ご予約・お問合せ 0479-23-5111(代) 受付時間)9:30〜20:00 チェックイン)15:30 チェックアウト)10:00
犬吠埼観光ホテルホームページ
波打ちぎわの天然温泉露天風呂
トップページ
■CALENDAR■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<前月 2024年03月 次月>>
■NEW ENTRIES■
■CATEGORIES■
■ARCHIVES■
■POWERED BY■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■OTHER■


携帯からもご覧いただけます

 

「祈年祭(きねんさい)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で2月17日(火)に開催されます「祈年祭(きねんさい)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(いきすじんじゃ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、「明治維新」前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られています。
 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。

 「武甕槌大神」ですが、「古事記」では、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」とともに、「天孫降臨(てんそんこうりん)」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(ふつのみたまのつるぎ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 上記のように「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(えぞ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、今年(2014年)の9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「祈年祭(きねんさい)」(としごいのまつり)は、毎年2月に行われ、「一年」の「五穀豊穣」などを祈る「神道」の「祭祀」です。
 「祈年祭」は、11月の「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」と「対(つい)」にさるとされますが、「皇室祭祀令」では「祈年祭」は「小祭」、「新嘗祭」は「大祭」とされていました。

 「祈年祭」ですが、「明治」の「改暦前」は「旧暦」2月4日に行われたそうで、「時期」は「統一」されておらず、「北国」には3月・4月の「春祭り」と併せて行う「神社」もあれそうです。

 「祈年祭」ですが、「本来」は「民衆」が行う「田の神」への「予祝祭」でありましたが、「中国」の「大祀祈殻」の「要素」を取り入れ、「律令国家祭祀」として成立したそうです。
 7世紀後半の「天武天皇」の時代には既に記録があり、「延喜式神名帳」「記載」の「全神社」(3132座)が「祈願」の「対象」であったそうです。
 平安時代には「形骸化」し、「神祇官」の「内部」でのみ行う「祭祀」となり、平安時代中頃になると、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」を「主」に祀る「祭祀」と認識され、「院政期」には「天照大御神」を奉祀する「天皇」の「祭祀」として厳修されました。
 13世紀初め、鎌倉時代初頭の「順徳天皇」の「禁秘抄」では、「祈年祭」は「伊勢神宮」「関連」の「祭祀」とされました。

 室町時代後半の「戦乱期」には、「他」の「祭祀」と同様に「廃絶」し、「神祇官」の「伯」を「世襲」した「白川家」が行うようになり、江戸時代に入り、元禄年間に「宮中」での「祈年祭」の「復興」が企画されましたが為らず、明治時代の「神祇官復興」により再開されたそうです。
 「祈年祭」は「重要」な「国家祭祀」と位置づけられ、明治2年(1869年)からは、「宮中」および「全国」の「官国幣社」、あるいは「民社」でも、「大祭」として「祈年祭」が行われたそうです。
 第二次世界大戦後に「日本」の「国家神道」が解体されると、「祈年祭」から「国家的祭祀」としての「性格」は消え、「宮中」では「天皇家」の「私的」な「祭祀」として、「他」の「神社」でも「通常」の「祭祀」として斎行しているそうです。

 「祈年祭」ですが、上記のように「としごいのまつり」ともいい、毎年2月17日に「全国」の「神社」で行われる「祭儀」で、「年」とは「稲」を意味し、「稲穂」を蒔く「季節」の「初め」にあたって、その「豊穣」を祈願する「祭り」であり、「祈年祭」では、「稲」だけではなく「五穀」の「豊穣」と「国」の「繁栄」、そして「皇室」の「安泰」や「国民」の「幸福」なども祈願されるそうです。

 「鹿島神宮」では、2月17日(火)10時00分から「祈年祭」が斎行されます。
 「祈年祭」ですが、「農耕儀礼」における「春耕」の「前」に、その年の、豊かな「実り」を祈る「祭典」です。
 「古来」より「日本」では、「稲」の事を「年」と呼び、「祈年祭」は「としごいのまつり」と読まれ、「秋」の「豊作」への「祈り」が捧げられてきたそうです。

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」で斎行される毎年2月にその「年」の「秋の収穫」の「豊作」を「神」に祈る「農耕」の「祭儀」「祈年祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「祈年祭」詳細

 開催日時 2月17日(火) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「祈年祭」が斎行される「この日」は、「宮中」の「賢所(かしこどころ)」においても「祭典」が行われ、「天皇」が「御親拝」になられるということです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2451 |
| 地域情報::鹿島 | 12:06 PM |

 
PAGE TOP ↑

(C) Copyright Inubozaki Kanko Hotel. All rights reserved.