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「白馬祭(オウメサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で1月7日(木)に開催されます「白馬祭(オウメサイ)」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来IC(いたこインターチェンジ)(潮来市内)」)の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(「香取市」、「成田市」、「千葉市」、「銚子市」など)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を「中心」とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を「中心」とした「工業都市」として知られています。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、66835人(男34413人、女32422人)で、「世帯数」27412世帯となっています。
 (平成27年(2015年)12月1日現在)
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(「他」に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 上記のように「鹿島神宮」、「香取神宮」とも古来より「軍神」としての「性格」が強く、「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた「2軸」の「掛軸」が「対」になって掲げられることが多く、そのため「鹿島神宮」周辺は「武芸」が盛んとなり、「鹿嶋」は、戦国時代の「剣豪」、「兵法家」で、「父祖」「伝来」の「鹿島古流」(鹿島中古流)に加え、「天真正伝香取神道流」を修め、「鹿島新当流」を開いた「剣聖」「塚原卜伝(ツカハラボクデン)」(2011年11月29日のブログ参照)の「故郷」として知られています。
 「鹿島神宮」「例祭」では、「鹿島神宮」に由来のある「直心影流剣術」による「奉納演舞」が行われる他、「古武道団体」が「演武大会」(2015年10月3日・2014年10月25日・2013年10月5日のブログ参照)を開催することもあります。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、「重要」な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は「鬱蒼(ウッソウ)」とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では「随一」の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「直刀」で、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていたそうです。
 「鹿島神宮」「本殿」の「背後」には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した「位置」には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が「快方」に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」で「この地」まで進み、「潔斎」をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「白馬祭(オウメサイ)」は、「鹿島神宮」で行われている「神事」で、「鹿島神宮」に祀る「神様」の「お目覚め」の「祭事」です。
 「白馬祭」ですが、「新年」に「白馬」を見ると一年間の「邪気」を祓うといわれる「信仰」と、「皇祖」以下「祖霊」や、「緒神」をまつる「祭儀」となっています。
 「白馬祭」では、「蹄」の「音」高く「鹿島神宮」「神殿」の前を駆け抜け、「白馬祭」が始まると「蹄」の「音」が「鹿島神宮」「境内」に響き渡るそうです。
 「白馬祭」では、「鹿島神宮」「境内」に「神馬」が疾走し、「勇壮」な「鹿島立ち」の「神事」であり、「白馬祭」ですが、「日本三大白馬祭」のひとつであり、約750年の「歴史」を持つ「祭事」です。

 「白馬祭」「当日」ですが、「時間」になると「鹿島神宮」「楼門」のほうから、「鹿島神宮」「拝殿」のほう(馬のいる「稲荷社」のほう)に「神職」が「御神馬(ゴシンメ)」(白馬)を迎えに行き、「鹿島神宮」に「御神馬」(白馬)が入場します。
 「御神馬」(白馬)が入場すると、「鹿島神宮」「拝殿」前の「広場」にて、「宮司」が「祝詞(ノリト)」を読み上げ、「広場」では、「御神馬」(白馬)がグルグルと歩くそうです。
 また「白馬祭(オウメサイ)」「当日」、「鹿島神宮」から「甘酒」と、「七草粥」の「振る舞い」も行われるそうです。

 「関東」を代表する「名社」「鹿島神宮」で開催される「御神馬」(白馬)を見ることで、1年の「邪気」が祓われるという「神事」「白馬祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「白馬祭(オウメサイ)」詳細

 開催日時 1月7日(木) 18時〜20時

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「白馬祭」では、「御神馬」(白馬)が歩くところに「ハンカチ」(小石)等を置き、「御神馬」(白馬)に踏ませるそうです。
 「白馬祭」の「馬」(白馬)に踏まれた「ハンカチ」、「小石」を持つと「心願」が叶うと伝えられており、「ハンカチ」、「小石」は、「恋愛成就」の「お守り」となる「民間信仰」もあるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2792 |
| 地域情報::鹿島 | 11:14 PM |
「元始祭(ゲンシサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で1月3日(日)に開催されます「元始祭(ゲンシサイ)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 上記のように「鹿島神宮」、「香取神宮」とも古来より「軍神」としての「性格」が強く、「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた「2軸」の「掛軸」が「対」になって掲げられることが多く、そのため「鹿島神宮」周辺は「武芸」が盛んとなり、「鹿嶋」は、戦国時代の「剣豪」、「兵法家」で、「父祖」「伝来」の「鹿島古流」(鹿島中古流)に加え、「天真正伝香取神道流」を修め、「鹿島新当流」を開いた「剣聖」「塚原卜伝(ツカハラボクデン)」(2011年11月29日のブログ参照)の「故郷」として知られています。
 「鹿島神宮」「例祭」では、「鹿島神宮」に由来のある「直心影流剣術」による「奉納演舞」が行われる他、「古武道団体」が「演武大会」(2015年10月3日・2014年10月25日・2013年10月5日のブログ参照)を開催することもあります。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、「重要」な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は「鬱蒼(ウッソウ)」とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では「随一」の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「直刀」で、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていたそうです。
 「鹿島神宮」「本殿」の「背後」には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した「位置」には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が「快方」に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」で「この地」まで進み、「潔斎」をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「元始祭(ゲンシサイ)」ですが、「宮中祭祀」のひとつで、「大祭」です。
 「元始祭(ゲンシサイ)」は、現在では「新暦」1月3日、「天皇」が「宮中三殿」(賢所・皇霊殿・神殿)において、みずから主宰する「親祭」であり、「皇位」の「元始」を祝ぐ「儀式」です。

 「元始祭(ゲンシサイ)」は、1870年(明治3年)1月3日(旧暦)、「神祇官」「八神殿」に「八神」・「天神地祇」・「歴代」の「皇霊」を「鎮祭」したのに始まり、1873年(明治6年)1月3日から現在の「三殿親祭」の「形式」となったそうです。
 1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」では「大祭」に指定されたそうで、1年で「最初」の「大祭」となっています。
 「同法」は、1947年(昭和22年)5月2日に廃止されましたが、1948年(昭和23年)以降も、「宮中」では、従来通りの「元始祭(ゲンシサイ)」が執り行われています。
 また、「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、1874年(明治7年)から1948年(昭和23年)まで「同名」の「祝祭日」(休日)であったそうです。

 「鹿島神宮」では、1月3日に「元始祭(ゲンシサイ)」を執り行っています。
 「鹿島神宮」「元始祭(ゲンシサイ)」は、「宮中」「三殿」で、「天皇」自ら「皇位」の「元始」を祝い、「皇祖」以下「祖霊」や、「緒神」をまつる「祭儀」です。
 「元始祭(ゲンシサイ)」ですが、「全国」の「神社」でも行うものと定められていたそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で開催される「新春」に行われる「鹿島神宮」「物事」の「始め」の「祭典」「元始祭(ゲンシサイ)」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「元始祭(ゲンシサイ)」詳細

 開催日時 1月3日(日) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮 本殿 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」では、1月1日「元旦」に、「歳旦祭(サイタンサイ)」が「朝」6時00分から「鹿島神宮」「本殿」で執り行われます。
 「歳旦祭」ですが、「宮中」および、「全国」の「神社」で、「皇室」ならびに「国民」の「繁栄」と、「農産物」の「豊作」を、「皇祖」・「天神地祇」に祈願する「祭祀」なのだそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2789 |
| 地域情報::鹿島 | 06:35 PM |
「歳旦祭(サイタンサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で1月1日(祝・金)に開催されます「歳旦祭(サイタンサイ)」です。

 「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「常陸国一宮」の「日本屈指」の「神社」で、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と共に「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)に数えられる「古社」です。
 皇紀元年(紀元前660年)の「創建」と伝えられる「鹿島神宮」は、「御祭神」が「武甕槌大神(タケミカヅチオオカミ)」で、「武」の「神様」として古くから「皇室」や、「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉期以降は「武家政権」(将軍家)の「信仰」を得て、ますます「隆盛」を極めてきたそうです。

 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、上記のように「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「武甕槌大神」が祀られた「鹿島神宮」「境内」は、うっそうと「樹木」が茂り、「神様」の「場所」(神域)にふさわしい「雰囲気」を作り出しています。
 「鹿島神宮」の「主」な「見どころ」は、「宝物殿」(布津御霊劔)、「鹿島神宮社叢」(三笠山)、「楼門」、「本殿」、「鹿園」、「奥宮」、「要石」、「御手洗池(ミタラシノイケ)」となっています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっています。
 「鹿島神宮」には、多くの貴重な「植物」が群生しており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「全長」が約3mもある「直刀」で、奈良・平安期の「製作」といわれる「布津御霊劔」(布都御魂剣)は、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 ちなみに「日本三大楼門」は、「鹿島神宮」「楼門」、「熊本」の「阿蘇神社」「楼門」、「福岡」の「筥崎八幡宮」「楼門」となっています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「風格」ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の「背後」には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した「位置」には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿園」ですが、「鹿」が群れ遊ぶ「鹿園」で、「奈良公園」(春日大社)と違って「柵」の中で飼われています。
 「鹿島神宮」の「鹿」ですが、「国譲り」を命じた「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「使い」が「鹿の神」である「天迦久神(アメノカクノカミ)」であることに由来して、「神の使い」として「鹿」を飼われています。
 「国譲り」で、大きな「功績」をあげた「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」と、「香取神宮」「御祭神」「経津主大神」は、「平城京」に「春日大社」を建てる際に、迎えられており、そのため、「春日大社」に祀られる最も重要な「神様」は、「鹿島神宮」の「武甕槌大神」で、「春日大社」に招かれた「武甕槌大神」は、「鹿島」の「白い鹿」に乗って「奈良」まで飛んでいったとされています。
 現在、「奈良公園」にいる「鹿たち」ですが、「鹿島神宮」の「鹿」の「子孫」とされています。
 また「鹿島」という「地名」は、もともと「香島」と書いていたのが、養老7年(723年)頃から「鹿島」と書かれるようになったそうで、「鹿島神宮」で「鹿」が「神使」であることに由来しています。

 「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では、「場所」を移して「奥宮」とし、「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、「神秘的」な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「要石」ですが、「鹿嶋市」の「鹿島神宮」と、「香取市」の「香取神宮」にある「地震」を鎮めているとされる「大部分」が「地中」に埋まった「霊石」です。
 「要石」は、「地上」に見えている「部分」は、ほんの十数cmで、「香取神宮」の「要石」の「地上部分」は丸く、「鹿島神宮」の「地上部分」は凹(ヘコ)んでいます。
 「鹿島神宮」の「要石」ですが、「鹿島神宮」「境内」ではありますが、「社殿群」から離れた「鹿島神宮社叢」の「森」の中の小さな「祠(ホコラ)」にあり、「香取神宮」「要石」は、「香取神宮」「総門」の手前にあります。
 「要石」は「古伝」には、下記のように記されています。

 鹿島神宮の武甕槌大神、香取神宮の経津主大神の二柱の大神は天照大神の大命を受け、芦原の中つ国を平定し、常陸・下総付近に至った。
 しかし、この地方はなおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。
 これは地中に大きな鯰魚(ナマズ)が住みつき、荒れさわいでいるせいだと言われていた。
 大神たちは地中に深く石棒をさし込み、鯰魚の頭尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。
 (その石棒が要石と呼ばれる)
 鹿島神宮の要石は凹形、香取神宮の要石は凸形で地上に一部だけをあらわし、深さ幾十尺とされている。
 貞亨元年(1664年)三月、徳川光圀公が当宮に参拝の折、これを掘らせたが根元を見ることが出来なかったと伝わる。

 「鹿島神宮」の「要石」の「説明」には、「要石」は「大神」の「御座」、「磐座(イワクラ)」とも伝えられる「霊石」とも記され、「鹿島神宮」の「要石」は「大鯰」の「頭」、「香取神宮」の「要石」は「尾」を押さえているとか、「両社」の「石」は「地中」で繋がっているともいわれています。
 「要石」が知られるようになったのは、1855年(安政元年)10月の「安政大地震」後と言われており、「鹿島神宮」の「鯰絵(ナマズエ)」を使った「お札」が流行し、「江戸市民」の間で「要石」が知られるようになったそうです。
 また「地震」(安政大地震)が起こったのは「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」が神無月(カンナヅキ)(10月)で「出雲」へ出かけたからだという「説」も現れ、江戸時代には

 「ゆるげどもよもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは」

 で締めくくる「呪い歌」を「紙」に書いて3回唱えて「門」に張れば、「地震」の「被害」を避けられるという「風習」もあったそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」でこの地まで進み、潔斎をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に有名で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「歳旦祭」は、2016年(平成28年)1月1日(祝・金)に催行される「鹿島神宮」の「祭儀」です。
 「歳旦祭」ですが、「元旦」に、「宮中」および「全国」の「神社」で、「皇室」ならびに「国家繁栄」や、「五穀豊穣」を「皇祖」・「天神地祇」を祈願するそうです。

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」で開催される「年始」の「祭儀」「歳旦祭(サイタンサイ)」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「歳旦祭(サイタンサイ)」詳細

 開催日時 1月1日(祝・金) 6時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「常陸国一宮」である「鹿島神宮」は、「関東最古」の「神社」であり、「茨城県内」はもとより「県外」・「関東全域」・「日本全国」から「初詣」に訪れる「名所」です。
 「正月」の「鹿島神宮」では、「天下泰平」はもちろんのこと、「武道上達」、「必勝祈願」、「安産祈願」、「心願成就」、「商売繁盛」などを祈って賑わうそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 10:40 AM |
「道の駅いたこ」「免税店スタート」(潮来市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「潮来市」「道の駅いたこ」で12月20日(日)からスタートした「道の駅いたこ」「免税店」です。

 「道の駅いたこ」(2013年6月16日のブログ参照)は、「茨城県」「潮来市」の「一般県道101号線潮来佐原線」上にある「鹿行地域(ロッコウチイキ)」の「人気」の「道の駅」です。
 「鹿行地域」の「鹿行(ロッコウ)」とは、「茨城県」の「南東部地域」で、「名称」の「由来」は、「鹿島郡」の「鹿」と、「行方郡」の「行」だそうです。
 「鹿行」の「地勢」ですが、「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)と、「霞ヶ浦(カスミガウラ)」に挟まれた「地域」で、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の「一角」で、「筑波山」を望む「地域」です。
 「道の駅いたこ」は、「東関東自動車道」「潮来IC(いたこインターチェンジ)」「下車」1分、「太平洋」沿いを走る「国道51号線」「沿線」の「観光スポット」への「出発拠点」となっています。
 「道の駅いたこ」は、2001年(平成13年)8月21日に「登録」された「道の駅」で、2002年(平成14年)4月25日に「開駅」しました。
 「道の駅いたこ」は、「茨城県下」「売上高」「上位」の「道の駅」で、「潮来市」の新たな「情報発信拠点」として「イベント」など「様々」な「企画」を実行しています。

 「道の駅いたこ」では、「オリジナル」の「イメージキャラクター」「風くん」・「みなもちゃん」・「いたこいぬ」・「いたこねこ」(2013年5月19日のブログ参照)で、「イメージキャラクター」たちは、「施設」をアピールし、「オリジナル商品」の「どら焼き」や「ジェラート」などを、「製造」・「直売」しています。
 また「道の駅いたこ」を運営する「第三セクター」の「株式会社いたこ」は、「いたこ市内無料送迎バス」「あやめ号」(運行は委託)を運営しており、「地元住民」のみならず「道の駅いたこ」の「アクセス」として「観光客」にも広く利用されています。

 「道の駅いたこ」の「施設概要」ですが、「敷地面積」約2ha(ヘクタール)、「建設面積」1740平方m、「駐車場台数」は「普通車」266台、「大型車」17台、「身障者用」3台、「営業日」は「年中無休」、「営業時間」ですが、9時00分から19時00分までとなっています。
 「道の駅いたこ」の「各施設」の「概要」ですが、「多目的広場」、「うるおい館」、「情報棟」、「トイレ」となっています。

 「免税店(メンゼイテン)」とは、出国する「旅行者」に対して、「商品」にかかる「税金」(「消費税」や、「酒税」、「輸入品」の「関税」など)を免除して販売する「小売店」です。
 「免税店」は、主に「空港内」や、「一部」の「繁華街」に存在し、また、「国際航路」の「船内」に設けられている「ショーケース販売」や、「国際線航空機」の「機内免税品販売」も「免税店」の「一種」です。

 本来、「duty-free」とは「関税」が「無税」であることを、「tax-free」は「消費税」などの「付加価値税」が「無税」であることをさしますが、「日本語」ではどちらも「免税」となることから混同されていることが多いそうです。
 「日本」にも、「消費税」だけではなく、「関税」・「たばこ税」・「酒税」などまで「免税」になる「デューティーフリーショップ」(保税免税店)と、「消費税」だけが「免税」になる「タックスフリーショップ」(消費税免税店)の「2種類」の「免税店」が存在します。
 2014年(平成26年)の「免税店市場規模」ですが、「韓国」が「世界1位」で7兆1000億ウォン(約7590億円)で、特に「急増」する「中国人観光客」が「売り上げ」の「半分以上」を占めているそうです。

 「デューティーフリーショップ」(保税免税店)ですが、「空港免税店」が「代表例」です。
 「基本的」に、「税」とは「国家」が課すものなので、「海港」であれ「空港」であれ「出国手続き」から、「船舶・航空機内」を経て、「他国」への「入国手続き」までの間は、「税法上」はどこの「国」にも属さない事になるそうで、つまり、この間「一切」の「税金」がかからないため、特に「高額」の「税金」がかかる「ウイスキー」などの「酒類」(酒税)や、「タバコ」(たばこ税)、「香水」(関税)などの「商品」を、「本体」のみの「価格」(場合によっては「国内価格」の「半額」以下)で購入することができます。
 おおよそ「世界中」の「国際空港」の「出国手続き後」の「区域」(当然「空港内」である)には、「免税店」が出店していて、「酒類」などを「安価」で購入しようとする「旅客」でごった返しいます。
 購入した「品物」はそのまま「機内持ち込み手荷物」として「国外」に持ち出されます。
 多くの場合は「出国手続き後」の「出発エリア」に存在しますが、「理論的」には「入国手続き前」の「到着エリア」にも「出店可能」であり、現にそのような「空港」(「アイスランドケプラウ゛ィーク国際空港」、「中華民国台湾桃園国際空港」、「フィリピンニノイ・アキノ国際空港」など)もあります。
 「国際線航空機」の「機内販売」、「国際航路」の「船内販売」も、この「類型」に属します。

 「日本」の「国内法上」、この「類型」の「免税店」は「関税法上」の「保税蔵置場」の「許可」を受けている「保税地域」や、「保税売店」と呼ばれる「区域」であって、「外国」から着いた「外国貨物」の「関税」や、「国内税」の「支払」を保留したまま「出国者向け」に販売しています。
 「商品」を「保税地域」から持ち出す事ができない、つまり、「支払」と同時に「商品」を「顧客」に手渡せないので、この「類型」の「免税店」を「市中」に設置するには何らかの「工夫」が「必要」であり、その「存在」はかなり少ないそうです。

 「国際空港」の「出国手続き後」の「エリア」を除けば「日本国内」の「例」は、「沖縄県」「那覇市」の「特定免税店制度」の「適用」を受ける「那覇空港」「国内線」「ターミナルビル」の「DFS免税店」、「那覇市」「おもろまち」にある「DFSギャラリア・沖縄」、「東京都」「中央区」の「銀座三越」8階の「Japan Duty Free GINZA」だそうです。

 「タックスフリーショップ」(消費税免税店)ですが、「消費税法」「第8条」に定める「輸出物品販売場」のことで、「家電量販店」や、「百貨店」などの「市中免税店」がこの「類型」である事が多く、いわゆる「ブランド物」や、「家電製品」(「外国向けモデル」を取りそろえていることも多い)を販売する「店」が多いそうです。
 「訪日外国人観光客」の「増加」とともに、「百貨店」や、「家電量販店」が「免税手続きカウンター」を設置して対応しています。
 こうした「免税店」では、「購入」の際に「パスポート」など「免税」で購入する事のできる「人物」であることを証明する「書類」を呈示する「必要」があるそうです。
 さらに、購入した「品物」を必ず「国外」に持ち出す(輸出する)ことの「誓約書」を提出した上で、「消費税免税」で購入し、「品物」を「その場」で持ち帰ることができます。
 購入した「品物」の「明細書」は「パスポート」に貼付され、「出国手続き時」に「明細書通り」の「品物」を所持していなければ、「明細書」と比較して「不足分」は「国内」で消費したものとして「消費税」が課税されるそうです。
 2014年(平成26年)には「対象品目」の「拡大」、「対象金額」の「引き下げ」が行われ、これまで「対象外」だった「食料品」などの「消耗品」も「対象」になったそうです。
 そのため、「国内」で消費していないことを証明するために、「消耗品」は開封したことが「判別可能」な「専用」の「セキュリティーバック」で「商品」を厳封し、もし「出国前」に開封した「形跡」がある場合、「国内」で消費されたとみなし、課税されるそうです。

 「海外」では、一旦「通常通り」「消費税込み」の「価格」で購入し、「購入現場」にて「免税手続き」だけをし、「出国手続き後」にある「消費税払い戻しカウンター」にて「返金」を行うことが多く、それらを「専門的」に行う「国際企業」(Global Blue等)も存在し、これらは「事後免税制度」と呼ばれることがあります。

 「市中」への「保税免税店」の「出店」ですが、2014年(平成26年)7月31日、「成田国際空港」と、「三越伊勢丹ホールディングス」など「各社」が「合弁」で「新会社」を設立し、「沖縄」の「特定免税店制度」以外では初めて、「市内」で「ブランド品」などが「購入可能」な「空港型免税店」(保税免税店)を「市中免税店」の「形態」で、「三越銀座」「店内」に「オープン」すると発表しました。
 2016年(平成28年)1月27日、「Japan Duty Free GINZA」が「オープン」し、同年3月31日には、「関西国際空港」に「日本初出店」をした「韓国」「業界1位」の「ロッテ免税店」も同じ「銀座」にある「東急プラザ」内に「ロッテ免税店銀座」を「オープン」させる予定となっており、また、「新関西国際空港」も「市内免税店事業」への「進出」を検討しています。

 「デューティフリー」にしても「タックスフリー」にしても、「当局」が最も警戒するのは、「課税」されるべき「品物」が課税されないまま「国内流通」することであるそうです。
 「消費税免税店」の場合、「店頭」で「パスポート」等で「免税対象者」を限定していること、「その者」が「免税購入後」に「国内」に「品物」を流出させたとしても、「出国時」に「現品」がなければ「その分」の「消費税」が徴収できます。
 (または返金を出国手続き後にする)
 「保税免税店」では、「空港免税店」の場合は「購入客」はそのまま「航空機」に搭乗してしまうので問題はありませんが、「市中」に「保税免税店」を開こうとすると、「購入物品」が「確実」に「国外」に持ち出されるよう、「保税運送」の「承認」を受けて「購入者」が出国する「空港」まで運送し「出国手続き後」に(搭乗直前に)「購入物品」を引き渡すか、「市中保税免税店」で「注文」を受け、「空港」近くの「保税倉庫」から「購入客」の「出国」に合わせて「商品」を引き渡すか、いずれにしても「引き渡し場所」を「空港内」に確保しなければならないなどの「課題」が発生するそうです。

 前述の「Japan Duty Free GINZA」では、「東京国際空港」、「成田国際空港」内に「市内免税店引き渡しカウンター」を設置したそうです。
 (その他の空港から出国する旅客は引き渡し不可)
 「韓国」など多くの「国」では、「主要」な「国際空港」、「港湾」に「免税品引き渡し所」を設置することで対処しています。
 購入した「市内免税店」の「免税品引き渡し所」が存在する「空港」なら、どこの「空港」から出国しても引き渡しは可能です。
 (商品は出国空港まで保税運送されます)
 しかし、「チャーター便」などで「空港内」、「港湾内」に「引き渡し所」が存在しない場合、「免税品」は購入できないそうです。
 また、「購入時」に「正確」な「出国日時」、「便名」を申告しないと「空港」に「商品」が用意できず、引き渡しができない場合があります。
 特に、「ターミナル」が「複数」ある「空港」や、「コードシェア便」などの場合、「正確」な「航空会社名」を把握していない場合、利用する「ターミナル」とは「別」の「ターミナル」に「商品」が送られ、「商品」の「ターミナル転送」に「時間」がかかることから、引き渡しできない「恐れ」があります。

 「道の駅いたこ」では、「外国人旅行者」などの「お客様」へ「消費税」を免除して販売できる「Tax Free Shop」として対応が「スタート」したそうです。
 なお「道の駅いたこ」の「免税手続き」の「対象」ですが、「外国人」の「お客様」が「対象」となるそうです。

 「鹿行地区」の「人気」の「道の駅」「道の駅いたこ」でスタートした「取り組み」「道の駅いたこ」「免税店」。
 「インバウンド」に向けた「取り組み」がいよいよ「道の駅」でもはじまっています。

 備考
 「道の駅いたこ」ですが、「年末年始」も毎日営業するそうです。
 「年末年始」の「道の駅いたこ」では、「お正月」の「お餅各種」、「潮来産イチゴ」、「地場野菜」を販売中で、また、「茨城」の「冬」の「味覚」「干し芋」をはじめ、「落花生」、「銘菓」など「茨城県」や、「千葉県」の「おみやげ」に至るまで「様々」な「商品」を取り扱っているそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2828 |
| 地域情報::鹿島 | 10:16 AM |
「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島灘漁業協同組合」「魚市場」で12月20日(日)に開催されます「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」です。
 「鹿嶋市」は、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来IC(いたこインターチェンジ)(潮来市内)」)の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(「香取市」、「成田市」、「千葉市」、「銚子市」など)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を「中心」とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を「中心」とした「工業都市」として知られています。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、66835人(男34413人、女32422人)で、「世帯数」27412世帯となっています。
 (平成26年(2014年)12月1日現在)
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(「他」に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」ですが、今年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えており、「鹿嶋市」では、「市制施行20周年」を「記念」し、「各種」「記念事業」が展開されています。

 「茨城沿海地区漁業協同組合連合会」ですが、「正会員」の「平潟漁業協同組合」、「大津漁業協同組合」、「川尻漁業協同組合」、「久慈町漁業協同組合」、「久慈浜丸小漁業協同組合」、「磯崎漁業協同組合」、「那珂湊漁業協同組合」、「大洗町漁業協同組合」、「鹿島灘漁業協同組合」、「はさき漁業協同組合」、「茨城県信用漁業協同組合連合会」、「准会員」の「茨城県旋網漁業協同組合」、「霞ヶ浦北浦小割式養殖漁業協同組合」、「茨城県無線漁業協同組合」、「きたうら広域漁業協同組合」、「茨城県内水面漁業協同組合連合会」、「霞ヶ浦漁業協同組合」、「茨城県水産加工業協同組合連合会」、「全国合同漁業共済組合」「茨城県事務所」からなる「組織」です。

 「いばらきの漁業」ですが、「沿岸漁業」として、「船びき網漁業」、「底びき網漁業」、「刺網漁業」、「釣り漁業」、「はえ縄漁業」、「貝けた網漁業」、「せん・かご・つぼ漁業」、「定置網漁業」、「沖合漁業・遠洋漁業」として、「まき網漁業」、「サンマ棒受網漁業」、「沖合底びき網漁業」、「カツオ一本釣り漁業」となっています。

 「茨城沿海地区漁業協同組合連合会」では、「資源管理・環境保全」につとめており、下記の「活動」を行っています。

 資源管理

 資源管理型漁業は、大切な水産資源を減らさないように無駄な漁獲をなくし、漁場・資源量を管理し、効率的な経営を行うものです。
 茨城県でも国民の皆様に将来にわたり、持続的に安心して食べられるおいしい水産物を提供するために各種取り組みを行っております。

 ・小型魚の放流
 ・禁漁区・禁猟期間の設定
 ・網目合の拡大等漁具の改良や使用漁具の制限
 ・違法操業・密漁の防止

 ヒラメ資源管理
 ハマグリ資源管理

 栽培漁業

 これまでの漁業は、自然界で生まれ育ったものを対象としてきましたが、将来にわたり水産物を持続的に供給していくためには資源を積極的に増やしていくことも必要です。
 本県ではアワビ・ハマグリ・ホッキガイ・ヒラメ・スズキ等の稚魚や稚貝をつくり放流しています。
 また、さらに放流効果を高めるため漁業者が中間育成を行いある程度の大きさに育ててから放流しています。

 栽培漁業センター
 中間育成

 環境保全

 海は、様々な海の幸、安らぎを与えてくれ、漁業者にとっては生活の糧を得る場所です。
 この豊かな海を将来に残していくために海に近い川下の地区だけでなく、河川上流域の人々とも協力して各種取り組みを行っています。
 河川、海の環境保全に大きな役割を果たしている森林の機能について認識を深めるため、久慈郡里美村において林業関係者ならびに市町村住民の方々と一緒に植林活動を行いました。

 植林活動
 枝打ち作業

 「いばらきの魚」ですが、「黒潮」と「親潮」がぶつかる「豊饒(ホウジョウ)」な「茨城の海」で「四季折々」の「魚」が育(ハグク)まれ、「春」には「鹿島灘はまぐり」、「夏」は「カツオ」、「秋」の「ヒラメ」に、「冬」の「アンコウ」等、「豊富」な「魚」が採れることで知られています。

 「鹿島灘はまぐり」ですが、「外洋性」の「はまぐり」で、「鹿島灘」の「水深」2〜6mの「海底」に棲んでおり、「内湾」の「干潟」に棲む「はまぐり」とは「別種」だそうです。
 「埋め立て」等で「内湾」の「はまぐり」が激減してしまった現在、「鹿島灘はまぐり」は「広大」な「砂浜」が、育む「貴重」な「自然界」からの「贈り物」です。

 「国産」の「はまぐり供給」の9割は「輸入」に頼っているため、「スーパー」に出回っている「大半」のものは「輸入品」なのだそうです。
 「輸入品」の「はまぐり」は、「鹿島灘はまぐり」と比べると「値段」は安いものの、「身」が薄いうえ「調理」すると小さく、固くなってしまい「うまみ」にかけるそうです。
 一方「鹿島灘はまぐり」は、「殻(カラ)」が「なめらか」で、「つや」があり、「模様」で「輸入物」と区別ができるそうです。

 ちなみに「はまぐり」は、「肝臓病」、「高血圧」、「糖尿病」の「予防」に「最適」で、また「骨」や、「歯」を丈夫にするそうです。
 また「肝臓」の「働き」を良くし、「造血作用」のある「ビタミンB2」、「B12」等が「豊富」で、「高血圧」や、「糖尿病」を予防する「作用」を持つ「クローム」などの「ミネラル」が「豊富」だそうです。

 「鹿島灘はまぐり」の「食べ方」ですが、「酒蒸し」、「焼きはまぐり」、「潮汁」等となっています。

 「鹿島灘はまぐり祭り Kashimanada Hamaguri Festival!!」ですが、今年(2015年)で「9回目」を迎える「催し」です。
 「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」ですが、12月20日(日)9時30分から14時00分に開催される「イベント」で、「鹿島灘漁業協同組合」「魚市場」を「会場」に行われます。
 「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」の「開催内容」ですが、「楽しむコーナー」として、「体験乗船」、「模擬セリ」、「歌謡ショー」、「お楽しみ抽選会」、「ビンゴ大会」、「はまぐり販売」、「フリーマーケット」、「展示即売会」、「食べるコーナー」として、「バーベキューコーナー」、「浜のお料理コーナー」、「学ぶコーナー」(PRコーナー)として、「知ろう学ぼう・鹿島港」、「栽培漁業センター公開」などとなっています。
 「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」の「主」な「行事」ですが、「歓迎行事」として「平井中吹奏楽演奏」を9時30分から10時10分まで、「式典行事」が10時15分から10時45分まで、「放流行事」(岸壁放流)を10時45分から11時15分まで行うそうです。
 「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」の「開催内容」「詳細」は、下記の通りです。

 楽しむコーナー

 はまぐり販売

 4個〜6個 1000円
 9時30分〜 (なくなり次第終了)

 体験乗船

 5回運航 漁船に体験乗船
 受付 9時00分〜
 ※天候により中止の場合あり

 模擬セリ

 11時15分〜11時45分

 ビンゴ大会

 12才以下先着200名限定
 受付 11時00分 11時50分〜12時30分

 歌謡ショー

 春田圭子/三城ゆり子
 12時35分〜13時25分

 お楽しみ抽選会

 1000枚限定
 受付 11時30分 13時30分〜14時00分

 フリーマーケット

 終日

 展示即売会

 終日

 食べるコーナー

 バーベキューコーナー

 有料 1セット 1000円
 9時30分〜 なくなり次第終了

 浜のお料理コーナー

 はまぐりカレー、ほっき貝カレー、ほっき混ぜごはん
 9時30分〜 なくなり次第終了

 学ぶコーナー(PRコーナー)

 知ろう学ぼう・鹿島港

 未就学児の砂山の宝さがし
 土のうのおもさ当てクイズ
 クイズラリー
 終日

 栽培漁業センター公開

 栽培漁業・資源管理型漁業展示PR
 終日

 「鹿島灘漁業協同組合」「魚市場」で開催される「恒例イベント」「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」詳細

 開催日時 12月20日(日) 9時半〜14時

 開催会場 鹿島灘漁業協同組合魚市場 茨城県鹿嶋市平井2289番地

 問合わせ 鹿島灘はまぐり祭り実行委員会(鹿嶋市農林水産課) 0299-82-2911

 備考
 「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」が開催される「鹿嶋市」では、「第9回鹿島灘はまぐり祭り」「当日」、「海水浴場」「駐車場」から「会場」「鹿島灘漁業協同組合」「魚市場」まで、「無料シャトルバス」を随時運行するそうです。
 「第9回鹿島灘はまぐり祭り 9th Kashimanada Hamaguri Festival!!」ですが、「天候」、その他の都合により「内容」が変更になる場合がありますので、あらかじめご了承下さいとのことです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2760 |
| 地域情報::鹿島 | 01:34 PM |
「KASHIMA光のアートギャラリー2015」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で12月4日(金)〜2016年1月3日(日)の期間開催されます「KASHIMA光のアートギャラリー2015」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として人気があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」南東部、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の名称を使用していた三社のうちの一社です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という一般名称でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代・神武天皇御即位」の年にあたり、「神武天皇」は、東征の途上における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による守護に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた我が国の「国譲り」から「国造り」まで、建国に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる東方に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔)」(布都御魂剣)と称される「長大な直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国の史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国の重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する地は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の歴史上、「重要な遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い歴史を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの見どころがあります。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に有名で、2014年9月1日(月)には、3日間に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」前日8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「JR鹿島神宮駅(カシマジングウエキ)」ですが、「茨城県」「鹿嶋市」「宮下」4丁目にある「東日本旅客鉄道」(JR東日本)「鹿島線」の「駅」です。
 「JR鹿島神宮駅」は、「鹿島線」の「途中駅」ですが、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」の「間」は、「鹿島臨海鉄道」「大洗鹿島線」からの「乗り入れ列車」が運行されるのみで、「鹿島線」の「旅客列車」は運行されていないそうです。
 これは「両社」の「接続駅」である「鹿島サッカースタジアム駅」が「臨時駅」であり、「サッカー試合開催日」など「特定の日」を除き「列車」が通過するためなのだそうです。
 そのため、「JR鹿島神宮駅」が「大洗鹿島線」(水戸)「方面」と、「JR線」「香取・佐原方面」の「運転系統上」の「区切り」の「駅」であり、正式な「大洗鹿島線」「接続駅」となっています。
 しかし、「JR鹿島神宮駅」から「鹿島サッカースタジアム駅」「間」は「JR東日本」の「所轄区間」であるため、「同区間」の「運賃計算」は「JR」のものとなるそうです。

 また、「鹿島線」から「成田線」・「総武本線」「経由」で「東京駅」へ直通する「特急列車」「あやめ」の「始発駅」となっていますが、「定期列車」の「あやめ」は「JR鹿島神宮駅」から「JR佐原駅」「間」(約20分)は「各駅」に停車する「普通列車」となり、「特急料金不要」で乗車できるそうです。
 2015年(平成27年)3月14日の「ダイヤ改正」で「上り」1本「総武快速線」「直通列車」と、「JR佐倉駅」で併合する「東京行き」が再び設定されています。

 「JR鹿島神宮駅」の「歴史」は、下記の通りです。

 1970年(昭和45年)8月20日 日本国有鉄道の駅として開業。

 1970年(昭和45年)11月12日 当駅〜北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム駅)間貨物線延伸開業。

 1978年(昭和53年)7月25日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ開始。

 1983年(昭和58年)12月1日 鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の旅客列車乗り入れ廃止。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線開業。同線から当駅へ乗り入れ開始。

 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。

 2006年(平成18年)3月31日 みどりの窓口を閉鎖。

 2006年(平成18年)4月1日 「もしもし券売機Kaeruくん」供用開始。同時に駅員の当直勤務がなくなる。

 2009年(平成21年)3月14日 東京近郊区間に編入される。

 2012年(平成24年)3月5日 「もしもし券売機Kaeruくん」撤去。指定席券売機を供用開始。

 「JR鹿島神宮駅」の「駅構造」ですが、「島式ホーム」1面2線を有する「高架駅」であり、「ホーム」は嵩上げされていないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「直営駅」(早朝夜間駅員不在)であり、「管理駅」として「潮来駅」・「延方駅(ノブカタエキ)」・「鹿島サッカースタジアム駅」を管理しているそうです。
 「JR鹿島神宮駅」には、「自動券売機」・「指定席券売機」が設置されており、「JR鹿島神宮駅」「構内」に「KIOSK(キヨスク)」などはないそうです。
 「JR鹿島神宮駅」の「のりば」ですが、「1番線」は「大洗鹿島線」「上り」「(臨)鹿島サッカースタジアム・新鉾田・大洗・水戸方面」、「2番線」は.「鹿島線」「上り」「潮来・佐原・成田・千葉・東京方面」となっており、「通過電車」は「1番線」を通過するそうです。
 「JR鹿島神宮駅」は、「1番線」を「上下本線」とした「一線スルー構造」であり、「1・2番線」いずれも「両方面」からの「到着」及び「出発」が可能です。
 「JR鹿島神宮駅」「ホーム」は、11両編成までに対応しており、「貨物列車」「行き違い」のため、「線路有効長」はかなり長いそうです。

 「KASHIMA光のアートギャラリー」(2012年12月5日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」で毎年12月に行われている「恒例行事」で、「JR鹿島神宮駅」前で「イルミネーション」を実施し、約13万球の「光のアート」が楽しめる「イベント」です。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」では、「鹿島臨海鉄道」・「鹿島神宮駅」「駅前」の「ロータリー」や、「鹿島神宮」へと通じる「レンガ通り」を「中心」に「イルミネーション」でライトアップされ、実際の「街路樹」を利用した「高さ」15m、約8000球で、電飾する「ツリー」が「メイン」となっており、ほかに「サブツリー」、「ミニツリー」が点在しています。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」ですが、「鹿嶋市」の

 「市の玄関口を賑やかにしよう」

 と、「鹿嶋市」と「鹿嶋市民」、「企業」など、約15団体が協力し合い、「電飾」の「デザイン」から「取り付け」までを行っている「手作りアート」で、「関係各位」の「皆さん」で1日がかりで取り付けたあと、「KASHIMA光のアートギャラリー」「事務局」が、1週間ほどかけて、手直しし、完成させているそうです。
 「KASHIMA光のアートギャラリー」では、「メインツリー」が毎年「色」を変えており、その「年々」で「色」が変わるそうです。

 今年(2015年)も「鹿嶋の冬の風物詩」「KASHIMA光のアートギャラリー2015」が「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」、「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)を「会場」に開催され、12月4日(金)から2016年1月3日(日)の期間、17時00分から23時00分まで「点灯」するそうです。
 (大晦日から元旦は夜通しライトアップ)
 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」は、例年通り「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」を「中心」にライトアップされ、「駅前ロータリー」の「サブツリー」を「中心」とした「イルミネーション」が施され、また「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」(せせらぎ通り)も「イルミネーション」で彩られます。

 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」では、「特別イベント」として「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」、「年越しライトアップ」が行われます。

 「点灯式」&「オープニングコンサート」ですが、12月4日(金)17時00分から「JR鹿島神宮駅」「駅前広場」で行われる「イベント」で、17時00分からの「点灯式」と、その後に「オープニングコンサート」が行われます。
 「点灯式」&「オープニングコンサート」では、「冬の夜空」に「ライトアップ」の「光」と、「子どもたち」の明るい「歌声」が「会場」に広がるそうです。
 「クリスマスコンサート」ですが、12月19日(土)17時00分から「JR鹿島神宮駅」「駅前広場」で行われる「イベント」です。
 「クリスマスコンサート」は、「地元」「鹿嶋」の「かしま少年少女合唱団」「虹kids(キッズ)」の「皆さん」による「合唱」などの「コンサート」が行われます。
 また「クリスマスコンサート」では、「小学生」以下の「お子様」には、「クリスマスプレゼント」もあるそうです。
 ちなみに「虹Kids」ですが、3歳から「高校生」までの約60人でつくる「地元」「鹿嶋」の「合唱団」で、8年前の「KASHIMA光のアートギャラリー」「イベント開始時」から毎年「クリスマスコンサート」に出演されているそうです。
 「年越しライトアップ」ですが、12月31日(木)17時00分から2016年(平成28年)1月1日(金)朝6時00分まで行われる「イベント」です。
 「年越しライトアップ」では、上記のように「大晦日」から「元旦」にかけて、開催される「イベント」で、「鹿島神宮」へ「初詣」に訪れる「人々」に喜ばれているそうです。

 「JR鹿島神宮駅」「駅周辺」「鹿島神宮」へ向かう「坂の両側」で開催される「恒例」の「イルミネーションイベント」「KASHIMA光のアートギャラリー2015」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」詳細

 開催期間 12月4日(金)〜2016年1月3日(日)

 点灯時間 17時〜23時 (大晦日のみ夜通し点灯)

 開催会場 JR鹿島神宮駅 駅周辺 鹿島神宮へ向かう坂の両側

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「KASHIMA光のアートギャラリー2015」「点灯式」&「オープニングコンサート」、「クリスマスコンサート」の「特別イベント」にて、あたたかい「飲み物」の「無料サービス」も行われるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2763 |
| 地域情報::鹿島 | 10:33 AM |
「相撲祭(スモウサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「本殿」前「特設土俵」で11月3日(祝・火)に開催されます「相撲祭(スモウサイ)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として人気があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の名称を使用していた三社のうちの一社です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という一般名称でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の年にあたり、「神武天皇」は、「東征」の途上における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、建国に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」、「香取神宮」とも古来より「軍神」としての「性格」が強く、「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた「2軸の掛軸」が対になって掲げられることが多く、そのため「鹿島神宮」周辺は「武芸」が盛んとなり、「鹿嶋」は、戦国時代の「剣豪」、「兵法家」で、「父祖伝来」の「鹿島古流」(鹿島中古流)に加え、「天真正伝香取神道流」を修め、「鹿島新当流」を開いた「剣聖」「塚原卜伝(ツカハラボクデン)」(2011年11月29日のブログ参照)の「故郷」として知られています。
 「鹿島神宮」「例祭」では、「鹿島神宮」に由来のある「直心影流剣術」による「奉納演舞」が行われる他、「古武道団体」が「演武大会」(2014年10月25日・2013年10月5日のブログ参照)を開催することもあります。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する地は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、「重要な遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「直刀」で、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の造営までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていたそうです。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」で「この地」まで進み、「潔斎」をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に有名で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」前日8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「相撲」ですが、「力業(チカラワザ)」による「格闘技」の「一種」で、「角力」とも書きます。
 「相撲」ですが、「素手」、「まわし」一枚の「姿」で、「土俵」上に相対した「競技者」が「相手」と倒し合い、「土俵」外に出し合って「勝敗」を競う「競技」となっています。

 「古事記」では、「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」と、「武御名方(タケミナカタ)神」の「力比べ」により「国譲り」が行われたとの「記述」があり、「日本書紀」なみえる「垂仁天皇」の「代」の「当麻蹴速(タイマノケハヤ)」と、「野見宿禰(ノミノスクネ)」が対戦したという「伝説」は、「相撲」の「初め」として「有名」です。

 「相撲」は、「民俗学」上、すでに弥生時代の「稲作文化」をもつ「農民」の間に、「五穀豊穣」の「吉凶」を「神」に占う「農耕儀礼」として「相撲」が広く行われていたことが明らかにされており、古くは「武術」・「農耕儀礼」・「神事」として行われていました。
 このように「相撲」は、ただ単に「力比べ」の「スポーツ」や、「娯楽」ではなく、「本質的」には、「農業生産」の「吉凶」を占い、「神々」の「思し召し(オボシメシ)」(神意)を伺う「神事」として普及し、発展してきたそうです。
 「相撲」が史実として初めて記録されたのは、642年(硬極天皇1)「古代朝鮮国」の「百済(クダラ)」の「使者」をもてなすために、「宮廷」の「健児(コンデイ)」、「衛士(エジ)」に「相撲」をとらせたという記述で、「日本書紀」にみられるそうです。
 726年(神亀3年)、この年は「雨」が降らず「日照り」のため、「農民」が「凶作」に苦しんだそうです。
 「聖武天皇(ショウムテンノウ)」は、「伊勢大廟(イセタイビョウ)」のほか21社に「勅使」を派遣して「神の加護」を祈ったところ、その翌年は「全国的」に「豊作」をみたので、「お礼」として「各社」の「神前」で「相撲」をとらせて奉納したことが、「公式」の「神事相撲」の「始まり」と記されており、「農村」における「秋祭」の「奉納相撲」も、その名残(ナゴリ)の「伝承」とされています。

 その後、「相撲」は、平安時代には「宮中の年中行事」として「相撲の節(スマイノセチ)」が行われ、室町時代に至って、「職業力士」が生まれ、近世になり「土俵」や、「決まり手」・「禁じ手」が定められ、江戸期からは「興行」も盛んになったそうです。
 「相撲」ですが、一般に、「日本の国技」とされています。

 「鹿島神宮」では、11月3日(祝・火)に「秋の恒例行事」「相撲祭」が行われます。
 「相撲祭」は、「五穀豊穣」を祝い、「鹿嶋市」「宮中地区」の「各地区」が毎年持ち回りで奉仕している「お祭り」で、「相撲祭」では、「鹿島神宮」「本殿」前「特設土俵」上で、「所役」(行司)により「故事来歴」の「巻物」を広げて「相撲古事記」が奉読され、「鹿島の神」と「相撲のおこり」が「観衆」に述べられ、「土俵」の上では「化粧廻(ケショウマワシ)」を締めた「童男」(10歳以上の男児)が、「相撲の取り組み」のまねて対戦、生後3ヶ月から9歳までの「男児」約40人が出場、「勝負」はいずれも「引き分け」とするのが「習わし」となっている和(ナゴ)やかな「行事」です。
 「相撲祭」ですが、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」が「国譲り」「交渉」の際、「神々」と力比べしたとされる「故事」に由来し行われています。
 (武甕槌大神が出雲で武御名方命(タケミナカタノミコト)と力競べをしたという古事にちなんで相撲の所作を行っています。)
 「相撲祭」終了後には、「次年度当番区」へ「引き継ぎ」が行われるそうです。

 「武の神」「武甕槌大神」を祀る「鹿島神宮」「本殿」前「特設土俵」で開催される「秋の恒例行事」「相撲祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「相撲祭」詳細

 開催日時 11月3日(祝・火) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮本殿前特設土俵 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮社務所 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」では、11月3日(祝・火)9時00分より「明治祭」が行われます。
 「明治祭」は、「明治天皇の誕生日」に際し、「我が国」を「近代国家」に導かれたその「大業」を称え、「皇室の弥栄」と「国」の「益々の発展」、「永遠の平和」を祈る「お祭り」(中祭)です。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2696 |
| 地域情報::鹿島 | 10:44 AM |
「市制施行20周年記念」「平成27年度鹿嶋市菊花展」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「境内」及び「鹿島神宮」「参道」で11月1日(日)〜11月23日(祝・月)の期間開催されます「市制施行20周年記念」「平成27年度鹿嶋市菊花展」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来IC(いたこインターチェンジ)(潮来市内)」)の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(「香取市」、「成田市」、「千葉市」、「銚子市」など)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を「中心」とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を「中心」とした「工業都市」として知られています。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、66871人(男34432人、女32439人)で、「世帯数」27396世帯となっています。
 (平成27年(2015年)10月1日現在)
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(「他」に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の「中心」であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」ですが、今年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えており、「鹿嶋市」では、「市制施行20周年」を記念し、「各種」「記念事業」が展開されています。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 上記のように「鹿島神宮」、「香取神宮」とも古来より「軍神」としての「性格」が強く、「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた「2軸」の「掛軸」が「対」になって掲げられることが多く、そのため「鹿島神宮」周辺は「武芸」が盛んとなり、「鹿嶋」は、戦国時代の「剣豪」、「兵法家」で、「父祖」「伝来」の「鹿島古流」(鹿島中古流)に加え、「天真正伝香取神道流」を修め、「鹿島新当流」を開いた「剣聖」「塚原卜伝(ツカハラボクデン)」(2011年11月29日のブログ参照)の「故郷」として知られています。
 「鹿島神宮」「例祭」では、「鹿島神宮」に由来のある「直心影流剣術」による「奉納演舞」が行われる他、「古武道団体」が「演武大会」(2015年10月3日・2014年10月25日・2013年10月5日のブログ参照)を開催することもあります。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、「重要」な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は「鬱蒼(ウッソウ)」とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では「随一」の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「直刀」で、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていたそうです。
 「鹿島神宮」「本殿」の「背後」には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した「位置」には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が「快方」に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」で「この地」まで進み、「潔斎」をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「平成27年度鹿嶋市菊花展」は、「鹿島神宮」を彩る「鹿嶋」の「秋の風物詩」で、11月1日(日)から23日(祝・月)までの期間開催されます。
 「鹿嶋市菊花展」ですが、今年(2015年)で「64回目」を数える「歴史」ある「菊花展」で、「平成27年度鹿嶋市菊花展」では、「開催期間中」「鹿島神宮」「境内」は色とりどりの「菊の花」により鮮やかに彩られ、「競技花」、「一般花」、「七本立て盆養」など400点の「作品」が並べられるそうです。
 また「平成27年度鹿嶋市菊花展」では、下記「日程」で、「関連行事」として、「大正琴」の「演奏」が行われます。

 日時 11月8日(日) 10時30分〜、11時30分〜

 場所 鹿島神宮境内

 なお「平成27年度鹿嶋市菊花展」ですが、「市制施行20周年記念事業」として開催するそうです。

 「鹿嶋市」の「パワースポット」「鹿島神宮」「境内」及び「鹿島神宮」「参道」で開催される「鹿嶋」の「秋の風物詩」「市制施行20周年記念」「平成27年度鹿嶋市菊花展」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「市制施行20周年記念」「平成27年度鹿嶋市菊花展」詳細

 開催期間 11月1日(日)〜23日(祝・月)

 開催会場 鹿島神宮境内及び参道 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「平成27年度鹿嶋市菊花展」の「会場」「鹿島神宮」の「宝物館」には、上記のように「国宝」に指定されている「直刀」をはじめ、「梅竹蒔絵鞍」(重要文化財)・「雪村筆」「百馬図」・「横山大観」筆「鹿島洋朝瞰図」などの「宝物」を展示しています。

 「宝物館」

 開館時間 9時〜16時

 入館料  大人300円 中学生以下100円(土日無料)

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2690 |
| 地域情報::鹿島 | 10:11 AM |
「鹿嶋市市制施行20周年」「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「社殿」前「特設演武場」で10月4日(日)に開催されます「鹿島市市制施行20周年」「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 上記のように「鹿島神宮」、「香取神宮」とも古来より「軍神」としての「性格」が強く、「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた「2軸」の「掛軸」が「対」になって掲げられることが多く、そのため「鹿島神宮」周辺は「武芸」が盛んとなり、「鹿嶋」は、戦国時代の「剣豪」、「兵法家」で、「父祖」「伝来」の「鹿島古流」(鹿島中古流)に加え、「天真正伝香取神道流」を修め、「鹿島新当流」を開いた「剣聖」「塚原卜伝(ツカハラボクデン)」(2011年11月29日のブログ参照)の「故郷」として知られています。
 「鹿島神宮」「例祭」では、「鹿島神宮」に由来のある「直心影流剣術」による「奉納演舞」が行われる他、「古武道団体」が「演武大会」(2014年10月25日・2013年10月5日のブログ参照)を開催することもあります。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「仮殿(カリドノ)」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha)に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、「重要」な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40ha(ヘクタール)は「鬱蒼(ウッソウ)」とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されており、「樹叢」には約800種の「植物」が生育しており、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では「随一」の「常緑照葉樹林」になっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。
 ちなみに「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」(布都御魂剣)ですが、「茨城県」「唯一」の「国宝」である「直刀」で、「鹿島神宮」「宝物館」にて、所蔵、展示されています。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」として使用されていたそうです。
 「鹿島神宮」「本殿」の「背後」には「杉の巨木」の「神木」が立っており、「樹高」43m・「根回り」12mで「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した「位置」には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納された「楼門」で、「高さ」約13m、「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が「快方」に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」にしたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「御手洗池」は、「神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」で「この地」まで進み、「潔斎」をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1mほどで、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入ってもその「水深」は「乳」を越えないといわれ、「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2013年3月6日・2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」は、「鹿島神宮」を「会場」に開催される「古武道」の「イベント」で、今年(2015年)で「6回目」を数える「演武大会」です。
 「鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」は、「日本古武道協会」の「加盟団体」を「対象」に「互い」の「親睦」と「技術向上」を「目的」とし、「日本独自」の「伝統文化」の「保存」と「継承」に寄与するという「趣旨」のもと立ち上げられ、平成22年(2010年)から「鹿島神宮」で実施されています。
 「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」は、「日本古武道協会」により、「武の神」である「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」を祀る「鹿島神宮」の「本殿」前に設置された「特設演武場」の上で、「全国」から集まった「古武道」の「流派」が、それぞれの伝承してきたその「心」と「技」を奉納し、「全国」で「有数」の「古武道」の「全国大会」として行われます。
 「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」には、「日本」の「古武道」35流派が「鹿島神宮」に集まるそうです。

 「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」の「参加流派」、「スケジュール」は、下記の通りです。

 10時15分 天真正伝香取神道流剣術

 10時23分 大東流合気柔術琢磨会

 10時31分 當田流剣術

 10時39分 竹生島流棒術

 10時47分 卜傳流剣術

 10時55分 風傳流槍術

 11時03分 示現流兵法剣術

 11時11分 沖縄柔術流武術

 11時19分 関口流抜刀術

 11時27分 兵法タイ捨流

 11時35分 宝蔵院流高田派槍術

 11時43分 心月無想柳流柔術

 11時51分 無雙直傳英信流居合術

 11時59分 荒木流軍用小具足

 12時07分 神道夢想流杖術

 12時15分 柳生新陰流兵法剣術

 12時23分 直心影流薙刀術

 12時31分 伯耆流居合術

 12時39分 荒木流拳法

 12時47分 天神真楊流柔術

 12時55分 北辰一刀流剣術

 13時03分 尾張貫流槍術

 13時11分 無比無敵流杖術

 13時19分 神道無念流剣術

 13時27分 琉球古武術

 13時35分 田宮流居合術

 13時43分 天然理心流剣術

 13時51分 天道流薙刀術

 13時59分 大東流合気柔術

 14時07分 立身流兵法

 14時15分 為我流派勝新流柔術

 14時23分 鞍馬流剣術

 14時31分 柳生心眼流體術

 14時39分 長谷川流和術

 14時47分 鹿島新當流剣術

 演武時間は都合により変更が生じる場合があります。

 ちなみに「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」ですが、20年前、「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」が、今年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えることから、「鹿島市市制施行20周年」の「記念事業」のひとつとして催行されるそうです。

 「武の神」「武甕槌大神」を祀る「常陸国一宮」「鹿島神宮」「社殿」前「特設演武場」で開催される「演武大会」「鹿島市市制施行20周年」「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島市市制施行20周年」「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」詳細

 開催日時 10月4日(日) 10時(開会)〜

 開催会場 鹿島神宮社殿前特設演武場 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ (公財)日本武道館 振興課 03-3216-5134

 備考
 「鹿島市市制施行20周年」「第6回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」では、前日の10月3日(土)15時45分から18時00分まで「鹿島神宮」「武徳殿」にて「術技交流研修会」が行われるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=2689 |
| 地域情報::鹿島 | 10:11 AM |
「鹿島神宮神幸祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で9月1日(火)・2日(水)に開催されます「鹿島神宮神幸祭」です。

 「神幸祭」とは、「神霊」の「行幸」が行われる「神社」の「祭礼」で、「神幸式」ともいわれています。
 「神幸祭」では多くの場合、「神霊」が宿った「御神体」や、「依り代」などを「神輿」に移し、「氏子」「地域内」への「行幸」、「御旅所」や、「元宮」への「渡御」などが行われます。
 「神輿」や、「鳳輦」の登場する「祭礼」のほとんどは、「神幸祭」の「一種」であるといえるようです。
 「神幸祭」は、「神の行幸」の「意味」で、「広義」には「行幸」の「全体」を、「狭義」には「神社」から「御旅所」などの「目的地」までの「復路」の「過程」に「環御祭(カンギョサイ)」という「言葉」があり、「渡御祭」も「広義」には「行幸」(渡御)の「全体」を指すそうです。

 「鹿島神宮」では、9月1日()10時00分から「本殿」で「例祭」が行われます。
 「例祭」ですが、「鹿島神宮」「年間」の「諸祭儀」で最も「重儀」で、「神恩」を感謝し、「皇室」の「弥栄」と、「国家」の「安泰」、「国民」の「安寧」と、「五穀豊穣」が祈られます。
 「例祭」「当日」は、「宮内庁(クナイチョウ)」より「御使(オンツカイ)」の「御差遣」をうけ、また「神社本庁」より「献幣使」をお迎えして「厳粛」の内に斎行されます。

 「神幸祭」ですが、9月の初めに行われ、「鹿島神宮」の「神輿」が「本殿」より出御、「大町通り」を通り、「行宮(アングウ)」(仮所)に渡るという「祭り」で、「神様」の「御分霊」が奉遷された「御神輿」が「平井與丁」に担がれ、「神職」や、「供奉員」が「神幸行列」を整え、「街中」には5台の「山車」が「鹿島囃子」の「調べ」にのり、巡行します。
 「神幸祭」「初日」には、「神輿」出御の「道筋」を照らす「明かり」として「提灯祭」(提灯まち)(2012年8月29日のブログ参照)と呼ばれる「催事」も行われます。
 「提灯祭」(提灯まち)では、「夕刻」より「鹿島神宮」「楼門」前に、出来るだけ多くの「提灯」をぶら下げた「青竹」を「氏子」が持ちより、「篝火(カガリビ)」に投げ入れて燃やし、前述のように「神輿」出御の「道筋」を照らす「明かり」として、「無数」の「提灯」をつけた大きな「青竹」(約8m)を20人ほどで押し立てながら「鹿島神宮」「参道」を練り歩く、「勇壮」な「光景」が見られます。

 「神幸祭」2日目は、「行宮祭」が10時00分に「行宮」(鹿島神宮楼門前)で行われます。
 「行宮祭」ですが、「仮」の「御座所」となった「行宮」に奉安された「御神輿」の前で行われる「祭儀」で、「祭典」には「巫女」による「悠久の舞」が奏され、終了後には「鹿島踊り保存会」による「鹿島踊り」が奉納されています。
 また「神幸祭」2日目には、「環御祭」が15時00分から行われ、「行宮」から「大町通り」を通り、「鹿島神宮」に戻ります。
 「環御祭」では、「御神輿」の「担ぎ手」が年番引継が行われ、「神幸祭」に返す「姿」で行われ、この「祭儀」を以(モッ)て2日間にわたる一連の「祭事」・「行事」は滞りなく終了となるそうです。
 今年(2015年)の「鹿島神宮神幸祭」「祭事スケジュール」は、下記の通りです。

 祭事スケジュール

 開催日時 9月1日(火)・2日(水) 10時00分〜21時45分

 開催会場 鹿島神宮・鹿島神宮周辺

 祭事

 1日

 例大祭 10時00分〜11時30分

 神幸祭 20時00分〜21時30分

 2日

 行宮祭 10時00分〜10時30分

 還幸祭 15時00分〜16時30分

 「提灯まち」(提灯祭)

 1日

 16時30分〜20時30分

 (こども提灯 14時00分〜16時00分)

 「山車曳き廻し」

 1日

 山車整列 15時00分〜(大町通り)

 総踊り・のの字廻し 18時00分〜(鹿島神宮第一駐車場)

 2日

 一斉踊り・通し砂切り 13時00分〜(桜町通り)

 年番引継 18時30分〜(新町通り)

 「朝野」を問わず篤い「尊崇」を集める「常陸国一宮」「鹿島神宮」で行われる「重要」な「祭儀」「例祭」、「鹿島神宮神幸祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮神幸祭」詳細

 開催日時 9月1日(火)・2日(水) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮・鹿島神宮周辺 茨城県鹿嶋市宮中

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730
      鹿島神宮 0299-82-1209
      鹿嶋市商工会 0299-82-1919

 備考
 「鹿島神宮神幸祭」「当日」(両日)ですが、「鹿島神宮」周辺は「交通規制」が行われますのでご注意下さい。
 また「鹿島神宮神幸祭」が行われる9月1日(火)・2日(水)に、「鹿嶋市」では、「ホテル古保里」前「観光協会」「駐車場」を「会場」に「にぎわい広場」が行われます。
 「にぎわい広場」には「特設ステージ」が設けられ、「地元」の「ダンスチーム」による「よさこい」などの「演舞」、「子供たち」による「芸座」などの「披露」が行われ、また、「臨時観光案内所」や、「物販ブース」もあり、「飲食」や、「休憩」で利用することができるそうです。
 「にぎわい広場」「詳細」は、下記の通りです。

 「にぎわい広場」詳細

 開催日時 9月1日(火)・2日(水) 10時00分〜21時45分

 開催会場 ホテル古保里前観光協会駐車場

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| 地域情報::鹿島 | 10:46 AM |

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