鮮」な「魚」を買いに来る「買い物客」や「観光客」、「ツアー客」の「皆さん」で賑わいをみせます。
 なお「銚子ポートタワー」から「水産物卸売センター」「ウオッセ21」には、1Fで「連絡用歩道橋」で結ばれて(繋(ツナ)がって)います。

 「占星術(センセイジュツ)」または「占星学(センセイガク)」は、「太陽系内」の「太陽」・「月」・「小惑星」などの「天体」の「位置」や、「動き」などと、「人間」・「社会」の「あり方」を「経験的」に結びつけて占う「科学」(占い)です。
 「占星術」ですが、「古代バビロニア」を「発祥」とするとされ、「ギリシア」・「インド」・「アラブ」・「ヨーロッパ」で発展した「西洋占星術」・「インド占星術」と、「中国」など「東アジア」で発展した「東洋占星術」に大別することができます。

 「占星術」ですが、「古代バビロニア」で行われた「大規模」な「天体観測」が「起源」であり、「ギリシア」・「インド」・「アラブ」・「ヨーロッパ」・「中国」へ伝わったといわれており、主に「国家」や、「王家」の「吉凶判断」に使われていたそうです。
 「バビロニア占星術」は紀元前3世紀頃に「ギリシア」に伝わり、「個人」の「運勢」を占う「ホロスコープ占星術」に発展しました。
 「占星術」を指す「単語」は、「古代ギリシア語」の「アストロロギア」(astrologia)に由来するそうです。
 「アストロロギア」(astrologia)の「アストロ」(astro)という「接頭辞」は「古代ギリシア語」の「astron星」であり、「astrologia」とは「星」について考えたことという「意味」になるそうで、「アストロノミア」(astronoia、英語のastronomy)「天文学」とは「astrologia」のなかで「星」の「動き」などについての「学問」であったそうです。
 (nomasは秩序の意味)
 ちなみに、astrogistは「占星術者」です。

 「中東」・「ヨーロッパ」の「占星術」ですが、「西洋占星術」の「起源」は「バビロニア」にあり、「バビロニア」では、紀元前2千年紀に「天」の「星々」と、「神々」を結びつけることが行われ、「天」の「徴」が「地上」の「出来事」の「前兆」を示すという「考え」も生まれたそうです。
 「エヌーマ・アヌ・エンリル」(Enuma anu enlil、紀元前1000年頃)はそうした「前兆」をまとめたものであるそうですが、ただし、当時「前兆」と結び付けられていた「出来事」は、専ら「君主」や、「国家」に関わる「物事」ばからで、その「読み取り」も「星位」を描いて占うものではなく、「星」にこめた「象徴的」な「意味」(火星は軍神ネルガルに対応していたから凶兆とするなど)を読み取るものに過ぎなかったそうです。
 332年に「アレキサンター大王」によって占領された後、「エジプト」は「ギリシャ」の「支配下」にあったそうで、「ヘレニズム文化」が栄える中で、初めて「本格的」に「ホロスコープ」を用いる「占星術」が現れたそうです。
 「出生時」における「星々」の「位置」から「個人」の「星位図」を「トレース」する「試み」が普及したことは、「西洋占星術」への「ギリシャ人」の「最大」の「貢献」であり、この「システム」は「ホロスコープ占星術」と名付けられました。
 「ギリシャ」で大いに発展したとはいえ、「占星術」のその「大部分」は「バビロニア」からもたらされたものであったそうです。

 「インド占星術」は、「ナクシャトラ」を用いた「インド固有」の「占星術」で、「白道」上の「月」の「位置」に着目し、「天」の「黄道」を27分割に分けた物で占う「占星術」でしたが、ヘレニズム時代に「太陽」と「月」、「5惑星」と「ラーフ」、「ケートゥ」といった「九曜」、「十二宮」と「十二室」に基づく「ホロスコープ方式」の「占星術」を取り入れて、現在の「ナクシャトラ」(白道二十七宿)と、「黄道十二宮」を併用した「形」になったといわれていますが、古い時代のことなのではっきりしたことはわかっていません。
 また「仏教」を取り入れられたものは、「簡略化」(月の厳密な度数で決めず、1日に1つというように割り当てる)・「仏教化」し「宿曜経」にまとめられ、「密教」の一部として「中国」に伝えられたそうです。
 さらに、平安時代には「日本」にも伝えられて「宿曜道」となりました。

 「古代中国」において「天文」とは、「古代世界」の「他」の「文明」でもそうであったように、「狭義」の「天文学」と観測される「天象」による「占い」とが「渾然一体」となったものだったそうです。
 「バビロニア占星術」とは異なり、「天体」の「配置」ではなく「日食」、「月食」、「流星」、「彗星」、「新星」や、「超新星」の出現、そして「星」の「見え方」など「天変現象」に注目したものだったそうです。
 これは「天変」は「天」が与える「警告」であるという「災異説」の「思想」に則ったものであり、これは現代で「天変占星術」とよぶ「人」もいます。
 ただし「バビロニア起源」と考えられる「黄道十二宮」を使った「占星術」の「影響」を受けて成立したと考えられる「六壬神課」の「基本構造」が戦国〜秦〜漢の時代には確立していたそうです。
 「六壬神課」の「式盤」は「サイン」と、「ハウス」で構成された「ホロスコープ」に「中国独自」の「十二天将」を配布したものを表現しています。
 この後、唐の時代に「インド占星術」を漢訳した「宿曜経」が伝来し、「七政四餘」となったそうです。
 「宿曜経」は当時の「日本」でも受容され「宿曜道」となりました。
 しかしその後は実際の「天文観測情報」が「国家」に独占されたこともあり、「煩雑」な「天文計算」の必要がない「暦」を「ベース」とした「占術」が「主流」となって行きました。

 「九星・気学(キュウセイ・キガク)」とは、生まれた「年月日」の「九星」と「干支」、「五行」を組み合わせた「占術」で、「方位」の「吉凶」を知るために使われることが多いそうです。
 「九星術」を元に明治42年に「園田真次郎」氏が「気学」としてまとめたものと、それ以前の「九星術」と合わせて「九星・気学」と総称されます。
 「生年月日」によって定まる「九星」と「十二支」と、「方位」の「吉凶」を知りたい「日」の「九星」と「十二支」を元に占うそうです。
 「九星」と「十二支」は「年」・「月」・「日」・「時」のそれぞれにありますが、このうち「年」と「月」が「運勢」に大きく関係するとされ、また、「生年」によって定まる「九星」を「本命星」、「生まれ月」によって定まる「九星」を「月命星」といいます。

 「九星」はある決まった「法則」で「各方位」を巡回することになっており、「生年月日」によって定まる「九星」と「十二支」との「関係」で「各方位」の「吉凶」を占うそうです。
 「作家」の「池波正太郎」氏は晩年「九星気学」を好んでいたといい、「ミステリー作家」の「高木彬光」氏は「占い全般」に「造詣」が深く、「自身」と「占い」との「関係」や、「気学」の「書物」も残しています。
 「欧米」では、「イギリス」の「風水協会」「会長」、「マクロビオティック協会」の「会長」を務めた、「サイモン・ブラウン」(Simon Brown)が「九星気学」への「造詣」も深く、「全世界」で100万部以上の「ベストセラー」の「著書」もあります。
 「九星」とは以下のこといいます。

 一白水星

 二黒土星

 三碧木星

 四緑木星

 五黄土星

 六白金星

 七赤金星

 八白土星

 九紫火星

 ただし「中国占術」において「九星」と総称されるものは多岐にわたっており、「他」の「九星」と区別する「必要」がある場合は「紫白九星」とよびます。
 これは「園田気学」では否定されましたが、「九星術」の「古形」では三つの「白の星」である、「一白」、「六白」、「八白」を「大吉」とし、「九紫」を「中吉」としたことにちなんでいます。
 なお「五黄」は「大凶」の「星」であり、「五黄」と相対する「方位」も「凶」とされます。

 「銚子」の「人気観光スポット」「銚子ポートタワー」「展望室」では、1月15日(日)に「URANAI de Choshi Port Tour」を開催するそうです。
 「URANAI de Choshi Port Tour」では、「恋愛」、「結婚」、「仕事」、「健康」等、「海」を望む「銚子ポートタワー」「展望室」で、「皆さん」の「運勢」を占うそうです。
 「URANAI de Choshi Port Tour」の「内容」は、下記の通りです。

 「URANAI de Choshi Port Tour」内容

 占い

 タロット
 植物鑑定
 ルノンマンカード
 メモリーオイル
 数秘術

 ※占いは諸事情により、変更する場合がございます。

 料金

 大人380円 小人200円 65歳以上330円

 +占い料金・占いにより料金が異なります。
 (目安・20分 1000円〜)

 「銚子」の「ランドマーク」「銚子ポートタワー」「展望室」で開催される「占い企画」「URANAI de Choshi Port Tour」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「URANAI de Choshi Port Tour」詳細

 開催日時 1月15日(日) 10時〜16時

 開催会場 銚子ポートタワー展望室 銚子市川口町2-6385-267

 入館料  大人380円 小人200円 65歳以上330円

 問合わせ 銚子ポートタワー 0479-24-9500

 備考
 「銚子ポートタワー」「展望室」では、今後も「毎月」「第3日曜日」10時00分から16時00分まで「URANAI de Choshi Port Tour」を開催するそうです。

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