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「歌と語り 夢二ひと夏の恋〜夢二旅情編〜」(銚子市)
 本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「地球の丸く見える丘展望館」で2月28日(日)に開催されます「歌と語り 夢二ひと夏の恋〜夢二旅情編〜」です。

 「地球の丸く見える丘展望館」は、「銚子市」(2010年9月20日のブログ参照)「天王台」にある「施設」で、「銚子市」から「(一社)銚子市観光協会」が「指定管理」を受け、運営しています。
 「地球の丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)は、「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「高所」(73.6m)である「愛宕山」の「頂上」に位置する「展望観光スポット」です。
 「地球の丸く見える丘展望館」からの「眺望」ですが、「北」は「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は「一望千里」に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)」(2012年5月20日のブログ参照)から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せます。
 「地球の丸く見える丘展望館」では、「標高」約90mの「展望スペース」から360度の「大パノラマ」が広がり、緩やかに弧(コ)を描いた「水平線」によって、その名の通り、「地球の丸さ」を実感できる「展望施設」となっています。
 「地球の丸く見える丘展望館」からは、「銚子市」が三方を「水」に囲まれている様子が実感でき、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「河口」から「君ヶ浜」(2011年6月1日のブログ参照)、「犬吠埼」(2012年4月16日のブログ参照)、上述の「屏風ヶ浦」に至る「海岸線」を望め、「砂浜」あり、「断崖絶壁(ダンガイゼッペキ)」ありと、変化に富んだ雄大な「景観美」を堪能できるそうです。

 「地球の丸く見える丘展望館」には、「地球の丸さ」を実感できる「展望スペース」(屋上)を筆頭に、「銚子」の「特産品」「地酒」・「醤油」をはじめ、豊富な「お土産」・「名産品」が揃った「お土産コーナー」(売店)(1F)、季節ごとに行われる「各種企画展」が定期的に催される「イベントホール」(企画展示室)(2F)、「常設展示」として2012年に認定されました「銚子ジオパーク」(2012年12月9日・9月25日のブログ参照)「関連資料」の「展示」をしている「銚子ジオパーク展示場」(2F)、「銚子海洋研究所」の「イルカウォッチング」(2010年12月19日のブログ参照)で撮影された「写真」の「展示」(2F)、「イルカウォッチング」もしくは「銚子のPR」「映像」を映す「映像鑑賞コーナー」(2F)、「銚子沖」(名洗沖)で実験稼働中の「洋上風力発電」の解説(2Fエントランス)、「展望スペース」に向かう途中にある眺望
のよい「休憩スポット」「喫茶コーナー」・「展望ラウンジ」「くつろぎスペース」「カフェ330」(3F)があります。
 「地球の丸く見える丘展望館」の「イベントホール」ですが、上記のように季節ごとに、「写真展」や「絵画展」など「各種企画展」が行われており、多くの「観光客」、「地元客」の「皆さん」が訪れています。

 「竹久夢二(タケヒサユメジ)」(2011年5月28日のブログ参照)(1884年(明治17年)9月16日〜1934年(昭和9年)9月1日)は、「日本」の「画家」・「詩人」で、「本名」は「竹久茂次郎(タケヒサモジロウ)」です。
 「竹久夢二」は、数多くの「美人画」を残しており、その抒情的(ジョジョウテキ)な「作品」は「夢二式美人」と呼ばれ、「大正ロマン」を代表する「画家」で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともあり、また、「児童雑誌」や、「詩文」の「挿絵」も描いたそうです。
 「竹久夢二」は、「文筆」の「分野」でも、「詩」、「歌謡」、「童話」など創作しており、なかでも、「詩」「宵待草」には「曲」が付けられて「大衆歌」として受け、「全国的」な「愛唱曲」となりました。
 また、多くの「書籍」の「装幀(ソウテイ)」、「広告宣伝物」、「日用雑貨」のほか、「浴衣(ユカタ)」などの「デザイン」も手がけており、「日本」の「近代グラフィック・デザイン」の草分けのひとりともいえます。

 「竹久夢二」は、彼自身の独特な「美意識」による「夢二式美人画」と呼ばれる「作品」の多くは、「日本画」の「技法」で描かれ(軸物や、屏風仕立てで遺る)、また、「洋画」(キャンバスに油彩)「技法」による「女性像」や、「風景画」も遺されています。
 好んで「様々」な「表現形式」を試みたそうですが、むしろ、それらは後世になってから評価されたもので、当時の時点においては、印刷された「書籍」の「表紙」や、「広告美術」などが多くの目に触れ、「大衆人気」という形で脚光を浴びたのであったそうです。
 「竹久夢二」は、一時は「中央画壇」への憧れもあったようですが、受け入れられず、終生「野」にあって新しい「美術のあり方」を模索したそうです。

 「世の動き」としてみた場合、「当時の画壇」では「様々」な「芸術思潮」が交錯し、ある意味で胎動期の不足のさなかであったそうです。
 「都市」における「大衆文化の開花」による「消費生活の拡大」を背景とした、新しい「応用美術」としての「デザイン」というものの黎明の時代であり、「夢二」もこれに着目したそうです。
 「竹久夢二」「生涯」の「後期」にいたっては、彼の「図案家」としての「才能」の「実績」において、「生活」と結びついた「美術」を目指し、あるいは「産業」と融合すべきとの「理念」を持ち、むしろ積極的に、「商業美術」(のちにいわれるグラフィック・デザイン)の「概念」を描いていたようです。
 「竹久夢二」の「榛名山産業美術研究所」の「構想」や、「先進欧米視察」への「野望」がこのことを裏付けています。
 「竹久夢二」の「画集」、「詩文集」・「童話」は21世紀に入っても「様々」な「装丁」で刊行されています。

 「竹久夢二」の関わった「女性達」ですが、「竹久夢二」の「恋愛遍歴」についても「数々」の「評伝」があり、自身の「日記」や、「手紙」などで語られる「愛の言葉」は、後世の多くの「創作」の「題材」ともなっています。
 特に、下記3人が「夢二をめぐる3人の女性」として、しばしば取り沙汰されています。

 たまき

 1882年(明治15年)7月28日〜1945年(昭和20年)7月9日、石川県金沢市出身、本名は岸他万喜。

 戸籍上唯一妻となった女性である。
 兄を頼って上京後、結婚歴があり死別した前夫との間に二児があった。
 自立のために早稲田鶴巻町に開店した絵葉書店「つるや」に、夢二が客として毎日店に通いつめた挙句、2ヶ月後には結婚にいたった。
 2年後には離婚するが、その翌年に再び同棲、そして、別居を繰り返す。
 夢二が彦乃を知った後の大正4年(1915年)、たまきと画学生東郷鉄春(青児)との仲を疑い、富山県の海岸で夢二がたまきの腕を刺すことによって破局を迎え絶縁にいたる。
 しかし、たまきは結核療養中の夢二を信州まで見舞い、また夢二亡き後も終生彼を慕い続けたという。

 彦乃

 1896年(明治29年)3月29日〜1920年(大正9年)1月16日、山梨県南巨摩郡西島村(現・身延町西島)生まれ、本名は笠井ヒコノ。別名に山路しの。

 日本橋の紙問屋の娘として裕福に育ち、女子美術学校の学生であった。
 夢二のファンであり、絵を習いたいと「港屋絵草子店」を訪問し、交際が始まる。
 たまきと別れ京都に移り住んだ夢二としばらく同棲するが、大正7年(1918年)九州旅行中の夢二を追う途中、別府温泉で結核を発病。
 父の手によって東京に連れ戻され、夢二は本郷菊富士ホテルに移るが、面会を遮断される。
 御茶ノ水順天堂医院に入院した彦乃は、そのまま短い人生を終える。
 夢二は彦乃を最も愛していたようであり、その死後しばらくショックから立ち直れなかった。
 「彦乃日記」をのこす。

 お葉

 1904年(明治37年)3月11日〜1980年(昭和55年)10月24日、秋田県出身、本名は永井カ子ヨ。

 上京後、東京美術学校のモデルとして人気があった。
 藤島武二、伊藤晴雨らのモデルをつとめた後に、菊富士ホテルに逗留していた夢二のモデルとして通ううちに同棲、渋谷(現在の渋谷ビーム、同地に石碑あり)に所帯をもつ。
 大正13年(1924年)、夢二が設計した世田谷「少年山荘」に一緒に移り住んだ。
 一児をもうけるが夭折。
 翌14年にお葉は自殺を図り、半年後に別離する。
 後、医師と結婚し主婦として穏やかな生涯を過ごした。

 「夢」と「憧れ」に生きた「叙情詩画人」「竹久夢二」は「房総」に魅せられたひとりで、とくに「銚子」の「海岸」は「夢二」の「詩心」をかきたてたらしく、3回も訪れており、なかでも3度目は、明治44年(1911年)8月29日から9月6日までの「長期滞在」であったそうで、この時、「宵待草」の「詩想」が生まれたといわれています。
 大正2年(1913年)11月「実業之日本社」「発行」の「どんたく」に、「原詩」の「八行詩」に改作して掲載されています。

 「宵待草」原詩

 遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
 待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心ともなき
 想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな

 「宵待草」
 待てど 暮らせど 来ぬ人を
 宵待草の やるせなさ
 今宵は月も 出ぬさうな

 大正7年(1918年)秋、この「詩」に「多忠亮(オオノタダスケ)」(当時・宮内庁雅楽部勤務)が「曲」をつけ、「宵待草」は「大ヒット」したそうです。
 「宵待草」ですが、哀愁に満ちた「詩」と、感傷的な「メロディー」は、多くの「人たち」に愛唱され歌い継がれています。
 なお「宵待草」は本来、「植物学的」には「マツヨイグサ(待宵草)」が正しく、「ツキミソウ(月見草)」などと同種の、群生して可憐な「花」(待宵草は黄色、月見草は白〜ピンク)をつける「植物」のことで、「竹久夢二」は後になって誤りに気づいたそうですが、「歌」が有名になりすぎたので訂正しなかったそうです。

 「竹久夢二」は明治40年(1907年)夏に続いて明治43年(1910年)8月、別れたはずの「妻・たまき」をつれて「銚子」の「海鹿島(アシカジマ)」を訪れました。
 当時の「文人・墨客」が利用した「民宿宮下」に投宿、この時、「夢二」は「お島さん」という「女性」と恋仲になっています。
 「宮下」の南隣に住む「元北海道福山藩士」「長谷川康(コウ)」の「三女」「賢(カタ)」が、その人であるといわれています。
 翌年8月29日、「夢二」は再び「海鹿島」を訪れましたが、すでに「お島さん」の「姿」はなく、「お島さん」は、「鹿児島」の「教師」のもとに嫁いでいたそうです。
 「夢二」は「お島さん」のいない「海鹿島海岸」をさまよい、「夏の日」の「恋」を追憶しながら「宵待草」の「詩」をつくりました。
 「海鹿島」にある「詩碑」は、昭和46年(1971年)2月に、「房総夢二会」の「皆さん」により建立され、「長方形」の「コンクリート碑」には、「銅版」に刻んだ「詩文」と、「夢二像」がはめ込まれています。

 「歌と語り 夢二ひと夏の恋〜夢二旅情編〜」ですが、「地球の丸く見える丘展望館」で2月28日(日)に開催される「イベント」で、「開演」は、13時30分、15時30分と1日2回となっています。
 「語り 夢二ひと夏の恋」の「内容」ですが、「竹久夢二」が避暑(ヒショ)で訪れた「銚子の町」を、「夢二」のロマン溢れる「宵待草」の「歌」と共に語るそうです。
 「歌と語り 夢二ひと夏の恋〜夢二旅情編〜」の「出演」は下記の通りです。

 関根まゆみ さん
 手束聡子 さん
 宮本香苗 さん
 伊勢岐代子 さん
 宮内美喜 さん

 また「地球の丸く見える丘展望館」では、「歌と語り 夢二ひと夏の恋〜夢二旅情編〜」と同時開催で、「ようこそ宵待草のふるさと銚子へ2」と題し、「竹久夢二」の「木版画」・「貴重な各種資料展示」も行われます。

 「地球の丸さ」が実感できる「人気スポット」「地球の丸く見える丘展望館」で開催される「催し」「歌と語り 夢二ひと夏の恋〜夢二旅情編〜」。
 この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「歌と語り 夢二ひと夏の恋〜夢二旅情編〜」詳細

 開催日時 2月28日(日) 開演 13時半〜 15時半〜

 開催会場 地球の丸く見える丘展望館 2F映像ブース 銚子市天王台1421-1

 入館料  大人 380円 小中学生 200円 65歳以上 330円

 営業時間 9時〜17時 (10月〜3月)(晴天時は日没まで)

 ※4月〜9月は、9時〜18時半

 問合わせ 地球の丸く見える丘展望館 0479-25-0930

 備考
 「地球の丸く見える丘展望館」で開催される「歌と語り 夢二ひと夏の恋〜夢二旅情編〜」ですが、「観劇無料」、別途「入館料」が必要です。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2847 |
| 地域情報::銚子 | 08:25 PM |
「天空に舞うハープの調べ」(芝山町)
 本日ご紹介するのは、近隣市「芝山町」「航空科学博物館」で2月27日(土)に開催されます「天空に舞うハープの調べ」です。

 「航空科学博物館」(2011年6月7日のブログ参照)は、「航空」に関する「科学知識」について、その「啓発」を図り、もって「航空思想」の「普及」及び「航空科学技術」の「振興」に寄与し、あわせて「日本」の「航空」の「発展」に資することを「目的」に、「総合的」な「航空思想普及施設」として「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)側に平成元年(1990年)に、「山武郡」「芝山町」「岩山」に開館しました。

 「航空科学博物館」ですが、「中央棟」、「西棟」、「東棟」、「展望塔」、「屋外」からなり、「地上2階一部5階」の「建物」が構成されています。
 「航空科学博物館」「1階」「中央棟」には、「アンリ・ファルマン複葉機」の「実物大復元模型」(イラスト有り)と、「ピストン・エンジンコーナー」、「ミュージアムショップ」「バイプレーン」があり、「航空科学博物館」「1階」「西棟」には、「ボーイング747大型模型」(操縦体験可能・要「整理券」)と「ボーイング747」の「客室」・「コックピット」・「タイヤ」、「DC-8前脚」、「旅客機の胴体比較」(DC-8とYS-11)、「DC8シミュレーター」(パイロット訓練用シミュレーターを改修したもの)があります。
 「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」には、「航空機」の「スケールモデル」など「航空関係」の「品物」をたくさん取り揃えています。
 「航空科学博物館」「バイプレーン」では、たくさんの「要望」に応え、あの「カレンダー」が戻ってきたそうです。
 「カレンダー」ですが、「世界各地」から「様々」な「航空会社」が乗り入れする「成田国際空港」の「色とりどり」の「航空機」のみならず、「四季折々」の「風景」も、美しい「航空科学博物館」周辺の「情景」の「カレンダー」に仕上がっており、「航空科学博物館」「ミュージアムショップ」「バイプレーン」にて販売しているそうです。

 「航空科学博物館」「2階」「中央棟」には、「下田画伯」の「イラスト」による「飛行機のあゆみ」と、「日本の名機」と「歴史的」な「ソリッドモデル」、「西棟」には、「小型機」・「ヘリコプター」の「コックピット」(「操縦席」に座れます)と「戦前」・「現在」の「パイロット」の「制服比較」、「東棟」には、「NAAコーナー」と、「エコエアポートコーナー」、「成田国際空港」を「インターネット」や「ビデオ」、「模型」等で紹介する「コーナー」があります。

 「航空科学博物館」「2階」「東棟」にある「成田国際空港」を紹介する「NAAコーナー」ですが、昨年(2014年)3月25日に「リニューアルオープン」しています。
 「航空科学博物館」「NAAコーナー」ですが、「成田空港ジオラマ」、「音の体験ルーム」、「情報コーナー」、「エコエアポートコーナー」からなり、「様々」な「方向」から「成田国際空港」について学べる「施設」となっており、白く「スタイリッシュ」な「デザイン」に一新された「成田空港ジオラマ」と、「楽しく、分かりやすく」を「コンセプト」に「内容」を一新した「音の体験ルーム」がリニューアルされています。

 「航空科学博物館」「3階」は、「展望台」(屋上)となっており、「成田国際空港」を「離着陸」する「ジャンボ」を「間近」に眺め、「迫力」ある「航空機」の「エンジン音」を体験できるようになっています。
 「航空科学博物館」「4階」は、「展望レストラン」「バルーン」となっており、「展望レストラン」「バルーン」では、「成田国際空港」の素晴らしい「眺め」を見ながら「食事」ができます。
 「航空科学博物館」「5階」では、「ガイドの説明」(土・日・祝日中心)を「参考」に「離着陸」する「ジャンボ」を見ることができるそうです。
 「航空科学博物館」「屋外」には、「航空機」と「多目的広場」があり、「小型機」や「ヘリコプター」の「実物」を展示、「YS11試作1号機」(イラスト有り)や「セスナ195」「朝風」(イラスト有り)等があり、「有料搭乗航空機」として「プロペラ」が回る「飛行機」や「ヘリコプター」に搭乗できる「有料体験装置」があるそうです。
 「航空科学博物館」の「沿革」ですが、下記の通りとなっています。

 1977年(昭和52年) 地元自治体の芝山町より成田空港の開港に関連した博物館建設の要望が運輸大臣に提出される。

 1984年(昭和59年) 博物館の建設・運営の事業主体となる財団法人航空科学振興財団が設立。

 1988年(昭和63年) 博物館工事に着工。

 1989年(平成元年) 8月1日 開館。

 1994年(平成6年)  入館者100万人を達成。

 1999年(平成11年) 成田空港第1ターミナルビル内にミュージアムショップ「バイプレーン」を開店。

 2004年(平成16年) 1月18日 入館者300万人を達成。

 2011年(平成23年) 6月23日 成田国際空港株式会社が航空科学博物館敷地(駐車場)内に成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港空と大地の歴史館」を建設し、開館。

 2012年(平成24年) 4月1日 公益財団法人航空科学博物館に移行。

 「航空科学博物館」では、「航空」に関する「科学知識」に関する「講習会」、「講演会」、「見学会」、「航空教室」、「セミナー」等を開催しており、「四季折々」「様々」な「催し」、「イベント」を行っています。
 また「航空科学博物館」では、「展示即売会」(「航空スケッチ大会」、「紙飛行機工作教室」、「航空機の部品」・「航空グッズ」の「販売」を行う「航空ジャンク市」等)などを催行しています。

 「ハープ」(英・harp)は、「西洋音楽」で用いられる「弦鳴楽器」です。
 「ハープ」ですが、「弦鳴楽器」の「5分類」の内「ハープ属」に属し、「楽器用法」としては「弦楽器」に属し、「弓」を使わずにもっぱらはじいて「音」を出すため、「撥弦楽器」に分類されます。
 なお、「オーケストラ」においては、「弦楽器」の「主体」となる「ウ゛ァイオリン属」の「楽器」と、「音色」も「奏法」も大きく異なるため、「弦楽器群」の「楽器」のひとつとしてではなく、「挿入楽器」として扱われ、「日本語」では「竪琴(タテゴト)」と呼ばれる「楽器群」に含まれるそうです。

 「ハープ」は、「共鳴胴」の「両端」を2本の「棹」を立て、2本の「先」を結び、「棹」のうちの「曲線状」になった「方」と、「共鳴胴」との「間」に平行に「弦」を並べて張り、「弦」の「数」ですが、数十本に及び、この「弦」を「指」で弾いて演奏します。
 「ハープ」は、最も古い「楽器」のひとつで、「同種」の「楽器」は「世界各地」に分布しており、「アイリッシュ・ハープ」、「アルバ」がその例です。
 「ワーグナー」「作曲」、「楽劇」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」において、「ベックメッサー・ハープ」が使われ、これは「小型」の「ハープ」であり、「古楽器」に近いそうで、なお、「ブルースハープ」は、「ハーモニカ」の「俗称」で「ハープ」との「直接」の「関連」はないそうです。

 「ハープ」の「起源」ですが、「狩人」の「弓」ではないかと考えられています。
 最も古い「ハープ」の「記録」は紀元前4000年の「エジプト」と、紀元前3000年の「メソポタミア」のものではないかといわれています。
 「ハープ」ですが、古代の「叙事詩」や、「エジプト」の「壁画」に現れ、「世界中」の多くの「音楽文化」で発展し「独自」の「展開」を遂げました。
 「聖書」にも「ハープ」は登場し、「ダビデ王」が最も「著名」な「ミュージシャン」でありますが、実際にはその「ハープ」は「kinnor」と呼ばれ、「十弦」の「一種」の「リラ」であったそうです。
 「レバーハープ」(lever harp)は「演奏中」に「キーチェンジ」を可能にするもので、17世紀に生まれ、これが発展し、「近代的」な「コンサートハープ」が生まれました。

 現代の「西洋音楽」の「演奏」や、「オーケストラ」、「室内楽」などで広く用いられている「ハープ」は、「ダブル・アクション・ペダル・ハープ」です。
 これは、「主」に47本の「弦」を「変ハ長調全音階」で張り(半音低く調律された白鍵のみのピアノのイメージ)、7本の「ペダル」(上から順にフラット、ナチュラル、フラット)を「足」で操作することにより、「各オクターブ」の「ハ」、「ニ」、「ホ」、「ヘ」、「ト」、「イ」、「ロ」それぞれの「弦」を同時に「半音」上げたり、「全音」上げたりできるようになっている「ハープ」です。
 「全音階ハープ」を「転調」などに対応できるようにするため、「楽器職人」「セバスチャン・エラール」等により作られました。
 この「仕組み」により、「様々」な「調」を演奏することができますが(調によっては異名同音的に)、どんなに熟練しても「ペダル」の「操作」を全くの瞬時に行うことは「不可能」であるため、「オーケストラ」などでは2人で演奏することによって、「ペダル操作」の「不完全さ」を補うことがあるそうです。
 また、「ダブル・アクション・ペダル・ハープ」に代わる「楽器」として、「半音」ごとに「弦」が張られた「クロマティック・ハープ」というものも19世紀に作られましたが、結局は廃れてしまったそうです。

 「ハープ」の「音域」は「6オクターブ半」を持ち、「最高音」は「中央ハ」の「3オクターブ半上」の「変ト」(ペダルで嬰ト(えいト)になる)、「最低音」は「中央ハ」の「3オクターブ下」の「変ハ」です。
 「ハープ」のいちばん「高音」から「0オクターブ」(2音のみ)、「1オクターブ」…「7オクターブ」(3弦のみ)と数えるそうです。
 「ハープ」の「弦」には「識別」のために「色」が付けられており、「各オクターブ」の「ハ」(C)の「音」が「赤」、「ヘ」(F)の「音」が「青」(黒)となっています。

 「天空に舞うハープの調べ」ですが、「航空科学博物館」「西棟」「1階」を「会場」にして開催される「」で、2月27日(土)の12時00分からと、15時00分からの1日2回行われます。
 「天空に舞うハープの調べ」の「料金」ですが、「入館料」のみとなっています。
 「天空に舞うハープの調べ」の「演奏者」ですが、「Yasuko」さんだそうです。

 「航空専門」の「科学博物館」「航空科学博物館」で開催される「イベント」「天空に舞うハープの調べ」。
 この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「天空に舞うハープの調べ」詳細

 開催日時 2月27日(土) 12時〜、15時〜

 開催会場 航空科学博物館 西棟1階 山武郡芝山町岩山111-3

 開館時間 10時〜17時 (入館締め切り 16時半)

 休館日  月曜日 (祝日の場合 翌日)

 入館料  大人500円 中高生300円 4歳以上〜小学生200円

 問合わせ 航空科学博物館 0479-78-0557

 備考
 「航空科学博物館」では、3月5日(土)10時00分〜17時00分・3月6日(日)10時00分〜16時00分に「人気イベント」「航空ジャンク市」が開催されます。
 「航空ジャンク市」の開催に伴い、「ライブラリー」・「多目的ホール」の「利用」ですが、3月1日(火)から6日(日)まで「休止」となり、また「DC-8シミュレーター」の「運航」ですが、3月1日(火)、3月4日(金)〜6日(日)までは「休止」となるそうですので、ご注意下さい。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2846 |
| 地域情報::成田 | 08:25 PM |
「田近憲三拓本コレクション展」(成田市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「成田市」「成田山書道美術館」で2月27日(土)〜4月17日(日)の期間開催されます「田近憲三拓本コレクション展」です。

 「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)は、「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「大本堂」の「奥」に広がる「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)の「一角」に建つ「書」の「専門」「美術館」です。
 「成田山書道美術館」は、「水」と「木々」が快(ココロヨ)い「調和」を生んでいる「成田山公園」の「三の池」の「畔(ホトリ)」に佇んでおり、「成田山書道美術館」「館内」には、「書の世界」が広がっています。
 「成田山書道美術館」は、江戸末期から現代に至る「日本」の「書道作品」や「資料」を収蔵し、展示しており、特に「成田山書道美術館」では、あまりにも現代に近いが故(ユエ)に見過ごされがちな「近代日本」の「書作品」を広い「視野」から収蔵しています。

 「成田山書道美術館」「展示棟」1階ですが、「吹き抜け」になった「中央プラザ」をもつ「企画展示室」や「高さ」13mの「壁面」をもち、ゆったりとした「空間」で「作品」を鑑賞することができます。
 「成田山書道美術館」2階ですが、「常設展示室」となっており、「回廊式」の「ギャラリー」となっています。
 「成田山書道美術館」は、「書」の「総合美術館」として、優れた「作品」を鑑賞できることはもちろん、「作品」の「保存」・「研究」・「普及」など、「専門家」から「一般の人」が楽しめるそうです。

 「成田山書道美術館」は、「近現代」の「書蹟」の「収蔵」では、「質量」ともに「群」を抜いており、これらを生かした「展示」・「普及」・「研究活動」が行われています。
 「成田山書道美術館」ですが、「書」を「専門」とした「美術館」として「書文化」の「興隆」に貢献し、「書」を含む「美術」「全般」に「目」を向け、「美術館」の「施設」を生かした「複合的」な「展示」に取り組んでおり、「書」は「苦手」という「人」でも「抵抗」なく楽しめるように「展示」・「運営」されています。

 「成田山書道美術館」では、「テーマ」を変えながら「年間」6〜7回「展示」を行っています。
 「近現代」の「書」は、「鑑賞」という「点」において、「絵画」や「彫刻」などと比べるとまだまだ「発展途上」のようですが、「成田山書道美術館」では、「様々」な「切り口」での「展示」を「企画」し、「書の魅力」を「多方面」に感じられる「場」を提供しています。

 「田近憲三拓本コレクション展」ですが、「成田山書道美術館」で2月27日(土)から4月17日(日)までの「期間」開催される「コレクション展」です。
 「田近憲三拓本コレクション展」の「開催要項」、下記の通りです。

 田近憲三(1903年〜1989年)は、南画家の田辺竹邨を父に持ち、京都一中を卒業後はパリにおいて油彩画と美術史を学び、後に美術評論家として活躍しました。
 評論家としての活動もさることながら、彼の業績として必ず挙げられるのが今回出陳する拓本のコレクションです。
 中国学者の長尾雨山に漢学の薫陶を受けた田近憲三が蒐集したコレクションは、現在、当館に収蔵されています。
 コレクションの内容は中国の拓本が大半を占めています。
 また、時代的にほぼ網羅されて稀少なものも多く含まれています。
 多くの拓本が、第二次世界大戦後すぐの混乱期に蒐集されたという時代背景や、彼自身が装丁を手掛けた拓本からは、彼のコレクションに対する篤い情熱が感じられます。
 本展では、一千点を超える蒐集拓本から、雑誌「書品」や「書跡名品叢刊」の底本として用いられたものをはじめ、前回の田近憲三拓本コレクション展で出品できなかったものを含む70余点を出陳致します。
 国内有数の内容を誇る拓本コレクションをお楽しみいただけましたら幸いです。
 なお、1階の展示は、4月1日より第32回成田山全国競書展となります。

 「成田山書道美術館」「HP」「催事案内」参照、原文まま表記

 「書」の「総合美術館」「成田山書道美術館」で開催される「コレクション展」「田近憲三拓本コレクション展」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「田近憲三拓本コレクション展」詳細

 開催期間 2月27日(土)〜4月17日(日)

 開館時間 9時〜16時(最終入館は15時半まで)

 開催会場 成田山書道美術館 成田市成田640

 休館日  月曜日 (月曜が休日の場合開館し、翌日休館)

 入館料  大人500円 高校・大学生300円 中学生以下無料

 問合わせ 成田山書道美術館 0476-24-0774

 備考
 「成田山書道美術館」では、「成田山書道美術館」「受付スタッフ」を募集しているそうです。
 「成田山書道美術館」「受付スタッフ」「仕事内容」ですが、「受付業務」、「販売業務」、「館内巡視業務」、その他総務の指示による「ポスター配布」、「展示作業」、「イベント業務補助」等となっているそうです。
 詳しくは、「成田山書道美術館」「HP」「成田山書道美術館受付スタッフ募集」を参照下さい。

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| 地域情報::成田 | 06:23 PM |

 
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