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「さつまいも&じゃがいも詰め放題」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で11月27日(日)に開催されます「さつまいも&じゃがいも詰め放題」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(東金有料・東金道)「銚子連絡道」「横芝光IC(ヨコシバヒカリインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、手塩をかけた「恵み」の「農産物」等の数々を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で数回の「協議」を重ね、主に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで「結論」に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」な応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」などが「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される「方」が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「サツマイモ」(薩摩芋、学名・Ipomoea batatas)は、「ヒルガオ科サツマイモ属」の「植物」、あるいはその「食用部分」である「塊根(カイコン)」(養分を蓄えている肥大した根)で、「別名」に、「甘藷(カンショ)」、「唐芋(カライモ、トウイモ)」、「琉球薯(リュウキュウイモ)」等があり、「近縁」の「植物」に、「アサガオ」や、「ヨウサイ」(アサガオ菜)があります。

 「サツマイモ」の「花」は「ピンク色」で「アサガオ」に似ていますが、「鈍感」な「短日性」であるため「本州」などの「温帯地域」では開花しにくく、「品種」や、「栽培条件」によってまれに開花する程度だそうです。
 また、「花の数」が少なく受粉しにくい上に、「受粉後」の「寒さ」で枯れてしまう事が多い為、「品種改良」では「種子」を効率よく採るために「アサガオ」など「数種類」の「近縁植物」に接木(ツギキ)して、「台木」から送られる「養分」や、「植物ホルモン」等の働きによって「開花」を促進する「技術」が使われるそうです。
 1955年(昭和30年)に「西山市三」氏が「メキシコ」で「祖先」に当たる「野生種」を見つけ、「イポメア・トリフィーダ」と名付け、後に他の「学者達」によって「中南米」が「原産地」とされたそうです。
 「サツマイモ」は、若い「葉」と、「茎」を利用する「専用」の「品種」もあり、「主食」や、「野菜」として「食用」にされ、「原産」は「南アメリカ大陸」、「ペルー熱帯地方」とされているそうです。
 その後、「サツマイモ」は、「スペイン人」或いは「ポルトガル人」により「東南アジア」に導入され、「ルソン島」(フィリピン)から「中国」を経て、1597年(慶長2年)に「宮古島」へ伝わり、17世紀の初め頃に「琉球」、「九州」、その後「八丈島」、「本州」と伝わったそうです。
 「サツマイモ」は、「アジア」においては「外来植物」であり、「中国」(唐)から伝来した「由来」により、特に「九州」では「唐芋」とも呼ばれる場合が多いそうです。

 「ジャガイモ」(馬鈴薯、英名・potato、学名・Solanum tuberosum L.)は、「ナス科ナス属」の「植物」で、「地下茎」を「食品」として利用しています。
 「ジャガイモ」は、上記のように「地下」の「茎」の「部分」(塊茎(カイケイ))を「食用」にし、「ジャガイモ」は、「加熱調理」して食べられるほかに、「デンプン原料」としても利用されます。
 「ジャガイモ」は、「比較的」に「保存」すると「発芽」しやすいため、涼しい場所での「保管」が望ましく、「ジャガイモ」の「芽」や、「緑化」した「塊茎」には、「毒性成分」「ポテトグリコアルカノイド」(「ソラニン」など)が多く含まれ、「中毒」の元となっています。

 「ジャガイモ」の「原産」は、「南米アンデス山脈」の「高地」といわれ、16世紀には、「スペイン人」により「ヨーロッパ」にもたらされました。
 このとき「運搬中」の「船内」から「芽」が出たものを食べて、「毒」にあたった為、「ジャガイモ」は「悪魔の食物」と呼ばれたそうです。
 「日本」の「ジャガイモ」ですが、当時は「観賞用」として「栽培」されていたといわれています。
 「ジャガイモ」ですが、「日本」では、「男爵薯」および「メークイン」の「二大品種」が広く栽培されています。
 「ジャガイモ」は、「北海道」が「最大」の「生産地」で、「夏」の「終わり」から「秋」にかけて収穫され、「北海道」に次ぐ「大産地」である「九州」の「長崎」では、「秋」に植え付けて「冬」に収穫するのに加えて、「冬」に植え付けて「春」に収穫する「二期作」が行われているそうです。

 「ジャガイモ」ですが、「日本」では「呼び名」も様々であり、これは、「芋」というとたいていの「人」が「ジャガイモ」、「サツマイモ」、「サトイモ」のいずれかを思い浮かべるほどに「ポピュラー」な「食材」であることを反映したものともいえます。
 「ジャガイモ」という「呼び名」について、「じゃが」とは、「ジャワ」の「ジャガトラ」(ジャカルタ)から「オランダ造船」によって伝播したことに因んでおり、これが変化して現在の「ジャガイモ」という「呼び名」となったそうです。
 (ただし異説もあり、ジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化したもの、「天保の大飢饉」でジャガイモのおかげで餓死を免れたことから呼称された「御助芋」が転じたものなどともされる。)

 「ジャガイモ」ですが、「馬鈴薯(バレイショ)」という「呼び名」もよく用いられます。
 これは「中国」での「呼び名」のひとつと「漢字」が同じで、「中国語」で読むと「マーリンシュー」となり、18世紀に「日本人」の「小野蘭山」「耋筵小牘」(1807年)が命名したといわれていますが、「中国名」をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた「名前」がたまたま同じだったのか、それとも「蘭山」の「命名」が「中国」に伝わったのかは明らかではありません。
 一説には、「ジャガイモ」の「形」が「馬」につける「鈴」に似ているということからこの「名前」になったといわれています。
 また、「マレーの芋」という「意味」からこの「名前」が付けられたという「説」もあります。
 なお、「中国」ではほかに「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などの「呼び方」もあり、「日本」の「行政」では「馬鈴薯」と呼んでいます。

 この度(タビ)「ふれあいパーク八日市場」では、「さつまいも&じゃがいも詰め放題」を11月27日(日)に開催するそうです。
 「さつまいも&じゃがいも詰め放題」ですが、9時00分から開催される「催し」で、「先着」50名様に限り、1袋300円(お一人様1回限り)となっており、おいしい「さつまいも」と、「じゃがいも」が詰め放題となっているそうです。

 「匝瑳」の「都市と農村総合交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「催し」「さつまいも&じゃがいも詰め放題」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「さつまいも&じゃがいも詰め放題」詳細

 開催日時 11月27日(日) 9時〜

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 営業時間 9時〜18時

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」ですが、12月1日(木)は「店内清掃」のため、17時00分に閉店するそうですので、ご注意下さい。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3243 |
| 地域情報::匝瑳 | 05:19 PM |
「菅原大神秋の例祭」(銚子市)
 本日ご案内するのは、地元「銚子市」「菅原大神」で11月25日(金)に開催されます「菅原大神秋の例祭」です。

 「菅原道真(スガワラノミチザネ)」公は、「日本」の平安時代に活躍された「貴族」、「漢詩人」、「政治家」で、「参議」・「菅原是麗(スガワラコレヨシ)」公の「三男」として生まれ、「官位」ですが、「従二位」・「右大臣」、「贈正一位」「太政大臣」に就かれていた「人物」です。
 「菅原道真」公の「菅原家」は、「天穂日命(アメノホヒノミコト)」に起源をもち、「曾祖父」「菅原古人」公の時代に、「学問」をもって「朝廷」に仕える「家柄」となっていたそうです。
 「菅原道真」公の「祖父」「菅原清公(スガワラノキヨキミ/キヨトモ)」公と、「父」「菅原是善」公は、ともに「大学頭」・「文章博士」に任ぜられ、「侍読」も務めた「学者」の「家系」であり、当時は「中流」の「貴族」であったそうで、「母方」の「伴氏」ですが、「大友旅人(オオトモノタビト)」公、「大友家持(オオトモノヤカモチ)」公ら「功名」な「歌人」を輩出しています。
 「菅原道真」公の「正室」は「島田宣来子」(「島田忠臣」の「娘」)、「子」は「長男」・「高視」や、「五男」・「淳茂」をはじめ「男女」多数で、「子孫」もまた「学者」の「家」として長く続き、特に「高槻」の「子孫」は「中央貴族」として残り、「高辻家」・「唐橋家」をはじめ6家の「堂上家」(半家)を輩出しました。
 「菅原高視」の「曾孫」・「道真五世」の「孫」が「孝標」で、その「娘」「菅原孝標女(スガワラノタカスエノムスメ)」(「更級日記」の作者)は、「菅原道真」公の「六世」の「孫」に当たるそうです。
 上記のように「菅原道真」公の「祖父」「清公」公は「私塾」を設け、「同所」からは「朝廷」の「要職」に数々の「官人」を輩出し、「菅原家」は「一大学閥」となっていったそうです。

 「菅原道真」公は、類(タグ)いまれなる「才能」の「持ち主」であり、「人々」から厚い「信頼」を得ており、その「ご生涯」は、「政略」による「左遷(サセン)」など「波瀾万丈(ハランバンジョウ)」のものでした。
 「菅原道真」公は、「幼少の頃」より「学問」の「才能」を発揮され、わずか5歳で「和歌」を詠まれるなど、「神童」と称されていました。
 「菅原道真」公が「幼少期」につくったとされる「漢詩」は、下記の通りです。

 月夜見梅花

 月耀如晴雪 梅花似照星
 可憐金鏡転 庭上玉房馨

 月の輝きは晴れたる雪の如し
 梅花は照れる星に似たり
 憐れむべし 金鏡転じ
 庭上の玉房の馨れることを

 今夜の月の光は、雪にお日さまが当たった時のように明るく、
 その中で梅の花は、きらきらと輝く星のようだ。
 なんて素晴らしいのだろう。
 空には月が輝き、この庭では梅の花のよい香りが満ちているのは。

 「菅原道真」公は、さらに「勉学」に励み、「学者」としての「最高位」であった「文章博士(モンジョウハカセ)」となり、「栄進」を続けられ、「青年期」は「学問」だけではなく、「弓」にて「百発百中(ヒャッパツヒャクチュウ)」の「腕前」を披露されるなど、「文武両道」に傑出した「人物」として、その名を馳せていました。
 「菅原道真」公が「」京都 から「讃岐国」の「長官」として赴任された際、疲弊していた「国」を建て直すなど「善政」を行い、「住民」に大変慕われました。
 その実績が「宇多天皇」に認められ、「菅原道真」公は、「京都」に戻り、厚い「信任」を受け、ますます「政治」の中止でご活躍されました。
 「菅原道真」公は、寛平6年(894年)、「唐」(当時の「中国」)の「国情不安」と、「衰退」を理由に「遣唐使(ケントウシ)」「停止」を建議され、後の「国風文化」の「開花」に大きな「影響」を与えました。
 その後「菅原道真」公は、「右大臣」に任じられ、「国家」の「発展」に尽くされていましたが、「左大臣」「藤原時平」の「政略」により、身に覚えのない「罪」によって「大宰府(ダザイフ)」に突如「左遷(サセン)」されることとなってしまいました。

 「菅原道真」公は、「ご家族」とも十分な「別れ」も許されないまま「京都」を離れる際、「ご自宅」の「梅の木」に「別れの歌」を詠まれたそうです。
 「京都」を離れる際に、「菅原道真」公が詠まれた「和歌」は、下記の通りです。

 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
 あるじなしとて 春な忘れそ

 春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
 主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。

 「菅原道真」公は「大宰府」では、「衣食」もままならぬ、厳しい「生活」を強いられながらも、「皇室」の「ご安泰」と、「国家」の「平安」、また「ご自身」の「潔白」をひたすら「天」にお祈りされ、誠を尽されたそうです。
 「菅原道真」公は、延喜3年(903年)2月25日、その清らかな「ご生涯」を閉じられました。
 「菅原道真」公の「死後」、「天変地異(テンペンチイ)」が多発したことから、「朝廷」に「祟り」をなしたとされ、「天満天神」として「信仰」の「対象」となったそうです。
 「菅原道真」公の「死後」、「朝廷」でも「菅原道真」公の「無実」が証明され、「人」から「神様」の「御位」に昇られた「菅原道真」公は、「大宰府天満宮」に永遠に静まり、「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集めており、一般に今日(コンニチ)の「天神さま」の「ご利益」とされているのは、「受験合格」、「詩歌・文筆・芸能上達」、「農業守護」、「商売繁盛」、「病気平癒」といったものだそうです。

 「菅原道真」公は、「福岡県」「福岡市」「中央区」「天神」に鎮座する「水鏡天満宮」(水鏡神社)の「御祭神」として祀られており、「水鏡天満宮」(水鏡神社)には、下記の「由来」が伝えられています。

 この神社は一名水鏡天満宮という。
 社伝によると延喜元年(901年)菅原道真公が太宰権帥に左遷されて博多に上陸の時、四十川(現在の中央区今泉)の清流を水鏡として姿をうつされたので後世その他に社殿を建てて水鏡天神(スイキョウノテンジン)、又容見天神(スガタミテンジン)といった。
 慶長17年(1612年)初代藩主黒田長政が現在の地に移築遷座し、寛永18年(1641年)二代藩主黒田忠之が社殿を再建した現在福岡市の中心「天神」の地名は当社に由来す。
 社宝として、水鏡天神縁起、(大鳥居信祐筆)、鏡天神縁起、渡唐天神像、その他がある。
 尚当宮正面鳥居扁額は、元総理大臣広田弘毅が小学校の時揮毫したものである。
 (鳥居扁額ですが、「北側」は黒田家13代目で貴族院副議長にもなった黒田長成揮毫のもので、南側は昭和の首相広田弘毅の小学校の時の揮毫といわれています。)

 現在の「水鏡天満宮」は、上述のように、当初建設された「場所」から移転されていますが、それは戦国時代に「福岡藩」の「初代藩主」となった「黒田長政」が「水鏡天満宮」を「福岡城」の「鬼門」にあたる「場所」、「東」の「鎮守」の思いを込めて移したためだそうで、そのまま現在の地に鎮座しています。
 また、「水鏡天満宮」(水鏡神社)(水鏡天神)(容見天神)ですが、「菅原道真」公が「博多」に上陸された際、近くの「川」(現在の「薬院新川」)に「自分」の「姿」を映し、やつれた「姿」を嘆き悲しんだことにちなんで建立されたそうです。

 「菅原大神」ですが、「銚子市」「桜井町」に鎮座する「桜井里」の「鎮守」で、1131年(天承元年)11月の「創建」とされ、現在の「菅原大神」「社殿」ですが、1987年(昭和62年)に建立されており、「菅原大神」の「敷地」187坪の「境内」には「萱葺流造」の「本殿」が建っています。
 「菅原大神」は、「菅原大神」という名の通り、「菅原道真」公を祀る「神社」で、「菅原道真」公は、上記のように「学問の神様」・「至誠の神様」として、現在に至るまで永く「人々」の「信仰」を集め、「地元」では「天神さま」と呼ばれ、「菅原大神」は「子授け」の「ご利益」があることでも「全国的」に知られています。

 「銚子市」の「西部」、となりまち「東庄町」(2012年4月15日のブログ参照)に程近い「市内」「桜井町」に鎮座している「菅原大神」は、古来より「桜井の鎮守」として「遠近」の「信仰」があつく、「別名」「子宝神社」とも呼ばれています。
 「菅原大神」では、毎年「春」の2月25日(2016年2月24日・2015年2月23日・2014年2月23日・2013年2月19日・2012年2月20日・2011年2月21日のブログ参照)、「秋」の11月25日(2015年11月24日・2014年11月25日・2013年11月24日・2012年11月24日・2011年11月23日・2010年11月22日のブログ参照)に、「例祭」が行われ、「菅原大神」の「例祭」には、多くの「参拝客」で賑わいます。
 「菅原大神」の「春」、「秋」の「例祭」が賑わう「理由」ですが、「子宝」に恵まれない「婦人」が、「菅原大神」に奉納されている「子宝石」(子産石)をお腹に当て祈念し抱くと「子宝」に恵まれる(授かる)といわれている「伝承」(いい伝え)によるものです。
 「菅原大神」には、大小90個の「子宝石」(子産石)と「丸い石」が、「社(ヤシロ)」に奉納されており、この「石」を抱くと「子宝」に恵まれると伝えられていることから、上記のように「菅原大神春の例祭」、「菅原大神秋の例祭」には「子宝祈願」にお越しになる方や、「子宝」に恵まれた方の「お礼参り」にお越しになる方で賑わうそうです。

 「菅原大神秋の例祭」ですが、11月25日(金)8時00分から「受付」を行い、「式」が始まる前に、「記帳」と、「玉串料」(祈願料)3000円〜を納め、11時00分から「例祭」が行われるそうです。
 「菅原大神秋の例祭」では、上記のように「子宝祈願」が行われ、「神主」による「祈祷」、「詔(ミコトノリ)」と、「神主」の「話」が終わると、記帳した「順」に、「菅原大神」「神殿」の前に出て、「榊(サカキ)」を奉納し、参拝します。
 その後、「菅原大神秋の例祭」では、「子宝石」(子産石)を抱き、「子宝石」(子産石)をお腹に当てて「子宝」を祈願するそうです。

 そもそも「菅原大神」の「子宝石」(子産石)は、昔「菅原大神」から離れたところにあった「お産の神様」である「玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)」を祀った「御産宮(ゴサンノミヤ)」という「神社」に納められていたものだったそうです。
 それが、何らかの「事情」により「菅原大神」に移されたそうで、以来「菅原大神」は「子授けのご利益」を得たいと願う「人々」が参拝するようになっていったそうです。

 「桜井の鎮守」「菅原大神」で開催される「子授けのご利益」を記念・感謝する「秋の神事」「菅原大神秋の例祭」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「菅原大神秋の例祭」詳細

 開催日時 11月25日(金) 8時〜

 開催会場 菅原大神 銚子市桜井町60

 問合わせ 銚子観光商工課 0479-24-8707

 備考
 「菅原道真」公を祀る「天神信仰」の「神社」ですが、「全国」に約10400社にのぼり、その「総本宮」ともいえる「北野天満宮」(京都)と、「太宰府天満宮」(福岡)をはじめ、「各地」の「天神社」・「天満宮」では、毎月、「菅原道真」公の「命日」の25日前後に「天満祭」が行われており、なかでも「大阪天満宮」で行われる「天神祭」(7月25日)は、「全国」でも「有数」の「盛大」な「夏祭り」としても有名です。
 「菅原大神」の「子宝石」(子産石)ですが、昭和60年上半期(1985年4月〜10月5日)に放映された「NHK朝の連続テレビ小説」「第34作」「澪つくし」で「主人公」「古川かをる」(「沢口靖子」さん)が「子宝石」(子産石)を抱き、「子授け」の「ご利益」を祈る「シーン」が放映されたことで、その名が「全国的」に広まったそうです。

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