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お夕食が春のお献立になりました♪
お夕食が春のお献立になりました♪

平日一泊二食基本プランのお夕食が春のお献立になりましたのでご案内いたします。


【先付】   蕗西京漬 & 菜花おひたし

【造り】   新鮮魚貝の5点盛合せ

【蒸物】  春キャベツと魚真丈のミルフィーユ

【台物】  水郷地鶏&シャキシャキレタス生姜鍋

【焼物】  目鯛の味噌クリーム焼き

【煮物】  金目鯛の黄飯蒸し

【揚物】  天婦羅いろいろ

【食事】  千葉県産こしひかりご飯
             香の物・つみれ味噌汁




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| お知らせ | 03:33 PM |
「旭市道の駅名称決定」「道の駅季楽里(きらり)あさひ」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」で決定しました、この「秋」オープンを予定している「旭市道の駅」「名称」「道の駅季楽里(きらり)あさひ」です。

 「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏に位置している「市」で、「人口」は約7万人の「自治体」です。
 現在の「旭市」の「人口」ですが、67920人(男・33368人、女・34552人、世帯数・25190世帯)となっています。
 「旭市」の「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「旭市」の「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」と、なだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
 「旭市」ですが、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、2005年(平成17年)7月1日に「対等合併」し、新「旭市」として「スタート」しています。
 「旭市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。

 「旭市」の「大きさ」ですが、「東西」に約17.7km、「南北」に約13.5km、「面積」は129.91平方km、「標高」は、「海抜」68.4m(飯岡「刑部岬(ぎょうぶみさき)」(2012年5月26日のブログ参照)付近)以下、「旭市内」の「全域」に及ぶ「平野部」は「海抜」3〜10mと「平坦」です。
 「旭市」「南部」「太平洋」に面する「海岸」「九十九里浜」は、「遠浅」の「砂浜」で、「夏」の「海水浴場」だけではなく、1年を通し、「海釣り」や「サーフイン」(サーフスポット)として賑わっています。
 なお「旭市」の「九十九里浜」ですが、「日本の白砂青松100選」、「日本の渚百選」に選定されています。

 「旭市」は「通年」として「温暖」な「気候」(平均気温は15℃)で、「冬」暖かく、「夏」涼しい「環境」を活かし、「農業」が盛んに営まれており、「干潟八万石」の「肥沃(ひよく)」な「水田」で採れる「水稲」はもとより、「施設園芸」による「キュウリ」・「トマト」などの「野菜づくり」、「カーネーション」、「ガーベラ」などの「花卉栽培」などが行われています。
 「旭市」の「基幹産業」のひとつ「農業」ですが、「旧・海上町」では、「大豆」や「マッシュルーム」、「花卉栽培」など盛んに営まれており、「生産者」の「新規事業」への「取り組み意欲」も「旺盛」で、「まち」として「都市と農村の交流」を「目的」にした「食料と農業に関する基本協定調印式」なども行われ、「旧・干潟町」は、「椿海」()を干拓した「干潟八万石」を「中心」に「県内有数」の「穀倉地帯」となっており、「米」や「蔬菜(そさい)」、「ミニトマト」、「ヤマトイモ」、「落花生」などを産し、「養鶏」、「養豚」などの「畜産加工品」も盛んに営まれています。
 特に「旧・干潟町」の「萬歳地区」は、「干潟八万石」が育んだ、「安心」・「安全」な「ブランド米」「萬歳米」の「産地」として知られており、「萬歳」の「由来」ですが、「千歳」、「萬歳」いつまでも栄えるように、との「願い」を込めて名付けられています。
 「旧・飯岡町」では、「メロン」の「飯岡貴味(いいおかたかみ)メロン」、「いちご」の「女峰」、「さちのか」、「とちおとめ」、「トマト」の「桃太郎」等が盛んに営まれており、「旧・旭市」では、「いちご」(2011年12月14日・2010年12月10日のブログ参照)、「キュウリ」、「トマト」、「梨」、「花卉栽培」が盛んに営まれており、「関東有数」の「畜産加工品」の「中心地」として知られています。
 「旧・飯岡町」、「旧・旭市」の「いちご」ですが、「ハチミツをかけたような甘さ」と表現され、「夜冷育苗」や「山上げ育苗」などの「促成栽培」によって11月から「市場」に出回り、「収穫」の「ピーク」をずらしながら、「初夏」まで「常」に高い「品質」を保っており、現在でも「旭市内」で「いちご狩り」が楽しめ、「直売所」もあります。
 「旧・旭市」「農産物」の中でも特に「キュウリ」は、「国」の「指定産地」であり、「県内1位」の「出荷量」を誇り、「代表」する「野菜」のひとつで、「越冬キュウリ」や「春キュウリ」は特に「有名」で、「路地物」が出回らない11月〜6月の「時期」にみずみずしい「キュウリ」を供給しており、「トマト」も「国」の「指定産地」となっており、「生産額」でも「国内トップクラス」を誇り、「旭市独自」の「ブランド」である「味彩トマト(あじさいとまと)」は、ほどよい「甘味」と爽やかな「酸味」が評判で、7月頃から9月下旬まで収穫されています。

 「旭市」「飯岡漁港」での「水産業漁獲量」も「県内2位」となっており、「旭市」「飯岡」の「伝統加工品」の「丸干しいわし」は「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても「注目」を集めています。
 「飯岡漁港」は「沖合・沿岸漁業」の「根拠地港」として成り立ち、「水揚げ」の90%を占める「昔」からの「代表的漁獲物」である「イワシ」を獲る「まき網漁業」(揚操網)を「中心」に、「シラウオ」・「シラス」を獲る「船びき網漁業」、「ヒラメ」や「イセエビ」などの「高級魚」を獲る「固定式さし網漁業」、「ハマグリ」や「赤貝」(サトウガイ)を獲る「貝巻き網」などの「漁業」が営まれており、平成20年(2008年)には約3万9千t(トン)が水揚げされ、「県下」では「水産漁獲量」において「銚子漁港」(2012年1月24日のブログ参照)に次ぐ「県下第2位」の「地位」を「不動」のものとしています。
 「飯岡地区」の「伝統加工品」である「丸干しいわし」ですが、「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても「注目」を集めており、また「旭市」の「九十九里地域」の「広大」な「砂丘域」である「九十九里浜」では、「蛤(ハマグリ)」や「サトウガイ」(赤貝)などの「採貝漁業」が営まれており、「千葉県」が創設している「千葉のさかな」「認定制度」「千葉ブランド水産物」(2011年2月14日のブログ参照)に2012年(平成24年)11月14日に認定された「九十九里地はまぐり」(2012年12月17日のブログ参照)が新しい「特産品」となっています。
 ちなみに「旧・飯岡町」の「漁業」の近年の「沿革」ですが、昭和33年(1958年)「飯岡町漁業協同組合」設立、昭和45年(1970年)に、「飯岡町漁協」、「海上郡漁協」、「豊富漁協」、「匝瑳郡漁協」(飯岡町、旭市、野栄町、八日市場市、光町(当時))にまたがる「広域合併」を行い「海匝漁協」が設立され、合併に並行して「漁港」の「整備」も進み、昭和57年(1982年)2月に「飯岡漁港」が「正式」に開港し、「盛大」に「開港式」が執り行われたそうです。

 上記のように「旭市」は、「特産」の「貴味メロン」、「梨」、「いちご」の「観光農園」、「畜産業」もあり、「農産物」から「畜産物」・「水産物」までなんでもそろう「食料のまち」で、「旭市」は「千葉県内屈指」の「食料供給基地」となっています。

 また「旭市」は、「多彩」な「レジャー」が楽しめる「まち」として知られており、「旭市」では、「海水浴」、「サーフィン」、「パークゴルフ」、「キャンプ」、「釣り」などが楽しめます。
 「旭市」の「主」な「レジャースポット」ですが、下記の通りとなっています。

 「海水浴」「サーフィン」「スポット」

 矢指ヶ浦海水浴場(やさしがうらかいすいよくじょう)(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)

 飯岡海水浴場(2014年7月14日・2013年7月12日・2012年7月17日のブログ参照)

 「パークゴルフ」

 あさひパークゴルフ
 旭市中谷里8340番地53
 0479-62-8989

 「キャンプ」

 海上キャンプ場
 旭市岩井1000
 0479-55-5250

 「釣り」「スポット」

 長熊釣堀センター(2012年5月4日のブログ参照)
 旭市萬力3566-1
 0479-68-4602

 袋の溜池(袋東公園)
 旭市鎌数4013
 0479-62-7537(旭市観光協会)

 「海釣り」「スポット」

 飯岡漁港(2012年6月6日のブログ参照)の釣り船

 飯岡地先海岸部全域(投げ釣り)

 「旭市」の「平均気温」ですが、15℃と「温暖」な「気候」で、「旭市」では、「気候風土」を活かし、「産業」では、「施設園芸」、「畜産」、「稲作」、「露地野菜」など盛んに営まれている「農業」をはじめ、「水産業」、「商業」、「工業」など、「バランス」良く「成長」しています。
 現在、「旭市」は、「東総地域」の「中核都市」として、「今後」の「発展」が期待されており、「新・旭市」では「将来都市像」として

 「ひとが輝き みどりがつくる 健康都市「旭」」

 とし、その「イメージ」から「旭市」の「市章」が「デザイン」されており、「健康」で「元気はつらつ」と躍動する「旭市民」と、「未来」へと飛躍する「活力」ある「旭市」の「姿」を表しているそうです。

 「旭市」では、「市」の「基幹産業」である「農水産業」及び「商工業」の「発展」と「地産地消」の「推進」、「観光立地」としての「魅力」をアップさせることを「目的」に、平成27年度の「開業」を目指し「道の駅施設整備事業」を推進しており、「道の駅建設準備委員会」において、「施設」の「持続的」な「発展」、「様々」な「検討」を行っており、「旭市「道の駅」の名称大募集」(2014年12月3日のブログ参照)を行っていました。
 「旭市「道の駅」の名称大募集」ですが、2014年11月9日(日)から12月19日(金)まで「応募」しており、「応募条件」は、「旭市内」「在住」の「人」(旭市内に住所を有する方)となっていました。
 なお「旭市「道の駅」の名称大募集」では、「旭」の「特徴」を表し、「全国」にアピールでき、また、多くの「方々」に親しんでいただける「名称」を「募集」しており、「旭市」では、「〜地産地消で旭をもっと元気に〜」を「モットー」に「道の駅施設整備」を進めています。

 この度(たび)「旭市」では、「募集」していた「旭市」「道の駅」の「名称」が決定しました。
 「旭市「道の駅」の名称大募集」ですが、たくさんの「応募」があり、「応募総数」ですが、636点であったそうです。
 「旭市」では、「旭市内」から「応募総数」636作品から「名称選定委員会」において「大賞」、「優秀賞」4名を決定。
 「旭市」の「道の駅」「名称」「募集」では、「表彰式」が2月12日に行われ、「入賞」した4人に「賞状」と「副賞」が贈られました。
 4人の「受賞者」ですが、下記の通りとなっています。

 「大賞」

 高木嘉瑞さん (旭市溝原)

 「優秀賞」

 松戸茜さん (旭市イ)

 石毛実さん (旭市高生)

 吉野晶夫さん (旭市足川)

 「大賞」を受賞され、「高木嘉瑞(かずい)」さん(溝原)が「命名」、「考案」した「旭市」の「道の駅」「名称」ですが、

 「道の駅季楽里(きらり)あさひ」

 だそうです。
 「大賞」に選ばれた「高木嘉瑞」さんの「旭市」「道の駅」「名称」「道の駅季楽里(きらり)あさひ」の「命名」の「理由」ですが、下記の通りとなっています。

 野菜、肉、魚、果物、花などさまざまな特産品が旭市にはあり、訪れる人が季節を問わず楽しむことができる。
 子どもからお年寄りまで皆が

 「いつまでも、楽しめる、拠(よ)り所(どころ)」

 となっていくことを期待する。
 (応募用紙からの抜粋)

 なお「旭市」の「道の駅」「名称募集」で「大賞」には、「商品券」100000円相当が贈呈され、「優秀賞」として3名に「商品券」10000円相当が授与されています。

 「旭市」では、今後「国土交通省」に「道の駅」としての「登録手続き」をしていくそうです。

 この「秋」のオープンが楽しみな「道の駅」「旭市道の駅」「名称」「道の駅季楽里(きらり)あさひ」。
 「道の駅」「開業」(秋開業予定)により、ますます盛り上がりを見せる「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 備考
 「道の駅季楽里(きらり)あさひ」の「道の駅整備」の「現在状況」ですが、「建設工事」の「早期完了」に向け、進められており、「運営面」では、「旭市内生産者」の「皆さん」が組織する「出荷者協議会」が立ち上がったそうです。
 また4月の「運営会社」「設立」に向け、「発起人会」や「建設準備委員会」にて、「様々」な「検討」が行われているそうです。
 「道の駅季楽里(きらり)あさひ」についての「問合わせ先」ですが、下記の通りとなっています。

 旭市企画政策課政策推進班 0479-62-5382



| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2488 |
| 地域情報::旭 | 10:07 AM |
「鹿島神宮」「祭頭祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」、「仲町通り」、「大町通り」で3月9日(月)に開催されます「祭頭祭(サイトウサイ)」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都・東京」から110km「東」に位置し、「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」があり、「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来IC(イタコインターチェンジ)(潮来市内))の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(「香取市」、「成田市」、「千葉市」、「銚子市」など)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を「中心」とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を「中心」とした「工業都市」として知られています。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、66788人(男34350人、女32438人)で、「世帯数」26984世帯となっています。
 (平成27年(2015年)2月1日現在)
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「鹿島神宮」の「祭典」「祭頭祭」の「歴史」は古く、その「起源」は「武運長久」を祈って旅立っていった「防人(サキモリ)たち」の「鹿島立ち」の「故事」を表し、奈良時代の「天武朝」という「説」や平安時代ともいわれ、「文献」によると、建仁4年(1204年)とされ、その際には「片野」の「長保寺」と「平井」の「宝持寺」が「祭」の「世話役」を勤めたといわれています。
 「祭頭祭」の「祖形」は、その「囃言葉」からも窺えるように「五穀豊穣」、「天下泰平」を「主」な「願意」とする「祈年祭」に近く、しかも「地域」に密着した「祭」で、「秋」に行われる「新嘗祭(ニイナメサイ)」(新穀感謝祭、秋祭)と「対(ツイ)」を成す「春祭」といえる「祭事」だそうです。
 明治時代までの「神仏混淆(コンゴウ)時代」には、2月15日の「釈迦入滅」の「常楽会(ジョウラクエ)」(涅槃会)と「習合」されていたそうで、その「名残」から今でも「祭頭祭」の「大総督」を「新発意(シボチ)」と表現します。
 (「新発意」とは「一軍の将」として「卜定後」に選ばれる「男児」、「大総督」、「小僧さま」と呼ばれます)
 また「祭頭祭」の「勇壮」な「棒祭り」から「いくさの神」として「鹿島神宮」の「御神徳」と重ね「悪路王退治の余風(昔からの「風習」)」という「解釈」がされていた時代もあったそうです。
 ちなみに「悪路王」とは、鎌倉時代の「歴史書」「吾妻鏡(アズマカガミ)」などに登場する「悪人」で、「坂上田村麻呂」や「鎮守府将軍・征白羅将軍」であった「利仁将軍」に討伐されています。
 「祭頭祭」は、明治6年(1873年)の「太陽暦」への「移行」によって、それまでの「2月」の「上(カミ)の申(サル)の日」から現在の「3月9日」に改められています。
 昭和初期には、出兵する「兵士」を鼓舞する「防人の祭り」とされていたそうですが、「祭頭祭」は本来、「地元」に密着した「五穀豊穣」、「天下泰平」を祈る「祈年祭」の「一種」であり、「祭」が終わると「鹿行地区(ロッコウチク)」では「農作業」が「本格化」するそうです。

 「祭頭祭」は、毎年3月9日「イヤートホヨトホヤァー」の「歌」に合わせて「色」に合わせて「色」鮮やかな「衣装」を「身」につけた「囃し人」が「六尺」(180cm)の「樫棒」を組んでは解き、囃しながら「街中」を練り歩く「勇壮」な「祭り」です。
 「祭頭祭」ですが、朝10時から前年の「春季祭」で卜定された「左方」・「右方」両「当番字」の「大総督」が「狩衣装」で「家族」や「役員」に護られながら「鹿島神宮」「社殿」にあがり、「神事」が執行されます。
 「祭頭祭」のあと、「大総督」や「両字」の「人々」は、「本陣」に定めた「ホテル」などで「休憩」のあと、正午前から「巡行」を始めます。
 「祭頭祭」の「行列」の「先頭」ですが、「囃し人」の一人が、「天下泰平 春季祭」などと書いた「軍配団扇(グンバイウチワ)」を振り回しながら進み、「大総督」が続きます。
 「大総督」は、「甲冑(カッチュウ)」に「身」を固め、「大黒頭巾(ダイコクズキン)」を被った「人」に「肩車」されて巡行します。
 「大総督」に続いて「役員」や「家族」、「神職」が進み、「囃し人」がそれに続き、「総勢」1000人以上(両方)にもなるという「大行列」になるそうです。

 「祭頭祭」「囃し人」は、「赤」・「青」・「黄色」などの「色とりどり」の「衣装」を着て、「色」鮮やかな「襷(タスキ)」を数本かけ、「キャラクター人形」・「般若(ハンニャ)」・「オカメ・ヒョットコ」の「面」、「鈴」などで飾り付けられています。
 「囃し人」は、10〜20人の「班」に分かれ、「太鼓」を「腰」につけて叩く「人」の「周り」を囲んで「祭頭祭」を歌いながら「長さ」が「六尺」(1.8m)の「樫(カシ)の棒」を組んだりほぐしたりします。
 また「各班」には、「企業」などが奉納した「馬簾(バレン)」が煽ります。

 「囃し」が終わると「本陣」で休憩後、「狩衣」の「大総督」や「役員」、「家族」は、18時から「春季祭」に参列し、「春季祭」では来年の「当番字」が卜定されます。
 卜定された「2字(アザ)」は、1年間「祭事」を担当する「神職」である「物申神職」により、

 「来(キタ)る ◯◯年春季祭当番、神慮を以て卜定候字、左方の大頭、大字、・・・。
 右方の大頭、大字・・・。」

 と読み上げられるそうです。

 卜定された「字(アザ)」は、「鹿島神宮」の「大神」により「神」を来臨せしめ、「降神祭」により「鹿島神宮」の「御分霊」を1年間「字」に合祀され、「見そなわし」(神が見守り)、「安寧」(おだやかで平和)と「弥栄」(いよいよの繁栄)をもたらされると伝えられています。
 なお、「祭頭囃子」の「奉納」ですが、この1年の「報祭」(祈願成就のお礼の祭)であるといわれています。

 今年(2015年)の「祭頭祭」の「祭頭祭」「奉仕字」、「タイムスケジュール」は、下記の通りです。
 (奉仕字ですが、春季祭・神占により決定しています)

 奉仕字

 左方大頭 大字 知手(シッテ)郷(神栖市)

 右方大頭 大字 爪木(ツマギ)郷(鹿嶋市)

 10時00分  祭頭祭

 13時00分頃 出陣式

 15時30分  一斉囃し

 18時00分  春季祭

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」、「仲町通り」、「大町通り」で開催される「鹿島地方」に「春」を呼び、「人々」の「健康」や「豊作」を願って行われる「神事」・「祭事」「鹿島神宮」「祭頭祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮」「祭頭祭」詳細

 開催日時 3月9日(月) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
      仲町通り、大町通り

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209
      鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「祭頭祭」の「開催」に伴い、「鹿島神宮」周辺では「交通規制」が行われますので、ご注意下さい。
 「祭頭祭」ですが、昭和51年(1976年)12月に「文化庁」から「国選定無形民俗文化財」の「指定」を受けています。





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| 地域情報::鹿島 | 01:35 AM |

 
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