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道の駅いたこに行ってきました!
昨日(5月12日)茨城県鹿嶋市に用があり、
帰りがてら潮来市の人気施設・道の駅いたこに立ち寄り、
野菜等買い物してきました。

 政府が宣言した緊急事態宣言を受け、
特定警戒都道府県を指定され、指定された自治体ごとに要請や、
指示を行い、その後政府が特定警戒都道府県の対象地域を追加、
その後全国が緊急事態宣言の対象となり、
先日政府が緊急事態宣言の延長を発表、
全国(各自治体により指示、要請は異なります)で
要請、指示が発令され、
自粛を行い、明日(5月14日)も緊急事態宣言の一部の解除が
行われるとの状況ですが、
投稿した写真の通り、道の駅いたこでは、営業時間を変更され、
営業されています。

 道の駅いたこ・直売所である新鮮市場伊太郎では、地元潮来市の特産品、
農産物はもとより、茨城県鹿行地域の農産物、農産物加工品、
お惣菜やお弁当も販売されており、
スーパーに買い物する機会が多くなった事もあり、
茨城県の新鮮野菜やお惣菜などいい買い物ができました。

 ちなみにゴールデンウィーク期間休業していた
銚子市の買い物できる観光施設である
水産物卸売センター・ウオッセ21(9時00分〜16時00分)や、
犬吠テラステラス INUBOW TERASU TERRACE (10時00分〜17時00分)、
銚子セレクト市場(月〜金 9時30分〜18時00分、土・日・祝 9時00分〜18時30分)、
は営業しておりますので、お近くにお立ち寄りの際は買い物してみてはいかがでしょうか?




| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3518 |
| 地域情報::鹿島 | 07:53 PM |
「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」「光輪閣」で5月20日(土)に開催されます「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつで、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は「関東地方」有数の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」で、この霊験あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が一体となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、開山1080年を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「佇まい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山のシンボル」である「大本堂」が現れ、「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」などが建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「平和の大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)は、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの「数」の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「薪能」ですが、「奈良」・「興福寺」の「修二会(シュニエ)」の際の「薪献進」に始まる「神事能」が「はじまり」と言われ、その時期は13世紀なかばと推定されています。
 「薪能」は、「仏法」の「守護神」を迎えるための「聖火」の「薪」の「採取」に伴う「芸能」で、「薪猿楽(タキギサルガク)」、「薪の神事」とも称されました。
 「明治維新」や「第二次世界大戦」で、一時途絶えたこともありましたが、「第二次世界大戦」後、1950年(昭和25年)「京都」・「平安神宮」の「京都薪之能」以来、「薪能」は新しい「傾向」として「全国各地」の「都市」や「寺社」で開催されるようになり、今日(コンニチ)では「ビル」の林立する「都市空間」や「遊園地」の「野外劇場」が用いられるなど、「新機軸」の「薪能」、「ショー」としての「薪能」も増えつつあるそうです。
 とはいえ、本来「屋内」で上映される「能」を「屋外」の「特設舞台」で鑑賞できることは、大変珍しく貴重な機会といえます。

 「奉納梅若成田山薪能」(2016年5月11日・2015年5月15日・2014年5月13日・2013年5月13日・2012年5月12日・2011年5月12日のブログ参照)は、毎年「5月」の「第3日曜日」の「前日」に執り行われている「薪能」です。
 (昨年(2016年)より「奉納梅若成田山蝋燭能」として「室内」で開催されています。)
 「奉納梅若成田山薪能」ですが、「若葉」芽吹く「不動の森」と「成田山平和の大塔」を「背景」にして、「成田山新勝寺」「大本堂」の「奥」にある「光明堂」前に「特設舞台」が設けられ、「かがり火」の「炎」に照らされた「幽玄な世界」の中で「能」が上演されていました。
 この「幻想的」な「雰囲気」に包まれて、「一流」の「演者たち」が織り成す「日本古来」の「文化」にふれることができる「奉納梅若成田山薪能」には、多くの「地元客」、「観光客」が訪れます。

 「能と狂言 マメ知識」

 能は、約600年の歴史を持ち、舞踏・劇・音楽・詩などの諸要素が交じりあった現存世界最古の舞台芸術です。
 主人公のほとんどが幽霊で、すでに完結した人生を物語り、それが中心になっている不思議な演劇です。
 幽霊というと怖い内容のようですが、時代や国によっても変わることのない人間の本質や情念を描こうとしているのです。
 また、ギリギリまで省略されたひとつの動きの中にはいくつもの内容が込められ、一見無表情な能面には幾通りもの表情が隠されているのです。

 一方、狂言は能とほぼ同じ頃に発生しました。
 登場人物は能と違って貴族や歴史上の人物ではなく、底抜けに明るい太郎冠者を主とした親しみやすいキャラクターで、当時を描いた笑いには現代に通じるものがあります。
 その頃の日常的な話し言葉を使っているので内容もわかりやすく、能と共に歩んだ長い歴史のなかで洗練された「笑いの芸術」といわれています。
 本狂言の他に、能の間で解説的な役割をする間狂言や、祝言の式で演じられる「三番三(三番叟)」(サンバソウ)など特殊なものもあります。

 この対照的な二つの演劇はセットで演じられることが多く、幽玄の世界から笑いの世界へと観客の心をリラックスさせてくれます。
 また能には、完全な方式で演ずるほか多くの省略方式があります。

 この度(タビ)「成田山新勝寺」では、例年「薪能」として開催していた「奉納梅若成田山薪能」を「蝋燭能」として「室内」に移し、「奉納梅若成田山蝋燭能」として5月20日(土)に開催するそうです。
 今年(2017年)で「40回目」を迎える「奉納梅若成田山蝋燭能」ですが、「会場」を「成田山新勝寺」「光輪閣」4階「光輪の間」とし開催され、17時00分「開場」、18時00分「開演」となっており、「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」の「出演」ですが、「梅若宗家一門」となっています。
 「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」ですが、「当日」14時00分から「成田山新勝寺」「光輪閣」「ロビー」にて「整理券」が配布され、17時00分の「開場時」には、「整理券」の「番号順」に「奉納梅若成田山蝋燭能」「会場内」に「入場」となっており、「会場」は「全席自由席」(団体を除く)となっているそうです。
 「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」の「入場券」ですが、上記のように「全席自由席」で4000円となっており、下記「取扱所」で「発売中」となっています。

 成田山新勝寺   TEL 0476-22-2111 8時00分〜16時00分

 成田観光館    TEL 0476-24-3232 9時00分〜17時00分 (月曜休館)

 成田市観光案内所 TEL 0476-24-3198 8時30分〜17時15分 (年中無休)

 チケットぴあ     TEL 0570-02-9999

 「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」の「演目」ですが、下記の「内容」ないし「あらすじ」となっています。

 「仕舞」 「龍虎(リュウコ)」あらすじ

 仏跡を求めて中国に渡った僧が木こりの老人と男に出会い、龍虎の戦いのことを聞きます。
 すると僧の目の前で、雲を起こす龍と風を生む虎の激しい戦いが繰り広げられます。
 異国を舞台に人間ではない者同士、異類の戦いが描かれている作品です。

 「舞囃子」 「芦刈(アシカリ)」あらすじ

 女が都から里へ戻ってくると、かつての夫、日下左衛門は雫落して行方不明でした。
 夫を探そうと決めた女の前に、芦を売る男が現れます。

 夫婦の再会というドラマチックな展開ももちろん見どころですが、それだけでなく、芦売りの舞う笠の段、妻と再会した日下左衛門が喜びに満ちて舞う男舞など、様々な舞が楽しみな一面です。

 「狂言」 「末広(スエヒロ)」あらすじ

 ある金持ちが、目上の人に「末広がり」というものを贈るため、家来の太郎冠者を呼びつけ都へ買いに行くよう命じます。

 港に着いた冠者は、末広がりとは何か、どこにあるのかを聞かなかったことに気づいて困った挙句、物売りを真似て「末広がりを買おう」と呼び歩きます。

 そこに詐欺師が現れ、言葉巧みに古傘を売りつけるのです。
 主人の注文どおりの品が手に入ったと思い込み喜ぶ冠者に、詐欺師は、主人の機嫌を直す囃し物を教えます。

 帰宅した冠者が得意げに報告すると、あきれた主人は冠者を追い出します。
 思案した冠者は、詐欺師を教わった囃し物をうたい足で拍子をとると、主人もつりこまれて機嫌を直します。

 「能」 「小鍛冶 黒頭(コカジ クロガシラ)」あらすじ

 時の名工三条小鍛冶宗近は、勅使一条院の臣下 橘道成から、悪夢をみられた帝(一条天皇)より、御剣を打てとの勅使を受けます。
 宗近は、詔を有り難く承りますが、この名刀の製作に欠かせない相槌を務めるものがいない事に気がつきます。

 困り果てた宗近は、すがる思いで、氏神である伏見稲荷明神へ祈願に出かけます。
 するとそこに、不思議な童子(稲荷明神)が現れ、霊剣の物語、なかでも日本武尊が草薙剣の霊力により、東国の夷を討伐した様を語って聞かせます。
 そして童子は「剣を打つ準備を整えて待て」といい、姿を消します。

 宗近が、鍛冶壇を清め整えて待っていると、稲荷明神の使いである狐の精が現れます。
 神の助けを得た宗近は、稲荷明神の相槌を受け、見事な名剣を完成させました。
 霊狐は、打ち上がった剣を勅使に捧げ、稲荷山へと帰っていくのです。

 この曲目は、「人事を尽くして天命を待つ」名工三条小鍛冶宗近、一世一代の名剣誕生の物語です。

 「千葉県」を代表する「名刹」「成田山新勝寺」で開催される「現存世界最古」の「舞台芸術」「蝋燭能」「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」詳細

 開催日時 5月20日(土) 18時〜20時30分頃(予定)

 開催会場 成田山新勝寺 光輪閣4階 光輪の間 成田市成田1

 問合わせ 成田山新勝寺 蝋燭能係 0476-22-2111

 備考
 「第40回奉納梅若成田山蝋燭能」では、「終演後」、「成田山表参道」「総門前広場」より、「JR成田駅」及び「京成成田駅」行き「無料バス」が運行されるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3418 |
| 地域情報::成田 | 03:07 PM |
「香取神宮」「大的式(オオマトシキ)」(香取市)
 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で5月14日(日)に開催されます「大的式(オオマトシキ)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市」「香取」に鎮座する「日本屈指」の「神宮」で、「式内社」(名神大社)、「下総国一宮」、「旧社格」は「官幣大社」で、現在は「神社本庁」の「別表神社」です。
 「香取神宮」は、「関東地方」を中心として「全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」であり、「鹿嶋市」に鎮座する「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)とともに「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)の「一社」であり、「宮中」の「四方拝」で遥拝される「一社」です。
 また、平安時代に成立した「延喜式」によりますと、江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは、「伊勢神宮」・「鹿島神宮」・「香取神宮」の「三社」だけで、その「創建」は「神武天皇」「十八年」(紀元前643年)と神代の時代まで遡(サカノボ)る古い「歴史」のある「神社」です。
 「香取市」は「香取神宮」とともに「歴史」を歩み、数千年以上もの昔から「人々」の「崇敬」を集め、時には「地域」の「守護的」な「役割」を担ってきたそうです。
 また「香取神宮」は、古来より「軍神」としての「性格」が強く、「テレビ」などで良く目にするように「武術」の「道場」には「鹿島大明神」、「香取大明神」と書かれた二軸の「掛軸」が対になって掲げられていることが多いそうです。
 「香取神宮」の「創建」ですが、上述の「神武天皇」の「御代18年」と伝えられ、「香取神宮」の「御祭神」ですが、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「建国の神」である、「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とともに活躍した「神様」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」です。

 「香取神宮」の約37000坪ある「境内」には、「本殿」、「幣殿」、「拝殿」、「祈祷殿」、「楼門」、「宝物館」、「神徳館」、「弓道場」、「社務所」等があります。
 中でも「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒塗り」の「姿」が実に美しい「建造物」となっています。
 現在の主(オモ)な「香取神宮」「社殿」は、江戸時代の元禄13年(1700年)、「江戸幕府」「五代将軍」「徳川綱吉」公の「命」により造営されたもので、この時に「本殿」・「拝殿」・「楼門」が整えられましたが、うち「拝殿」は昭和11年(1936年)から昭和15年(1940年)の「大修築」に伴って改築がなされ、現在では「祈祷殿」として使用されています。
 この「昭和の大修築」では、「幣殿」・「神饌所」も造営され、上記のように「主要社殿」の「形式」は、「大修築」前後とも「本殿」・「幣殿」・「拝殿」が連なった「権現造」となっており、「本殿」・「楼門」は「国」の「重要文化財」に、「旧・拝殿」(現・祈祷殿)は「千葉県指定文化財」に指定されており、「現・拝殿」は「国」の「登録有形文化財」に登録されています。

 「香取神宮」「本殿」は、上述のように元禄13年(1700年)の「造営」、「三間社流造」、「檜皮葺」で、南面しており、この「形式」の「社殿」としては「最大級」の「規模」となっています。
 「本殿」は、前面の「庇(ヒサシ)部分」を「室内」に取り込んでおり、背面にも短い「庇」を有しており、「重要文化財」「指定時」の「名称」では「流造」と記されていますが、背面に「庇」を有することから「両流造」の一種とする見方もあります。
 「本殿」の「壁」や、「柱」は「黒漆塗」で、「黒」を基調とした「特色的」な「外観」であり、「屋根」は現在「黒皮葺」ですが、かつては「柿葺」であったとされています。
 「本殿」の「様式」は近世前期を象徴するもので、「桃山様式」が各部に見られる一方、慶長期の「手法」も取り入れられており、「昭和の大修築」に際しては、「本殿」にも大規模な「修繕」が行われました。
 この「本殿」に関しては、かつて「神宮」に存在した「アサメ殿」という「社殿」を継承すると見られているほか、通常の「両流造」では「本殿内」の「神座」が「身舎」(大梁の架かる建築構造上の主体部)に設けられているのに対して、「背面庇」(身舎の周囲に取り付く部分)にあるという「異例」の「形式」が指摘されています。
 「拝殿」・「幣殿」・「神饌所」は、「昭和の大修築」による「造営」、「木造平屋建て」、「檜皮葺」で、「本殿」正面には「千鳥破風」が設けられ、それまでの「拝殿」(旧・拝殿)は「丹塗」でありましたが、この「造営」において「黒漆塗」、「組物」・「蟇股」には「極彩色」が施され、「本殿」に釣り合った体裁に改められたそうです。

 「香取神宮」「楼門」は、元禄13年(1700年)の「造営」、「三間一戸」、「入母屋造」、「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺(トチブキ)」であったそうです。
 「楼門」は、「順和様」の「様式」であり、「壁」や、「柱」は「丹塗」、「楼門」内にある「随身像」は俗に「左大臣」・「右大臣」と称されますが、正面向かって「右像」は「武内宿禰(タケウチノスクネ)」、「左像」は「藤原鎌足(フジワラノカマタリ)」と伝えられています。
 また、「楼門」の「楼上」の「額」は「東郷平八郎」の「筆」だそうで、この「楼門」は、「香取神宮」の「シンボル的」な「建物」に位置付けられているそうです。
 「祈祷殿」(旧・拝殿)は、元禄13年(1700年)の「造営」、「拝殿」として「造営」、使用されていましたが、「昭和の大修築」に伴って「南東」に移築され、昭和59年(1984年)にさらに「西」へ1.5m程移動し、「間口五間」、「奥行三間」、「入母屋造」となっています。
 「祈祷殿」の「屋根」は現在「銅板葺」ですが、当初は「挧葺」で、昭和40年(1965年)に改められたそうです。
 「祈祷殿」の「壁」や、「柱」は「丹塗」で、「拝殿」としては比較的大規模なもので、「彫刻」等の随所に「造営時」の「様式」が示されています。

 「香取神宮」「境内」には、「摂社」、「末社」が多く祀られており、「摂社鹿島新宮」、「摂社奥宮」、「摂社匝瑳神社」、「末社六所神社」、「末社桜大刀自神社」、「末社裂々神社」、「末社市神社」、「天降神社」、「末社馬場殿神社」、「末社日神社」、「末社月神社」、「末社押手神社」、「末社璽神社」、「末社大山祇神社」、「末社諏訪神社」等を祀っており、「香取神宮」「参道」「左手」に「香取護国神社」(2013年9月25日のブログ参照)が祀ってあります。

 「香取神宮」は、「香取の森」と呼ばれる12万3千平方mに及ぶ「広大」な「山林」の中にあり、「香取の森」は「荘厳」で「霊気」に満ちた「神秘さ」を深めた「空間」が広がっており、正に「神域」であることを感じることができる「パワースポット」となっています。
 「香取神宮」の「社叢林」は3.5ha(ヘクタール)、古くから「神宮の森」として古くから「信仰の場」として「大切」に保護されてきたため、「目通り幹囲鉾(幹周)」3mを越える「スギ」をはじめ、「イヌマキ」・「モミ」等の「巨木」が林立しており、「落葉」に埋もれた「古道」や「古井戸」は往時の「景観」を偲ばせ、「香取の森」は昭和49年(1974年)に「千葉県」の「県指定天然記念物」に指定されています。
 「香取の森」、「香取神宮」の「位置」する「山」(森)は、その「形状」(森の全景)が「亀」に似ていることから、「亀甲山(キッコウサン)・(カメガセヤマ)」とも呼ばれて(称されて)います。

 この「地域」は、「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「北縁」に当たり、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)によって「徐々」に浸食された「地域」であり、「台地」「上面」は「標高」約40mであり、「浸食」が進み「谷津田」が入り組み、「島状」となった「台地」も多く、「香取神宮」を含んだ「台地」もそのひとつなのだそうです。
 「香取の森」は、「スダジイ」を「優占種」とする「自然林」と「スギ」の「人工林」とから構成されており、「香取神宮」「本殿」の「周辺」には「巨木」が多く、特に「御神木」とされる「スギ」はこの「地域最大」のもので、上記のように「目通り幹囲鉾(幹周)」は約7.4m、「高さ」35mで、「樹齢」は「千年」といわれています。

 「香取の森」の「高木層」は「スギ」で占めていますが、「亜高木層」には「スダジイ」・「シラカシ」・「シロタモ」等の「常緑広葉樹」が多くみられ、「草木層」には「アスカイノデ」・「フモトシダ」・「イワガネソウ」・「ベニシダ」等の「シダ類」をはじめとして「リュウノヒゲ」・「ヤブラン」・「フウラン」等の「草木類」が数多く自生しています。
 「香取の森」付近には、「スギ」・「スダジイ」・「アカガシ」・「イチョウ」・「ケヤキ」・「イヌマキ」・「ナギ」等の「巨木」・「古木」があり、いずれも「樹齢」数百年といえるもので、「林床」には、「県内」では「北限」といわれる「アリドオシ」があるそうです。
 また「香取の森」には、「スギ」の「老齢木」としては「県下」でも「有数」な「スポット」であり、「学術的」にも貴重なものなのだそうです。

 「大的式(オオマトシキ)」は、「歩射」の「儀式」で、「大的式(オオマトシキ)」は「射礼」として「公家」・「武家」共に「重要」な「儀式」だったそうです。
 約1500年前「清寧天皇」が「射」を行わせたという「記載」が「日本書紀」に載っており、「続日本書紀」には「仁明天皇」が承和元年(834年)に「射礼」を自ら行われた「旨」の「記述」があるそうです。
 

 「由緒」ある「香取神宮」では、5月に入り「新緑」に包まれ清々(スガスガ)しい「空間」が「香取神宮の杜」「一面」に広がっているそうです。
 「香取神宮」では、一年で一番爽(サワ)やかな「新緑」の「季節」を迎え、毎年5月第2日曜日に、厳(オゴソ)かな「雰囲気」の中、「大的式(オオマトシキ)」が執り行われています。
 「大的式(オオマトシキ)」ですが、「百手式(モモテシキ)」(2011年5月4日のブログ参照)ともいわれ、「弓馬術礼法」「小笠原教場」の「一門」により「香取神宮」「境内」で催行されます。
 「大的式(オオマトシキ)」は、約10名ほどの「射士」が「礼法」に則り、つぎつぎに「矢」を放つ、古式ゆかしい「射礼式」なのだそうで、鎌倉時代さながらの「装束(ショウゾク)」を着用し、「小笠原礼法」に則った「作法」で、「弓」を射る「行事」だそうです。

 「香取神宮」では、平成8年(1996年)より「大的式(オオマトシキ)」の「奉納」を行っており、「大的式(オオマトシキ)」ですが、「香取神宮」「拝殿」前にて執行され、「弓馬術礼法小笠原流」「小笠原宗家」率いる「門人」の「所作」の「美しさ」はさながら「一服」の「絵巻物」のようであり、「香取神宮」「境内」の「空気」が清謐(セイヒツ)に包まれるそうです。
 「礼法」で知られる「小笠原流派」の洗練(センレン)された「無駄」の無い、そして凛(リン)とした「作法」に則り、「大的」に「矢」を射るそうです。
 「大的式(オオマトシキ)」は、「静寂(セイジャク)」の中にも、「武家」の「強い意志」を感じる「行事」で、「作法」については「小笠原流派」の方による「説明」もあるそうです。

 「由緒」ある「下総国一宮」「香取神宮」で開催される古式ゆかしい「皐月(サツキ)」の「小笠原流弓術」の「行事」「大的式(オオマトシキ)」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「香取神宮」「大的式(オオマトシキ)」詳細

 開催日時 5月14日(日) 13時〜

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香取神宮」の「境内」は、「桜」(2016年3月30日のブログ参照)や、「紅葉」で有名ですが、「新緑」の「季節」もまた「別格」だそうです。
 「若葉」の下での「香取神宮」「境内」「散策」は、「木々達」の「息吹」が降り注いでいるようで、「肌」を通して「生命力」を充電されるように感じるそうです。

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| 地域情報::香取 | 02:40 AM |
「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」(成田市)
 本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和の大塔」で5月13日(土)に開催されます「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」です。

 「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田市」にある「真言宗智山派」の「寺」であり、「真言宗智山派」の「大本山」のひとつです。
 「成田山新勝寺」は、1000年以上の「歴史」をもつ「全国有数」の「霊場」で、「成田」を「代表」する「観光地」でもあり、「正月3が日」には約300万人、「年間」約1000万人以上の「参拝客」が訪れています。
 「成田山新勝寺」の「御本尊」は「不動明王」で、「成田山新勝寺」は上記のように「関東地方」「有数」の「参詣人」を集める「著名寺院」で、「家内安全」、「交通安全」などを祈る「護摩祈祷」のために訪れる方が多い「不動明王信仰」の「寺院」のひとつであり、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれています。

 「成田山新勝寺」の「御本尊」である「不動明王」ですが、「真言宗」の「開祖」「弘法大師」「空海」が自ら「一刀三礼」(ひと彫りごとに三度礼拝する)の「祈り」をこめて「敬刻開眼」された「御尊像」なのだそうです。
 「成田山新勝寺」では、この「霊験」あらたかな「御本尊」「不動明王」の「御加護」で、千年以上もの間、「御護摩」の「火」を絶やすことなく、「皆様」の「祈り」が「一体」となり「清浄」な「願い」となって現れるそうです。
 「成田山新勝寺」は、「開山1080年」を間近に控えた現在も「成田山のお不動さま」として数多くの「人びと」の「信仰」を集めています。

 「成田山」の「開山の祖」「寛朝大僧正(カンチョウダイソウジョウ)」は、延喜16年(918年)に生まれ、天慶3年(940年)「平将門の乱」を鎮めるため「朱雀天皇」の「勅命」により「関東」に下り、「この地」に「成田山新勝寺」が開山されました。
 「寛朝大僧正」は、「皇室」との「血縁」もある大変に「格」の高い「僧侶」で、後に「真言宗」初めての「大僧正」に任じられ、「成田山」の他にも「京都」に「遍照寺」を開山しているそうです。

 「成田山新勝寺」は、上記のように平安時代中期に起きた「平将門の乱」の際、939年(天慶2年)「朱雀天皇」の「密勅」により「寛朝大僧正」を「東国」に遣わしたことに「起源」を持ちます。
 「寛朝大僧正」は、「京」の「高雄山」(神護寺)「護摩堂」の「空海」作の「不動明王像」を奉じて「東国」へ下り、翌940年(天慶3年)、「海路」にて「上総国」「尾垂浜」に上陸、「平将門」を調伏するため、「下総国」「公津ヶ原」で「不動護摩」の「儀式」を行ったそうです。
 「成田山新勝寺」では、この天慶3年を「開山の年」としています。
 「平将門の乱」「平定後」の永禄年間(1566年)(永禄9年)に「成田村一七軒党代表」の「名主」が「不動明王像」を背負って「遷座」され「伽藍」を建立された「場所」が、現在の「成田市」「並木町」にある「不動塚」周辺と伝えられており、「成田山発祥の地」といわれています。
 「成田山新勝寺」の「寺名」ですが、「また新たに勝つ」という「語句」に因み「新勝寺」と名づけられ、「東国鎮護」の「寺院」となったそうです。

 「成田山新勝寺」では、平成20年(2008年)に「開基1070年祭記念大開帳」が行われ、これにあわせて、平成19年(2007年)には「総欅造り」の「総門」が「落慶」され、「新勝寺」の「表玄関」として「荘厳」な「たたずまい」を見せています。
 この「総門」は、開かれた「庶民のお寺」「成田山」と「門前町」とをつなぐ「担い手」として、「大開帳」を記念し創建されたもので、「総門」前にある「門前広場」は「参拝客」の「憩いの場」となっています。

 「成田山新勝寺」ですが、「総門」をくぐって、「境内」に入ると大きな赤い「提灯」のある「仁王門」があり、「境内」には、数多くの「建造物」が立ち並んでいます。
 「仁王門」から「東海道五十三次」にならった53段の「石段」を上がると、「成田山」の「シンボル」である「大本堂」が現れ、「成田山新勝寺」「大本堂」では、「世界平和」と「人々の幸せ」を願って「開山」以来「毎日」欠かさずに「御護摩祈祷」が厳修されています。

 「成田山新勝寺」の「伽藍」ですが、「JR」および「京成電鉄」の「成田駅」から「成田山新勝寺」への「参道」が伸び、「参道」を10分ほど歩き、「急」な「石段」を上った先の「台地上」に「境内」が広がっています。
 「石段」の「途中」に「仁王門」、「石段」を上った先に「正面」に「大本堂」、その手前「右手」に「三重塔」、「鐘楼」、「一切経堂」等が建っています。
 この他、「大本堂」の「左手」に「釈迦堂」、「大本堂」の「背後」の「一段」高くなった「地」には「額堂」、「光明堂」、「開山堂」、「成田山平和大塔」(2012年5月7日のブログ参照)などが建っており、「成田山新勝寺」「境内」の「東側」は広大な「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)があります。
 「成田山新勝寺」にある「釈迦堂」、「光明堂」、「表参道」にある「薬師堂」(2013年5月22日のブログ参照)ですが、「歴代」の「成田山」の「大本堂」です。
 これほどの数の「御堂」が現存している「寺院」は大変珍しく、それぞれの「建物」には「建立時」の「建築様式」を今に伝えており、江戸中期から末期の「建物」である「仁王門」、「三重塔」、「釈迦堂」、「額堂」、「光明堂」の5棟が「国」の「重要文化財」に指定されています。

 「成田山表参道」ですが、「成田市」にある「参道」で、「JR成田駅」前から始まり、「終点」「成田山新勝寺」「総門」と「総門広場」までつなぐ「成田山新勝寺」に参拝する際に通る「全長」約800mの「通り」で、「風情」のある「門前町」が形成されています。
 「成田山表参道」には、江戸時代の「成田詣」で、当時使われていた「3階建て旅館」の「名残」を残す「料理屋」や、「土産物店」が、軒(ノキ)を並べ、「門前町の歴史」と共に「様々」な「情景」を刻んでおり、「成田山表参道」は、「成田山新勝寺」と共に、「成田の歴史」を感じることができる「町並み」となっています。
 「成田山表参道」ですが、大きく分けて、「JR成田駅前」、「花崎町界隈」、「上町界隈」、「仲町(ナカノチョウ)界隈」、「本町・田町界隈」、「門前広場」となっています。
 「成田山表参道」は、「各界隈」ごとに「趣」が異なり、「界隈」ごとに「特色」ある「門前町」を形成しており、「成田詣」に「いろ」をそえています。

 「成田」の「名刹」「成田山新勝寺」「境内」には、上記のように「成田山平和大塔」があり、「成田山平和大塔」は、「弘法大師」の「開眼1150年」を記念して「成田山新勝寺」の「境内」に建立されたそうです。
 「成田山平和大塔」は、「平和の大塔」とも称される「多宝塔形」の「仏塔」で、「成田山平和大塔」は、「塔」の「内部」にも入ることができ、「成田山新勝寺」「開山の歴史」や、「奉納品」が見学できる他、「成田山新勝寺」「御本尊」である「不動明王」も間近で見ることができるそうです。
 (写真撮影は不可となっています。)
 また「成田山平和大塔」の「一番上」の「層」からは「成田近郊」が一望でき、「ビュースポット」にもなっています。

 「成田山平和大塔」ですが、「成田山新勝寺」「境内」「最奥」に建ち、「構造」は「鉄筋コンクリート造」、「高さ」58.1mの「多宝塔形」の巨大な「仏塔」で、1984年(昭和59年)に建立されました。
 「成田山平和大塔」の「設計管理」は「財団法人建築研究協会」、「施工」は「大林組」が請け負ったそうです。
 「成田山平和大塔」の「外観」は「二重塔」(「二重基壇(キダン)」)ですが、「内部」は5階建て(内部五層)となっています。

 今回ご案内している「成田山平和大塔まつり奉納総踊り」(2016年5月5日・2015年5月7日・2014年5月9日・2013年5月5日・2012年5月10日・2011年4月30日のブログ参照)は、上記のように昭和59年(1984年)4月の「弘法大師1150年」の「御遠忌」にあたり、「世界平和」と「万民の幸福」を祈願して建立された「成田山平和大塔」の「落慶」を記念して始められたそうです。
 「成田山平和大塔まつり奉納総踊り」は、今年(2017年)で「33回目」を数える「催し」で、「成田山表参道」を埋め尽くす、「総勢」1000人による「奉納」の「舞」です。

 「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」では、「旧・成田町」7町の「女人講」をはじめ、約1000人に及ぶ「女性たち」が、「JR成田駅前」から「成田山新勝寺」「門前」までの「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」及び「成田山平和大塔」前で、「踊り」を奉納し、2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」による「被災地」の「早期復興」も祈願するそうです。
 「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」の「コース」ですが、上記のように「成田山表参道」(「JR成田駅前」〜「成田山新勝寺門前」)、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和大塔」となっており、「スケジュール」は、下記の通りです。

 12時20分 表参道入口(JR成田駅前)
      総踊りスタート

 15時00分 成田山大本堂前 総踊り

 15時30分 成田山平和大塔 総踊り

 なお「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」「開催日」には、「成田山新勝寺」周辺で、「交通規制」が実施されます。
 「交通規制」の「区間」、「時間」ですが、下記「詳細」を参照下さい。

 「成田の歴史」を見つめ今も「大勢の観光客」が訪れる「成田山表参道」、「成田山新勝寺」「大本堂」、「成田山平和大塔」を「会場」に行われる「弘法大師1150年」の「御遠忌」にあたり、建立された「成田山平和大塔」「落慶」を記念し開催されている「催し」「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」詳細

 開催日時 5月13日(土) 12時〜

 開催会場 成田山表参道(JR成田駅前〜成田山門前)、成田山新勝寺(大本堂、成田山平和大塔) 成田市成田1周辺

 「交通規制」

    時 間        区 間

 11時00分〜14時00分 JR成田駅前〜薬師堂

 11時00分〜16時00分 薬師堂〜成田山門前(鍋店かど)

 問合わせ 成田市観光協会 0476-22-2102

 備考
 「成田山新勝寺」では、「成田山平和大塔」「明王殿」にて、「世界平和」、「信徒安全」、「東日本大震災被災地復興」を祈る「平和大塔法会」を5月6日、7日に権修されたそうです。
 この「法会」ですが、毎年5月6日、7日に行われ、「成田山平和大塔」に「御本尊」「不動明王」の「御尊像」や、「掛仏」を奉安した方々が参列されるそうです。
 今年(2017年)も「世界平和」を祈る「平和の鐘」を「参列者代表」が打鐘され、「僧侶」の「皆さん」とともに「般若心経」と、「不動明王真言」を唱えて「心願成就」を祈ったそうです。
 「第33回成田山平和大塔まつり奉納総踊り」ですが、「雨天」の場合は、「翌日」の5月14日(日)に「順延」、「順延日(予定)」5月14日(日)が「雨天」の場合は中止となるそうです。

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| 地域情報::成田 | 09:34 PM |
「母の日プレゼント」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で5月14日(日)に開催されます「母の日プレゼント」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の数々を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で数回の「協議」を重ね、主(オモ)に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで結論に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」に応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」は、下記の通りです。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」等が「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される方が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「母の日」は、「日頃」の「母」の「苦労」を労(イタワ)り、「母」への「感謝」を表す「日」です。
 「母の日」ですが、「日本」や、「アメリカ」では、5月の「第2日曜日」に祝いますが、その「起源」は「世界中」で様々であり「日付」も異なるそうで、例えば「スペイン」では5月「第1日曜日」、「北欧」「スウェーデン」では5月の「最後の日曜日」に当たるそうです。

 「アイルランド」と「イギリス」の「母の日」の「起源」ですが、「マザリングサンデイ」は「移動祝日」で、「キリスト教暦」の「レント(四旬節)期間」の「第4日曜日」(復活祭の3週間前)に祝われるそうで、17世紀に始まったとされ、「奉公中」の「子供」が「教会」で「母親」と面会するなどの「行事」が行われたそうです。

 「アメリカ」の「母の日」の「起源」ですが、「南北戦争」「終結直後」の1870年(明治2年)、「女性参政権活動家」「ジュリア・ウォード・ハウ」が、「夫」や、「子ども」を「戦場」に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発したそうです。
 「ハウ」の「母の日」は、「南北戦争」中に「ウェストバージニア州」で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず「負傷兵」の「衛生状態」を改善するために「地域」の「女性」を結束させた「アンナ・ジャービス」(Ann Jarvis)の「活動」に「ヒント」を得たものだが、結局普及することはなかったそうです。

 「ジャービス」の「死後」2年経った1907年(明治40年)5月12日、その「娘」の「アンナ」(Anna Jarvis)は、亡き「母親」を偲び、「母」が「日曜学校」の「教師」をしていた「教会」で「記念会」をもち、「白いカーネーション」を贈ったそうで、これが「日本」や、「アメリカ」での「母の日」の「起源」とされています。

 「アンナ」の「母への想い」に感動した「人々」は、「母をおぼえる日」の「大切さ」を確認し、1908年(明治41年)5月10日に「同教会」に470人の「生徒」と、「母親達」が集まり「最初」の「母の日」を祝ったそうです。
 「アンナ」は「参加者全員」に、「母親」が好きであった「白いカーネーション」を手渡したそうです。
 このことから、「白いカーネーション」が「母の日」の「シンボル」となったそうで、「アンナ・ジャービス」は「友人たち」に「母の日」を作って「国中」で祝うことを提案。
 1914年(大正3年)に「母の日」は「アメリカ」の「記念日」になり、5月の「第2日曜日」と定められました。

 「オーストラリア」の「母の日」は5月の「第2日曜日」に祝われますが、「オーストラリア」の「母の日」に「贈りもの」を贈る「習慣」は1924年(大正13年)、「シドニー」の「Leichhardt」に住む「ジャネット・ヘイデン」(Mrs Janet Heyden)によってはじめられたそうです。
 「彼女」は「ニューイントン」(Newington Victoria)の「州立女性老人ホーム」を訪ねた際に多くの孤独で「忘れられた母たち」に出会い、その「女性たち」によろごばせるために「地元」の「学校」や、「企業」の「協力」をとりつけ、「贈り物」を贈ることにしたそうです。
 それから毎年、「彼女」は「贈り物」の「習慣」の「規模」を少しずつ大きくして、「地元企業」や、「市長」にも「協力」を取り付け、以来、「母の日」の「贈り物」の「習慣」は商業化されていったそうです。

 「オーストラリア」では「伝統的」に「母の日」には「クリサンセマム」(菊の花)を咲かせ見頃になるため、また、「クリサンセマム」(chrysanthemum,キク属)が「一般的」に「語尾部」をとって「通称」「mum(マム)」と呼ばれ、ちょうど「mum」(おかあさん)とかさなるためだそうで、近年では、「母の日」は「男性」は(上着のジャケットの)「折り襟」に「キク」の「生花」を挿して「ピン」で留めたり、「菊花」を模した「襟章」(lapel pin)をつける場合もあるそうです。

 「日本」の「母の日」の「起源」ですが、1913年(大正2年)に「青山学院」で、「母の日礼拝」が行われたことだそうです。
 「アンナ・ジャービス」から「青山学院」に「メッセージ」が届き、当時「女性宣教師たち」の「熱心」な「働きかけ」で、「日本」で「母の日」が定着していく「きっかけ」となったとされています。

 「大日本連合婦人会」が1931年(昭和6年)に結成され、その際、「同組織」は「皇后」(皇淳皇后)の「誕生日」である3月6日(地久節)を「母の日」としましたが、普及しなかったそうです。
 1937年(昭和12年)5月8日に、「第1回」「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が「豊島園」で開催されたそうです。
 その後、1949年(昭和24年)ごろから「アメリカ」に倣(ナラ)って5月の「第2日曜日」に行われるようになったそうです。
 「母の日」には、「カーネーション」を贈るのが「一般的」だそうで、なお、あまり知られていませんが、5月5日の「こどもの日」は、「祝日法」2条によると

 「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」

 が「趣旨」とされています。

 「母の日プレゼント」ですが、「ふれあいパーク八日市場」で開催される「日頃」の「感謝」を込めて行われている「母の日」の「イベント」で、5月14日(日)9時00分から行われます。
 「母の日プレゼント」ですが、1000円以上「お買い上げレシート」を「持参」の「お母さま」に「素敵」な「プレゼント」をする「企画」です。
 なお、「母の日プレゼント」ですが、「先着」300人となっていますので、ご注意ください。

 「毎週末」や「祝祭日」にいろいろな「イベント」が行われる「都市と農村交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「母の日企画」「母の日プレゼント」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「母の日プレゼント」詳細

 開催日時 5月14日(日) 9時〜16時半

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」「植木園」では、「ツツジ」をはじめ、「季節」の「花々」が勢ぞろいしているそうです。

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| 地域情報::匝瑳 | 09:07 PM |
「第58回佐原のふな釣り大会」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)で5月14日(日)に開催されます「第58回佐原のふな釣り大会」です。

 「横利根川」は、「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)と「霞ヶ浦(カスミガウラ)」(常陸利根川)までを結ぶ、約7kmの「河川」で、普段は「利根川」に向けて流れています。
 「横利根川」は、「利根川」の「湧水時」に、「霞ヶ浦」へ逆流するのをふせぐため、大正年間(1912年〜1926年)に建設された「横利根閘門(ヨコトネコウモン)」(2011年9月5日のブログ参照)(パナマ運河形式)も「周囲」の「風景」にとけこんでいます。
 「横利根閘門」は、「茨城県」「稲敷市」と、「香取市」の「県境」付近に位置する「横利根川」にある「閘門」で、「国土交通省」が管理しています。
 「横利根閘門」ですが、「門扉」が腐食するなど「老朽化」が進んでいたため、1994年(平成6年)「自動化工事」とあわせ「土木遺産」としての「価値」を後世に伝えるための「復元修復工事」が行われました。
 2000年(平成12年)5月、「日本」における「煉瓦造閘門」のひとつの「到着点」を示す「近代化遺産」として「重要文化財」に指定されました。
 現在、「閘門」の周辺は「横利根閘門ふれあい公園」(香取市・稲敷市管理)として整備され、「サクラの名所」、「横利根川」に面した「釣りの名所」として「憩いの場」となっています。
 「横利根閘門ふれあい公園」ですが、2006年(平成18年)に「日本の歴史公園100選」に選定されています。
 「横利根閘門」ですが、「香取市内」の「佐原市街地」と、「利根川」「北部」の「十六島地区」を結ぶ、「船舶」や、「自動車交通」の「要衝部」にあり、「水郷」の「シンボル的施設」として親しまれており、「地元」の「人」は「かんもん」と呼ぶことが多いそうです。

 「長島川」は、「香取市」「長島地区」を流れる「幅」20mほどの「河川」で、「西」は、「横利根川」、「東」は、「西部与田浦」と接しています。

 「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)と、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に行われる「佐原のふな釣り大会」(2016年5月6日・2015年5月8日・2014年5月6日・2013年5月7日・2012年5月6日・2011年5月19日のブログ参照)は、「水郷佐原」に「春」を告げる「釣りイベント」(ふな釣り大会)で、「水郷佐原」の「釣り場」として、「春」に「最盛期」を迎える「ふな釣り人」に「人気」の「釣り大会」として知られています。
 「佐原のふな釣り大会」は、長い「歴史」がある「ふな釣り大会」であり、「首都圏」からの「参加者」も多く、「豪華商品」も多数用意された「ふな釣り大会」として知られています。
 「佐原のふな釣り大会」には毎年、「大会」を心待ちにしていた「太公望(タイコウボウ)」たちが、「大勢」参加し、「ふな釣り」の「メッカ」である「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に、「腕」を競います。

 今年(2017年)で「58回目」を迎える「歴史」ある「釣りイベント」「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、5月14日(日)に、上記のように「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)を「会場」に、開催されます。
 「第58回佐原のふな釣り大会」の「競技時間」ですが、「朝」5時00分から14時00分までとなっており、「各自」「釣り場」で「スタート」となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」の「競技方法」ですが、「釣竿」は1本とし、「陸釣り」・「舟釣り」を問わず「自由釣り」となっています。
 但(タダ)し「第58回佐原のふな釣り大会」では、「吸い込み」・「ギャング釣り」・「リール釣り」・「撒き餌」は「厳禁」となっています。
 (「釣り餌」は「自由」)

 「第58回佐原のふな釣り大会」の「参加資格」ですが、「男女」、「年齢」を問わず「同好者全般」で、「参加費」ですが、「大人」700円、「小中学生」500円となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」「受付」ですが、5月1日(月)から「申込み開始」となっており、「第58回佐原のふな釣り大会」「締切」ですが、「当日」「申込み」も「可」となっています。
 なお「第58回佐原のふな釣り大会」の「参加申込」ですが、「申込み」は、「参加費」を添えて「水郷佐原観光協会」(JR佐原駅観光案内所1F)「第58回佐原のふな釣り大会事務局」、又は「市内釣具店」・「横利根各釣宿」に「お申し込み」となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」「申込取扱店」は、下記の通りです。

 つり舟 中島屋旅館 0299-78-2621 (当日受付店)

 (平勝) 平野釣舟店 0478-56-0300 (当日受付店)

 つり舟 小松屋旅館 0299-78-2205 (当日受付店)

 つり具のつくば屋  0478-82-1388

 旅館 水楽荘    0478-56-1211

 水郷佐原観光協会  0478-52-6675 (当日受付店)

 「第58回佐原のふな釣り大会」の「対象魚」ですが、「鮒」(へら・まぶな)、※外道賞(鯉のみ)となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」の「審査方法」ですが、「釣魚総重量制」とし、「順位決定」、「等級」を定め、「大型賞」(「体長」38cm以上へら鮒のみ)「入賞」の場合は、差し引きせず、「総重量」で行うそうです。
 なお「同重量」であった場合は、「抽選」をもって「決定」し、「釣魚」に「疑義(ギギ)」の出た場合は、「審査委員」の「協議」により定めるそうです。

 「第58回佐原のふな釣り大会」では、下記の場合「失格」となるそうです。

 1 参加証明書と審査票に取扱い店印のない場合

 2 釣り座の先取り、または竿を下ろした場合

 3 午後2時(14時)までに計量場所に到着しない場合

 4 その他大会のルールに反した場合

 「第58回佐原のふな釣り大会」の「賞品」ですが、「豪華商品」が多数用意されています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」「賞品」ですが、1等から50等までの「賞品」、また「副賞」として「こども賞」、「婦人賞」、「大会賞」、「当日賞」、「協賛団体賞」等となっており、他に、「大型賞」(ふな)1名、「外道賞」(こい・重量)1名、「釣り魚」の少ない「人」の中から「飛賞」、「オデコ」の「人」も含めて「ラッキー賞」等「豪華賞品」を多数用意し、また「参加者全員」に「参加賞」として「佐原の米」「コシヒカリ」をプレゼントするそうです。

 「第58回佐原のふな釣り大会」の「計量」ですが、「計量場所」は「横利根川」沿いの「釣舟宿」4ヶ所(堀井食堂・(平勝)平野釣舟店・中島屋旅館・小松屋旅館)となっており、「計量受付時間」ですが、13時00分から14時00分までとなっています。
 なお「第58回佐原のふな釣り大会」の「審査」及び「表彰場所」ですが、「川の駅水の郷さわら」「川の駅ホール」となっています。
 「第58回佐原のふな釣り大会」「審査場所」・「結果表彰」(発表)の「会場」ですが、「川の駅水の郷さわら」「川の駅ホール」で、15時00分から行うそうです。

 「北総」の「へら鮒釣り」の「メッカ」「横利根川」(横利根閘門〜横利根大橋)、「長島川」(八筋川排水機場〜なかず橋)で開催される「歴史」ある「恒例」の「釣り大会」「第58回佐原のふな釣り大会」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第58回佐原のふな釣り大会」詳細

 開催日時 5月14日(日) 朝5時〜14時 (各自釣り場でスタート)
 (14時までに「計量受付場所」へ)

 開催会場 横利根川 (横利根閘門より横利根大橋の間)
      長島川 (八筋川排水機場よりなかず橋の間)
      (審査場所・表彰式会場 水の郷さわら川の駅ホール)

 参加費  大人 700円 小中学生 500円

 問合わせ 水郷佐原観光協会 0478-52-6675

 備考
 「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、「雨天」「決行」で行われる「イベント」です。
 「第58回佐原のふな釣り大会」ですが、上記のように「競技終了後」13時00分から14時00分までに、「計量受付場所」の「横利根川」沿いの「釣舟宿」4ヶ所(堀井食堂・(平勝)平野釣舟店・中島屋旅館・小松屋旅館)に到着することが「ルール」となっています。

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| 地域情報::香取 | 09:01 PM |
「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」(香取市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「伊能忠敬記念館」で3月28日(火)〜5月21日(日)の期間開催されます「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」です。

 「佐原の町並み」は、「香取市」「佐原」の「市街地」にある「歴史的」な「建造物」が残る「風情」のある「町並み」です。
 「佐原」は、江戸時代に「利根川東遷事業」により「舟運」が盛んになると、「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)には、「物資」を「陸」に上げるための「だし」と呼ばれる「河岸施設」が多くが作られました。
 明治以降もしばらくは「繁栄」は続き、「自動車交通」が発達し始める昭和30年(1955年)頃までにかけて、「成田」から「鹿島」にかけての「広範囲」な「商圏」を持つ「まち」となっていました。
 上記のように「利根川水運」で栄えた「商家町」の「歴史的景観」を今に残す「佐原の町並み」が、「市街地」を「南北」に流れる「小野川」沿い、「市街地」を「東西」に走る「香取街道」、及び「下新町通り」等に見ることができます。
 「佐原の町並み」ですが、「佐原」が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた「木造町家建築」、「蔵造り」の「店舗建築」、「洋風建築」等から構成されています。
 「佐原の人々」は、「江戸の文化」を取り入れ、更にそれを「独自の文化」に昇華していて、「江戸優り(エドマサリ)」といわれるほど栄えていたそうで、「当時」の「面影」・「歴史景観」を今に残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、「佐原の町並み」は、平成8年(1996年)12月、「関東」で初めて「国」の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されています。
 「佐原の重伝建」は昔からの「家業」を引き継いで今も「営業」を続けている「商家」が多いことから、「生きている町並み」としても評価されています。

 「重要伝統的建造物群保存地区」には、「佐原の偉人」「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)が過ごし、寛政5年(1793年)建築された「伊能忠敬旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)の他、「千葉県」の「県指定有形文化財」も8軒(13棟)が「小野川」沿いや「香取街道」沿いに軒(ノキ)を連ねています。
 「重要伝統的建造物群保存地区」「千葉県指定有形文化財」ですが、大正3年(1914年)建築の「三菱館」(2012年1月27日のブログ参照)、「土蔵」が明治元年(1868年)「店舗」が明治28年(1895年)建築の「福新呉服店」(2012年4月29日のブログ参照)、「店舗」が安政2年(1855年)「土蔵」が明治25年(1892年)以降に建築の「中村屋商店」(2012年5月21日のブログ参照)、明治13年(1880年)建築の「正文堂書店」(2013年6月22日のブログ参照)、「店舗」が天保3年(1832年)「土蔵」が明治元年(1868年)建築の「いかだ焼き本舗正上」(2011年12月28日のブログ参照)、「店舗」が明治25年(1892年)「土蔵」が明治23年(1890年)建築の「小堀屋本店」(2012年8月31日の
ブログ参照)、明治25年(1892年)建築の「中村屋乾物店」、「店舗」が明治33年(1900年)「土蔵」が寛政10年(1798年)に建築の「旧油惣商店」が指定されています。

 「樋橋(トヨハシ)」(2012年2月13日のブログ参照)は、「香取市」「佐原」に架かる「橋」で、「通称」「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
 「樋橋」ですが、もともと江戸時代に「小野川」「上流」でせき止めた「農業用水」を「佐原」の「関戸方面」(現・佐原駅方面)の「田」に送るために「小野川」に架けられた、大きな「樋(トヨ)」だったそうで、その「樋」を「人」が渡るようになり、昭和時代に「コンクリート橋」に、1992年(平成4年)に現在の「橋」になったそうで、「橋」を造る際に、かつての「ジャージャー橋」の「イメージ」を再現するため、「水」が落ちるように造られました。
 なお「樋橋」は、1996年(平成8年)に、「環境省」の「日本の音風景100選」に選定されています。

 「小野川」は、「香取市」を流れる「一級河川」で「利根川水系」「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「支流」です。
 「利根川」の「支流」である「小野川」は、江戸期より「水運の集散地」として「佐原のまち」を発展させました。
 2004年(平成16年)には、「佐原の市街地」の「洪水」を解消するため「香取市」「牧野地先」から「本宿耕地地先」「利根川」まで流す「小野川放水路」が完成しています。

 「伊能忠敬記念館」(2012年4月21日・1月29日・2011年3月8日のブログ参照)は、「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「功績」を讃(タタ)え、その「功績」を余すところなく紹介している「記念館」です。
 以前、「伊能忠敬記念館」は、「伊能忠敬旧宅」の「敷地内」にありましたが、「記念館」「建設」から相当な「年月」が経ち、また、かつての「伊能忠敬記念館」の「展示面積」が手狭であったなどのことから、1998年(平成10年)5月22日に、「伊能忠敬旧宅」の「小野川」を挟んで「樋橋」を渡った「対岸」に新しく「伊能忠敬記念館」が設置されることとなり、「現在地」に「伊能忠敬記念館」が開館したそうです。

 「伊能忠敬記念館」では、「醸造業」などを営む「豪商」の「伊能家」に17歳で「婿養子」に入り、「家運」を盛り立て「佐原の名主」として活躍した「前半生」、そして50歳(49歳)で隠居して、のちに「江戸」に出て「勉学」に励み、56歳から71歳まで「計」10回にわたって「全国測量」を行った「伊能忠敬」の「人生」を、「年代順」に追って紹介しています。
 「伊能忠敬記念館」では、「国宝」に指定された「測量器具」や、「伊能図」の数々が展示され、「地球」1周分の「距離」を測量して歩いたという「伊能忠敬」の「業績」を偲ぶことができ、その「結晶」ともいえる「正確さ」と、「芸術的な美しさ」を備えた「地図」や、「伊能忠敬関連資料」等が展示された「伊能忠敬記念館」は、「香取市」「佐原」の「観光名所」のひとつとなっています。

 「伊能忠敬記念館」の「展示」の「概要」ですが、「佐原時代」、「全国測量」、「伊能図の完成」、「地図の世界」と分けられ、「内容」は、下記の通りです。

 佐原時代

 伊能忠敬50歳までの前半生を紹介

 伊能忠敬は、50歳で江戸に出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。
 34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、このころから天文や暦学への興味をいだいておりました。

 全国測量

 隠居してからの勉学と全国測量の行程を紹介

 江戸で、天文方高橋至時の弟子になり勉強を本格的に始めます。
 55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。
 伊能忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全図は完成しました。

 伊能図の完成

 伊能図の数々を紹介

 伊能図には、1821年(文政4年)完成の「大日本沿海輿地全図」(大図214枚縮尺36000分の1、中図8枚縮尺216000分の1、小図3枚縮尺432000分の1)のほか、測量ごとに作った地図や名勝地を描いたものなど、多くの種類があります。
 いずれの地図も実際に測量してつくられたので、とても正確であるとともに、芸術的な美しさを備えています。
 (国宝の伊能図や測量器具は2ヶ月ごとに展示替えを行っています)

 地図の世界

 日本地図の歴史や、楽しい世界の地図を紹介

 伊能忠敬がつくった伊能図により日本の正確な姿が紹介された19世紀以前において、ヨーロッパの人々は日本の姿をどのように理解していたのでしょうか。
 ヨーロッパから見れば極東の地である日本については、さまざまな憶測やとぼしい地理的情報に基づいて描いていました。
 また、同時に日本人は自分の国の姿をどのように理解していたのでしょうか。
 地図はその時の時代観、宗教観、目的によってさまざまな形をとります。
 見ても楽しく興味深いものです。

 「伊能忠敬関連資料」ですが、平成22年(2010年)6月29日に「重要文化財」から「国宝」に指定された2345点の「資料群」です。
 「国宝」に指定された「資料」は、「地図・絵図類」、「文書・記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」に分類され、「伊能忠敬」の「全国測量」に関る「資料」のほか、「孫」の「忠誨(タダノリ)」の「資料」も含まれています。
 ちなみに「国宝」とは

 「国が指定する重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝」

 と評価され指定された「資料」のことです。

 「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」は、「地図・絵図類」、「文書・記録類」、「書状類」、「典籍類」、「器具類」となっており、「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」・「目録」は、下記の通りです。

 「国宝」「伊能忠敬関連資料」「概要」・「目録」

 「地図・絵図類」787点

 採色された伊能図、その元となった下図(シタズ)、測量経路の風景を鳥瞰図的に描いた麁絵図(アラエズ)、各測量地から提出された参考絵図などがあります。
 伊能図の作成過程をうかがい知り、また各地の測量技術を明らかにできる貴重な資料群です。

 「文書・記録類」569点

 日本全国測量中の日記、山などの方位を測った山島方位記、夜に天体観測した星の観測記録、先生である高橋至時の御用日記、測量御用の辞令や先触、伊能忠敬の孫である伊能忠誨(タダノリ)が作成した星図などの資料です。

 「書状類」398点

 伊能忠敬直筆の書状のほか、息子景敬、娘イネなどの親族、先生の高橋至時・高橋景保、尾形謙二郎や坂部定兵衛など弟子たち、友人の江川英殻・久保木清淵や諸藩の役人との書状があります。

 「典籍類」528点

 伊能忠敬が学んだ暦学書、測量書、和算書や測量に関わる中で集めた地理書などがあります。

 「器具類」63点

 地上測量の器具には、量程車や半円方位盤、象限儀(小)などが、天体観測の器具には、緯度測量に使う象限儀(中)、経度測定に使う水揺球儀があります。
 また、地図を作成する時に使った烏口や地図記号の印もあります。
 特に伊能忠敬の孫の伊能忠誨が使用した水揺球儀もあり、国内でも有数のコレクションとなっています。

 「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」ですが、「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」で、3月28日(火)から5月21日(日)の「期間」行われるそうです。
 「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」開催に際し、「伊能忠敬記念館」では、下記のように「鑑賞」を呼びかけています。

 当館所蔵の国宝「伊能忠敬関連資料」には、地図や測量道具だけでなく、伊能忠敬に関わるさまざまな資料が含まれており、全体は5つの部門に分類されます。
 地図・絵図類・文書・記録類、書状類、典籍類、器具類のそれぞれから、厳選した実物資料を展示し、国宝「伊能忠敬関連資料」の持つ奥深い世界を紹介していきます。

 「佐原の偉人」「伊能忠敬」の「生涯」・「功績」を紹介、展示する「伊能忠敬記念館」で開催される「企画展」「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第86回収蔵品展」「国宝伊能忠敬関連資料の世界」詳細

 開催期間 3月28日(火)〜5月21日(日)

 開館時間 9時〜16時半 (最終入館〜16時)

 開催会場 伊能忠敬記念館 香取市佐原イ1722-1

 入館料  大人500円 小・中学生250円

 休館日  月曜日 (祝日の場合は開館) 年末年始

 問合わせ 伊能忠敬記念館 0478-54-1118

 備考
 「香取市」では、今年(2017年・平成29年)3月5日に「曙太郎」さんが「香取市応援大使」に就任されたそうです。
 「曙太郎」さんですが、「第64代横綱」・「格闘家」として「大相撲」や、「格闘技界」で活躍する傍ら、「香取市」「合併前」から「香取地域」の「福祉施設」や、「保育園」、「小中学校」等に数多く来訪、「社会福祉」や、「教育」、「青少年の育成」等への「貢献」から今回の「香取市応援大使」就任となったそうです。
 ちなみに「香取市応援大使」は、「香取市」の「魅力」を「全国」に紹介し、「知名度」・「イメージアップ」のために、「香取市」が実施する「イベント」等で活躍するもので、「香取市」に深く関わりがある人から選ばれるそうです。

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「わくわく!こどもの日プレゼント」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「ふれあいパーク八日市場」で5月5日(祝・金)に開催されます「わくわく!こどもの日プレゼント」です。

 「ふれあいパーク八日市場」(2012年6月16日・5月1日・2010年9月11日のブログ参照)は、「東関東自動車道」「成田IC(成田インターチェンジ)」から「国道295号線」・「国道296号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「東総広域農道」「入口」を「左折」し、「東総広域農道」を約7km(「成田IC」より約30分)、「県道八日市場・山田線」「交差点」にあります。
 また「地域高規格道路」「千葉東金道路」(「東金有料」・「東金道」)「銚子連絡道」「横芝光IC(よこしばひかりインターチェンジ)」からは、「国道126号線」を「匝瑳市」「方面」に向かい、「県道八日市場・山田線」へ入り、約4km(「横芝光IC」から約30分)、「東総広域農道」との「交差点」に「ふれあいパーク八日市場」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」には、1.5ha(ヘクタール)の「敷地」に「普通車」83台、「大型車」3台を収容できる「駐車場」を完備しています。

 のどかな「田園風景」が広がる「匝瑳市」にある「ふれあいパーク八日市場」は、「安心・安全・新鮮な農産物、こだわりの匝瑳市産」を「皆様」にお届けするために、平成14年(2002年)3月17日に「産声」をあげた「都市と農村交流ターミナル」です。
 「ふれあいパーク八日市場」では、「匝瑳」の「大地」をこよなく愛する「生産者」が、「手塩」をかけた「恵み」の「農産物」等の「数々」を、「見て・触って・食して」お楽しみいただける「施設」となっています。

 「ふれあいパーク八日市場」ですが、2002年(平成14年)3月の「開館」以来、「施設」の「運用面」(交流・イベント、直売、レストラン運営事業等)については、「八日市場市ふるさと交流協会」(「合併後」は「八日市場ふるさと交流協会」に名称変更)が行っていましたが、「事業」を「継続」・「拡大」していく中で、「協会」が保有する「資産」や「雇用者数」が増加し、「財務運営」や「雇用計画」等について、「協会」は「法人格」を持たない「任意的団体」であったため、その「代表者」が「無限責任」を追わなければならないという「問題」が顕著となり、そこで「行政」としても何らかな「法人格」を有する「組織形態」への「移行」を検討する「必要」があると考え、「匝瑳市」と「協会」との「双方」で「法人化」を目指すことで「意見」が一致したそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」の「法人形態」に関しては、「協会」と「匝瑳市」の「間」で「数回」の「協議」を重ね、「主」に下記の「理由」から「第3セクター方式」による「有限会社」の「設立」を進めることで「結論」に達したそうです。

 1 協会単独で有限会社になることは、ふれあいパーク八日市場が公共施設であるため難しいこと

 2 NPO法人、株式会社についても検討したが、両法人形態の有する性質上、協会単独での法人化は困難であること。

 3 第3セクター方式による有限会社形態をとることにより、公共施設の利用、交流協会の財務運営等について、官民一体となってすすめることが可能であること。

 「第3セクター」による「有限会社」の「設立」に関して「協議」をする「機関」として「ふるさと交流協会第3セクター設立検討委員会」を設立したそうです。
 「委員会」の「委員」には、「市」3名、「協会」3名、「農協」2名、「市観光協会」1名の「計」9名で構成し、「法人設立」を目指して「検討」を重ね、また「専門的」な「アドバイザー」として「千葉県農業会議」及び「会計事務所会計士」に「必要」な応じて「出席」を依頼したそうです。
 なお、「委員会」においての「検討事項」ですが、「商号」、「資本金」、「社員」その「出資割合」、「役員」と、その「報酬」及び「営業年度」などであったそうです。

 以上の「経緯」から、2005年(平成17年)12月1日に、「都市交流事業」・「各種イベント」の「企画運営」、「直売事業」、「レストラン運営」等を「目的」とする「ふれあいパーク八日市場有限会社」が設立されました。
 「ふれあいパーク八日市場」の「会社概要」ですが、下記の通りとなっています。

 商号   ふれあいパーク八日市場有限会社

 事業内容 都市と農村交流ターミナル

 設立   平成13年11月1日

 所在地  千葉県匝瑳市飯塚299-2
      TEL 0479-70-5080 FAX 0479-70-5081

 納入会員 ふるさと交流協会 会員数 128名

 「ふれあいパーク八日市場」の「施設概要」ですが、「店舗」「入口」を入りますと、向かって「右側」に「農特産物コーナー」、「左側」に「文化コーナー」があります。
 「ふれあいパーク八日市場」「農特産品コーナー」の「メイン」で販売しているのが、「匝瑳市産野菜」で「キャベツ」、「ほうれん草」、「小松菜」、「トマト」などが「定番商品」で、どれをとっても「質」が良いと言われています。
 また「ふれあいパーク八日市場」の「人気」の「秘密」ですが、「野菜」だけではなく、「農特産物」の「加工品」がとても「豊富」で、中でも「棒もち」、「卵焼き」、「卵焼きで巻いた太巻き寿司」等「人気」の「加工品」を求めに「近隣」から来店される方が多いそうです。

 「ふれあいパーク八日市場」「店舗」「左奥」に「匝瑳産」の「食材」をふんだんに使った「料理」を提供している「レストラン」「里の香」があります。
 また「匝瑳市」は、「日本有数の植木のまち」として知られており、「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)の「外」「西側」には「花・植木見本園」が設置されており、また「ふれあいパーク八日市場」「店舗」(本館)を抜けると、隣接する「飯塚沼農村公園」に行くこともできます。
 「ふれあいパーク八日市場」では、上記のように「匝瑳産」の「新鮮な農産物」や、懐かしい「ふるさとの味」に出会える「憩いの場」として、「匝瑳市民」はもとより「近隣市町村」からも「大勢」の「来客」のある「人気スポット」となっています。
 また「ふれあいパーク八日市場」では、「なにかがあるふれあいパーク」を「キャッチフレーズ」に、「毎週末」や「祝祭日」に、いろいろな「イベント」を行っています。

 「こどもの日」とは、「日本」における「国民の祝日」のひとつで、「日付」は5月5日、「端午の節句(タンゴノセック)」ともいわれています。
 「こどもの日」ですが、「祝日法2条」によりますと、

 「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」

 ことが「趣旨」なのだそうで、1948年(昭和23年)に制定された「祝日」であり、「ゴールデンウィーク」を構成する「日」のひとつです。

 5月5日は古来から「端午の節句」として、「男子」の健やかな「成長」を願う「行事」が行われていました。
 大正時代には「児童愛護デー」として「活動」を行っていた「団体」が存在し、「国会」に「こどもの日」を「祝日」とする「請願」が寄せられた際にも、5月5日を希望するものが多かったためなのだそうです。
 ちなみに、「節句」というのは、そもそも「年」5回あり、「節句」ですが、下記の通りです。

 1月7日 人日(ジンシツ) 七草の節句

 3月3日 小巳(ショウシ) 桃の節句(ひな祭り)

 5月5日 端午(タンゴ) 菖蒲の節句

 7月7日 七夕(シチセキ) たなばた

 9月9日 重腸(チョウヨウ) 菊の節句

 「節句」とは、「奇数」が重なる「日」で、「季節の変わり目の行事」を指し、「奇数が重なる日」というと、1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日ですが、1月1日の「元旦」は別格なので、1月7日になっているそうです。
 昔は、「季節の変わり目」に、「宮廷」で「宴会」が開かれていたもので、それが江戸時代になり、その中の5つを「五節句」として、「公的」に定められるようになったそうです。

 「女の子」の「節句」である「桃の節句」では、「お雛様」を飾りますが、これは「災い」から「子どもの身」を守る為に、「身代わり」になる「お守り」ということだそうです。
 対して「男の子」は、「鎧兜(ヨロイカブト)」がこれに当たり、「健やかに育つように」、「邪気から守ってくれるように」、という「意味」が込められているそうです。
 「こどもの日」、「端午の節句」と言えば、「菖蒲湯」に入ることですが、「菖蒲は病気や邪気を払う」といわれており、「季節の変わり目」で「体調」を崩さないよう、入る「習慣」がついたといわれています。

 前述の通り、「端午の節句」は、「宮中行事」として、行われてきましたが、その際にも、「菖蒲」は使われていました。
 これが、鎌倉時代になると、「武士」が台頭し、「菖蒲」=「勝負」に通じ、「菖蒲の葉」が「刀」に似ている事から、「端午の節句」は、「男の子」の「お祭り」へと変化していったそうです。
 上述のような「歴史」から、「端午の節句」の「お祝い」に「鎧兜」が登場し、「端午の節句」を「こどもの日」としてお祝いしている事から、「こどもの日」に「兜(カブト)」を出すそうです。

 「こいのぼり」ですが、これは「町民」から生まれたものなのだそうです。
 昔、「武家屋敷」では、「男の子」が生まれると、その「目印」として、「家紋」の入った「旗」を、「外」に立てる「習慣」がありました。
 その「習慣」が、「経済力」を持ち始めた「町民たち」の間でも、広まっていったそうです。
 その際、「鯉の滝登り」で知られる「立身出世の象徴」としての「鯉」が使われるようになり、「こいのぼり」が飾られるようになったといわれています。

 当時は、「乳幼児の死亡率」も高かったそうで、「健やかに育ってほしい」という「思い」は大きかったと考えられています。
 上記のように、「こどもの日」に飾られる「兜」と、「こいのぼり」は、「外飾り」と、「内飾り」として、「子どもの無事と安全、成長を願って飾られるようになった」といわれています。
 よって飾る時は、それぞれに「意味」がありますので、「兜」、「こいのぼり」「両方」飾るのが良いとされています。

 「わくわく!こどもの日プレゼント」ですが、「ふれあいパーク八日市場」の「プレゼント企画」で、5月5日(祝・金)9時00分から16時30分まで行われます。
 「わくわく!こどもの日プレゼント」の「内容」ですが、「ふれあいパーク八日市場」にご来場の「小学生」以下の「お友だち」(お子様)に「ミニソフトクリーム」をプレゼントするというものだそうです。
 「わくわく!こどもの日プレゼント」「ミニソフトクリーム」ですが、1人1回限りとなっており、「先着」200人となっています。

 「毎週末」や「祝祭日」にいろいろな「イベント」が行われる「都市と農村交流ターミナル」「ふれあいパーク八日市場」で開催される「こどもの日」「プレゼント企画」「わくわく!こどもの日プレゼント」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「わくわく!こどもの日プレゼント」詳細

 開催日時 5月5日(祝・金) 9時〜16時半

 開催会場 ふれあいパーク八日市場 匝瑳市飯塚299-2

 問合わせ ふれあいパーク八日市場 0479-70-5080

 備考
 「ふれあいパーク八日市場」では、「採れたて野菜」の他、「植物園」には「ツツジ」をはじめとした「季節」の「花々」を取り揃えているそうです。

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| 地域情報::匝瑳 | 02:24 PM |
「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」(匝瑳市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「匝瑳市」「飯高地区」「安久山」「平山邸」で5月4日(祝・木)〜5日(祝・金)の期間開催されます「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」です。

 「匝瑳市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「首都」「東京」からは70km圏、「世界の空の玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際空港」(2015年4月7日・2012年12月10日のブログ参照)からは「車」で30分の「距離」にあります。
 「匝瑳市」の「市」の「中心部」には「JR総武本線」と、「国道126号線」が「東西」に走り、「成田方面」とは「国道296号線」で結ばれており、「国道296号線」は、「匝瑳市」の「中央」の「西方」を「南北」に走っています。

 「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日、「八日市場市」と、「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」の「面積」は101.78平方kmで、「匝瑳市」の「北部」は「谷津田」が入り組んだ複雑な「地形」の「台地部」となっており、一方「匝瑳市」の「南部」は「九十九里浜」(九十九里海岸)(2012年5月11日のブログ参照)に面しています。
 「匝瑳市」と隣接する「自治体」ですが、「旭市」(旭地区、干潟地区)、「香取市」(山田地区)、「香取郡」「多古町」、「山武郡」「横芝光町」(光地区)と接しています。

 上述のように「匝瑳市」は、2006年(平成18年)1月23日に「八日市場市」と、「匝瑳郡」「野栄町」が合併して誕生しました。
 「匝瑳市」の「市名」の「由来」ですが、「合併前」の「旧・八日市場市」と、「旧・野栄町」が「匝瑳郡」に属していたことからなのだそうです。
 「匝瑳市」の「市役所」「本庁」は「旧・八日市場市役所」を使用し、「市区域」は「植木」(苗木)の「産地」として有名であり、「匝瑳市」の「植木」の「栽培面積」は「日本一」(2011年9月30日のブログ参照)となっています。

 「匝瑳市」の「植木生産」は明治時代に始まったといわれ、大正時代になって「職業」として本格化しました。
 しかし、当時の「植木生産農家」はわずか5〜6戸で、限られた「富裕層」を対象に「小ぶり」の「観賞用樹木」を細々と供給しているに過ぎなかったそうです。
 ところが、大正12年(1923年)「大阪府」「池田」の「植木買い付け業者」の「阪上亥之助」が「病害虫」や、「寒さ」に強い「八日市場」の「イヌマキ」に目をつけ、これを「関西方面」に出荷したことが「きっかけ」となり、「植木生産」が広がり、現在では「匝瑳市」は「日本有数」の「植木」の「栽培面積」を誇るほどの「大産地」となっています。
 「匝瑳市」の「植木栽培」ですが、「匝瑳市」の「市内各所」で行われていますが、特に「匝瑳市」の「中心部」を通っている「JR総武本線」の「線路」から「南側」の「地域」で盛んに営まれており、また「農家」の「垣根」として「匝瑳市内」には「槙塀」がよくみられ、なかには「高さ」7mほどのものまであるそうです。

 「匝瑳市」の「市の木」ですが、「匝瑳市」の「特産」の「イヌマキ」で、「日本一の植木のまち」にふさわしい「木」で、「イヌマキ」は「観賞用」としても「人気」があり、「匝瑳市域」には「生垣」も多く見られます。
 「千葉県」は「全国有数」の「植木生産県」であるため、「千葉県」では「植木産地」「発展」の「基礎」を築いた「伝統的」な「樹芸技術」を保存継承し、今後の「植木生産」に役立てるため、「千葉県植木伝統樹芸士・植木銘木100選」を認定しています。
 「植木伝統樹芸士」は、「植木屋さん」のなかでも特にその「実力」が認められている「存在」です。
 平成20年度末現在39名おりますが、26名は「匝瑳市内」「在住者」です。
 「植木銘木」は、「植木職人」の「技」により「造形木」として「芸術的」な「美しさ」を持っています。
 平成20年度末現在41本がその「認定」を受けていますが、23本が「匝瑳市内」にあります。
 このように、「匝瑳市」の「植木産業」の「水準」はとても高いそうです。

 平成12年(2000年)に「環境庁」が行った「巨樹・巨木フォローアップ調査」により、「旧・八日市場市内」で211本の「巨木」が確認され、「全国」の「市町村」のなかで最も多い「数」だったそうです。
 これにより、「匝瑳市」は、「植木のまち」としてだけではなく、「巨樹・巨木のまち」としても一躍有名になりました。
 「巨樹・巨木フォローアップ調査」の後、「市町村合併」が進んだことにより、現在の「順位」は定かではありませんが、当時で「旧・八日市場市」は「全国」7位であったそうです。
 「匝瑳市内」の「巨樹・巨木」は、そのほとんどが「寺社」や、「民家」など「山林」ではなく身近に存在しており、「市内」の「広範囲」にみられるのが「特徴」だそうです。
 ちなみに、ここでの「巨樹・巨木」の「定義」は「地上」1.3mの「高さ」で、「幹回り」が3m以上の「樹木」をさすそうです。

 「匝瑳市内」の「巨木」「ベスト10」は、下記の通りです。

  1 1000cm スダジイ (安久山・平山宅裏庭)

  2  770cm スギ (松山・松山神社)

  3  750cm スダジイ (安久山・MKハイツ裏)

  4  700cm スダジイ (飯高・飯高寺)

  5  680cm スギ (生尾・老尾神社)

  6  650cm スダジイ (八日市場ロ・愛宕神社)

  7  620cm タブノキ (小高・石井宅南)

  8  620cm スギ (入山崎・妙見社)

  9  555cm スギ (飯高・飯高寺)

 10  550cm スダジイ (安久山・日枝神社の森)

 移築された「民家」「平山邸」と、「安久山の大シイの木」の「スダジイ」ですが、「匝瑳市」にある「民家」と、「巨樹」・「巨木」が数多く現存する「匝瑳市」の「市内第1位」の「シイの木」です。
 「平山邸」ですが、19世紀の末(明治19年頃)に建築された「民家」です。
 「安久山のスダジイ」ですが、上述のように「匝瑳市内第1位」を誇る「巨樹・巨木」で「幹回り」が10mと、「全国」でも「有数」の「シイの木」です。
 「安久山のスダジイ」の必見すべきは、その「根」で、「安久山のスダジイ」の「根」ですが、「板根状」になった「幹回り」は今にも歩き出しそうなくらい曲がりくねり、「自然」の持つ「力強さ」がひしひしと伝わってくるそうです。
 「熱帯雨林」といった「気候」とは全く違う、ここ「千葉県」「匝瑳市」でこのような「板根」がみられるのは極めて珍しいそうです。
 なお、平成24年(2012年)8月18日の「日本経済新聞社」「NIKKEI プラス1」の「特集記事」「訪ねたい神秘的な巨樹」で、「匝瑳市」「安久山」の「大シイ」が第8位に選ばれています。

 「ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳」ですが、今年(2017年)で15回目を数える「イベント」で、「ガーデン・オープン・チャリティ」の「公開」ですが、「N.G.Sジャパン」が展開する「庭園福祉活動」の「一環」として、「一般民家」の「庭園」を「日時」を限って公開するものなのだそうです。
 「N.G.Sジャパン」ですが、「英国ザ・ナショナル・ガーデンズ・スキーム」の「支部的役割」を果たしながら、「庭園福祉活動」を中心に、「日本」と、「英国」間の「庭園・園芸文化交流」を盛んに行い、「活動」を行っています。
 「N.G.Sジャパン」の主(オモ)な「活動内容」ですが、「ガーデン・オープン・チャリティ」(Garden Open for Charity)、「コンサート」等の「イベント」、「スクール・フォー・ガーデニスト」、「ガーデン・ツーリズム」となっています。
 今回「匝瑳市」では、「N.G.Sジャパン〜庭園福祉活動〜」の「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」が開催されます。

 「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」ですが、「匝瑳市」で5月4日(祝・木)から5月5日(祝・金)の「期日」開催される「イベント」で、2日間の開催となるそうです。
 「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」では、19世紀の末に建築された「民家」と、「安久山地区」の「ツツジ」・「山野草」の風情ある昔ながらの「日本庭園」を公開し、「千葉県」「県下最大」の「幹回り」10mを誇る「巨木」「安久山のスダジイ」や、色とりどりの「花」、「NHKBS」で放映された「映像に残したい日本の里山100選」として選ばれた「新緑」に映える「里山」散策が楽しめ、「庭園」での「フローラルコンサート」(花の音楽会)も行われるそうです。
 「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」「フローラルコンサート」(花の音楽会)が5月4日(祝・木)、5月5日(祝・金)の「両日」とも開催するそうです。
 「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」ですが、「期間中」10時00分から16時00分頃まで行われ、「入場料」(入園料)ですが、一人あたり500円(中学生以下無料)(サービス・お茶とお菓子など)となっています。
 なお「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」の「入場料」(入園料)の「収益」ですが、「東日本被災地」の「子どもたち」に寄付するために、「特定非営利活動法人 国境なき子供たち」へ寄付する予定なのだそうです。

 「飯高地区」「安久山」「平山邸」で開催される「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」詳細

 開催日時 5月4日(祝・木)・5日(祝・金) 10時〜16時頃

 開催会場 匝瑳市飯高地区安久山 平山邸 匝瑳市安久山197番地

 問合わせ 匝瑳市産業振興課商工観光室商工観光班 0479-73-0089

 備考
 「第15回ガーデン・オープン・チャリティin匝瑳2017」ですが、「英国 The N.G.S」後援(Supported by the National Gardens Scheme in the U.K)で開催されます。

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| 地域情報::匝瑳 | 07:02 PM |
「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」(旭市)
 本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」「旭市長熊釣堀センター」で5月3日(祝・水)に開催されます「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」です。

 「旭市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「県庁所在地」「千葉市」から50km圏、また「東京都心」から80km圏に位置している「市」で、「人口」は約7万人の「自治体」です。
 (2017年(平成29年)4月1日現在、「旭市」の「人口」66844人、「男」32879人、「女」33965人、「世帯数」25763世帯)
 「旭市」の「南部」は美しい「弓状」の「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)に面し、「旭市」の「北部」には「干潟八万石」といわれる「房総半島」「屈指」の「穀倉地帯」と、なだらかな「丘陵地帯」である「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がっています。
 「旭市」ですが、「旭市」、「香取郡」「干潟町」、「海上郡」「海上町」、「海上郡」「飯岡町」が、2005年(平成17年)7月1日に「対等合併」し、新「旭市」として「スタート」しています。
 「旭市」の「中央部」を「東西」に、「JR総武本線」と「国道126号線」が通り、「周辺」は「市街地」として発展しています。

 「旭市」の「大きさ」ですが、「東西」に約17.7km、「南北」に約13.5km、「面積」は129.91平方km、「標高」は、「海抜」68.4m(飯岡「刑部岬(ギョウブミサキ)」(2012年5月26日のブログ参照)付近)以下、「旭市内」の「全域」に及ぶ「平野部」は「海抜」3〜10mと「平坦」です。
 「旭市」「南部」「太平洋」に面する「海岸」「九十九里浜」は、「遠浅」の「砂浜」で、「夏」の「海水浴場」だけではなく、1年を通し、「海釣り」や「サーフイン」(サーフスポット)として賑わっています。
 なお「旭市」の「九十九里浜」ですが、「日本の白砂青松100選」、「日本の渚百選」に選定されています。

 「旭市」は「通年」として「温暖」な「気候」(平均気温は15℃)で、「冬」暖かく、「夏」涼しい「環境」を活かし、「農業」が盛んに営まれており、「干潟八万石」の肥沃(ヒヨク)な「水田」で採れる「水稲」はもとより、「施設園芸」による「キュウリ」・「トマト」等の「野菜づくり」、「カーネーション」、「ガーベラ」等の「花卉栽培」等が行われています。
 また、「旭市」「飯岡漁港」での「水産業漁獲量」も「県内2位」となっており、「旭市」「飯岡」の「伝統加工品」の「丸干しいわし」は「日本一」の「生産量」を誇り、近年「健康食品」としても「注目」を集めています。
 「旭市」は、「特産」の「貴味メロン」、「梨」、「いちご」(2011年12月14日・2010年12月10日のブログ参照)の「観光農園」、「畜産業」もあり、「農産物」から「畜産物」・「水産物」までなんでもそろう「食料のまち」で、「旭市」は「千葉県内屈指」の「食料供給基地」となっています。

 「旭市」は、「多彩」な「レジャー」が楽しめる「まち」として知られており、「旭市」では、「海水浴」、「サーフィン」、「パークゴルフ」、「キャンプ」、「釣り」などが楽しめます。
 「旭市」の「主」な「名所」・「旧跡」「レジャースポット」(観光スポット)は、下記の通りです。

 大原幽学遺跡(国の史跡)(2012年11月15日・11月13日・2011年2月6日のブログ参照)

 玉崎神社(本殿、拝殿及び狛犬は「千葉県指定有形文化財」)(2012年1月1日のブログ参照)

 熊野神社(神事「熊野神社の神楽」は千葉県指定無形民俗文化財)(2013年3月16日・2012年3月17日のブログ参照)

 鎌数伊勢大神宮(神事「鎌数の神楽」は千葉県指定無形民俗文化財)(2013年3月25日のブログ参照)

 八坂神社(「太田のエンヤーホー」は千葉県指定無形民俗文化財)(2012年7月23日・2011年7月24日のブログ参照)

 刑部岬(ギョウブミサキ)(2012年5月26日のブログ参照)

 飯岡灯台

 飯岡刑部岬展望館〜光と風〜(2011年1月27日のブログ参照)

 屏風ヶ浦(ビョウブガウラ)(2016年3月2日・2012年5月20日のブログ参照)

 飯岡漁港(2012年6月6日のブログ参照)

 飯岡風車群

 矢指ヶ浦温泉

 矢指ヶ浦海水浴場(2012年7月17日のブログ参照)

 飯岡海岸・海水浴場(2012年7月17日のブログ)

 長禅寺(2011年5月18日のブログ参照)

 龍福寺と龍福寺の森(2011年5月5日のブログ参照)

 岩井不動堂・キャンプ場

 東漸寺(トウゼンジ)(2012年2月28日のブログ参照)

 水神社永代大御神楽(千葉県指定無形民俗文化財)(2013年1月28日・2012年2月3日のブログ参照)

 「旭市」の主だった「祭事」・「催事」・「イベント」は、下記の通りです。

 西宮神社例大祭「とがらしごぼう」(2011年1月17日のブログ参照)

 旭市飯岡しおさいマラソン大会(2012年2月3日のブログ参照)

 袋の溜池春のヘラブナ釣り大会(2011年4月15日のブログ参照)

 旭市袋公園桜まつり(2012年3月29日のブログ参照)

 長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会(2012年5月4日のブログ参照)

 飯岡海浜花火大会(2010年7月23日のブログ参照)

 旭市いいおかYOU・遊フェスティバル(2010年7月24日のブログ参照)

 旭砂の彫刻美術展(2012年7月16日のブログ参照)

 旭市七夕市民まつり(2010年8月4日のブログ参照)

 袋の溜池秋のヘラブナ釣り大会(2010年10月22日のブログ参照)

 黒虎相撲(2011年11月1日のブログ参照)

 旭市ふるさとまつり・ひかた(2011年11月3日のブログ参照)

 いきいき旭・産業まつり(2011年11月3日のブログ参照)

 海上産業まつり(2010年11月21日のブログ参照)

 「長熊釣堀センター」ですが、「旭市」にある「長熊スポーツ公園」の「東側」に位置する「公営」の「釣り堀」です。
 「長熊釣堀センター」には、「豊富」な「湧水」があり、「水質」の良い「長熊ため池」を利用していることから、300席ある「釣り座」では、1年中「ヘラ鮒釣り」が楽しむことができ、特に「春」と「秋」に開催されている「釣り大会」には、「近隣市町」から「大勢」の「太公望(タイコウボウ)」が集まり、「長熊釣堀センター」は、「賑わい」をみせるそうです。

 「長熊釣堀センター」のある「長熊スポーツ公園」ですが、「野山」に囲まれた「公園」となっており、「公園内」には、「野球場」と「ゲートボール場」が整備されており、「プレイ」することができます。
 また「長熊スポーツ公園」「周辺」には、「紫陽花(アジサイ)」や「桜(サクラ)」等の「植栽」が施され、「花の季節」には「彩り」を与え、「長熊スポーツ公園」には、「近隣」より、多くの「観賞客」も訪れています。

 「長熊釣堀センター」は、江戸時代に「椿(ツバキ)の海」(2011年4月17日のブログ参照)と呼ばれた「潟湖」を干拓した際に造られた、14の「溜池」のひとつを利用した「ヘラブナ釣堀」で、平成21年(2009年)にリニューアルオープンしています。
 「長熊釣堀センター」の「長熊ため池」「湖上」の「浮桟橋」からは、1年を通じ、「釣り」が楽しめ、「水深」1.8m〜5.6mと変化に富み、「ビギナー」から「ベテラン」まで幅広い「ニーズ」に応え、上記のように「春」と、「秋」の「釣り大会」には多くの「人」で賑わうそうです。

 この度(タビ)「長熊釣堀センター」では、「恒例」となった「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」が、5月3日(祝・水)7時00分から14時00分まで行われます。
 「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」の「定員」ですが、260人となっており、「参加費用」ですが、「大人」2000円、「小学生以下」1000円(参加賞、弁当付き。)となっています。
 「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」の「前売り券」ですが、「長熊釣堀センター」「管理棟」で販売するそうです。
 「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」「当日」は、「ベテラン」から「ビギナー」まで、多くの「釣り客」の「皆さん」で賑わうそうです。

 「旭」の「釣りのメッカ」「旭市長熊釣堀センター」で開催される「春」の「恒例」の「釣りイベント」「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」詳細

 開催日時 5月3日(祝・水) 6時〜(受付開始) 7時〜(競技開始)

 開催会場 旭市長熊釣堀センター 旭市萬力3566-1

 定員   260人

 費用   大人2000円 小学生以下1000円(参加賞、弁当付き)

 問合わせ 旭市長熊釣堀センター 0479-68-4602

 備考
 「旭市長熊釣堀センター」では、10月から1月に、2回に分けて「計」2t(トン)の「大型」の「ヘラブナ」を放流しているそうです。

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